不本意な密偵7
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― ドーマの街 セウス ―
山腹から裾尾にかけて緩やかに広がる景色に僕は目を輝かせる。
遠くには小高い山々が連なり、その合間には森や村が見える。遠くなるほどに景色は淡く溶け、お城の中で見た絵画そのままの景色に、僕は興奮していた。
「良い眺めだろ?」
「はい!」
「ははっ、セウスは可愛いな」
ロッシェルドさんは笑いながら変なことを言う。
ドーマに来てから数日。
ドーマ伯爵と顔合わせをしてから、本や書類に囲まれる日々で鬱々としていたけれど、ロッシェルドさんが視察という名の観光に連れ出してくれたおかげで、僕の心は晴れていく。
前のめりになりながら城壁の上ではしゃぐ僕を、ユーシスは危ないですよと支えていた。
「長い城壁ですね」
僕は足元から伸びる城壁に視線を流す。
街を取り囲んでいる城壁は、街を過ぎた先からは地形に沿って蛇行しながら、山の中腹を割るように伸びていく。
「ああ、国境に沿っている城壁だ。壁の内側は他国になるから、勝手には行くなよ?」
「勝手……ということは、事前に許可を取れば行ってもいいんですか?」
「あとは隣国からも許可が取れればな。リトス侯爵のおかげでノイス王国との国交が回復されたから、その条件も少しずつ緩和はされていくはずだ」
「へえ、キツキが」
「隣国ノイス王国の冤罪を、スライムを使って証明をしたそうだ」
「それは良かった」
どうやら僕達の送ったスライムをキツキは上手に使ってくれたようだ。あれだけの数と大きさのスライムを捕まえて送り込むのは大がかりで大分骨を折ったけれど、それで両国の関係が改善したと聞けばやって良かったとさえ思う。
「では、もう問題もなく?」
「今はまだ交易の一部だけが解除されただけだ。次第に間口は広がっていくはずなんだが……」
「なんだが?」
「今回の事件で、隣国との協議に遅れが出てしまっているようだ」
「帝城がてんてこ舞いなんでしたっけ」
先の帝城での騒ぎの関係で、帝城は猫の手も借りたいほどの惨状らしい。
反乱に関与した関係者の降格や追放などで、大事な仕事の担当者の入れ替えも発生いると聞いた。だから遅れているということは、その中に協議をしていた担当者や関係者がいたのかもしれない。
「予定よりも大幅に遅れてしまうだろうな」
「そうですか」
「ま、時間はかかってしまうが、いずれはここも賑やかな交易の街に戻るだろうな」
「楽しみですね」
僕は軽く答えたけれど、それに対してロッシェルドさんは意外にも顔を重くさせた。
どうしたのか。
「セウス。人の行き来が活性化すると良いこともあるが、問題も出てくる。人の流れには気をつけろよ?」
「たとえば?」
「例えばここより北にあるライラの街を知っているか? リトス侯爵が再興されている港街だ」
「ええ、来るときに見てきました」
唯一ナナクサ村との船が行き来している街で、キツキが指揮しているとは思えぬほどの大きな港を有している街だった。
街はあちこちで整地や建設の工事が行われ、その周辺では数多くの荷馬車が行き来し、大勢の人が元気に働いていた。とても活気のある街に見えたけれど。
「ライラの街が何か?」
「あそこは復興が始まって、街全体に建物が建ち始めて仕事の需要が高まっている。そのおかげで大勢の人間が仕事を求めて全国から集まってきて大層賑やかになっているが、その一方で身元の分からないような輩も同時に潜み始めているという問題も出てきていてな。帝城から警備を投入したようだ」
「投入って………。ですが、キツキは今臥せっているのでは?」
「カロスの判断だろうな」
「………どこにでも関わってきますね、あの人」
「リトス侯爵が目覚められた時に、犯罪者が跋扈する街にしておくわけにはいかぬだろう」
「それは………そうですが」
確かにそれはそうなのだが、それでもこれだけ大きな国なのに、他人の領地にある街をそこまで気にするものかと腕を組みながら考えるが、そんなことを国内の全ての街に対応しているわけが無いよなと考えた結果、あのカロスって人はヒカリだけじゃなくて、キツキにも甘いのだろうかなんて結論に至っていた。
「セウス。投入したのはカロスが甘いんじゃなくて、ライラが帝国にとって大事な位置にある街だからだぞ?」
「………よく僕の思考がわかりましたね?」
「セウスは意外とわかりやすいぞ?」
ロッシェルドさんはニヤッと笑う。
それが気に入らなくて、そうかなとふてくされると、ロッシェルドさんはおかしそうに笑いを堪える。
「ぷふっ。私が言いたかったのは、急激に人と物の流れが発生すると金や物も動き出すが、それを隠れ蓑にして招かざる者達も入り込んでくるということだ。それを如何に領地の利となるものだけに留めるのかが、領主や地方統括の仕事になる」
「ん――……だけど、制限しすぎても利となるものを遠ざけてしまう」
僕がそう答えると、ロッシェルドさんは目を点にしたが、すぐに表情を変えて大笑いした。
「あははは! 賢いな、セウス」
「はあ」
「どこでそんなことを覚えた?」
「………恋の障害に教えてもらいました」
「はぁ? 何面白そうな話をしているんだ」
気の抜けた僕の返事とは対照的に、ロッシェルドさんは興味津々な顔で僕を覗き込む。変な返事をした僕が悪いんだけれど。
どこでって、そりゃもう常に意地悪で変な質問をしてきたオズワードさんしかいない。
そう思ったけれど、僕はその名前は出さなかった。
帝国へ来てからオズワードさんに教えてもらった知識がとにかく役立っていて、僕としてはそれを認めれば、なんだかあの人に負けたような気がしてならなかった。
どうして故人に、ここまでこだわってしまうのだろうか。
「さて、セウス。視察はこの辺にして、そろそろ戻ろうか?」
「え、もうですか?」
日差しが強くなってきたのは確かだけれど、それでも僕の髪を優しくかきあげる風がとても気持ちいいのに。
それにもう少し、ここからの景色を眺めていたかった。
書類が積みあがるあの部屋にはまだ戻りたくはなかったけれど。
「何を言っている。お待ちかねの昼食が待っているぞ?」
「……それは戻らなくてはいけませんね」
「だろ?」
得意顔のロッシェルドさんの誘いに、僕は快く応じた。
領地邸に戻って来た僕達は、食堂へ行く前にドーマ伯爵の部屋へと寄ったのだが。
ノックをしても、部屋の中から返事が返ってこない。
「あれ、先に食堂へ行かれたのかな?」
「使いの者は来なかったがな」
二人で顔を見合わせる。
ロッシェルドさんの身分柄か、先に行く場合でも後で行く場合でも、相手からの言伝を届ける人がやってくるみたいだ。
訝しむロッシェルドさんは、そっとドアのノブに手をかける。
「あ、ロッシェルドさん」
「しっ!」
ロッシェルドさんは返事もないのに、コッソリと扉を開けた。
まったく、この人は。
そんなことを思っている僕も、現れた扉の隙間を見れば、ロッシェルドさんと一緒になってコッソリと覗き見してしまう。
それを後ろから見ていたユーシスとロッシェルドさんの部下達は、やれやれと困り顔をしつつも、諦めたのか僕達の行動を見守る。
僕とロッシェルドさんの視線の先にはドーマ伯爵。
何だ、いるんじゃないかと思ったけれど、ドーマ伯爵の様子はどこかおかしい。
手紙を持ちながら、苦渋の表情でそれに目を落としている。
「どうしたんでしょうか?」
「さあな」
「帝城から重要な話とか?」
「それなら陛下の遣いで来ている私にも同等の報せは入る」
「なるほど」
扉をそっと閉めると、再び顔を見合わせる。
ロッシェルドさんはしばらく黙考すると、さっきよりも扉を強くノックをして、返事も待たずに入るぞと声をかけながら扉を開けた。
強引な。
「おや、ドーマ伯爵。どこからか報せでも?」
そう声をかければ、さっきまで重たい表情をしていたドーマ伯爵は、ハッとして持っていた手紙を机の上にうつ伏せにした。
「いえ、重要なものではありません。甥っ子達がこちらの事情を知ってしまったようで、向かっているとの報せが届いたのです」
「甥っ子?」
「妹の子です」
「そうか」
僕とロッシェルドさんはまたまた顔を見合わせる。
甥っ子からの手紙で、ああも深刻な顔になるものだろうか。
「無事だと知らせたのですが、どうやら行き違ったようでして。仕事や学校を投げ出してまで向かったなんて書かれていたものですから」
「そうだったのか。余程に貴方を心配されたのだろう」
「困った子達です。ああ、昼食の時間でしたね。迎えに行かず失礼を。ささ、お二人とも、こちらへどうぞ」
ドーマ伯爵はさっきの重たい表情とは打って変わり、何事もなかったかのような笑顔で案内を始めた。
昼食を終えてから暫く。
ドーマ伯爵が言うように、二人の甥っ子がお供数人だけをつけて領地邸へやって来た。
まだ年若そうなのに、馬の扱いには随分手慣れている。
馬から降りた二人は、一目散に出迎えていた伯爵の元へと向かった。
「叔父上! ご無事ですか?」
「心配をかけたな、二人とも」
休んだ事は咎めずに、伯爵は遠くからやって来た甥っ子二人を労う。
「中へお入り。疲れただろう? 部屋を用意している」
「ありがとうございます」
礼儀正しい子達は、促されるまま中へ入ろうとしたのだが、離れた場所から見ていた僕達に視線を向けると驚いた顔をした。
「あ、あれ? ノクロス様??」
「え? あ、本当だ! どうしてこちらに??」
二人は僕の横にいたノクロスさんを見つけると、案内から離れて子犬のように駆け寄って来る。
「知り合いですか、ノクロスさん?」
僕はヒソッと話しかける。
「レティアの孫達だ」
ノクロスさんもヒソッと答える。
「えっ、じゃあ?」
「しぃ!」
ノクロスさんは、動揺した僕に慌てて口止めをする。
レティアさんの孫ってことは、ノクロスさんの実の孫って事だ。
思わない遭遇に、何故か僕の方が緊張する。
「おや。何だかあの二人、セウスに似ているねぇ?」
ノクロスさんと反対側に立っていたロッシェルドさんは、面白そうにそんなことを言い出す。
「似ていますか?」
「ああ、兄弟みたいだ」
ロッシェルドさんは僕の顔を覗き込みながらニコリと笑うけれど、納得のいかない僕はそうかなぁと駆けてきた二人の顔を観察した。
「はは、久しぶりだね。帝都でお会いした以来かな?」
「はい、お久しぶりです」
子犬のような二人がノクロスさんに挨拶をする。
「ノクロス様はどうしてこちらへ?」
「仕事の都合でね、ドーマへ来ていたんだ」
「そうだったんですね」
素直な二人はノクロスさんの言葉に疑いを持たないのか、すんなりと受け入れる。
「こちらは?」
「ああ、私の息子のセウスだ」
「え、……ご子息?」
「セウス、様?」
二人は顔を見合わせる。
気まずそうにしているのは、おそらく僕をノクロスさんの血縁だと勘違いしたからだろう。
「養子のセウスです。ノクロスさんとはナナクサ村からの仲です。どうぞよろしく」
僕がそう自己紹介をすれば、その意味がわかったのか二人は安堵の息を漏らした。
「セウス様、ですね。私はカルディナ伯爵の長男でセルジオと申します。そしてこっちは弟のニキアス」
「よろしく」
「こちらこそ」
僕と違い、目の前の二人は丁寧に低頭する。
僕も帝国式の挨拶をするべきなのだろうが、正直まだよくわかってはいない。
「二人とも、騎士なのかい?」
横で見ていたロッシェルドさんは口を挟んでくる。
「こ、これはモーラ侯爵ではございませんか。ご挨拶が申し遅れました」
僕の横にいた影の薄いロッシェルドさんに気づいた二人は、急に畏まる。
「私は結構目立つとは思うのだけれどね」
「ご自分で言います?」
僕は思わず横槍をいれる。
「た、大変な失礼を」
二人からみれば、ロッシェルドさんはきっと雲の上の人なのだろう。
そんなロッシェルドさんが余計な事を言うものだから、目の前の二人が委縮してしまったじゃないか。
「はは。冗談だ、冗談。伝説のノクロス・パルマコスがいれば、そりゃ私なんかよりも先に挨拶をしたいものさ」
「いえ、私達は………」
「二人とも、冗談が言いたいだけのおじさんだから、気にせず頭を上げて?」
低頭する二人に僕はやめるように勧める。
「ひどいな、セウス。私はまだ三十にもなっていないお兄さんだぞ?」
「一回りも違う若い子を構いたいだなんて、心はもう立派なおじさんですよ?」
そう冷たい視線を向ければ、ロッシェルドさんは気まずそうに視線を逸らせて首の後ろを撫でる。
「……私が悪かった。そう責めるなセウス。そうだ、二人は騎士の端くれか?」
「はい。私は帝国騎士団に、弟は帝国騎士学校を目指しています」
「帝国騎士団?」
「はい。休暇で領地に戻っていた時に、ドーマの報せが入りましたものですから」
「そうか、それはちょうど良い。荷物を置いたら、手合わせをしないか?」
「手合わせ、ですか?」
「そう。ドーマ伯の甥っ子である二人の実力を見させていただきたい。どうだろうか?」
「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」
ロッシェルドさんは脈絡もなくそんな事を言い出すが、周囲は誰も止めない。それどころか、ロッシェルドさんの部下達はついでに肩慣らしでもするかと言わんばかりに、首や腕を回す。
若い二人を前にして、どうしてそんな雰囲気になったのか、すぐにはわからなかったけれど。
「喜べ、二人とも。セウスはノクロス殿の唯一のお弟子でね。伝説級の腕前だ。一度は手合わせをしてみたいだろ?」
ロッシェルドさんはぐるりんと僕に笑顔を向ける。それと同時に後ろにいた彼の部下達も、僕に期待の視線を向けてくる。
ああ、なるほど。
彼らの目的は僕だったってことか。
「えええっ!? ノクロス様のお弟子なんですか?」
「それは、ご指導いただきたい!」
大人達の汚い視線なんかまるで見えていない純粋な二人は、駆けて来た時のようにキラキラと目を輝かせる。ああいう汚い大人になるんじゃないぞと、二人を撫でたい衝動に駆られたのだが。
「もちろん受けて立つんだろ。セウス?」
二人を撫でようとしていた手を止めると、目を輝かせるロッシェルドさん達を睨みつける。
彼らの目は二人のように純粋にキラキラしている訳じゃない。邪な思念と欲に満ちたギラギラとした輝きだ。
そんなもの、跡形もなく消してやる。
「……ええ。言い出した事を後悔させますので、楽しみにしていてください。ロッシェルドさん」
僕は顔に青筋を立てながら、笑顔で答えた。
領地邸にあるドーマ軍の鍛錬場の中央で、甲高い音が鳴り響く。
模造剣をはじかれたロッシェルドさんは驚いたとばかりに目を見開いた。
「おお、本当にすごいな」
「はあ……、はあ………」
僕は息を切らして、呆気にとられているロッシェルドさんを睨みつける。ノクロスさんほどではないが、少々時間がかかった。
二人を差し置いて、訓練用の模造剣を片手にるんるんと真っ先に出てきたロッシェルドさんとの勝負をさっさと終わらせようと思ったけれど、意外にも彼は僕の剣を数度防いだのだ。
少し焦った。
目の前の人は力もあって反応も速かった。普段はのんびりとした姿しか見せないのに、意外だなと麗しい姿のロッシェルドさんに目を細める。
「これは確かに、ラシェキスでも負けるなぁ」
「………」
ロッシェルドさんは剣を持っていた右手を見つめる。
僕はその一言に返事をしなかった。
あの人に勝ったことなんて一度もない。
だけど、そんなことをこんなところでは言いたくなくて、僕はギュッと口を結ぶ。
そんな時、さっきの試合を見ていたドーマ伯の甥である二人が硬直している姿が目に入った。呆気にとられて言葉を失っているようだ。
ロッシェルドさんが最初に出て来たから手加減出来なかったじゃないかと、僕はバツの悪い顔で二人に声をかける。
「ごめん、二人とも。もう少し待っていて。先に野心の強いお兄さん達の相手をするから」
「あ、はい!」
二人は緊張した面持ちで、背筋を伸ばしながら返事をする。
「おや、うちの部下が先で良いのかい?」
「……数人やれば、興味本位で僕と対戦したいと思う人はぐっと減るはずなので」
「自信家だな、セウス」
「それだけのことをやってきたつもりです」
「……弟も似たようなことを言っていたよ」
ロッシェルドさんは僕の顔を見ながら、どこか懐かしそうに話す。
「はい?」
「いや、こちらの話だ。さあて、セウスと戦いたい人間は?」
ロッシェルドさんが周りで見学していた部下達に視線を向ければ、さっきまでギラギラしていた騎士達からの挙手は数人に留まった。
その様子をしばらく二人で眺める。
「………情けないな」
「僕の試合を見れば、大体こうなります」
ロッシェルドさんはため息をつく。
多くの人間は、一度僕の剣を見れば大体は諦める。
それでも果敢に挑んでくるのは近衛騎士達ぐらいだ。
「じゃあ、さっさと片づけますか」
僕は背伸びをすると、言葉通りにあっという間に終わらせて、二人の剣術の稽古に時間を割いたのだった。
<独り言メモ>
200話目です( ゜Д゜)ノ ヤター。
ですがまだまだ続きます。
投稿が遅くなりました。(恒例)
8月にコロナってしまい、嗅覚が一時期停止し、3週間も咳が止まらず、夜も寝られず( ;∀;)。
なんとか生還しました。
実は次の話と1つで投稿しようと思ったのですが、後半がちょいちょいと外せない話が増えてしまって、分けました。
次のはそう待たずに投稿出来る………ハズです(*ノωノ)ミライハ ワカラナイ
<人物メモ>
【セルジオ(セルジオ・カルディナ)】
ノクロスの実子であるハレスとマデランの長男。帝国騎士団の正騎士に上がったばかりの18歳。ノクロスに憧れて、近衛騎士を目指している。ハレスと同じ焦げ茶色の瞳と髪の男の子。
【ニキアス(ニキアス・カルディナ)】
ハレスとマデランの次男。帝国騎士学校を目指して勉強中の15歳。兄と同じように騎士になろうとしている。こちらは祖母のレティアと母のマデラン似で、亜麻色の髪と碧の瞳を持っている。大人びいた事を言うことが時々ある。