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Slime! スライム! Slime!  作者: 笹餅よもぎ
第三章
207/219

もう一つの物語5

 翌日。

 俺は大した手伝いもせずにケントとエリーの朝の戦争を見届けたあと、浮かれた気持ちで公園へと向かった。

 もちろん目的は、市場と化している公園脇の露店群にいるダナだ。


 見慣れた店を早速見つけて、うきうきした気持ちでお店を覗き込む。そこにいたダナを見つけて、俺は手を振ったのだが、肝心のダナは俺を見るなり視線を逸らせてしまった。



 んん?



 嫌な予感がする。

 今までこんな反応をダナにされた事は無かった。

 俺を見ようとしないダナの背中を見ながら、俺は恐る恐る店に足を踏み入れる。


「お……おはよう、ダナ」


 もう一度挨拶をしたけれど、ダナはそっぽを向いたまま返事をしてくれない。


「ダ、ダナ?」

「……おはよう」


 ようやく返事をしてくれたのだが、やっぱり目を合わせてはくれない。

 俺、何か気に障る事をしたかな?

 そう思っていると、店の隅で俺達の様子を遠巻きに見ていたアベルを見つけた。俺は機嫌の悪そうなダナと一定の距離を取りつつ、すすすっとアベルに近付く。


「おはよ、アベル。どうしてダナは機嫌悪いの?」

「……ダナはお前にだけ機嫌が悪いんだよ」

「だから何で?」

「心当たりは?」

「無い。俺がダナに嫌われるような事を進んですると思う?」


 真剣にそう答えれば、アベルは困惑した顔で頭の後ろを掻いた。


「女がいるんだってな?」

「女?」

「昨日、テオと仲良く並んで歩いているところを見たらしくてな。それから機嫌が悪い」

「昨日?」


 身に覚えのない話に驚くが、よくよく考えれば昨日の俺は出掛けていた。それも女性二人と一緒に、食堂で足りなくなった食材の荷物持ちとして借り出されていた。


「あっ!」

「……付き合っている女でもいたのか?」

「そんなわけない!」


 まさか知らずのうちにダナと遭遇していたとは。

 ダナに会いたくて公園に近付こうとしていたけれど、それが裏目に出てしまったのか。

 だとしても遭遇に関しては良い。俺だってダナに会いたかった。だけど、どうしてそんな有り得ない勘違いをしてしまったのか。


「それだけで、怒っているの?」

「……女と路地裏に隠れたんだって?」

「は?」

「親密そうだったと言ってたぞ?」

「はあぁ?」


 俺の頭の中はチカチカする。

 それは確か、エリー達がとある男性から隠れたいがために、俺を建物の間に引き摺り込んだ事件。尻餅もついたし、口も塞がれ、半ば誘拐されたような突発的な人災だ。


「それは彼女達に無理やり引っ張られて……」

「女に路地裏に連れて行かれて、何をしていたんだ?」

「俺の信用度、低っ!!」

「そうだな」


 ヒドイ。


「何もしてない! 人を避けたらすぐに出てきたよ! 見てないの?」

「男女が路地裏に隠れた後、わざわざ覗き見をするような出歯亀にうちのダナが見えるか?」

「見えない!!」

「だろ?」


 アベルと共にダナに視線を流すが、ダナはこちらをチラリとも見ようとはしない。

 どうしてそんな一部だけを目撃してしまったのか。

 背中しか見せてくれないダナの姿に、俺の心音は危険を知らせるかのように昂進(こうしん)していく。

 事件が事件を呼んでしまったと、俺は慌ててダナに近付いた。

 勘違い、怖い!


「ダ、ダナ! 違うんだ。昨日は食堂で働いている女の子達と、食材の買い出しに行かされていたんだ! 食堂の手伝いをしていたんだ!」


 そう説明すると、そっぽを向いていたダナの視線は俺を垣間見た。


「……食堂のお手伝い?」

「そう! 大雨の日に俺が倒れてから、女の子二人を新しく雇ったんだ。彼女達はただの同僚!! 路地に連れ込まれたのも一瞬だ」


 懸命に説明するけれど、ダナの表情は暗い。


「でも……」

「でも?」

「並んでいた子、とても可愛らしくてテオと仲が良かったわ」


 ダナはいじけたような顔で眉を顰める。


「並んでいた子?」


 俺は昨日の配置を思い出す。

 サリーは出しゃばらずに後ろを歩き、もう一人は先導するように俺の横を……。

 俺はハッとする。

 並んでいた子ってエリーのことか?

 あれはケントにも怯まない猛者(もさ)じゃねえか。

 可愛いだなんてありえない!

 それに仲が良かったんじゃない。始終命令されて振り回されていたんだ。


「ダナの方が、断然可愛いよ!!」


 そう言い切れば、ダナの視線は俺に向く。


「……本当?」

「本当本当!」


 俺は一勝懸命に伝えたはずなのだが、ダナの表情はそれでも優れない。


「………あ、あのね、テオ」

「何、ダナ?」


 やっと俺と向き合ってくれたダナに俺は一安心したのだが。


「今日は忙しくなりそうだから、一緒に遊びには行けないわ。帰ってもらえる?」


 んんん?


「ダ、ダナ?」


 ダナの視線はまた下へと向いてしまった。

 体中から汗が吹き出す。

 まだ納得していないのか?

 それなら時間を置いたとして、この話が自然と良い方向に行くとはどうしても思えない。ここで離れたら終わりな気がしてならなかった。


「いやだ!」


 俺がそう駄々を()ねれば、静かに見ていたアベルが俺達の間に割って入ってきた。


「そういう事だからテオ、帰ってくれ」

「何で?!」

「今日は忙しいんだ」


 アベルは当然の如くそう言うけれど、店には俺しかいない。

 視線を左右に動かして見回すけれど、やっぱり客は誰もいない。

 どう見てもこの店は閑古鳥が鳴いている。


「……違うよね?」

「俺が忙しいと言えば忙しいんだよ」


 なんて横暴な。まるでケントだ。


「ダメなの?」

「ダメなものはダメだ」


 店主であるアベルに拒否されれば、さすがの俺だって居づらい。


「ぐぬぬぬぬ」

「ほら、さっさと帰れ帰れ」


 アベルは俺を追い払おうと、手を何度も払う。

 俺は獣か。

 そんな折、道路から見回りの兵士二人がこちらを注視している事に気がついた。はたから見れば俺は店で問題を起こしている迷惑な客にしか見えないのだろう。だけど彼らが気にしているのはそれだけだろうか。

 兵士の二人は俺を見ながら、足を止めてひそひそと話をしている。あれは普通の兵士なのか、問題のある兵士なのか、それとも………。

 俺の視線はスッと冷める。

 どちらにせよ、ここで大事になっても不味いなと思った俺は口を閉じて静かにすると、問題はないと判断したのか、兵士達はこちらを気にしつつも通り過ぎていった。

 …………どうやらただの巡回だったようだ。


「……行ったようだな」


 俺を追い払おうとしているアベルの視線も、警戒するような目つきでさっきの兵士達を見ていた。

 俺は警戒したまま、アベルに問いかける。


「ねえ、アベル。ここ最近………」

「おい。話を誤魔化して、ここに居座ろうとしてもダメだぞ?」

「うっ……ち、違うってば」

「じゃあなんだ?」

「さ、最近この辺りで変な噂とか騒ぎってあった? それか巻き込まれたか」

「変な?」

「街の兵士に言いがかりをつけられたとか?」

「あー……」


 アベルは視線を上にする。


「心当たり、あった?」

「うちは無いが、この二件隣に店を出していた乾物屋が、兵士達に絡まれてからいなくなったな」

「いなくなったって?」

「店を畳んで街を出たようだ」

「えっ?」

「それがどうした?」

「ねえ、そのお店繁盛してた?」

「ん? ああ。主には乾物だったが、この街には少ない青果品も毎日仕入れていたから、重宝されていたな」

「青果……」


 青果ってことは野菜や果物か。

 ライラの周辺は砂漠だから、青果品に(かか)わらず店で提供する商品は遠くから運んで来なくてはならない。消費期限のある食品類を毎日提供出来ていたって事は、複数台の馬車を毎日動かして食品を切らさずに運んでくる事が出来る規模の商会だったはずなのだ。

 俺はグッと手を握る。


「……まずいな」

「まずい?」

「あ、いや………こっちの話。ほら、野菜が入ってこなくなると、うちの食堂も困っちゃうなって……」

「確かにこの街では食品の仕入れは大変そうだな」

「そうなんだよ、あは……はははは……」


 俺は誤魔化すために愛想笑いをするが。


「さて。話が終わったのなら、さっさと帰れ」


 俺が何を言ったとしてもアベルはブレない。

 手を払いながら再び俺を店から追い出そうとしているが、まだ客の一人もやっては来ない。

 それなのに、そんな態度を崩さないアベルに俺は少しばかり(いら)ついてきた。目の前にダナがいるのにと、余計に苛立ちは加速する。


「アベルの店も、兵士達に絡まれるぐらい繁盛すれば良いのにね!」


 暴言を吐いたところで、スカッとする気持ちなんてほんの一瞬だけである。その事に気付くには、そう時間はかからなかった。


「………お前、出禁にしてやろうか?」


 出禁。それは出入り禁止という言葉の略語。

 つまりは店には来るなって事。

 更にはダナには会うなって隠語でもある。

 口は災いの元とはよく言ったものだ。

 暴言の代償は大きい。

 アベルの思わぬ反撃に、俺の顔は一気に青くなる。


「わわわわっ、嘘です!」

「しばらく来るな」


 お怒り気味のアベルは、払っていた手を引っ込めて腕を組み、譲らないと言わんばかりの防御の姿勢になる。

 こうなると人は頑固を更に(こじ)らせる。俺の家族もそうだった。

 この状況をどうにかしたいが、うちのケントすら恐れないアベルに俺が何を言ったところで、何の脅しにもならないし、交渉すらままならないだろう。

 これはさっきよりも不味い事態になった。


「そんな、アベルーー!」


 窮地を悟った俺はアベルに(すが)ってみるが、当のアベルは冷酷にも俺の体を方向転換させると、背中をぐいぐいと押して店の外まで追い出そうとする。必死に足で踏ん張ってみるが、アベルの力はとても強い。ずりずりと押し出される。


「しばらくってどのぐらいだよ?」

「俺が良いと言うまでだ!」

「だから良いっていつだよ?」

「いつだろうな?」

「お、俺が悪かったからー! ごめんなさいー! やめてー! アベルー!」

「邪魔だ。さっさと帰れ」


 これだけ謝っても縋ってもアベルの強行姿勢は解けない。そのうえダナからもそっぽを向かれたままで、俺の心は挫けそうだ。


「あ、明日も来てやるからなっ!!」


 店から押し出された俺は吐き捨てるように叫ぶと、悔し涙を流しながら食堂まで走って帰った。







 昼になる少し前。準備中の看板が掲げられた食堂の中では、食器を片付ける音が優しく響く。エリー達は穏やかに動き、賑やかだった朝の余韻はない。

 客が一度引いた落ち着いた店内なのだが、俺の表情は緩むどころか仏頂面だ。

 それは目の前でケントが大笑いしているからだ。


「そ、それで、追い出されてきたのか?」

「もう何度も説明しているだろ?」


 ひいひいと呼吸を乱し、最低なまでに今日の俺の不幸を楽しんでいる。


「良かったな」

「はあ? 何処がだよ?」

「嫉妬されて」

「……嫉妬?」

「その妹が、並んで歩いていたエリーに嫉妬したって話だろう?」

「エリーに?」


 自分の名前に反応したエリーはこちらを振り向くが、俺が違うよとジェスチャーを送れば、彼女は気にしつつも仕事に戻っていった。

 エリーに嫉妬だなんて不可解だなと思う一方で、ケントの言うようにそれってそういう事なのかな、なんて考えれば、俺は少しだけ嬉しくなる。

 まさか、ダナは俺の事を??

 そんな妄想を浮かべれば、顔は簡単に綻んでいく。むしろ溶けていく。


「だけど、兄のアベルに出禁言い渡されちゃったよ」

「……まあ、そろそろだから、いい機会じゃないのか?」

「機会って、なんの機会だよ?」

「そのアベルの店の許可は一ヶ月なのだろう?」

「そう言っていた」

「ということは、あと半月も無いんじゃないのか?」

「……無いって?」

「行商人なら、路上販売許可の期限が過ぎたら商品を補充しに戻るか、次の街へ行くだろうよ」

「え?」


 ケントの言葉に、俺の視線はカレンダーに向いた。

 ダナに出会った時点で既にどれ程の日数が過ぎていたかはわからないけれど、それがどうであれ、ケントの言うように時間は少なさそうだ。


「その時が来たら、きちんとサヨナラしてこいよ?」

「………何でだよ」

「ずっと一緒にいられないなんてわかっているだろ?」

「だけど………」

「情に流されて、連絡先なんて交換してくるなよ。後腐れなく切ってこい」

「………」


 俺は言い返せずにグッと口に力が入る。

 ケントの言い分も理解出来る。だけどダナとはそんな簡単な関係にはしたくない。


「返事なしか。納得いかないって顔だな」

「ダナと、離れたくないんだ………」

「………冗談はよせ」


 ケントは俺の言葉を厄介そうに聞くと、吸わずに持っていたタバコを灰皿に押し当てて火を消す。


「ねえ。もし……もしだよ? 俺が全てを放棄すれば、ダナとは離れられずにいられる?」


 真剣にそう聞けば、ケントは深いため息をついた。


「……俺がそんな事をさせると思っているのか? それにあの人が全力を()ってしてお前を引き摺り戻すだろうよ。知っているだろ? お前の事になれば手段なんて選ばない事を」

「……俺は」

「何も考えずに簡単に引き受けたのか?」


 そうじゃない。俺だって状況を理解して承諾した。それなのに、その言葉に俺の心は曇る。


「嫌なら違う人間にお前の仕事が流れていくだけだ。俺はどちらでも良いがな。俺は俺の仕事だけを遂行するだけだ」

「ケントって嫌味なぐらいに冷静だよね」

「冷静? 馬鹿言え。こちとら今回の事は腹わたが煮え繰り返っている。今でも帝国軍と喧嘩してやりたいほどだ」

「…………落ち着けよ」

「だがな、持たされたものを簡単に放棄出来るってのは、それがどれほどの年月が積み重なった替えの効かない重大なものか知らないからだ。それを知ってしまえば、色んな意味で逃げられない。お前も俺もな」


 ケントは胸のポケットから新しいタバコを取り出すと、カウンターにあった燭台から火をつけた。


「俺は………そうは考えられないよ」

「そうか………」


 ケントはタバコの煙をふーっと吐き出す。


「まあ、よく考えれば俺はそれを無理強い出来る立場じゃないな。だから好きにすればいい」

「好きにって………!」


 それが出来ないって、さっきまでケントも言っていたくせに。急に話を放り出したケントを俺は睨みつける。


「今ある形が嫌なら自分で形を決めればいい。だが、そこに生じる摩擦も一緒に背負う覚悟でいろ。全てが自由になんてならない。それはどんな人間でもだ。文明に生きれば文明に縛られ、自然に生きれば自然に縛られる。それは国も同じだ」

「………」

「規律を放棄して全員が好き勝手生きてたら、約束された安寧なんてどこにも来ないんだよ。常に奪い合い、殺し合いになるだけだ。だから好きに選べばいい。俺はどちらに転んでも生き抜いてやるがな」


 ケントの言葉に言い返せなくて、俺はグッと手を握る。


「……ケントって本当に嫌味」

「嫌味を言った覚えはないが、好きに捉えればいい」


 ケントはそれだけを言うと、たばこを咥えて二階へと行ってしまった。

 その背中を見ながら、俺はぐちゃぐちゃになった思考を放棄したくてカウンターにうつ伏せる。


 わかってるよ。自分の立場ぐらい。

 逃げられないことだって。

 ここは自由で、心地良くて、それを少しの間忘れてしまっていただけだ。


「………ダナ」


 目を瞑って笑うダナの顔を思い浮かべる。

 彼女に会いたい。会って何気ない話を笑い合いたい。

 そしてずっと側にいて欲しいと伝えたい。

 こんな短い間の関係なのに、そんな事を言えば引かれてしまうかな、なんて俺は自分の浅はかさに苦笑いする。


 それでも。

 顔を乗せた指がぴくりと動く。

 妄想の中で俺はダナを強く抱きしめる。するとダナも同じように抱き返してくれる。

 それはとても幸せで、永遠のように思えて。


 だけど現実はそれがいかに難しい事で不可能に近い事だったと、この時の俺にはわかっていなかった。





 ****





 ― 食堂二階休憩所 ケント ―


 椅子にもたれながら俺は天井を見上げる。

 正直、ここでの生活は堪える。

 あの困った坊やのお守りをしながらの生活だ。俺達はいつまで身を隠すのか。終わりがわからないというのは、なんとも苦しいものだ。

 別れを告げることさえ出来なかった家族を思いながら、目を瞑る。


 息を軽く吐き出すと、階下から上にあがってくる足音が聞こえてきた。その歩き方で誰か判ると、上がり切る前に俺はその男に声を掛けた。


「よお、ヴァンニ。遅いじゃないか」


 しばらくすると、階段から帽子が見えてきた。

 もう一段上がれば、その男と目が合う。


「すみません、ケントさん。城から中々帰れなくて」

「なんだ、拘束でもされていたのか?」

「冗談はやめてくださいよ。少し情報の確認に手間取っていただけです」

「昨今の食材屋は大変だな。食材納品ついでに情報収集なんてな。それで? 城の様子はどうだった?」

「帝城から追加で派遣された統制官率いる治安部隊が幅を利かせ始めています」

「あのいかにも高貴なご貴族の子弟ですと言わんばかりの集団か」


 俺の話にタレ目の男は苦笑いする。


「全員がそうではありませんけどね。その部隊が城を仕切り始めていますので、それが気にいらない役人や軍人達が多かれ少なかれ、いるようですね」

「リトス侯爵ってのは城にいたか?」

「いえ、姿形もありません」

「当然だろうな」

「ええ」

「帝国の役人も質が落ちたものだ。よく今まで問題が表面化しなかったものだ」


 ヴァン二は帽子を取ると、食材の入った箱をテーブルに置いた。


「おいおい、食材は下に置いてこい」

「先にこちらをお渡ししたくて」


 そう言ってヴァンニは箱の中から食材に埋もれていた数枚の紙を取り出す。


「……リヴァイア城を代理で取り仕切っていたのは誰だ?」

「帝城から派遣されているプレアル執政官です」

「あのプレアル伯爵家のボンクラか」

「違いますよ。常識人ですが、押しと秩序に弱いだけです」

「執政官なら、抑え込めっての」

「……ケントさんなら出来ますか?」


 ヴァンニは箱から取り出した紙を俺に差し出してくる。それを受け取ると、その紙に目を落とした。


「カスタニア公爵の遠戚………ね。確かに厄介だな」

「王朝持ちの公爵家ですからね………」

「先帝派親玉の登場か………」


 その名前に、眉間に皺が寄った。





 ****





 数日の間、アベルは言葉通り俺を出禁にした。

 アベルは有言実行の(おとこ)らしい。

 力で負け続けた俺は何度も店先で追い返されたが、俺は諦めない。

 俺は諦めの悪い面倒臭い男だとアベルに知らしめてやる。

 それが良い効果なのか悪い効果かなんて、後で考える。

 何が何でもダナと話をしてやるんだ。

 だって、彼女の口からもう会わないと言われたわけじゃない。

 ダナの口から本音を聞かなきゃ、到底納得出来ないじゃないか。

 そう意気込むけれど、露店の羅列(られつ)に近付く俺の視線は下を向いた。 


 アベルの露店近くで足を止める。アベルが今日も門番のように店の前に立っていたからだ。今までは店の奥で座っていたのに、あの日からアベルはこうやってダナの代わりに店の前に立つようになった。そのためか、寄らない客がさらに寄ってこない。アベルの店の前だけ、人が避けるように歩く。

 風貌もさることながら、眼帯の無い目からは殺気しか見えない。

 絶対商人には向いていないとは思いつつ、俺はアベルに近付く。


「おはよ、アベル。朝から殺気はしまえよ」

「しぶとく来たか、テオ」


 俺の話を聞かないアベルは、偉そうに腕を組むと俺を見下ろす。


「……ダナはまだ怒ってるの?」


 そう質問すれば、いつもとは違いアベルはため息をついた。

 どうしたのかと思えば、アベルは俺を追い出さずに振り向く。


「ダナ、今日も迷惑小僧が来たぞ?」

「………」


 店の奥にいたダナは服をギュッと握るだけで俺達を見ようとはしない。


「素直になるんじゃ無かったのか?」

「………」


 沈黙するダナに、アベルはため息をつく。


「話をしないのなら、この小僧には帰ってもらうぞ?」


 さっきから小僧小僧と失礼だな。

 だけどケントのその失礼な言葉に、ダナは反応した。


「……待って」


 そう言ってダナは顔を上げた。


「どうするんだ?」

「……自分で話をする」

「そうしろ。後悔のない様にな」


 ケントはダナに近付いて肩を叩くと、二人で出かけて来いとダナの背中を押した。

 ダナは俺の前まで来ると足を止める。俯いたままだったけれど、久しぶりにダナを間近で見る事が出来た。

 困っている顔も可愛い。


「昼までには帰って来い。いいな?」


 ケントの言葉に俺は頷く。


「テオ。今日は護衛はつけない」

「え?」

「正確には遠くからだ。話声は聞こえない距離に待機させる」

「………いいの?」

「ダナを頼む」

「……え?」


 頼む?

 ………ダナを頼む?

 それって…………それって、ケントに認められたってことか?

 さっきまで地の底を這っていた俺の心は空へと舞い上がる。


「勿論だよ!」

「………おい、無事に帰せって意味だかならな? 勘違いするなよ?」


 ニヤけた俺とは違って、アベルは呆れ顔だ。

 浮かれた俺は、ダナに海を見に行ってみようとそっと手を差し伸べる。最初は反応のなかったダナも小さく頷いくと、俺の手を取った。


「ちゃんと無事に帰すよ! 安心してよ!!」


 俺は力の限りアベルに返答する。

 アベルはやれやれといった感じで、店の近くにいた護衛の二人に話しかける。俺はそれを確認すると、ダナの手を強く引いた。


「行こう、ダナ!」


 俺はダナに笑いかけると、急ぎ足で店が乱立する市場を離れた。







 波打ち際で俺とダナは佇む。

 港から離れればライラの街には岩が混ざりつつも、延々と続く砂浜があった。公園からはかなり離れているものの、遊ぶには良さそうな場所だ。

 暑さもあってか、海にはちらほらと泳ぎに来ている大人達がいた。

 あれからダナは一言も喋らない。周辺は波の音と、大人達の賑やかな声。ここへ来るまでの間に雑談をしたけれど、そのどれにもダナは反応してはくれなかった。

 気持ちは焦りながらも、ダナが話し始めてくれるのを俺は待っていた。


 ダナの視線下がりっぱなしだ。時々視線を上げて考え込んでいるようだが、視線は再び下を向いてしまう。それを何度も繰り返すダナを、ちょっとだけ幸せな気持ちで観察していた俺だったが、ふとダナと目があった。


「あ………。ダナ、何?」


 不躾に見ていた事がバレてしまっただろうか。


「あの……。あのね、テオ。わ、私ね……」


 ダナは消えそうな声を振り絞る。頑張ったみたいだけど、そのままダナの言葉は途切れてしまった。


「…………」

「………ゆっくりで良いよ?」


 そう伝えれば、ダナはどこか安堵した表情をする。静かに深呼吸をしたダナは、視線を浜に戻すと、ゆっくり話し始めた。


「しばらくの間、ごめんなさい。少し動揺したみたいなの」

「動揺?」

「その…………」

「俺が食堂の女の子と歩いていたって話?」


 そう質問すれば、ダナは小さく頷く。


「私ね、自惚れていたんだと思うの」

「自惚れ?」

「……うん。私だけがテオと仲良くされているって思っていて、…………多分驚いたんだと思うの」

「………」


 ………ほほう。


「ごめんなさい。私、変な事言ってるよね?」


 ダナは足を抱えていた腕に力を入れる。目は合わないが、顔を赤らめて下を向き続けていた。


「なんで? 俺もダナと一番仲良くなりたいと思っているけど」

「………本当?」

「うん」


 俺の言葉にダナの表情は少しずつ明るくなる。


「私も。こんなに私を外へ連れ出してくれるのは、テオが初めてだったから、………嬉しくて」

「初めて?」

「あ、私ね……その、過保護に育てられちゃってて……」

「ああ、確かに」


 強面のアベルを思い浮かべる。ダナがどこへ行くにも護衛を外さない。兄であれだ。きっと家では外へ遊びに行くことすら許可がなかなか降りないのだろう。大変だな。


「俺はアベルには信用されたっぽいから、今度から行きたい所があれば言ってよ。色々連れ出してあげる」


 そう言えばダナは笑う。


「本当?! ふふふ、ありがとう」

「どういたしまして」


 まだ何もしていない俺は、図々しくも恩着せがましいことを言う。


「じゃあ、エリー……食堂の女の子の話はもう終わりってことで良い? 俺はダナと一緒に遊びたいし」

「ありがとう」

「じゃ、今から何しようっか? 俺たちも海に飛び込んてみる?」


 そう言って俺は海で遊んでいる大人たちを指さしたが。


「あ、あのねテオ。私、スライムを間近で見たい!」


 ン??


「ス、スライム??」

「そう!」


 ダナは嬉しそうに両手を叩いて合わせる。


「あー。そういえば、そんな事を前に言っていたね」


 俺は気まずさから目があらぬ方向を向いてしまう。


「この街にいられる間に行ってみたいなって、ずっと思っていたの」

「この街? あっ………」


 俺はその言葉に現実に引き戻される。


「ねえ、ダナ達の露店の許可はあとどれくらい?」


 そう聞けば、ダナの表情は少しだけ暗くなる。


「あと二週間ぐらいかな? 次が定まり次第みたいだけど、北へ行くみたい」

「北? 北のどこ?」

「……えっと」


 ダナはしばらく黙り込んでしまうが。


「あ! 北の街の露店許可が降り次第ってお兄ちゃんが言っていたかな。降りた街からだから、どこへとも言えないの……」

「そっか」


 ここから北ならフィレーネ地方だろうか。

 ケントの言う通りだった。行商人はずっとこの街にはいない。悔しいが俺はその事実に対して、何も策を練ることが出来ない。



 ― 連絡先なんて交換してくるなよ?



 本当にケントは俺の行動をお見通しだ。

 先に釘を刺されていなければ、俺は間違いなくやっていた。



「ねえ、テオ。この近くだったよね?」

「うん?」

「スライムがいるところ!」

「ん――――、そうだったかも………」


 やばい。そっちの対策も忘れていた。


「行ってみたいな」


 ダナにそう可愛くお願いされれば、俺の口から出てくる言葉なんて決まっている。


「モチロン! 今から行ってみようか?」

「ありがとうテオ」


 これだ。この甘さを俺はケントに見破られて指摘されたんだ。

 だけどダナの笑顔を見れば、ケントの怖い顔なんて吹っ飛んでしまう。


「じゃあ行こうか、ダナ」


 俺は立ち上がると、笑うダナに手を差し出した。

 ダナも俺の手を掴むと、腰を上げる。

 二人で服についた砂を祓い終えると、終わろうとしている夏の空の下を歩き出した。


<連絡メモ>

一つ前の話(エリー達とお買い物)の時系列を若干変更しました。

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