村の生活1
朝早く。
なんとか階段を降りた私は目をぱちくりとさせていた。
台所にはキツキ。
お腹が空いて台所で食べ物を漁っているのかと思えば、彼は料理をお皿に盛り付けていたのだ。そんなキツキの真偽を確認するかのように、私は目をぱちぱちと何度も開閉する。
そしてフンフンと動く鼻を頼りに視線を動かせば、幻かと思う物が食卓テーブルに並べられていた。
私は訝し気にテーブルに体を向ける。
「なんか美味しそうだけど、これキツキが作ったの?」
テーブルの上には色鮮やかな料理が並んでいた。
色んな具材が挟まったロールパン、野菜ポタージュのスープ、生ハムのマリネ、それに野菜の酢漬けだろうか。どう見ても手が込んでいる。
「俺が作れると思うか?」
「全然、全く」
素直にそう答えれば、キツキは気に入らないのか舌打ちをした。
「昨日の帰りに、花月亭で作ったものを持たせてくれたんだよ」
「え、ずるい」
「それはエレサさんに言って」
エレサさんとは花月亭の店主の名前で常日頃からお世話になっているのだが、おばあちゃまが亡くなってからはよりお世話になっている。
この家で唯一料理が出来る私が足を怪我してしまったから、気を利かせて料理が出来ないキツキに朝食を持たせてくれたのだろうけど、どうしてかキツキが甘やかされてるだけのような気がしてならない。
「キツキも料理しなよ」
「俺には才能がない」
料理とは果たして才能でするものなのだろうか。才能があろうがなかろうが、ご飯を作らないと生きてはいけない。まずは野菜を洗って千切るだけの料理ならできるのではと思うのだが。
「花月亭から借りた入れ物は、俺がきちんと洗って返しておくから引き分けだ」
「いや、料理作ってないじゃん」
同じ土俵にも乗っていない勝負で勝手に引き分けなんて決めて欲しくはない。
「ヒカリの足が治るまでは遠慮なく頼りなさいって言ってたから、ヒカリもお世話になってくれば?」
「どうして私の足が治るまでの限定なのよ?」
「俺に聞くなよ」
助けてもらっているのに、エレサさんには不服を申し立てたい。
私がモヤモヤした気持ちでいると、上階からおじいちゃんが下りて来た。そんなおじいちゃんもテーブルの料理に気付いたようで、不思議そうな顔で近付いて来た。
「おお、こりゃ朝から豪勢だな。うまそうだ」
「おはよう、おじいちゃん」
「おはようございます。おじいさま」
「おはよう、二人とも。ヒカリは座らないのかい?」
杖をついて立ったままの私を気遣ったのか、おじいちゃんは私の椅子を引く。私が椅子に座ったのを見届けると、おじいちゃんも自分の席に座った。
「今日は俺が作りました」
自信満々にキツキはそう言うと、おじいちゃんの目の前にお茶を置いた。
「作ったの、お茶だけじゃん」
何だか悔しくて私はぼそっと呟く。
おじいちゃんは豪快に笑ったから、きっとキツキの嘘は分かっているんだとは思うけれど。
キツキが満足気な顔で席につくと、皆でいただきますと食事を始める。
「そうだ。二人に伝えておくことがあった」
「何ですか?」
「昨日、ヒカリを助けていただいたシキ殿にな、北の空き家に住んでもらうことにしたのだ」
「え?」
「どうしてですか?」
「おや、驚くことだったかい? 今まで森で漂流して村に辿り着いた人達には、そのまま村に住んでもらっていたから今まで通りだと思うのだが」
「あの人、漂流している感じがしませんよ」
キツキは珍しく口を尖らす。
確かに。
凛とした姿はとてもじゃないけれど漂流してきた人には見えない。
「何を言っとる。五日近くも彷徨っていたそうだ。村でしばらく休んでもらって、回復されたら色々と手伝ってもらうことになった。それに彼は強そうだろ?」
おじいちゃんは嬉しそうにハハハッと笑った。
「そうだ、ヒカリ。しばらく足が動かなくて暇ならば、空いている時間にシキ殿に村を案内して差し上げたらどうだ」
「えー。私、今怪我してるんだけど、おじいちゃん?」
孫娘が怪我をしているのにおじいちゃんは容赦がない。
「わかっとる。だが、杖があるから大丈夫だろう?」
どうやら私に彼の世話係を押し付けたいようだ。
「……わかったよ」
おじいちゃんに頼まれて私は諦める。どうやったって、おじいちゃんには逆らえない。
それはおじいちゃんが“怖い”わけではなく、おじいちゃんに“弱い”からなのだと思う。
両親もなく、十年前におばあちゃまが亡くなってから、一人で二人の孫を大切に育ててきてくれた。そんなおじいちゃんのお願いを断れないのは、私だけじゃなくキツキも同じだと思う。
そんなキツキは、私達の会話が聞こえていないのか興味がないのか、食べ終わるとちゃちゃっと片付けて一人出発しようとしていた。
革の胸当てと斜め掛けのカバン、腰のベルトには短剣とポーチ。その上に外套を羽織ると、キツキは黒い鞘のついた剣を持ち出した。それはキツキの身長の半分もありそうな大きな剣だった。
その剣に私の目は止まる。
「あれ、キツキ。その剣どうしたの?」
「昨日おじいさまから譲り受けた!」
キツキは私に見せびらかすように鞘を前に突き出すと、嬉しそうに答えた。昨夜おじいちゃんがキツキを部屋に招いた理由はこれだったのか。
「私が若い頃に使っていた剣でね。もう年だし宝の持ち腐れだから、そろそろキツキにと思って譲ったんだよ。今年の秋でお前達も16歳になった。もう大人の仲間入りだ。大きくなったな」
ナナクサ村では16歳で大人と同じ扱いを始める。まだ伸び盛りなので若輩者扱いはされるが。「大人」になって何が違うかと問われれば、結婚ができるかどうかぐらいだろうか。人生に大きく関わる事柄なのに、今まであまり意識したことがなかった。そういえばこの村では20歳ぐらいまでには結婚して子供がいる人が多いかもしれない。
急に大人になったと言われると確かに戸惑うけど、村では12歳で村の学校を卒業してからそれぞれ進みたい職業の職場に入り、実践を通して勉強を重ね、少しずつ自分の力で仕事ができる方法を学ぶ。例えば最初に倉庫で勉強させてもらって途中から進路を変えて自警団に入る事だって許される。どの道が一番良いのか働いてから考えることも出来るのだ。そして16歳になる頃には村の子供らは大方独立する。
私とキツキは皆より少し早く、一年前の春から二人でスライムハンターを初めた。
そう考えれば私達はもう一人前に仕事をして独立をしているし、新しい家族を作ってもおかしくはない時期なのかもしれない。
キツキも近いうちにそうなるのかな、なんて考えると寂しさを感じてしまう。
いかん、兄離れをしなくては。
「じゃ、行ってきます」
しんみりと寂しさを感じている妹とは相反するように、兄のキツキはウッキウキで扉を開くと外へ出掛けていってしまった。そんなにおじいちゃんから譲り受けた剣が嬉しかったのだろうか。若しくはあのウキウキが、私がいないという開放感でウキウキしていないことを祈るばかりだ。
おじいちゃんはそんなキツキの背中を笑顔で見送ると、ゆっくりとキツキの淹れたお茶に口をつける。
「私も食べ終わったらシキ殿のところへ行ってくる」
「うん、わかった」
「そうだヒカリ。午前は私とシキ殿は話があるが、その間に倉庫や工房に行ってシキ殿の生活に必要な物や、着替えなどを見繕ってきてもらえないか。ベッドカバーや手ぬぐいもな」
「もうっ! 少しは遠慮して、おじいちゃん! お使いは行ってくるけれど、今の状態じゃあ私一人では全部持てないから、本人に工房まで取りに来るように伝えてよ」
「ははは。怪我をして暇しているヒカリなんて想像がつかなくてな。悪かった。荷物については彼にそう伝えよう。では、準備だけよろしくな」
「はーい」
おじいちゃんは立ち上がると、カチャカチャと私の食器も片付け始める。それが終われば、そのまま玄関から出て行ってしまった。
どうやらこの程度の怪我なら、おじいちゃんにとっては健康体と大して変わらないらしい。それともこの待遇は私だけなのだろうか……?
そんなことを悩んだところで答えなんて出ないし、虚しくなるだけだ。
私は「ふんっ!」と沈んだ頭を一気に持ち上げると、先ずは倉庫と工房で新参者の生活用品の調達だと、杖を脇に抱えてゆっくりと一歩を踏み出した。
目の前には眉間にシワを寄せているセウス。腕を組んで通せんぼのごとく、仁王立ちをしながら私を睨みつけている。
何よ、その顔は。そして邪魔だ。
私も負けじとセウスに仏頂面で対抗する。
何で朝からそんな顔を私は向けられているのか。今日はまだ何もしていないはずだ。まだ。
そもそも何でお兄さん達はわざわざセウスを呼ぶのか。無駄な時間がかかるから本当にやめて欲しい。
「何か文句でもあるの?」
「なんでヒカリがそんな事をやってるの?」
「おじいちゃんに頼まれたからよ」
セウスを睨みつけながらそう答えると、セウスは溜め息をつく。そんな姿がいちいち癪に障るのだ。
私だっておじいちゃんの頼みじゃなきゃ、杖をついてまでこんな面倒な仕事なんかやりたく無いやい。
「で、何が必要だって?」
「生活に必要そうな物一式。服とかの布類はこれから工房で見繕ってくるから、ランタンとかヤカンとかコップ、あとシャボンの実も多めにかな。薪は後で倉庫から運んでくれる?」
「わかったよ」
「あとは何が必要かな。料理は……きっとしないよね?」
「男が料理しないとは限らないだろ」
「え、そうなの?」
「時々だけど、僕は料理をするよ」
そうなのか。うちの男共は全くしないからそういうものだと思っていたわ。
この村には“花月亭”という村の胃袋管理者がいるから、料理が出来なくとも生きていく事は出来る。
「えっと。それなら、鍋と包丁と……」
「それ全部をヒカリは持てないだろ? こっちで必要なものを選別して纏めて倉庫から持っていくよ」
「本当? それなら助かるわ。じゃ、よろしく」
意外と早く話がついたと上機嫌になった私は、杖をつき直して工房へ向かおうと方向を変えたのだが。
「あ、ヒカリ」
「何?」
「その、昨日はごめん……」
私を呼び止めたセウスは、途中で恥ずかしくなったのか下を向く。
すぐにその言葉の意味がわからなかった私は「昨日?」と考え込めば、私室でのあの事かと思い出してセウスからの謝罪に戸惑った。あれが何だったのか私にはわからないままだったから。
「あ、あのあとキツキの説教が大変だったわ。あんな事は二度とやめてよね」
「本当に、ごめん」
もう少し文句を言ってやろうと思ったけれど、セウスが珍しく素直に謝るものだから、気が晴れてしまった私はそれ以上責めることはやめた。
「わかった。じゃ、行くね」
「ああ」
中途半端に方向転換していた私は、再度杖を突き直して工房へと体を向ける。
セウスは何も言わずに、悪戦苦闘しながら移動する私を静かに見送った。
「身長はどのくらいだい?」
「えっと、セウスより少し高いかな」
「腰回りは?」
「えー、よく見てないからわからないけど、セウスと同じぐらいじゃない?」
「あらまぁ。ならきっといい男なんだろうね」
コエダおばちゃんと問答しながら、おじいちゃんに依頼されたシキさんの服や生活に必要そうな布物を探す。
二人で布の山を漁っているここは工房の倉庫。そう広くはないけれど、大人の服も子供の服も寝具もベッドカバーも揃っている立派な倉庫だ。
服や布物はここの工房が担当して作ってくれている。スライム解体だけでなく、村人の服や寝具を一切合切娘のミネと二人で取り仕切っている二人の能力は侮れない。
「セウスとそう変わらないなら、この大きさでいいかしらね。寝具は緑でいい?」
「緑より青かな、あの人」
「青ねぇ。あんまり染料が入ってこないから……。これ少し青が入ってるかしら」
工房の倉庫と作業台テーブルを行き来しながら、コエダおばちゃんと私でシキさんの服や寝間着、それに手ぬぐいやベッドカバーのセットを工房のテーブルの上に山積みにしていく。
「服だけど、今はこれしかないから縫い終わったら持っていくと伝えてちょうだい。他に足りない分は追々ね」
「今、足がこれだから、持っていけないよ。荷物は本人に取りに来るように伝言をお願いしたから、そのうち来るよ」
「そう? じゃあ、今のうちに包んでしまおうかしら」
コエダおばちゃんは大きな風呂敷を持ち出してくると、机の上に山積みになった布物を包み始めた。
「あらあら。一纏めにしたら、ヒカリでも持てそうな大きさになったわよ?」
「いや、無理でしょ」
どう見たって頭数個分の大きさ。包んだ荷物を肩に担げるのではとおばちゃんは言うけれど、いくら私でも足を怪我している状態でそんな大きな包みなんて背負えない。
本当、要求が無茶苦茶だ。コエダおばちゃんもおじいちゃんと似ていて、平気で無茶を言う。そんなに私が人外の怪力とでも言いたいのだろうか?
おばちゃんを冷ややかに見れば、私の意図を汲み取ったのか、ごめんごめんと謝るが、どうしてか口元は笑っている。なんだか納得できない。
二人でやいのやいのと騒いでいると、不意に工房の扉が開く。視線を遣れば、そこからおじいちゃん達が入って来たのが見えた。
「おやまあ、オズワードさん。早いお着きね」
「おやおや、その様子ではシキ殿の荷物はまだだったかな?」
「いいえ。丁度支度を終えたところですよ、オズワードさん」
「そうか。それは良かった」
おばちゃんと和やかに話をするおじいちゃんの背中には、さっきまで話題になっていたシキさんがいた。彼は物珍しそうに工房を見回している。
スライムの皮を知らないのだ。そりゃ珍らしかろう。
そんなシキさんを見たコエダおばちゃんは大喜びする。
「あらまぁ! 噂には聞いてたけど本当にいい男ね! オズワードさんには負けるけど」
コエダおばちゃんは嬉しそうにシキさんに近寄ると、彼を見上げる。浮かれたおばちゃんの背中を見ながら、おじいちゃんはやれやれといった表情で「依頼しておいたものは?」とおばちゃんに尋ねた。
「ああ、これですよ。頼まれていたものは」
満面笑顔のおばちゃんは華麗に翻ると、台に置きっぱなしになっていた大きな包みをひょいっと持ち上げる。軽々と持ち上げたおばちゃんこそ、怪力じゃないか。
「ありがとう。助かるよ、コエダ」
「いい男の頼みは断れないですもの」
「コエダには勝て無いなぁ」
ニコニコと包みを渡すコエダおばちゃんに、おじいちゃんは満更でもない顔で包みを受け取る。コエダおばちゃんの愛嬌にはみんな勝てない。
おじいちゃんは包みを肩に担ぐと、「そろそろ昼だから一緒に花月亭でご飯にしよう」と椅子に座っていた私に声をかけてきた。もうそんな時間か。
私がモタモタと立ち上がる間に、思い出したかのようにおばちゃんはおじいちゃんに問いかけた。
「ああ、オズワードさん。そろそろ寒くなってきますから、この方にスライムの外套を作っておきますか? ちょうど昨日、キツキが大きめのスライムを捕まえてきたから大人一人分は作れそうなの」
「そうかそうか。それなら、それもお願いしようか」
「ええ。任せて頂戴」
おばちゃんは陽気に胸をトンッと叩く。
私達はコエダおばちゃんの笑顔に見送られながら、工房を後にした。
<人物メモ>
【ヒカリ】
ナナクサ村のスライムハンター。変わった能力「魔素」を操る。
【キツキ】
スライムハンター。ヒカリの双子の兄で、ヒカリと同様「魔素」を操る。
【おじいちゃん】
キツキとヒカリのおじいちゃん。
【セウス】
ヒカリにちょっかいを出す村長の息子。村人からの人望は厚い。剣が得意。
【シキ】
東の森でヒカリを助けた銀髪の青年。
【エレサ】
村唯一の食堂である花月亭の店主。
【コエダおばちゃん】
キツキとヒカリの母親の姉。村の工房を取り仕切っている。
<更新メモ>
2025/05/13 全体的な加筆、人物メモの更新
2021/06/13 文章の修正