帰還5
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昼食の後、やっとの思いでシキさんを二両目の馬車に押し込み、ヒカリと話をする場を設けたものの、午後の休憩場で見た光景は望んでいたものとは違った。
二人で馬車から降りて来たにもかかわらず、ヒカリは話しかけるシキさんを無視して、後ろにいた女性騎士に話しかけたのだ。
あのヒカリがだ。
思っていた以上に拗れているようだと危惧したのも束の間、邸宅の主人が準備してくれたお茶の席にも来ないで、戻ると玄関ホールで騎士達に囲まれて楽しそうに笑って話をしているヒカリの姿を目撃した。シキさんには何も話すことが無いと言っていたのにもかかわらず、初めて顔を合わせるような騎士達とは積もる話があるとでも言うのだろうか。
そのときのシキさんの後ろ姿が忘れられない。
ヒカリ達の方を見ながら足を止め、俺がいることも将軍がいることも忘れたかのように動かなくなった。
無言で立ち尽くす彼の姿を初めて見た。
俺もなんて言って良いかわからなかったが、シキさんをそのままにはしたくはなくて声をかけたが振り向いた彼の顔は少し青かった。
俺の判断ミスで、シキさんにかなり精神的に負担をかけてしまった事を申し訳なく思い、馬車を代わろうかと提案するも断られた。これ以上は無理をしてほしくは無いのだが、彼は大丈夫だと笑って二両目に乗っていった。
話せば解決すると思っていたのが間違いだったようだ。
一体何を拗らせてしまっているのだろうかと馬車に揺られながら俺は頭を悩ませていた。
物事というものは良い事が重なる事もあれば、逆に悪い事が重なる事もある。
今の俺の時運はきっと後者なのだろう。
これ以上悪いことは起こらないと思うときに悪いことは起こるようだ。
「え? それは本当ですか?」
一両目の馬車で将軍に国の事や俺に近しい話を教えてもらっていたのだが。
これ以上ややこしくなって欲しく無い時に限って面倒事は向こうからやってくる。
「ええ、あの子の目標だったはずですよ」
「あ、いえ。その後の……」
「ああ、近衛騎士が護衛対象との恋愛禁止という話ですか? もちろん手出し禁止です。貴人に近付くのが目的で近衛騎士を目指されても困りますし、護衛対象にうつつをぬかしていては近衛の仕事を全う出来ないでしょうからね。古くからある規則ですよ」
俺は青ざめる。
「それは、その近衛騎士という職の間ずっとですか?」
「そうですが……。もしや近衛騎士の中で気になる女性でもおりましたか?」
「いえ、そいういう訳ではないのですが。その近衛騎士の護衛対象の中に俺とヒカリは入りますか?」
「ええ、帝都に戻りましたらそのような手続きがなされるでしょう。少なくとも専属が二名は付くようになるはずです」
今の状態でも面倒なのに、これからシキさんが進もうとする道で更に面倒事が増える事を知り、俺は意気消沈する。シキさんもそれをわかっていて近衛騎士になろうとしているのか。今のヒカリの心の内もわからないが、シキさんの心の内もわからなくなる。それとも、はなからヒカリはシキさんの相手ではなかったのだろうか。
目が下を向く。
「なんでシキさんは近衛騎士になろうとしているんですか?」
「ああ、色々事情がありましてね。一つは二十歳の最年少で近衛騎士になるのが夢だったのですよ。子供の頃からよく私に言っていましたから」
シキさんは子供の頃から目標が高いな。
将軍はどこか子供を自慢する親のような顔で嬉しそうにシキさんの話をする。
今まで聞いた話から考えるに、役とは別に近衛騎士とは帝国軍人の中でも頂点に近い職のようだ。皇帝の身辺を護衛する職なのだから、腕も人柄も信用に足る人達の集まりなのは容易に想像できる。シキさんもそれに相当する人なのだろう。
俺はその理由に納得しつつも、もう一つ将軍に質問を投げかける。
「他の理由は?」
先程、将軍は“色々”と言っていた。だからまだ理由があるはずだ。
護衛対象になるとわかっていてシキさんはヒカリをここに呼んだのだ。恋愛禁止の近衛を目指す理由がそれだけでは無い事を俺は願いたい。
だが、俺からの質問に将軍は目を逸らした。その様子に胸騒ぎを覚える。愚息カロスの危険な行動でさえ目を逸らさないあの将軍が目を逸らしたんだ。嫌な予感しかしないだろう。
「少し、お恥ずかしい話なのですがね……」
「……何ですか、それ?」
俺は将軍の口から出て来た他の理由を聞き、俺の想像を遥かに超えた理由に呆れ半分驚き半分でポカーンとするものの、徐々に理解が及ぶと眉間に力が入り目が据わっていく。
「それではシキさんは二十歳で近衛騎士になるしか道はないじゃないですか」
人を何だと思っているのか。
そんなことを条件にしているのか?
「かと言っても先程話したように、難しい試験ですよ。まあラシェキスなら受かるのではないかと思っていますがね。」
将軍は相変わらずシキさんの親なのではと見間違うような照れた顔をする。どうやらシキさんの小さい頃から将軍が剣や馬術の指導をしていたようで、そんな可愛い弟子が頂点を目指してくれるのが嬉しいようだ。
将軍を見ているとなんだかおじいさまが重なる。俺もその試験を受けてみたくなってきた。
近衛騎士の昇格試験は年に二回、春と秋に行われる。試験開始日までに二十歳であれば申請が可能なのだそうだ。春生まれのシキさんは今度の春の試験を既に申請済みのようで、なんとかそれに間に合ってナナクサ村から帰ってこれたのだ。
チャンスは一人につき年一回までで、落ちれば来年の試験まで待つしか無い。
試験の内容はこれまでの騎士職での評価と筆記試験。実技は魔力や体力の試験、それに馬術と武術。
魔力のテストは扱える魔力属性が一つ以上ある事と防御魔法が扱える事が必須。これはシキさんは楽勝だろう。
話の中で一際興味を引いたのは剣で五人抜きの対戦というものだ。
「五人抜きですか?」
「ええ、こちらは総合テストになります。二人目までは剣のみですが、三人目からは剣と魔法を使う事が許可されます。四人勝ち抜くと合格点。最後の一人は近衛騎士の小隊長クラスの人間を置きますので、勝つと言うよりはどのように戦えるかを見るためのものですね」
「それに勝ったら?」
「勝ったらですか? その場合は階級を上げてからの入隊となるでしょうね」
「へえ、俺も受けてみたいな」
「はは、ご冗談を」
冗談のつもりはなかったのだが。
おじいさまが育ててくれた自分の能力がこの国の中でどの位置にいるのかは知っておきたいとは思ったが、それはさておき。
「それに落ちれば、先程の?」
「ええ、そのような取り決めをしたようですね」
シキさんが悪いわけでは無いにしろ、ため息がこぼれる。
戦争導火線以外になんて面倒くさい事情を抱えてるんだろうか、あの人は。確かにこれは、試験までには帰りたかっただろう。
それに、ヒカリには聞かせられない話だ。
腕を組んで目を横にずらす。
これはどちらに転んでもヒカリにとってはイバラの道だろう。それでも話を聞く限りでは近衛騎士に受かったほうがまだ救いはありそうだ。
この国に来てからシキさんはヒカリとは一定距離を保っている。それは他人に近いぐらいの距離だ。
最初はヒカリの様子がおかしいから離れているのかと思っていたが、もしかしたらシキさんの中にある自分ではどうする事も出来ない事情によるものだったのかもしれない。
さっきヒカリが多くの騎士に囲まれていても何もせずに見守っていたのはそのためだろうか。帝国騎士に囲まれているのだ、国からみたら悪い事でもないのだろう。シキさんは呼ぶことも間に割って入ることもしなかった。変な噂にでもなればヒカリに迷惑になるとでも考えたのだろうか。
わからない。
わからないが。
ー 近衛騎士が護衛対象との恋愛禁止という話ですか?もちろん手出し禁止です。
シキさんはどうするつもりなのだろうか。
ヒカリの事は諦めてしまうのだろうか。
それとも、元々そのつもりはなかったのだろうか。
ー あまり期待しすぎないでくれよ?
あの返事はそういう意味でもあったのだろうか。
本音を聞いてみたいところだが、あの人は今、一番気を緩められない時期だろう。ヒカリについての話は全てが落ち着いてから聞いたほうが良さそうだ。
俺はやっぱり、シキさんがいいんだ。
馬車に乗り一刻以上走ると馬車で走ると立派な城壁のある城下町に着いた。
その先にあるのがフィレーネ城だという。
フィレーネ………。何処かで聞いた気もする。
馬車を降りた後に玄関先で待っていた城の主人達を見て思い出す。
ダウタ城で食事会をした家族だ。
見たことのある夫人と女性2人もいる。
目を伏せがちに食事をしていたが意外としっかりと覚えていた。
あの人たちの城だったのか。
流石に初めて会う人でもなかったので、声をかける。
「お世話になります」
そういうと侯爵は手を左胸につけ頭を軽く下げる。
「こちらこそ、キツキ様に御宿泊いただき光栄の限りでございます。誠意込めてお世話させていただきます」
そんなに丁寧に頑張んなくていいのだが。
「あ、こちら覚えておりますか、次女のエレノアです。キツキ様と同い年の娘です。もし宜しければ食事の後にお話しの相手にでもいかがでしょうか。私が申し上げるのも何ですが中々聡い娘でございます」
頬の赤いエレノアを俺の前に引き寄せ娘を売り込む。
急に親の顔になったな、この人。
「いえ、今日は疲れたので、食事のあとは部屋で休ませていただけると助かります」
フィレーネ侯爵は残念そうな顔でそうですかと呟いた。
「可愛い子だったね」
ヒカリが俺の部屋の椅子に腰かける。
「は?」
「エレノア」
何が言いたい。
「キツキってどんな子が好きなの?」
「急に何を言い出すんだよ」
「だって、そういう話を聞いたことがないもの」
なぜそういう話をお前の耳に入れなきゃいけないんだよ。
「そう言えばヒカリ、シキさんと話はきちんとできたのか?」
「あ、話を変えた」
ヒカリは俺をじろっとした目で見る。
「シキさんに対して蟠りがあるんだろ? 見ててわかるぞ」
「……キツキはお節介すぎる」
そう言ってヒカリは膨れてそっぽをむく。
出来れば今のうちに補修しておかないと、後々ヒカリが辛くなるのが目に見えて心配なのだが、そんな事は口が裂けても言えない。なぜならそんなことを言ってしまえば、その理由だって話さないといけないからだ。
シキさんに蟠りがあるヒカリがそんなことを知ればどうなるかなんて言葉通り火を見るよりも明らかだ。本当、言葉通りに。
そっぽを向いていたヒカリは暫く無言になると、唇を少し尖らせて俺に聞く。
「……ねえ、シキは私のことをどう思ってここに連れて来ようとしたのかな?」
俺はぴたっと動きを止め、ヒカリを凝視する。
一見大した質問でもないように思えるが、俺にはとても重い話にしか聞こえない。ヒカリの立場から見れば確かにそう考えるだろう。
確かに今までのシキさんの話をまとめると、ヒカリを連れて来た理由の答えは「戦争防止のための潔白の証明」のためか「おばあさまの孫」でしかない。
国の事情を知った今、一個人のヒカリを連れて来たかったのかどうかは俺にもわからない。
ヒカリもそう思ったからシキさんに対して迷い始めたのだろうか。
ヒカリの中で燻っているものが何なのか、わかりつつはあった。
シキさんを信じきれなくなったのだろうか、横を向いて視線を下げるヒカリの横顔はどこか弱々しく儚げに見える。
ヒカリの事を大事に思っているよ、そう言ってはあげたい。
だが、シキさんの本音も知らない上、彼の取り巻く面倒くさい事情も知ってしまった俺は、安易にヒカリに希望を与える言葉を口から出せずにいた。
「……それは俺にはわからないな」
思わず目と体を逸らす。
後ろめたい気持ちに襲われる。
でも、いずれシキさんが抱えている問題もそのうち表面化するだろう。
万が一、ヒカリの耳にその話が入った事を想像するだけで怖い。
「そうかぁ」
ヒカリの顔は浮かない。
俺はこれ以上、ヒカリの望む答えは与えられなかった。
「そろそろ着替えるから部屋を出ろ。お前も着替えるんだろ?」
ヒカリは隣の部屋だ。
ヒカリは沈黙した後、立ち上がると部屋から大人しく出て行った。少し寂しそうな背中が俺の心を締め付けていく。
まいったな………
この国では俺がどうする事もできない難事が多すぎる。
ヒカリが出て行った後、俺は部屋の中でしばらく一人で俯いていた。
夕食後、宣言通り部屋に戻ってきた。
ごろごろとするためだ。
だが、これは俺のためでは無い。シキさんのためだ。断じて俺のためでは無い。
彼はずっと休んでいない。
今日のお付きの仕事は夕食の時間迄で終えてもらった。
ヒカリを抱えてナナクサ村からずっと気を緩める事なく動いてきただろうに、ダウタに辿り着いてからも彼は休む事なく動いている。
俺はそんなシキさんに休んでもらいたいのだ。
食事後は部屋から出ないと宣言してきた。そしてヒカリも城を見学すると言い、数人の護衛を引き連れ食堂を出て行く姿を見て、やる事が無いなと納得したシキさんが、それなら明日まで休ませてもらうよと俺の気持ちを汲み取ってくれたのだ。
風呂に入った後、軽い服に着替えてベッドに大の字で寝転ぶ。
腰の固まる馬車から抜け出し、生き返る心地だ。
ここのベッドも広くて柔らかい。
ぐぐっと腕も足も伸ばす。
ナナクサで使っていたベッドとはサイズが二つ……いや三つ分違っていた。大きな枕は二つ置かれている。
一人で寝るには大きすぎるかな。
ふと髪の短い女の子を思い出す。
母と同じ名前の女の子。
「ハナ……」
笑う顔は名前の様に可愛らしかった。
彼女への想いは、望まない形で終わってしまったが。
あの襲撃では無事だったのだろうか。
彼女の事はヒカリに聞くことが出来なかった。
あいつにハナのことがバレるのは嫌だし、何より彼女の事は思い出したくは無いだろう。
彼女が元気ならそれで良いんだ。
頬を染めて可愛らしく笑う彼女の姿をベットの天蓋に映し出すと、ふんわりとした柔らかい色の幻の髪を触ろうと手を伸ばす。
…………。
バッと飛び起きる。
いや、違う。そういう意味で思い出したわけじゃないからな!
誰もいない部屋で赤くなる。
一体俺は誰に言い訳をしているんだ。
右手で赤くなった顔を隠す。
……少し、バルコニーに行って頭を冷やすか、そう思ってガウンを羽織りバルコニーに繋がる窓際の扉を開けようとした時だった。
「…いっ! …………!」
「………っ!」
なんだか城内が騒がしい。
廊下からだよな。
バルコニーの扉とは真反対にある廊下の扉を開けようと向かう。
離れたところから慌ただしい足音が聞こえたかと思うと部屋の前で止まる。
何だ? そう構えているとノックが聞こえる。
「誰だ?」
「近衛騎士のヴェイニ・ランチェルです。キツキ様、お休みのところ申し訳ございません。先程ヒカリ様が城内でお倒れになり、意識が戻られません」
…………は?
なんだよそれ。
目を見開き、最後に見たヒカリの姿を思い浮かべる。
食堂を出る時には元気だったじゃないか。
血の気が頭から引いていくのと同時に、乱暴に扉を開ける。
廊下にいたのはヒカリに付いていた護衛だった。
「ヒカリは何処だ?」
「こちらです」
護衛は早足で歩き出す。
廊下を進んだ先に長い階段を見渡せる1階から3階まで突き抜けている吹き抜けに出る。
騒ぎの場所がそこから見えた。
数多くの騎士達が周りを囲っていたからだ。
幅の広い階段を駆け降りる。
「そこをどいてくれ!」
俺の顔を見ると、一斉に騎士達は退く。
彼らが退いた先には倒れているヒカリの姿があった。
階段から近い部屋の中で、部屋を出る少し手前で倒れていた。
「ヒカリ?」
目の前の光景が信じられない。
ヒカリがピクリとも動かないのだ。
「ヒカリ!」
駆け寄ってうつ伏せになっているヒカリを抱き上げると頬を打つ。
全く反応がない。
もう一度少し強めに打ってみるが結果は同じだった。
「ヒカリ!!」
俺の呼びかけに一切反応をしない。
息はしているようだが目は開かない。動かない体はずっしりと重い。
「おいっ! 何があった!!」
周りにいる騎士達を問い詰める。
返ってきた返事には、この城の城主の次女と一緒にお茶をしていて、具合が悪くなったので部屋に帰ろうと立ち上がったところ、ここで倒れてしまった、と言う。
何もなくて倒れるものなのか?
「ヒカリを部屋に運ぶ。そこをどいてくれ」
重いヒカリの体を持ち上げると彼女の部屋に向かった。
【キツキ】
男主人公。ナナクサ村出身。ヒカリの双子の兄。ある夜巨大スライムに飲み込まれてプロトス帝国のダウタ砦まで辿り着く。皇太子だった祖母を持つ。
【ヒカリ】
女主人公。ナナクサ村出身。太陽の光のような髪に暁色の瞳を持った女の子。スライムに飲み込まれた兄のキツキを探しに、シキと一緒に村を飛び出し、帝国にやってきた。
【シキ(ラシェキス・へーリオス)】
ナナクサ村に漂流してきた銀髪の男性。へーリオス侯爵の次男。帝国騎士。
双子の再従兄弟でもある。
【将軍(ユヴィル・クシフォス)】
帝国の将軍職。金色の髪に白髪の混じった初老の男性。キツキのために辺境のフィレーネ地方のダウタ領までやってくる。
双子の少し遠い血縁。