二人のスライムハンター3
コエダおばちゃんに工房から追い出された私は、夕方の冷たい風に晒されながらとぼとぼと一人倉庫に向かい歩く。
工房から倉庫までは近く、この先の十字路を左に曲がればすぐそこだ。
倉庫とはこの村のあらゆる資材や生産物を保管管理している施設のこと。
村の様々な職業の人達は、村の内外で生産や採取してきた品々を一度倉庫に収め、倉庫がそれを必要なところに必要な分だけ配ることで、村全体で共有することが出来ている。
この村には通貨はなく、共有された素材や生産物で生活を営んでいる。
農家や酪農家の生産者、木工所や鍛冶屋などの加工技術者、村の外で採集をする採集者、スライムや獣を狩るハンター、村を守る自警団、村のあらゆる物を管理する倉庫番が村の主な職業だが、それらの職業に貴賎はない。
特別職といえば村長ぐらいだろうか。
二百人もいない村なので大量の魔物や獣に襲われなければ、今のところ上手く運営されていると思う。
先程工房から持たされた種も、倉庫に入れておけば土に詳しい農家に種を回してくれるので、私みたいに常に村の外に出てしまい、植物を育てていられないハンターよりもよほど効率はいい。特に種は貴重な植物かもしれないので疎かにはできない。
得意な人に得意な仕事を回すのだ。それも倉庫番の人たちが仕事として受け持ってくれる。
それに倉庫からは村には今何が不足していて、何を優先して生産ないしは採集して欲しいかの依頼も来る。畑の収穫時期には村中に手伝いの依頼が回るし、ハンターの場合は護衛の依頼も時々舞い込む。
わかっている。
小さな種といえど、倉庫に届ける事はとても大事なことだ。
わかっているから行きたくないこの道を茨を踏むかの如く私は進んでいた。
幸か不幸か、工房からそう遠くない赤茶色の倉庫の前にあっという間に辿り着いてしまった。
ゴクリと唾を飲む。
空は赤焼けから藍色に移り変わろうとしている頃だが、倉庫の内外を照らす明かりが、倉庫がまだ稼働中だということを教えてくれる。
私は半開きになっている扉からそっーと顔を入れ、中に誰がいるのかを確認するが、扉近くには誰もいない。すぐにでも今日の種を倉庫番に渡して撤退したいところだ。
目を左右にを動かしながら人影を探していると、倉庫の奥から荷物を運んできたムキムキな倉庫番のお兄さんと目が合う。私はほっとして、話かけようと中に一歩進んだのだが。
「おーい、セウス。ヒカリちゃんが来ているぞー」
お兄さんはご丁寧にも倉庫の奥に向かって叫ぶ。
いやいやいや! 私はあなたに用事なんですー!
と、叫びたかったけれど時すでに遅し。棚の奥から足早に歩く音を立てながら、もう一人の人影が出てきた。
「あれ、どうしたの?」
悪魔が現れた。
姿がではなく、中身が。
その顔を見た瞬間、脳内には「たたかう」コマンドが最良候補として上がってきたが、もう一人の私が落ち着けと「ようすをみる」を選択した。
「これ、今日捕獲したスライムの落とし物。倉庫に入れて」
私は悪魔に手を伸ばしてスライムの中から出てきた種を手渡す。
悪魔は嬉しそうに手の平に置かれた種を持ち上げて、片目を瞑って種を眺めた。
「あれ、今日の落とし物は珍しくとーっても小さいね。今日はキツキはいなかったの?」
「……いたわよ」
「じゃあ、邪魔でもしたの?」
「してないわよ!!」
むっかー!!
見てもいないくせに、なぜ私はキツキの足手纏い決定なのか。
「ああ、そういえば今朝はキツキが今日はヒカリの補助だって言って村の外に出ていったよね。で、ヒカリだけでハントした結果がコレ、と」
もう片方の手の指で種を突っつく。
私は両手をグッと握り、プルプルと震えるぐらい力を入れる。
我慢だ。ここを我慢すれば今日は平和に終わる。
だけど悪魔のその姿が私の古傷にダメージを与え、秋風で冷えていた体に熱がこもり始めた。
「あ、お前達は倉庫の中で話はやめろ。危険だから外に行け、外」
私達に気がついた倉庫番の年長者に注意される。
なぜ私が悪魔と一纏めにされているのかわからない。私は人ですよ。
「ああ、すみません。そうですね。外行ってきます」
そう言うと種を持っていない側の手で私の腕を取り、悪魔は私を無理矢理外に引っ張り出した。
「あいよ、ごゆっくり」
おじさんが満足そうに言っているのが遠くから聞こえた。
倉庫の外では空が藍色一色になっていた。
悪魔は私の腕を引きずるように引っ張って倉庫から離れていく。
倉庫前から伸びた砂利道の一寸先は暗く、遠くに点々と灯る住宅の明かりだけが私の荒んだ心の支えだ。
倉庫での出し入れは農産物が一番多いためか、畑の多い村の南側に倉庫は建てられている。かと言って村の南端ではなく、村の中心地と南側の畑の間ぐらいにある。つまり周辺はほぼ畑だ。
倉庫前の灯りがなければ街灯も建物もないこの辺りは、すぐに真っ暗な世界に落ちてしまう。そうなる前に早く帰りたい。
だから引っ張られるがまま大人しくしている場合じゃない。私は掴まれていた腕を思いっきり振り払った。
「用事は済んだから帰る」
手を弾かれて反応した悪魔が振り返る。
倉庫前のランタンの灯りが、悪魔もといセウスの姿をふんわり浮かび上がらせた。
私よりも頭ひとつ分ぐらい高い背、倉庫番の屈強なお兄さんたちよりもひと回り細い体、肘まで捲りあげた袖からは細い体とは違ったがっしりとした腕が伸びていた。
そして奴は憎たらしくもニヤついた顔で私を見下しているのだ。
「ああ、そうだね。今日の成果はコレだけだったしね」
笑顔のセウスは親指と人差し指で摘んだ種を私に見せるが、暗い上に小さくてそれがよく見えず、ここでも今日の成果は小さかったと胸を抉る。
「明日も狩りに森へ行くの? 大丈夫? 僕がついて行こうか?」
「は?」
急に何言ってんの、この悪魔。
まるで私が悪魔よりも劣っているかのような言い草。
いい加減にしないと、そろそろ私の優しい戦闘方針を転換するわよ。
「ヒカリは魔素の扱いも未熟みたいだし、剣だって扱えないでしょ? だから僕が手伝ってあげるよ」
「要らない」
「心配ならキツキには僕から言っておこうか?」
目の前の奴と会話が噛み合わない。
茶色の髪をした悪魔は片手を腰に当てると、笑顔で首を傾げて身長差のある私の顔を覗き込んできた。
負けんぞとばかりに視線を逸らさずに悪魔の顔を睨みつける。
いつも余計な事しか言わないくせに、整った顔で私に余裕綽々の笑みを向けてくるこいつの顔面を会う度にグーパンしたくなる。
村の他の女の子達はもちろん、住人には大層親切らしいのだが、私だけ扱いがとんと違う。
ただの嫌がらせ大魔王である。
背後から倉庫での作業が終わったのか、倉庫番のお兄さん達がガヤガヤ倉庫から出て来た。そのまま真っ直ぐ帰ってくれれば良いものを、私達の睨み合いが見えたのかお兄さん達は私達に近付いてきた。
「おう、セウス。ここにいたのか。今日はもう倉庫は閉めるからセウスもそのまま上がっていいぞ」
セウスは私の頭越しに倉庫番のお兄さん達に向かって「はい!」と返事をした。そうだ。さっさと帰ってしまえ。
「ヒカリちゃんも暗くなってきたからセウスに送ってもらいなよ」
「そりゃいい。遠慮せずにそうしな」
背後から聞こえてくるお兄さん達の声は一体何を血迷っているのかどこか楽しそうだ。
家ぐらい一人で帰れる。
お兄さん達の言葉に、私は顔をピクピクと引き攣らせながら振り返る。
「いいえ! 結構で………」
「はい、そうしますね」
セウスは歩調を合わせるかのように倉庫番のお兄さん達に笑顔で返事をした。
本当、私以外には愛想が良い。
「はあ??」
思わずセウスに向き直る。
何が悲しくて悪魔を家まで連れ帰らなくてはならないのか。連れ帰るくらいならここで退治していった方が良い。
「おい、セウス! 送り狼にはなるなよ」
「あっは。狙う獲物がいないので狼にはなれませんよ」
年長のおじさんの楽しそうな冷やかしに、これまたセウスも笑顔で答えた。
よく言うよとお兄さん達も話に入り出して、男性達は楽しそうにわいわいと活気づく。
それならまだしも、さらに好き放題言い出す。
暗いから手を繋いで帰れとか、名残惜しくても今日中には家に帰れよ、とか。
セウスの嫌がらせも腹立たしいが、周囲が何をとち狂っているのかこうやって冷やかしをしてくるのが最も腹が立つ。悪魔と仲良く見えますか?
私の顔には青筋が出来る。
フワッ
私の足元を中心に渦を描くようにどこからともなく風が吹き始めると、後ろの冷やかしがすんっと静かになった。
「あれ、言い過ぎちゃったかな。ごめんねヒカリちゃん」
倉庫番のお兄さん達は異変に気がついたようで冷静になり始めたようだが、近くにいたセウスは動揺もせずにこっちを向いてニコニコしている。
「で、明日はスライムを何匹捕まえたいの?」
「は?」
まだついてくる気でいる。
何度断れば伝わるのだろうか。それとも人の言葉は悪魔には通じないのか。
目の前の悪魔をギロっと睨むけれど全く効果はない。
ブワッ
さっきよりも足元の風が強くなると、ふんわりとした風が次第に形を作り始める。
「心配しないで、捕獲道具はこっちでも用意しとくよ。何ならヒカリの分も用意しておこうか?」
「はあ?」
だからなんで一緒に行く事が前提になってるのよ!
いつ承諾したのよと、両手に力を入れて悪魔を睨む。
ブオォッ
地面から吹き上げていた風が急速に荒れる。
柔らかかった風は荒い風へと切り替わり、鋭い刃となる。
「そんなに恥ずかしがらないでもいいよ。ヒカリの失敗は僕がフォローするから」
セウスはにこっと笑う。
私の脳内は火の上に置かれたヤカンの如く沸騰する。
いくら私が優しいからと言って、よくもそんな戯言を爽やかな笑顔で言えたな!
もう謝っても許さん!
風は段々と形になり私に足元には円陣が出来上がる。同時に何処からともなく発生した炎が風に絡み始める。
風と炎に囲まれる私を見ていた悪魔は、何が面白いのか手を顎に当てクククッと笑いだした。
その姿に怒りが頂点に達した私はクワッと開目全開になる。
敵は目の前にあり!
足元だけだった風の渦は炎を伴い頭上まで延びた。服と髪が重力に逆らう。
とうとう私の優しい戦闘方針は「たたかう」に切り替わったのだ。
「待て待て待て待てー! ここでやるな、もっと離れろ。倉庫に飛び火する!」
「あああ、おい! 誰かキツキを呼んでこいよ! セウスも煽りすぎだ!」
「水、水ー!」
セウスと一緒に私を煽っていたお兄さん達が大騒ぎする中、あららと全く動揺していないセウスはしたり顔で近付いてくる。それに合わせて足元の渦は強さを増すが、構わず更に近付く。
「おい、セウス今日はいつもより強いから近付くな、危ねえぞ!」
そうだ。近付くな。
野次馬は離れろと大騒ぎしている。
セウスは聞こえないのか聞こえないフリなのか知らないが、歩みを止めることなく私に近付き、そのまま渦中に腕を突っ込むと、私の左腕を掴みグイッと引っ張った。
ぐらっと体が前のめりになった瞬間、セウスの茶色い瞳と視線が交わる。それと同時にセウスの腕には私の周囲を回っている鎌風が切りつけた傷が出来る。
思いもよらない行動に私は一瞬気を取られてしまい、足元から吹き荒れる風圧が弱まった。私だけではなく、見ていた倉庫番のお兄さんおじさん達も呆気にとられていたと思う。
私は引っ張られるままセウスの胸に顔をつっこむと、視線の先に延焼して切れてしまったセウスの左腕の袖が見えた。
状況を理解できずにいる私にセウスは顔を近付けて囁く。
「で、明日は何時に出発するの?」
バッと上を向いて目を見開向く。セウスの顔が近い。悪魔は何事もなかったかのように満面の笑顔だ。
屈辱。
最 大 出 力
異様な事態に対して動揺に動揺を重ねた私は、体内にあるありとあらゆる魔素を動員し燃やし尽くそうとして手に力を入れた。
覚悟しろ悪魔、明日の太陽を拝めないように今ここで滅殺してやる。
私たちの周囲を猛炎とも言えるほどの火柱が空高くまで上がったその瞬間。
バザァーーーーー
上から滝が降ってきた。
バケツの水をひっくり返したとかそんな量ではない。
首が折れるかと思うほどの水の量だ。
「何やってんの」
二人で声がする方向を見る。
そこには冷ややかな目のキツキが居た。
<用語メモ>
・グーパン = ジャンケンのグーで殴る事
<人物メモ>
【セウス】
倉庫で手伝いをしている青年。ヒカリには悪魔に見える。
【ミネ】
ヒカリとキツキの従姉。縫製が得意。
<更新メモ>
2024/01/13 人物メモの更新
2021/12/11 加筆、人物メモの追加