祖母との思い出 ーキツキ回想
…エーン、エーン。
遠くでヒカリが泣いているのが聞こえる。
またどこかに落ちたのだろうか。
積み木で作った砦と兵士をそのままに部屋を出ると、廊下に沿って並んでいる手摺りの隙間から、祖父がヒカリを抱き抱えて帰ってきていた。
ヒカリは足もお尻も泥まみれで、祖母におでこを手で撫でられると、祖父に再び連れていかれ、その間祖母はヒカリの着替えを出していた。水で泥を落としてきたのか、服が濡れたヒカリが戻ってきた。俺はそれを見ながら下に降りていく。
「おばあちゃん、足が痛いの」
「あらあら、遊んでて転んだの。気をつけないとね」
そう言って祖母がヒカリの足に手を当てると、ほんのりと明るくなる。
しばらくするとヒカリの膝より下にあった擦り傷は綺麗に消えていた。
「はい、痛いの終わり」
優しい顔の祖母はヒカリの頭を撫でる。
「ありがとう、おばあちゃん」
「ヒカリ、『おばあさま』だよ」
祖父はヒカリの呼び方が気になったのか、直しを入れている。
「ありがとう、おばあちゃま」
笑顔でヒカリは祖母にお礼を言う。
祖母と祖父は優しい笑顔でヒカリを見ていた。
俺と同じ顔のヒカリは、いつも家の真ん中にいた。
いつもドジで笑顔で。みんなの視線を独占する。
「ヒカリちゃんはおばあちゃんにそっくりね。将来すごい美人さんになるわ」
村の大人達のヒカリへの評価だ。
「キツキは偉いわね。ヒカリちゃんのお守りをいつもして。良いお兄ちゃんね」
これは村の大人達の俺への評価だ。
時々、同じ日に生まれた双子だという事を忘れる。
しっかり者で面倒見の良い俺。ドジでも愛嬌のある可愛い妹。いつも付き纏う評価。
小さくても理解できた評価。
「おばあさま、僕にもヒカリの傷を直す魔法を教えて」
そう言うと、おばあさまは最初は驚いた様子だったけれど、笑って僕の頭を撫でる。
「偉いわ、キツキ。ヒカリを守ってあげてね」
嬉しそうな祖母を見ると、ヒカリを守ることだけに俺の価値があるように思えた。
おばあさまと俺は長椅子に横に並んで座る。
おばあさまは手の平を上に向けると、光る円を見せてくれた。穏やかな光に包まれた魔法円だった。
「キツキは私に似て水の魔力が強いからすぐにできると思うわ。手の平に守りたい人の顔を思い浮かべるの。きっとあなたの体は反応してくれるわ」
御伽話のような難しい呪文も、長い言葉もいらない魔法。
俺があの時に想い描いた顔は誰だっただろうか。
数日おばあさまと欠かさず練習をすると、手にフワッと光が溢れてきた。おばあさまは出来たわと大喜びだった。
小さかったが、手の平に丸く光る円は何かを示す模様だけ描かれ、俺の手の平の上を浮いていた。
「使えるのは回復だけではないのよ。いずれ、あなたの役に立つわ」
祖母は穏やかに笑っていた。
それから俺は事あるごとにヒカリの傷を治すようになった。
それがいけなかったのかもしれない。
怪我をしても無茶をしても、俺が治すと思ってしまっている節がある。ヒカリのドジと向こう見ずな性格を助長させてしまっていた。
こればかりは自分でも反省している。
「キツキ、ねえ枝で手を切っちゃった。治してよ」
ヒカリが手を出してくる。
“面倒見の良い兄”を頼られると、俺は未だに気持ちが冷める。
「そんなの自分でやれ」
「難しい」
「自分でやれ」
ヒカリは反応を変えない俺を見ると、諦めて自分で回復を始める。
お前が早く一人前にならないと、俺はいつまで経っても“面倒見の良い兄”を演じなくてはいけない。
「終わったよ。さ、次行こうよキツキ」
怪我が治ったヒカリは、笑顔で俺を次の狩りに誘う。
笑った顔は、確かにおばあさまに似てきた。
シキさんとヒカリと空き地で魔法円の練習をしている最中、俺は魔法円を出した自分の右手の手の平をじっと見つめていた。
既に俺は魔法円を使えていた。
おばあさまが小さい頃に教えてくれていたのだ。気がつかないだけだったんだ。
思わず笑みが溢れる。
ヒカリにだけ向いていたと思っていた祖母の愛情は、こんなところで俺にも向いていたことを教えてくれていたからだ。
なぜ魔法円が出来たことをあんなに喜んでいたのかようやく分かった。
ヒカリを助けるためだけのものではない。
俺の助けにもなる基礎となるものだったからだ。
「おばあさま…」
俺の視界は少し歪んだ。
秋空の下、セウスさんとシキさんの試合を眺める。
セウスさんの流れるような剣の速さは知っていたけれど、それを見事に受け止め、かわすシキさん。剣の得意な祖父に直接教わった俺でも、あれほどセウスさんの剣を受け止め切れるとは思えない。
「ねぇキツキとセウスはどっちが強いの?」
「本気でやり合ったら負けるかな」
彼らは双方とても能力が高いと見える。
そんなことを思っていると祖母の笑顔を思い出した。
ー ヒカリを守ってあげてね。
ヒカリが一人前にならなくとも結婚でもしてくれれば、相手にヒカリの事は全部任せて“面倒見の良い兄”の荷物を直ぐにでも下ろせるのに。
どこかにいないか。俺の代わりに面倒ばかり引き起こすヒカリを守り切れる奴が。
俺は互角に戦うセウスさんとシキさんの姿から目を離せずにいた。
甲高い音を響かす二人の剣を俺はただ眺めていた。
<更新メモ>
2021/06/15 文章の修正(主に改行等)
2021/05/25 文節の修正など。