村の生活4
魔法の訓練を約束してから二日後の昼下がり。私とキツキとシキの三人は、何故か村の工房にいた。
不貞腐れ顔の私は、工房の机に頬をくっつけながら目の前の二人に不躾な視線を送る。
「それにしても、大きいスライムだね」
「今日のは、まあまあな大きさですね」
シキとキツキは檻に入れたスライムを眺めながら、話に花を咲かせている。そして別の仕事で忙しかったはずの私も、どうしてか彼等と一緒になってスライムを眺めているのだ。
何故だ? どうしてだ?
今日は朝から従姉のミネを手伝うために織物工房に居た。とは言っても織物工房もコエダおばちゃんが管理する工房とは同建物内にあり、おばちゃんの作業エリアとは一枚の壁で隔たれているだけ。
ミネは織物や衣服担当で、彼女から布にする為に収穫された実綿から種を取る作業を依頼され、風魔素協力のもと、着々と作業をこなしていた。籠に入っていた実綿を風魔素でヒョイヒョイと持ち上げながら種をとり、解した綿を別の籠にポイポイと風魔素で流し入れて行く単調作業。朝から工房には大籠に山盛りに摘まれた実綿が倉庫から続々運び込まれていたが、お昼前までには半分以上の作業を終わらせていた。
伊達にミネから扱き使い甲斐があると、太鼓判を押してもらっているわけではない。
小さい頃から布を作る作業はミネの横で見学していて、工程は頭に入っているから特に苦はない。それに魔素でほとんどの作業をこなせていた今日の私は前途洋洋だった。
………だったはずなのだ。
中型スライムを担いだキツキとシキが、突如としてコエダおばちゃんのいる隣の工房に現れるまでは。
キツキだけだったら問題無かったのだが、扉の隙間から間近でシキを見たミネが「目の保養!」と言って大喜びすると、お迎えが来たからもうここはいいわと私を織物工房から追い出したのだ。
どうしてミネの目の保養で私が追い出されるのか。納得出来ない私は口を尖らせると、元凶の二人とスライムを睨みつける。
「どうしたの、このスライム?」
「シキさんが見たいって言うから、北の点検がてら捕まえてきた」
「スライムが重要な素材になるって聞いた事がないから、実物を見てみたくて」
シキは冷静を保っているんだろうけど、わくわくが止まらないのか、口の両端が緩んでいる。その顔はまるで子供のようだ。
見たいと言う理由だけで、簡単に捕獲なんて出来るはずのない大きさのスライム。それが当然のように目の前にいる。プルンプルンしているスライムを見ながら、やはり北の森は素材だけではなくてスライムの宝庫でもあるんだなとは再認識するけれど、居たとしても捕まえるには村の大人が数人がかりで捕まえる大きさ。どうしてかキツキだけが容易に見つけて捕まえてくる。本当に不思議だ。
工房の主であるコエダおばちゃんが大鍋を持って現れると、いそいそと準備を始める。
「今日、シキ君は工房の見学をしたいんだって?」
「はい。よろしくお願いします」
シキが畏まってそう答えれば、コエダおばちゃんはカンラカンラと笑う。檻の下に鍋をセットをし、ちょっと離れててねと注意しながら踏み台を登ると、長剣を選んだおばちゃんはスライムを刺した。
コアを刺されたスライムは皮だけを檻の中に残し、液体となって鍋の中に落ちていく。
「本当に皮が残るのか……。コエダさん、スライムの刺し方にはコツがあるんですか?」
「コツかい? スライムは半透明で見えづらいけど、中央にコアがあるからそれを刺さないとダメよ。大きいスライムのほうがコアがキラキラしているからわかりやすいわ。コアを刺さないで体だけを刺すと時々分裂しちゃうから注意が必要ね。初めての子は大体それで失敗するから気をつけて。大きいままの方が服を作るには都合がいいから、私は大きいままで捌くわ」
「へえ」
面白いなとシキは感心する。
「あらまあ。今日の落とし物は………。これは魔石かしらね?」
コエダおばちゃんの手の中には、大きめの魔石があった。片手程の魔石は、どうやら檻の底に引っかかって落ちなかったようだ。
おばちゃんは檻から取り出した魔石をキツキに手渡すと、シキは興味深そうにキツキの手の平に置かれた魔石を見つめる。おばちゃんが鍋を持って竃へ向かうと、気付いたシキもその後ろを追いかける。おばちゃんが竃に点火すれば、またまた興味深そうにシキは鍋の中を覗きこんだ。
鍋からは次第に湯気が昇る。
「こっちはまだ時間が掛かるから、先に皮を処理しましょうか」
「あ、ええ」
おばちゃんが再び檻に戻ってくると、シキも当然のようにその後ろをついてくる。なんだか水鳥の親子みたい。
おばちゃんは檻の中に引っかかっているスライムの皮を持ち上げると、檻の向いにあった台に皮を置き、太く長い伸ばし棒で皮を伸ばし始める。三、四度棒を上下させて皮を真っ直ぐに伸ばすと、再び皮を持ち上げて今度は隣のミネのいる織物工房へと入っていった。
「ミネー! シキ君の外套に合いそうな布はあるかい?」
「やだっ!! お母さん入って来るなら先に来るって言ってよ。今日は可愛い服じゃないのに!」
「あんたの服じゃなくて、シキ君の外套が必要なんだよ!」
目の保養であるシキが、急に聖域であるミネの織物工房へ入ってきたものだから、機織り中のミネは悲鳴を上げる。
コエダおばちゃんは娘のミネに呆れながら、扉の近くにあった平たい台にスライムの皮を置くと、つかつかと勝手に奥の布倉庫へ入って行き、しばらくカタカタと音を立てると三巻の布を持ち出して帰って来た。それを見たミネは「私の子供たち!」と叫んでいたけれど、おばちゃんにその悲鳴は届かない。てんで無視だ。
キツキはその光景を見慣れているのか、興味なさげにそこら辺にあった椅子を持ち出すと、逆にして座る。背もたれに腕を置いてもたれかかると、親子の攻防を興味なさ気に眺めていた。
「この色なんかどう? シキ君の着ていた服は黒だったから、それに会うんじゃない?」
おばちゃんは出してきた濃紺、灰色の縦縞、濃墨色の布を少しずつ広げてシキに見せる。
「では濃紺で」
しばらく考えていたシキはこれをと指差す。
「わかったわ。じゃぁ、ちょっと見てて」
台の上にシキが選んだ布を広げると、スライムの皮をその上に置き直す。巻き板から布を出し入れして、塩梅の良さそうなところで布に鋏を入れた。
おばちゃんは今度は部屋の中央にある炉の上に乗っていた底が平らな鉄の重り、アイロンを持つと1度水桶に付け、先ほど重ねた布の端にアイロンを押し付けていく。ジュワジュワと蒸発するような音を立てながらアイロンを四方八方に動かせば、次第にスライムの皮は薄くなり下に敷かれていた布と合体して光沢がかる。それから何度もアイロンを通せば、とうとう厚みのあったスライムの皮は無くなり、濃紺の布と一体化した。
「すごいですね」
シキは興味深そうにまじまじと見ている。
布だったはずのものは、スライムの皮と合わさることで”色付きの革”と言うにふさわしい形状となる。実際には布なのだが、少しの厚みとしなやかな艶が足されたと言えば想像しやすいだろうか。
おばちゃんは布から飛び出てしまったスライムの透明の皮をハサミで丁寧に切り落とす。同じ作業を何度か繰り返し、外套に必要な分だけスライムの皮を布に貼り付けると、ようやくおばちゃんの手は止まった。
「これだけあれば足りそうね。シキ君、体のサイズを測らせて頂戴」
「勿論です」
二人の会話を聞いていたミネは、私がやると勢いよく手を挙げたけれど、面倒だったのかおばちゃんは聞こえないフリをしたようだ。
離れて見ていたキツキも、「俺も背が伸びたから新しい外套が欲しいな」と、おばちゃんに聞こえるように言っていたけれど、ミネ同様にシャットアウトされたようだ。
さすがはコエダおばちゃん。
子供達の性格もあしらい方も熟知している……。
湯気のが籠り始めていた工房は少し暑い。私とキツキはそこら辺にあった椅子に腰を掛ける。
だけど目の前のシキだけは座ろうとはせず、さっきから落ち着かない様子だ。
「信じられない体験をさせてもらった」
シキは真顔でそう言う。
それは良かった。私の作業を中断されただけの価値はあったようだ。
シキは感動のあまりか、スライム皮と一体化した生地の前からなかなか離れようとしない。未だに信じられないのか疑いの目でスライム革の生地を眺めている。
そんなにもシキの街ではスライムは獲れないのだろうか。
隣の工房から「そろそろ塩ができるわよー」と、おばちゃんの声が聞こえてきた。
私達がスライム革を眺めている間に、おばちゃんは隣の工房の竃前に戻っていたようだ。おばちゃんの素早い動きには毎回驚かされる。キツキでさえ鈍間な者に見えるほどだ。意外だが、スライムを捕まえる以外はキツキは結構のんびりとしている。興味の無い事柄に関しては反応が薄いのかもしれない。
織物工房から見学を終えた三人がミネにお礼を言ってぞろぞろとスライムの工房へと戻る。扉をくぐれば、さっきまで煮詰めていたスライムの液体の入った鍋を火から上げようとしているところだった。コエダおばちゃんは鍋を鍋敷の上に置くと手早く中身をかき混ぜて冷まし始める。
シキはそれにも興味があったのか、おばちゃんに近づくと鍋の見学を再開する。
「鍋に残っているのがスライムの塩よ」
「……本当に白い」
絶句しているシキを他所に、コエダおばちゃんは近くにあった棚から手の平サイズの瓶を持ち出すと、それに冷ましていたスライムの塩を詰めていく。
「はい、スライムの塩の出来上がり。これはシキ君の分。シキ君が自宅で使っても良いし、花月亭に持っていって料理に入れてもらってもいいわよ。使わないのなら袋と一緒に倉庫へ持って行って頂戴」
シキはおばちゃんから塩の入った瓶と麻袋を渡される。
中を覗くと今日もキラキラとした魔素入りの塩が出来上がっていた。この光り具合から、いつもよりも魔素は多そうだ。
「これを料理に入れて食べるの?」
シキが真剣に聞いてきたのでキツキと二人で頷いた。
「そうか、これが君たちの魔素の元か……」
私たちの元かはわからないけど、それが魔素の元です。
「じゃ、この塩を使って花月亭で料理を作ってもらいますか。おばちゃん、ありがとう!」
「良いよ良いよ。またおいで」
キツキはお礼を言って工房を出ていく。
私とシキもおばちゃんにお礼を言うと、ご機嫌なキツキの後を追った。
<人物メモ>
【ミネ】
コエダおばちゃんの娘。キツキとヒカリの一つ年上の従姉。
<更新メモ>
2025/05/13 全体的な加筆、人物メモの変更
2021/06/14 文章修正