想う人 ーノクロス回想
スラッとした高い背。
茶色の髪と相手を射抜く奥深い茶色の瞳。
一心に剣を振る姿。
彼を見ていると若い頃の自分を見ているようだ。
ここにきてからも、時々心に現れる人がいる。
心に宿ったままの美しい人。
柔らかい頬、亜麻色の巻毛、大きな瞳に少し小さい厚みのある唇。
戻ったらすぐにでも結婚するはずだった人。
愛し合ったまま会えなくなった大事な人。
あの日、共に生きていくと誓い合ったはずなのに。
あの愛しい人との間に生まれるはずだった子供は、彼に似ていただろうか。
「セウス、振り切りすぎだ。その間に隙ができている」
「はい」
セウスは時々、忙しい仕事の休みの間に、剣の稽古をしに家に来る。
本当はもう十分に自分の剣の引き継ぎができたとは思っているが、彼はまだ満足していないようだ。
18歳でこれだ。きっと昔の自分よりも剣の腕が立つのだろう。
「あ、ヒカリ」
セウスは好きな子を見つけると少し外しますと言い、小走りで近づいていく。稽古中でもだ。
しばらくして遠くから炎が上がると満足した顔で帰ってくる。
「それで良かったのか?」
呆れた顔で思わず聞いてしまう。だがセウスは満足そうな顔を私に向けた。
セウスは様々な能力に関しては秀でているが、どうも最近は愛情表現が下手になったように思える。それとも相手の問題なのか。
まあ、どちらにせよ難儀な子達だ。
外はだいぶ気温が上がってきていたので、家の中で休憩を取る。
セウスに氷で冷やしたお茶を出す。
氷なんてものはこの時期には存在しないが、朝のうちにオズワードさんがキツキに氷の魔素を入れさせておいた魔石を花月亭に置いていってくれる。
必要があれば器やボールを持って花月亭に行けば氷を貰える。
魔素なので溶ける以外は消えないが、キツキの氷は溶けづらい。オズワードさんも元は氷使いだが、満齢を超えてからはキツキに氷室の役は渡したようだ。
「その後、進展はあったのか?」
春にヒカリの家に結婚の申し込みをしたと話を聞いていた。ただ、それから関係が変わった様子もなく、時々気になって聞いてしまう。
「進展というほど進展はありませんが、彼女が16歳になるまでもう少しです。それまでの辛抱ですよ」
そう言って笑う。
セウスが彼女を大事にしている姿は昔からよく見ている。
その気持ちが彼女に届くことをただただ祈るばかりだ。
「彼女に伝わればいいな」
セウスは私を見ると少し顔を崩し「はい」と、頬を赤らめて答えていた。
その様子がとても愛しく感じる。
最近では彼の一喜一憂が、少し年老いた自分の心を動かす。
本当に自分の子供のように感じてしまう。子供というよりは孫に近い年齢差かもしれないが。
彼の姿が、失ったはずの自分の人生を彷彿とさせるからなのかもしれない。
自分に似た子供に囲まれているはずの人生。
愛しい人が横で笑っているはずだった人生。
今とは全く別の道。
それでもあの時あの場所にいたことは後悔はしていない。
最後の瞬間まで護衛出来たことを今でも誇りに思っている。
自分の人生で失ったものは大きい。
それでも自分の存在意義を最後まで肯定出来たのだ。
こんな複雑で矛盾した考えを一体、誰に言えるのだろうか。
涼しくなってきた頃、いつものように自警団の欠員の為に、東門の警備を任されていた時のことだった。
「ヒカリ、どうしたんだ」
ヒカリが東の森から帝国騎士の服に身を包んだ男に抱えられて帰って来た。
ヒカリの怪我も気になるが、彼も気になる。
長身に銀髪に黄金色の瞳。
昔よく見た特徴だった。
「私も急いで帰らなくてはいけない事情もあります。……道を見つけた暁には私がお二人を国にお連れしましょう」
彼のその言葉は、サビかけていた運命の輪が動き出す瞬間だった。
あの子達を国に還せる?
私もオズワードさんも既に諦めかけていた。
何十年も戻る手立てが確立出来なかったからだ。
ここで血を受け継いでいくのもいいだろう。そう思い始めていたんだ。
彼ならこの村を拠点にして動いてもらうことができる。ここに彼の後ろ髪を引くものはない。
オズワードさんもそうだが、私の目にも一筋の光が宿ったのがわかった。
「セウス、お前の気持ちは知っている。だが、これだけは譲れないんだ。それだけはわかってほしい」
「いいえ!いいえ、理解できません」
セウスに初めて睨まれる。
当然だろう。私が急に手の平を返したのだから。
応援するはずだったセウスの恋の前に、自分は立ちはだかったのだ。
花月亭の庭から去っていく彼の背中は、闇の中に溶けていった。
自分の手の平を眺める。
若い頃から剣の達人と褒め称えられてきたが、一体自分の何を守り切れたのだろうか。
仕事のため、護衛対象を護り切れるのならなんでも犠牲にできた。
ずっとノクロス・パルマコスという騎士に翻弄され続けてきたのだ。
もう国の騎士かどうかさえわからないのに。
気がつけば愛しい人も、セウスも、大事にするべきはずだった者達が剣を握る手の隙間からこぼれ落ちてしまっていた。
それを哀れむ資格など自分にはない。
自らそう選んできたのだ。
「……殿下、どうぞご無事で」
白く高い山を前にヒカリは驚いた顔で私を見る。
彼女は四十数年前の尊い顔と重なる。
あの時の緋色を含む太陽のような美しい眼差しはそのままに。
私の近衛騎士としての役はここまでだ。
あとはシキ殿にお任せをしよう。私を縛る全てから手を離そう。
これで、ようやく。
ようやく愛しい人達を想う事ができる気がした。
<更新メモ>
2021/06/27 改行 漢字の修正