帝城騒擾6
ー 謁見室 カロス ー
謁見室に並ぶ窓という窓には、明るかった日の光が入ることもなくなり、代わりに先の見えない宵の色が映し出されている。曇り空なのか、空には星さえも見えない。光るのは地上の建物から漏れた灯りだけ。
そんな暗い外とは違い、謁見室の明かりは煌々と灯る。
私の目の前には玉座に座る皇帝陛下。
その玉座との間には将軍が、陛下と私のどちらにも向かずに窓を背にして立たれていた。
あれだけの騒動の後で、ここに呼ばれたのは将軍と私だけで、私や将軍についてきた秘書や護衛達は入る事を禁じられた。
天井高く空虚な謁見室の中で、私は今日の内城内で起こった事の始終を陛下に報告していた。
四宝城壁に兵士が隠していた賊が潜んでいた事。その賊が想定通りに城壁内から現れた事。その賊がアフトクラートを探しながら内城内で暴乱騒ぎを起こした事。その騒動の最中、キツキを狙った近衛騎士を捕らえた事。その間にアルノルド・キアラが狙われていた事。
そして最後にトルスが帝国の騎士と見慣れない騎士の混じった小隊を伴って、キツキの討伐に現れた事。
私からの報告に陛下も将軍も口を挟まずに静聴されていた。
「………私からの報告は以上です」
「色々と聞きたいことはあるが、まずはご苦労であった」
「有り難きお言葉でございます」
「それで、まずはどうしてキアラが狙われると思ったのか聞かせてくれるか?」
陛下は意外なところにまで飛んだ火の粉に興味を示される。
アルノルド・キアラは、元はキツキ専属の近衛騎士だったが、ルーア城でのキツキ服毒事件の実行犯の疑いを受けて今もなお投獄されている。イロニアス侯爵子息のおかげでキアラへの容疑も薄まっていたのだが、真犯人の尻尾も証拠も捕めていない今は、まだキアラを釈放出来ずにいた。
「キアラは無罪を訴えて証言を変えていません。もし彼が犯人ではなかった場合、真犯人によって疑惑の人間のまま葬り去られる可能性がありました。真犯人からすれば、そちらのほうが都合が良い。自殺もしくは仲間割れに見せかけた殺害で亡き者となれば、キアラの訴えている潔白を証明できるほどの証拠は今はありません。大事な証人でもある彼が消されてしまえば、後々取り返しのつかない問題に発展する可能性がありましたから、万が一騒ぎが発生した場合はへーリオス補佐官に彼の身柄の安全を図って貰えるよう依頼していました」
「そうか。それで、捕まえた賊は何か吐いたのか?」
「はい。へーリオス補佐官の話では、セルゲレン侯爵の名を口にしていたと」
「……そうか。困ったものだ」
陛下は私からの答えを聞くと、驚く事なくそのまま黙考される。
それでも第一子であるトルスの義父に当たる人間なのだから、陛下の心の内は穏やかではないだろう。
「キアラの容疑は薄まっているようだが、まだ解放は出来ぬのか?」
「はい。証拠も不確実ということもありますが、やはり彼が狙われているとなれば、全てが終わるまでは彼の身の安全の為にも、しばらくは牢で暮らしていただこうかと」
「ふむ」
陛下はトントンと指で玉座の肘掛けを数回叩くと、この話は腑に落ちたのか、それ以上追求することはなく話は次に切り替えられた。
「では次に、城壁に隠れていた賊の存在をそなた達で対処したのはどうしてだ?」
「裏切り者が軍内部にいるのに、軍に対処させる訳にはいきませんでしたので」
「私がユヴィルに言うと思ったのか」
陛下は将軍を垣間見ると眉を下げた。
「そうか。まあ、お前の判断で良かっただろう。帝城の中が少し壊れたぐらいで済んだか。それで、キツキとヒカリは無事なのか?」
「はい。お二人のご無事は確認しました」
「そうか。それは何よりだ」
陛下は安堵されたのか、表情が少しだけ和ぐ。
「一つだけ、私にわからない事があります」
「何だ、カロス」
「どうして軍はトルス皇子の動きを予期していたのでしょうか? 賊討伐のための兵士の投入が少なかった事に何か関係が?」
軍は内城で騒ぎが起きていてもすぐに兵士を出さなかったのに、トルス皇子が騎士達を率いてすぐに駆けつけてきた。それに先ほど報告をした中で、息子であるトルス皇子の反乱については陛下は驚きもしていなかった。つまり、トルス皇子に関する話は軍も陛下も既に知っていたという事だ。
私の視線は将軍へと流れる。
陛下の視線も将軍へと流れた。
「ユヴィル。カロスが知りたいそうだ」
陛下に促されると、将軍は頷いて中立のように立っていた体をこちらへと向けた。
「二日前に、こちらにとある情報がもたらされました」
「とある情報?」
「ええ。一つは門兵から。もう一つはトルス皇子の側仕えをしていた人間からです。それらを元に我々はトルス皇子に叛逆の意思があるとみなしました」
将軍の話によれば、一昨日のまだ夜の明けない薄暗い時間帯に四宝城壁の北西門から豪華な一台の馬車が門を通り過ぎようとした。皇族の移動には前もって連絡が入るものだが、それが無かったものだから時間的にも不審に思った門番の兵士達がその馬車を止めると、馬車からはアリアンナ妃付きの女官が出てきて「高貴なお方が乗る馬車を止めるとは何事か」と一蹴され、兵士達が驚いている隙に馬車は走り出して門を通過してしまったのだという。
「我々はその馬車に乗っていたのはアリアンナ妃だと推測しています。そしてレオス皇子も」
「そう思われる根拠は? 馬車の中まで確認をされていないのですよね?」
「その根拠は、門番からの報告の後に入って来た、もう一つの報せによるものです」
「もう一つの報せ?」
「その情報を持ってきた彼は、どうやら今はトルス皇子の側付きで、異変があればユリウス皇子に知らせる約束になっていたようです」
そういえば、以前ユリウスがトルスの周辺に隠密を忍び込ませていると言っていたがその人物だろうか。
「その彼は何と?」
「アリアンナ妃とレオス皇子の姿が当日朝から見えずに、赤の宮殿の中では混乱が生じていると」
「……それは前日の夜までは居たと言うことでしょうか?」
「そうです」
その前日と言えば、アリアンナ妃がヒカリのお茶会に乱入した日だ。
「彼はその報せと共に、このような手紙を持ってました」
「手紙?」
将軍はこちらに向かって歩きながら胸元から折り畳まれた紙を取り出すと、それを訝しむ私に手渡した。渡された紙を広げると、それは下半分が破かれた個人宛の手紙だった。
視線を文面に落とす。
手紙の宛先はアリアンナ妃。
内容からして、父親であるセルゲレン侯爵からの手紙のようだった。
最初は娘への季節の挨拶と孫の話だったのだが、読むにつれてその内容がきな臭くなっていく。
『……何としても、トルス皇子にはご自分の正当性を訴えていただき、レオスを思うのならば皇太子に返り咲くためにも策を弄するようにと妃からも………』
その続きの文は手紙が敗れてしまっていて読めない。
「これはどこから持ち出したものですか?」
「その彼の話では、アリアンナ妃が執務室として使っている部屋のゴミ箱から出てきたもののようです」
「破られた下半分は?」
「ゴミ箱には無かったと」
もう一度その文面に目を通す。筆跡は何度か見たことのあるセルゲレン侯爵の筆跡だ。
「こちらで鑑定をさせましたが、筆跡はセルゲレン侯爵のもので間違いないとのこと」
「……そうですか」
「我々はそれを見て、アリアンナ妃達は騒動の事前に身を隠したのだと判断をしました。宮廷省に外出の届けを出していないことも、その騒ぎを宮廷省の中央には知らせずに内々に収めていたこともその理由の一つです。皇子とはいえ、皇帝のご意向に対して反旗を翻すのですから、本人にもその家族にも累は及ぶ事ぐらい貴族ならば誰でも知っているはずです」
「………」
確かに皇族の生活や宮殿を管理している宮廷省にすら知らせていないのだから、そう思われても仕方がない。宮殿で世話をする人間のほとんどは宮廷省の人間なのに、妃と皇子がいなくなったと知っていて本部に連絡を入れないとは………いや、違う。おそらくはトルスが何かしらの事情で口止めをしたのだろう。
軍部がこれらの状況からトルス皇子が近々反乱を企てると判断したというのはわかった。だが。
ー 一昨日にはもう姿がなかった
トルスが騒ぎの最中に私に漏らした言葉と表情を思い浮かべると、とてもじゃないが彼が義父の言葉通りに先導して反乱を煽動したとは到底思えない。
「……この件はユリウス皇子には?」
「彼には何も伝えていない」
伝えていない?
「報せを持ってきたのはユリウス皇子の隠密だったのでしょう?」
「その時、ユリウス皇子は皇后に呼び出されていましてね。代わりに事情を知っていた私の側近のクラウスが取り継いだようです」
「……その後もユリウス皇子に、隠密からの情報を伝えなかったのはどうしてでしょうか?」
ユリウスは兄のトルスを心配から隠密を赤の宮殿に紛れ込ませたのに、その時にいなかったとは言えその隠密からの情報を伝えなかったのはいささか乱暴な話ではないだろうか。
「どうして? ではお聞きますがクシフォス宰相補佐官。あなたは捕まえていたはずのトルス皇子の騎士達を、魔法陣から逃したのはどうしてでしょうか?」
「…………」
帝国軍とは離れていたから、あんな僅かな加減を気づかれないと思っていたが。
眉間に皺を寄せる将軍と睨み合う。
「……緊迫している最中、急に現れた帝国軍に驚きましてね」
私の答えに将軍は鼻を鳴らす。
「はっ! まあいいでしょう。正直に答えられないその答えが、ご質問の答えです。貴殿方………ユリウス皇子とクシフォス補佐官はトルス皇子に対して昔から深い敬愛の念を持っていらっしゃった。ですから、トルス皇子を前にして出来心を加えられる事態を避けるためにも、私はお二人のお耳にトルス皇子の件が入らないように対処させていただきました」
「………」
あの時……。
帝国軍が入ってきたあの時に、トルス達は私と軍に挟まれて袋のネズミ同然だった。それを私が足止めの魔法を弱めたために、対魔性の強い騎士達はそれから逃れてトルスを連れて逃げていったのだ。
「クシフォス宰相補佐官はトルス皇子を信じたいのでしょうが、権力を欲して次期皇帝陛下であるキツキ殿に危害を加えようとした人間に、小言を言っただけで事は終わると思いますかな? 今回失敗しても、次を狙ってくるはずです。それは過去の歴史が物語っている。権力に執着した人間が、その程度で止まるはずがありません。ですから、誰であろうと帝国に反旗を翻した人間を、我々は放っておく訳にはいきません」
「…………」
将軍の言葉に何も言い返せない。
陛下と将軍のお二人は、その醜さを誰よりも近くで見てきていらっしゃるから。
「ですが、トルス皇子が権力を欲するなどとは……」
「今までご本人に皇帝の地位や権力に興味がなかったとしても、レオス皇子に皇位を受け継がせたいと考え出したとは思いませんか?」
「………レオス……皇子?」
「ええ。お子がお産まれになれば、考えも変わりましょう。そのためにアリアンナ妃とレオス皇子を戦火に巻き込ませないために、二人を先に逃したのではないでしょうか?」
産まれたばかりのレオス皇子を優しく抱き上げるトルスの姿が脳裏にちらつく。彼がどれほどに子供を愛しているかを、私も間近で見てきた。
「……………」
トルスの無罪を信じたい。
だが、このような反乱の動機となる物証が出てきては、トルスの状況はとにかく悪いとしか言いようがない。
………問題が次から次へと。
「トルス皇子の動きを予測していた我々は、内城で騒ぎが起きた時にはそれが陽動だと知っていましたから、それが潰れない程度の兵士や騎士だけを投入していました。ですが、さすがにクラーディ公爵が帝都にいたクラーディ軍の小隊を率いて現れたと聞いた時には肝を冷やしました。彼らなら、あのような統率の取れていない賊では、あっという間に沈静させてしまう可能性がありましたからな。ですが、幸いにも騒ぎが全て沈静する前に、トルス皇子はこちらの目論見通りに動き出しました」
将軍は私の顔を見る。
帝国軍本隊は本丸のトルスが事を起こすまで、沈黙を貫いていたのだ。はやり、ただ兵を小出しにしていた訳ではなかった。
「これが、帝国軍の事情です」
「……陛下もご存知で?」
「ああ。ユヴィルから前もって聞いていた。少し疑わしかったが、本当にやるとはな……」
陛下は視線を下げる。こうならないようにと節々にトルス達にその都度言い聞かせていたのに、一番恐れていた事が起こったのだ。今の陛下の心中は複雑だろう。
「ですから、今後のトルス皇子の捜査には貴殿は関わらないでいただきたい。クシフォス宰相補佐官殿」
「………承知しました」
将軍は先程から言葉の端々に機嫌の悪さを漂わせている。
そもそも私を官名で呼ぶ時の将軍は相当に機嫌が悪い。
それは私がトルス皇子に肩入れしてしまったことへの怒りではなく、違う問題で怒っているはずなのだ。
トルスの件で私を出し抜いたことを満足気に語っていたのだから、そろそろその話題が来る頃だろうか。
「ではクシフォス宰相補佐官。こちらも貴殿にお伺いしたいことがある」
「何でしょう、クシフォス将軍閣下」
「………」
私を官名で呼ぶものだから、こちらも同じように返したのだが、それは気に入らないのか将軍はさっきとはまた違った不躾な視線を私にぶつけて来る。無視だが。
「コホンッ。皇務省はどうして帝国兵団の兵士を調べようと思われたのですかな?」
将軍としてはこちらの話が本命だろう。
将軍は静かにこちらの報告を聞いていたけれど、兵団の調査を内密で進めていたと聞いてから、眉がピクピクとしていた。自分が統括する組織の問題を隠され、それが動き出すまで自分達には何も知らされなかったのだから気が気ではなかっただろう。
陛下の手前、今も冷静を保っているけれど、これが居城の北城であれば、怒鳴られるぐらいならまだしも、警護をしている近衛や上級騎士を巻き込んだ家庭内戦争が始まるような話だ。
「兵士の調査を始めたきっかけはアルノルド・キアラの件で湧いた疑問からです。彼が罪を犯したという証拠は彼の鞍から落ちてきた小瓶のみで、それ以上の証言も証拠も出てきませんでした。物証があるにも拘らずです。その疑問をイロニアス侯爵子息が紐解いた時に、調べるべき先がキアラから兵団に変わりました」
「ほう。子息は何と?」
イロニアス侯爵子息の名が出たせいか、陛下は関心を寄せる。子息の言葉をそのまま伝えると、陛下達は押し黙った。
「……確かに、カゲツを殺めた毒の残りの行方は追えなかったな」
「………はい」
将軍は重苦しそうに陛下からの言葉に相槌を打つ。
「子息の言葉に従って帝城の厩舎係の兵士を調べていくと、小瓶を発見した兵士とその上官にはこちらが想定していたよりも奇妙な共通点が浮かび上がってきたのです」
「共通点?」
「初めは平民出身の彼らの背後には、初代皇帝似のお二人を排除したい遠縁の貴族が親戚にでもいるのだろうと考えていたのですが、答えは違いました」
「それで、共通した答えはどうだったのだ?」
「はい。兵士の二人は、数十年前にカロリナ妃を擁護して家をお取り潰しにされた、伯爵家と子爵家の末裔でした」
私の答えに、陛下の表情は冷ややかになる。それと同時に将軍の眉間はピクリと動いた。
「内城に勤める兵士に絞ってそのような境遇の人間がいないか探しましたところ、同じような履歴を辿れたのは三十五名いましたが、今回の反乱に手を貸したのはそのうちの十六名にのぼりました」
「……履歴を辿れたと言うのは?」
「貴族とは違い、平民の家系が末端までわかる程の資料はそうありません。今回わかった彼らは、帝都で生まれて暮らしていたために、辛うじて遡れる資料が作られていましたが、これが地方で育った兵士の場合は、そこの領主の手腕や優先順位にも寄りますので、そこまでの資料はないかと」
陛下は冷ややかな表情のまま考え込むと、口を開かれた。
「十六名以外の者は、今回の反乱とは無関係か?」
「わかりません。今回投入された警衛兵の数が少なく、全員が投入されたらもう少し逮捕者は出たかもしれません」
「反乱に加わった兵士騎士は全部で何人だ?」
「確認出来ているのは三十八名です」
「そうか。それぞれ加担した理由は聞いたのか?」
「その調べはまだついていません」
「では、わかり次第追って報告をしろ」
「御意」
私は頭を下げると、少しだけ考えてもう一度頭をあげた。
「陛下に、もう一つだけ報告があります」
「何だ? 申してみよ」
「はい。先ほどお伝えした“取り潰しに遭った家門”の子孫達ですが、漏れなくアリアンナ妃やセルゲレン侯爵の口聞きで兵団に入られた者達ばかりでした」
兵団は騎士団ほど入団は難しくはなく、武器が数個扱えて皇帝陛下に忠誠を誓えば大方簡単に入団が出来る。魔力の有無は問われない。
「…………それは偶然か?」
「そこまで重なる偶然はそうないかと」
陛下は数十年前に家督を取り潰された家の末裔達をセルゲレン侯爵はわざと集めて帝城に送り込んだのか、それともそれは偶然だったのかと私に問いたのだ。
今はキツキがノイス王国の疑惑を全て解明してしまったから、カロリナ妃を擁護して罰を受けたその家門達も飛び火だった訳だが、だがらといってそれらを元通りという訳にもいかず、正式な家系をもう追えないということもあるが、爵位まで剥奪された家門の領地や資産は、今や別の家門の貴族が治めているから返す事は難しい。それに彼らの当主にあたる者が、数十年の間に貴族としての勤めをしていた訳ではないのだから、それをこちらの手違いだからといって全てを元に戻そうとすると、今度は長年役割を果たしてきた貴族達から反発が出てしまい、今の貴族社会に大きな亀裂を産み出す原因になってしまう。
「毎度難しい課題を持ってきてくれるな、セルゲレン侯爵は」
「それを考えずに自然とやっているのでしたら、なんとも悪質な無意識ですね」
陛下と目を合わせると、お互いの言いたい事が口に出さずともわかる。セルゲレン侯爵は何を考えているのかわからない男だが、引っ張ってくる問題はいつも斜め上をいく問題ばかりだ。
陛下もそう思っているのか、半ば呆れているようだ。
「その者達の一覧を軍に渡していただけますかな、クシフォス宰相補佐官?」
静かになった私と陛下の間を遮るように、視界に将軍が映る。今にも沸騰しそうなぐらいに顔は赤く、感情を抑えているのがよくわかる表情だ。
「ええ、勿論です。ですが、どうぞ相手方の手に渡らぬよう厳重に管理してください」
「ぬっ…………」
更に将軍のこめかみに血管が浮き上がる。
「クシフォス補佐官。今一度確認をしますが、四宝城壁内に賊を匿っていたのはその十六名の兵士でしょうか?」
「いえ、それに関わっていたのは他にもいました。こちらで調査済みですから後ほどその一覧も一緒に秘書から届けさせましょう」
「そうですか。因みに、その兵士の行動はどなたが確認されたのですかな?」
将軍は少々嫌味っぽい言い回しで聞いてくる。おそらくは私と秘書にそんなことをしている暇があったのかと言いたいのだろう。あるわけがない。
「キルギス・ボレアスに協力をいただきました」
「…………キルギスだと?」
「ええ、キルギス・ボレアスです」
顔は陛下に向けつつも、視線だけは将軍へと流す。
「キルギス………」
キルギスの名は未だ効果絶大だったようで、さっきまでのねちっこい視線を向けていた将軍は、キルギスの名を呟いたまま固まってしまった。
リシェルは気づいていたが、将軍はキルギスが帝城に来た初日の騒動を知らないのだろうか。…………いや、タキナ辺りがわざとキルギスの存在を将軍に隠したのかもしれないな。
将軍をここまで動揺させられる人間はそうはいない。今だって思考が停止していそうだ。
「…………」
将軍からの波のように何度も押し返してくる口撃を防ぐのなら、防波堤にはキルギスが一番だろうと思っていたが、想定以上の効果だったな。
「はい。彼は軍務省は辞めましたが、官の資格は持ったままでしたから。元々は近衛騎士でしたし、内城にも軍の組織にも詳しい。それに十年近くここにはいなかったので、若い兵士達には顔が割れなくてとても扱いやすい密偵でした」
セルゲレン侯爵の口利きが急速に増えたのはアリアンナ妃がトルスと結婚した五年前からだったので、彼らがキルギスの顔を知っていることはないだろうと踏んだのだ。顔見知りがいたとしても、変装はさせておいたから上手くかわしていただろうが。
「………キルギスが帝城に戻ってきているのか?」
「一時的にですが。今はリトス卿にお許しをいただき、ヒカリ殿下の護衛をしています」
「………」
それすらも知らなかったようで、将軍は絶句する。
「キルギス………。どこかで聞いたことのある名だと思ったら、昔カロスの世話を焼いていた騎士か?」
「ええ、そうです」
「ああ、成程…………」
陛下はそう言って、視線を呆けている将軍へと向ける。
「カロスは準備が良すぎるな」
「将軍の相手が面倒でしたから」
しれっと答える。
「それにしても、セルゲレン侯爵はどこでそのような身の上の者達を集めてきたのか」
「偶然にしては出来すぎているかと」
「………カロス」
「はい」
「至急、セルゲレン侯爵を探れ」
「既に帝都にあるセルゲレン侯爵邸には調査隊を送りました。セルゲレン地方には数日前から追加の調査隊を。新しい報告が届き次第、またご報告に上がります」
「そうか。………これ以上、皇帝派に隙を見せるな」
「御意」
「では下がれ」
その言葉で、私は呆けている将軍を置いて、一人謁見室を下がった。
謁見室から執務室へ戻る途中に大階段を下がっていると、そこから階下で燭台を取り外しをしている作業が見えた。職人らしき人間数人とそれを見張る官が二人。今日の騒動で破壊された燭台が多かったのか、職人がこんな時間に呼び出されたらしい。壊れていない燭台を使って型を取らせようとしているのだろう。
城下町の職人が城の修理のために呼び出されるのはそう珍しくはない。
帝城や宮殿に取り付けられている燭台の形がそれぞれの場所で特徴があり、古いものではもう型も在庫も無い燭台があるので、職人に鋳物の型を取らせて量産させて帝城に納めさせている。
最近も大規模修繕で南西にある建物の燭台や絵画の枠などの調度品や装飾品の修理をしていた。その時も型がないので職人を建物に入れていたようだが。
大規模修繕の場合は、一々城下町まで取り外した細かな調度品を持ち出すと終わらないので、臨時の溶解所を設けることを許可している。広くて燃えない場所なら問題はないので、簡易溶解所は四宝城壁内の四方に既に設置されていて、材料も揃っている。そもそも軍が武器を修理する為の鍛冶場の横を間借りする程度なので、使用許可を出せばすぐにその場所を使えるようになる。あとは、そこで剣の打ち直しなどをしているお抱えの鍛治師達と喧嘩さえしなければ問題はない。そう大きくない燭台であれば、そこで型をすぐにでも取れるはずだ。
「………」
私は歩きながら、今日起こった事件の一つを思い出すと、頭の中にとある仮説が浮かんできた。まさかなと思いながらも、不可能ではないなと執務室へと急ぎ足で戻って行った。
執務室へ戻ってくると、リシェルが難しい顔で腕組みをしながら待っていた。彼の手には顔ほどの大きさの紙袋が握られている。戻ってきた私の姿を見るなり、リシェルは私に向かって一直線にやってくる。
彼にはキアラの件の報告をもらった後に、もう一仕事を依頼していたのだが、もう終わらせて戻って帰って来たようだ。
「早かったですね」
「さっき戻ったばかりだ。調査隊はまだ調べ物をしているから置いて来た」
「どうでしたか?」
「帝都のセルゲレン邸はもぬけの殻だった。セルゲレン侯爵どころか、アリアンナ妃もレオス皇子もいなかった」
「隅々まで調べましたか?」
「ああ、屋根裏から地下室まで隈無く調べさせた。帝都の邸に残っていたのは事情を知らない使用人達だけだった」
「そうですか………」
「そっちはどうだった?」
「………軍はトルスに謀反の疑いを持って動いていたようです」
「どういうことだ?」
リシェルに先の謁見室で将軍から聞いた話を伝えると、次第にリシェルの顔は曇っていく。
「……そうか。実はな、セルゲレン侯爵の机の引き出しからこんなものが出てきたんだ」
リシェルは私の執務机へ近づくと、持っていた紙袋を逆さまにして袋の中身を広げる。そこから出て来たものは上質な封筒と便箋、それと封蝋の道具一式だった。
それらの色や形に私は見覚えがあった。
「………これがセルゲレン侯爵の執務室に?」
「ああ、そうだ」
「まさか……」
リシェルが袋に入れて持って帰ってきたものは、キツキが倒れた後に届いた奇妙な手紙の一つである、黄色い獅子の封蝋が押されていた封書と同じ種類の封書一式。封蝋の蝋や刻印の形も色も、見事に一致していた。
「キツキ殿下の件も、セルゲレン侯爵の関与を疑った方が良い」
「………どうやら、そのようですね」
机の上に雑然と散らばった封書一式を眺めながら、心に出来始めた小さな諦めが胸を締め付けた。
****
私の向かいには真顔のカロスと、その横に立つキルギスさん。そして二人を見る私の顔は崩壊すれすれだ。
説明された内容の半分も理解が及ばない。眠いからかもしれないけど。
今はもう夜中に近い時間で、私は寝巻きに着替えてすでに寝台に両足をつっこんでいたんだけど、北城へ戻って来たカロスに緊急の用事があると言われて叩き起こされた私は、肩に羽織ものを掛けてカロスが待っていた応接間へとやってきたのが。
「つまり、どゆこと?」
「………」
今日の出来事について、カロスは私の為にかいつまんで説明してくれたけれど、それでも私にはよくわからない。色々な人の名前が出て来たけれど、私がわかったのはロモとトルス皇子の名前ぐらいだった。
「つまり、事の決着が着くまでは、殿下は静かにここで過ごしてくださいねとおっしゃっているのです」
「なるほど!」
「………」
私達の話を後ろで聞いていたランドルフからのわかり易過ぎる説明に納得をするが、カロスはどこか渋い顔だ。
「今回の騒動は、初代皇帝似であるお二人を狙ったものでしたから、今はその犯人や共犯者を追っている最中です。帝城はまだ完全に安全とは言い難い状況ですので、しばらくはこの北城でお過ごしください。殿下の身の周りはクシフォスに長年勤めている者達がお世話をさせていただきます」
「ねえ、キツキは?」
帝城が襲われた上にアフトクラートが狙われていたのなら、キツキは無事だったのだろうか。
「キツキ殿下はご無事です。私共が命に変えても必ずお守りするとお約束をしますので、どうか心配をされて、帝城に忍び込むような真似はなさらないようにお願い申し上げます」
キツキが大丈夫だというのならと、私は頷く。
「私からの報告は以上です。殿下、しばらくラシェキス卿をお借りしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ん? ああ、シキ? うん、いいよ」
「ラシェキス卿、話があるのでこちらへ」
カロスはそう言って目の前の長椅子から立ち上がると、護衛をしていたシキを廊下へと誘う。シキも頷くと、カロスの後について廊下へと出ていってしまった。
それにしても今日もカロスは仕事とはいえ、よそよそしい態度だ。カロスの住まいである北城で話をしているんだから、もう少し肩の力を落としてくれると思っていたのに、どうやらその考えは甘かったようだ。
カロスどころかシキもよそよそしいんだけどね。もっとよそよそしくなって欲しいランドルフは、最近は逆に砕けてきてしまっている。ジロリと横に立つランドルフを見上げると、ちょうど彼と視線が合ってしまった。
「それにしても、トルス皇子が反乱をね………」
「トルス皇子って、ユリウス皇子のお兄さんだったよね?」
「はい。殿下達はまだお会いした事がなかったのでしたね」
「うん」
「聡明な方でしたのに、残念です」
「…………」
聡明だった人が、どうしてそんな事をしたのだろうか。
「私達、相当に嫌われてしまってるんだね」
「いえ、違います。今回の件はそんな理由ではないはずです」
「どうしてそう思うのよ?」
「さっきも言いましたが、聡明な方です。好きか嫌いかなんて話で反旗を翻すようなお人ではありません」
ランドルフが珍しく人を褒めている。
「じゃあ、どうしてそうなったのよ?」
「……私に答えは持ち合わせていませんが、いずれ今回の事件が少しずつ解明されていくでしょうね」
「ふーん」
横目でランドルフを眺めていると、カロス達が出て行った部屋の扉が開いた。さっき出て行ったカロスとシキが戻ってきたのだ。
「……では、頼むぞ」
「はっ」
二人はそんな会話をしながら戻ってくる。
「お話は終わった?」
「はい。ありがとうございました、殿下」
殿下……。
「カロス。敬称呼びは………」
「やめません」
カロスにさらりと答えられる。やっぱりダメなのか。
「ねえ、そのセルゲレン侯爵って人を捕まえたら今回の話は終わりなの?」
「それなら良いのですが」
「違うの?」
その問いかけに、カロスの視線は下を向く。
「それで終わるかどうかは、蓋を開けてみないとまだわからないのです」
「蓋?」
「ええ。帝都での侯爵の邸宅は抑えました。あとは彼が現在統括しているセルゲレン地方で何の異変も起きていなければ、侯爵とその周辺の人間を捕まえれば、ほとんど片はつくでしょう」
「起きているの? 異変」
「……使いの者が戻って来ていません」
「使いの者?」
「セルゲレン地方を調べに行かせた者達です」
「え、大丈夫なの??」
「今はまだ何とも。追加でセルゲレン地方に派遣した調査隊が無事に、セルゲレン侯爵という底のわからない人間の蓋を開けてくれることを、今は待つしかありません」
そう言って表情を曇らせたカロスの視線は、星も月も見えない暗い窓の外へと向いた。
<独り言メモ>
五度目の書き直しをするかどうか悩みながら書き切りました。
大変お待たせしましたorz。