再開4
あれから四日が経った。
あと一日で帝城からの遣いが到着するはずだ。
ヒカリの魔素は一昨日から西で止まったまま停滞していた。だけど、魔素の動きは数日前よりも軽くなっていて、あともう一歩という場所までヒカリがやってきているのはわかった。
だからここからはそう遠くないところで、立ち往生しているように思えてならない。
なぜ近くまで来ているのに、移動していないのだろうか。俺の魔素が足りなくなったなんてことはないはずだ。だからそう考えると、やっぱりヒカリは身動きの取れない危険な状況に追い込まれているとしか考えられなかった。
「くそっ、今日も動いていない!」
拳を壁に叩きつける。
ここ二日は気が気じゃない。
妙な胸騒ぎがして、たまらずに誰もいない部屋で一人叫ぶ。
どうする、勝手にここを出るか?
ヒカリに何かあってからでは遅い。
でも、それではエルディ達に迷惑がかかってしまう。
どちらも選べない状況はとにかくもどかしくて、自分を責めることしかできない。
長椅子にドスンッと座ると、手を強く組んで俯く。
一向におさまらない胸を打ち鳴らす警告のような早鐘が、余計に不安を煽る。頭が死にそうだ。
そんな折、部屋の外が騒がしくなる。
砦の中では、複数人の兵士達が慌て急いで廊下を走り、窓の外に見える見張りの兵士達もなんだか浮き足立っている。何かあったようだ。
異変を感じてから暫くすると、誰かが部屋の前まで早足で近づいて来てドアをノックした。
返事をすると、入って来たのはエルディだった。
「キツキ様、急ぎお召し替えをお願いいたします」
エルディの後ろから、エプロン姿の女性が服を持って入ってくる。
あれほど拒んでいたキラキラと光る服だ。
「それは嫌だ」
思わず子供みたいなことを口走る。
するとエルディの後ろから、別の衣装を持った女性がもう一人現れた。先程よりは装飾が落ち着いた服だ。それでも華やかではあるが。
「どちらがよろしいですか? お選びいただいて結構です」
エルディは俺の行動を予測していたのだろう。選びようのない選択肢を投げつけてきた。
「時間がありません。早くお召し替えください」
有無を言わさない完璧な選択肢と笑顔で、エルディは一人で部屋を出る。
部屋には服と女性二人を置いていった。
……ちょっと待て、これはどういうことだ。
いつもなら、着替えは兵士の男性が面倒を見てくれているのだが。
「さ、キツキ様、お手伝いいたします」
いや待て。そんな話は聞いていない。
「いや、自分で…」
「いいえ、装飾品など手の届かないものがありますので、私共で手伝わせていただきます。ささ、お急ぎください」
女性達の顔は本気だ。一向に引かず、ジリジリと近づいてくる。このままでは剥かれてしまう。
覚悟を決めた俺は、諦めて浴室で着替え、細かい装飾部分だけは女性達に委ねた。
「さすがキツキ様は何を着てもお似合いだ」
支度が終わる頃、エルディはご満悦な笑みを見せながら部屋に入って来た。
このペテン師め。
ギロッと睨みつけるが、全く気にかけていない様子で、俺の準備が整ったことを確認すると、すぐにこちらですと案内を始めようとする。
エルディにしては行き先も告げずにせっかちな案内だ。
翻ろうとしたエルディは、ふと何かに気が付いたのか、部屋の奥へと進むと、壁に立てかけてあったおじいさまの剣をじっと見て、こちらもお持ちくださいと言う。
「剣を持って行っていいのか?」
どこへ行くのかは知らないが。
「ええ、お持ちの物は持っていかれた方が良いでしょう。確認もされると思います」
確認?
何のことかわからないが、とにかくおじいさまの剣を持ち出すと、今度こそ俺達は部屋を出た。
「で、何で着替えたんだ?」
「帝城から使者がいらっしゃいました」
予想よりも一日早く着いたようだ。
「そうか」
「はい。……将軍閣下がいらっしゃいました。それと宰相代理も御一緒に」
案内をするエルディの横顔は珍しくピリピリしている。
言葉に詰まる。来ないと思っていた将軍が、わざわざ来たようだ。それも代理とは言え宰相とは。確かこちらも事務方や政に関わる一番上の役職だったと思う。
少し気が引き締まる。
自分が思っている以上に、大きな事が動いているのだと思った。
三階から二階に下り、長い廊下を歩く。
廊下には灰色の制服を着ているダウタ兵の間に、ぽつぽつと黒い服を着た人間も混じっていた。誰も彼も見たことのない顔だ。
エルディは灰色と黒色の服を着た人間が左右にひしめいている廊下を突き抜け、一番奥の部屋の前で止まると扉をノックした。
「キツキ様をお連れいたしました」
中から「入れ」と渋い声が聞こえる。
それを聞くとエルディは扉を開けて、俺を部屋の中へと促す。
足を一歩踏み入れる。
部屋の中は、南側からの柔らかい日差しが入って明るい。壁は柔らかい緑系の壁紙で整えられ、調度品も木目を基調とする家具ばかりだ。
なんだ。こういう落ち着いた部屋もあるではないか。俺の部屋のあの金ピカは一体何なのだろうか。
ふと右側に目を向ける。
目の前にいる濃い金色の髪に、白髪の混じった初老の男性の雰囲気に目を奪われた。
そこら辺の人と違うことはすぐにわかった。
この人が将軍閣下なのだろう。
貫禄のあるその男性が座っている長椅子を囲むように、黒い服を纏った男性が十数人程立っている。先程も廊下にまばらにいたが、見たことがある服だ。
シキさんが村に来た時に着ていた服に似ている。いや、同じだろうか。
やはりここはシキさんの国なのだろうか。
将軍の横に異質な人間が立っていた。
肩より長い黒髪に、黄金色の瞳。背丈も年齢もシキさんと同じぐらいだろうか。
身につけていた服は後ろの男女と同じく黒色だが、質が全く違っていた。優雅な黒くて緩やかなローブを纏っていて、首から胸元にかけて大きめの黄金色の装飾品を掛けている。後ろで立っている男女とは、全く立場の違う人間ということだけはすぐにわかった。
椅子に座っているのが将軍、横に立っているのが宰相代理といったところだろうか。
エルディにこちらへと手で示されたので将軍の目の前の長椅子に座る。
向かい合ってお互いに相手を品定めする。
ただ、宰相代理だけは俺を蔑むかのような目で見ていた。
「初めまして。私は皇帝より将軍職を拝命しているユヴィル・クシフォスと申します。こちらは宰相代理のカロスです」
そう名乗られる。
やはりこの人が“将軍閣下”だったか。
「キツキです。家族名はおそらくリトス」
「おそらく?」
「今まで必要としなかったので」
将軍は暫く俺を見ると、持っていた剣に気がつき、見せてもらえないかと言う。
躊躇ったがここで抵抗しても無駄な足掻きだろう。そう思い手渡した。
「ほう、この五角形を重ねた模様は確かにリトス伯爵家の家紋ですな」
模様。
そんなもので出自がわかるのだろうか。
将軍はそのまま剣を横に立っていた宰相代理に渡して見せる。宰相代理はしばらくじっと剣鞘を見て小さく頷くと、剣を持って俺のところまで返しに来た。
体をかがめて俺に剣を返そうとした時に何かに気がついたのか体が止まる。
「お待ちを。その指輪をお見せください」
「取れないのでこのまま見てください」
そう言って右手を差し出し指輪を見せる。
この人もおばあさまの指輪をまじまじと見ると、指輪に手を当てた。彼の手がふんわり光ったかと思うとすぐに手を離し、将軍に向かって首肯だけすると元の位置に戻っていく。
一体、何をしているのだろうか。
訝し気な俺の顔を、将軍はじっと見る。
「こちらの剣と指輪をどちらで?」
「剣は祖父から、指輪は祖母から譲り受けました」
将軍の瞳の中に一瞬、惑いが見えた。
少し間を置くと、もう一つ質問をしてきた。
「キツキ殿、お祖母様のお名前はお分かりになりますかな?」
おばあさまの名前……
おじいさまが大切そうにその名を呼ぶ姿も一緒に思い出す。
「ライラ」
その答えに、将軍をはじめとする周囲の無表情な顔に一瞬だけ感情が浮き出る。
さっきまで淡々としていた将軍は目を瞑りふうっと息を小さく吐きだすと、体は前のめりになる。それに少しだけ驚くが、俺の目をじっと見つめる黄金色の瞳の意思は強く、そしてどこか縋るような目でもあった。
「これより、キツキ殿の御身はこちらで預からせていただきます。まずは帝都にご同行下さい」
帝都……。
迎えが来るとおじいさまが言っていたが、このことなのだろうか。そこが祖父母の故郷なのだろうか。
目の前に広がる疑問を収めるように息を小さく吸う。今は、それよりもだ。
「今しばらくお待ちいただけますか? 俺は妹を迎えにいかなくてはいけない」
「妹君ですか。途中で連絡は受け取りました。ですが、妹君はこちらにお任せいただきたい」
将軍は俺を行かせないつもりなのだろう。
でも、ヒカリは全く移動していないし、今この時だって危険に晒されているかもしれない。この時まで待っていたので少しでも時間が惜しい。人に任せている暇なんてない。
「将軍閣下、ここから先は俺の勝手な行動です。ここにいる砦の人たちには一切の非はありません。エルディ、悪いな」
将軍は俺の言った意味がわかったのか、前のめりの体がピクッと反応し、その横にいる宰相代理は感情の読めない表情のまま、指先が僅かに動く。俺は窓の並んでいる南側の壁に向かって手を広げた。
ガシャンッ!!
窓と壁を数個の大きな岩塊でぶち抜く。
部屋にいた宰相代理以外の目は見開き、体が止まる。
「勝手をさせていただきます」
俺はそう言って側に置いておいた剣を持ち上げ、長椅子を飛び越える。だけど同時に、全く動揺を見せない宰相代理の手は前に向けられ、穴の開いた壁に向かって走り出した俺の足元には魔法陣が浮かび上がっていた。誰が出した魔法陣なのかなんて聞かなくてもわかる。
何の魔法を出すのかは知らないが、邪魔はさせない。
宰相代理の頭上前方に、魔法陣の必要がない魔素で出来た数個の氷塊を作り出すと、それに気づいた宰相代理は防御用の魔法陣を自分と将軍の周りに張った。彼が防御に徹したおかげで、俺の足元に浮き出ていた魔法陣は消える。
宰相代理の魔法陣を妨害すると、俺は一気に穴から宙へと飛び出た。
それと同時に足元に魔法陣を張って階段状にすると、そのまま西へ向かって宙を走る。城壁にいた兵士達が状況がわからず呆然としている間に、俺はそのまま城壁を超えた。
「追えっ!!」
怒声にも近い将軍の声が、遠くから聞こえた。
****
ー ダウタ砦 応接室 ー
壁に穴が空いた部屋には将軍と護衛四人と黒髪の宰相代理が残っていた。
南側は窓が粉々に割れ、窓と窓の合間の壁も元の姿がわからないほど粉々に砕かれている。廊下へ繋がる二ヶ所の扉は騎士たちが外へ飛び出た少年を追いかけるために全開になったままだ。
そんな応接室には冬の冷たい風を遮るものなど何も無く、止めどなく風は吹き込んでくる。
「なかなかの暴れ犬のようですね」
「口を慎め、カロス」
宰相代理のカロスは将軍に注意されると右手を胸に当て、頭を少し下げた。
「よりによってサウンドリア王国か」
将軍は片手で頭を抱える。
「では、私が無事に連れ戻しましょう」
無表情の宰相代理は将軍の背中を通り南に進むと、キツキが開けた穴から外へ躊躇も無く飛び降りていった。
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<人物メモ>
【キツキ】
男主人公。ナナクサ村出身。ヒカリの双子の兄。ある夜巨大スライムに飲み込まれて行方不明になる。
【ヒカリ】
女主人公。ナナクサ村出身。太陽の光のような髪に暁色の瞳を持った女の子。スライムに飲み込まれた兄のキツキを探しに、村を飛び出した。
【エルディ】
キツキがたどり着いたダウタ領伯爵の次男坊。
【ユヴィル・クシフォス(将軍)】
金色の髪に白髪の混じった初老の男性。キツキのために辺境のダウタ領まで大勢を引き連れてやってきた。
【カロス(宰相代理)】
黒く長い髪に黒い衣装を纏った男性。
<更新メモ>
2022/07/29 加筆、人物メモの修正