帰還7
「え、私も馬にですか?」
エレノアは驚いた顔で俺を見上げる。目の前に立つと彼女が小柄だということが良くわかる。
「ええ、場所を教えていただかないと」
「あの……私、馬に乗れなくて」
「ええ、結構ですよ。俺の馬で一緒にいきましょう」
小動物のような可愛い顔が急に爆発したかと思うと、ブンブンと一生懸命に両手を振ってそれは出来ませんと赤面しているエレノアを無視し、俺は馬に跨ると護衛に手伝ってもらいエレノアを持ち上げ裾の長いスカート姿の彼女を横乗せにする。エレノアは急に高くなった目線に驚いたのか「ひゃっ!」とおかしな声をあげ、慌てて恥ずかしそうに口を塞ぐ。
………ヒカリにもこのぐらいの可愛気があればいいのにな。あいつなら「危ないでしょー!」と烈火の如く怒って終わりだなと勝手に想像しておいて、妹の色気の無さにへこむ。
馬は3年ぶりだが、まあいけるだろう。ちなみにだが、二人乗りした経験はない。子供の頃におじいさまの前に乗せてもらった以来だ。つまりは乗せてもらった事はあるが、乗せるのは初めて。
だがそんな事は気にしない。成せば成る。
俺の後ろには護衛が十数人いる。朝食の後にすぐに将軍に会うと外出の許可を貰ってきたのだが、承諾の条件が護衛10人をつける事だった。残りの端数はこの城の護衛だ。エレノアの護衛だろう。
それとどこで聞きつけたのか、気がつけばシキさんも列に混じっていた。
城を出る時には既に8時を回っていた。あまり時間は残っていない。
「少し急ぎますよ」
俺はエレノアの体を囲うように手綱を掴むと馬を前進させる。馬が動き始めるとエレノアは「ひっ!」と、またも調子外れな声をあげると慌てて口を手で覆い隠す。
「怖ければ俺の腕を掴んでいただいて構いません」
「そんな恐れ多い事は……」
「落下されるよりはマシです」
強張った表情のエレノアは最初は戸惑いはしたものの、俺の左腕を力強く両手で掴む。その力の入れようたるや。
頑丈な妹のヒカリを基準に考えてしまっていたものだから、そんなに怖かったのかと思いもよらない反応に戸惑いつつも、では直接体を支えようかと問うと、彼女は顔を真っ赤にさせながらそんな事はさせられないと断ってくる。怖いはずなのに俺にしな垂れてくる様子も甘える様子もなく、緊張で硬直しながらも毅然とした対応をするエレノアに好感を抱く。
最初は単語すら発しなかったエレノアも、少しずつ馬に慣れて来たようで、城下町を出る頃には彼女の言葉は道案内が出来るまでに回復していた。城下町を囲う城壁から離れると少しずつ地面が灰色の砂に覆われ始める。
どうやらここも駄目なようだ。
エレノアの案内により辿りついた先は、ナナクサ村より少し規模の大きい村だった。その頃には周囲の砂は土の上に覆い被さるというよりも、敷き詰められていると言っても過言ではないほどに地面から土も草も見えない。事実、馬から降りると、くしゅりと柔らかい砂地に降り立ったような感触だった。砂は砂でも細粒と呼ばれるような細かい粒の砂か、それよりも小さい砂粒だろう。地面に降ろした足が埋まるように沈んでいく。
手から魔素で少し長い棒を作ると、思いっきり地面に突き刺す。すると砂の深さは握り拳ぐらいだろうと推定出来るぐらい棒は簡単に砂の中にもぐっていった。
これは確かに砂の被害は大きそうだ。
彼女を馬から降ろそうとするものの、高さに怖がってしまって身動きが取れずにいたので、失礼して彼女の腰に両手に当てて抱きかかえるようにエレノアを馬から降ろす。急なことに驚いたエレノアが両手を俺の肩に乗せると、それを目撃した騎士達がざわつく。我々がやりますのでと止められてしまったが、そんなのは後の祭だ。エレノアの足はストンと地面に落ちる。
登った木から降りれなくなった小さな子供を抱きかかえて降ろす事と何ら変わらないのに、騎士達は一体全体何を慌てているのだ。誰がやるとか言う前に近くにいる自分がやった方が早いだろうと思っていると、真顔のシキさんに「令嬢に安易に触ると責任を取らされるからやめなさい」と小声で注意を受けた。
責任って何の責任だよ。
そう思っていたのだけれど、これが後々影響を及ぼしたのは確かだった。
シキさんの言う事は素直に聞いておくものだ。
「ここですか?」
「はい、時間内に行けて深刻な農業被害が出ている村です」
村の中へずんずんと進みながらあちこち見回して状況を把握するのだが、想像を遥かに超えて村一帯砂まみれだったことに絶句する。これは酷い。
何の連絡も無しに大勢で押しかけて来た領主の娘と騎士達の軍団に、村人達が何事かと家屋から顔を出すのだが、ここの住人らも痩せ細った体の人間が多い。
それにしてもあの短時間でエレノアがこの村を選んだことに驚く。
「頭に領地のことが入っているのですか?」
そう聞くとエレノアは恥ずかしそうに視線を下に移す。
「はい。2人姉妹ですので姉が跡取りなのですが、万が一姉が上手く婿取りができなかった場合は、私にお鉢が回ってくるんです。姉が継いでも手助け出来るっていう理由もあるのですが、とにかく領地の勉強は日々欠かせません」
頬を染めながら話す。
貴族の娘って存外大変なんだな。豪華な城の中で光る服を着ながら美味いものを食べているだけかと思っていた。
俺から一定の距離をとっていたエレノアが、何かを思い出したかのように目を開目させると、急激に近づいてくる。護衛騎士がその動きに一瞬反応するものの、俺が手で静止する。彼女はそんなやりとりには気が付かない様子で、小さい体で精一杯背伸びをすると、俺の耳に向かって手を添えて話しかけようとするので、俺も何事かと思って体を傾けてエレノアに耳を近づける。
「ここだけのお話ですが、姉はヘーリオス侯爵家のラシェキス様を狙っていたのです。将軍の覚えもめでたく有能とご高名な上、あのお姿で御次男なのですもの。滅多に会える御方でも無いですし、この機会に親睦を深めようと頑張って昨夜はお庭にお誘いしたようなんですが、良いお返事を貰えなかったようですの」
エレノアはシキさんをチラチラと見ながら小声で俺に重大なことを教えてくれた。おそらくシキさんが視界に入って思い出したのだろう。おしゃべりする顔は目をキラキラさせて女の子という感じで、きっとヒカリとも昨夜はこんな風に話をしていたに違いない。
へぇー、やっぱりモテるんじゃん。シキさん。
エレノアの話に俺は思わずにやけた顔でシキさんを見てしまう。シキさんはなんで俺達にジロジロ見られているのか分からず困惑顔だった。
でも、彼女の姉の誘いを断ってくれたようで何よりだ。
エレノアの話に小さな安堵を覚えた。
「エレノア嬢。ここの生活水は?」
「確か井戸を使っていたはずなのですが。そういえば水の量も減ってきているという話があったような……」
村にある井戸を手当たり次第に覗くものの、どこもかしこもエレノアの言う通り水位が低い。さらに昔にはあったとされる近くの川も枯渇し始めていて、生活用水としては利用ができない状態なのだという。この辺りの地下には水が少ないのだろうか。
少し考えつつも調査をする時間なんて勿論無いので、実行あるのみと俺はポーチから数個に分けて持ってきた小石ほどの小さな魔石を取り出し、魔石に水魔素を入るだけ注ぎ込むと、それを井戸の角で強く叩いて井戸の中に放り投げた。
それから少し。
水位が段々と上がる。
だんだんと言おうか、どんどんと言おうか。
頼んだつもりのない位置まで水位が上がるのだが更に更に上がってくる。
………これは。
俺の浮かない表情を見てか、近くに控えていたシキさんが怪訝な表情で俺の視線の先を覗き込むと、シキさんの表情も俺と同様に歪む。
「………キツキ、これはまずいんじゃないのか?」
「ですよね」
俺も同意する。
そんなことを言っている間にも水位は更に上昇する。
「エレノア嬢、申し訳ない。失敗した」
「え?」
強く打ちすぎた魔石を井戸に放り投げてしまったので、止める事も出来ない。
今頃きっと井戸の底で盛大に水を放出しているに違いない。その水が地下へ染み渡るよりも早く魔石から放出されて……逃げ場の無い水はどう考えたって空間のある井戸を登ってくる。
水は今にも井戸から溢れて来そうだ。このままでは村を水浸しにしてしまう。いや、その前に井戸が壊れてしまうかもしれない。俺の顔は青い。
「悪いが、一緒に水路を作ってくれ」
後ろで様子を見ていた村人に声をかける。
俺は岩の魔素で井戸の淵の一部を壊して水を逃すと、水の流れる堀りをつくるように村人へ指示を出す。それを見ていたシキさんが俺の代わりに指揮を取り始めてくれたから彼に任せる事にした。
よろしく。
さて、面倒事はシキさんに押し付けてどんどんいこう。残り時間は少ない。
「エレノア嬢、ご要望は畑の土で良いですか?」
俺の質問にエレノアは頷く。
建物群よりは日当たりの良い南側がいいだろうと南に向かって歩きながら、エレノアと広い場所を探す。
結局は村の端まで歩いたのだが、その目の先には砂しか見えない。辺り一帯、灰色の砂ばかりの景色を眉間に皺を寄せながら見据えるが、何度見ても「なんだこれは」とため息をついてしまう。
軽く息を吐いた後に集中して手を振ると、目の前の砂で覆われた場所は一斉に緑のある土に覆われる。
時期的に草は数日で枯れるだろうが、暖かい季節になればまた土から芽を出してくれるだろう。
今度はそこから西に向かって村の端の近くまで歩くと、地面に向かって光る指先を真横に振る。
見上げた俺の頭上には、数枚の緑色の葉をつけた長くしなやかな枝がさやさやと揺れ動き、俺を包み込むぐらいの大きな木が先程畑とした魔素で作りあげた土地の側面に何本も並ぶ。周囲に使えそうな木も少なさそうだったので生やしてみた。大きな木を何本も作り出したせいか体にかかる重力が少しだけ重く感じる。
これぐらいで良いだろうか。
目を細めて大木とまではいかない中木の列を眺めると俺は息を吸い込む。
「シキさんっ! こっちに土と木を作ったから水を回してくださいねー!」
遠くにいたシキさんに手を振って指示をする。
シキさんは俺を見ると軽く手を振り返す。どうやら俺の言いたい事はわかったようなので、シキさんに押し付けて任せることにした。
よろしく。
満足した顔で振り返る。
「エレノア嬢、これで宜しいですか?」
俺の後ろにいたエレノアから反応は無い。
反応が無いというよりかは呆けているようだ。
そんなに珍しい物でも見たのだろうか。
「エレノア嬢?」
少し近づいて目の前で声をかけるがやはり反応がない。
どうしたのか。まるで魂だけがどこかに飛び出て行ったかのように口は半開きで目の焦点も合っていないようだ。
「エレノア嬢?」
更に近づいて顔を覗き込もうとすると後ろから不意に首根っこを掴まれ、ぐえっと後ろに仰け反る。俺にそんなことが出来る人間は限られていて予想は出来るものの、確認のために振り返ると案の定シキさんが俺の首元を掴んでいた。もう先程の仕事をこの人は終えて来たのだろうか。
「シキさん、なんですか?」
「キツキ、これ以上は近づき過ぎだ」
「は?」
シキさんは俺とヒカリの異性との距離が近すぎると冷ややかな目で小言を言う。ヒカリと一纏めにされたことを不服に思い、帝国という国はなんとも細かいことにうるさいのだなとシキさんの小言に納得のいかない表情を向けていると、呆けていたエレノアはようやく気が付いたのか、くりくりっとした大きな瞳でじっーと俺の顔を見る。
「……これは夢かしら。そうよね、こんな都合の良いことが起こることなんてないもの」
そう言いながらエレノアは自分の小さなほっぺをつねる。
どうやらまだ魂が抜けたままか夢の中のようだ。
「いや、エレノア嬢……」
「キツキ、魔素をすぐに理解しろって無理な話だ。少し放っておいてあげたほうがいい」
シキさんの顔は真剣だ。
そうなのだろうかと思うものの、魔素についてはナナクサでは苦悶していたシキさんが言うと妙な説得力がある。
「キツキ様、そろそろお戻りになりませんと」
護衛の一人が言い出す。
見上げると、太陽は思っていたよりも高く登っていた。
「ああ、そうだったな」
護衛に馬を連れて来てくれるように頼むと、俺はまだ呆けているエレノア嬢の手を掴んで入口から連れて来てもらった馬まで歩く。先に馬に跨ると騎士に手伝ってもらい、呆けている彼女に何も聞かずに体を持ち上げて横乗りに馬に乗せる。
自分の体が急に宙に浮いたエレノアはまたもや変な声をあげていた。
「キツキ、勝手に令嬢に触ってはいけないよ。きちんと許可を取ってから……」
シキさんの小言は続く。付き人というよりは、もうお目付役といった方がいいだろう。シキさんの言いたい事はわかるが時間もなく、それでなくてもエレノアは呆けている。
「本人が夢の世界から戻ってこないから仕方がないでしょう」
不貞腐れた顔でシキさんを軽く睨む。
「まあ、本当に夢のような光景。なんて素敵なんでしょう」
エレノア嬢は、胸の前で手を合わせて恍惚な顔で呟く。どうやらまだ夢心地のようだ。
俺は彼女の視線の先を追う。
来た時の埃を被ったような砂色の景色とは違い、土と緑が広がり村と畑の中を水が流れていく村の景色だった。
エレノアが見ている光景だ。
「これでよろしかったですか、エレノア嬢?」
彼女の顔を横から覗き込む。
エレノアは俺に向くと満面の笑顔を見せた。
「ええ、ええ! 想像以上です。ありがとうございます、キツキ様」
俺はその顔に安堵して、集まっていた村の人に軽く会釈すると馬を翻して城に戻った。
「私を置いてどこに行っていたのよーっ!」
城の手前で馬を降り、騎士に馬を任せて数人の護衛と城に戻って来たのだが、そこには膨れっ面のヒカリが正面入口の前で鬼のような顔で立って待っていた。
「何だ、ここで待っていたのか」
だいぶ拗ねてしまったようでヒカリは俺を睨む。
内緒で行きたかったのは確かだ。
ヒカリを入れると後手後手にしかならなかっただろうし、時間がかかってしまう要素は避けたかった。実際に時間はギリギリだ。
俺を目の前にして盛大に膨れていたヒカリの顔だが、ふと元の顔に戻る。ヒカリの目は俺の背中へ向いている。
ヒカリの視線はどうやら俺の背後にいたエレノアに向いているようだ。
「あ、エレノア、昨日は…」
「まあ、よろしかった事! お元気になられましたか?」
エレノアはヒカリに駆け寄って手を握るが、ヒカリの護衛に引き離される。
まあ、昨日の今日だ。仕方ないよな。
「ごめんなさい、昨夜は私のせいで迷惑をかけてしまって」
ヒカリはエレノアに謝るが、エレノアは怒ることも責めることもせずに嬉しそうに笑った。
「不謹慎ですが、そのおかげでキツキ様の馬で遠乗りしてきましたのよ。このあたりの領地の不作の続く土地に、土と水と木々をいただいてきましたの。夢みたいな体験でしたわ」
あっという間に朝の出来事がヒカリにバレる。
ヒカリの視線は頬を染めて嬉しそうに話すエレノアから俺に移る。その目は好奇に満ちていた。
何だよ。
一生懸命抑えつつも、言いたい事は見ただけでわかるほどに目も口も笑っている。
俺が女の子と馬で出かけたのがそんなに面白いのか。
だが、しばらくするとヒカリは急に真面目な顔になり「ありがとう」と俺に向かってお礼を言った。
どうして彼女と朝早くから出掛けて来たのか察知したようだ。
「別にお前のためじゃない。彼女に迷惑をかけたからだ」
俺はヒカリとエレノアをその場に置き去りにして足早に城の中に入って行った。
「そんなに照れなくてもいいじゃないか」
「そんなんじゃありませんよ」
斜め後ろからシキさんが歩きながら面白そうに言う。
「わざわざ苦手な早起きをして、俺の知らない間に全部手を回していたのに?」
それは全部部屋の前にいた騎士に依頼しただけだよ。準備したのは俺じゃなくてその騎士だ。
その前に何故それを知ってるんだ、この人は。
ここではこの人に全部筒抜けになってしまっていて嫌になる。
「キツキは素直じゃないな。ヒカリのためだったんだろう?」
「ほっといてください」
言い当てられて顔が赤くなる。
振り向いてシキさんを睨むと、シキさんはぷっと吹き出した。
「悪かったよ。もう少しで出発の時間だ。準備は大丈夫か?」
「はい、全部終わってます」
「さすがはキツキだ」
そう言ってシキさんは満足そうな笑みを浮かべた。
<人物メモ>
【キツキ】
男主人公。ナナクサ村出身。ヒカリの双子の兄。ある夜巨大スライムに飲み込まれてプロトス帝国のダウタ砦まで辿り着く。皇太子だった祖母を持つ。
【ヒカリ】
女主人公。ナナクサ村出身。太陽の光のような髪に暁色の瞳を持った女の子。スライムに飲み込まれた兄のキツキを探しに、シキと一緒に村を飛び出し、帝国にやってきた。
【シキ(ラシェキス・へーリオス)】
ナナクサ村に漂流してきた銀髪の男性。へーリオス侯爵の次男。帝国騎士。
双子の再従兄弟でもある。
【将軍(ユヴィル・クシフォス)】
帝国の将軍職。金色の髪に白髪の混じった初老の男性。キツキのために辺境のフィレーネ地方のダウタ領までやってくる。
双子の少し遠い血縁。
【エレノア嬢(エレノア・フィレーネ)】
フィレーネ侯爵の次女。ヒカリと一緒にお茶をしていて、ヒカリが倒れた容疑者にされてしまっていた。伽羅色の髪と大きな瞳の女の子。




