もう一つの物語4
丘の上にあるリヴァイア城手前で足を止める。
見上げれば道の先にあるリヴァイア城は城壁に囲まれ、その門前では衛兵が警備や巡回をしているのが見えた。ここへは行楽に来たけれど、そんな楽しい目的とは裏腹に、息を吸っても吐いても呼吸は乱れたままで、思ったように楽にはならない。
坂道をなめていたな。
額に汗が流れ、俺は帽子のつばを掴むと持ち上げて頭にこもった熱を放つ。それを団扇のように使いたかったが、そこまでの余裕はなかった。
俺は帽子を掴んだまま、膝に手を置いて体を丸める。
「はぁ、はぁ。くそっ」
「テオ、大丈夫? 無理しないで、ここで一度休もう?」
ダナは道を逸れて、俺を草の茂る丘陵の斜面に座らせる。
つばの広い麦わら帽子をかぶったダナを見れば、彼女の息は切れていない。さらには暑さも平気なのか、帽子を取ろうともしない。
それが何だか悔しい。
「あ、ほら。ここからでも街を一望出来るわよ」
ダナは嬉しそうに街を眺める。俺も公園近くに建てられた背の高い時計台を目を細めて眺めた。
確かにここからでも街を臨めるには臨めるが、建物が邪魔をして街全体を見渡せない。上からの景色の方が街を一望出来て綺麗だ。今日はそれをダナと一緒に眺めたくて彼女を連れ出したのだが。
それをすぐに叶えられずに、俺は顔を顰める。
ダナ達に助けてもらった後、熱を出してしまった俺はしばらく公園へは行けなかった。数日間は外出を止められ、その間の食堂の仕事も止められた。そして俺が休んでいる間に二人の給仕を雇ったようで、食堂は俺抜きで回っている。
ケントからは手伝いは体調が整った時だけにして、倒れなければ何をしてても良いとも言われた。だから俺はお言葉通り、好き勝手に朝からダナに会いに公園まで散歩する事にしたのだ。
久しぶりに露店に顔を出せば、ダナだけではなくアベルも嫌味と共に迎え入れてくれた。それが少し嬉しかった。
街から出ない事と時間を守る事を条件に、ダナと二人で遊びに行っても良いとアベルは許可を出してくれた。とは言っても、ダナの男女のお供が後ろからついて来ている。遠くから見守ってはいるが、つかず離れずの距離を保ちつつ俺達を尾行する。邪魔されないから良いけど、それでもダナと二人きりで出掛けられるぐらいにはアベルから信用されたい。
それよりも。
「………良くなったと思っていたけど、やっぱりまだ体にくるな」
息を整えながら独り言のように呟く。
せっかくダナと出歩けるようになったのに、二人で街を探検する以前に俺の体が言う事を聞かない。
汗をかき始めてきたので首に巻いているスカーフに手をかけたが、しばらく考えて何もせずに手を引っ込めた。
「テオ、無理しちゃダメだよ?」
ダナは心配そうに俺の顔を覗き込む。
「汗がすごいよ? 拭く?」
そう言って、ダナは斜め掛けのポーチから取り出したハンカチを俺に渡してくれる。
「……ありがとう、ダナ」
俺はそのハンカチを受け取り、下を向いてメガネを外して汗を拭うと、すぐにメガネをかけ直した。
「ハンカチを汚してしまったから、洗って返すよ。ごめんね」
「ううん、気にしないで」
青い空の下で見るダナの笑顔は格別だ。今日も屈託のない笑顔が可愛い。
落ち着いて来た俺は、帽子をかぶり直す。日差しは遮られたはずなのに、見える景色は目を細めるほどに眩しい。
ダナは俺の隣に座ると同じ景色を嬉しそうに眺める。
「ごめん。せっかく遊びに出掛けられたのに、不甲斐なくて」
「それでも、テオが外に出られるぐらい元気になって良かった」
ダナは足を引っ張る俺を嫌がりもせずに、優しい言葉をかけてくれる。そんな言葉が辛い身体にじんわりと染み渡る。
「ダナが助けてくれたおかげ。ありがとう」
「どういたしまして。私、道で倒れている人って初めて見たわ」
「俺も初めて道で倒れたよ」
しかも表通りではなくて、細い路地裏だ。
あそこでダナが見つけてくれなければ、俺は相当に体を悪化させていただろう。
「お薬は飲んでるの?」
「ん? ああ。滅茶苦茶苦い薬をヤブ医者が置いていくんだけど、それを毎日飲まされているよ」
「薬って苦いよね。私もお薬湯とか嫌いだな」
ダナは子供のようなことを言う。
しょぼんとしたダナの横顔を見ると、思わず顔を近付けてしまう。だって横から見ると、ダナの睫毛が長いのがよくわかるんだ。長くて、クルンとしている。
「何、テオ?」
ふとダナはこちらを向く。顔が近い。
急な事に驚いて、俺は慌ててダナから顔を離した。
「あ、いや、その。ダ、ダナのまつ………いや、瞳の色が珍しいなって」
「あ………」
動揺した俺は、長い睫毛に見惚れていたなんて言えなくて別の話にすり替えたけれど、ダナは俺の言葉に心なしかうろたえる。
「あ、あれ。ゴメン、俺変な事言った?」
「あ、違うの。えっと、その………。ふふ、私、変な瞳の色でしょう?」
「そんな事はないよ。ダナの瞳は綺麗だよ!」
ダナは茶色の髪を揺らしながら気まずそうに答えたが、俺は勢いよくそれを遮る。ダナはそんな俺の返答に驚いた顔をしたけれど、すぐにいつもの笑顔になった。銀色の瞳のどこが変なのか。
「ありがとう、テオ。えっと、テオの瞳は?」
ダナは俺に顔を近付けてくる。
さっきは自分から近付いたのに、ダナから近付かれると焦ってしまう。
大きな銀色の瞳が近い。
だけどダナはそんな俺の動揺なんか気にならないのか、じーっと俺の瞳を覗き込んでくる。
やめて。それ以上は近付かないで。
「………琥珀色?」
「あー、そ、そう………なのかな?」
自分の瞳が何色に見えるかなんて、この際どうでも良い。これ以上の接近は限界で、俺は視線を下げてしまう。落ち着いていた心臓が、またバクバクと強く脈を打ち始める。
俺、今日無事に帰れるかなぁ。
帰り道で倒れなきゃいいけど。
「ふふ。アベルお兄ちゃんと一緒ね」
「あれ、アベルは琥珀色だっけ?」
「そうよ」
「全く興味なかったな」
俺はあっさりと本心を曝け出す。
「そうなの?」
「そうなのって、どういうこと?」
「お兄ちゃんにあれだけ長時間話しかけられる人って、とても少ないの。だからてっきり二人は仲良しなんだなって」
いや違う。違うぞ。アベルはダナに会うための関門ぐらいにしか俺は考えていない。アベルを攻略しないとダナに会えないから、ああ言えばこう言う作戦であの手この手でアベルの横に居座ろうとしているだけだ。
「アベルは目付きを直せば、もっと人が集まるのにね」
顔は凛々しいのに、誰彼かまわずに威圧すれば誰も側になんか寄りたくはない。眼帯効果も相まって、とてもじゃないが温厚な人には見えないし、そんなアベルに話しかけようなんてのは猛者のする事だ。俺だってダナが妹でなければ避けたい人物ではあるが、それでも最初よりは柔らかい対応をしてくれるようになったから、今はアベルと話をするのはそんなに苦痛ではない。
「ふふ。おにいちゃんに対してそんな事言えるのはテオだけよ?」
「そりゃ、誰も言えないよな」
片目とは言え、あの刺さりそうな目付きよ。
俺はため息をついたけれど、ダナは嬉しそうに目を細めて俺を見る。
「これからも、お兄ちゃんとも仲良くしてね?」
アベルが怖かろうが刺されようが、ダナにお願いされれば答えなんて一つだ。
「もちろんだよ!」
「ありがとう」
俺は何とも単純だ。
自分のプライドが朽ちたとしても、ダナの笑顔には変え難い。
「あ、ねえ。ここからうちのお店が見えるわ!」
ダナはアベルのいる露店の天幕を発見したようで、立ち上がると大喜びで跳ね上がる。俺もダナの指差した方へ視線を流せば、建物の隙間からそれを見つける事が出来た。
「アベル、サボってなきゃいいけどな」
「お兄ちゃんはそんな事はしないわ」
「あ、ごめん……」
まるで木の実を口一杯に頬張ったリスのように、ダナは頬を膨らませて怒って見せるけれど、残念ながら可愛いだけでしかない。
それをもっと見ていたかったけれど、ダナの怒りは続かなかったのか、すぐに戻ってしまった。それが幾許か残念に思う。
「お兄ちゃんは立派な人よ。私もいつかはお兄ちゃんみたいに強くなりたいわ」
「強く?」
ダナはしゃがみ込むと、腕でぎゅっと足を抱え込む。
「うん。……大事なものを守れるように」
「……ダナ?」
さっきまで天真爛漫だったダナは、人が変わったかのように天幕を見つめながら目を細める。
どうしたんだろうと、彼女に声をかけようとしたのだが。
「あっ! ねえ、テオ!」
「な、何?!」
ダナの急展した大声に驚いて、俺は仰け反る。
「あの跳ねているのって、もしかしてスライム?」
ダナが指差した方を見れば、子供ぐらいの大きさのスライムが大人数人を引き連れて闊歩している。まだ開発が始まっていない街から外れた場所で、周囲には道しか無く、草原と砂地が入り混じったような土地だった。スライムが止まれば大人達も止まり、スライムが跳ねれば離れずに付き従う。帝国ではここでしか見れない珍しい光景だ。
「………そうだね」
俺はふと、ある事に気が付く。
「あれ。ダナって、スライムを知っているの?」
「え? どうして?」
「帝国にはスライムを知らない人が多いからさ。……かくいう俺も、ここへ来て知ったけどね」
「そうなの? 私の国にはスライムは局所にいたわ」
「局所? へえ」
ダナは帝国とは違う国から来ていると言っていた。そう考えれば帝国以外の知識があってもおかしくはないよな。
「私も久しぶりに見たな」
「そうなんだ」
「うん、小さい頃に見たきり。もう十年も見ていないかな?」
「居なくなったの?」
「ううん。管理が厳しくなったみたいで」
「ふーん。管理が………」
管理?
「ねえ、テオ。あれは、何をしているの?」
ダナはスライム達の行動に首を傾げる。
「あれはね、ああやってスライムを歩き回らせて、草木を作っているんだよ」
「草木?」
「そう。ライラの街の外は砂漠でしょ? それなのに街の中に緑が多いのは、あのスライム達のおかげなんだ」
「だから、王様みたいに歩いてるのね?」
「王様……。確かに」
俺は気ままに練り歩くスライムを眺める。どの方向へ行っても、後ろの人間は止めない。ただ時々出くわす通行人にぶつかりそうになると、手でスライムの体を押し出すようにして方向を変えているみたいだ。押されたスライムは方向を変えると、何事もなかったかのように再びポーン、ポーンと軽快に跳ねながら進んでいく。
「わあ、面白いね」
「ああ。ずっと見ていられる」
スライムの通った後には、薄らと緑が増えていく。
「ねえ、どうしてスライムが通ると緑が生えるの?」
「それはね………」
言いかけた俺の目は、真っ青な空を仰いだ。
「………ええっと、知らない………かな?」
「そっか」
「ごめん」
俺は自制した自分を褒める。ダナに良いところを見せようと浮かれ過ぎていた。
だけどダナは諦めきれなかったようだ。
「あの人達に聞けば教えてくれるかな?」
ん?
「……彼らは忙しいと思うよ?」
「そうだね。だから今度、聞きに行こうよ?」
「聞きに?!」
「うん!」
ダナは元気に頷く。
「あの人達が暇そうな時に、聞きに行ってみようよ」
「えっと、そうだね。……あの人達が暇そうな時に、ね………」
俺は目を逸らせながら、心の中で忙しいままでいろと念じに念じる。
「約束だよ?」
「あ、うん……」
「……嫌だった?」
歯切れの悪い俺を、ダナは心配そうに覗き込む。
「そ、そんな事は無いよ! た、楽しみだ」
「本当? ふふ、私もよ?」
嬉しそうなダナを見て、本当は都合が悪いだなんて言えない。
ダナを悲しませたくなくて嘘をついてしまったけれど、本当にどうしよう……。
頭を抱えたが、まだ始まってもいない事に悩んだって仕方がない。
今は楽しめる事に専念しようと俺は勢いよく立ち上がった。
「ダナ。もう少し上まで行かないか? 上からの景色は最高なんだ」
「え? テオは大丈夫なの?」
「うん、ダナのお陰で回復した。上からの景色を絶対に今日中にダナに見せたいんだ」
「絶対に………今日中?」
どうしてか、俺の言葉にダナは可笑しそうに笑う。
俺はその顔に癒されると、颯爽と坂道を登り始めた。
端っこのカウンターにもたれ掛かる俺に、椅子に浅く腰掛けたケントは冷たい視線を向けてくる。
「それで、格好つけて頂上近くまで登ったは良いが、体力が尽きかけていると?」
「……ごめんなさい」
「体調の良い日は食堂を手伝うって話、忘れたのか?」
「自分の見栄に負けました」
「相当なアホだな」
本当に自分はアホかもしれない。
だけど、ダナの前ではどうしても格好つけていたかったんだ。
俺はケントの言葉に言い返す事が出来なくて、悔し涙を飲む。
「まあいい。幸い、テオ以上に働けるお姉さん達を先生が紹介してくれたからな」
ケントが視線を動かした先には二人の女性。俺より二つ上の女性達は、入り始めた客のオーダーを機敏に聞き回っている。
「……先生って顔が広いよね。どこで見つけて来たの、あの人達?」
「落ちていたんだとよ」
「いや、嘘でしょ?」
客からオーダーを取ってきたツインテールと三つ編みの女性二人は、俺と話し込んで動かないケントに睨みを利かせるが、それでも厨房に戻ろうとしないケントに痺れを切らしたようで、おさげの女性はケントの代わりに厨房に入り込んで料理まで始めた。
「……いいの? 料理までやらせて」
「何にでも使えと先生が言ったんだから、何でもやらせるさ」
ケントは得意気にそう答えると、ポケットからタバコを取り出して口に咥える。
「お客さんいるから、ここでタバコはやめなよ」
「俺の店だ。俺がルールを決める」
「……あっそ」
俺は呆れ顔でケントを見上げるが、ケントは俺からの視線を歯牙にもかけず、揚々とポケットから小石サイズの魔石を取り出してそれを摘むと指で弾こうとするが、ふと俺を見た。
「そうだ、テオ。お前、この街に広がってる噂、知ってるか?」
「噂? どんな?」
俺は上体を起こすと、ケントに顔を近付ける。すると、さっきまではタバコに火を付けようとしていたケントは、口からタバコを離した。
「実はな、商人達の間で……」
ケントがそう話し出した時だった。店の扉が荒々しく開き、お互いを見ていた俺とケントの視線は扉へと向かう。
入って来たのは、街を巡回している兵士四人だった。見回りか昼食かと思ったけれど、店内をジロジロと見回して入り口付近から動かない。
ケントはタバコをしまうと、その兵士達に近付く。
「お客様、四名様ですね。当店のご利用は初めてですか?」
ぶっきらぼうにそう質問するが、兵士達はケントを無視して店内を見渡す。
「確かに繁盛してるな」
「でしょう?」
「ここは良い」
「ああ。獲り甲斐がある」
兵士らしからぬ言葉が彼らの口から出て来る。何なんだ、あいつら?
「お客様?」
「おい、お前。ここの店主を呼んで来い」
「はあ?」
「聞こえなかったのか? 店主だ」
「それなら目の前にいますけど」
「……何?」
ケントの言葉に驚いた兵士は、まじまじとケントを観察する。
「はっ。こんな店主でよく繁盛してるな」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
「ははっ! 皮肉も分からんか。まあいい。この店は追税対象となった。毎週売り上げの三割を納税しろ」
「……は?」
「一度で理解しろ、馬鹿者。売り上げの三割が追税だ。領館にいらっしゃるダグラス官を訪ねて納めろ」
「……そんな話、聞いていませんが?」
「ああ。今通達したからな?」
「何だと?」
「ほれ、これが追加徴税書だ」
紙を渡されたケントの表情はみるみる変わる。
「……ふざけるなよ?」
ケントは兵士を睨みつけるが、兵士達はそんな事は意にも介さない。ケントの睨みで小さくなる俺からすれば、強すぎるメンタルだ。
「ふざけてなどいない。そこに税務官のサインと印が押されているだろ?」
「ガーウルフ・ダグラス……」
「そうだ。領館にいらっしゃるダグラス官に直接納めろ」
「………これは国が定めている税の上限を超えている。こんな事、国が許さないだろ?」
「はっ。何をしたって、次期皇太子であらせられるリトス侯爵に国が楯突けるわけがないだろう? 俺達はその侯爵様に仕えてるんだ。手間をかけさせるな」
それを聞いた途端、俺はカウンターの台を強く叩いて立ち上がったが、それと同時に俺の目の前に女性の手が伸びる。それはさっきまで、ケントを睨みつけていたツインテールの女性。
俺を背中に隠して、俺に落ち着けと目配せをする。だけどこんな卑怯な事を許してなんておけない。
「そのリトス侯爵は、病気じゃ無かったのか?」
「そんな事はお前のような人間が知る必要はない。雲の上のお方だ。名前を口にすることさえ烏滸がましいぞ?」
「それに、侯爵はまだ皇太子ではないだろう?」
「貴様、初代皇帝似である侯爵様を愚弄するのか?」
「愚弄、………ねえ?」
ケントは腕を組むと、兵士達を睨みつける。
「その侯爵様はまだ16の子供だろ? 商売人にこんな無体な追税をするガキが、どんな面をしてるのか拝んでみたいもんだな」
「貴様ぁ!」
ケントは怯む事もなく、公衆の面前で兵士達とリトス侯爵を罵る。そんな食堂の空気を察した客から、ヒソヒソ声が聞こえてきた。
「リトス候は辺境で育った子供だって噂だし、そんな教養のかけらも無さそうな子供が急に権力を持つと碌でも無いことを始めるな……」
「ああ。その点、トルス皇子は……」
食堂のそんな雰囲気に気付いたのか、兵士達は仲間内でこそこそと話し出す。
「ふんっ。侯爵様に逆らって後で泣きを見ても知らぬからな!」
「そりゃ、こっちのセリフだ。無謀な追税をしたがる侯爵様によろしくな?」
「ただの下男風情が!」
兵士の一人がケントの言葉に悔しがると、椅子を蹴って食堂から出て行く。
「あー! あいつら!!」
物を乱暴に扱う兵士に憤って再び立ち上がったが、俺を背中に隠したまま女性は退こうとはしない。
出て行った兵士を見送ると、ケントはやれやれと翻る。
「ああ、失礼しましたお客様。ごゆっくりお食事なさってください」
ケントは何事もなかったかのように客にそう言うが、彼らの反応は微妙だ。だけどあちこちから食器の鳴る音が小さく聞こえ始めると、食堂の雰囲気は次第に戻っていく。ケントもその様子に安堵すると、俺に近付いて来た。
「何なの、あいつら」
「さっき話そうとした事だ。説明する手間が省けたな」
「……知ってたの?」
「昨日、小耳に挟んだばかりだ」
「あれは何?」
「見ての通り、繁盛していそうな店に法外な追税を課してくる兵士達だ」
「追税って………。そんな話、聞いたことがない」
「そうだな」
「そんな話、通るのかよ?」
「ここはリトス侯爵の領地だから、侯爵がそう決めれば通るだろうな」
「でも、侯爵は………」
「ああ。リトス侯爵は今なお病気で臥せっているはずだが、いつの間に起きたのか」
「………」
病気が治っただなんて話、俺達は聞いていない。
「寝過ぎはやっぱりダメだな。起きた途端に課税をしたくなったなんて、寝ぼけているな」
「………そうだね」
俺は眉間に皺を寄せる。
「最低だね」
「そうだな」
ケントは俺の頭をポンッと触ると、何事も無かったかのように厨房へ戻って行った。
「ああ、お嬢。テオが暴走しないように止めてくれてありがとな」
「お嬢って呼び方、やめなさいよ」
「名前何だっけ? 忘れちまったな」
「一回で覚えなさい!」
「はいはい」
ケントは興味なさげに耳をほじる。
「私がシェリーで、あっちの子はサマンサ」
「あー、そうだったな」
ケントは返事をしながら、しゃがみ込んで焜炉の様子を見る。
「説明しているんだから、聞きなさいよ!」
「聞いてる聞いてる。エリーとサリーな」
「違う!!」
喧々轟々とシェリーが怒っても、ケントは袖にもかけずに料理を作り始める。
「おいおい、怒ってばかりだと客に怖がられるだろ?」
「あなたが怒らせてるのよ!」
「俺がか? 冗談はよせよ、エリー」
「むきー!」
シェリーは懸命に否定すれども、ケントがエリー、エリーと呼ぶものだから、俺の頭もどんどん上書きされていく。
目を遣れば、二人が温度差の激しい言い合いをしている最中でも、今は昼だから客は次々と入って来る。まだまだ二人の言い合いは続きそうだなと思った俺は、仕方ないと椅子から立ち上がった。
「エリー。俺、オーダーを取ってくるよ」
「違うから!!」
追撃を受けたエリーは泣き顔になるが、ケントのせいで俺も彼女達のエリーとサリーの名前以外、頭から消えてしまっていた。
とある日の昼下がり。
街の路地で俺は野菜と果物が満杯の袋を抱えながら、間違えていないかなと何度も袋の中を覗き込んだ。そんな俺の横にはエリー。つばの広い帽子をかぶってはいるが、ブスッとした横顔が時々帽子の隙間から垣間見える。
夏真っ盛りの今日も日差しは暑い。
俺は緩んできた帽子を片手でかぶり直すと、再び両手で荷物を抱え直す。
俺達は昼の開店時間を終えて、食材の買い出しに街へと出掛けていた。いつもはヴァンニが食材を準備してくれるけれど、今日はその仕入れを上回る客が昼に来てしまったから、ケントに急遽食材の買い出しに行かされたのだ。俺は荷物持ちとして同行している。
「こんなに忙しいなんて、聞いていなかったわ」
エリーはいじけ顔で口を尖らす。
彼女ら二人は来てからまだ数日だとは思えないほどによく動き回る。あのケントが怒るどころか安心して任せているほどだ。だけどそれを褒めれば良いものを、ケントは仕事の合間合間にエリーを揶揄うものだから、エリーだけは仕事とケントに言い返すという二倍の仕事をこなすこととなり、俺達以上に体と口を動かす羽目に陥っていた。
そりゃ、休む暇もないし疲れるだろう。
ケントの戯言なんてサリーのようにかわせば良いのに、エリーはそれが出来ない残念な性分なようだ。
「ケントがごめんね?」
「本当にあの失礼な男は何なの? 帰ったら、ただじゃおかないんだから」
「……ははっ……」
俺は苦笑いしか出来ない。
「この私を怒らせるなんて、只者じゃないわ」
確かにケントは只者じゃない。
「おじょ………エリー、少し落ち着かれてください」
俺達の後ろから、荷物を持ちながら静かについて来ていたサリーはそっとエリーに注意を入れる。
「貴方まで私をエリーと呼ぶの?」
「事情を考えれば、私もそれが最良かと」
「もう! サマンサまであの男の味方なのね?」
「ここではサリーと」
サリーの言葉に、エリーは悔しそうに顔を顰める。
「わかったわよ! 私はエリーで貴方はサリーね?!」
「はい、エリー」
サリーはニッコリと微笑む。
二人のこの会話だけで、二人の関係性が何となくわかってしまう。
「ねえ、エリー。これで買い出しは終わり?」
「まだ塩が残っているわ」
荷物を持っていないエリーはメモを見ながら答える。
「塩、ねぇ」
どこに売っているんだろうか。ライラの街はまだ店も少なくて、売っている店を特定するだけで一苦労だ。ヴァンニはどうやって仕入れているのか。
「……公園周辺の露店も見てみる?」
俺は小さな期待を胸に二人に聞いてみたのだが。
「この先に、調味料のお店が出来たと聞きましたので、そこで」
サリーが答える。
「サリーは、もうお店まで把握したの?」
「はい」
「ふふん。わたしのサリーをみくびってもらっては困るわ」
サリーの手柄なのに、エリーはそれを自分の手柄のように自慢する。そんな二人を横目に、俺はサリーの有能さに少しがっかりしていた。
だって公園周辺の露店へ行けば、そのままダナのいる露店にも顔を出せると思ったから。
この様子なら、きっと俺が道から外れたらサリーは指摘してくるだろうし、ケントの耳にも入りそうだ。
まさか先生は俺のその行動を見越して彼女らを紹介したのだろうか。無さそうで有り得るのが、あの先生だ。下手に詮索されるぐらいなら、一人の時にダナに会いに行ったほうが良いだろうと、今回は諦める事にした。
俺は仕方なしに案内通りに大通りの道をまっすぐ進む。しばらくすると、目的のお店の吊り看板が見えて来た。
「あれかな?」
そう思って足を早めようとした瞬間、俺は腕をぐいっと引かれた。
「うわ?!」
何が起こったのかと見回せば、俺は建物と建物の隙間に引き摺り込まれていた。後ろを見れば、俺の腕を引いたのはエリー達だった。
「え、え? 何?! どうしたのエリー?」
「しぃ!」
エリーは顔を青くして俺の口を塞ぐと、二人はこそこそっと建物の角から顔を覗かせる。
「やだ、なんであの人がここにいるの?」
「私達がここにいるのがバレますと、大変な事になりますね」
「やばいわよね?」
「勘だけは突き抜けて良い方ですから」
「ここにいる事がバレたらどうなるかしら?」
「……下手をすれば歴史に残る内戦になってもおかしくはないかと」
「やっぱりそう思う?」
「はい。まともそうに見えて、執着が異常な方ですから。全力を投じられるかと」
「恵まれた容姿なのに、中身は残念な人よね」
「はい」
エリーとサリーは小声でそんな話を交わす。
俺は何だろうと、彼女らの後ろからその視線の先を追う。俺達が入ろうとしていたお店のその先に数十人の軍服を着た団体が見える。その中にいた一人に俺の視線は固まった。
「はぁ?! なんでここに??」
「ばっ!」
驚いた俺をエリーはグイッと引っ張って建物の影に隠す。
「シーッ!!」
俺の口を押さえる余裕のないエリーに、俺はコクコクと頷いて見せる。エリーはそのまま俺を奥へと引き摺る。
「エリー?」
「多分、バレたわ」
「え?」
「隠れるわよ」
エリーの緊張している声に何事かと思えば、彼女の言葉通りに先程の集団の足音が近付いてくる。
「どうされましたか?」
「いや、そこから馴染みの声が聞こえて来てね……」
まるで俺達の場所を把握したかのように、足音は確実に近付いてくる。
チラッと視線を上げれば、エリーとサリーの顔は青ざめてる。
「こっちから………」
声の主は建物と建物の隙間を覗き込む。
俺たちは息を押し殺して、体を小さくした。
「……誰もいないか」
「こんなところに知り合いでも?」
「……おかしいな。確かだと思ったのだが」
「休み無しでここまで来ましたから、お疲れなのでは?」
「……そうかもしれないな。全く家に帰れないしね」
「それは僕のせいではありませんから」
「わかってるよ。私の気のせいだ。戻ろう」
二人の男性を筆頭に、軍団は俺達のいた建物の隙間から遠退いていく。足音が消えたことを確認すると、タルの裏に隠れていた俺たちは、こっそりと顔を覗かせる。
「行ったわね………」
「ねえ、あの人誰なの?」
「……危険な人よ」
エリーはゴクリと唾を飲む。
「どうしてか、私の居場所をすぐに嗅ぎつけてくるの」
「……はい?」
「流石と言えば、流石なのですが」
「サリー、あんな能力を褒めちゃダメよ」
俺にはよくわからないが。
俺は立ち上がって、服についた埃を叩いて落とす。
「とにかく、さっさと仕事を終わらせて帰ろうよ」
俺は建物の影から大通りを覗き込む。先程の軍服の集団が居なくなったのを確認して二人に合図をすると、そのままお店へと向かった。
<人物メモ>
【エリー(シェリー)】
金髪ツインテールの女性。名前をケントに勝手に変えられる。テオより二つ上らしい。
【サリー(サマンサ)】
働き者のおさげの女性。常に冷静で、エリーをなだめつつ何でもこなす。エリーとは同い歳。
<更新メモ>
2024/02/09 加筆(買い出しの時期をお出かけ当日から数日後に変更、他)
2023/11/20 修正