他国への越境5
「二人部屋? ああ、ごめんなさいね。今一人部屋しか空いていないの」
「では隣り合った一人部屋はありますか? できれば角が良い」
「ちょっと待っててね、じゃあ3階で良いかしら」
カウンター前の恰幅のいいおばちゃんとシキは部屋を決めている。
ここは宿屋だ。私は生まれて始めて宿屋を使う。
ナナクサ村にも宿泊所があったのだが、最近では使わなくなっていた。昔は漂流者の住む家が足り無い事が度々あったので、宿泊施設を作ったのだとおじいちゃんは言っていた。何度か入ったことがあるが、ここよりはもう少し新しい建物だった。宿泊施設も村長が管理していて、鍵も村長宅に保管されている。
天井を見上げる。ここはなかなか年季の入っている宿屋のようだ。
「ヒカリ、部屋はこっちだ」
シキが私に手で合図をする。私は階段を登るシキの背中を追った。
3階の奥に着くと、シキは少し待っていてと部屋の扉を開け中に入る。
部屋の中から、扉や窓をガタガタと開ける音が聞こえてくる。
何をやっているのだろうか。
しばらくすると何事もなかったかなのような顔でシキが戻って来た。
「何していたの?」
「危険な所がないかの確認だよ」
もういいよと私に鍵を渡す。なんか、先に入られるのって嫌だな。
そう思っているとシキは私に「君に何かあればオズワード殿に申し訳が立たない。安全のためだ」と言う。
そう言われると、私も何も言えなくなってしまった。
ただ、渡された少し錆びた金色に似た黄土色の鍵は宿屋同様、年季が入っていて、部屋を改めたとしても本当にこの鍵に身を預けていいのか心配になってくる。窓や扉の前に、鍵のチェックはしないのだろうか。
シキを信用していないわけでは無いが、どうでもいい疑問が頭をよぎっていた。
だがよくよく考えてみると、特段自分が襲われるような人間でも、泥棒に盗まれて困るような貴重なものも持っていない事を思い出し、まぁいっかと妙に納得して大人しく部屋に入ろうとすると、後ろからシキが声をかけてくる。
「荷物を置いたらここで待っていて。宿では食事は出ないと言っていたから買い物ついでに外で食事をしてこよう」
シキはそう言うと隣の部屋に入っていった。
外で食事……。花月亭に行くような感じだろうか。
外の世界に疎い私はそう思いながら部屋に入って荷物を置いた。
部屋から出て来たシキと合流する。
シキは1階まで降りると、先程のカウンターの横にあった地図をマジマジと見る。じーっと見る。そして隣のカウンターにいた宿のおばさんに何かを聞くと更に地図をじーっと見ていた。
どうしたの? と声をかけても反応が返ってこない。
兎にも角にも地図に集中しているようだ。
私は呆れ顔でシキの反応を待っている間、私は宿屋のロビーにいる様々な格好をしたお客を眺めていた。みんなどこに行くんだろう。ぼーっと眺めていると、シキは私の手を掴んでお待たせと言い、私の手を引いて宿を出た。
シキは先に服屋に寄ると言う。
知らない人にはついて言ってはダメだと子供のような注意を受け、私の外套のフードを極限まで引っ張ると私をおいて一人でお店に入っていく。そんな事を言うぐらいなら一緒にお店に入らせてくれれば良いものを。
しばらくして出てきたシキの手には大小の紙袋が2つ。大きい袋の中からシキは男性用のつばの長い帽子を取り出し、何も言わずにフードを少しずらし、私の頭をまとめて軽く巻くと帽子の中に入れたまま私にかぶせた。これでよしと言ってフードを外す。先程まで見えづらかった左右の視界が開けると、陽気な街の中が余計に明るく見える。おお、すごい。
シキは私と色違いの帽子をかぶると、これで落ち着いて買い物に行けると呟いていた。
シキは紙袋をもう一つ持っていた。どうやら買い物は帽子だけではなかったようだ。何を買ったのか聞いたが内緒と言って教えてはくれなかった。
気を取り直して食べ物の買い出しに行く。
今度こそ私もお店の中に入って、自分の目で確認をして商品を選ぶ。お店に並ぶ食料品の数々は種類も量も多くて私の目を楽しませていたが、早く決めないとシキが横からどんどん決めていくので、負けじと私も選ぶ。
先ずはパン、干し肉、チーズなど保管に困らない物を探し、その後は新鮮な野菜と果物を少しだけ調達した。
並んで食料品を二人で持って街を歩いていると、なんだか新婚みたいな気持ちにふとなる。
フワフワしたようなくすぐったいような、そんな感覚に襲われ、私は少し頬を赤らめて歩いていた。
キツキの言うように私は少しえっちなのかもしれない。
どちらかと言えばむっつりな?
そう考えると一人でこそこそ考えるのはなんか余計に恥ずかしいのでつい口に出してしまう。ただの小心者である。
「なんだか新婚夫婦みたいだね。」
その言葉にシキは目を丸くすると、突拍子もない事を考えるねと呆れられてしまった。
………少しぐらいの同意はあってもいいと思うんだけどな。
私は眉間に力を入れるとシキを軽く睨んだ。
食料品を持ったまま、何処かで食事をしていこうとシキは言う。
「何処が良い? 奥さん。」
先程の突拍子もない私の言葉の返しなのだろうか。
シキの聞く“何処”の意味がわからず、何処でも良いと答える。
シキは私からの返事を聞いて、何か思い出したかのようにハッとすると、もう一度私に聞き直す。
「肉料理か魚料理、あとは…あれは郷土料理かな。どれが良い?」
そう聞き返して来た。
私の目は点になる。この街では食材の種類によってお店が分かれているとでも言うのだろうか。まさかね。
「じゃあ、肉料理」
そう言うとこっちだと、シキは荷物を持っていない手で私の手を引くと歩き出す。私は繋がれたキツキよりも大きな手を凝視する。私はどうやら、シキに手を繋いでもらうのが嬉しいらしい。繋ぐ手だけではなく頬も熱くなる。安心するのだろうか。そんな私の様子に違和感を感じたのだろうか、シキが私を見ながら怪訝そうな顔をする。
「どうしたの?」
「あ……、いや。なんで手を繋ぐのかなぁって」
別にそんな事を思っていたわけではないけれど、シキに聞かれ他の答えが見つからなかったので咄嗟に取り繕った答えだった。
シキは目線を斜めに移動した後、眉を少し下げ私を見る。
「夫婦だからだろ?」
シキは顔を緩めながら可笑しそうに答える。
あら、そうですか。
なんだか小馬鹿にされた感が否めず、嬉しい気持ちも感じつつも心の中で少し不貞腐れていた。
シキの選んだお店の中は小ざっぱりしていた。
南側の壁には大きな縦長の窓があり、そこから海が遠くにうっすらと見えていた。
この街はどうやら少し傾斜のあるところに出来ているらしく、南側は城壁に囲まれているにもかかわらず、場所によっては城壁の上から海が見えるのだ。
夕食にはまだ早い時間だからなのだろうか、そんな海の見える素敵なお店にもかかわらず店内は空いていた。
「二名で。奥の席にしてくれ」
シキがそう言うと、受付にいたお姉さんは笑顔で案内をしてくれる。途中、チラチラとシキを見る。やはりこのお姉さんもアカネさんのようにシキを“鑑賞”しているのだろうか。
お姉さんはこっちに荷物を置いてねと丁寧に対応してくれ、南側の奥の席を案内してくれた。
奥の席に行くとシキは壁側に、私をその向かいに座らせる。
私は壁と窓しか見えない。私も店内が見渡せるシキの席を要求したが、断固して譲ってはくれなかった。
ふと右手の窓から先程の海が見えた。日が傾いて光の当たるのが波の側面だからなのだろうか、遠くからでも水面が揺れ動いているのが良くわかった。そして地平線からこっちに向かって水面が大きく動いているのが目につく。あれは何か聞くとシキは「波だよ」と教えてくれた。
……波?
北の湖で見たことのある波とはだいぶ違う。まるで生きているかの様に次々に押し寄せてくる海の波の様を、私は飽きもせず眺めていた。
私が海を眺めて急に静かになると、シキは安堵したかのように顔を緩めた。
シキに何が食べたいか聞かれたが、肉とだけ答えると、何か呆れたような諦めたような表情をされる。何よ。
花月亭では肉とだけ答えれば、主食菜食汁物まで全てが揃って出てきたのだ。肉と答えておかしいことはあるまい。
それに仕方ないじゃない。メニューを見たけど、それがどういった料理なのか全然わからないんだもん。私は口を少し尖らせる。シキは私の残念な顔を見るとこっちで勝手に決めるよと言い、先程のお姉さんを呼んで何個か注文をしていた。
「お待たせしましたー」
テーブルの上には美味しそうな料理が次々と運ばれてくる。
サラダを筆頭にお肉以外にもパンやスープが来る。そして私が見たことのない料理も。小さな鍋に入ったままの料理も机の上にドスンッと置かれた。意外と大きい音で驚いたが、鍋自体が鉄板といっても近いほど分厚かったのだ。それにしても初めて見る料理だな。
「さ、食べようか」
シキがそう言うのでいただきますと食べ始める。
おぉ、お肉が柔らかい。感動しなからはむはむする。食べたことがないお肉だった。何のお肉だろうかとじーっと覗き込んでしまう。村ではソウさんが獲ってきたシシ肉が主で、他には森でとれる獣肉がほとんどだった。嫌いでは無いがこれに比べるとやはり歯応えはある。
「美味しい」
シキは美味しそうに食べる私の顔を見ると軽く笑む。
シキはテーブルの上の料理に驚いていない。食べ慣れているのだろうか。
私はナナクサ村以外でのシキの事を何も知らない事に気がつく。シキ以前にそもそもがナナクサでの生活以外を私が知らないのだ。城壁の中に畑も森もないのにどうやってこの料理の材料を調達しているのか、とか。シキを知る以前に、私はナナクサ村以外の世界を知らない。
私達が食べ始めて暫くすると、夕飯時になってきたのか新しいお客さんが何組か入ってきた。お店は段々と活気を増してくる。
シキはチラチラと視線を店の中に動かす。何かそう面白いものでもあるのだろうか。
気になって私もくるりと首をお店に向けた。
「あ、こら!」
シキが叱るがそのままお店の中を肩越しに覗くと、席が既に半分近く埋まっていた。料理が美味しいから人気なのは頷ける。
他所のテーブルを覗くのは失礼だが、ついつい他のお客さんが何を食べているのか気になってしまった。当然の話だがみんな美味しそうなものを食べていた。その時にお客の何人かと目が合う。
振り向いている側の頬にふわっと温かいものが触れる。シキの手だった。
「こっちを向きなさい」
シキの顔は少し怒っていた。
私は体を前に向けるけどシキの冷ややかな表情は一向に崩れず、ごめんと謝るが反応をしてくれない。
確かに行儀の悪い事をしたとは思うけれど、そんなに怒らなくったって。
席を断固として変わってくれなかったシキだって悪いんじゃない。
私はもうっ! とプンプンしながらも再び美味しい料理を口に運び出す。が。
「そろそろ出よう」
「え?」
シキは急にそんな事を言う。
何を言っているのか。まだ半分近く残っているではないか。
何故かとシキに問うと君が悪いと答える。私、悪いことしてないわよ。
慌てて食べようとするが、シキはお金をテーブルに置き、本当に立ち上がって荷物を持ち帽子をかぶる。そして私に急かすような視線を送ってきた。
でも、食べ物が勿体無いよ。私もそう視線を返すがシキの眉間に皺がより、視線というよりも睨みつけられてしまったので慌てて帽子をかぶると、私もしぶしぶ立ち上がる。
店の出口に向かうシキの背中を追いかけ、店内の狭い通路を歩いていくが、不意に腕を掴まれた。
「えっ?」
驚いて腕を見ると知らない男性が私の腕を掴んでいた。
その男性と同じテーブルに座っている男性達も止めることなく面白そうに私を見ている。なんとも言えない程の不快感が胸を覆う。
「ねえ、お姉さん美人だね。この街の人ではないでしょ? それだけ美人なら領主の息子が黙ってないもんね」
そう話しかけてくる。
はい?
私には何を言われているのかわからない。混乱していると、私を掴んでいる男性の腕を更に誰かが掴む。シキの大きな手だった。
「俺の連れだ。手を離せ」
シキはそう言って男性を睨むが男性はシキを嘲笑うかのような表情で私の手を離そうとしない。すると男性の腕がバチッと光り、男性の手は私の腕から離れた。
「てめえ…」
男性は手をさすりながらシキを睨むが、シキは私にいくぞと言うと私の肩を抱いて外に出る。
お店を出てからもシキは私の肩から手を離さない。
「ねえ、なんだったの? さっきの人たち」
私がそう聞くが、シキは顔を強張らせたまま歩き続ける。
歩く速度がいつもより早い。
私はすでに駆け足状態だ。シキと足の長さが違いすぎる。下手をすると引きづられる一歩手前でもある。
後方から悲鳴やガタガタと数人の足音が騒がしく聞こえるなと思ってちらっと肩越しに視線を動かすと、先程私の手を掴んでいた男性がテーブル席の男性達と更に見たことのない顔の男性数人を連れて私達を追ってきた。
「さっきはよくもやったな。俺の顔に泥を塗りやがって。彼女を置いていけば許してやるよ」
そう言う男性達の手には短剣や剣が握られている。
は? 嘘でしょ?!
何でさっきのやりとりで剣が出てくるわけ?
私は真っ青になって混乱する。
どう考えても彼らの行動を理解できない。それとも私がおかしいのか?
ナナクサ村出身である井の中の蛙の私には理解が及ばなかった。
だが、顰めっ面のシキは私の肩に置いている手はそのままに、私を隠すように体半身を少し後方に向け男性達を睨みつける。
何の前触れもなく彼らの足元に魔法陣が現れ、バチッと一瞬だけ雷光が走ると、私たちを追ってきていた男性達は足元から崩れ落ちていった。
私は呆気にとられる。
「二度と追うな」
シキは一言だけ彼らに向けてそう言うと、翻り再び私の肩を押しながら歩き出す。
遠くからは手を掴んでいた板男性が倒れたまま小さな声で何かを言っていたのが聞こえた。
「ヒカリ。君が安易に姿を晒したり目を合わせると、すぐにああいうことになる。何度も言うが、出来るだけ顔は見せないでくれ。今回は平民だったから良かったけれど、貴族が相手ではこう簡単には済まない」
そう話すシキの横顔は怒っている。
何で怒られなきゃいけないのかわからないけれど、シキが助けてくれたことだけはわかったから、ごめんと謝った。
そのままシキは私を見ることも話すこともなく、私は少しの不満と、シキに肩を抱いてもらって並んで歩けるこそばゆい嬉しさを抱えて宿に戻った。
翌朝、太陽が寒空に顔を出す。
夕方の変な人達がやってこないか不安だったが、どうやら宿はバレなかったのか、それとも諦めたのだろうか。昨夜はとても平和な夜だった。
シキも心配だったのだろうか、寝る少し前までは私の部屋にいて、壁にもたれながら、買い貯めた食料品をスライムの革袋に収めていく様子を眺めていた。
カウンターでチェックアウトを済ませ、宿に預かってもらっていた馬を引き取ると私とシキは馬に乗り出発した。
城壁の門を出てしばらくした時だろうか。
シキが大きなため息をついたと思うと、しつこいなと呟く。
すごく機嫌が悪そうだ。
「ヒカリ、これが言う事を聞かずに昨日の男性と目を合わせた結果だからね」
シキは不機嫌な声で咎めてくるが、私は悪いことはしていない……と思う。
流石に何度も同じことを言われると自信がなくなる。所詮その場限りの意地っ張りな意思なんてものは脆い。
シキは馬を走らせる。すると後ろからも複数の馬の蹄の音が聞こえて来た。
シキはそろそろいいかと呟くと、シキは私のフードをぐっと深くかぶせ、馬の手綱を引きその場でぐるっと半回転さた。
前が見えないので、指でちょいっと右目の方だけフードを勝手に持ち上げる。
私達の目の前には馬に乗った10人程の兵隊がいた。その前には一人の身なりの良い男性と、その後ろに昨日の男達が。
先頭にいた男性はギロっとシキを睨むと私を見る。
「あいつです、ロックス子爵。それに女もいますぜ」
「ああ、確かにこの辺りでは見ないほどの美少女のようだな。はっ!おい、男。その女性をこちらに渡せば、見逃して……」
ドゴンッ!
ロックス子爵と呼ばれた男性が話終える前に、どこからともなく降ってきた雷が足元手前を突く。
確認はできないが、これはシキだな。絶対シキだ。
「言ったはずだ、二度と追うなと」
「は!この人数相手に何処まで強気でいられるかな。こっちには領主様の御子息と兵士がいるんだぜ!」
昨夜、シキにやられた男達は下衆な笑いを浮かべ有頂天のようだ。
シキは呆れたようなため息をつく。
次の瞬間、彼らの足元に魔法陣が浮かび上がる。
大きな魔法陣だ。私もこの大きさは見たことがなかった。
「な、魔力使いか!」
子爵がそう言うと同時に、魔法陣からは雷光が鳴り響く。次の瞬間には全員馬ごと倒れていた。
「次はない」
シキはそう言うと馬を半回転させて今度こそ東へ進んだ。
<連絡>
明後日(2話分)の投稿ののち、しばらく投稿を止めます。
<人物メモ>
【ヒカリ】
女主人公。ナナクサ村のスライムハンター。太陽の光のような髪に暁色の瞳を持った女の子。スライムに飲み込まれた兄のキツキを探しに、村を飛び出した。
【シキ】
ナナクサ村に漂流してきた銀髪の男性。ヒカリの祖父と同郷の騎士。自国への道を探しながらヒカリと一緒にキツキを探す。
<更新メモ>
2021/06/07 文章の修正