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Slime! スライム! Slime!  作者: 笹餅よもぎ
第三章
218/219

戻る日常と残る不安5

 ****





 ー 応接室 カロス ー


 キツキの護衛達が彼を追いかけるように部屋を出ると、さっきまでの賑やかさが嘘のように部屋の中は静まり返った。

 隣には無言のリシェル。

 彼は机に並べられた書類をまとめると、手元の封筒へと入れ始める。


「それで、見つかったのですか?」


 リシェルは部屋に入ってきた際に、私に「見つかった」と小声で伝えていた。リシェルが手がけている仕事を考えれば、何が“見つかった”のかは聞かなくともわかった。


「フロイス王国で見つかったようだ」

「フロイス王国でしたか……」

「ああ」


 帝国の東に位置するフロイス王国は独立した島国ではあるが、帝国からは自国の島へ渡るぐらい簡単な手続きで行き来が出来る。それはフロイス王国が帝国の一部だったという歴史もあるが、海に囲まれたフロイス王国を常に悩ませている海賊の撃退を帝国にも手伝ってもらいたいという下心があるがゆえ、今なお帝国に対して属国という地位に甘んじている。

 だから、彼ら自身で今回の事件に自ら関与しているとは思い難い。だけどその立ち位置を上手く利用された可能性は捨てきれない。


「それで、レオス皇子は?」

「アリアンナ妃達とご一緒だったらしい」

「では?」

「ああ。保護された」

「そうですか…………」


 リシェルの答えを聞けば、拳には自然と力が入る。トルスの大事な愛息を保護する事が出来た。その安堵感で一杯になる。


「アリアンナ妃はどうやら妹達と一緒だったようでな」

「妹?」

「本人達は豪華家族旅行のつもりだったらしい」

「…………何?」

「驚きだろ?? 俺も伝書鳥の報告書を見た時には思わず吹き出したよ」

「笑い事ではありませんよ」

「だって、なぁ? 帝城の規則なんて、てんで無視だぞ? やっぱり、アリアンナ妃は一枚も二枚も上手だったな」

「…………」


 トルスの憔悴しきった顔を思い出せば、さっきとは違った感情で拳に力が入る。

 リシェルは私の手が硬直していたのに気づいたのだろうか。私の手を持ち上げると、固まった指をほぐそうと指を一つずつ持ち上げていく。指を全て広げれば、手の平には爪の跡がくっきりと残っていた。


「しばらくしたらレイ達と一緒に帝城へお戻りになるだろう。あれこれと憶測を考えるよりは、ご本人の口から話を聞こうじゃないか」

「……………ええ」


 脳裏には様々な可能性が飛び交っていたのだが、リシェルの言葉に冷静になると、ただただ頷くしか無かった。





 ****

 

 

 

 

 窓から見える空は今日という日を祝福してくれているのか、混じり気のない空色だ。そんな空の下に浮かび上がるような帝城で、護衛達を振り切るように俺は廊下を疾風の如く進む。

 

「殿下! 廊下を走ってはいけません!!」

「走ってなどいない!」

 

 追いかけてくるバートから注意を受けるが、俺は失速する事なく目当ての部屋目掛けて進む。これは走っているのではなくて早足だ。

 廊下を歩いていた誰もが、俺を見るや否や廊下の端へと下がる。それを俺は好機と捉え、無遠慮のまま速度を落とさない。

 

「そんなに急がなくても、相手は逃げませんよ?!」

「時間が逃げるんだ!」

 

 時間は刻々と過ぎていくのだ。それでなくても当面貰えた許可は今日しかない。少しでも長く一緒に過ごしたい。

 目的の部屋を見つければ、衛兵達が開けるよりも早く、俺は勢いよく扉を開けた。

 

「シキさん、おはよう!」

 

 大きな音と共に開いた扉の先にはいつもの騎士服では無く、私服姿のシキさんが待っていた。崩れた呼吸を整えながら、俺はシキさんに近付く。朝日に照らされるシキさんは今日も格好良い。

 

「おはよう、キツキ。昨日はよく眠れたか?」

「もちろん!」

 

 シキさんに笑顔でそう聞かれれば、俺だって笑顔になる。

 引かれるようにシキさんに近付けば、ようやく護衛達が室内へと雪崩れ込んできた。

 それを見たシキさんの表情は険しくなる。

 

「……キツキ、まさか護衛を巻いてきたのか?」

「えー、俺がそんなことするわけないじゃん!」

「………そうか?」

 

 部屋に入ってきた護衛達を、シキさんは憐れみの目で見守る。

 

「どうしたの?」

「いや、キツキの専属ではなくて良かったなぁと……」

「えっ、どうして?! シキさんは俺の護衛が嫌なの??」 

「護衛対象が逃げていくなんて、どう考えたって大変だろう? 取り押さえる事なんてこちらは出来ないしな」

「ええ~………」

 

 俺の声は弱々しくなる。

 

「……俺、シキさんに専属になってもらいたいよ」

「俺から逃げなければな?」

「シキさんから逃げるわけないじゃないか!」

「そうだよな。キツキは近衛騎士から逃げないし、近衛騎士の注意は聞けるもんな?」

「当然だよ!」

「よし、今の言葉忘れるなよ?」

「ん?」

 

 シキさんは満面の笑顔だ。俺の護衛達もどこかしたり顔だ。

 なんだか違う方へと話を持っていかれた気がしたけれど、シキさんが笑っているからまあいいか。

 

「シキさん、今日は時間をとってくれてありがとう」

「お礼を言われるほどじゃない。俺もキツキとゆっくり話がしたかったしな」

 

 シキさんは歯を見せながら笑ったのも束の間、今度は俺の顔を覗き込むように首を傾げた。

 

「それでキツキ、身体はもう大丈夫なのか?」

「うん、心配かけたよね?」

「……まあね」

 

 シキさんは申し訳なさそうに眉を下げる。

 

(しら)せを聞いた時は心臓が止まるかと思ったよ」

「えっと、シキさんには俺の状況は伏せられてたの?」

 

 公には俺は病気で伏せっているということにされていた。毒を盛られたことについては、帝城でも一部にしか知らされていない。軍部に至っては近衛騎士や上層部、それに俺の近辺の人間にしか通達されていない。

 

「兄から聞かされた」

「兄って、リシェルさん?」

「ああ」

「そっか」

「キツキの状況を聞いた時には、心臓が止まるかと思ったよ」

「………心配かけてごめんね」

「いや。………俺の証言のためにありがとう」

 

 そう言って頭を下げそうになったシキさんを俺は瞬時に止める。

 

「ち、違う! 俺がやりたかっただけ! だからシキさんが俺に頭を下げる必要なんてないから!!」

「だけど………」

「俺がやりたかったの! それでなくたって、帝国ではおじいさまがおばあさまを攫ったなんて勝手な憶測もあったし、おばあさまが原因で側妃の家族が蔑ろにされたままだとか、俺はどうしてもそのままにしたくなかっただけだよ。シキさんの証言の通り、俺も全てはスライムが原因だって推測していたから、その証明をしたかっただけなんだ」

「………キツキ」

「だから西側まで行ってスライムの証明をしたのは俺の都合だし、その帰りにうっかり毒を飲んでしまったのも俺の問題だ」

 

 必死に説得すれば俺の意図を汲んでくれたのか、眉間に皺を寄せていたシキさんの表情はゆっくりと笑顔になっていった。少し無理のある笑顔でもあるが。

 

「………そうか、大変だったな。キツキが回復してくれてとても嬉しいよ」

「俺も! シキさんが近衛騎士の試験に合格して嬉しいよ!」

「お?」

「言ってなかったよね? 合格おめでとう、シキさん!」

 

 本当なら誰よりも一番に伝えたかった言葉だ。

 

「ははっ。ありがとう、キツキ」

 

 普段から飄々としつつも毅然さを失わないシキさんが照れ笑いしている。おお、可愛いじゃないか。ヒカリにも見せてやりたいぐらいだ。

 そういや、あいつもシキさんにはおめでとうの一言ぐらいは言ったのだろうか。大事な事ほど忘れるのがヒカリでもあるから、気になってしまう。

 

「キツキ、今日は城の外へ行きたいんだろ? リトス邸と聞いているが合っているか?」

「うん! 俺はシキさんが案内してくれるなら何処でもいいけどさ。ただ、リトスの家には出発して以来一度も帰っていないし、俺が倒れた事だけ聞き及んでいるだろうから、ご心配をおかけしている大叔父様に無事な姿を見せたいんだ。何度かお見舞いにも来てくださったようだし」

「そうだな。元気な姿をお見せすればご安心いただけるだろう。今日については外城までなら動いて良いと許可をいただいているから、リトス邸なら問題は無さそうだ」

「それなんだけどさ……」

「なんだ? 他にも行きたいところがあるのか?」

「うん。リトス邸の前にちょっとだけ寄りたいんだ」

「どこだ?」

「軍務省!」

「軍務省?! 何をしに?」

 

 俺の答えにシキさんだけではなく、護衛達も目を白黒させる。

 

「シキさんと剣の手合わせをしに! ここに模擬剣はないからさ!」

 

 自信満々に答えたのに、どうしてかシキさんの表情は変わる。バート達の表情も優れない。なんか嫌な雰囲気だ。

 

「だ、め、だ!」

「ええーっ?!」

 

 シキさんの渾身の反対に、俺は猛反発する。

 

「どうして? セウスさんだけシキさんに相手してもらってずるいじゃん!」


 シキさんは額に手を当てて項垂れてしまう。

 シキさんとセウスさんの試合を見てからかれこれ半年以上前のことだけど、俺はまだシキさんとの手合わせを諦めていない。スライムに誘拐されようが毒を飲もうが、これだけは諦め切れない。俺は諦めの悪い男だ。 


「まだ全快ではないそんな体で、剣を振り回すなんて承知出来ない」

「俺は大丈夫だって!」

「少し走るだけでも息が上がってしまうのにか?」

「む?」

「ライラから戻ってからも、休みがちだと聞いている」

「むむ?」

「そんな状態で近衛騎士との試合だなんて、もっての他だ」

「むぅぅ!」

 

 俺の希望を拒否されるが、図星すぎて言い返せない俺は段々と眉間に力が入っていく。駄々を()ねたいが、捏ねたところでシキさんが意思を変えてくれるとも思えない。

 かといって、体をすぐに元に治すことも出来ない。

 でも………。

 

「ちょっとだけだよ!」

「………ダメだ」

「ぐうぅっ!」

 

 やっぱりシキさんは意思を変えない。

 俺だって元気な時にシキさんと手合わせをしたかったよ。だけど俺はスライムの証明をしたかったし、シキさんも近衛騎士の試験前で会えなかったし。

 何より最後のトドメは毒を飲んでしまったこと。

 俺はなんてタイミングの悪い男なんだろうか。

 

「今日は馬車も用意しているが、そんなに体を動かしたいのなら、歩きながらリトス邸へ向かってみるか? まずは体力づくりといこう。キツキと離れていた間の事を沢山教えてくれよ」

「………わかった」

「昼前までにはリトス邸にはつけるとは思うんだが、着くまでにバテるなよ?」

「も、もちろんだよ!」

 

 シキさんからの挑発に対して咄嗟に答えれば、彼はおかしそうに笑った。

 

「ははっ。じゃあ行こうか?」

「……うん!」

 

 シキさんは周囲の近衛達に目配せをした後に、こっちだと扉へと向かって歩き出す。早速案内を始めたシキさんの背中を俺は追った。

 

 

 

 

 

 

 

 俺達は登城する官吏や貴族の流れに逆らうように大階段を下りる。そのまま帝城の巨大な正面のエントランスから外へ出れば、俺達の目には昇りかけの朝日が差し込んできた。

 迷うことなくシキさんは広場へ続く階段を下り出す。

 シキさんは広場前に停まっていた数台の馬車に向かって合図を送ると、そのまま乗らずに広場の縁に沿っている歩道を歩き出した。

 そんなシキさんに俺もついていく。

 俺達の後ろには専属の近衛騎士と上級騎士の数人、それとどうしてか文官と呼ばれる人達もついてきていた。俺の背後は長蛇とまではいかないが、ほどほど長い列になって帝城に向かう人々の間を割って歩く。

 

「ねえ、後ろにいる人達は何?」

「気にするな。キツキの状況に合わせて各所に連絡や調整をするためについて来ているだけだから」

「じゃあ、今日ずっと後ろをついてくるの?」

「そうだな」

「……今日ぐらいはシキさんと二人っきりで出掛けられると思ったのに」

「それはなかなか難しい相談だな」

「今度は変装して出掛けるか………」

「変装?」

 

 俺は胸元のポケットに入れておいたお気に入りのメガネを取り出して、首を傾げかけたシキさんにメガネを掛けて見せる。

 

「どう??」

「………目の色が違うな」

「そうなんだ。これを掛けると目の色が変わって見えるんだ。ガラスの表面に塗られている薬がどうとか反射がどうとかカロスは言っていたけどさ」

「カロスが準備したのか?」

「第二大陸から取り寄せたって言ってた」

「第二大陸か………」

「シキさんも掛けてみる?」

「俺?」

「ちょっと掛けてみてよ」

 

 俺は無理矢理シキさんにメガネをかけようとすれば、シキさんも諦めたのか俺からメガネを受け取って掛けて見せてくれた。

 

「あっ! シキさんは目が青く見えるね」

「青? へえ」

「これだけでも、シキさんだけどシキさんだってわからないものだね」

「それは面白い。これをライラにいる間ずっと?」

「そう。あとは茶色のウィッグってやつを頭につけてさ。人生で初めて髪がサラサラになったよ」

「それはちょっと見てみたかったな」

「今度一緒に変装しようよ。シキさんも髪色変えてさ」

「髪はともかく、そのメガネはかなり稀少品だと思うよ。簡単には手に入らないんじゃないか?」

「あ、そっか。……適当な事を言ってカロスに準備させるか」

「カロスをそんなことに利用しようとするのはキツキぐらいだな」

「自分でやるって言っても、あいつ、やらせないんだよね」

「………勝手に変装されるぐらいなら、管理しておいた方が安全だしな」

「え?」

「いや?」

 

 シキさんの目は何か言いたげなまま、視線を前方に向けてしまった。


「そう言えば、今日はダウタ殿は?」

「今日の予定がシキさんとお出掛けってことで、エルディは皇務省においてきた。なんだか大変な試験をしなきゃいけないみたいでさ。出来るだけ置いて行けってカロスにも言われているんだ」

「そうか、エルディ殿に試験を受けさせるのか……」


 皆まで言わずとも、シキさんは何か察したようで、エルディをカロスに預けている今の状況に納得をする。

 

「じゃあ、ダウタ殿がいないのならこちらも注意を怠れないな。今のところ体調はどうだ、キツキ?」

「全っ然平気!」

 

 証明するかのように俺は元気よく拳を振り上げる。

 

「それは良かった。だけど体調が悪くなればすぐに言うこと。無理は禁物だ」

「わかった」


 素直な俺の返事に、シキさんは頷く。



「キツキはスライムの証明の後、西の地に街を建設しているって聞いたんだが、進んでいるのか?」

「あれ、そんなことまで知っているの?」

「………色々情報が入ってくるんだ」

「へえ」

 

 それも兄のリシェルさんから伝わっているのだろうか。

 

「建設中の建物がまだまだ多いけど、帝都に負けないような街にする予定だよ!」

「ははっ、それはすごいな!」

「今度一緒に見に行こうよ?」

「行ってみたいが、かなり遠いからヒカリから長期休暇の許可が降りないとな」

「ええ~、またヒカリの許可が必要なの?」

「今はヒカリの専属だからさ」

 

 口を尖らせる俺とは反対に、シキさんはどこか嬉しそうに話をする。

 

「あっ! じゃあさ、ヒカリも連れて行けばいいじゃん!」


 俺ってば天才。

 ヒカリも一緒にライラへ行けば、シキさんはお休みではなく仕事で行くことになる。それなら何度もシキさんがヒカリに許可をもらわなくてもいいし、シキさんの仕事の評価だって下がらないだろう。


「……俺が?」


 シキさんは自分の顔を指差す。


「いや、俺が」

「…………」

 

 シキさんにそんな面倒な事なんてさせられないと、俺は自分に指を差したのだけど、どうしてかシキさんは不安そうだ。

 

「………兄妹喧嘩になったら、俺はヒカリの味方しか出来ないからな?」

「あ! 裏切るの??」

「裏切るも何も、ヒカリであれば俺の立場的にキツキの味方になるのは難しいよ」

「くっ」

 

 至極真っ当な返事なのに、俺は舌打ちをする。

 シキさんには味方であって欲しいが、それでもヒカリの味方でもいて欲しくて。だけど先日のヒカリのむかつく態度を思い出せば、それはそれでとっても嫌だと俺の天邪鬼が暴れ出す。

 どうしてここまで俺の気持ちが取り乱すのか。

 一番の原因を考えれば、あいつしか思い浮かばない。

 

「………こんなにカロスが憎いと思ったことはないよ」


 全てはあいつの仕業で俺は苦境に立たされているんだ。


「……唐突だな。 それを本人の前で言うなよ?」

「それは約束出来ない。シキさんの本来の専属先は俺だったんだろ?」

「……知っていたのか」

「もし俺の専属だったら、今の返事はきっと違っていたよね?」

 

 そう聞けば、シキさんは気まずそうに視線を逸らす。

 

「やっぱり! シキさんの専属先を変えたカロスが許せねえ」

「……カロスにはカロスなりに考えがあったはずだ。だからカロスにそんなこと言うなよ?」

「むっ! どうしてカロスの味方なのさ」

 

 悔しい。さっきからシキさんはカロスを悪く言わない。同意を得られずに、気持ちが不燃焼の俺はギリギリと手に力を入れた。

 

「ふふっ…………」

「何笑っているの、シキさん?」

 

 俺は真剣にカロスを憎んでいるのに。

 

「いや、キツキが年相応の反応をするようになったなって思ってさ?」

「年相応?」

「ナナクサ村で会った時よりも、今のほうが伸び伸びしてる」

「む、俺もう17になるんだけど?」

 

 ナナクサ村では16歳で成人扱いだ。

 

「最初に村で会った時のキツキはさ、敵意剥き出しで警戒をなかなか解かなかったよな」

「………そう?」

「まあ、村の状況を考えればいつ魔物に襲われるかわからないから油断は出来なかっただろうし、外から人はなかなか来ない場所だったから仕方ないけどね」

「…………」

 

 そういや、最初シキさんに会った時はヒカリの側に知らない男性がいたこともあって、超絶警戒していたのを思い出した。

 

「だけど、環境が変わっただけじゃなくて、………そうだな。友人が増えたからかもしれないな?」

「友人?」

「ダウタ殿とか、カロスとか」

「うへぇ。エルディならともかく、カロスを友人枠に入れるのをやめてよ」

「そうか?」

「ねえ、そんなにカロスと仲良しに見える?」

「俺よりも仲良しだろ?」


 ……やめて。


「それは俺の面倒を見るのが、あいつの仕事だからじゃないの?」

「カロスは仕事となれば、淡々としているけどな」

 

 そう言ってシキさんはおかしそうにまた笑う。

 つまりは、俺に対しては仕事のはずなのにいつも通りやっていないって事なのかな?

 シキさんの言葉に少し疑問を持ちつつ考え込む。


「そういえば俺が寝ている間、カロスの奴ヒカリに手を出してた?」

「いや、北城での食事と報告以外は特に接点はなかったと思うが。どうかしたか?」

「なんかさ、ヒカリと距離をとっているよね、あいつ。今までなら仕事とかこつけて、ヒカリに会いに来ては手を出していたのにさ」

「そうだったのか?」

「………」


 そうか、シキさんは西へ繋げる道を作る時には数日しか来れなかったから、あのカロスのしつこさを見ていなかったか。

 

「……ねえ、シキさん」

「ん?」

「あのランドルフって人、どんな人?」

「ランドルフ? 急だな。………キツキはランドルフに興味があるのか?」

「そりゃ、ヒカリの婚約者候補なんて言われたらね」

「……知っていたのか?」

「陛下から直接聞いた」

「あー………」

 

 シキさんは気まずそうに俺から目を背ける。

 

「………シキさんは知ってた? 密約の事」

「いや。俺も大貴族院で聞いて初めて知った。おそらく父も知らなかった話だ」

「そっか……」

「その……。すまなかった」

「うん?」

「まさかそんな約束があるだなんて。知っていれば、ヒカリを帝国に連れてくるなんて事はしなかったんだが……」

 

 俯くシキさんの言葉に少しモヤモヤする。だけど、この件についてはシキさんを責めたくはない。

 

「……今はさ、セウスさんが止めてくれてくれたって聞いたから一安心しているけど、止まっている間にどうにか対応を考えなきゃ」

「………そうか」

「ねえ、シキさんはさ………」

「うん?」

「…………ごめん、何でもないや」

「そうか? 遠慮はしないでくれよ?」

 

 シキさんの整った笑顔を見た俺は、やっぱりこの質問はやめておこうと心の奥に仕舞い込む。シキさんの笑った顔の奥に見えた微妙な彼の揺れ動きに自分も戸惑ったからだ。

 

「この坂を真っ直ぐ下れば門だ」

 

 下り坂のせいか、シキさんの歩く速度は少し速くなる。だけど不安の残る俺の足は、わずかに速度を落とした。



 ………ねえ、シキさん。

 シキさんはヒカリのことをどう思っている?

 ヒカリを取り囲む男達に対抗する気持ちなんて、微塵も無いのかな?

 抑えているの? それとも諦めているの?

 ヒカリの周りはいつもああなるよ。昔から顔だけはおばあさまに似ていたから。

 だけどそんなヒカリの表面以外を見てくれたの、シキさんが初めてなんだ。

 ヒカリの面倒くさがりなところ、出来ないことからすぐに逃げてしまうところ、迂闊なところ、無謀なところ。悪い癖をそのままにせずに直そうとしたの、シキさんが初めてなんだ。

 俺がそうしたくても、俺の言葉は素直に届かないしな。

 俺が勝手に期待したい気持ちなんて、ただの我儘だなんてわかっているけどさ。

 

「キツキ?」

 

 俺がついて来ないことに気づいたシキさんは、そう離れていない距離を振り返る。

 

「ごめん。考え事」

「心配事か?」

「なかなか尽きないよね」

「相談に乗るよ?」

「………」

 

 シキさんの出してくれた助け舟に俺は乗ることが出来ない。だってこの悩みの中心にいるのが目の前にいるシキさんだから。

 

「気持ちに整理がついたらね」

「……?」

 

 シキさんは俺の歩む速度に合わせるかのように隣を歩き出す。俺の返事を不思議がっていたが、何かを思い出したのか表情を変えた。

 

「そうだ、キツキ」

「何、シキさん?」

「正式な招待状は別途届けるが、来月の始めに実家で夜会を開くことになったんだ」

「夜会?」

「ああ。自分で言うのも何だが、俺の近衛騎士就任の祝賀会」

「え、シキさんのお祝い?!」

「そう。招待したいけど、出席出来そう?」

「えっ、俺が行っても良いの?」

「もちろん」

「絶対に行く!! 楽しみ!」

 

 お祝いの夜会ならきっと俺の苦手な派手な衣装だろうけど、シキさんの為なら喜んで着れるぜ。

 さっきまで重くなっていた俺の足はウキウキと浮き足立つ。

 

「ありがとう。そういえば、キツキ達も開くんだろう?」

「開くって、何を?」

「……来月の真ん中頃に、二人の生誕祭が予定されていたと思っていたのだが、聞いていないか?」

「その事をもう知っているの?!」

 

 出来れば隠しておきたいぐらいに黒歴史になる予感がするイベントだ。

 

「当然だろ?」

「当然って……。うへえ、シキさんに言われると現実味が増して来たよ」

「現実味じゃなくて、現実にやるんだ。兄上も張り切っておられたしな」

「………ほどほどにって伝えておいて」

「ははっ。わかった」

 

 歩く俺達の目の前に、城壁の門が少しずつ近づいてくる。そこでは通過する馬車や通行人をチェックする衛兵達が立っているのだが、今日はいつもと様相が違う。衛兵達が門の入り口から奥まで整列して待っていたのだ。カロスから連絡でも届いているのか、俺が通るのを知っていたかのようだ。

 城壁は分厚いから、その分門のトンネルも長いのだが、ここから見えるだけでも延々とトンネル内に衛兵達が整列しているように見えるのだ。

 彼らの視線は俺一点に集中する。

 一瞬たじろいでしまった俺とは違い、シキさんはその道を毅然とした面持ちで歩く。

 さっきまで柔らかく笑っていたシキさんだったのに、その凛とした姿は誇り高い騎士の顔に戻っていた。

 彼の隣を歩こうにも、俺は気後れしてしまう。

 それはシキさんが皇帝の血を引く皇族でもあるから。

 こんな立派な人達を差し置いて、どうして突然現れた俺なんかが皇太子になるのだろうか。

 倒れてからさらにその気持ちは大きくなっている。

 疑念のように燻っていた煙は、今や心の薄黒い底を照らす炎となってゆっくりとそして確実に燃え広がる。


 どうして俺は貴族から支持されているトルス皇子を退けなければならなかったのか。

 どうして国民からも信用の厚い人が剣を持って反乱を起こさなければならなかったのか。


 憑かれて離れない疑惧(ぎく)の念は俺の決心すら脅かす。

 

「殿下?」

 

 シキさんから遅れ出した俺を、後ろを歩くバートが心配そうな顔で見ている。

 

「……大丈夫だ」

 

 シキさんを目で追えば、出口から差し込み始めた光に彼の肩はゆっくりと照らされ始めていた。







 帝城の敷地を囲う四宝城壁をくぐると、緑が広がる穏やかな街並みと大通り。城壁の外は静かで、かといって静寂でもない。内城に向かう馬車はひっきりなしだ。俺達はその流れからやっぱり逆らって歩く。

 道路を渡る箇所箇所にはすでに騎士が配置されている。俺達を確認するや否や、通過しようとする馬車を止めては俺達一行を通す。

 

「なんだか悪いな」

「どちらにせよ止まるのだがら、気にしなくて良いよ。歩行者がいれば先に通すのがマナーだからね。特に外城を走る馬車はゆっくりと走るから、止まるのもそう大変ではないよ」

「内城以外は?」

「全部ではないが、言葉通り生き馬の目を抜くようだよ」

「なにそれ」

「ぼうっとしていると撥ねられるって意味だ。気をつけろよ?」

 

 シキさんは俺がヒカリと似て(にぶ)ちんだとでも言いたいのか。

 

「ヒカリじゃあるまいし」

「それはヒカリなら撥ねられるって思ってるってこと?」

「そう、ヒカリならやりそうでしょ? だからその時は助けてあげてね」

「……はは」

 

 シキさんの笑顔は硬い。そのままシキさんはゆっくりと周囲を見回す。

 

「そういえばキツキ。以前ヒカリにお使いを頼んだ事があっただろ?」

「お使い?」

「西の道をつくっていたときだ。ヒカリに護衛の男を一人つけてさ。城下町で会った事があるんだが………」

「ヒカリと護衛の男? ………あ、フィオンのこと?」

「フィオン? そんな名前だったかな?」

「フィオンがどうしたの?」

「彼は何者なの?」

「そういえばシキさんには紹介がまだだったよね。エルディのダウタ領にいた兵士でさ、俺が頼んでダウタから来てもらったの。ヒカリの護衛を頼みたくてさ」

 

 そう答えれば、シキさんの表情は少し硬くなる。


「……護衛? その頃には近衛騎士がいたんじゃないのか?」

「あ…………」

 

 その言葉で当時の事情を思い出すと、自然と冷や汗が滝のように流れ出す。

 カロスが連れて来た近衛騎士を俺は登用しなかったのだ。

 

「キツキ?」

「ちょっと事情があってね?」

「事情??」

「ヒカリに帝都から来た人間を付けたくなかったんだ」

「どうして?」

「どうして………」

 

 どうしてって、それはヒカリの耳にシキさんの婚約の噂を入れたくなかったからさ。それにヒカリがシキさんに気があるってことも、ヒカリにベタ惚れだったカロスの耳に入れたくなくて、帝城から来ていた近衛騎士達を近づけたくはなかった。だからそういった事情には関知しないダウタ領のフィオンを抜擢したのだが。


「どうしてもって答えていい? 逆にどうしてそこまで聞きたいの?」

「……あ、いや」

「シキさん?」

 

 俺には無理に聞こうとしていたから、俺も追い込みをかける。

 

「実はヒカリの護衛だった彼に、魔法を使ってまで足止めしてしまってね」

「ま、魔法?? どうして??」

 

 フィオンに魔力はない。そんな彼にどうしてそこまでして足止めをしたのか。

 

「聞いていなかったか。……すまない。実はヒカリが誘拐されているのかと勘違いして」

「フィオンを誘拐犯だと?」

「……ああ。彼には申し訳ないことをした」

「………」

 

 フィオンはさっぱりとした良い奴だけど、目は吊り目で愛想は皆無だ。正直、シキさんが誘拐犯だと勘違いしたと言われても悲しいかな、それを俺は責めることは出来ない。……すまない、フィオン。

 そんな事があっただなんて聞いてはいなかったが。


「次からは気をつけてね」

「……ああ」

 

 だけど、どうして魔法まで使う様な騒動になったのか。ヒカリを挟んで話し合えばわかりそうなものなんだがと、俺は首を傾げた。

 シキさんと離れていた間の話をしながら歩けば、いつしか俺達はリトス邸の門まで辿り着いていた。意外とあっという間だ。

 門にはクシフォス騎士団の騎士が門番として立っていた。こちらにも連絡が行っていたのか、急に戻ってきた俺を見ても驚きもせずに粛々と門を開ける。


「ありがとう」


 お礼を言えば、騎士達はゆっくりと低頭する。………クシフォス騎士団の騎士はなんだか気品が違う。

 門を過ぎれば、お気に入りだった庭園が見えてくる。その奥にリトスの本邸があるのだが、半年は帰って来ていないリトス邸は最後に出た時とそう変わらずにいた。その事に大きな安堵を覚えた。

 大叔父様にはだいぶ甘えてしまった。本来なら爵位を継いだ自分がリトスの全てを切り盛りしなくてはいけなかったのに、お任せしてしまったのだ。

 本館の玄関先には執事のポール。

 だけど大叔父様の姿は見えなかった。

 

「おかえりなさいませ、旦那様」

「ただいま、ポール。留守をありがとう。……ねえ、ポール。大叔父様は?」

「大旦那様は少しご体調がすぐれずにお出迎えが難しく、ですが談話室にてお待ちになっておいでです」

「え、大叔父様、体調が悪いの?」

「………少々。ご心労もあったのだと思います。ですが、旦那様のお姿を拝見されればお元気になりますよ」

 

 俺は大叔父様と感動の再会が出来ると思っていた。だけどそれは現実を知らない俺の希望でしかなかった。

 ポールに案内されて談話室へ向かう。図書室のような渋みのある部屋には大叔父様がいらしたのだが。

 再開した大叔父様はとても小さくなられていた。羽織られた衣装は拠り所となる身体が無いのか、所々に窪みのような皺が寄る。そして椅子の傍らには半年前までは使われていなかった杖が。

 相変わらず笑む顔はお優しいが、それでも顔にはクマや皺が増えていた。それを気取られないようにか、大叔父様は笑みを欠かさない。

 

「お元気な姿拝見できて安心しました」

「………留守の間、ありがとうございました。大叔父様」

「ほほっ。まだまだこの身がお役に立つようで良かった」

 

 大叔父様は笑うが、それがなんとも心苦しい。

 

「……もうしばらく帝城にいますが、そう遠くないうちにこちらへ戻ってきます」

「そうですか。それではヒカリも?」

「ええ、もちろんです」

「それは楽しみだ」

 

 大叔父様は嬉しそうに、それは嬉しそうに笑う。だけど近くでやり取りを聞いていた俺の護衛達は違う。そもそも俺がリトス邸へ戻るだなんて話は、カロスにも伝えていないし許可だってもちろん取っていない。

 俺が唐突に思いついた只の絵空事だ。

 それでも大叔父様のご様子を見れば、このままではダメだと心が焦った。

 こんなにも体調が優れない大叔父に、これ以上働いてもらうわけにはいかない。それでなくてもリトス邸の敷地は広く、領地管理がなくなったとはいえ邸宅の管理だけでも老いた身には大変だっただろう。

 今すぐにでも休んでいただきたい。

 

「今、困られていることはありませんか? すぐにでも手配します」

「はは。今のところはポール達がいますのでなんとか。それにキツキが戻られるのなら、もう少しですから大丈夫でしょう」

「ええ。出来るだけ早く戻ります」

 

 そう答えれば、大叔父様はにこやかな表情になった。

 もう、本当に戻ってこなくては。

 俺は手をぎゅっと握りしめる。

 

「西地はいかがでしたかな」

「ああ、そうでした。西の地は…………」

 

 俺はリトス邸を出発してからの事を大叔父様に話し始める。それは同席していたシキさんも新鮮な話だったようで、相槌を打ちながらも時々シキさんは問いを混ぜてきた。それはヒカリの事だったり、ナナクサ村での話だったり。

 そしてうっかり触れてはいけない事にも触れてしまったのだ。

 

「……そのセウスという男性はいつからヒカリとお付き合いを?」

 

 大叔父様の当然の疑問に俺は固まる。笑みは欠かさないが、どうしてか視線が強くなったことだけはわかる。横で座っていたシキさんも、興味深そうに俺に視線を送る。

 そうだよな。二人にはいつの間にと思ってしまうのは仕方ない。俺だって二人の関係には驚いたぐらいだ。

 ……だけど二人が付き合うきっかけになったのは、俺の行動のせいかもしれない。

 なんとなく自分にも原因がある気がしてきた俺は、言葉を濁しつつ答える。

 

「あ、………えっと。その………村に戻ってすぐのことでした」

「……そうでしたか。では、元よりヒカリには気持ちが残っていたのかもしれませんね」


 そう言って大叔父様は寂しそうに納得された。

 だけどその言葉に今度は俺が疑問を持つ。

 ん? そもそも気持ちも何もヒカリは元々セウスさんには気が無いはずだ。それは近くでずっと見ていた俺が良く知っている。そうなれば良いと思った時期もあったのに、全くそういった方向に進まなかった二人だ。それがどうして一晩で心が変わったのか。

 あの時に解決しなかった疑問が再び膨らみ始める。………余裕が無かったしな。


 ヒカリの事はわからない。特に大喧嘩をしてしまってからは。ほとんどをカロスとセウスさんや村に任せて、俺は俺の目的だけを達成した。

 そういや、ヒカリに手伝わせるだけ手伝わせて、お礼も言っていなかったな。

 目的が達成して自分の行いを振り返れば、俺の唐突な行動で如何にヒカリを巻き込んでいたのか図らずとも鮮明になってしまった。ヒカリには今度きちんとお礼と謝罪をしなくてはな。今までのこと、そしてこれからの事も。

 まだまだあいつには迷惑をかけてしまうだろうけど、ここで止まるわけにもいかない。

 今度はリトスの家を盤石にしなければ。

 ヒカリに相談の“そ”の字すらしていないのに、再び妹を巻き込む作戦を一人決心した。


<独り言メモ>

 文字数的にカロス達の話は前話に入れても良かったなと反省中。(公開してしばらくしたら編集するかもです)

 複数を並行書きしていたら、気づいたら三ヶ月です。大変お待たせしました。ごめんなさい。もうこのペースで行くかもしれません。

 裏話楽しいぃぃ!



<人物メモ>

【大叔父様/ヨシュア・リトス】

 双子の祖父であるオズワードの弟。兄が消えてからずっとリトスの家を守ってきたが、今はキツキに家督を譲り隠居生活へ。二人を孫のように可愛がる。


【ポール】

 リトス家の執事。昔は執事長でもあったが、ヨシュアが家を閉じようとしていた時にほとんどを解雇したため、今は自分と息子だけが残っている。

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