スライムの住処1
薄らと明るくなっていく部屋を見回すと、私の目も次第に薄暗い部屋に馴染んでいく。物音一つしない静かなこの時間は、どうやら夜明けのようだ。
目を擦りながら開けたカーテンのその先には、太陽が顔を出す少し前の静寂色の村と森が広がり、遠くの地平線では深い紺色を押し上げるような赤色が顔を出し始めていた。
雲ひとつない空だ。今日は快晴だなと空を見上げた。
そんな私の耳に、衝立を挟んた向こう側から気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。やっぱり今日も起きていない。
翻って衝立の向こう側を覗き見ると、部屋の扉から近いベッドの布団に包まったキツキがすやすやと寝ていた。
さっそく今日の第一関門だ。
とにかくキツキの朝の目覚めは良くない。キツキを起こそうと体を揺らしてみても、揺らすたびにキツキの頭は布団に潜って行く。
「もぉ!」
手を腰に当ててぷんすかしてみるが、駄目なものは駄目だ。
キツキの寝起きの悪さだけはおじいちゃんも匙を投げる程。
これは時間がかかるなと諦めた私は、先に自分の支度を始めることにした。慣れ親しんだ膝上のパンツと膝下までのブーツを履き、腰に小さなポーチを付ける。斜めがけの鞄とフードの付いた白い外套を手に持つと、私は部屋を出て一階へ向かった。
一階の長椅子に鞄と外套を置くと、廊下へ行って備蓄棚から乾燥した簡易食料と薬草をポーチに入れる。家の充実した備蓄に満足すると、今度はスライム捕縛用の網をいつもより多めに取り出した。
自分の持ち物を一階に集合させると、私は台所横の勝手口から外へ出る。ポンプで水を汲み出して顔を洗うが、秋めいてきたこの時期の風は冷たくて少し震えた。
だけど寒さに負けてなどいられない。顔を拭くと、私は意気込んだ。
今日は遅刻が出来ない。遅れると絶対に奴が家まで迎えにくるということが経験上分かっているからだ。
家から悪魔の小言が始まるなんて憂鬱でしかない。
それに準備はまだ終わってはいない。今から大事なお昼のお弁当を準備するのだ。特に北の森は何が起こるか分からないから、食料は持っていくことに越したことはない。
勝手口から再び屋内に戻ると、台所に立つ。パンを籠から取り出してバターを塗ると、間に野菜を挟もうと後ろを向いた。
棚にある野菜籠には昨日の内に誰かが届けてくれたのか、青々とした野菜が数種類入っている。台所までなら村の人が勝手口から入ってきて、色々置き土産をしていく。メッセージ入りのカードなんて置かれていなくても、作られた野菜を見ればどこの家がくれた野菜か分かってしまう。
目の前にある野菜は、道向かいに住んでいるサカキさん宅の野菜だ。
本来なら倉庫に入れるはずの食材でも、自分達が食べる分ぐらいは取っておいても別に何も言われない。近所だと、こういったお裾分けは日常茶飯事である。
鼻歌を歌いながら数枚野菜の葉を剥いていると、目の端に小さな瓶が目に入った。その中には黒く丸いものが小瓶一杯に詰められている。それを見ると私の心は高揚した。
「わあ、ピパーだ」
私は思わず小瓶を持ち上げる。
ピパーはレアな香辛料で、村では原料の栽培が難しくて森から調達するしかないうえに加工も失敗することが多いから生産量は常に極小になってしまう。だけどこのピパーを砕いて料理の上に一振りするだけで、料理がぐっと美味しくなるから手放せなくなる香辛料だ。
ピパーってことは、ハーブ農家のラスカさんがくれたのだろうか。貴重な香辛料を分けてくれるなんてありがたい。
今日行く北の森に、お礼になりそうな香辛料の原料があるかななんて考えながら、バターを薄く塗ったパンの上にサカキさんが丹精を込めて作った野菜を敷くと、台所の一角に干されていたダントン牧場産の燻肉を薄く切り取って上に乗せた。その上にラスカさんのくれたピパーをすりつぶした粉とスライムの塩をひとつまみずつパラパラと撒くと、最後に蓋をするように上からパンを押し当てる。
見よ! ナナクサ村の結晶を!
パンが光り輝いて見える。
それは言い過ぎかもしれないが、美味しそうなお弁当が出来た。
私はこれを六個作り、その内の三個を紙に包んで鞄にしまう。
そんなこんなしていると、キツキが部屋からふらふらと出てきた。
「おはよう」
眠そうな顔でガシガシと髪を引っ掻きながら階段を降りてくる。そして未だに寝巻きのままだ。
キツキを見て頬を染める村の女の子達にこの姿を見せてやりたい。顔が良かろうが、男の子なんて所詮はこんなもんだろう。
私はヤカンに水を入れて、レンガと鉄で出来た焜炉の上に置く。しゃがみ込み、炉の扉を開けて指から魔素で火を出すと、そのまま炉の中に指を入れて中に焼け残っていた薪と炭の混ざり物に火をつけた。徐々に炉の中で炎が広がっていくのを満足気に見ると、扉を閉めて立ち上がる。
「遅いよ。早くご飯食べて着替えてきてよ。もたもたしているとセウスが家に来ちゃう」
キツキに向かって文句を言うが、言われた本人はボーッとした顔で椅子の背もたれに身を任せて上を向いてしまう。そのまま再び夢の世界に旅立ったのではないかと思うぐらいに動かなくなってしまった。
キツキの前にさっきのパンを置いてみるが、何も反応を示さない。これは寝ていそうだ。
不味いなと思った私はキツキの両肩を持って前後に揺らす。すると、すぐに「やめろ」とキツキの口から言葉が漏れてきたので、私は安心して台所に戻った。
湯が噴きだすヤカンを持ち上げて、二人分のお茶を作ってテーブルに運ぶ。
とりあえず朝はこんなもんでいいだろうと私はテーブルを眺める。
お腹がすいたら途中で木の実を食べるし、携帯食料もある。とにかく今は出来るだけ早く支度を済ませて北門まで行かなくては。
私は席に座り食べ始めるが、さっき起こしたはずのキツキはまた夢の世界へ戻って行ったのか、椅子にグダッともたれかかって動かない。
本当に寝起きが悪い。
これが昼には有無を言わさないぐらい冷めた言葉を発する奴になるのかと不思議に思う。キツキ七不思議の一つだ。
もうキツキは放っておいて、私は先に食べてしまおうとパンを口に頬張っていると、二階からおじいちゃんが下りてきた。
「おお、今日は早いな。……おや、キツキはまだ起きていないのか?」
おじいちゃんは目を瞑ったまま椅子にもたれ掛かっているいるキツキに視線を遣る。
「うん、お尻に火でも付ければ起きると思う?」
「その後に頭をカチコチに凍らされるとは思うがな」
ハハハッとおじいちゃんは笑いながら台所に行くと、慣れた手つきで暖かいヤカンを持ち上げる。おじいちゃんはお湯と焦がし豆をコップに入れた後に、もう一つのコップの上に網を乗せて先程のコップをひっくり返す。網には焦がし豆だけが残り、コップには黒い飲み物だけが入った。苦い飲み物の出来上がりだ。
村では焦げ茶と呼ばれている。
私は好きではないので飲まないが、おじいちゃんはこれが大好きだった。目が覚めるって言うけど、苦さのあまり脳がびっくりしているだけではないのだろうか。
おじいちゃんは席に座るなり、ふと気付いたのか私を見る。
「ああそうか。今日はセウスと行くのだったな。だから早いのか?」
「うん、家まで来られると面倒だもん」
「北門で待ち合わせよりは、家の前の方が早いのだがな」
セウスは自宅から北門へ行くまでの間に、ウチの前を通る。それでも北門を集合場所にしたのは、セウスも経験上それが最良だと思っているからなのだろう。そんな事は奴に質問をしたくもないし聞きたくもないので答えは闇の中だが。
おじいちゃんと話をしていると、キツキはいつの間にか上げていた顔を下ろし、テーブルの上に置かれたパンをもしょもしょと食べ始めていた。本当、早くしてくれ。
「今日のお昼は戻らないと思うよ。お弁当も持ったし」
「ヒカリのそういうところは、本当にしっかりしてるな」
おじいちゃんは柔らかく笑う。
「ヒカリは良いお嫁さんになるだろうな。気がついたら、もうそういう歳になっていたか……。あっという間だな」
突拍子もない事を言い出したおじいちゃんに私は目を白黒させる。驚いて飲みかけていたお茶を急激に飲み込むことになり、圧迫された喉が少し痛くなった。まだ私は16になったばかりなのに、気が早すぎると目を見開いておじいちゃんを凝視すると、驚いている私とは対照的に、おじいちゃんはほのぼのとした表情を浮かべている。
「おじいちゃん、どうしたの急に?」
「……あのヒカリが立派に育ったなと思っただけだよ。武術以外はな」
孫を可愛がってるのか蔑んでいるのかわからない発言だ。
「私はもう歳だからいつ倒れてもおかしくはない。それまでに、お前を大事にしてくれる人と結婚してくれれば私は安心だよ」
「キツキの心配はしていないの?」
「キツキはしっかりしているから、あんまり心配はしていない。私がいなくても、もう一人前にやっていけるよ」
つまり私は心配しなくてはいけない程の出来なのか。双子なのにこの差はなんなのだろうかと気になるところだ。
おじいちゃんとしんみりした話をしている内に、キツキは朝食を片付けて着替えまで終わらせたみたいだ。いつの間にか二階に戻り、荷物を持って下りてきていた。動き出すと本当早い。
それを見た私も、そろそろ行くかと席を立つ。
「気をつけてな。くれぐれも深追いはするなよ」
「うん。わかってるよ、おじいちゃん。じゃ、行ってきます」
私は鞄を肩に掛け、外套を羽織ると笑顔で家を出た。
<人物メモ>
【ヒカリ】
ナナクサ村のスライムハンター。変わった能力「魔素」を操る。
【キツキ】
スライムハンター。ヒカリの双子の兄で、ヒカリと同様「魔素」を操る。
【おじいちゃん】
キツキとヒカリのおじいちゃん。
【セウス】
ヒカリにちょっかいを出す村長の息子。村人からの人望は厚い。剣の上級者。
<更新メモ>
2024/01/13 加筆、人物メモの更新
2023/02/01 加筆、人物メモの追記