分かれた道3
「迷惑をかけた」
そう言ってセウスは私に頭を下げた。
私とセウスはお茶置き用のテーブルを挟んで向かい合うように長椅子に腰をかけている。
話し合いは村長宅の居間で行うことになり倉庫番のお兄さん達は家から撤退した。外の玄関前にいるから何かあれば声をかけてと言われている。
キツキは椅子をどこからともなく持ってきて、私の斜め後ろに座る。
久しぶりに見たセウスの顔は、一時的だろうがだいぶやつれているように見える。普段は常に人が周りにいて、意地悪な悪魔の時以外は存在が華やかだったのに、今はその影すらない。
お互い下を向いて目も合わせられない。
キツキが後ろで何が言えと小声で突っついてくるけど、セウスにそういう目で見られていた事を思い出して急に恥ずかしくなってしまい、目を合わせることも口が開ける状態でもなかった。
セウスが少し顔を上げる。
「結婚の申し込みを断られたことについては、情けないだろうけどまだ受け止めきれていない」
それでこんな大騒ぎをしたと眉を一度下げたが、次第に眉間にシワを寄せ、目を瞑る。
自分を嘲笑っているのか軽く自嘲した。
それはいつも飄々としているセウスとはかけ離れた姿だった。
「後でお兄さん達に謝っておきなさいよ。大迷惑なんてもんじゃなかったわよ、こっちは」
「ああ、そうするよ」
セウスは目線を上げる。
今日初めて、セウスと目が合う。
セウスは私を見ると少し顔を傾け、軽く口角をあげた。
私はまた恥ずかしくなり、目線だけを左下に落とす。いつもの調子に中々戻らず、もどかしい。
セウスの顔をまともに見られない。
「その、いつから考えてたの。結婚のこと」
沈黙に耐えられず、自分の中で考えてもわからなかった疑問を聞いてみた。半年前からの結婚の申し込みということはそれ以前からだろうと、この数日の間記憶を遡ってみたけれど、セウスの態度の変化があった時期が特に思い当たらなかったのだ。
「覚えていないぐらいずっと昔からだよ」
以外な答えにセウスの顔を見る。
ずっと?
「ずっと君と一生を共にするつもりで生きてきた」
セウスは視線を外さず私を見つめる。
その目を見ると動けなくなってしまった。
後ろでキツキが「やっぱり俺、外に出てます」と急に立ち上がりそそくさと玄関から出て行く。
逃げた、あいつ。
「……そう思ってから随分長かったから、きちんと言っていなかったことすら忘れていたよ」
そう言うとセウスは真っ直ぐに私に向く。
「ヒカリ、君が好きだ」
鏡を見なくてもわかる。今の私は顔がとても赤い。真っ赤だと思う。生まれて初めて一人の男性から言われた台詞だ。
セウスの口調は強かったが、顔は穏やかで最初に見たような影はもうなかった。
「大事な事を言っていないのに結婚の申し込みをしたんだから、よくよく考えたらおかしなことをしたよね、僕は」
セウスはおかしそうに笑う。
私は耐えられず顔を下に向けてしまった。
手に無駄な力が入る。体中の神経が騒いでいるのか暑いのか寒いのかさえわからなくなってくる。
呼吸が、難しい。
「わ、私はそういう話に疎くて、全然気がついていなかったし、その、セウスをそういう風に見たことがなかった、から」
自分の素直な気持ちを精一杯伝える。
「うん。でもこれからは少し意識してよ」
セウスにこっちを向いて欲しいとお願いされ、逃げ出したい気持ちを押さえ付けてセウスに向き合う。
顔が熱い。
この際だから全部伝えておくよとセウスは前置きをした。
「今でも君のことは好きで好きで仕方ない。うまく言葉にはできないけれど笑う顔も、怒った顔も、全て見落としたくないほど愛しいんだ。
僕が余計な事をしてヒカリがカンカンに怒っている時でさえ、将来はこんな夫婦喧嘩をするのかと思っていた。変だろうけど嬉しかったよ。
いつも君の隣にいたかったし、いずれそうなれるとずっと思っていた。
これは僕の傲慢だったかな」
セウスは目線を下げると悔しそうに手を握りしめる。
「シキさんが現れて、初めて君はまだ誰のものでもないと気がつかされた。焦ったよ、とても。
だから訓練場の前で君の手にキスしたのは余裕のなさからだ。
君の手を誰にも渡したくなかった。僕だけの女性にしたかった。
……もう、それもできないけれど」
セウスは天井を見上げるとゆっくりと息を吐く。
一度目を瞑るとまた私の方を向いた。
「結婚の申し込みは断られたけど、僕はこれからもずっとヒカリの事を好きでいるよ。これだけはどうしても無くせないんだ。
だから早く良い人と結婚してよ。僕が淡い期待を持たないように」
セウスは言葉を大事そうに吐き出すと、私を見て穏やかに笑った。
私は涙で前が見えなくなっていた。
下を向いて目を伏せてただ「ごめん」とだけ言うのが精一杯だった。
なぜこんなに涙が溢れるのだろうか。別にセウスを好きだったわけではない。
自分を大事にしていてくれた想いに気づかなかった鈍感すぎる残念な自分への軽蔑なのだろうか。それとも、彼のその気持ちを受け取ることが出来ずに、ここに捨てていく事しか出来ないからだろうか。
今の私では、その答えはわからない。
少しだけいいかとセウスは聞くので、考えもなくうなづく。
セウスは席を移動して私の隣に座り、私の濡れた頬を拭うと優しく抱きしめる。
「これ以上はしないから、しばらくこのままでいさせて」
耳の後ろから優しい声が聞こえる。
そのままセウスは口を噤むと、私もそっと目を閉じた。
暫くして、セウスが少し聞いてと言う。
「君と結婚したら毎朝おはようのキスをして、」
「どんなに忙しくても朝ごはんだけは必ず一緒に食べて、」
「家の中を君好みに変えて、」
「子供は三人欲しかったな」
私はセウスの背中をゆっくりさする。
「休みの日には君の実家に二人で顔を出して、」
「時々一緒に仕事をして、」
「天気のいい日は手を繋いで散歩をして、」
「毎晩一日の終わりにこうやって君を抱きしめたかった」
セウスは来ることのない未来を語ると、私を抱きしめる腕に力を入れた。
「ありがとうヒカリ、夢が叶ったよ」
そう言って腕を解いたセウスの鼻は少し赤かった。
<人物メモ>
ヒカリ・・・・・・・1章の女主人公。キツキの双子の妹
キツキ・・・・・・・ヒカリの双子の兄
セウス・・・・・・・ヒカリにつっかかる村人からの人望が厚い村長の息子
<更新メモ>
2021/06/17 文章の修正
2021/04/08 文言の修正