二人のスライムハンター4
「なんでキツキがここにいるのよ?」
倉庫番のお兄さん達を見送った後、私は倉庫前にあるタルの上に腰をかけて訝し気にキツキに問う。
キツキはそんな私を一瞥すると、私から離れたタルに座ったセウスの腕に光る手を添えた。その手がゆっくりと動くと、赤黒くなったり切れてしまったセウスの怪我が、何事もなかったかのように消えていく。
おばあちゃま直伝の回復だ。
「家でくつろいでたら、塔の上にいたおじいさまが倉庫前で火柱が上がっているって言うから、派遣されたんだよ」
「えっ。もしかして私だってバレたの?」
「ヒカリ以外に、倉庫前を放火する阿呆がこの村に居るの?」
キツキの言葉に、私の口が横に開いたま閉じない。
住人の生命にも関わる食糧が保管された倉庫の前を燃やそうとする人間は、確かにこの村には居ないだろう。いや、居てはいけない。
「必要な時には魔素が使えないくせに、こんな痴話喧嘩に使うなよ。迷惑もいいところ」
「痴話喧嘩?!」
目を丸くする。どこをどう見たらそう思うのか。
「私のハンターとしての腕を馬鹿にされたんだよ?! 私には一大事よ!」
「痴話喧嘩だろ」
キツキは冷めた視線で、ボソッと呟く。
むっかー。
痴話喧嘩ってそもそも仲の良い人同士に使う言葉なのに、私達のどこをどう見たらそう思えるのか。
私達の会話を聞きながら、おかしそうにくくっと笑うセウスに、射殺すような視線を送る。目だけでこの悪魔を消滅させたい。
そんな私を無視して、キツキの光る手は着実にセウスの傷を消していく。治療が終わったのか、キツキはセウスから手をそっと離した。
「ありがとう、キツキ。迷惑をかけたね」
「いえ、こちらこそ。ヒカリがご迷惑をおかけしました」
服が焦げちゃったねと袖を眺めるセウスは、これだけ私が睨んでいるのに、懲りずに私に笑いかける。どうすれば私の殺意が伝わるのだろうか。
「次はもう少し調整してよね」
次回はもっと火力を強めれば宜しいでしょうか。
キツキの手前、これ以上は口を出せずにフンッと顔を横に向けた。
「そうだキツキ。さっきヒカリにも相談したんだけど、明日の狩りに同行させてもらってもいい? 今日は大変だったみたいだから」
相談!
いつしたの、そんなの。
横を向いていた私の顔は、驚きのあまり正面を向いた。
キツキは火柱の原因がわかったようで、困った顔でセウスを眺めていたが、首を傾げて考え込むと急にセウスに同調しだした。
「……そうですね。セウスさんが前方か後方を守ってくれると確かに助かります。ヒカリは考えなしに突進するし、後ろにいれば何の合図もなく脱線しますしね。支援にも限界を感じていました。それに今日は収穫がほとんど無かったですし」
キツキはこちらに冷たい視線を向ける。何度見ても嫌な目だ。
「もし一緒に来ていただけるのでしたら、北の森にある洞窟手前まで行きたいですね。あの辺りは大きめのスライムが時々いるので」
北の森の洞窟とは、村からそう遠くはないが少々危険な地域だ。洞窟の場所は少し変わっていて、岩壁に空洞が出来ている訳ではなく、斜面から斜め下に進むように、地面の中に空間が出来ている。そして洞窟入り口の周辺には、地下で繋がっていると思われる底の知れない洞穴があちこちに出来ているので、狩りをしながら足元にも注意が必要。更に他の森よりも深いためか、魔物が昼間も多く出没するから、多方向に注意が必要となる。だからハンターとしては少し難易度の高い狩場だ。
だけど、周辺には湖や岩山があって、砥石や建築素材に使える質の高い石、それに自然の食材があちこちで採れる。豊かな森に囲まれているせいか、スライムだけではなく、動物や魚だって他の森よりも多く獲れるからナナクサ村の村人は行きたがるが、途中の森が深くて魔物との遭遇率が高いから、採集者一人での行動は禁止されているほどだ。戦闘に心得のある自警団員と一緒に行くか、私達みたいなハンターに倉庫を通じて護衛の仕事を依頼してくる。
ハンターである私とキツキの二人で行くのなら問題は無いところなんだけど、それなのにキツキは悪魔も連れて行こうとしている。
「いいよ。ただ、夕刻に入る前には帰るからね。時間になったら大物がいても深追いはしない事が条件だよ」
「はい、もちろんです」
よし決まりとセウスは満足気に言い、私の存在は無いものとして二人の話が進む。もう自分の意思もなく、おまけの様に二人に付いて歩く明日の私が見える。何と不憫な。
「じゃ、帰ろうっか。遅くなっちゃったね」
周囲を見回してそう言うと、セウスは立ち上がる。
「送っていくよ、二人とも」
笑う悪魔に要らないですと言いたかったが、キツキの心象をこれ以上悪くさせたくはなく、ぐっと手に力を入れて我慢すると、静かに無言で立ち上がった。
このあと家で起こるであろう今日の山場の為に、キツキには味方でいて欲しいという下心があったからである。味方でいてくれる可能性はとても低いが。
歩き出した二人の後ろを気を重くしてトボトボと歩く。
周囲はやはり暗い。
何でこんな時間までセウスなんかと喧嘩していなければならないのか。
本当、自分が不憫でならない。
しばらくすると、とある一軒家の近くに差し掛る。何故かセウスは急に脱線してそちら側に向かって早足で近付いて行く。何だろうと急に脱線したセウスの背中を訝し気な顔を見ていた私とは違い、キツキも何も言わずにそっちへと歩いていく。置いていかれた私は「んもう!」と二人の後を追うと、次第にその柵に誰かが腰をかけているのが薄らと見えてきた。
「よぉ、無事に終わったか?」
その声で影の主がわかった。
ノクロスおじさんが腕を組んだまま、柵に腰を掛けていた。
村の門を開けてくれたおじさんである。
「ノクロスさん、お疲れ様です」
「さっきの火柱はお前達だとは思っていたけどな、やっぱりか。ほどほどにしておけよ。倉庫に実害が出たら庇いきれないぞ」
ノクロスおじさんはセウスの頭の上に手をポンッと置いた。セウスの顔は後ろにいる私には見えないけど、多分おじさんに苦言を言われて苦笑いしているんだとは思う。
空の上からでなくても、火柱の事がバレてしまっていたのか。それはだいぶ不味いな。
ノクロスおじさんと家族は、おじいちゃんを通じてみんな仲が良いけれど、ノクロスおじさんとセウスは師弟の関係だ。セウスがノクロスおじさんに口答えをしたところを見たことがない。剣もノクロスおじさんに教わっていたのを良く目にしているし、多分今もまだ教えてもらっているはず。そういえば、少し前にノクロスおじさんが自分の剣をセウスに譲り渡したと言っていた。良いのだろうか、大事な剣を悪魔にあげて。
「じゃ、俺もヒカリ達について行くか」
ノクロスおじさんが、柵から腰を上げる。
「え、いいの?」
「ヒカリだけで、さっきの火柱についてオズワードさんを納得させる事が出来るのなら、俺は必要ないと思うけどな」
ここにいる誰よりも背の高いノクロスおじさんは体を曲げると、腕を組んだまま悪戯顔で私の顔を覗き込む。
確かに、おじいちゃんをどうやって説得するかなんて考えてもいなかった。
「うう、よろしくお願いします」
もう私の心は陸の上の魚のように絶え絶えである。抵抗できる気がしない。
私たち一行は倉庫からの道を真っ直ぐに進み、村の中心地まで辿り着く。ここまでくると道を照らす明かりがあって歩きやすくなる。
この時間にはいつもいない人影が道にパラパラといたが、私達が倉庫側から現れると、またセウスとヒカリの喧嘩かと納得なのか安堵した顔で皆散り散りに去っていった。どうやら、この辺りの人にも火柱は見えたようだ。最近、村の名物になって来ている感もしなくはない。
村の真ん中に建っているのは村唯一の食堂「花月亭」。煉瓦造りの建物からは明かりと美味しそうな匂いが溢れてくる。
そんな建物の角を曲がるとすぐにセウスの家がある。
セウスが私達を家まで送ると言っていたが、ノクロスおじさんの登場でその役はおじさんに渡ったようだ。ノクロスおじさんが送るのでお前は帰れとセウスは説得され、しぶしぶ頷く。
「じゃあ……ここで。ノクロスさん、二人をお願いします」
「ああ、じゃあな」
「はい」
家に入ろうとしたセウスは、扉の一歩前で思い出したかのように振り向いた。
「あ、キツキとヒカリ。明日は北門の前で待ってるから。日の出の時間に集合だ」
キツキはわかりましたと素直に答えるが、私は無言の返事を返す。私のその様子にセウスは全く気にもせず、おやすみと笑顔で一言だけ言うと、家に入って行った。
家に帰ってすぐに寝れれば良いけどねと私は心の中で不貞腐れる。
「じゃ、行くか」
おじさんに促されて翻って歩き出す。
セウスの家の前から北に伸びる道を進み、緩やかにカーブした道を少し歩くだけで私達の目的地に着いた。そう、セウスの家からさほど遠くない所に我が家があるのだ。
家の門の前で家に併設された塔を、顔が真上を向くほど見上げる。石と材木で出来上がっている重そうな円形型の塔は夜の空に姿を沈め、下にいる私は押し潰されそうな感覚に襲われる。
その重苦しい感覚を受け入れると息を吸う。
気合を入れて家の門を開けると一階の窓には明かりが灯っていた。キツキが消し忘れでなければ、誰かがそこにいるということだろう。
「塔から降りてきてるね」
誰に言った訳でもなく気持ちを落ち着かせる為に出た言葉。それに気がついたキツキはさっさと入れよと私の心情を無視してグイグイと背中を押した。
緊張しながらそっと玄関を開ける。
一歩進むと目の前には木目を基調とした空間が現れる。左手は台所と食卓のテーブル、正面の壁には塔や廊下に続く扉、その右隣にはニ階と中二階に続く階段があり、その側面には長椅子や一人用の椅子がお茶置きのテーブルと暖炉を囲むように置かれている。
一人用の椅子に年配にしては体格の良い一人の男性が座っていた。やっぱりおじいちゃんだった。
おじいちゃんは入ってきた私たちを見ると、立ち上がる。表情は硬い。
近付いてくる足音で私の脈は早くなる。
おじいちゃんは私の前で止まると、一呼吸をおいて口を開いた。
「何か言うことはないか?」
言うこと、言うこと………。
ただいまと言いたいところだけど、おそらくそんな言葉を待っているわけではないだろう。
「…………セウスと倉庫前で揉めました」
おじいちゃんは身動きもせず顰めっ面で私を見ている。
キツキはというと、煙のように私の背中をすり抜けて台所に行き、テーブルにあった果物に手を伸ばしている。
くっ、やっぱり私を放置か。
「揉めただけで火柱が上がったのか?」
「だって」
かくかくしかじかと今日のやり取りを説明すると、おじいちゃんは手を額に当てて深いため息をついた。
「キツキを送り出して良かった。もう少しで倉庫が大火事になるところだった。その意味はわかるな?」
「うん……」
納得しない顔でおじいちゃんの質問に頷く。その意味はわかる。わかるけど。いつも邪魔してくるんだもん。
でも、この様子だと、おじいちゃんは私を叱っているんだとわかる。気落ちしてそれ以上何も言えなくなってしまい下を向く。
「まぁ、今日はセウスの方もいつもより踏み込んだようですから、ヒカリだけが悪いわけではないですよ。火柱は行き過ぎでしたがね」
ノクロスおじさんが横から入ってくる。おじいちゃんは眉間に皺を寄せたままの顔でしばらく無言だったが、硬かった表情を少し緩めると、私の肩に手を置いて諭すように話しかけた。
「いいか。村にいる限りは倉庫とは離れられん。そしてセウスは村長の家系で、このまま跡継ぎになるだろう。セウスなりに、村長の跡を継ぐためにあちこちを手伝いながら学んでいる。特に倉庫は村の財産を担うところで重要な場所の上、住人の生命にも関わる。彼も行かない訳にはいかないだろう」
「うん……」
それはわかってはいる。
「毎日セウスが倉庫に居るわけではないにしろ、居ると思っていなきゃいけない。会うたびに騒動を起こしていては、村がそのうち消滅してしまうよ。気に入らないことがあっても、魔素を使っての抗議は控えなさい」
私は上目使いをして、おじいちゃんの顔を覗く。それに気がついたのかおじいちゃんはふっと優しい顔になったけど私はまた目を伏せた。
自分を一生懸命正当化しようとしたけれど、周りのことを考えない子供っぽい対応だったと今更ながらに思う。
「ごめんなさい、気をつける」
そう言って、もう一度おじいちゃんの顔を見る。やっぱり優しく笑ってる。
「そうだな。まあ、セウスにも少々お小言を言いたいところだな」
困った顔をしたおじいちゃんは、顔を上げるとふぅと息を吐いた。
「あの話も、まだまだ先になりそうだな」
「あの話?」
おじいちゃんと目が合うと、少し焦った様子を見せたものの、いつものように柔らかい表情になって私の頭を撫でる。
「いずれな」
ぽんぽんと頭を叩くと腹が減ったかと聞いてくる。窓の外はさっきよりも暗く、太陽の光はこれっぽっちも見えない。
「二人とも疲れているだろうから、今日は花月亭で食事にするか」
おじいちゃんはノクロスおじさんに一緒に来いと半ば無理やりに誘うと、ノクロスおじさんも断れば良いものの勿論ですよと、同行に笑顔で承諾していた。
<更新メモ>
2022/11/02 加筆
2021/06/06 文法と文章修正