千秋の願い ーオズワード回想
千秋
銀色の髪、黄金色の瞳、懐かしい顔立ち。
彼を見ていると、妻のライラが亡くなってから失っていた覇気が蘇っていく。
身体中の血が彷彿とし、気持ちがあの頃のように若返っていく。
彼が現れてから、私の消えかけていた足元の明かりが、広く大きく輝き出したのだ。
その先には、諦めかけていた故郷の面影が、薄らと浮かび上がっていた。
森でヒカリを助けてくれた男性を花月亭に招いた。
孫には聞かせられない内容になるだろうから、別のテーブルに二人を置いて来た。
彼は我々と同じ国の人間だろう。
家で見せた礼も、制服も、四十年前と変わってはいなかった。
それに彼の容姿は……。
おそらくノクロスも気が付いていることだろう。
厨房まで行くと、エレサに適当な酒と今日のおすすめのつまみをお願いした。
若い男性も一緒なので、量も種類も多めにと注文をする。
「あらあら、新しく来た若い男性? アカネが喜ぶわ」
エレサはそう言って笑う。
アカネは花月亭で働いている元気な娘だ。
エレサ夫婦と一緒に住んでいるが、エレサの娘ではない。
アカネは十数年前に、見回りのために訪れていた森で見つけてきた子だ。
彼女の上には傷を負った男性が、庇うようにして倒れていた。アカネの父親だったのだろう。
二人で漂流してきて、おそらく魔物から子供を守るために庇って亡くなったのだと思われる。
一人になってしまったアカネを、エレサ夫婦は迎え入れてくれたのだ。
この村には血の繋がりのない親子家族はナナクサには少なからずいる。
「じゃあ頼んだよ、エレサ」
そう言うとエレサは愛嬌のある声で返事をした。
「お待たせしましたな、嫌いなものはないと仰っていましたのでこちらで勝手に注文させていただきました」
集会席に戻ると、シキと名乗る青年が座り、ノクロスはその横で立って待っていた。私が彼の向かいに腰をかけると、ノクロスは私の横に座る。
「改めまして、孫を助けていただきありがとうございます。祖父のオズワードと申します。こっちはノクロス。村で自警団の管理や、時折、学校で先生をしております」
私たちの紹介を聞くとシキ殿は驚いた様子で目を見開く。
丁度その時、満面の笑顔のアカネが注文した酒とつまみを運んでくる。
「ありがとう、アカネ」
アカネはシキ殿に目を奪われて戻って行った。やれやれ。相変わらず
だな。
気を取り直してシキ殿に向く。
「して、シキ殿はこの辺りにどのようにして来られましたか?」
どのようにして。
おかしな質問のようだが、この周辺に馬車で来たり、船で来た人間は一人もいないのだ。そう質問するとシキ殿は少し困惑した顔をする。
「お恥ずかしながら、気が付いた時にはここより南の森にいました。来る前は、同僚と馬に乗って移動していたのですが、気がついたらこの近くの森の中で…」
やはり今までの漂流者と同じような話をする。
「そうでしたか。この村にいる者達もシキ殿と同じような経験をしてやってきています。我々もそうです」
シキ殿はまた驚いた様子で我々を凝視した。
「……ここは何処でしょうか」
「わかりません。この周辺には人も文明も無いということしか我々もわからないのです。魔物が溢れている森の中です」
シキ殿は考え始める。
そうやら彼は我々を知っているようだ。やはり祖国の人間で間違いはなさそうだ。
ただ、彼の立ち位置がわからない。どこまで話をして良い相手なのだろうか。
彼の腰についていた剣の鞘が目についた。金色の装飾が見える。
祖国では剣に特殊な装飾をする。
もしかしたら彼の出自がわかるかもしれない。
「シキ殿は立派な剣をお持ちのようだ。少し見せていただくことはできますかな?」
剣は武人には大切なものなれど、祖国では剣を見せていただきたいという言葉の裏には、剣を見る以外にも意味がある。シキ殿はしばらく考えていたが、剣鞘を下げていたベルトを取り外すと我々に剣を鞘ごと渡した。
この鞘に意味がある。
鞘には持っている人間の二代前までの家紋や印を入れる風習が祖国にはある。
当代の印は鞘口に大きく金や銀などで施す。一つ前の代は鞘尾に鞘口と合わせた金属で施す。二代前は鞘全体に小さく薄く描くか、帯剣の為の吊り金具に紋を入れる。
枝分かれしていない家系の場合は鞘口にしか印がない。
安いものではないので、貴族の家しかやらない風習だ。
鞘口にある金の紋を見るが私は見たことがない。ノクロスも反応がない。
当代の家は私達が知らない、新しく枝分かれした家なのだろう。
だが鞘尾にある一代前の金の紋を見た時に心臓が止まるかと思う程の強い衝撃を受けた。
太陽の周りに三つ巴の翼が描かれている。
「ポース公爵家……」
そう呟くと目の前の二人の顔色が変わる。
この名前でノクロスも分かったのだろう。
目の前の人間がどの家の出なのか。
二代前の紋を見る必要もない。
「……ご存知でしたか」
「ええ。貴方様も我々のことをご存知のようだ」
お互いの身の上が分かったからだろうか、ようやく彼はこれまでの詳細を話し始めた。
我々が消えた国で、年に一度の我々の捜索から帰る途中だったが気がついた時にはこの周辺に飛ばされたのだと言う。
「国は未だに我々を探しているのですか?」
「……はい。迷い込んだ森でとてもよく似た女の子を見かけまして、まさかと思いましたが」
「ええ、知っている人間は驚くことでしょう。よく似ていましたでしょう?」
「はい、もう一人の男の子も」
「キツキとヒカリは双子でしてね。本当にライラによく似ている」
「御祖母様は?」
「……十年ほど前に亡くなりました」
「そう、ですか……」
目の前の青年は手を握りしめ、悔しそうな表情を浮かべた。
「孫たちの父親も今やおりません。残っているのはあの二人だけです」
「彼らを国には戻さないのですか?」
「長年、ここでライラの安全を確保するだけで手一杯でした。それにここの位置も場所も検討がつかなかったのです」
手をぎゅっと握りしめる。失っていたはずのあの悔しさが心に蘇ってくる。
「出来るものでしたら、あの子達を連れ帰りたいのです。奇跡に等しい程の、国の大事な宝だ」
同じテーブルに身を寄せる三人が深刻な顔をする。この事態を解消できるものならそうしたい。
だが、もう何十年も動く事ができなかった。いつの間にか『諦め』という感情がその目的を薄めていってしまったのだ。
シキ殿は目を横にしてしばらく考えると、こちらを向く。
「わかりました。では私が帰路を見つけましょう。少し気になる手がかりもありますし、私も急いで帰らなくてはいけない事情もあります。よろしければ食糧や馬など調査に必要な物をしばらく融通をしていただけると助かります。道を見つけた暁には、私がお二人を国にお連れしましょう」
その言葉を聞くと、皺の増えた年老いた目蓋が自然と持ち上がる。目の前の青年が、私達が成し得る事の出来なかったここからの帰還を実行すると言う。
消えかけていた切願だ。
これは夢なのだろうか。
ならば、消えてしまう前に掴みたい。
「勿論です。こちらで準備できる物は準備をしましょう。貴方様にキツキとヒカリのことをお願いしたい」
「わかりました」
不意に階段を登ってくる音がする。
音がする方向を目が瞬発的に向く。
「ノクロスさん、お酒持ってきました。そろそろ空くでしょ?」
上がって来たのはセウスだった。
「ああ、ありがとうセウス」
セウスは笑顔のままノクロスに酒とつまみを並べたお盆を渡す。
先程の話をセウスに聞かれていはいまいだろうか。
セウスが聞くとややこしい事になるのは目に見える。これはセウスには絶対に知られてはいけない話になるだろう。
普段は優秀で、先が楽しみな青年なのだがな。ヒカリが関わるとどうも困った奴になる。
急に正しい判断ができなくなる。
恋と言うよりは溺れていると言った方が近いかもしれない。
この村の指揮を取る人間になるはずなのだが、それをどうも忘れてしまうようだ。
自分が周りからどう頼られているのか、自分の行動一つで周りにどう影響を与えるのか。上に立つ人間には嫌でもついてくるしがらみだ。自分の一言で100人いる軍隊を全滅させることだって出来る。彼はまだまだ、自分の影響力がわかっていない。
「ああ、シキ殿。私の弟子のセウスだ。村長の子でね、私は自分の子供のように可愛がっている」
「へえ、ノクロス殿の。シキと申します。先ほどお会いしましたよね。以後お見知りおきを」
「セウスです」
二人の握手を眺める。セウスの顔には既にシキ殿に対する焦りが見えていた。
心の中でため息をつく。
彼の恋心で村をぐちゃぐちゃにさせるわけいはいかない。
さて、どうしたものか。
挨拶が終わったセウスは階段を降りて、ヒカリを連れて花月亭を出て行ったようだ。
……問題を起こさねば良いが。
「好青年ですね」
シキ殿がそう言うとノクロスは顔が綻ぶ。
「私が名付け親なんですよ」
「それはそれは。それでしたら相当可愛がっていらっしゃるのですね」
二人の会話を耳にする。
確かに小さい頃から可愛がっていたのは見ていた。
が。
「ノクロスが甘やかすから、剣だけの男になってしまったな」
酒をグイッと飲む。
「な、オズワードさん。それは私とセウスに失礼でしょう!」
「それとも、私がお前を甘やかしてしまったのかもしれないな」
「な! 今まで散々扱 き使っておきながら、なんてことをおっしゃるのですか!」
そんなに言うほど使っただろうか。
村の塀も出来ていない頃に、せいぜい魔物の巣を一人で討伐して来いとか、夜の森の見回りを朝まで一人で行かせたぐらいではないだろうか。
「大したことではないではないか」
「全く!オズワードさんがそんなんだから、キツキもそれが普通だと思っているんですよ。おかしいでしょ、16歳になったばかりの子が、一人で魔物が多発する北の森を巡回するとか平気で言い出すのは」
「キツキは大丈夫だ。私の孫だからな」
教えられる事は殆ど教えた。
それに色恋に惑うことなど無いだろう。
「そういえば、お孫さん達は国の事は知っているのですか?」
シキ殿が顔を覗き込む。
「……いいえ。生まれた時には、もうここで普通に暮らさせようと思っていました。何も知りません。私達の過去の事は」
「そうですか」
シキ殿は顎に手を当てて考え込む。
「でしたら、急な話や態度を変えない方がいいですね。私の事は新米のシキとして扱ってください。私も村の人たちと同じようにお二人を扱います。彼らのことは名前で呼ばせていただきます。国のことはいずれ、道が見つかった時に」
私は首肯する。
「では、明日からよろしくお願いします」
彼はふっと笑う。
その顔は記憶の片隅にある、笑顔に似ていた。
村の会議が始まると言うので、集会場を明け渡す。
ノクロスとは花月亭で別れ、シキ殿の仮住まいとなる北の空き家を案内する事にした。
あそこはもう、十年以上はあのままだろうか。
時間はもう遅く、工房も閉まっている。シキ殿には申し訳ないが、まずはそのまま夜を過ごしてもらうことにした。
北の空き家の扉に刺さっていた小さな閂を抜いて扉を開ける。
いつも持ち歩いている火魔素の入っている魔石を火ばさみで挟み、暖炉のレンガに打ち付けると、暖炉に残っていた薪に火を付けた。
部屋が照らし出される。
意外と、中に埃などはなく綺麗になっていた。
……コエダだろうか。
ここに来て掃除をしておいてくれるのは、それ以外は見当がつかない。
「しばらく、ここをお使いください。我が家にも近いので、何かあればいらっしゃってください。明日、生活に必要なものを準備させます。不便がありましたら極力手配しますので申し付けてください」
「ありがとうございます。屋根のあるところでの宿は5日ぶりぐらいです。本当、助かります」
「そういえば、家事などはお出来になられますかな?」
「ええ、軍人ですからね。騎士学校でも一通りは出来るように指導はされています。大丈夫ですよ」
「そうですか。大変でしたら村の女性に依頼しますのでおっしゃってください。食事は先ほどの花月亭でご一緒しましょう。一人分の食事は大変でしょうし、ここでは食材も店ではなく倉庫から貰わないといけないのでね。慣れないかもしれません」
「そういえば、この家は最近までどなたかが住んでいらっしゃったのですか?家具も綺麗に残っているようですが?」
「……ええ。息子のロイスが住んでいました。少し事情がありましてね。しばらくの間、一人で暮らしていたんですよ」
「どうかされたのですか?」
「孫の母親が亡くなってから不安定になりましてね。ある日、忽然と姿を消してしまいました。それまでの間、私たちと離れて、ここで一人で過ごしていたのですよ」
「そうでしたか」
「もう十数年戻って来ていません。気にせずお使いください」
シキ殿は少し戸惑った様子を見せたがお礼を言うと椅子に座った。
私は彼の横顔を少し眺めると、暖炉をそのままに家を出た。
家に帰る途中、彼の鞘を思い出す。
出自の証か……。
もし、国に戻れるのであれば、キツキに持たせておいた方が良いかもしれない。
家に帰り、玄関の扉を開く。
部屋にいたキツキが飛び出して来た。
「あ、おかえりなさいおじいさま」
キツキは私の目の前までやってきて私を出迎える。
よく見ると、赤子だった記憶のある子は、私の目線とそう変わらない高さになって来ていた。
大きくなった……。
「キツキ、少し話がしたいんだが時間はあるか?」
「今からですか?はい、大丈夫です」
キョトンとした顔のキツキを連れて2階の部屋に上がる。
自分の部屋の奥にあった、少し埃をかぶった長く大きな収納箱を開け、一番下に置いておいた布に巻かれた長細い物を持ち上げる。
布を解くと、金の装飾がされた黒い鞘のついた少し大きめの剣が出て来た。
「キツキ、これはね、私が若い頃に使っていた剣だ。もう私には必要が無いからお前に譲ろう」
そう言ってキツキの手に剣を渡すと、キツキの顔は綻んでいく。
「父に作ってもらった剣だ。二つとない。大事に使ってくれ」
「はい、おじいさま」
キツキは鞘を大事そうに抱えると、部屋から下がった。
笑った顔はやはりライラを彷彿とさせる。
あの子が国に戻れば、いずれ…。
大丈夫だ。ここで教えられることは教えた。
あとは実際に見れば、薄々と勘づいていってくれるだろう。勘は良い子だ。
魔法だけは満齢を超えた私ではあの子達には教える事が出来なかった。
勿体ない。魔素同様、魔力も溢れるほど持って生まれてきたのだが。使えるのはライラ譲りの回復だけだ。もっと早くから魔法を教えたかったが、時々暴走させる魔素の制御を教えるのに、それどころでは無かった。
魔法はシキ殿にお願いしてみよう。
彼は近衛騎士を目指していると言っていた。近衛に求められる最低限なものは扱えるのだろう。
彼ならきっと、キツキを導いてくれる。
キツキにはなってもらわなければならない。少なくとも、一人前の騎士程度には。
そういえば。
ノクロスを知った時のシキ殿の顔を思い出す。子供のような顔をなされていた。
ノクロスが国でどう扱われているのかが目に見えたようだった。
可笑しな笑いが込み上げる。
「ふっ」
では、私は?私は国からどう見られているのだろうか。
今度は漠然とした不安が込み上げる。あの時から考えないようにしていた事だ。
家には大層な迷惑をかけたのだろうな。眉間に力が入る。
自分に似た青年を思い出す。
「ヨシュア……」
彼は、無事だっただろうか。
それだけが常に心残りだった。
ベッドに腰をかけて、目を瞑る。
遠く過ぎ去った日々がまぶたの裏に流れ出す。
あの時から、常に重い決断に迫られる人生だった。
これで良かったのかと、何度も浮いては沈む疑問に苛まれていた。
それでも満齢を過ぎた今、愛しい人の形見である可愛い孫達に囲まれ、ゆったりと生活を営んで来れたのだ。
それに、この身の終わりを感じ出した老年に、偶然にもシキ殿に出会ったのだ。人生とはなんとも歪に組み上がったものなのだろうか。
人生の終わりに来て、ようやく彼女と血を繋げた意味を見いだせたのだ。
「ライラ、君の言うとおりだったよ」
キツキのあるべき姿を思い描く。
それは優美な衣と光を纏った、尊くも美しい姿だった。
ライラの姿と重なる。
もう何度も願ってきた光景だ。
その姿を逃さないかのように拳をぐっと握り、夢と消えぬよう硬く目を瞑る。
数奇な巡り合わせに翻弄された人生を、緩やかに顧みながら私は眠りについた。
<更新メモ>
2022/01/17 修正
2021/06/27 改行、誤字修正、ちょこちょこ加筆(ストーリーの変更なし)