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Slime! スライム! Slime!  作者: 笹餅よもぎ
第三章
193/219

キルギスの災難3 ーキルギス視点

 案内されたのは大人の社交場らしい落ち着いた雰囲気の談話室。

 将軍の側近時代に何度か入ったことのある部屋で、懐かしいなと部屋を見回した。

 部屋の壁は弧を描くように緩やかに湾曲し、それに合わせた大きな窓が等間隔に並ぶ。そこからは北の回廊ほどではないが、街の明かりが臨めた。壁一面には黒樫材で作られた落ち着いた色合いのカウンター。その上にはお酒が整然と並び、グラスや氷などが準備されていた。


 将軍は案内をしていた執事長や待機していた使用人達を部屋から下がらせて私と二人っきりになると、お酒の棚に並んでいた一等輝くガラスの瓶を取り出した。瓶の細工は素晴らしく、飴色の液体が揺れ動くのが見える。将軍はポンッと瓶の蓋を開けると、厚みのある並んだグラスへと中身を注いだ。

 並んだグラスを両手で持つと、一つを私に差し出してくる。


「恐縮です」


 差し出されたグラスを恐る恐る受け取る。

 将軍は無言のまま近くの革張りの椅子に腰をかけると、私に座りなさいと視線で促してきたので、将軍の顔が見える席を選んで座った。


「………」

「………」


 空気が重いのは言うまでもない。


 だけど下手にこちらから話しかける訳にもいかずに、将軍が口を開かれるのを固唾を飲んで見守る。

 しばらくテーブルに視線を落として黙考されていた将軍は、足を組み替えると持っていたグラスをテーブルに置いた。


「しばらくだな、キルギス。息災だったか?」

「……大変ご無沙汰しております、将軍閣下。私はこの通りでございます」

「………」

「………」


 再び重苦しい空気になる。

 ごくりと唾を飲み込み、次の言葉を覚悟をしながら待っていた。

 あれだけ重用してたいだいたのにも(かかわ)らず、将軍のなされることにケチをつけて、短気を起こして周囲が止めるのも聞かずに軍を辞めてしまったのだ。侮辱にも近い事を将軍にしたのだから、私は罵倒されても不敬罪で切られても仕方がないと思っている。

 やるなら一思いにやって欲しい。びくびくしながら、手元の揺れるお酒に映る歪んだ自分に目を落としていた。


「あれから、10年か?」

「はい」

「そう聞くと長いようだが、あっという間だったな」

「………」

「あの時。あの時私に言った言葉を覚えているか?」

「………はい」



 ー これ以上は国防を損ねるとどうしてわからないのですか! 軍を捜索に割くのなら、その人員をどうか地方へ送ってください。


 ー 帝国の将軍であるあなたが守るべきは過去の偉人ではなく、今生きている民のはずでしょう?!



 他にも色々と言いたい事だけ一方的に言った記憶が蘇るが、それと同時にその記憶を消そうと頭を必死に抱える。将軍に噛み付く一介の騎士なんてきっと私ぐらいだ。


「あのあと、………キルギスが軍を辞めた後の事だ。キルギスが懸念していた事が国内で広がっていた」


 おもむろに口を開いた将軍は、ゆっくりと昔を思い出す様に語り出した。


「あれは妻の葬儀が終わってしばらくした後、引き摺るように重かった心をなんとか保てるようになった頃だ。仕事へ復帰した私の机にはキルギスが気にしていた事件の報告書が地方から山のように届いていた。読めばキルギスの言う通り、帝国の海辺では漁村の被害は増える一方で、帝国の海沿いは油断ならない事態にまで進行していた。百を優に超える国民が手がかりも無しに行方不明となり、その時に初めて現場を訪れてみれば、生きていたはずの村は廃墟のように破壊され、その壁や地面には血痕が広がっていた」


 それと同じ光景が自分の脳裏を掠めると、その時の悔しさも思い出したのか、お酒を持つ手にぎゅっと力が入る。


「気がつけば西側だけだった被害が、東の海でも発生し始めていた。あの時ほどキルギスの言ったように、帝国軍をもっと早く派遣しておけば良かったと後悔したことはない。領主達だけでは手の施しようのない相手なのだと、ようやく気がついた」


 当時帝国では謎の失踪事件が西の海辺で起こり始めていた。

 それは小さな漁村で起こる奇妙な事件で、一度発生すれば血痕だけを残してほとんどの村人が行方不明となるものだった。

 各地の領主達からは対策をとったものの、見張りに送り込んだ兵士達も一緒に行方不明となってしまったと悲鳴にも似た報告書が送られて来ていた。ある村では倉庫に身を隠していた子供だけが残り、ある村では一人部屋で寝たきりの年寄りだけが生き残ったり。なぜか元気で働き盛りの人間は絶対と言って良いほどに村には残されていなかった。

 だから何が起こったのか正確に説明が出来る人間がいない。

 出てきたのは、ゆらりゆらりと動く赤い目をした闇夜のような色をした人間が村を襲ったと言う子供の証言だけ。それはあまりの恐怖で記憶が混乱したのだろうという意見と、それを鵜呑みにする意見に分かれ、いつしか“黒い影人間”という言葉だけが独り歩きをして、恐怖の源として海辺の領主達の間に広まっていた。


 そんな事件が起こり始めた最中でも、将軍は失われた皇女探しの手を緩めなかった。

 小さな村にだけ発生するその事件は、帝国の規模で考えればそれぞれはとても小さい規模だったけれど、不明者と血痕以外の痕跡もなく、犯人の目星もつかなかった。とても奇妙な事が帝国の西の海辺で起こり始めていたのに、それに目を向けない帝国軍の総指揮官である将軍が国内の事態を軽視しているように思えたのだ。


「遅すぎたのだ、何もかも。キルギスが言うように、私はライラ皇女の捜索に力を入れすぎていたのかもしれない。それでも、そう思っても、どうしても私はそれをやめられなかった」


 将軍は悔しそうに手を振るわせる。

 なぜそこまでの犠牲を無視してまでライラ皇女にこだわったのか私には分からない。けれど。


「……ですが、ライラ皇女のご家族が生きておられたのも事実です。諦めない志が今回の解決に結びついたのでしょう」

「だが、失ったものもあった。愛する妻と、息子のように思っていた側近だ。あの時、意地を張らずにすぐにお前を引き留めておくべきだと何度も後悔した。何度もな」

「私には過ぎたお言葉です」

「………」


 熱くなる将軍とは反対に、気にかけていただけるような大層な人間ではないと淡々とした顔で話を聞いている私を横目で見ていた将軍は、どこか寂しそうな顔でため息をつかれた。


「……私をそこまで後悔させたその側近は、私の家族の……カロスの面倒をよく見てくれていた。カロスを肩に乗せるその姿は兄のようで、あまり城に帰らない私よりも余程家族らしい男だった。常に勇壮で篤実。忙しい最中でも、地方から届く状況に常に心を痛める誠実な人間だったのだが、いかんせん私の近くにいたせいか、私に引けを取らないほどの大層な頑固者になってしまっていた。我慢強かった彼は私の節穴を見破るや否や、見事に私の悪いところを全て指摘して、周囲が束になって止めても瞬く間に武官を辞めてしまった。風の如くにな」


 わかってはいたが、自分の短気っぷりを誰かに語られるとこの上なく恥ずかしい。将軍と顔を合わせる事が出来ずに思わず伏せてしまった。


「カロスの反抗など、可愛く思えてしまう」

「返すお言葉もありません………」


 恥ずかしさのあまり両手で顔を隠すけれど、そんなことをしたって過去が消えるわけでも、将軍の記憶が消されるわけでもない。恥ずかしさが落ち着くのを待って両手を顔から外した。

 将軍は可笑しそうに隣で小さくなっている私を見ている。


「閣下。私の諫言は結局は独りよがりでした。将軍閣下は見事にライラ殿下の御令孫を帝国に迎え入れられ、閣下の慧眼にただただ感服するばかりです」

「そう大層な事ではない。ラシェキスが偶然、ライラ皇女が身を隠しておられた村に辿り着けたからで、天が味方してくれただけだ。そこから無事にお孫を連れ帰ってきてくれたのはラシェキスの功績だ。私だけではいつまで経っても探し出せなかっただろう。周辺の島々や第二大陸まで、人を派遣していたのだがな。ヘルホール海の真ん中に小島があったとはな」

「ですが、帝国が御令孫の受け入れが早かったのも、将軍閣下がその地盤をお作りになられていたからに他なりません。リトス侯爵の皇太子の儀も、来年の春と聞きました」

「ああ。……長い長い夢だったよ」

「おめでとうございます」

「はは、やめてくれ。まあ、キルギスに言われて嫌な気はしないがな」


 将軍は顔を綻ばすと、テーブルに置かれたグラスを持ってお酒をゆっくりと口に含む。お酒の味に満足なさると、再びテーブルにグラスを置いた。


「……それで、キルギスは今は何をしているのだ。父の侯爵に聞いても知らぬ存ぜぬとしか言わなくてな」

「今はキュアノエイデスを中心に造船業を」

「造船?」


 意外だなと将軍はつぶやいた。

 将軍は持っていたグラスのお酒を飲み切ると、立ち上がってカウンターへと戻り、先程のお酒の瓶を取りに戻る。面倒になったのか、その酒瓶を氷や数個のグラスの置かれたトレーに載せると、それを持ち上げてテーブルへと運んでこられた。椅子に座られると、再びお酒のグラスに注ぐ。私がやりますと申し出るも、今日のキルギスは客だから座っていなさいとやんわりと断られた。


「どうして帝都に戻ってきたのだ?」

「カロス様からのご依頼で一時的にバシリッサ公爵の護衛を」

「一時的に、か。なるほどな。あやつが使いそうな手だな」


 将軍は機嫌の悪そうな声を出すと、眉を顰めて考え込む。


「ここ最近、どこかしらカロスの機嫌が良いと思っていたが、その理由がキルギスが戻ったからだともっと早く気づくべきだったな」

「それは私ではなく、バシリッサ公爵の御存在があるからでしょう」

「さて、どうだろうな。あれはまだまだ子供だ」


 一国の宰相補佐官に対して、そんな事を吐露なさる。

 確かに、今日の食事会もタキナと私を(いじ)めたいがための目的だったしな。子供っぽい仕返しだったのは(いな)めない。


「………ご立派にお育ちになりました」

「私欲で動いてしまうところがあるから、諌めてくれる人間を側に置きたいと思っているが、それが出来る人間はなかなかいなくてな」


 将軍は再びグラスを持ってゆっくりと回すと、ゆらゆらとグラスの中で揺れるお酒を眺める。顔を顰めたまま、視線はそこから一切動かない。


「………キルギスはこっちに戻ってくる気はないのか? お前なら中央の職を任せられると思っているが」

「高くご評価いただいているところ恐縮ですが、私は実家からも縁切りをされ、後ろ盾も人望も無くした身です。今は多くの人に支えられ職人達にも恵まれた私は、ようやく一端(いっぱし)に造船所の経営が出来るまでになりました。ですのでおいそれと鞍替えをして、支えてきてくれた彼らを裏切る訳にはいきません」

「そうか。お前のことだから、簡単に頷くとは思ってはいなかったがな」

「恐縮です」


 丁寧に低頭する私を将軍はチラッと横目で見ると、しばらく黙考されたが。


「では、一時的な仕事ならどうだろうか?」

「いえ、これ以上は……」


 帝都が落ち着いたら、本業に戻らなければいけない。いつまでも副会長に業務を任せっ切りにしていたら(へそ)を曲げられてしまう。

 断ろうと頭を低くしたのだが。


「例えば、漁村で発生する奇妙な失踪事件の調査なのだが」

「………!」


 驚いて下げていた頭を上げる。

 その瞬間、副会長の事が頭から転げ落ちたのは確かだ。

 私の顔を見た将軍はふっと笑った。


「それとも、この事件はもう忘れてしまったか?」


 そんな訳がない。

 ずっと解決を望んでいた事件だ。


 武官を勢いで辞めて、実家からも勘当された後に迷い出たキュアノエイデスの海で、事件を知る漁民が港に流れてきていないか、海を行き来する船員達がそれらしい情報を持っていないかと、目を皿のようにして港町を行き交う人々を追っていた。

 色んな人に声をかけては事件を知っている人間を探した。

 有力な情報は得られなかったが、それでもそのおかげで海を渡る船乗りの知り合いが沢山出来たのは確かで、その彼らは寄港した港町で情報を集めて来てくれるようになった。

 いつしか自分はそんな彼らの助けになりたくて、今までの給金を全額投入して彼らの船を修理する仕事を始めたのだ。


 だけど。

 だけど個人となった身では、保管するという観点から現場の調査の許可はどこの領主も下ろしてくれず、新たな手がかりもなく、事件が解決したという噂も聞くことはなかった。


 ………それを公人の立場で調べる事が出来るのか?


「……それは、フィレーネ地方やレッドランス地方で起こったあの事件でしょうか?」

「ああ、そうだ。近年では東側のガーネア地方でも起こった」

「そんなところまで?」

「相変わらず手がかりは少ない。簡単な事件ではないのは確かだが、それでも受けてくれるか?」


 断る理由はない。

 今の私の始まりでもある事件だ。


「はい!」


 真っ直ぐに将軍の目を見る。

 私の返事を聞くや否や、将軍は目を細めて笑った。


「そうか、やってくれるか!」

「ええ、必ずや………必ずや結果をお出ししましょう」


 それは長年自分が望んでいた事だった。握りしめる自分の手に目を落として覚悟を心に刻む。

 

「それは頼もしいな。では、臨時調査官として調査が出来るように、必要な全権限を託そう。本業の合間にでも良い。キルギスの都合の良い時に調査へ行き、何かわかればその都度報告を出して欲しい。人手が必要な時の為に、騎士や兵の申請も可能にしておくが、各地の騎士兵士も行方不明になるような事件だから、調査をする際には十分に注意をすること。報告はタキナへ。今までの情報もキルギスと共有するように伝えておこう」

「ありがとうございますっ!」

「良い報せが聞ける事を願っている」

「はっ!」

「では、キルギスの新しい仕事の門出に乾杯だ。前回はお前の門出に何もしてやれなかったから、このぐらいさせてくれ」


 将軍は新しいグラスにお酒を入れ直すと、再び私にグラスを差し出してくる。

 私は持って行ったグラスをテーブルに置き、手渡された新しいグラスを受け取った。将軍はグラスを額の高さに掲げ、自分もそれに倣ってグラスを持ち上げる。将軍は目を細め乾杯とグラスを揺らし、二人でそのお酒を飲み干した。


「上手い酒だ。カロスが得意顔で言うだけはあるな」

「はい」


 二人でそのお酒の瓶を見つめる。帝国の貴族でもそう簡単に手に入らない希少なお酒だった。

 それを飲みながら、しばらく昔の話を懐かしそうに話し始めた将軍だったが、ふと部屋にあった時計を一瞥するとどこか寂しそうに立ち上がる。


「私はそろそろ部屋へ戻ろう。これ以上は酒が美味過ぎて止まらなくなりそうだ。明日も仕事があるからな」

「では、お部屋まで………」


 席を立ち上がって、部屋までお供をしようとしたのだが。


「いや、見送りは結構。キルギスも今日は城に泊まっていけ」

「あ、……そのですね。実は坊っちゃまが既にお部屋をご用意くださっていて………」

「何? カロスの奴め。そこまで準備しておったか」


 どうやら父親には私の部屋の事は内緒にしていたようだ。


「まあ、とにかくだ。今日はご苦労だったキルギス。ゆっくりと休みなさい」

「はい。おやすみなさいませ、閣下」


 そう答えると、将軍の顔は柔らかく崩れる。

 部屋を去ろうとする将軍に、私は頭を下げ続けた。







 部屋への帰り道、坊っちゃまに今日のお礼を伝えておこうと彼の私室に寄ることにした。

 部屋の前までくると扉をノックする。しばらく待ったが返事はない。

 もうお休みか帝城に戻られたのだろうかと思って、自分の部屋へ戻ろうかと思った時だった。中からどっすんどっすんと何かを打ち付けるかのような響く音が聞こえてくる。

 何の音だと扉に耳を当てて澄ます。集中すると部屋の中から坊っちゃまにしては起伏のある声が聞こえてきた。

 もしや泥棒か不届者だろうか。

 はたまた坊っちゃまのお留守に政敵のスパイでも送り込まれてきたのだろうかと、確認をするために音を立てずにそっと扉を開けたのだが。


「おお。コキノ、シアノは今日も元気そうだな。よしよし。キリノは今日も元気がなさそうだな。どれ、月も出ている事だし外へ出てみるか。ははっ、お前達も行きたいか。そうかそうか」


 子供のような声で笑うカロス坊っちゃまが、ぴょんぴょんと跳ねる三匹のミニスライムを交互に撫でた後に胸に抱くと、バルコニーから城の外へふわりと飛んでいく。私はそれを丸くした目で見ると、そっと扉を閉じた。

 眉間を指でつまみ、今見たものを苦悶の表情で思い出す。

 疲れているのか? いや、美味しいお酒を飲み過ぎたのかもしれない。度数が高かったしな。

 妄想か夢かと悩みながら頬をつねるけれど、痛いものは痛い。ついでに頭も痛い。


 バッと顔を上げるともう一度扉の部屋を開く。そこには誰もいない坊っちゃまの簡素な部屋が広がっている。壁一面ぎっしりと本が詰まっている本棚と、中央には丸いカーペットを囲むように特注の座椅子が丸く並ぶ。奥様の影響で昔から坊っちゃまは靴を脱いでここで本を読むのがお好きだった。

 こっそりと入って続き部屋を覗き見るが、ベッドにはやっぱり誰もいない。

 もう一度眉間をつまむ。


 ……なんだったんだあれは。

 坊っちゃまが帝国では見かけなくなったスライムと笑顔で戯れていた。犬や猫ではなく、“スライム”ときたものだ。タキナだってこんな事は知らないだろう。

 どこで捕まえてきたのだ? どこでそんなものに興味を持ったのだ?


「やはり、お一人の身が辛くなってきたのだろうか」


 いくら令嬢嫌いでも、坊っちゃまだって生身の男性。さらにお盛んな年齢でもある。

 これは、早急にカロス坊っちゃまの奥様を擁立せねばいけない。そう思いながらさっき見た事は、見なかったことにしようと、坊っちゃまの部屋を出ると扉をそっと閉めて私は自分の部屋へと戻った。







 翌日。

 ランドルフ様のお言葉に甘えた私は、数時間寝かせてもらい、夜明け前に彼と交代をした。

 今日のバシリッサ公爵のご衣裳は薄い緑色のドレスだったが、公爵はお顔立ちのせいか何を着てもかわいらしく見える。

 お召し替えが終わり、食堂へと向かうほわほわっとしたバシリッサ公爵を先導していたのだが。



 バンッ!



 目的地である食事室から大きな音が聞こえる。

 何事かと近衛騎士に護衛を任せて、私は早足で前へ出て両扉が開いている食事室の様子を覗き込む。朝の光が反射した明るい部屋の中には、既に席に着いている将軍とカロス坊っちゃまがいたのだが、なにやら様子がおかしい。テーブルにはまだ準備途中なのかカトラリーとお茶だけが出された状態だったのだが、周囲の使用人達は皆沈黙したまま誰も動かない。


「よくもぬけぬけと、キルギスとそんな約束を交わしましたね?」

「カロスのおかげで、長年の胸の(つか)えがとれた。感謝する」

「キルギスを使っても良いなんて一言も申しておりません。言いたいことがあればと思って席を設けたのですよ?」

「お前はいつからキルギスの保護者になったのだ。承諾は彼の意思だ」

「私はっ………!」


 朝食前から親子が喧嘩をしている。しかも着火剤はどうやら自分のようだ。

 キィキィと父である将軍に向かって怒りながら、坊っちゃまは事ある度にバシバシとテーブルを叩く。

 本当、子供みたいだな。


「キルギスさんの話題ですか?」


 護衛対象のはずのバシリッサ公爵は、私のお腹辺りから顔を覗かせて部屋の中を一緒に覗き見る。ご本人の護衛されている意識は今日も薄い。


「あの、バシリッサ公爵。出来ましたら、安全を確認するまでは後ろで待機していただきたいのですが……」

「ん?」


 大きな目で私を見上げながら、私の言葉を不思議そうに聞いている。ほぉら薄い。


「殿下、キルギス殿が安全を確認するまで後ろへお下がりください」

「でも、シキ。ここ北城だし、大丈夫でしょ?」

「それはそうなのですが……」

「ダメなの?」

「……これが我々の仕事ですので」


 どこか諦め気味に説得をされるのはリシェル様の弟であるラシェキス様。近衛騎士を一発で合格したと聞いたが、早速アフトクラートである殿下の担当になられたようだ。周囲から大層期待されているのだろう。


「ふーん。わかった、後ろで待ってるね」


 そう言ってバシリッサ公爵は素直にラシェキス様の言うことを聞いて数歩下がる。


 バンッ!!


 ビクッ!


 坊っちゃまのテーブルを叩く音にドッキリする。朝から四十路(よそじ)間際の心臓に悪い。

 中を再び覗き見れば、坊っちゃまは椅子から立ちあがり、周囲はそれを止めることすらせずに、この状況のいく末を見守っている。いや、見守るというかは慣れてしまった顔付きだな。

 これが日常茶飯事(さはんじ)なのか。


「そもそも父上が、キルギスが出奔した後にさっさと探しに行けばいいものを、ダラダラと未練がましくキルギスの言ったことを受け入れなかったのが原因でしょう?」

「むっ、私はだな………」

「それをこんな手を使ってまでキルギスを………」


 どうやらまだまだ続きそうだ。私が原因の喧嘩のようだから私が止めた方が良いだろうかと部屋に一歩入った。


「おはようございます、坊っちゃま。朝からそのように騒ぎ立てるのは、成人した男性の行いとしてはいかがなものでしょうか」

「……キルギス。お前、昨夜勝手に父から仕事を受けたそうだな?」


 私からの(いさ)めの言葉には触れもせずに、坊っちゃまの矛先は私に向かう。


「はい。心残りだった仕事を任せていただけるとの事ですので、承諾いたしました」


 坊っちゃまの目元はピクッと動く。


「その顔は………まさか、簡単な仕事を任されたと思っていないだろうな?」

「十年以上も解決出来ていない事件の調査の一員となるのですから、それなりに覚悟もしております」

「一員、ね。父がどう言ったのかは知らないが、自分が責任者になったことに気づいているのか?」

「どんな仕事にも責任は伴う…………ん?? 責任者?? いえ、わたしは臨時調査官と………」

「はっ! お前は相変わらず人が良いな。調査隊の隅っこにでもいるつもりだったのか??」

「いえ、本業の合間に、自由に調査をと………」

「他には何か言われたか?」

「他?」

「権限については?」

「それは、調査官として権限を授けていただけると聞きましたが」

「だそうです、父上。一調査隊員としての権限の話をされましたか?」


 坊っちゃまがそう聞くと、将軍の目は細くなる。変なことに気づいたなと言う顔で坊っちゃまをチロッと見た。


「おや、私は調査全体の権限をと伝えたつもりだったのだが」

「はっ?! ええ?? 全体の権限って……?!」

「どう聞いても、調査の指揮権だろ」


 慌てふためく私とは反する冷静な坊っちゃまは、ハッと鼻で笑う。


「キルギス。お前、父と仕事の話をする時には油断してはいけないという事を、この十年でどこかに忘れてきただろう?」

「………そのようです」


 頭が真っ白になる。

 調査の指揮ってそれは捜査責任者になるってことで、責任者だから指揮権があるわけで………。混乱する私の目の前にはお茶を美味しそうに啜る将軍。この状況は将軍の中では想定通りなのか、そのぐらい大したことでもないと思っているのか。


「将軍閣下、私はそんな責任のある仕事は………」

「キルギスは近衛騎士を少なくとも五年務めたのだから、帝国での規定で言えば上級調査官の資格を持つ。そんなお前が若手の騎士よりも立場が下で、事件の責任者で無い方がおかしいだろう?」

「いえ、おかしくないですし、そっちの方がおかしいですよね??」


 将軍の言い分に目を丸くする。

 どこに十年も現場を離れた人間を難解な事件の責任者にしようとする組織があるのか。それに今は官位もない民間人で………。


「早朝に帰ったタキナが私の話を聞いて、キルギスの官の再登録をしておくと言っていたから、今日からでも武官として仕事は出来るはずだ」

「………は?」


 予想外の進行度に絶句する。

 タキナめ。私を売ったな?

 本人に了承なしとか、何考えているんだアイツ。


「ですが、私には本業が………」

「私直属で時間制約のない臨時調査官にするから、本業にはそう影響はないだろう。過去の実績もあるから軍事訓練等は免除にする。キルギスは煩わしい事は何もせず調査だけをすれば良い」

「…………」


 想定の斜め上に話が進んでいて、クラッとした私は目の前のテーブルに手を突く。


「それとなキルギス。事件の事で一つ大事な事を伝え忘れていたことに、昨夜部屋に戻ってから気が付いてな」

「……また後出しですか?」

「朝伝えれば良いかと思っただけだ。そうカリカリするな」


 さっきのこともあって、その言葉を素直に受け入れられない。

 ギロッと将軍を睨みつけると、次第次第に10年前の感覚が蘇ってくる。将軍は一と言えば百の仕事を請け負わせる名人だった。油断しちゃいけないって身構える。


「実はある現場に、サウンドリア王国の国章の入った剣が落ちていたのだ」

「えっ?! サウンドリア王国の??」


 さっそく百が来た。

 サウンドリア王国は帝国の西側と隣接している国で、事件のあった帝国の西側の海に近い。そこの剣が落ちていたのならもう決定打じゃないか。そこまで進展していてどうして私を調査官にしようとしたのだ。

 頭はガクンッと下がり、テーブルに突いた手はプルプルと震えるが。

 だけどそんな情報は初耳で、わずかな噂すら聞かなかったから、決定打に近いその情報は国側で伏せられていたのだろう。そう考えればこの事件を解決したいのなら、少々図々しい将軍の提案だが、このまま臨時調査官として動くほうが良いのかもしれない。

 そう考えると、細かいことは気にすることは無いと意気込んで、ぐっと顔を上げた。


「一度サウンドリア王国へ協議という名の抗議に行ったが、謝罪どころか知らぬ存ぜぬで濡れ衣をかけて罠を掛ける気だろうと抵抗されてな。戦争一歩手前までいったが、それ以上の証拠もこちらも無かったので名分は弱く、事態の悪化を防ぐために渋々帰ってきたのだが」

「………」


 …………まさか。


「………まさか、外交もしろとおっしゃるのでは無いですよね?!」

「必要があればな」


 必要とは?!

 それは臨時調査官がやることじゃない。


「だが新しい証拠でも出てこない限り、あちらに非を認めさせるのは難しいだろう」


 将軍は涼しい顔でお茶を啜る。

 それはそうなんだけど。


「将軍! 外交は絶対に無理ですー!!」


 そんなの臨時の片手間でやる仕事じゃ無い。


「不安なら一時的にタキナをつけてやろう」


 あいつが入るだなんて、完全に本筋になる流れ。


「それは安心材料ではなくて、不安材料にしかなりません、閣下!!」


 私の激しい反対に、将軍は「ええー?」といった顰めた顔で私を見る。

 そりゃ昨夜は調査については承諾しましたよ?

 この大事な大事な情報を隠された説明でね?!

 私の顔は段々と熱くなる。


「私は“臨時”調査官だったのでは??」

「ああ、時間的にな。時間が空いた時に調査に出掛けて、本業が忙しい時には調査を休めば良い。その間は他の人間に任せれば良い」

「閣下、それは“臨時”ではなくて“随時”です!」

「……そうか?」


 将軍は給仕にお茶のおかわりを要求しながら(とぼ)けるが、私が指摘しても前言撤回をする気はないらしい。


「どこに外交も兼ねる臨時………いえ、随時調査官が居るのですか?!」

「キルギスならいけるだろ」


 動揺もせずに、将軍は美味しそうに注がれたお茶を飲む。

 そんな重役をするつもりはない。

 だけど、事件の解決はしたい。


 どうしようと助けを求めるように振り向いたのだが、将軍に喰ってかかっていた坊っちゃまはと静かに席に座り直している。

 あれ、坊っちゃま??


「そこまで話が進んでいるのなら仕方ない。タキナが頼りないのなら、こちら側からバルトロスを貸し出してやってもいいぞ?」

「要らないです! というか違います!」


 宰相補佐官の第一秘書をお借りするとか、それは完全に抜け出せなくなる仕様。

 将軍の側近と筆頭宰相補佐官の第一秘書を従えたら、周囲にどう思われるかなんて考えなくてもわかる。


「了承したのなら、責任は取れよキルギス」

「いえ、それはこんなに重い任とは知らずに………」

「北城の部屋はそのままにしておいてやるから、遠慮せずにいつでも泊まりに来い」

「…………」


 皇族の(すま)う北城を拠点なんかにしたくない。

 それにしてもどうしてか、私を上手く丸め込んだ将軍だけではなく、坊っちゃまの頬も緩んでいる。

 わたわたする私の後ろからは、バシリッサ公爵達の護衛達が扉から何事かとこちらを見守る。その横ではバシリッサ公爵もラシェキス様にこの状況を聴きながらホウホウと頷いていた。


「あ………」


 よく見ればバシリッサ公爵の手は、ラシェキス様のマントの近くをウロウロと彷徨う。触りたいけれど触れない、そんなもどかしい動きだ。視線をそこから上げれば、いつもの呑気な顔はなく、他の人間には見せない熱のある目で隣にいる銀髪の男性を見つめる。

 自分を見て欲しいという希望を含んだ眼差しで見つめるものの、彼から視線を向けられると頬を赤くしてすぐに目を逸らしてしまう。そんなたどたどしい様子なのだ。

 気づかなかった。

 意外なところに障害があったか。

 不利なこの状況を一考すると、自分の事は後々どうにかするかと目を細める。


「どうした、キルギス?」


 坊っちゃまは私の変化に気付いたのか声をかけられる。


「坊っちゃま、バシリッサ公爵がお着きになられています。席までお呼びしても?」

「ああ、そうだな………」


 私の言葉で気づいたのか、坊っちゃまも廊下に視線を向けて目を細める。


「いや、私がエスコートをしよう。彼女には早く帝国の作法に慣れてもらいたいからね」

「そうですね」


 坊っちゃまは席から立ち上がると、バシリッサ公爵の元へ向かう。ラシェキス様の側にくっついていたバシリッサ公爵の手を取ると、席まで案内される。

 それを満足気に見ていた私の目の端に、廊下に残されたラシェキス様の姿が映る。彼の目もまた意味あり気にバシリッサ公爵に向けられている。

 どうやら本当に退けなくてはいけないのは、ランドルフ様ではないようだ。

 あのリシェル様の弟か。こちらも手強そうだな。

 私は成長した彼の姿を軽く睨むと、バシリッサ公爵の席の後ろへと移動して彼の視線から公爵を護るように立った。



 それからしばらく。

 私が将軍の任を受けたとの近況報告を(したた)めた手紙を、本業を代行してくれている副会長宛てに送ったのだが、その彼から激おこの手紙が届いたのは、また別の話。


<連絡メモ>

不完全燃焼な感じがあるので、後日直しているかもしれません。



<人物メモ>

【ラシェキス・ヘーリオス・ワールジャスティ】

 カロスの再従兄弟(はとこ)にあたる。皇女ライラの孫であるヒカリを帝国へと連れ帰ってきた。近衛試験を一度で合格し、ヒカリ直属の護衛となった。



<更新メモ>

2023/03/28 加筆(ストーリー追加)、独り言メモ削除

2023/03/15 修正

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