不本意な密偵3
窓の外は日が傾いたのか、空にはほんのりと黄金色が差し始めている。
アンダーパレス商会長の執務室は、異様なまでに空気がピリピリしていた。
そんな中でも、受付にいた女性は鼻歌を歌いながら、まだ早い時間なのにも拘らず、燭台の蝋燭に火を灯したり、カーテンを閉めたりと夜への備えを始めている。この雰囲気に臆さないなんて、中々に強い女性だなと感心しながら、彼女の動きを目で追っていたのだが。
その視線をまた正面へと向ける。
長いテーブルを取り囲んでいる男達の視線は一つに集中していた。
そこには鞘と銀のプレートがついた剣。
あれだけあれば一本ぐらい無くなってもバレないだろうと、僕は地下の倉庫にあったサウンドリアの剣を服の中に丸め込んで持ち帰って来ていた。それを男達はジロジロと疑うような視線で見ている。
「これが地下の倉庫から?」
「はい」
証拠品が目の前にあるから、かろうじて僕達の話を信じてくれてはいるようだけれど、それでも尚も信じられないといった表情をしている調査官は多い。
「……ミア、至急報告を」
セドリックさんは今度はお茶を淹れようとしていた女性を呼んで、机にあったメモにサラサラとペンを走らせると、それを彼女に渡す。ミアと呼ばれた女性は頷くと、急ぎ足で部屋を出て行った。
「帝城へ連絡を?」
「ええ。想定外の事態です。少しでも早く報告せねばいけません」
そんな大問題なのかと、一人その深刻な状況がわからない僕は、呑気に皆の顔を観察する。
「帳簿合わせどころの話ではなくなったと?」
「どちらにせよ、帳簿なぞ合わないでしょう。補佐官達が懸念していた外患との金銭の授受をしていた可能性が高くなりました。今まで商会の売り上げだと思っていたものは、商会を介した違法な援助資金だったかもしれません」
「外患? えっと敵ってこと?」
ここではナナクサ村では使わない言葉が多くて嫌になる。
「そうです。セルゲレン侯爵がサウンドリア王国側と手を組んで、我が国の内政に関与した疑いが出て来ました」
「んー? 関与も何も………」
「セルゲレン侯爵の御令嬢は皇子妃になりましたね」
僕の疑問にユーシスがスパッと答えてくれた。
だよねぇ。
来る前に腹黒が今回の商会と関連する事は一通り教えてくれていた。
この商会が疑問視されてこなかった理由に、それもあるような事を言っていた。
「やっぱり大事なんだ?」
「ええ。第一皇子にも何かしらの影響が出てくるかもしれません」
「もし、皇子がこれ………他国の武器の製造の事を知っていたなら?」
それは相当に口にしてはいけない質問だったのか、周囲は硬い表情をしたまま沈黙し、部屋中の空気が凍る。
だけど、セドリックさんは深刻な顔をしながらも、僕の質問に答えた。
「……トルス皇子が皇族から除籍される可能性があります。そればかりか、重い刑が下されるかもしれません」
「…………」
セドリックさんの言葉に、周囲は固唾を飲む。
「ですがトルス皇子が、……あのお方がご存じだったならば、こんな事を許してはいなかったはずです!」
悔しそうに机を拳で叩いたセドリックさんを、周囲は落ち着かせようと宥める。皆同じ考えなのか、セドリックさんには同情の目を向ける。
ふーん。トルス皇子、ね。
「うーん、セドリックさんがその皇子を信じているのはわかりました。だけど皇子の身の潔白について議論する前に、今はまだ大事な事が残っています」
「……行方不明者の捜索ですね?」
「そう」
僕が頷いた瞬間、部屋の扉がけたたましく開いた。
「大変です、商会長!!」
それは先程セドリックさんにメモを渡されたミア。
血相を変え、さっきとは違うメモを手に持ってノックも無しに部屋へと入り込んできた。
ミアは手に持っていたメモをセドリックさんに手渡す。それを見たセドリックさんも顔を顰めてこんな時にと顔を青くさせて呟いた。
「いかがされましたか?」
静かに話を聞いていたノクロスさんが、様子のおかしいセドリックさんの顔を覗き込む。セドリックさんはそんなノクロスさんにどこか申し訳なさそうな顔をすると、メモに目を落としながら口を開いた。
「ドーマ領が制圧されたようです」
「………なんですって?」
今度はノクロスさんの表情が変わる。
「どういうことですか?!」
「落ち着いて、ノクロスさん!」
掴み掛かるのではと思うほどに、勢いよくセドリックさんに詰め寄ったノクロスさんを僕は止める。
「問題はないからと………!」
ドーマ領を心配してここへ来ていたノクロスさんは、そう聞いたからホーシャ商会の調査を先に進めたのに、彼からしたら話が違うではないかと叫びたくなるだろう。
制止する僕の手に気付いたのか、少しだけ冷静になったノクロスさんはセドリックさんに強い視線をやる。
「制圧とは、どういう事ですか?」
「……ドーマに駐留している調査官からの連絡では、セルゲレン軍が急に現れ、ドーマの街や領地邸を制圧したと。その後、ドーマ領の統治権やドーマ軍の指揮権を取り上げたようです」
「セルゲレン?」
それは、さっきまで話題に上っていた名前。
「統治権までどうして……」
「その理由はわかりません。ですが地方統括であるセルゲレン侯爵が、領主の権限を凍結したのでしたら、何らかの理由があるはずです」
「ドーマ領の抱えている問題って、キツキ……殿下が服毒した件だけですよね?」
「ですが、ドーマ領や伯爵が関与する証拠は何も見つかっていません。それは概ね調査は終了し、既に帝城に連絡をしています」
「じゃあ、どうして………」
僕からの質問にセドリックさんは腕を組んで考え込む。
「……まさか、地方統括の権限でドーマ伯爵を罪人として処する気では?」
証拠もないのに罪人にするって、それは冤罪って事だ。
この国をまだよく知らない僕だって、そんな勝手な事は出来ないだろうと思うけれど。
だけどそれを聞いたノクロスさんの顔はみるみる青くなる。
「そんな………………」
言葉を詰まらせたノクロスさんは、皮膚を破るのではないかと思うほどに強く手を握る。
僕はそれを眉を顰めて見やる。
ドーマ伯爵の罪がでっち上げられたら、ノクロスさんの実子であるカルディナ伯爵も、ドーマ伯爵の甥に当たる孫達も、それに引き摺られてしまう。そうさせないために、ノクロスさんは腹黒宰相補佐官の案を受け入れたのに。
腹黒の案とは、二つの事件の調査を手伝うのならば、調査の権限を与えてくれるというもの。僕達が先発隊であるアンダーパレス商会の人達に指示が出来るのもその為。
ノクロスさんとカルディナ伯爵の関係を腹黒はどこで知ったのか、カルディナ伯爵の義兄にあたるドーマ伯爵の問題をノクロスさんにチラつかせ、帝城が難航していたホーシャ商会潜入調査もセットにして依頼を提示してきた。いくら場所が近いからといって、調査を同時に二件もやらせようなんて乱暴な話だよね。更に更に腹黒の選んだ人間をお供として連れていくという条件も付いていて、皇務省の調査官数人と共に、僕とユーシスも名指しされていた。
つまり、僕をヒカリの傍から引き離す一石三鳥の腹黒の案でもあったわけで。
ドーマ伯爵の無罪を証明したいのなら、ホーシャ商会の難航している調査も一緒に解決してこいという、あの腹黒の卑怯さがわかる案だったのだが、ノクロスさんは見事にそれに釣られてしまった。
僕にはそれがわかっていたけれど、弱り顔のノクロスさんに相談されれば、嫌だなんて言えるはずもなく、今に至る。
だから僕達の本命であるドーマが危険な状態だと聞いて、このままではいけないと思案する。
「ここからそのドーマ領まではどのぐらいの距離ですか?」
「馬で駆ければドーマ伯爵の領地邸までは半日ほどで行けるかと」
「そうですか」
季節柄、夜が来るのは遅い。それに急げば今日中には間に合うだろうか。
僕は視線を落として考えると、ノクロスさんに告げた。
「ノクロスさんはドーマ領へ行ってください。ロメオもノクロスさんについて行ってくれ。あとはシモンとダグラスと……」
「セウス?」
「僕はまだ馬を早く走らせる事が出来ませんので、ここに置いていってください。商会関係の書類はユーシスへ。僕達はその間、行方不明者の捜索をしておきます」
「だが、相手は敵国と手を組んでいる商会だ。何があるか………」
「でも、ノクロスさんはドーマ伯爵のために今回の依頼を受けたはずです。どうか当初の目的を見失わないでください」
「………セウス」
「良いですか、セドリックさん? 後の責任は僕が負います」
「ですが、ノクロス・パルマコスが来ると我々は聞いて………」
こちらの動きにセドリックさんはまごまごとする。
主力が急に居なくなると聞いたのだ。助けを待っていた身としては信じられない話だろう。
「それなら大丈夫です。僕はノクロス・パルマコスの弟子ですから。見劣りなんかしませんよ」
「ええ。それは私が保証します」
ノクロスさんが力強く後押しすると、セドリックさんは硬い表情ながらも頷いた。
「わかりました。ではご子息をお預かりします」
「ええ、よろしくお願いします」
こっちの話は纏ったようだ。
「では、ノクロスさん達は出立の準備を。僕はここに残って今後について話し合います」
「セウス、無茶はするなよ?」
「ええ。……勝手に命を落としたら、僕は叱られてしまうので」
ノクロスさんは僕の言葉に不思議そうな視線を向ける。
それでも一刻を争うノクロスさんはそれどころではなく、ロメオ達に指示を出すと、僕に申し訳なさそうな顔を向けてロメオ達と共に部屋を出ていった。
その背中を見送ると、僕は難しい顔をしている調査官達に向いた。
「では、僕達は行方不明者の捜索を開始しましょうか」
僕の言葉に、調査官達は一斉に頷いた。
街から離れている工房の周辺は暗い。
夜が来るのが遅い時期だから、空に月が輝くのを待って敷地内に侵入した。
工房の緩そうな窓枠の隙間に、金属の板を差し込んで少しガタガタっと揺らすと窓は開く。
こんなに簡単に開くものかと、窓を潜った後に鍵の形を見て納得すると、周囲を見回した。
入り込んだのは廊下で、暗いけれど見覚えはある。場所からして、地下への階段にはそう離れていないはずだ。
「人は居なさそうだね」
「ええ、夜は宿舎へ人が流れているはずですが、まだ仕事をしている者がいるかもしれませんので気をつけてください」
「宿舎?」
「事前調査ではこちら側の二階から上が事務員や職人達の宿舎になっているようですね」
だから建物が大きかったのか。
「大掛かりだね」
「ええ。なぜ労働者全員を宿舎に入れるのか疑問だったのですが、工房の秘密が外に漏れないためでしょう」
「成る程ね」
廊下は暗く、そして静かだ。
ここから先は見つかれば問答無用の場所になるだろう。僕はすうっと息を吸うと気持ちを切り替える。
腰から下げている剣には、薬草をモチーフとしたパルマコス家の家紋が描かれている。僕はそれを軽く撫でると、ゆっくりと息を吐いた。
目を暗闇へと向けると、僕は階段に向かって歩き出した。
そうやって意気込んだのに、待ち受けていた部屋の様子に唖然とする。
あれだけあった武具の山は消えていて、部屋の中はもぬけの殻。武具が置かれていた台や棚だけは残して証拠らしい証拠は残されてはいなかった。
「不味いな」
「あちらに侵入したのがバレた可能性がありますね」
マイルスと顔を見合わせる。
「……調査官の捜索に専念しよう」
僕達が最初に侵入した時に地上ではなく地下の捜索を優先したのは、地上なら何かしらの窓さえあれば潜入していた調査官なら高い確率で脱出出来るからと聞いたから。
それが出来ていないのだから、最初から彼らが脱出するのに苦労する地下があるだろうと想定していた。
この状況でもそれは変わらない。
だから向かう場所は 下りてきた階段から遠い部屋。
「奥から見ていこう」
「ええ。手分けしますか?」
マイルスからのその質問に僕は考えるが。
「やめておこう。時間はかかるが、これまでのことを考えれば、近衛騎士達が制圧されているんだ。普通じゃない」
何度か彼らと剣で手合わせしているけれど、皆それぞれに筋は良い。それに僕は剣だけだけど、騎士達は様々な武器を扱えるらしいから、そんな彼らからの連絡が途絶えていることを考えれば、“彼らを制圧した何か”に遭遇した時に、ここにいる三人がバラバラで対応出来るとも思えない。
「周囲に注意して」
僕は扉に耳を当て、音がしない事を確認するとそっと扉を開ける。それに続いてマイルスとユーシスも部屋から静かに出てくる。
僕は降りて来た階段から反対側へと歩き出す。
廊下の片側には簡素な燭台から灯る小さな小さな灯りが点々と続く。
暗い中を歩いていると、ふとおかしな感覚になっていく。
平坦な廊下を歩いているはずなのに、何だか少しずつ下がっている気がする。それが底のない闇へ堕ちていくような感覚で不気味だ。
緊張しているのかな。
よく見えない足元に視線を移し、足元に地面があることを再確認する。
それにしてもなかなか曲がり角に辿り着かない。
地上の建物自体とても広く、広大な中庭のあるこの工房はロの字に立っていた。だから、その下にあるこの地下の廊下も同じような形になっているはず。
そろそろ裏の搬入口辺りまで来ているはずだから、曲がり角がありそうなのだが。
そんな事を考えていた時だった。
後方から大勢の足音が聞こえてくる。
「気づかれたようだね」
「急ぎましょうか」
後ろから足音が追って来ているから、後ろへは戻れない。僕たちは小さな灯りを頼りに、暗い廊下を急ぎ足で歩くが、段々と足音は近付いてくる。
完全に気付かれている。
「………走ろう」
僕の言葉と共に、三人で走り出す。
暗い中でも廊下は真っ直ぐだから走りやすい。前へ前へ速度を上げていくと、曲がり角に到達する。やっぱり分岐はなく、道なりに右へと曲がる。しばらく走ると壁しかなかった廊下に扉が見えて来た。
それは今まで廊下の側面にあった扉とは違って真っ正面。扉がなければ行き止まりということだ。
先頭を走る僕は思いきり分厚い扉を押し開けた。
扉を押さえて後ろから走ってくる二人を中へ誘導する。
二人が入り込んだと同時に扉を閉め、体で抑えたまま閂になるような木材を暗闇の中で探すけれど、扉の向こうから、ガタンッと扉に閂を差し込む音が聞こえて来たかと思えば、続けてガチャリッと機械仕掛けのネジが動き出す音も聞こえて来た。
何だ? 何をしている?
僕達を閉じ込めたつもりなのだろうか。
扉の向こうの音に気を取られていた時だった。
「セ、セウス様!」
中は相当に広いのか、ユーシスの声が響く。それと同様に不気味な機械音も響く。
僕はユーシスの声に誘われて視線を部屋へと向けた。
真っ暗だった部屋に、一筋の光が差し込み始める。
そこから流れ込んできたもの。
それは銀色の光。
空に浮かぶ月からの美しい光。
しばらくすると不気味な機械音は止まる。どうやら天井の一部を開ける機械だったようだ。
だけど、月の光が照らしたものは。
「何だあれは?!」
近衛騎士上がりのマイルスさえ驚きの声を上げるもの。
銀の光を反射する皮膚。
闇に溶けそうな黒い容姿と巨大な体。
さっきまでは静かだったその巨体は、しばらくするとポンポンと躍ね出した。
「何でここに?!」
アンダーパレス商会で顔合わせをした時に少しだけ引っかかっていた事。
武術も魔法も上級者である近衛騎士が四人も行方不明なのに、証拠や手掛かりどころか、死体も出てこない理由。
目に映った揺れ動くそれが、全ての謎を解いていく。
「大型スライム………」
一筋の光が差し込む地下の部屋の中で、天井に届きそうな程の炭色の大型スライムが揺れ動いていた。
大型スライムを目の前に茫然とする三人の後ろから、耳障りな声が聞こえてきた。
「ふん! 我が工房をつけ回すネズミがまたかかったわ。今日は晴れているから直ぐに片がつくだろう」
その声は工房長の声だった。
振り返ると、扉の小窓からうっすらと笑う工房長の両目が浮かび上がる。僕達を追っていたのは工房長とその仲間達のようだ。
「これが何か知っているのか?!」
「はっ! そんな質問をしてていいのか? ボサっとしていると食われるぞ?」
工房長の言葉に反応したのか、マイルスはスライムに向けて魔法を放つ。だけど夜のスライムに魔法は効かない。スライムの体に触れたマイルスの風魔法は、スライムに吸収されたのか見る見る消えていく。
「何だと?」
愕然とするマイルスの声が部屋に響くと、扉の向こうから嬉々とした声が聞こえてくる。
「はははっ! 魔力持ちどもの日和る声は何度聞いてもいい!」
「腐ってるな」
「はんっ! どこの者かは知らんが、そこにいる巨体は飽きもせずにわが工房に忍び込んでくるスパイを始末している。これからお前等も同様に、絶望しながら死んでゆくのだ!」
「……それはどうかな?」
「はっ! その強がりがいつまで続くか見ていてやろう!」
ふんっと鼻を鳴らす高慢な物言いは、こんな暗い中でも工房長の顔が見えるようだ。
直ぐにでも奴の首に剣を突き立ててやりたいところだけど、まずは彼の自信となっている源を削いでやろう。
僕は目に力を入れると、スッと剣を抜く。
「マイルス! 魔法の使用を禁止する。剣を抜け!」
大型スライムを前に、僕からの指示に呆気に取られていたマイルスだが、もう一人のユーシスも僕のように剣を抜いたのを見て、理解は追いついていないようだが倣うように剣を抜いた。
「道理で近衛騎士経験者が行方不明になる訳だ」
僕はポツリと呟く。
こんな暗い部屋で、それで無くても帝国では見たことのない大きなスライムに驚いて、さっきのマイルスのように魔法で応戦してしまったのだろう。
その結果が目に見える。
僕は暗い部屋に差し込む銀色の光を睨んだ。
どうしてか工房長はスライムの習性を知っている。
スライムが吸収をするのは月が出ている時だけ。月の光を体に浴びている時だ。
「ユーシス! 対応は知ってるな?」
「はい!」
「下には入り込むなよ?」
「勿論です!」
暫くナナクサ村にいたユーシスも、少しの間だけだったがスライムの狩りを手伝っていた。だからユーシスもスライムの特性は知っているし、中型ぐらいの大きさまでなら彼も見たことがある。
「マイルスもスライムの下には絶対に入り込むな! 出てこれなくなるぞ!」
「は、はいっ!」
「何も考えず体の表面を何度も切りつけてくれ!」
マイルスはごくりと唾を飲む。
「ふん、そんな事で逃げられると思うのか?」
見学をしていた工房長はまだ自信満々だ。彼の言葉を鑑みるに、どうやらスライムに魔法が効かない事と、生き物を吸収するという特質以外は、彼はスライムの事に関しては知らないようだ。
「すぐに結果が出るさ」
僕は剣を構えると、大型スライムに向かって走り込む。それを見たユーシスとマイルスも僕の後に続いた。
強く叩き込むのでは無く、傷をつけるように剣を引く。
表面には傷かどうかわからない無数の乱線がつけられていく。
スライムと剣の大きさを確認するが、今持っている剣ではコアまで届きそうにはない。面倒だけど、やっぱり長期戦で行くしかない。
「はっは! 無駄なことをしよるわ!」
僕一人なら時間がかかったかもしれない。だけどここには剣の扱いに慣れた男が他に二人もいる。
それにスライムの大きさから考えれば、部屋はそう大きくは無いから、森で遭遇すればあっという間に飛んでいってしまう巨体を追いかけなくて済んだ。
そう時間もかからずに、目の前を飛び跳ねる黒ずんだ灰色のスライムの様子が変わる。飛び跳ねていた体を止めて、ウネウネと頭部を震わせ始めた。
「な、何だ? どうしたんだ?!」
工場長は部屋の中の異変に気付いたのか、驚きの声を上げる。
「分裂するから、離れて! 下に入り込まないように!」
僕の言葉が消える前に、スライムは2体に分裂する。中型スライムの出来上がりだ。
「これを待っていたさ」
僕は剣を持ち変えると、もう一度スライムに駆け込む。微かに見えるコアを目掛けて剣を思いっきり突き刺した。
スライムの体が曲がるほどに刺し込んだ剣は、スライムの中央にあったコアを破る。
それと同時に、スライムの体は弾けるように皮が破れ、中からぼたぼたとスライムの落とし物が落ちたのだが。
「………!」
僕はそれに目を背けると、もう片方のスライムを片付けようとするが、既にユーシスがトドメを指していた。
僕が倒したスライムと同様、もう一体の皮が破裂したスライムから出てきたスライムの落とし物は、骨と皮しか残っていないような干からびた人の体、そして溶けたような衣服や金属の欠片がゴトゴトと落ちてきた。
「最悪だな………」
ずっとスライムと共存してきた僕でさえ、ここまで生き物の死体が入ったスライムを見るのは初めてだ。
「バ、バカな!!」
その声で現実に引き戻された僕は、扉に視線を向ける。扉の奥ではバタバタと慌ただしい音が聞こえて来た。
大事なものを忘れていたなと翻って、逃すかと走り出した時だった。
部屋が明るくなったと同時に、目の前の扉は轟音と共に粉々に破壊された。
「んん?」
一瞬の事でポカンとしてしまう。
光の元を辿れば、離れていたマイルスの手から薄緑色に光る魔法陣。彼は扉を破壊をするや否や、扉の向こうにいたであろう工房長たちに襲いかかる。
「よくもっ!!」
マイルスの周囲には小さな魔法陣が散乱し、そこから風魔法らしき鎌風が散乱する。
「わわ、マイルス。落ち着いて!」
工房長を殺したら上等な証人がいなくなる。さっき彼に剣を突き刺したいと思ったのは僕だけど、訂正だ。
「仲間を……!」
マイルスの目からは正気が消え失せている。これはさっきの死体の中に、一緒に調査に来ていた仲間がいたのかもしれない。
「マイルス、止まれ!」
魔法を乱立させるマイルスに、魔法を大して扱えない僕に止める手段はない。
グッと手に力を握った時に、脳裏に白髪の男性の面影が浮かんだ。
「『怒りに任せて冷静さを欠くのは、力のない人間がやることだ』!」
咄嗟に口から出て来た言葉。
それは僕ではなく、亡き人の言葉。
いっつも僕に余計なことしか言わなかった、大好きな大好きな女の子の身内の男性。
だけどその言葉に一瞬足を止めたマイルスは、急に攻撃的な魔法から、逃げる工房長達の足を止める捕捉魔法に切り替えた。
彼らの足は、何かに絡まるかのように動きを止める。
僕が工房長の首根っこを捕まえて押さえ込んでいると、部屋の中からユーシスの叫び声が聞こえてきた。
「セウス様! 息のある人がいました!」
その声にハッとしたマイルスは慌てて部屋へと戻る。
それによって工房長達を捉えていたマイルスの魔法が次第に解けていく。
工房長よりも前を逃げていた男は足が動くようになったのか、早速逃げ出す。僕は押さえていた工房長を手離して、男を追いかける。廊下の曲がり角を曲がろうとする男の目の前に、僕は壁に刺す様に剣を突き立てた。
「ひぃぃっ!」
「僕、気が長いほうじゃないんだ。面倒はかけないで欲しいな?」
逃げた男の耳元でそう囁くと、逃げた男は足をガクガクとさせて床に腰をついたのだった。
<更新メモ>
2023/04/09 加筆(主に修正)