帰還1
「ヒカリ、帝都までは8日程かかる。大変だろうが何かあれば申し付けてくれ」
私の横では私の左手を両手で包みながら黒い髪を揺らしたカロスが微笑んでいる。
本当に私と同じ馬車に乗って来た。
馬車は当初は三人だけの乗車予定だったのだが、私とシキが急遽追加となりダウタ城から馬車をお借りしたのだ。しかも、帝都から持って来た馬車は六人乗りの豪華な馬車だったのだが、カロスが将軍の大きい体では馬車に五人も乗れませんよと、自分の体型を棚に上げて文句を言い、今に至っている。
もしかしたら、最初からこうするつもりだったのかと、私の手を覆う彼の手を眺めながら考えてしまう。
ダウタから出発した馬車は全部で五両ある。
一両目は将軍、シキ、キツキが乗っていて、私たちは二両目の馬車にいる。
三両目以降は文官と呼ばれる騎士とは違う職の人達が乗り込んでいるそうだ。
キツキは馬車に乗り込む際に、こちらを怪訝な目で見ていたのだが、そんな目をするぐらいなら止めて欲しかったものである。
「せめて向かいに座りませんか?」
馬車の中は両向かいに座れる席があるのに、カロスは私の横から離れようとはしない。私と並んで座り、嬉しそうな顔で私を見ながら私の手を離さない。これではまるで恋人同士ではないか。
私は彼の手を睨むが一向に退ける気配はない。
「向かいに座ったら君の手を握れないではないか」
カロスはさも当然のように答える。
いや、何故握る。
「……握る必要は無いと思いますが」
「そんなつれないことを言わないでくれ。私は今日までしか一緒に居られない。せめて君との距離を縮めたいんだ」
そう言って更に手を握りしめる。
距離を縮める気は全く無いけれど、かと言って乱暴に跳ね除ける勇気もなく、出発してからずるずるとそのままの状態を崩せずにいた。
断るって結構勇気がいるのよね。
所詮、私は小心者である。
このまま無言だといいようにされそうだったので、何か話題を探す。
話題といっても、この国に来たばかりの私が、宰相代理と共通の話題があるとも思えないのだが。
うーん、と無い知恵を絞る。
「あ、ええっと、では少し教えていただきたいのですが。」
私がそう言うとカロスは右手を私の手から離し、胸の前に当てる。
「何なりと、ヒカリ」
カロスは最上の笑顔を向ける。
キツキを見慣れていてもその笑顔は綺麗だと思った。
「何故皇女のおばあちゃまがナナクサ村に居たんですか?」
「何故か。それに答えるのは少し難しいね。それについてはこちらも調査中なのだよ」
「そうなんだ」
答えを貰えずしょげていると、カロスはコホンと咳払いする。
「それまでの経緯なら知っているよ。」
カロスは足を組んで私の顔を覗き込む。
「ライラ殿下は二代前の皇帝の第一皇女でね。ある日ある国の王位継承式に参加された後、帰還途中で馬車と数人の護衛ごと行方不明になったのだ。それからずっと捜索はされていたのだが全く手掛かりもなかった。消えたように姿が無くなったのだそうだ。訪問していた国での誘拐の証拠もなく、かと言って疑惑が拭えたわけでもなく、今のままで来てしまっている。近年では年に一度だけ合同捜査が行われている」
「数人の護衛というのは祖父のオズワードとノクロスさんだったんですか?」
「ノクロスという名をご存知なのか?」
「はい、同じナナクサ村に住んでいました」
「そうか……」
カロスの顔は、先程の柔らかい笑顔から急に眉間に皺を寄せて気難しい表情になる。
「これはあまり耳にさせたくはなかったのだが、悪意のあるところから耳に入ると君が深く傷つきそうなので、先に教えておく」
折角話してもらった私の手は、再び彼の両手でぎゅっと握り直される。
いかんせん、さっきよりも強く握られた。
離してくれ。
「ライラ殿下は他国での誘拐の疑惑が一番強かったのだが、ライラ殿下とオズワード殿かノクロス殿との駆け落ち、あるいは彼らが主導の誘拐の疑惑も少なからずあるのだ」
「はい?」
頭の中は真っ白になるほどにその話に衝撃を受け、言葉に詰まる。
それは一体どういうことなのだろうか。
お酒を飲んでいない素面の時はあんなに厳格なおじいちゃんが?
お酒を飲んだとしても、話がくどくなるだけで別に根底が変わるわけではない。
駆け落ちなんて絶対にしなさそうだし、ましてや誘拐なんてもっとありえない。
それにノクロスおじさんだって同様だ。あんなに面倒見の良い人なんていない。
私の記憶にあるおばあちゃまとおじいちゃんはいつも笑い合っていた。特におばあちゃまはおじいちゃんの姿を見ると幸せそうに笑って………笑って………あれ、駆け落ちはもしかしたら当てはまるのだろうか?
自分でもわからなくなるぐらい頭の中が混乱し始める。
「実際に君たちはライラ殿下とオズワード殿とのお孫だろう。あながち遠くない予想という話になる。ラシェキスの話ではそれは全く違うという証言だったが、いずれそのような話が耳に入ってくるだろう。それだけは覚悟しておいて欲しい。」
「……おじいちゃんとおばあちゃまはそんな事しません」
段々と自信がなくなり、消えそうな声で反論する。
「わかっている、ヒカリ。もし二人が結婚となった場合は、古くは皇族からの枝分かれの血筋で、忠臣のリトス家の直系であるオズワード殿との結婚はそこまで無謀な話ではなかった。若くして帝国騎士団の副団長でもあり実力者でもある。次期皇帝を連れて重罪になるであろう駆け落ちをするほど、身分が下でも実力が無いわけでもなかった。とても可能性の低い話だ。それにノクロス・パルマコスも伯爵令嬢と婚約の直前だった。だから安心してくれ。そんなのは馬鹿げた憶測だ」
宰相代理がそんな話をするぐらいなのだから、この国ではそんな話を信じている人が少なからずいるのだろう。なんでそんな話になっているのか今の私にはわからない。けれど、笑顔のおじいちゃんとおばあちゃまを思い出すと、膝の上にある私の手は服をぎゅっと握りしめブルブルと震える。
怒っているのか、それとも怖いのか。
わかるのは大事な人達が顔も知らない人に、憶測であれ咎人のような言い方をされているのがとても悔しかった。どうしてそんなことが言えるのか。
「ああ、ヒカリ。やはり驚かせてしまったようだね。この話はここまでにしよう」
カロスは手だけでは飽き足らず、私にぎゅっと抱きつく。
いつもならこの程度ならひっぺがしてやるのだが、今の私はそれどころではない。
ぐぬぬぬ。この怒りを何処にぶつけてやろうかしら。ぶつけるとなれば目の前にいる人間しか無かろう。犠牲になるのは抱きついているカロスで間違いはない。
私に人でなしという噂が立つのなら、きっとそれは否定出来ない。本当の事だろうときっと自分でも容認してしまう。
そういえば。
「ねえ、シキが言っていた戦争になりそうな国って、もしかしたらおばあちゃまが行方不明になった国となの?」
私は思い出したかのようにカロスに向く。
抱きついて本当に目鼻の先にいたカロスは、顔を赤くすると片手で私の顎を持ち上げる。
「ヒカリ、流石にそんな急に近付きすぎるのは良くないよ。もっとゆっくりお互いを知ってから……」
言いつつも、カロスの手は口で言っている事とは違うことを始める。
……なんだかこの人に慣れてきたな。
私はカロスの耳を思いっきり引っ張ると「痛っ」とカロスは悲鳴をあげて私の顎に回していた手は外れる。全く、油断も隙もない。
私の耳を引っ張るのは将軍と私ぐらいだとカロスは呟くので、もう一度引っ張ってやろうかと睨みつける。
「……あー、えっと。ノイス王国との戦争の話のことか。そうだな」
カロスはコホンッと気を取り直すように咳払いをする。
「四十年以上前にライラ殿下が行方不明になったノイス国内で、よりによって今度はラシェキスが行方不明になったのだ」
「はあ、シキが」
シキは行方不明扱いだったのか。そりゃ漂流者なのだから、元にいた国からしたらそうなのかもしれない。本人はいつの間にナナクサ村周辺に来たのか覚えていないのだから。
そのシキがノイス王国で行方不明になって、それがなんで戦争になるのだろうか。
「彼は今年のライラ殿下の捜索に参加してノイス王国に行っていたのだが、二度も皇族の人間がノイス王国で行方不明になったものだから、さすがに国内では過激な声が上がってしまってね」
ん? 皇族が二度も?
「それってシキが皇族?」
「彼も皇族の血筋だよ。傍系だが」
私は開いた口が塞がらない。
カロスは私の顔を見ると意外そうな顔をする。
「本当にあいつは君たちに何も教えていないんだね。私とは再従兄弟だ。君たちとも」
驚きのあまり、声が出ずに口だけをパクパクさせる。
再従兄弟?!
私たちは血の繋がりがあるということだ。
道理でキツキと雰囲気とか顔つきとか良く似ていると思った。
「二代前皇帝の第一皇子の血筋が私、第二皇子の血筋がラシェキスの家だ。で、君たちは妹姫のライラ皇女の血筋」
「あれ? 妹なら跡を継ぐのはお兄さん達だったんじゃないの?」
「普通はね。ただ、彼女の場合は特徴があってね。これについては長くなるから帝都に戻ってから説明しよう」
特徴。そんなものがおばあちゃまにあったのか。
ん? そうなると。
「じゃあ、戦争に踏み切りそうなのはシキが原因なの?」
「だね」
なんと。
道理で焦っているわけだ。
「でも、私達は必要なの?」
「戦争の前提がライラ殿下とラシェキスの誘拐疑惑だ。それを大貴族院で違うと証言してもらいたいのだろう。孫である君たちの口から聞けば信憑性が増す。いま拳を振り上げている貴族達には一番の特効薬だよ。」
どれだけ効果があるのか私はわからないけれど、宰相代理がそう言うのならきっとそうなのだろう。
戦争を止める特効薬か。
そうだったのか。戦争を止めたくて私に国に来ないかと聞いていたのか。
シキが良心的な人で良かったと思う。
でも、なんだろう。納得する一方で、心の奥底で引っかかっているこの重苦しいものは。胃もたれだろうか。
眉間に皺が寄り、目を瞑る。
そんな私にカロスは気がついたのだろう。心配した面持ちで私を見る。
「どうした? 具合が悪そうだが。馬車に酔ったのか?」
「わからない。でも少し気分が悪い」
そう言うとカロスは私の頭を自分の肩に寄せる。
「次の場所まではまだ時間がかかるから休んでいなさい。もし酷く辛くなるようなら馬車を止めるから言いなさい」
「この位、大丈夫……」
馬車が揺れる度に、私の胸は掻き乱される。
でもカロスの肩のおかげで頭の支えができた為か、揺れが先程よりは少なく感じる。体が落ち着いてきたのか気分も少しだけ楽になった気がした。
「ありがとう、少し楽になった」
少し寒い空気の中で隣に座るカロスの体温が温かい。
胸の気持ち悪さから逃げたかった私は、カロスの肩に頭を当て、知らず知らずに彼の腕を掴んで心を落ち着かせていた。
<人物メモ>
【キツキ】
男主人公。ナナクサ村出身。ヒカリの双子の兄。ある夜巨大スライムに飲み込まれてプロトス帝国のダウタ砦まで辿り着く。祖母は皇太子だった。
【ヒカリ】
女主人公。ナナクサ村出身。太陽の光のような髪に暁色の瞳を持った女の子。スライムに飲み込まれた兄のキツキを探しに、シキと一緒に村を飛び出し、帝国にやってきた。
【シキ(ラシェキス・へーリオス)】
ナナクサ村に漂流してきた銀髪の男性。へーリオス侯爵の次男。帝国騎士。
実は双子の再従兄弟。
【将軍(ユヴィル・クシフォス)】
帝国の将軍職。金色の髪に白髪の混じった初老の男性。キツキのために辺境のフィレーネ地方のダウタ領までやってくる。
双子の遠い血縁にあたる。
【黒公爵/宰相代理(カロス・クシフォス)】
ダウタへの往訪では宰相の名代。本来は宰相補佐。黒く長い髪に黒い衣装を纏った二十歳ぐらいの男性。魔力が異次元すぎて一部から敬遠される。
急に態度を軟化させヒカリにプロポーズをする。将軍の愚息。
<更新メモ>
2021/10/24 誤変換修正、加筆
2021/07/13 一文削除、文章修正、人物メモの追加