月光の惑い ーセウス視点
空が高くなってきたなと、工房からの帰り道で天を仰ぐ。
そよそよと吹く心地よい秋風に身を委ねながら、穏やかな村を歩いていた。
今日も村は静かで、目を引く彼女の姿はない。
「東の道づくりの護衛とかって言っていたかな」
知り合いに今日のヒカリの目的地を聞いていた。
ヒカリの情報は村を歩けば自然と耳に入る。大体が自警団員からだ。
ヘマなんてしていなければ良いけれど、なんて考えてしまう。
「おい、セウス!」
静かだった村に響く声。名前を呼ばれて振り向くと、仲の良い自警団員がいた。今朝、ヒカリの行き先を教えてくれた当人なのだが、なんだか様子がおかしい。
僕を見つけると慌てた様子で駆け寄ってくる。何かあったのだろうか。
「ヒカリちゃんが足を怪我して、王子みたいな奴に抱き抱えられて帰ってきたぞ!」
息を切らしてそんな事を言う。
王子? 抱き抱える? なんだよ、それ。
わからなかったけれど彼女が怪我をしたならばと、僕は彼と一緒に早足で東門へと向かう。東門に繋がる十字路まで差し掛かった辺りで東門からやってくるノクロスさんの姿を見つけたのだが。
その後ろから、見たことのない背の高い男性が歩いてくる。
月の光のような銀髪に、キツキみたいな艶のある顔立ち。胸元にはヒカリを抱えていた。
目を見開き、自分の目を疑う。
僕はそのまま動けなくなっていた。
なんだ、この光景は。
「うちの村の者がお世話になったようで。ありがとうございます。彼女、重かったでしょう? あとはこちらで引き受けますよ」
彼からヒカリを取り返すつもりで話しかけたけれど、彼はヒカリを抱えたまま僕を躱した。
銀髪の男がヒカリを連れ去って行く。
振り返るが二人の姿はどんどん遠ざかり、僕はただ手を握り締めることしかできなかった。
倉庫に戻って今日中に終わらせなくてはいけないものだけを先に済ませると、早めに仕事を終わらせてもらった。倉庫を出て、そのまま彼女の家へと向かう。脳裏から離れないさっきの光景が、歩く速度を早めた。
家には誰もいなかった。塔にもだ。
彼女とその家族がいないとなれば、行きそうな場所は一つしかない。
「すれ違いか……」
踵を返すと花月亭へと向かった。
花月亭でようやく見たかった姿を確認した。
僕の焦りなんて、これっぽっちも知らない呑気な彼女に、安堵したのか、苛ついたのか。
誰も気にしていない彼女の足の状態を確認しようと、止める彼女の足を持ち上げたのだが。
「ぎゃぁぁ―――――――!」
彼女から悲鳴が上がる。いけない、焦り過ぎた。
薬屋のハナが診てくれて一安心すると、三人で一緒に夕食をいただいた。
ヒカリはあの銀髪の男の事を何とも思っていないと言っていたけれど、それでも彼女の祖父と男が何を話ししているのか気になって仕方がない。
でも、悩んでいるばかりでは体に悪い。
ノクロスさんもいることだし、差し入れを口実に集会席へ様子を見に行こうと決めた。
アカネさんにもっともらしいことを言っておつまみを用意してもらうと、途中にいたヒカリの言葉を茶化して集会席へ向かう。
集会席前の階段に差し掛かろうとした時、彼女の祖父の声が聞こえてきたのだが。
「………ヒカリのことをお願いしたい」
その言葉で足は止まり、体に戦慄が走った。
それは一体どういう意味だ? どうして今日来たばかりの人間に?
オズワードさんは父からの話を知った上で、彼にそんな事を言っているのだろうか。
震え出しそうな手に力を入れると、僕は充満した疑心をゆっくりと吐き出す。
呼吸が整うと、表情を固めて階段を上がった。
「ノクロスさん、お酒持ってきました。そろそろ空くでしょ?」
そう声を掛ければ、三人は一様に驚いた顔を僕に向ける。
やっぱり僕には知られたくない話でもしていたのだろうか。
だけど、僕だって彼らに自分の動揺なんて知られたくはない。
満面の笑顔を顔に張り付けながら、僕は端に座るノクロスさんにトレーを渡した。
「……ああ、ありがとうセウス」
動揺を隠せていないノクロスさんが、平静を装いながらお盆を受け取る。
「ああ、シキ殿。私の弟子のセウスだ。村長の子でね、私は自分の子供のように可愛がっている」
「へえ、ノクロス殿の。シキと申します。先ほどお会いしましたよね。以後お見知りおきを」
「セウスです」
笑顔で手を差し出すと、彼も手を差し出してきたので握手をした。
大きく力強い手を見ながら、この手がヒカリに触れたのかと思えば、握り潰してやりたい気持ちが湧いたのだが。
もう一度笑顔を作ると、ではこれでと翻ってヒカリの元へと僕は急ぐ。
もう、誰にも彼女に触れさせたくはない。
「送っていくよ」
僕は当然のように彼女を持ち上げて家へと向かったが、本当はそのまま彼女を連れ去りたかった。
こんなに不安な気持ちになることなんか、初めてだ。
「いや、いいっ! そこで」
彼女が暴れて嫌がっていても、どうしても足を止められなかった。止めたくなかった。
誰もいないところで、彼女と二人になりたかった。
彼女を誰にも渡したくなかった。
理性が利かなかったのは焦りだったのか、それとも部屋を覗き込む銀色の光に惑わされたのか。
「いっったぁぁ――――!!」
ヒカリの悲鳴で我に返る。
曇ってしまった心が引き起こした行動に気がつくと、僕は焦りに焦った。
大事にしたかったはずなのに。
「だ、だいじょうぶか?」
「無理―――……」
彼女は手にぎゅっと力を入れて蹲ったまま動かなくなった。
まずいな、悪化したかな。
彼女の様子を見ようと顔を覗き込む。
足の痛みに彼女の目には涙が溢れていた。その顔にわずかな惑いが生じるものの、涙を拭おうと手を差し出した時だった。
コンコンッ
突然の音にドキッとする。
振り向けば、彼女の兄であるキツキが鋭い眼差しでこちらを睨んでいた。
ああ、確かにこの状況はまずい。
言い訳なんてできない。実際に下心が無かったわけではないからだ。
僕は彼女に謝ると部屋を出た。
最悪だ。
なぜもう少し待てなかったのだろうか。
彼女の家の門を開いて道に出ると、僕の汚い心を浮かび上がらせた忌々しい銀色の月を見上げた。
一瞥すると、月の光を背に僕は彼女の家を去った。
<更新メモ>
2024/01/13 加筆
2021/06/12 文章の修正