立待月 裏 ーシキ視点
「ヒカリ、一緒にならないか?」
目の前に飛び込んできたのはとても衝撃的な場面だった。
何を言ってる?
組んでいた腕は解け、目は二人を凝視する。
花を添え、墓場から立ち去ったが、様子が見える場所で木に寄りかかりヒカリを待っていた。
彼女の気持ちに切りがついたら、早々にオズワード殿の遺言を実行するつもりでいたのだが。
ヒカリとセウスが二人きりになった時に思いもしなかった事が起こった。
彼は既に彼女とは破談になっていると思っていたが。
今更何を。
だけど、ヒカリもセウスの抱擁を解こうとしない。
それどころか断りさえも入れない。
彼が抱擁をしたまま、二人の時間が止まったかのように動かなくなってしまっていた。
心音が警告のように痛いぐらいに早鐘を打つ。
このままでは………。
焦りと共に足早にその場を去った。
「ノクロス殿。今、少し良いでしょうか?」
自警団員と相談中のノクロス殿に声をかけると、団員とは一度話を止めてこちらの話を優先してくれた。
二人で団員から少し離れる。
「本日中に、村の重役を集めていただけないでしょうか。ヒカリを連れて明日出発します。あと、明日早朝、馬をお借りしたいのでその手配をお願いします。私は今から荷物をまとめて、工房の後に花月亭に向かいます。夕方までには準備をお願い出来ますか?」
早口で用件を伝える。
ノクロス殿はその様子に少し驚いたものの、すぐに承諾してくれた。
オズワード殿が亡き今、ここで足踏みをするわけには行かない。何よりもヒカリの気持ちが止まってしまうことだけ、彼女が村から出ないと言い出すことだけは防がなくてはいけない。
キツキとヒカリの国への帰還はオズワード殿の積年の願いで、今や遺言でもある。
ノクロス殿もオズワード殿が俺に託した遺言の内容は承知の上だ。
だけどご本人が亡くなられた今、俺がそれを村に言ったところで信憑性なんて薄い。だから時間をかけてしまえば、様々なものに遮られて、動き出すことすら出来なくなってしまうだろう。
キツキがいなくなった今、絶対に彼女を国に連れて帰りたい。
ノクロス殿に依頼をするだけすると、今度は借家へ急いで向かう。
その途中、ヒカリが墓地から帰ってくる姿が見えた。
目はぼんやりとし、少しふらつきながらも道端に転がった崩れた塔の残骸を避けながら歩いてくる。
足を止め、門の前でヒカリのその様子を見ていた。
あのあと二人はどうなったのだろうか。最悪の結果になっていなければいいが。
なおもヒカリの顔色はすぐれず、何を考えているのかわからない虚ろな表情。
祖父の葬儀だったのだから、仕方のないことだ。
ヒカリがそんな状態で正常な判断が出来ているのかも判らないのに、セウスが余計なことを言い出したのだから俺の心中は穏やかではない。
彼女をこの村に置いていくわけにはいかない。
彼女は俺に視線を向けることなく、門を開けようとする。その挙動に焦る。
目の前にいたはずの俺を無視しようとしていた。
「ヒカリ、明日出発出来るか?」
「わからない」
焦って引き止めようとするあまり、単刀直入な言葉しか出てこなかった。それでなくても、話の途中でさえ彼女は足を止めようとさえしなかったのだ。
彼女は話す間も俺を一瞥することもなく家に入っていった。
どうやら状況は最悪なようだ。
このまま黙ってヒカリの手を離す訳にはいかない。
彼女は大事な………。
借家に着くと、オズワード殿から預かっていた小包を、準備しておいた鞄に詰め込む。
成功失敗関係なく自分はここには残らないだろう。いや、残れない。
必要なものを持ち出すと、鞄を肩に背負ってそのまま今度は工房へと向かった。
「コエダさん」
そっと工房の扉を開ける。
「あら、シキくん。どうしたの、その荷物?」
少し疲れた表情のコエダさんは、俺の肩に担いでいる荷物を見て問いかけてくるが、しばらくすると荷物の意味がわかったようだ。
「そう。もう行くのね。明日?」
「その予定です。最後のご挨拶と、お願いしていた二人の外套とスライムの革布を取りに来ました」
コエダさんは少し間をおくと、キツキの分も持って行くのか質問してきた。キツキの生死はわからないが、そのままここに置いておくと、コエダさんが余計に辛い思いをしそうで、こちらで引き取ることにした。
あの夜、キツキの身に起こった出来事は既に聞いているだろう。
コエダさんが尊敬していたオズワード殿と可愛がっていたキツキがいなくなって、更には俺がヒカリを連れて村を出ると言っているのだから、自分は相当に酷なことをコエダさんに言っている自覚はあるのだけれど。
だけど。
ぎゅっと口を真横に結ぶ。
コエダさんは俺の返事を聞くと、言葉を詰まらせながらも奥へ行き、荷物を取ってきてくれた。丸められた革布と、両手よりも大きな包みが二つ。それと両肩から背負える大きな鞄だ。
「これは?」
「こっちの方が沢山持てるし動きやすいでしょ? スライムの皮布も丸めて留められるようにしてみたの。二人の外套と、シキ君のその鞄の中身もここで入れて行きなさいな」
「ありがとうございます。何から何まで」
「ヒカリを、よろしくね」
「ええ」
コエダさんが安心できるよう、精一杯笑って見せた。
コエダさんの気持ちが落ち着くまでの間、とりとめのない話をしていた。
そんな時、不意に工房の扉が開く。その音にギクリとした。
しまった、セウスか?
そう思い、身構えると入ってきたのはノクロス殿だった。
「ああ、ここでしたか」
彼の顔を見て強張った表情を緩めると、安堵の息を吐いた。
セウスにこの荷物を見られたらただでは済まないだろう。数人を除いて村の人達には内緒で準備をしてきたのだから。
今更計画を壊されるわけにはいかない。
ノクロス殿はコエダさんが近くにいることを気にしてかチラチラと見ていたが、既に知ってると伝えると、意外そうな顔をしたものの、そのまま話し始めた。
「必要な人間に声をかけました。夕刻には花月亭に集まるでしょう。それと馬も明日までに準備できそうです。私も同行して馬を引き取りましょう」
「助かります」
「いいえ、こちらこそ。我々の長年の望みです。成功と無事を祈っています」
「ありがとうございます」
ふと背中に重みがかかる。話を後ろで聞いていたコエダさんに、泣かれながら抱きつかれていた。
夕刻、ノクロス殿にお願いしていた人員が顔を揃えた。
もちろん、村のキーマンであり次期村長のセウスもいる。
工房で揃えた荷物は見つからないように、厨房で預かってもらった。
「全員揃いました」
ノクロス殿がこそっと耳打ちする言葉を聞いてふうっと息を長く吐き出す。
………さて、始めようか。
顔を上げると立ち上がった。
「お忙しいところ、ありがとうございます。
大事なお話があり、集まっていただきました。
明日、私はオズワード殿の孫であるヒカリを連れ、オズワード殿の故郷に連れて帰ります。
これは連れ去りではなく、故オズワード殿の遺言だという事を知っていただきたくお集まりいただきました。
勿論、オズワード殿にもヒカリ本人にも承諾済みです。そしてキツキも承諾済みの話です」
周囲がざわつく。当然の反応だ。
それにセウスの反応も。
顔を真っ青にさせて、信じられないものでも見ているようかの目でこっちを見ている。
「どこに帰るというのだね」
苦い表情をした村長に聞かれる。
「我々の故郷としか言えません。ここからどこかと言われても確定して言えるほど確信もありません」
そう、まだ位置的には予測の段階なのだ。
そこから先はどうしても一度きりの挑戦になるだろうと実行が出来なかった。一か八かの賭けに近い状態だ。
しかし、自分の中にはある程度の確信はある。それ意外どうしても考えられなかったのだ。
思っていたよりもそう遠くない所に飛ばされていると思っている。
「遺言だとしても、目的地もはっきりしない場所に連れ帰らないといけないのか? そもそもどうやって帰るつもりなんだ?」
顔を顰めたセウスが、平静を保ちつつも普段より荒い声で聞いてきた。
そう、駄目なのだ。
俺一人帰ったところで一時的な緩和で、根本は何も解決しない。
キツキとヒカリが………いや、キツキがいなくなった今、ヒカリがどうしても必要なのだ。
それでなくても今回は俺も消えている。
国の状況は一歩手前まで来ているはずだ。
「急ぎ帰る必要があります。場所についても方法についても、確実でもありませんが不確実でもありません。これは遺言だけではなく、オズワード殿とノクロス殿の名誉を守るためでもある事をどうかわかっていただきたい」
「そんなの認められない! 何を考えているんだ!」
セウスがテーブルを拳で叩くと、場は静まり返る。周囲は普段は品行方正なセウスの苛立った態度に驚いているようだ。
こうなることはわかっていた。
だから、彼らが納得しなくて良いとも思っていた。
必要なのは彼女が村からいなくなる理由が“家出”でも“誘拐”でもなく、“故人の希望”という事を伝えたかった。
こちらを仇敵のような目で睨みつけてくるセウスから視線を逸らす。
「話は以上です」
「まだ終わっていない!」
セウスは喰らいついてくる。目にはヒカリへの執着が滲み出ていた。
面倒だな………。
そう思っているとノクロス殿が一歩前に出る。
「シキ殿からの話は以上です。あとは私から必要があれば説明をしますので私に聞いてください。今日はこれで。セウス、ちょっと」
ノクロス殿はそう言ってセウスを花月亭の中庭に連れ出した。集まった人たちは若干の不安や不満があるようだったが、それ以上の強い言及はなく解散となった。
疲れた。
誰もいなくなった集会席のテーブルを見ると立ち上がる。
階下に降りて厨房と向かい合わせのカウンターに行き、二人分のお弁当を頼んだけれど、いつもは元気な声を返してくれるエルサさんとアカネさんが心配した面持ちで、先程の話は本当かと聞いてきた。
聞こえてしまっていたか。
「聞いたままですよ」
そう答えるとエルサさんに少し待っててと言われ、言われるがままカウンターの席に腰を下ろした。いつも以上にてきぱきと動き出したエルサさんの姿を目で追う。
待っている間、アカネさんに話しかけられて世間話をしていた。あんな話を聞かせてしまった後なのに、普段通りに接してくれる彼女の態度に安心した。
その間、中庭からはノクロス殿とセウスの言い合いが微かに聞こえてくる。
本当に面倒だな。
素直に納得はしないと思っていたが、やはりか。
帰郷の妨害だけは困るな。
例えば、ヒカリを夜のうちに連れ去られたり、隠されたり。
彼のさっきの様子を鑑みるにありえない話ではない。
対策はしなくてはいけないだろうな。
首に手を当てると、頭を少し傾けて遠くを見た。
アカネさんから荷物とお弁当を受け取ってお礼を言うと、体を翻してヒカリの元へと急ぐ。
玄関をそっと開けてオズワード殿の家に入ると、どこもかしこも暗い。屋根に開いた穴から溢れる月の光だけが頼りだった。
荷物とお弁当をお茶請けのテーブルに置くと、目の前にあった長椅子に深く沈む。
「ふう……」
本番はこれからだ。
そこから顔を上げると、屋根に空いた穴から星も見えた。
カタンと上から音がする。
入ってきた音に気がついたのだろうか、薄らだがヒカリが部屋から出てきているのが見えた。
その瞬間、不意に周囲が明るくなる。彼女が火魔素で周囲を灯したようだ。
「花月亭から夕食を分けてもらってきた。一緒に食べない?」
花月亭で受け取ってきた包みを持ち上げて見せると、少し戸惑ってはいたけれど、彼女はゆっくりと階段を降りてきてくれた。
良かった。ほっとした。
お昼の時のように無視されるのではないかと少しヒヤヒヤしていたからだ。
彼女と食事後、夕刻に村の役付き達に話をした事を伝えた。
「少し、考える時間はある?」
「……あまりない」
「明日の朝、返事でもいい?」
本当は今すぐに決断して欲しかった。一緒に行くと。
でなければきっと。
今朝見たことがあと一度でも起これば、きっとヒカリはセウスに連れていかれるだろう。
それだけ今の彼女は不安定で弱い。
「今日はここに泊まるから」
絶対に二人を引き合わせるわけにはいかなかった。
絶対に。
涙ながらに渡されたキツキの布団を体に掛けながら長椅子に横になろうと靴を脱ぎ始めていた。
元気のないヒカリと別れてから暫くして、威勢よく彼女は部屋から出てきた。
「北東に行きたい。キツキを探しに行きたい!」
彼女は慌てて降りてくる。さっきの顔とは打って変わって嬉々としていた。あまりの変貌ぶりに何が起こったのか分からなかった。
椅子から立ちあがろうとした瞬間、突撃された。
どうしたんだ、一体。
ヒカリを落ち着けて、彼女の話を聞き出す。
キツキの魔素と交換した事を説明され、彼女は北東に行きたいと懇願する。
彼女の手から流れ出る氷魔素は北東というよりは東北東を指していた。
東北東……。
思いもよらない僥倖だった。
「なら、キツキを探しに北東に行くかい?」
彼女が輝くばかりの笑顔を見せた瞬間、心の中に集まり始めていた不安が溶けて消えて行くのがわかった。
これでヒカリは村を出て国に近付いてくれる。
キツキを見つけて、なんとか国まで辿り着ければ、すぐに助けがすぐにくるだろう。
あとは………。
「何であんたがここにいるんだっ!!」
「君が来ることを予想しててね。昨晩からお邪魔させてもらっている」
目の前には怒りに満ちたセウスの顔。
やはり、油断も隙もなかった。
この瞬間ほど人生で安堵した事はなかった。
<人物メモ>
シキ・・・・・森の中を漂流していたところ、偶然にもヒカリ達に出会った。オズワードとの約束や事情があり、ヒカリを連れて国へ急ぎ帰りたい。
セウス・・・・村人からの人望の厚い村長の息子。ヒカリに結婚を申し込んだが断られている。普段は品行方正なのに、ヒカリのことになると感情的になってしまう。
キツキ・・・・ヒカリの双子の兄。魔物襲撃の夜に巨大スライムに飲み込まれた。
ヒカリ・・・・キツキの妹。魔物襲撃の夜に祖父のオズワードを亡くし、兄のキツキも失った。
オズワード・・キツキとヒカリの祖父。魔物襲撃の夜に最後まで巨大スライムに矢を放っていた。スライムに塔を破壊されて死亡する。シキにとあることをお願いしていた。
ノクロス・・・オズワードの昔からの友人。剣の達人でセウスの師匠でもある。オズワードと一緒にシキを手伝ってくれる。
<更新メモ>
2022/01/05 加筆