かわいい弟 ーイワノ回想
「僕、倉庫の仕事を手伝いたいです」
そう言って倉庫の扉にやってきた9歳の少年。
目をキラキラさせた可愛い男の子だった。
自分がまだ18の時で、倉庫の仕事を本格的に始めてから2年経った頃の事だった。
こんな薄汚れて遊ぶところもない上、口やかましいおじさんしかいないような倉庫に、まだ遊び盛りの子供がやってきた理由をこの時は分からなかった。
村長の息子だったからなのか、当時の倉庫番長が彼の手伝いを了承をしたのだ。
名をセウスと言った。
みんなの後ろをちょこまかと歩き回っては、これは何か、あれはどうやって使うものか聞いて回っていた。
最初は煙たがられていたが、子供の割には周囲を冷やかすことも、からかう事もなく、真剣に話を聞くセウスの態度に次第に周りは好意的になっていく。かく言う俺もその1人だった。
セウスが来ない日は少し寂しくさえあったのだ。
彼は倉庫だけではなく、剣術にも力を入れていた。
自警団の指導をしているノクロスさんを師事していた。
彼の同じ年ぐらいの中では剣は1番だったのではないのだろうか。
同じ年頃の子供が遊ぶ中で、倉庫の手伝いにも剣にも励む彼は少し異質に見えた。
何故そこまで頑張るのか聞いた事があった。
彼は少し頬を染めると「内緒です」と言って教えてはくれなかった。
それ以上はしつこく聞くことはしなかった。
俺も、他の奴らも。
その当時は村長の子ということを気負っているのだろうと思っていて、不憫にも思っていたからだ。
それから5年が過ぎる頃には、セウスにはほとんどの事を任せられた。
力はまだ若干弱かったが、1人でお使いに出しても問題なく仕事をこなしてくれていた。
出先の要望も状況を把握する事も上手だった。
相変わらずキラキラした目で俺達を見てくるセウスは大きくなっても可愛い弟だった。
そんなある日、農家さんのお使いで収穫用の麻袋を箱に詰めてセウスと持ち歩いていた時のことだった。
急にセウスの足が止まる。どこかを見ているようだった。
「どうした、セウス」
「ねえ、イワノさん。どうすれば女の子の幸せって守れるのかな」
突拍子もない返事だった。
自分の目が丸くなって止まってしまったのを今でも覚えている。
「え?」
思わず質問を聞き返してしまっていた。
それを聞いたセウスは俺を見ると膨れっ面になる。その顔はとても赤かった。
「いいです! 気にしないでください」
そう言って俺の先を歩き出して行ってしまった。
何だったのだろうと、セウスが見ていた先をよく見ると2人の子供が歩いていた。
あれは…。
目を細めて見る。
オズワードさんのところの双子のお孫さんだった。
先ほどのセウスの言葉を思い出す。
ああ、なるほど。
そういうことか。
あの子のためなのか。
俺は弟の可愛い一面を知って思わず顔が緩んでしまった。
最近結婚したばかりの俺にだったからこそ聞きたかった質問だったのかもしれない。
それからはセウスの意中の相手のことは、俺の中の大事な秘密になった。
「なあ、セウスはどうも好きな子がいるよな」
花月亭で夕食中の同僚のセリフである。
倉庫番達の間では、独り者同士で花月亭に集まって夕食を食べる慣例がある。既に結婚はしていた俺だったが、週に一度だけ参加をしていた。それは嫁さんも承諾してくれていた。
みんなそれぞれに気がついていたようだった。
結構バレてるぞと思わず心の中で呟く。
それだけセウスは純粋でわかりやすかったのかもしれない。
「他の男と話していた間を無理やり割って入って行ってたぞ、あのセウスが」
「この前は、芋を入れた籠を傾けたまま見入っていたよ。ボロボロ溢れているのに声をかけるまで、全然気がついていないしな」
同じ席の男達が同時にため息をつく。
「あれは重症だな。他の女の子なんかこれぽっちも目に入っていねえ」
「大火傷を負わないといいけどな」
「まあ、相手は確かに可愛い子だ」
下世話な話が好きな半分おじさんに足を突っ込んでいる奴らが、セウスの話題になると、急に保護者のような事を言い始める。
「好きな子と幸せになれれば、それでいいんだけどな」
その言葉に一同、首を縦に振った。
「なあ、セウス。あの子とは付き合わないのか?」
仕事の休憩時間に思わず聞いてしまった。みんなのいる前で。
「え?」
「さっきオズワードさんのお使いで来ていた女の子…」
セウスは水の入ったコップを持ったまま驚いた顔で俺を凝視していたが、顔を赤くして俺から勢いよく顔を背ける。
まだ聞いちゃいけない話題だったか。
周囲も俺を冷たい目で刺してくる。
「あ……、いや。すまん。悪気はなかったんだ」
「はは、バレてました?」
セウスは照れながら笑う。
ここにいる倉庫番全員には盛大にバレバレだ。
さっきまで俺を目で刺していた奴らは、急に耳を大きくして聞き耳の体勢に入っていた。
ずるいな、こいつら。
「その、もう少し剣が強くなってからの方がいいかな、とか思っていて……」
「いや、もう十分すぎるだろ。学校でも一番だったんじゃないのか?」
セウスは14歳という若さで既に自警団の仕事も補助的に始めていた。
自警団と同じ仕事をするには適性の試験を受ける必要がある。魔物と戦えるかどうかの試験だ。それを突破するまでは前線には置かれず、雑用などの後方支援を任される。16歳ぐらいから受かる子がチラホラ出るかどうかのような試験だ。
それをセウスは14歳という年齢で既にパスしていた。十分なのではないかと思っているとセウスは眉を下げ、少し困ったかのような顔をする。
「実は、彼女の兄に何度か負けてるんですよ。2つも年下なのに」
オズワードさんのお孫さんの片割れの男の子の事か。
お孫さんだからおそらくオズワードさんに直接剣を師事しているのだろう。
綺麗な顔をして華奢な子だと思っていたがそんなに強かったのか。
「だから、せめてキツキに完璧に勝てるぐらいになるまでは無理かなって」
そう言うと、セウスは自分の右手を眺めた。
「なあ、以前女の子の幸せの守り方を聞いたことがあっただろう?」
そう聞くとセウスは再び顔を赤くして、拳にした手で顔を隠そうとしていた。
顔の半分以上は隠れていない。
「そんな昔のこと、もう忘れましたよ!」
この様子ならあの時の事をしっかりと覚えているんだな。
本当、わかりやすい。
「彼女を守りたかったのか?」
そう聞くと、赤い顔を小さく動かし首肯する。
可愛いな。
「倉庫に来たのはなぜなんだ?」
昔から不思議に思っていたことだった。
最初は村長の息子って事で勉強で来ているものだと思い込んでいたのだが、どうも様子が違っているように思えた。
そう聞くとセウスは目線を俺に向ける。
「村を豊かに保てば、彼女は幸せでいられるでしょう? ここでは村の全ての物資を管理しているから、倉庫の匙加減で村の未来が変わると言っても過言じゃない。だから、ここでの仕事を任せてもらえるようになろうかと」
俺も周囲も呆気に取られる。
そんな事を九歳の子供が彼女のために思い至ったのだろうか。
それほどまでに真剣に彼女の事を考えていたのだろう。
ここまでの思いを無下になんかさせたくはない。
そう思った。
「そうか。そうしたら幸せになるのは彼女だけじゃないな。村のみんなが幸せだ」
セウスの頭にポンと手を乗せると、セウスは嬉しそうに笑った。
それから4年後。18歳になったセウスは結婚してもいい年頃になったが、浮いた話もなく、彼女も作らなかった。
相変わらず働き者でいまだに剣の稽古も続け、容姿も秀麗なセウスは依然あの女の子の事が好きなままだった。
4年前のあの話の後から、倉庫の中ではオズワードさんのお孫さんが用事で来る度に、セウスを呼びつけるようになっていた。兄代わりからのささやかな手助けだった。
進展があるか誰かしら毎回眺めていたが、なかなか発展はしなかった。
それどころか少しおかしな方向に進んでいる気もするが口を出さずにいた。
セウスもかまってもらうと嬉しそうな顔をしていたからだ。それを俺たちも嬉しそうに見てしまっていた。
でも、本当は止めておけば良かったのだ。
「なかなか進展しないな」
暖かくなってきた時期の休憩時間のことだった。
毎度余計な事を言うのは俺の性なのかもしれない。
セウスは子供の頃のように顔を真っ赤にまではさせなくなったが頬を桃色に染めていた。
何の進展の話なのかわかっているのだろう。
それとも俺が口を出しすぎて、その話題しかしないと思われているのかもしれないが。
ただ、その日のセウスの様子は少し違っていた。
少し間を置くと、意を決したように俺に向く。
「実は先日、その……。結婚の意思を父から彼女の家に伝えてもらいました」
その言葉を聞いて、周りのおじさん予備軍達が色めき立つ。あちこちから飛んでくるごつい手がセウスの頭を撫で回していた。
「でも、まだまだ先ですよ。相手が16歳になってから返事をいただくことになっているので。だからこの話は内緒にしてください。お願いします」
セウスは恥ずかしそうに目線を下げる。
セウスの想いが形になってきた事を、仲間達がとても嬉しく感じていた事は手に取るように俺にもわかった。
一番それを望んでいたのは俺だったからだ。
「そうか、いい返事がもらえるといいな」
セウスは気恥ずかしそうな顔をしていた。
それから半年が経った頃だ。
急に不穏な空気が流れ出したのは。
きっかけは彼女が東の森で男に抱えられて帰ってきた頃からだ。
様子を見に行って帰ってきたセウスの表情はどこか暗かった
何があったか周りは聞くが、何でも無いと作り笑いで退ける。
そんな顔をしなくちゃいけない事態が、何でも無いわけが無い。
彼女はつい先日に16歳になったと聞いていた。
セウスが待ちに待っていた日のはずだった。
俺達もだった。
そんな大事な日から半月後を境に、ボタンを掛け違えたかのように村の中の出来事がずれて行くのがわかった。まるで俺たちの希望を嘲笑うかの様に。
笑いながら歩く彼女の横には、銀色の髪の男がよく立つようになっていた。
セウスが立ちたかった場所のところにだ。
セウスの視界に2人を入れまいと彼女らを見ると声をかけた。
「セウス、この件についてだが…」
俺の方を向いたセウスの表情は常に重かった。
「彼女と話をする場を作ろうか?」
同僚のその問いかけにだけは、作り笑いをしていたセウスの表情は変わった。
「お願いします。ヒカリは巻き込まないでください。僕は大丈夫ですから」
必死な顔で止める。彼女が関わる方法だけは断固として拒否をしていた。
でも事態は日に日に悪くなっていく。
セウスが倉庫に戻ってくる度に顔色は悪くなり、作り笑いさえ少なくなってきていた。
目に精気はなく、下を向くようになっていた。
周囲は俺と同様に、心配にも苛立ちにも似た感情を抱えていたんだと思う。
「最近、新しく来た男と一緒に居すぎやしないか? さすがにセウスが可哀想だ」
「ヒカリちゃん、今セウスの家から話が来てるでしょ? もう少し考えてあげてよ」
彼女が悪いわけではない。それはわかってはいる。
それでも、倉庫番の人間が腹に据えかねていた言葉だった。
その直後だった。
「兄さん達!」
殺気立ったセウスが花月亭に入ってきた。
「ヒカリを捕まえて何してるんですか!」
セウスは彼女を逃す。
一様に同僚達は怒ったセウスの前に弁明を始めるが、セウスはそれらを切って捨てて行く。
彼女を傷つけたくないし守りたいセウスの気持ちはわかる。でも、それでは結果は変わらないだろう、セウス。
お前のこれまでの努力も気持ちも、このままでは無かった事にされてしまう。
彼女はこの世に1人しかいないんだぞ。
「セウス、いい加減彼女に気持ちを伝えろ! 早くしないとシキって奴にヒカリちゃんをとられるぞ!」
ずっと思っていた事が口を突く。
酒の力も働いたのかもしれない。
そんなことは言われなくてもセウスが一番わかっていた事だろう。
つまりは俺は余計な事を言って、火に油を注いだだけだった。
瞬間、俺は床に背中を打ち付ける。
セウスに胸ぐらを掴まれ、椅子から投げ飛ばされたのだ。
花月亭の中で悲鳴が上がる。
初めて弟では無いセウスを見たんだ。
首元を押さえられ、苦しくなる。
「あれだけヒカリを巻き込む事をしないで下さいと言ったじゃないですか。俺達の事に口を挟まないでくれ」
俺の上に乗り、凄むセウスの目は俺の姿を貫いていた。
知らない男の顔だった。
周囲にいた全員が驚いたと思う。
気が戻った同僚数人がセウスを止めに入る。セウスの腕を掴み、抑えると俺から引き剥がした。
俺もセウスも荒い呼吸を整える。
花月亭の中は誰も動けなくなるほど殺伐とした空気になっていた。
そんな中、集会席からゆったりと歩いてきた男性がセウスに近づく。
オズワードさんだった。
オズワードさんと目の合ったセウスの横顔は強張っていた。
「セウス、君は少し幼い」
オズワードさんは一言そう言うと、セウスに背を向けて花月亭を出て行ってしまった。
セウスは両手に拳を作ったまま、項垂れて立ち止まっていたが、俺たちの方を向いてすみませんと一言謝ると彼も花月亭を出ていく。
……セウスが悪いんじゃ無い。
俺が余計な事を言ったんだ。
周囲にも彼女の祖父のオズワードさんにもセウスの失態を見せてしまった。
彼の胸中を考えると謝って済む問題では無い。
俺は何をやってしまったんだ。
その場に込み上げてきたものは後悔なんていう可愛いものでは無かった。
床に腰をつけたまま、立ち上がることすら出来なかった。
翌日、セウスが早退をした。
倉庫の中では結婚の申し込みを断られたという話が真しやかに流れてくる。
今までセウスを見てきた倉庫番の人間なら誰もが信じられないと思った事だろう。
俺だって膝から崩れ落ちるぐらいの気持ちだった。
セウスが心配で心配でたまらなかった。
俺が余計な事をしてしまったという後ろめたい気持ちもあったし、どの顔を合わせる気なのかとも考えた。だが、自分の負はこの際構っている場合ではなかった。
夜、村長の家に行くがセウスは今日一日、部屋から出てこないと言う。
予想はしていたし、心中を考えれば当然なのかもしれない。
次の日も、その次の日も仕事が終わると数人で会いに行った。
村長から出てきたのは数日前と同じ言葉だった。
流石に体が心配になる。
無理やり家に上がり込ませてもらい、セウスの部屋の前まで行く。
「セウス、俺だ。イワノだ。少し話せないか?」
セウスの部屋のドアをノックしながら話しかける。
返事はなかった。
ドアノブを押すがどうやら鍵がかかっている様だ。
「帰ってくれ!」
セウスの声だ。
「頼む。ここを開けてくれ、セウス!」
「帰ってくれって言ったんだ!」
そう言うとドアの隙間から何かが光ったかと思うと手に強い痺れが走る。
「セウス!」
「何度も言わせるな!」
扉の隙間から稲光りが走り、ドアノブを触るものならば容赦なく攻撃されてしまった。
それ以降、セウスの声も聞こえなくなった。
俺たちにはもうどうすることもできなくなっていたんだ。
「ご心配をおかけしました」
玄関の扉を開けたセウスの第一声だった。
彼女との話し合いが無事に済んだようで、セウスの顔にはもう重い影は見えなくなっていた。
「ヒカリちゃん、ありがとう。助かったよ」
「いえ、私もきちんと話が聞けてよかったです。あのままだったら私もダメになっていたかもしれない」
彼女はそう言ってはにかみながら笑う。
小さい頃からセウスが見つめていた女の子だ。
セウスが長年思っていただけあって優しい子だった。
こんな面倒ごとにも手を貸してくれた。
「セウスは本当にみんなに大事にされているんですね」
「ああ、俺達の可愛い弟だからね。目に入れても痛くないよ」
セウスを窓越しに見る。
まだ表情はぎこちないけれど、だいぶ顔色は良くなって来ている。
このまま弟を失うのではないかと、この数日は生きた心地がしなかった。
良かった。本当によかった。長く息を吐き安堵する。
横に立つ彼女を見る。
本当はセウスの気持ちを受け取っては欲しかった。
長い間、大事に大事に君を想っていたんだ。
多分、これからも。
それでも、セウスが納得できたのなら、これ以上は俺たちが口を出すことでもない。二人の行く末を側から見ている事しか出来ないけれど、二人が幸せになる未来をひたすら願いたい。
「ねぇ、ヒカリちゃんも残念会に行く?」
同僚の強者すぎる発言に肝を冷やしたが、それに参加すると答えた彼女も中々の強者だった。伊達にセウスが惚れた女の子ではない。彼女の兄も我々を凍らせるというので、きっと外よりも寒い心地しかしない残念会になるのだろうと予想する。
もう一度窓の外のセウスを眺める。
少しずつ笑う顔が増えてきていた。
俺は腕を伸ばして深呼吸をする。
「さて、行きますか。セウスの残念会」
そう言って家に残っていた面々を花月亭に連れ出したのだった。
<更新メモ>
2021/06/17 文章の修正。
2021/04/13 誤変換の修正。単語の修正。文節の修正。