他国への越境7
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ー シキ ー
どこかで水滴が落ちる音が聞こえた。
両手を鎖で固定され、檻の向こうに揺れる一本の松明だけが、このじめついた地下室の唯一の光源だ。
「……逃げきれなかったか」
荷物は没収され、ヒカリとも離されてしまった。ヒカリの安否が気になって仕方ない。
悔しさに唇を噛んだその時、奥の重い扉が軋みを上げて開いた。外の光が差し込み、足音がカツン、カツンと聞こえ、自分の居る檻に真っ直ぐ近付いてくる。やがて音が止まり、青いマントを翻した三十代ぐらいの男が姿を現した。
俺を一瞥すると、近くにいた兵士に尊大な顔を向ける。
「この者か、侵入者とは?」
「はっ! 人買いを追っていたところ、森に潜んでいたので捕縛しました」
「ふん、帝国の騎士か。一体森で何をコソコソしていたのか」
檻越しに俺の顔をジロジロ見る。
「あの少女は何者だ? 帝国騎士の人間が直接護衛してるのだから只者ではなかろう」
「………妹だ」
「ほお、あれほど近い容姿の人間がお前の妹とは………。ん?」
男は俺の顔をじっと観察すると、再び兵士に声をかける。
「おい、こいつの持っていた剣はあるか?」
兵士は俺の剣を目の前の男に渡す。男は鞘をじっくりと確認すると、もう一度俺と向き合う。
「………まさかとは思ったが、なるほどな。あながちあの娘は見込み違いではないと言うことか。ハハッ! おい、この方を部屋に閉じ込めておけ。丁重にな。大事な人質だ」
「おい、妹をどうする気だ!」
手枷のついた手で檻を握る。
男は不気味な笑顔を俺に近付けてきた。
「あれほど酷似した血を放っておくなど出来ぬでしょう。丁重に我がアルダマ伯爵家にお迎えさせていただきますよ。彼女との子供はさぞ可愛い事でしょうなぁ」
男は笑いが止まらないといった表情だ。
どうやら俺のことも、ヒカリの事も何者か勘づいた様子だ。
歯を食いしばり男を睨み付ける。
男は満足そうに重厚な扉の先に戻ると、石の階段を登っていく。足音は甲高く遠退いていった。
あれから、こちらが何も出来ないまま牢から豪華な部屋へ移されて一日が経った。
立派な椅子もベッドもあるが、見張り付きの牢屋であることには変わりはなさそうだ。
ここは貴賓室だろうか。
刺繍の施された長椅子に腰を下ろし、ゆっくりと部屋の様子を伺えば、時折部屋に控えていた男達と視線がぶつかる。…………四人か。
相変わらず自分の手元に剣はない。荷物も引き離されたままで警戒されているのは明らかだ。
どうやらここはサウンドリア王国の砦で間違いはなさそうだ。
移送される途中、廊下やホールでサウンドリア王国の国旗と、ここの領主の家紋らしき旗を何度か見た。
宿屋で見た地図と相違なければ、国境近くの砦だろう。
つまり、あと一歩で国に辿りつけたはずだった。
もし、捕縛された場所から離れていないなら、近くには自国のダウタ砦か南砦があるはず。
だがここから応援を求めるのは遠すぎるし、自軍に国境を越えさせれば戦争になりかねない。今は自分で何とかするしかない。
それにしてもあの男、何を考えているんだ。
ヒカリが何者か知られれば無事で済むはずがない。わかっているのに、今すぐ動けない状況が余計に焦りを煽る。
ー 我がアルダマ伯爵家にお迎えさせていただきますよ。
嫌な予感しかしない。
組んだ手で額を押さえた。
部屋には四人。そして廊下に数人か………。
国境近い砦だ。兵士の数は二百、三百ではないだろう。ましてや剣が無い状態で魔力だけでの抵抗では、あっという間に囲まれてしまうのは目に見えている。
………無謀だ。
椅子から立ち上がって窓へ寄る。すると俺の動きに呼応するかのように、見張りの兵士が横についた。
それを気にも留めずに外の景色を臨む。左手には城壁があり、多くの見張りが立っている。………砦ならば当然だ。
だけど目下には中庭のような植樹の整った美しい庭が広がっていた。その間を通る大きな石畳の通路には、軍事とは関わりのなさそうな商人や町人が賑やかに行き来している。その先には小さな城が見えた。あれは領主の居城だろうか。
視線を落とせば、通路を通る馬車の荷台にはリボンのついた飾り箱や、ほぼ満開の花が所狭しと積まれていた。砦には似つかわしくない物だ。
…………まさか。
「結婚式は明日か?!」
横にいた兵士の眉がピクリと動いた。動揺を隠そうとしたようだが、隠しきれていない。どうやら当たりらしい。
満開の花を使うなら、今日か明日だ。
明日……。
時間は、明日の結婚式まで。
俺は壁に頭を沈め、祈るような気持ちで握りしめた拳を静かに壁へ当てた。
翌朝、砦内が少し慌しい。
結婚式の準備が始まっているのだろう。
耳を澄ませ、どこが慌ただしく動いているかを探る。
窓の外の兵士の配置がわずかに変わっていた。城壁周辺の兵士の数が昨日よりも減っている。
会場周辺に回されているのだろうか。
この部屋の付近も減っていれば良いが。
この様子だと、式は昼前といったところだろう。
もう少し外の様子がわかれば好都合だが、………そろそろ限界だろう。
右手に視線を落とすと、拳を握る。
失敗は出来ない。
静かに息を吸う。
足元から花が咲くように魔法陣を広げていく。それは広い部屋の壁を越え、廊下まで伸びていく。
異変に気がついた兵士の一人と目が合う。相手は剣を抜こうとしたが。
「……遅いよ」
魔法陣を出し切った瞬間、一気に雷を放出した。
部屋にいた兵士たちが崩れ落ちたのを確認し、ドアへ駆け寄ってノブを回す。
貴賓室だからか、外側から鍵はかけられていなかった。扉をそっと開け、廊下の様子を覗き見る。
廊下の見張りも床に倒れていた。
周囲には兵士の姿はない。
剣を探そうと廊下に出るが、左右に伸びる廊下は長い上、扉の数も多い。
……これは探すのには骨が折れそうだ。
こちらの異変に気がついたのか、別の兵士が廊下を走ってくる音が聞こえた。
柱に身を隠して構えていると、兵士たちは俺の部屋とは逆方向へ走り去っていく。
砦内で兵士が走るということは、緊急事態が起こった可能性が高い。何かあったらしい。
それを確認する前に、まずは自分の荷物と剣を探したい。客人の荷物を遠くに置くとは考えにくい。
砦のどこかにあるはずだ。
手前からそれらしい扉を開けていくが、荷物は何処にも見当たらない。
そうやって少しずつ移動していると、階下からだろうか、喧騒が聞こえてきた。
先程の兵士が走って行った先だろうか。
外か? いや、中からも聞こえてくる。
まさか……ヒカリか?
予測していた場所とは全く違う場所で騒ぎが起きている。
ヒカリが兵士相手に一人で暴れ回っているのだろうか。
……ありえない話ではない。
探し物をしていた部屋から飛び出し、騒音のする方向へ急ぐ。
廊下の角を曲がると、そこで待機していた複数の砦兵と目が合った。あちらは俺を敵と認識するや否や、剣と槍を構えて襲いかかってきた。
邪魔な。
五つの魔法円を前方に展開し、雷を放とうとしたが、それよりも早く兵士は倒れていく。
……なんだ?
兵士が崩れ落ちた先に立っていたのは、見覚えのある面々だった。
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ここに連れてこられてから二日後、私は何故か結婚式の準備をさせられている。
相手は初日に会った、なんとか伯爵と名乗った人らしい。
そう。
“らしい”と言う程度の相手だ。特定もできず、顔だって一度しか見たことがない。どんな人なのかも分からないのに、結婚と言われてもピンと来ない。
………何故そうなったのかさえも分からない。
ここに連れて来られたその日に、エプロンをつけた女性から「結婚する」と聞かされた。
逃げ出したかったけれど、周りにいるエプロン姿の女性達を攻撃するわけにもいかない。それに、どうやらシキは“人質”になっていると聞いた瞬間、抵抗する気も無くなった。
結婚……。
長年のセウスの気持ちを断った私が、全く知らない人と会って二日で結婚だなんて、一体どんな因果なのだろうか。
「はは……」
乾いた笑いが漏れる。
周囲の女性たちは手際良く衣装と髪型を整え、化粧を施す。
最後に白いレースを頭に乗せられた。
鏡に映った自分の姿を見つめる。なんて滑稽な姿だろう。
それは魂の入っていない大きな人形のようで、純白の衣装に包まれた自分が、レースの隙間から自分を殺しそうな目で睨んでいた。
ー お前を大事にしてくれる人と結婚してくれれば私は安心だよ。
おじいちゃんの言葉が胸に刺さる。
ごめんね、おじいちゃん。おじいちゃんの願いは、叶いそうにないよ。
頬を悔し涙が伝った。
「こちらです」
女性に案内されて部屋を出る。
美しく長い廊下を歩くうちに、いつの間にか背後に数人の兵士がついてきていた。
前を歩く女性が立ち止まり、目の前の広くも長い階段を指し示す。
その先には大きな扉が。
私の姿を見ると、両隣にいた男性達が扉を開けた。
扉の隙間から眩い光が溢れる。細かなガラスで作られた照明のようだ。
私は誘導されるまま階段を登る。後ろからは兵士の足音。
中に入ると、初日に会った名も知らない伯爵が、長いロープを着た初老の男性とこちらを見ていた。
いつの間にか私の周囲は兵士で固められている。
「…………」
「さあ、こちらへ」
伯爵は手を差し伸べてくる。
「そう緊張しなくても良い。あなたは何も考えず、私の跡取りを産めばそれで良い。それだけで苦労はさせないと誓おう。さあ、その紙にサインを」
………今、なんて言ったの、この人?
顔から血の気が引いていく。
これが、この人の言う”結婚”なのだろうか。
ナナクサの結婚とはまるで違う。
見つめ合って手と手を取り合い、互いに一生を添い遂げると誓い合う。
こんな豪勢な場所での結婚式ではないけれど、村のみんなが花と料理を持ち寄って花月亭で夜までお祝いをしてくれるんだ。
小さい頃から幸せそうな新しい夫婦の姿を何度も見てきて、私もそうやって結婚するんだって思っていた。
その笑顔が溢れる光景を思い出すと涙が出てくる。
本当に、滑稽だ。
……外、だろうか。
何か混乱しているような音と声が少しずつ聞こえてくる。この後におよんで幻聴だろうか。
後ろを振り向くが、伯爵が私の手を掴んで引っ張る。
「早くこちらへ」
その瞬間。
建物が崩れ落ちたのかと思うほどの轟音と共に、爆風が背中を打った。
白いベールが吹き飛ぶ。
振り向くと、後ろの壁に大きな穴が開いていた。
私は目を大きく見開く。
目の前の光景が信じられなかった。
でも、ずっと望んでいた光景だった。
「キツキーーー!!」
穴の向こう、青い空を背景にキツキがいた。
私が叫ぶと、伯爵は私を引っ張ろうとしたが、突然その拘束が解ける。
振り返ると、周囲の兵士も伯爵も、何か強い力に吹き飛ばされたように床にへたり込んでいた。
私は壁の穴に向かって走る。
穴の外は青い宙だった。
足場は何もなかった。
それでも。
キツキが私を受け止めてくれると、信じていた。
<更新メモ>
2026/01/09 修正(地名修正、誤字修正、他)




