タイムリミット4
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ー 工房前 セウス ー
昼過ぎに工房へ赴く。
工房では今何を作っているのか確認をするためだ。
中サイズのスライムをヒカリ達が訳もなく作っているとは思えない。出来上がったスライムの行先はきっとここだろう。そう思って来たものの、コエダさんに今は何を作っているのか、何か予定が入っているか聞くと、彼女は来年用の生地を織る予定しかないと言い切る。
スライムの“ス”の字さえ出ない。
でも、どうにもおかしい。
コエダさんの肩越しから見える机の上にあるあの型紙は一体何なのだろうか。
コエダさんとは身長差がかなりあるので、肩越しというよりは頭越しと言った方が近く、気になるそれが丸見えなのだが。
でも一向にコエダさんは言い直しをしない。それどころか本当に機織りだけよといわんばかりの顔をする。
気にはなるが、これ以上コエダさんを問い詰めたくなくて、一度出直すことにした。
コエダさんが俺に言えないものとなると、オズワードさんから直接依頼のあったものだろうか。彼女がオズワードさんに弱いのはよく知っている。それにオズワードさんが依頼をしたのなら村に必要なものなのだろう。
そう理解はしているものの、オズワードさんの側にいるいけすかない銀髪の男の姿が浮かび上がると、僕の心は揺れ動く。
あいつが関わっているのなら話は別だ。
工房の扉を閉めた後、倉庫に戻ろうと考え事をしながら俯き加減で歩き出すが、急に視界に男性の脚が映る。
全く気配がなかった。
驚いてバッと顔を上げると、思案の元凶が目の前に立っている。
あちらは僕を冷めた目で見ていた。
綺麗な容姿だけでは飽き足らず、剣の腕も良く、魔力も使いこなし、その上全く隙が見えない。オズワードさんに気に入られ、双子の側にいられる男。
ヒカリの苛つきの原因になる人間。
僕は少し顔を上げ、相手を見据える。
「今、何か工房に依頼していますか? スライムの皮の関連で」
そう聞くと、彼は思い当たる節があるのかピクッと反応する。
「オズワードさんからの依頼ですよ」
「何を作られているのですか?」
「それはいずれ」
どうやら僕には説明するつもりはないようだ。
村では素材を共有している。
それでなくてもスライムの皮の数はそう多くなく、来たばかりの人間がどうのこうのと勝手に使って良いほど潤沢ではない。そればかりか、何を作っているのか、作る理由すら教えてもらえないのに大事な素材や村人の手を勝手に使ってほしくはない。
例えオズワードさんが関わっていたとしてもだ。
「村の素材は共有です。勝手に使っていいものでもないし、ましてやこんな冬が目前の忙しい時期に無理にスライムの皮を得ようとは何を考えているんですか」
男を咎めるが悪びれる様子もなく、飄々とそれはすまないと答える。
その様子にカッとなる。
「気に入らないな!」
「そうですか。では、気に入らないままでいて下さい。私もその方が都合がいい」
男は態度を変えないまま僕の横を通り過ぎようとするが、僕の横まで来ると一度歩みを止めた。
「……一つだけ。そろそろヒカリとの事にけじめをつけられた方が良い。中途半端な行動は彼女を追い込むだけですよ。それはご自分が良くわかっておいででしょう?」
ヒカリを呼び捨てにする男を睨み付けるが、相手は意に介さずそのまま僕の横を通って工房の中に消えていった。
彼女を追い込む……。
今日、倉庫の外にいた兄さんから聞いた話のことだろうか。
それを考えると苦しくなって下を向いてしまう。
どんなに仕事を頑張ったって、他人の心までは制御なんてしきれやしない。
それは自分だって同じだ。
それで彼女に何度も迷惑をかけてきたということだって知っている。
昼間のヒカリの強張った顔が脳裏に焼き付いている。
僕はぐっと目を閉じると、深く息を吐いた。
確かにそろそろ、引き際なのかもしれない。
これ以上、彼女を僕のゴタゴタには巻き込みたくはない。
……それにしても。
気に入らないままでいいとは。
あれはどう言う意味なのだろうか?
彼が何を考えているのか検討もつかず、僕は彼の消えた工房を見入りながらその場に立ち尽くしていた。
****
外が暗くなっていく。
いい加減に行かないとまずいだろう。
私はベッドからだるい体を起こすと、壁にかけておいた服に手を伸ばす。
誰にも会いたくない、そう思って準備を始める。
支度を終えスライムの革布を持って部屋から出ると、階下の玄関先にはちょうど家を出ようとしたおじいちゃんがいた。おじいちゃんは私と目が合うと私に優しく笑いかける。
おじいちゃんは何も言わないけれど、部屋から出て来た私と一緒に家を出ようと思って足を止めていたのが分かった。
私はおじいちゃんに心配をかけたくなくて、笑った。
おじいちゃんは今日はノクロスおじさんと飲む約束をしていたみたいで、花月亭へ向かうようだ。二人とも、セウスからの結婚申し込みの時の騒ぎは一体なんだったのかと思うほど、いつの間にか二人は何もなかったかのように従来の関係に戻っていた。
花月亭に行くのなら私と同じ方向だ。おじいちゃんと並びながら歩く。
空はもう暗い。少し、遅くなりすぎてしまっただろうか。
花月亭前まで来ると、空を見上げる私におじいちゃんは言う。
「お前の事はシキ殿に任せてある。もし何かあればシキ殿を頼りなさい」
おじいちゃんの顔を見るといつもの笑顔だった。私にどういう意味で言ったのかわからないけれど、相当にシキを信用していることだけはわかる。
私を誰かに任せるなんてキツキ以外はないと思っていた。
確かに剣も魔法も出来るが、なぜそこまで彼に信用を置いているのだろうか。
でも。
「おじいちゃん、私は誰にも頼るつもりはないよ」
私は笑顔でおじいちゃんに向いたが、おじいちゃんの笑顔が陰ったのがわかった。心配をしているのだろうけれど、もう他人に頼る事だけはしたくない。特にシキみたいに女性に好かれそうな人は。私はもうあんな事に巻き込まれたくはない。離れていた方がいいのだ。
ごめんなさい、おじいちゃん。
おじいちゃんは花月亭に入らず、私を悲しそうな目で私を見ている。
私は後ろ髪を引かれる思いで花月亭前にいるおじいちゃんに背中を向けた。
目的の場所に到着すると、暗い空き地の中でランタンの明かりに照らされたキツキの姿がうっすらと見えた。
近づくとキツキはスライムの革布を肩からかけて、スライムのいる穴をじっと見ている。
周囲を見回す。
キツキ一人のようで、シキがいなかった事に安堵した。
キツキの覗いている穴を私も上から覗く。
ほどほど深さのある穴なのだが、スライムが時々元気よくぴょんこぴょんこと跳ねてその姿が見え隠れする。
背中にいた私に気が付いたのか、キツキは後ろを見上げると私を一瞥した。
「キツキ、お待たせ。見張りを交代するよ」
笑顔で話かけるがキツキは私を一瞥しただけで、またスライムの穴に目を戻した。
何よ。何か言ってくれてもいいのに。
私はキツキの様子がいつもと違う事に気がついたものの、特に気にも止めずキツキの横に腰を下ろす。
「なあ、今日何かあったか?」
私が隣に座るのと同時に、キツキはそう質問してくる。
今日……何か……。
昼間のハナの怒った顔が思い浮かぶ。多分、ハナのことを聞いているのだろう。
キツキはあの時にはいなかった。にも関わらず、その事を知っているとなるとシキにでも聞いたのだろうか。
次第に私の心は黒くなる。
昼間のハナの言葉が蘇り、私を襲う。
私の顔からは作り笑いは消え、みるみる黒い感情に染まる。
怒りも悲しみもない、何にも興味を覚えない感情。それが顔の表面にも出ていってしまう。
自分の周りに防壁を築く。
誰にも私の心は触れさせないかのように、更に更に防壁を厚くする。
誰にも触ってほしくない。
それはキツキでもだ。きっと全てを黒くさせてしまう。
キツキは私の様子を見るとまた前を向く。
「あまり、人嫌いになるなよ」
「キツキとおじいちゃん以外は誰もいらないよ」
家族以外いらない。
誰も。
全部……消えて仕舞えばいいのに。
キツキは少しだけ息を吐くが、それ以上は何も言ってはこなかった。
晩秋の冷たい夜の風は、顔を伏せたままの私と一点を見詰めるキツキの間をすり抜けていく。
丸くなりきらない月はとても大きく、私達の気持ちとは裏腹に光り輝いていた。
「スライムの融合は始まった?」
後ろから声が聞こえて来たが振り向かなくてもシキの声だってすぐに分かった。
私は両腕で囲んでいた膝を、さらにぎゅっと締め付ける。
「おかえり、シキさん。まだだけど、そろそろじゃないかな?」
キツキはそう言ってランタンを持ち上げて、スライムの入っている穴の中が見えるように照らす。
シキはどれどれとスライムの穴を見ながらキツキの横に腰を下ろした。
「威勢が良いね。夜はいつもこんなに元気になるの?」
「何でしょうね。いつもはこんなんじゃないですよ。確かにいつもよりも動きが激しいかもしれませんね。」
キツキは魔素で石の杭を作り出し、スライムの穴を塞いでいる網の端に更に打ち付け強化する。
それを見ながらシキはそっとキツキの側に体を寄せる。
「ダメそうか?」
「ダメですね。重症です」
二人はヒソヒソ話をしているが、私に聞こえないように話しているところをみると、どうせ私の話だろう。もう放っておいて欲しい。
私は膝の上に頭を乗せ、二人の様子を冷ややかな目で見守る。
これが終わったら私は明日からどうしよう。
キツキに頼んで、また北の森についていこかな。
村には出来るだけ居ないほうがいい。私がいるといつでもどこでも問題を起こしてしまう。
……それとも、シキの言うように村を出てみようかな。
村にいると苦しい上に迷惑なら、私は村を出て違うところで生活した方がいいのかもしれない。
そうすれば誰の邪魔にもならない。
どうやっておじいちゃん達の国に行けるのかな。
行けるものなら一人で行きたい。
誰の迷惑にも邪魔にもならず。
行く方法をシキは知っているのだろうか。とは言っても俺の国に来ないかと言っていたぐらいだから、きっと知っているのだろう。
今度行き方を聞いてみよう。そのぐらいならシキと話をしても怒られないよね?
きっと大丈夫なはず。
多分大丈夫。
多分……。
今日の昼間の出来事が、自分自身の考えにさえ疑心を打ち付けて決められない。
怖い。答えが出せない。
本当にそれで良いんだろうか。また間違えていないのだろうか。
一人で考えるとどんどん深みに嵌っていき、顔を膝に埋めると、奈落の底にでも向かっているかのように私は沈んでいった。
気がつくと、月の位置がだいぶ変わっていた。
どうやらスライムの最後の融合が始まったようでシキとキツキは二人で興味深そうに寝そべってスライムの穴を覗き込んでいる。
本当、ピクニックにでも来た子供のようだ。
楽しそうな二人とは反対に、一人しょげた顔でため息をつく。
早く、終わらないかな。
独りぼーっとして暇を持て余してるとあることに気がつく。
ここには私とキツキとシキの三人しかいないではないか。
もしかしたら他の人がいない今なら、シキと話をしても誰からも非難されずに済むかもしれない。
そう思うと急に気が楽になり、私はへにょっと膝の上に乗せていた頭と体を起こし、丸まっていた体をピーンと真っ直ぐに伸ばす。
「ねえ、シキ」
二人は私が声を出したことに驚いたのか目を丸くして私を見る。
「シキの国はどうやっていくの?」
二人は更に目を丸くする。
「え?」
「え?」
二人の声が重なる。
「昼に、一緒に俺の国に来ないかって言ってたじゃない。だから……」
「はああぁぁっ?!」
キツキが飛び上がると共に、信じられないものを見るかのような目付きでシキを見る。何、どうしたのと思っていると、私だけではなくてシキもキツキの勢いに驚いていた。私はまた何か余計なことを言ってしまったのだろうか。
「ええぇっ?! どういうことですかシキさん! 確かに頼むとは言ったけど、急すぎやしません? 順番があるでしょうに、順番が!」
立ち上がったキツキは、地面にうつ伏せになって肘をついて上半身だけ持ち上げているシキに、よくわからないことを喚く。
シキは寝転んでいた体を起こし、膝を付くとキツキに向く。
シキは私とキツキの顔を相互に見るとキツキの腕を掴んだ。
「勘違いだ、キツキ! そういう意味じゃない」
どうやら三人……いや見ていてキツキだけの解釈が違うようでシキが焦っている。
シキになだめられたが、キツキの勢いは止まらずどういう事ですかと追い討ちを掛けるかのようにシキの頭上から喚いている。
シキはしばらくキツキの勢いに困り果てていたが、何かを思い出したかのように冷静になると私を見る。
「あれ、何。行きたくなったの?」
「うん、村から離れてみようと思って。行ける場所があるなら違う場所で生活をしてみたい」
思いがけずシキは嬉しそうな顔をする。
シキの予想だにしない反応に一瞬戸惑ってしまった。
それにしてもなぜ笑う。
その前にその顔は反則だ。反則顔を向けられた私の顔は勝手に火照る。
シキは笑ったまま「そうか」とだけ呟くが、その小さな言葉を私の耳は勝手に拾ってしまう。自分の周囲に張り巡らせていたはずの見えない壁が、少しだけその声に溶かされる。
よくわからない反応を見せるシキとは反対に、今度はキツキが急に大人しくなっていた。
「お前、村を出たいのか?」
視線を上げると、キツキは先ほどと打って変わって神妙な面持ちで私を見ている。
「だっておじいちゃんとおばあちゃまの国なんでしょ? 全く関係ないところじゃないなら」
今度はシキが反応する。
「知っていたのか?」
キツキは座り胡座をかくと、膝に肘をつけ頬杖をつく。シキを少し見ると、視線を下に下げて質問に答える。
「なんとなく」
「そうか」
シキは急に困った様子で額に手を当てて大きく息を吐いた。
「いずれ伝えなくてはいけないとは思っているが、もうしばらく待ってくれ。全ての準備が整ったらオズワード殿から話があるだろう。それまでは」
伝えるとは何をだろう。そんな万全を期して話をする事などあるのだろうか。
「今回のスライムもその準備に関わってるの?」
頬杖をついたままのキツキはシキを見る。
シキは更に深いため息をつく。
「本当にキツキは勘が良すぎる」
「勘ではなく、観察です」
シキはキツキの返事を聞くとため息をついて俺もまだまだだなと呟く。
それにしても、シキの言う準備とは一体何の準備なのだろうか。
それを待てばシキとおじいちゃん達の国に行けるのだろうか。
その国には行ってみたい。
だけど。
私はまた心に巣食う自己嫌悪の闇に支配される。
誰も側には寄せ付けてはダメだ。
また同じ事を繰り返してしまう。
もう何度もやったでしょうと。
「……一人で行くから行き方だけ教えてくれればいいよ」
「それはさせられない。必ず俺が同行する」
強い口調でシキに咎められる。
「俺もいく」
キツキもややこしい事を口を出す。
二人を見て頭を抱える。本当に放っておいて欲しいのに。
「一人で行けるからもう放っておいて」
心の声が口から漏れる。
本当に放っておいて欲しい。一人になりたいのだ。
シキはそれ以上は何も言わなかった。
「……やっぱり重症だったか」
ボソッと呟いたキツキの声だけが顔を伏せた私の耳に聞こえた。
<人物メモ>
ヒカリ・・・・・・・1章の女主人公。キツキの双子の妹
キツキ・・・・・・・ヒカリの双子の兄
セウス・・・・・・・ヒカリに結婚の申し込みを断られたがそれでもヒカリの助けになろうとする。村人からの人望の厚い村長の息子
シキ・・・・・・・・東の森でヒカリを助けた銀色の髪の青年。村で暮らすことになった
おじいちゃん・・・・ヒカリとキツキのおじいちゃん
ノクロスおじさん・・おじいちゃんの長年の友人。セウスの剣の師匠でもある
<更新メモ>
2021/07/07 前書き削除、改行修正、句点修正、文章修正、加筆(話の変更は無いですが、二千文字ほど加筆したのでニュアンスが変わってるかもです)




