二人のスライムハンター5
焦げ色をした両扉の片側を、キツキがゆっくりと押す。
厚みのある扉は動くと同時に、内側に付いていたベルがチリーンと甲高く鳴った。
足を一歩踏み入れると、程よい暖かさと美味しそうな匂いに包まれる。
「あら、いらっしゃい!」
レンガで組まれた厨房から、店主であるエレサさんの元気な声が響く。
ここは『花月亭』。村で唯一の食堂兼酒場だ。
店内にはまだ半分にも満たないお客。外は暗いけれど、時間的には夕方に近い今はまだまだ席が空いている。
扉の近くには、椅子が六脚も並べられるほどの厚い木材で出来た丸いテーブルが数個置かれ、夜になると仕事を終えた村人達が、ここで円陣になっては楽しそうにお酒を酌み交わしている。
花月亭の中にはそれ以外にも、厨房の近くのカウンター席と、反対側の奥にある“集会席”がある。
集会席とは、主に村の会合やお祝いの時に使われている席で、腰の高さまである壁に空間が区切られ、その奥には十人以上が座れる長いテーブルが置かれている。さらには数段の階段が付くほど床が高くなっているため、特別感がある。だから小さな子供達が何となく憧れてしまうような席で、予約さえ入っていなければ普段は誰でも使える席だから、お昼にはわんぱくな子供を連れたお母さん達が時々使っている。
16歳になったばかりのキツキと私には、会合だの祝いの席だのなんてまだまだ縁遠いけれど、60の満齢を過ぎた男性と若輩二人の我が家は、今や花月亭の食事での常連だ。
食事だけの私達は、近くの空いていた丸いテーブルを選んで座り始めると「今日は何にするー?」と、奥からエレサさんが愛嬌の良い声が響いてきた。
「私、卵料理!」
「俺、魚〜」
迷うことのない私とキツキはエレサさんの声に呼応する様に注文をする。それを聞くと「はいよ!」と厨房から元気な声が返ってきた。
おじいちゃん達は、またお酒と簡単な料理を注文していた。ご飯はちゃんと食べて欲しいけれど、歳だからそんなに食べられないっていつも言い訳をする。お酒は入るのに。
ちなみにここでの飲食も無料で、花月亭は倉庫から集められた材料が調達される。
仕事終わりに寄ってご飯を食べて帰る人は多い。働いた後に食事の準備をしなくて良いなんてなんとも優しい。
花月亭は村民の拠り所でもあり、健康の重要拠点でもあるのだ。
村の中といえど夜は魔物が入り込まないという保証はないので、花月亭では配達制度もある。特に小さい子供がいたり、病気を患っている家族がいる家庭の場合は、エレサさんが食事に来ている自警団員を捕まえて、食事の配達を依頼をしてくれる。
この周辺か北側の配達先だと、私かキツキが「怖いものなしでしょ」と時々配達を頼まれる事がある。配達は良いけれど、スライムにも負けるかよわい私が強者側だと思われている事実に、私は未だ納得をしていない。
「はーい、お待たせ〜」
花月亭を手伝っている看板娘のアカネさんが、ほっかほかの料理を運んでくる。
「あっついから気をつけて食べてね!」
アカネさんは可愛い働き者のお姉さんだ。
結んだ赤茶色の長い髪を揺らし、スタイルも愛想も良い彼女の眩しい笑顔を見れば、今日の嫌な事も全部吹き飛んでしまう。疲れと一緒にキツキからの注意も一緒に吹き飛んでいきそうだが、きっとそれは気のせいではない。
そんな私の大好きなお姉さんなんだけど……。
「あれ、アカネさん。少し太りました? 健康的で良いですね」
「あら、キツキは身長が止まったんじゃない? 男の子はまだまだ成長期なんだから、好き嫌いしていたら駄目よ?」
……始まった。
私はキツキをチラッと見る。
無表情が標準なのではないかと思うほど普段は表情のないキツキが笑顔だ。別にアカネさんの事が好きという訳ではない。これは似非笑顔。作り物の笑顔だ。無駄に顔をキラキラさせ、そんな笑顔をアカネさんに向ける。
今日は笑顔で対抗するのか。
二人の間には無音の試合の鐘が鳴った。カーン。
「だから、魚料理を選んだんですけど?」
「ふふ、骨まで食べてね?」
アカネさんの言葉にキツキはたじろぐ。そりゃ魚の骨は調理されてても食べ辛い。骨に良いからと言われても、コエダおばちゃんが時々作ってくれる炒めた骨を粉砕したふりかけ状にして、やっと食べられる。
同じ事を考えているのか、横にいるキツキの顔も青い。丸々の焼き魚をじっと見つめる。
「お、俺の身長はこれからですけど、アカネさんはもう後がないんじゃないですか?」
お、開き直った。
「これからと言ってだいぶ経つけど、セウスには追いついたのかしら?」
アカネさんは余裕綽々と首を傾げて余裕の笑顔を作る。対するキツキの眉間には皺が刻まれ、不機嫌面が押し出されていた。
………早かったな。
どうやら今日の決着はもう着いたようで、キツキが返り討ちにあったようだ。
看板娘の笑顔も口もそう簡単に負けるはずがない。
キツキの背はそう低いとは思わないけれど、セウスと並ぶとそりゃ低い。
気にするところの目標が高すぎるのだ。
アカネさんとキツキがいつからこうなったのか、何故こうなったのかは覚えていない。花月亭に来ると、日課のようにどちらかが仕掛けるようになったのだ。
アカネさんはどうやら満足したようで、キツキを横目で見ながら笑顔で厨房に戻っていった。
頬杖をつきながら悔しそうな顔でアカネさんを見送ったキツキが、渋い顔でいただきますと目の前の料理を食べ始めたので、二人の勝負を見学していた私も一緒に食べ始めた。
今日の私の収穫を考えれば、過ぎるほどの料理だったから感謝しながら食べる。
おいしい、ありがとう。
美味しいご飯を頬張りながら、幸せに浸る私は横にいるキツキをチラッと見る。
危険だけど、収穫が確かな北の森に狩りに行きたいとキツキが言い出したのは、村で受け取る恩恵に見合う成果を出したいのだと思っているからだろう。私もそう思う。
産まれるのが一刻も変わらない双子の兄だけど、無関心そうな顔をしながら、いつも周囲のことを考えて行動するところがある。キツキのそういうところは尊敬する。自分の足元だけを見て、セウスに振り回される私とは大違いだ。
帰ってからおじいちゃんに言われた事を、頭の中でグルグルさせると、未熟と言われても仕方ない事をしたなと落ち込んだ。
「キツキ、今日はごめんね」
ポツリと言葉を溢すと、ご飯を飲み込んだキツキは固まる。
「何だ、人格の変わるキノコでも入っていたか?」
考え方は大人だが、素直さがない。やはり双子かもしれない。
じろっと睨む私を見ながら、キツキは可笑しそうに笑うと、私の頭の上に手をポンッと置いた。
「いつもの事だから慣れてる。明日は寝坊するなよ。あと、単独行動は禁止な」
「うん、わかってるよ」
「あやしいな」
キツキの目元が笑う。ホント、キツキも素直じゃない。
「今年の漂流者は二名だったみたいで、例年通りですかね」
「そうか。定期的に現れるな。そういえば漂流者の国の名前は聞いたのか?」
「一人はカラキタ国と言っていたらしいですが」
「……知らんな。まあ、なんであれ、森で魔物に殺されずに村を見つけられたのは幸運だろう」
おじいちゃんとノクロスおじさんはお酒を飲みながら、村の情報共有を始めた。
『漂流者』………ある日突然森にいて、どうしてそこにいるのかどうやって来たのか、そして帰る先もわからず、ただただ森を彷徨っていることから村ではそう呼ばれるようになった。この村では漂流者だったか、もしくは漂流者の子孫だけで半数以上いる。元から村に在籍しているのは村長の家系ぐらいではないだろうか。
そもそもおじいちゃんとノクロスおじさん、そしておばあちゃまも元は漂流者だったそうだ。村の人に聞いた事があるが、あまり詳しくは知らない。今は亡きセウスのおじいちゃんが村長をやっていた時の話らしいので、結構昔の話だろう。
「そういえば、明日はどうするんだ二人とも。また二人で狩りに行くのか?」
さっきまで難しい話をしていたおじいちゃんとノクロスおじさんは、急に私達に興味が出たのか、こちらを向いている。
「ええ、おじいさま。明日はセウスさんも同行してもらって北の森に行こうと思っています」
キツキが答えると「セウスと?」と、おじいちゃんとノクロスおじさんは驚いた顔を見合わせた。
そりゃ、さっきまで騒動を起こしていた私とセウスが、明日一緒に狩りに行くだなんて、問題を引き起こす火種にしか思えないよね。私もそう思う。
私は悶々としていたけど、面倒をかけたキツキの顔を立てるために、口を閉ざして静かに聞き耳を立てていた。
「そうか、セウスなら足手纏いになることはないだろ。あいつは大丈夫だ。まあ、あとはヒカリとの、な」
ノクロスおじさんは苦い顔をしつつ私を見る。セウスの肩を持つような話し方に少しカチンとするけれど、おじさんとセウスの関係を考えると仕方がないのかもしれない。ノクロスおじさんは意外と弟子馬鹿だな。
「んん、北か。そうしたらヒカリ、明日は弓でも持っていくか?」
おじいちゃんは心配した面持ちで聞いてくる。
「やめてください。魔物の前に、ヒカリの流れ矢で絶命しますよ。危ない」
キツキが真剣な顔で横槍をいれる。なんて失礼な。
私とキツキは、小さい頃からおじいちゃんに武術を習っている。村の中は一定の安全はあるものの、必ずではない。私は最初から剣はどうも不向きで、習得できたのは棒術と弓ぐらいだったが、キツキが言うように弓も優と言うわけではない。なので私は何も持たず、網と魔素だけで狩りをしている。
村の子供も、7歳から「学校」に入ると、武術も必須科目として一定レベルまで鍛錬させられる。そこで自分の得手不得手を知り、武術が得意な子供は、自警団員か狩人になる子が多い。
キツキとセウスは常に剣の上位成績者だったから、彼らがいつも持ち歩いている武器は剣だ。ちなみに、村では剣の使い手は、村ではモテることが多い。顔ではないと思う、多分。
私は魔素さえ使えればなんとかなると思って、キツキとスライムハンターを始めたが、少し考えが甘かった。スライムには物理以外の攻撃はあまり効かない。更に私は火と風の魔素が主なので、余り意味を見出さない。魔素はあくまで捕縛する手段として使っている。
そろそろ魔物ハンターか、倉庫から依頼された素材を森から集めてくる採集ハンターとして転職を考えた方が良いのかもしれない。
双子だけど、武術も魔素の能力も性格も分かれているのなら、似通っているのは容姿以外何もないな、なんて横でご飯を食べているキツキを横目で見た。
そんな時、チリーンと花月亭の玄関の扉が開く。扉からは、初老ぐらいの茶色髪に白髪の混じった人の良さそうな男性が入ってきた。
「やば……」
私は不味いものを見たかのように顔を顰めると、視線をそーっと逸らす。キョロキョロとしたそのおじさんは、私達を見つけると嬉しそうな顔で近付いてきた。それにおじいちゃんが気付いたようだ。
「おお。これは村長」
「オズワードさん、こちらでしたか。それにノクロスさんも。ご自宅に行ったのですが、誰もいらっしゃらなかったの、でこちらかと思って寄ってみました」
私は視線だけではなく、体も村長とは反対方向へと向けた。村長は今日の火柱の原因となったセウスの父親でもある。そんな私の後ろめたい心に気付いたのか、隣のキツキは私の行動を呆れた顔で見ている。
「村長、今日はうちの孫娘がご面倒をおかけしたみたいで、申し訳なかった」
「はは、息子に聞きましたよ。仲が良いみたいで」
村長は笑いながら立ち上がったおじいちゃんの腕をポンポンと叩く。セウスから今日の話を聞いたのなら、息子の服が焦げていたのを見ただろうに、どうして私と仲が良く思えるのだろうか。とても不思議だ。
遠ざけてるんですよと伝えたかったが、今日だけはセウスに関しては口を閉ざすつもりだ。
「オズワードさん、前からお願いしている話ですが、その後いかがですか?」
村長がニコニコしながらおじいちゃんに質問してきたのだが、おじいちゃんはそれに対して、どこか困ったような顔をした。
「あ、いや。今はその話はどうかご勘弁ください。また明日、お宅にお伺いします」
おじいちゃんのその返事に何を思ったのか、村長はチラッと私を見た。
「もしや、まだ話されていないのですか?」
「ええ、まだ早い話だと思っていましたし、今日も問題を………」
「いえいえ、こちらは問題なんて思っていませんよ。ですが……、そうですか。わかりました。少し待ちましょうか。私も楽しみにしているんですよ」
「はぁ」
おじいちゃんは気の抜けた声を出す。それとは反対に、村長はとても嬉しそうな顔をしながら、ではと言って会釈をすると、店を出て行った。
一体何の話だったのだろうか。また村の新しい櫓の増設か灌漑工事の音頭でも頼まれたのかな?
でも、おじいちゃんは歳だし、最近腰も痛いって言っているから、そう易々と工事の指揮なんて受けられないよね。
大変だなぁなんて自己完結した自分とは反対に、キツキはノクロスおじさんにコソッと質問をする。
「何の話ですか?」
「あー、その、なんだ………」
ノクロスおじさんの歯切れがどうも悪い。そして珍しく目が泳いでいる。おじさんのその様子が気になって、内緒話をしている二人の方向へ私は半身をゆっくりと動かす。
「ノクロス!」
おじいちゃんがおじさんを取り囲もうとする私達の動きに気付いたのか、一喝する。ノクロスおじさんはおじいちゃんの顔を見ると、気まずそうに両手を挙げた。
「いえ、私は何にも知りませんよ。何もね」
その姿を見て、キツキと私は目を合わせたまま無言になる。
ホントなんだろう。
ノクロスおじさんを睨みつけるおじいちゃんと、手を上げたまま無言になったノクロスおじさん。
気になるけど、これ以上二人は教えてはくれなさそうだ。
<人物メモ>
【村長】
ナナクサ村の村長。セウスの父親。
<更新メモ>
2024/01/13 人物メモの更新
2022/11/02 加筆、用語メモの削除