陰影の絶望3
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ー 村中心より西 キツキ ー
村人の避難はほとんど終わったようだ。
あとは残り数軒の確認だけだと聞いて、村の中心にはまだ魔物が入り込んでいない状況を考えると、あとは自警団に任せて大丈夫だろうと判断した。少しの間離れますと自警団員に伝えると、俺は気になっている村の西側の様子を見たくて、中心地を少し離れて更に西側まで移動した。
大丈夫だろうか。
いまだ警報は鳴り止んでいないのに、ここからでは時々光る稲妻の閃光しかわからない。先程よりも頻発し始めたシキさんの雷光に少しずつ胸騒ぎを覚える。
あのシキさんが止めどなく魔法を発動させるほど魔物の数が多いのだろうか。
怪我人は出ていないだろうか。
心配で顔は歪み、手には拳を作る。何も出来ない悔しさからかこんな状況にもかかわらず、視線は下を向き始めていた。
セウスさんからの何が起こるか分からないから中央に留まるようにとの指示を苦々しく思っていた。だけどそんな彼の指示が的確だったのだと思い知らされる事態がやってきたのだ。
ズドドドーーーンッ
突如村に響いた轟音にはっとして、下がっていた視線を上げる。
地響きのような振動と共に何か大きなものが壊れた音がこだました。
見渡すと、遠くうっすらと南西の塀近くで異変があったのが見える。
……何かが動いている。
まさか塀を壊されたのか?
もしそうなら、魔物が雪崩込んで来る。
走って南側に移動し、先日スライム合体をしていた倉庫の空き地で足を止めた。異変のあった塀と村の中心までの最短距離を遮るようにしてその場所を陣取ったのだ。
あれは?
月明かりのもと、巨大なスライムが地響きと共にゆっくりと進んでくるのが見える。その前方には大量の魔物の群れがスライムを牽引するかの様に村の中心に向かって直進して来ていた。それを見て実感する。
やはり塀が壊されたのか。
大量の魔物の中から足の速い魔物だろうか、あっという間に近付いて来た集団があった。
「はっ!」
体の中を悪寒が巡る。初めて見る光景だ。
こうも簡単に村の防衛を壊されるとは思ってもみなかった。
魔物の大群に向かって真っ直ぐ一直線に地面から剣のように尖った氷山を繰り出し巨大スライムまで走らせる。
前方にいた魔物のほとんどは消え失せたが、夜のスライムには効果は無かった。それどころか剣山のような氷山に乗り上げると、氷山は音もなくその鋭さも山も消された。
やっぱり吸収されたかな。
夜のスライムか……。
魔素は効かないし、魔法だって効かないだろう。
その上巨大だ。
こちらの分は悪い。
俺は鞘から剣を抜く。
どれだけ効果があるかわからないが、やるしかないだろう。
このままでは村が破壊される。
トドメは刺せなくとも、スライムの分裂だけでも促したい。
スライムを見据えて走り出そうとしたその時だった。
「こっちはダメよ! あのお兄さんの所まで走って!」
不意に後ろからヒカリの声が聞こえた。
振り向くと、ヒカリが逃げ遅れていた子供の背中を押しているのが見えた。そんなヒカリのその背後を、先程の氷山から漏れた獣型の魔物がヒカリ目掛けて走って行く。
俺はヒカリを狙っている魔物に向かって氷の刃を放つ。
氷の刃はヒカリの真後ろにあった建物の壁に魔物と共に突き刺さった。
俺に気がついたのか、ヒカリがこちらを向く。
「怪我はしてないな」
ヒカリの無事を確認すると安堵の息が漏れた。
でもその直後、こちらを見たヒカリの顔は青白くなり、必死に俺に向かって何かを叫んでいた。
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ー 村の中心地 ヒカリ ー
ラスカさん達と同行して花月亭まで来た。避難場所の学校までは目と鼻の先で、自警団員の姿もちらほらと見える。
「気をつけて」
ここまでくれば大丈夫だろうと私は二人から離れた。南側はもう住民はいないはずだ。
花月亭の周辺は店舗とそれを囲うように所狭しと住宅が建っている。
どこの家も明かりはついていたりするが、静かで声は聞こえない。
全員避難が出来たのだろうか。
花月亭周辺から東側の避難は終わったと道にいる自警団員に聞くと、私は西側に向かった。
西側ではまだ自警団員に付き添われて避難途中の家族もいた。みんな小走りに学校へ向かう。
自警団員を捕まえ、まだ終わっていない家を聞くとあと二軒残っていた。
「私、行ってきます」
確かこっちに赤ちゃんと数人子供のいた家があったはず。避難に遅れていなければいいが。
一軒目をノックするが反応がない。
既に退避したのだろうかと思ったけれど油断は禁物なので、失礼しますと玄関ドアを開けて家の中に人が残っていないことを確認した。この家は大丈夫だ。
次の家をノックする。
反応はない……が。
「…ら、待ちな……」
微かに家の中から声が聞こえた。
「失礼します、開けますよ!」
私は返事を待たずに玄関を勢いよく開ける。
まだ避難が終わっていない家族を発見した。小さい子がいるのはこの家だったか。
自警団員の家族だ。
お父さんは緊急事態に駆り出されているのだろう、やはりお母さん一人で小さい子に手間取っていた。
手にはまだ小さい赤ちゃんを抱え、幼い子供二人は、お母さんの緊迫した言葉が伝わったのか伝わらなかったのか、一人は部屋を走り回り、一人は泣きべそをかいてなかなか避難出来ずにいた。
これはお母さんは大変だ。
確かに子供からしたらもう眠い時間でもあって、言うことを聞けないのは仕方ないのかもしれない。
ズドドドーーーンッ!
不意に遠くから鳴り響く不穏な音。
なんの音?!
音を追うように地響きも来る。
これは子供を説得している暇はないと判断した私は、泣いている子供を抱え、走り回っている子供は風魔素に包み強制連行する。
すぐに家を出るようにお母さんに指示をすると、私もその背中を追って家を出た。
外にいた数人の自警団員に声をかけて応援を呼ぶと、抱えていた子供を引き渡す。
もう一人の子供もお願いしようと風魔素を解いたのだが。
風魔素に包まれていた子供は解くや否や家で走り周り足りなかったのか、周囲が駄目だと言う西側に向かって走り出してしまった。
そっちは危ない。
慌てて追いかけるが、子供の前方から走ってくる鋭い牙と爪を持つ獰猛な魔物が見えた。瞬時に複数の魔法円を出して風魔法で切り裂くと、風魔素を使って子供の動きを封じる。
子供は本当に気が抜けない。
すぐに走って追いつき、肩に手を掛けて子供と目線が同じ高さになるまで屈む。
「魔物に食べられるわよ!」
私の顔が怖かったのだろうか、子供は泣きそうな顔になる。
「こっちはダメよ! あのお兄さんの所まで走って!」
強い口調で子供の背中を押す。
魔物か私かのどちらなのかは知りたくは無いが、子供は恐れをなしたようで言われた通りに走り出す。花月亭近くにいた自警団員が子供を保護した姿を見て私は安堵した。
刹那、私の後ろ髪をかすめるかのように氷の刃が後ろの壁に刺さる。
キツキ?
そう思って氷が飛んできた方向を見るとやはりキツキだった。
私を見るキツキの顔はどこかほっとしている。
だが、キツキのその後方頭上には不気味な黒い影が見えた。
あれは……
北の森の洞穴で見た巨大なスライムだった。
キツキ! キツキッ!!
薄黒いスライムは高く跳ね上がり、その巨体を揺らしながら落ちてくる。
「キツキ! 逃げてーーーっ!!」
その瞬間、キツキはスライムの巨体に飲み込まれていった。
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ー 西南西の塀近く シキ ー
右手側にある村の西南西の塀が崩される。
一瞬だった。
巨大スライムに続き、塀の前を陣取っていた魔物達が一気に村に雪崩込んだのだ。
想定していた中で一番最悪の状況だ。
「ちっ!」
思わず舌打ちをする。
後方からも魔物達が一気に流れ込んでくる様相だ。
だが、そんな不利になる状況を捨て置くわけにはいかない。
壊れた塀に向かって魔物達を切り倒しながら駆け寄ると、その壊れた塀の下に魔法陣を敷き詰め一気に放電させ、魔物の群れの侵入を阻害する。
魔法陣から閃光が走ると、魔法陣の上にいた魔物は粉々になり、風に流れていく。
体が一瞬ふらつく。
一気に魔力を使いすぎたか。
それでも幾分か、魔物の群れは通過してしまった。
魔物の雪崩れ込む足を、極力止める事が出来たが、全てを止める事は出来なかった。
口惜しい気持ちでその跡を見る。
その上、魔法陣からの雷を受けながらも、そこを踏み越えようとする魔物までいる。やはりそこら辺の森の魔物よりも強固のようだ。
まだまだ気が抜けない。
呼吸を整える。
先程、塀の代わりに出した魔法陣はそのままに、超えて来た魔物を斬りつけていく。
切りが見えないが、ここで勢いを食い止めなければ村の壊滅は否めなくなる。
ー あの量は半壊ではなく全壊しそうだけどね。
……ヒカリ。
彼女の姿が薄らと目に映ると、剣を握る手に力が入った。
ノクロス殿の剣術は流石だ。無駄がない上に速い。俺と違って剣だけで戦っている彼は魔物に一撃も許すことなくなく消滅させていく。噂通り、流れる様な剣が美しい。
ノクロス殿と目が合う。
「さすが帝国騎士団の騎士様だ」
「ご謙遜を、ノクロス・パルマコス殿!」
口元がニヤついてしまう。
かく言うノクロス殿は騎士団の中でも上級職である近衛騎士だった。
最年少で近衛騎士になり、その剣を止める事が出来る人間はいなかったと伝え聞いていた。
高名なノクロス殿と共に戦えるとは何と名誉な事だろうか。
このような状況でも血が騒いで仕方ない。
それでもお互いに息が上がって来てはいた。
切っても切ってもキリがない上に、いつも森で見る魔物よりも剣に重さを感じる。
そしてどれほどの魔物を通してしまっただろうか。
村が心配になるが塀が壊れてしまったこの場所から目を離す事もできない。
二人とも無事なら良いが。
「ぐっ!」
振り向くとノクロス殿の左肩に鮮血が見えた。
とうとう疲れが来てしまったのだろうか。
「ノクロス殿!」
ノクロス殿の下に二重の魔法陣を敷き、防衛用の雷陣と回復陣を同時に発動させる。
一時的だが立て直すまでには時間が稼げるだろう。
だがこのままではジリ貧だな。
俺に残された魔力もそう多くない。
……一度村の中央手前まで撤退し、キツキ達と合流をするか。
押しつぶされた塀の前を二人だけで守るには、なにぶん範囲が広すぎる。
状況を一向に回復できない焦りが自分の心を惑わせ始める。
「シキ殿! ここを守り通しますぞ!!」
俺の弱った心が見えてしまったのだろうか。ノクロス殿の目は前を向き、立ち上がると剣を魔物に向ける。
ノクロス殿の言葉はここからの撤退はあり得ないと言っているのだ。
息を吐く。
「承知した、ノクロス殿」
それを聞いた自分も迷いを捨て、剣を構え直した。
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ー 西門前 セウス ー
近くの塀が壊される不気味な音を聞いた。
一気に背筋が凍りつくのが分かった。
「西南西の塀が壊された! 巨大スライムだ! 見た事ない大きさだ!」
櫓から声が飛ぶ。
巨大スライム?
もしかしたらヒカリと遭遇したあの時のスライムだろうか。
北を警戒していたのにまさか南西側から出てくるとは。
くそっ!
こんなところで悔やんでいる時間はない。
ノクロスさん達を手助けしようと思っていたがそれどころでは無くなった。村の被害を最小限に抑えなくては。
「スライムはどっちに向かっている!」
年上の自警団員に対する言葉使いを気にしている余裕はもはや無かった。
「村の中心に向かっている!」
「魔物の深追いはするな! 僕は村に戻る」
その瞬間、西南西の壊された塀から溢れてきたであろう魔物の群れが、南門に繋がる巡回道から現れたのが見える。
数が多い上に足が早い。今までは塀で食い止めていた四つ足型の魔物達だ。
僕は雷を真横に繰り出す。粉々になった魔物もいるが全ては止められなかった。だが残った魔物に向かって櫓から矢が飛んでいく。
「セウス、行けっ!」
仲の良い自警団のジェノの声だった。
弓の得意なジェノの矢は一矢も外すことなく魔物を貫く。それに続くように櫓からは自警団が放った矢が次々と飛んでいく。
塀が壊された今、櫓も安全な場所ではない。それでも魔物の群れや巨大スライムが子供や戦えない村人達が避難している村の中心へ向かった今、僕はここには残れない。
「ここを任せる! 絶対に無茶だけはするな!」
櫓に向かって叫ぶと、任せておけと威勢のいい声が響き渡る。
……どうかみんな無事で。
心を決め踵を返すと、僕はスライムを追うように村に戻った。
ポツポツと立っている木々の隙間から村の中に魔物が漏れ出しているがわかった。空は点々と黒く、地は黒い塊が蠢いているのだ。塀が壊された事を実感する。
その先頭は村まで一直線に突き進む魔物の群れで、それに続くように闇夜と月明かりの合間で巨大なスライムが不気味に動いていた。
その群れの前方から魔物の動きと逆走するように、月明かりを反射しながら光るものが走っていく。地面から空に向かって魔物の群れを突き刺しながら、巨大な氷山が山脈を作るように駆け抜けていったのだ。あっという間に先頭を走っていた魔物の軍団は消えた。
あの桁違いの氷魔素はキツキだろう。
本当に頼りになる。
しかし巨大スライムの足止めにはならなかったようだ。
さすがの魔素でも夜のスライムには効かないか。
スライムはキツキの作った氷山の上を難なく踏んづけて進む。
スライムは次第に村の中心地に近付いていく。
………間に合うか。
急いでいる時に、キツキの氷山から逃れた魔物がこちらに走ってくるのが見えた。
「邪魔をするな!」
雷で広範囲に攻撃をする。
ここで足を止める訳にはいかない。
そういえば……。
さっきからスライムの後方からは纏まった魔物の群れが見えない。
まさか破壊された塀の近くで制圧が成功しているのだろうか。
気に入らない奴の顔が浮かぶ。
「助かる……」
前を向く。
西の水路の橋まで辿り着いた。
足元が踏み潰された土の道から石の舗装に切り替わり始める。倉庫裏の空き地が見えてくると同時に薄らとキツキらしき小さな影も見えてきた。中心地まではここからもう少し。
空き地でスライムを叩くか。
このままでは、巨体のまま中心地に突っ込んでしまう。
分裂を促して被害を小さくしたい。あのままでは建物を端から壊していくだろう。
今まで遭遇したことのない大きさのスライムだ。どのぐらいのダメージで分裂してくれるかは予測すら出来ない。だが、このままでは村の崩壊を免れない。一縷の望みがあるのならやるしかない。
道から空き地に向かう。遠く小さかったキツキの姿が次第に大きくくっきりと見え始める。
キツキは急に後ろを向き、氷の刃を真っ直ぐに放った。どうやらそちらの方向に気を取られているようだ。
どうしたのだろうか。
視線を戻すとキツキの後ろに巨大に揺れ動くものが近付いていた。
剣を抜く。
「キツキッ! 避けろっ!!」
巨体を斬りつけるが、少しのめり込んだと思ったら跳ね返される。
あれだけの大きさのスライムでは、渾身の一撃でも分裂を引き起こせなかった。
後方に着地し、しばらくすると異変を感じた。
先程までキツキがいた場所には誰も居ないのだ。
目を見張る。
周囲を見回すがキツキの姿はどこにも見当たらない。
まさか!
まさかだろ?
スライムは村の中心地へではなく、かすめるように進む。そのまま進行方向にあった二階建の住宅を押し崩した。
その手前に、呆然とするヒカリの姿が見えた。
<人物メモ>
ヒカリ・・・・・・・1章の女主人公。キツキの双子の妹
キツキ・・・・・・・ヒカリの双子の兄
セウス・・・・・・・ヒカリに結婚の申し込みを断られたがそれでもヒカリの助けになろうとする。村人からの人望の厚い村長の息子
シキ・・・・・・・・東の森でヒカリを助けた銀色の髪の青年。村で暮らすことになった。どうやら色々と事情がある様子。
オズワード・・・・・ヒカリとキツキのおじいちゃん
ノクロスおじさん・・おじいちゃんの長年の友人。セウスの剣の師匠でもある
<更新メモ>
2021/09/09 修正、加筆(ストーリー変更なし)、人物メモ追加
2021/04/29 画像の追加。文章の追加と変更。ルビの追加。