奇妙なお茶会3
アリアンナ妃乱入のお茶会の後、カロスが私達に丁寧な謝罪をして事件は収まった。
アリアンナ妃の代わりに謝罪をしていったカロスは、私とはそれ以上に会話することもなく、近くにいた人達に指示だけを出して去っていった。
本当にカロスは最近そっけない。キツキの事も聞きたかったけれど、そんな隙なんて与えてなんかはくれなかった。
私主催のお茶会はとりあえず終了となり、シャリーズを見送った後、私達は帝城の部屋へと戻ってきていた。シャリーズには帝城で怖い思いをさせてしまって申し訳なかったな、なんて悩みながら部屋のふかふかの長椅子にどすーんとダイブする。
「はー、疲れたぁ!」
もう淑女もへったくれもない。私の着替えの準備をしに部屋から出て行ったエレノアがいないと油断しての行動だったけれど、易々とそれは許されなかった。
近衛騎士は見て見ぬフリをしてくれているのに、ゴホン、ゴホンと誰よりも近くにいるランドルフは咳払いをする。護衛というよりかは、もうお目付け役のようだ。
「何よ。何がいけないっていうのよ」
「言いたい事が伝わっているようで何よりです。お行儀が悪うございますよ」
「疲れたのよ」
「先程まで皇女らしい態度でしたのに、あっという間にいつも通りに戻られましたね」
「これが素なんですぅ」
私の本性にランドルフは呆れる。
別に皇女らしくなくても良いもーんと、私は疲れた体を長椅子に任せた。
天井を仰ぎながら、ぼーっとすると、今日の女性の思い出して強烈な人だったな、なんて考える。何であんなに私を睨んでいたのか。初対面であんな事を言われたのは初めてだ。
「ねえ、結局あの……アリ………」
「アリアンナ妃ですか?」
「そう、その人。何しに来たの?」
その質問にランドルフは顔を顰めて考え込む。
「……おそらくは、牽制かと」
「牽制?」
「ええ。継承権を失ったトルス皇子の妃が殿下を牽制しに来ただけでしょう」
「ふーん」
「……興味なさ気ですね」
私が質問したのにね。
「だって、私を牽制したところで継承権の順位が変わるの?」
「いいえ」
「でしょ? それなら随分不毛な事を力一杯やっているなって思っちゃうじゃない」
「……そうですね」
ランドルフは納得したのか、していないのか、不思議そうな顔で私を見る。私がおかしなことを言っているにしても、私としてはその不毛な事のために、今日の楽しみにしていたお茶会を半ば台無しにされたのだ。それなのにあの行動に結果が伴わないなんて、怒りを通り越してもう呆れるしかないじゃないか。
今日の出来事が怖くて、シャリーズが家で泣いているんじゃないかと心配になる。
ふと天井を見ていた私の目の端に、シャリーズと同じ銀色の髪が映る。そのまま視線を下へと動かすと、ランドルフの顔が視界に入った。
「ねえ、そういえば髪の色がシャリーズと同じだね?」
「ああ、これですか?」
ランドルフは視線を上げると、髪をさわさわと触る。
「そうですね。何度かクラーディ公爵家出身の令嬢がノイス王家へ嫁いでいますから、うちの血が強いのかもしれませんね。先々帝に嫁いだカロリナ妃も、それは見事な銀髪だったそうです」
「え、それってランドルフとシャリーズは血縁関係ってこと??」
「とっても薄いですが、そうなりますね」
がーん。
よもやあの美少女とこの男の先祖が一緒だったなんて。
私の顔を覗き込んだランドルフは何やら眉を顰める。
「殿下の考えている事は大体わかりますが、言っておきますけど、先祖を遡れば殿下とも血縁関係はありますからね?」
「えっ!! 嘘?!」
「クラーディ家には皇女が何度か降嫁されていますし、六代前の皇后はクラーディ家出身の令嬢ですから」
し、知らなかった。
「私にランドルフと同じ血が?」
「カッとすると、無茶するところが似ていると思いませんか?」
「ぜんっぜん!」
おじいちゃんにも言われていた私の短所だけれど、今度からイラッとしても抑えなきゃ。嫌がらせランドルフと同じだなんて嫌だ。
「それにしても、殿下とアリアンナ妃が初対面とは驚きましたね」
驚くことなんだ。
「私とキツキのお披露目の宴にもいらっしゃらなかったしね」
「そうでしたか」
「そういうランドルフだって、私達のお披露目の時にはいなかったよね?」
「私は興味ありませんでしたから」
「へぇ」
興味なかったのに、嫌がらせのためにわざわざ護衛をしたいなんて名乗り出る程まで拗れた仲になってしまったのか。
「ランドルフも、遠回しに面倒な嫌がらせなんてしないで、私の護衛なんてやめていいのよ?」
「……嫌がらせ?」
ランドルフは私からの言葉に顔を顰めると、何やら考え込む。
「どうして殿下はそう思われていらっしゃるのですか?」
んん?
それはどういう意味だ?
ランドルフの質問の意図がわからない私は訝し気にランドルフの質問に答える。
「逆にどう思えば、そう思わないのか知りたいけど」
嫌がらせ以外の理由があるとでも言うのか。今までやってきた事を考えてみなさいよとランドルフを睨みつけるけど、ランドルフはどこか驚いたような顔をする。
「まさか、大貴族院での父の“発言”もそう思われていますか?」
発言ってあれか。先々帝との密約を使って、ランドルフを優先的に私の婚約者にするって最大級のあの嫌がらせの事か。
「あれ以上の嫌がらせがあるっていうの??」
ランドルフは私の真顔を真剣に見ると、顔を青くさせる。
「……はあ、まじか。これは一度………」
一度、何だってのよ。
「だから言ったじゃない。ランドルフの作戦なんて全てお見通しだってね!」
ふふんと得意顔で宣言をすると、ランドルフの顔は次第に床に向けて沈んでいく。私の名推理に驚いたのか、いつもの畏まったランドルフの態度と言葉使いが一瞬崩れた。
「そういう意味での“お見通し”だったのかよ………」
む、なんだか声色がいつもより一層低くて怖い。
でもそのぐらいで引き下がる私ではない。腕で防御の構えをしながらランドルフの次の手に備えてはみるけれど、剣で襲われたら防げるかしら。
だけど、そんな心配なんて必要はなかった。落ち着いたのかランドルフは剣で襲い掛かってくることもなく、顔を上げていつもの冷静な表情になると、淡々と話しかけてくる。
「殿下、明日の午後はお暇ですよね?」
「んあ?」
ランドルフの変わり身の速さに驚いて間抜けな声を出した私は、聞かれた通りに明日はと考え始める。
「……特に何もないと思うけれど」
食べてだらけて食べてだらける予定しかなかったはずだ。
「でしたら明日の午後、お時間を空けていただけますと助かります」
「何でよ?」
「……おいしいお茶菓子をご用意しておきますので」
「………」
それは断れないな………。
神妙な顔をしながら黙考した私を、ランドルフは生暖かい目で見ている。嫌な目だ。
「ん?! まさか、お菓子で釣れる私だと思っているの??」
「殿下のそういったところは易いですね………」
「な、なんですって??」
「お菓子と一緒に“情報通”も呼んでおきますので、クシフォス宰相補佐官が教えてくれないことも聞けるかもしれませんよ」
「情報通?」
「ええ。国内の細かいところまで存じている人間です。それが仕事といえば仕事なのかもしれませんが」
「……キツキの容体のことも?」
「知っている可能性はありますね」
ふむっとランドルフは考え込むように視線を上げる。新手の罠なのかと考えるけれど、誰も教えてくれないキツキの容体は知りたい。うー。なんだ、そのお茶菓子よりも気になる情報通という人は。
うーんうーんと悩む私に、ランドルフはもう一押しとばかりに声をかける。
「もしお嫌でしたら、すぐにご退席していただいて構いません。先方にもそのように言っておきますので」
退出しても良いのか。
「明日、エレノアも同席させてもいい?」
「はい」
「それならいいわよ」
帝城の中とはいえ、初めての人とは緊張するから、エレノアがいてくれれば安心だ。
「でも、帝城の中でそんな席をすぐに準備出来るの?」
私は帝城のある内城から出られないから、必然と場所はこの近辺だ。
「大丈夫です。優秀な知り合いにお願いをしますので」
「………知り合い?」
「はい」
ランドルフは柔らかく笑うと、お約束を忘れないでくださいねと念を押した。
翌日の午後、私は帝城のとある宮殿のテラスにいた。そこから見えるのは、先日の黒の宮殿の庭ほど華やかではないが、青々とした新緑の美しさが際立つような庭だった。昨日即決したにしては、随分と立派なお茶会の準備がされていたけれど、美味しそうなお茶菓子を目の前にしても私の顔は曇る。
ランドルフが呼んだ“情報通”のおじさんを目の前にして、もう帰っていいかなって思い始めていた。
「バシリッサ公爵とお茶会とは、なんとも光栄な事ですな」
目の前に座るのはクラーディ公爵。ランドルフの父親である。
騙したなとランドルフを睨みつけるが、まあまあと席から立ち去りたい私を笑いながら宥めている。
「バシリッサ公爵の侍女に、フィレーネ侯爵のご令嬢をお付けになりましたか。リトス侯爵も人を見る目がおありのようだ」
「まあ、クラーディ公爵閣下にそうご評価いただいているなんて、大変嬉しく思いますわ。おほほほ」
同席しているエレノアは顔を青くさせるかと思いきや、あらあらと少し驚いた顔をしながら、クラーディ公爵と談笑している。父親よりも年上の男性相手なのに、エレノアの社交スキルはやっぱり侮れない。
「それで、ランドルフから少し昔話をして欲しいとお願いされましてね」
「昔話?」
なんで昔話なのよ。チロッとランドルフを睨むけれど、ランドルフの視線はあらぬところを向いている。
「バシリッサ公爵が少し誤解をされているようだと聞かされましてね。確かに、先にそれを伝えておかなければいけなかっただろうかと考えまして、こちらへと参った次第です」
普段見るクラーディ公爵とは違い、とても柔らかい顔で話をする。今まではカロスやセウスに対して、理由も無しに敵だと言わんばかりの態度を見せていたから、今日のクラーディ公爵の態度は意外だ。
「さて、先日大貴族院で話をした件についてですが、三十年前の先々帝との約束を説明もなしに持ち出した事を、まずは謝罪させてください」
そう言ってクラーディ公爵は立ち上がると、私に深く頭を下げた。その行動に周囲は驚くけど、一番驚いたのは、ずっとこの人の暴言や人を侮る行動を見ていた私だった。
驚いて開いた口が閉じない。それに気が付いたエレノアにこそっと声を掛けられて、私は我に帰った。
「あ、えと、その。とりあえずわかりましたので、座ってください」
公爵をこのまま立たせておくわけにはいかなくて、私は彼の謝罪を受け入れた。受け入れたけれど、ランドルフとの婚約話は別だ。
「その、謝るぐらいなのに、なんでその約束を使おうと思ったのですか?」
「……その前に、まずは私とライラの昔話からさせてください」
「おばあちゃまとの?」
「ええ」
椅子に腰をかけたクラーディ公爵は一口だけお茶を飲むと、ゆっくりと話し始めた。
「私は生まれた瞬間から、ライラ殿下の婚約者でした」
「瞬間?」
「私が男だとわかった瞬間からです。ライラ殿下は私の一つ上で、彼女は生まれた時にはアフトクラートと認識され、そのときから婿探しは始まっていました」
「早い………」
「はは。皇族王族の婚約者探しは早いのですよ。特にライラが産まれた時には、兄の皇子達が産まれた時以上に国中が連日連夜で、まあ一年ほどはお祭り騒ぎだったようですね」
「そんなに?」
「二百年ぶりの初代皇帝似でしたからね。私の家は帝国では名門で通るクラーディ家ですから、先々帝からの要望でその婚約は決まりました。私達は物心がつく前から顔合わせをしていましたよ。幼馴染とも言えるほどです。帝城の庭を駆け巡って遊ぶのも、勉強も一緒にしましたから彼女の事なら何でも知っていました。語学や歴史は得意でも、楽器は少し駄目だったところとか。外で遊ぶのが大好きでトカゲは触れるのに、蜘蛛は見るのも苦手だったとか」
「……その通りです」
本当におばあちゃまの事を知っているんだな。皇女とは思えないほど田舎の村には馴染んでいたのに、おばあちゃまの蜘蛛嫌いは夜中でも大騒動になるほどで、おじいちゃんも虫の侵入には特に気をつけていた。
「産まれてからずっとおばあちゃまの婚約者だったんですか?」
「ええ、そうです」
「………他の人とか、好きにならなかったんですか?」
そう聞くと、クラーディ公爵はおかしそうに笑う。
「彼女を目の前にして、一体誰に恋をしろとおっしゃいますか? 彼女以上の女性なんか、どこにもいませんでしたよ」
そう優しく笑う公爵を見て、自分の中の勘違いがすっと消されていく。それは大貴族院での私が感じたように、おばあちゃまが婚約者を勝手に決められて、不幸だったと思っていた事。けれど、その実は違っていた。
知りもしないのに自分の未熟な考えで凝り固めて決めつけてしまっていたことに、少し恥ずかしくて視線を下げてしまった。
おばあちゃまのクラーディ公爵に対する気持ちは知らないけれど、それでもクラーディ公爵のおばあちゃまを語る顔を見れば自然とわかる。クラーディ公爵はおばあちゃまをとても大事に思っていたんだ。
「だから、私も夫として彼女を支えられるようにと、彼女に負けないようにと自分なりに努力してきました。幸い、家の書庫には多くの書物もあり、剣の練習相手には事欠くことはありませんでしたからね。………それがあの日から、急に意味をなさなくなったのです」
優しかったクラーディ公爵の顔は曇り始める。
「あの日?」
「ライラ殿下が……ライラが、ここに戻らなくなった日です」
「戻らなくなった日………」
それは、おばあちゃま達がスライムに飲み込まれた数十年前の話だろう。
ナナクサ村まで戻ったキツキが、大貴族院の前でスライムが魔素だけではなく生物も飲み込んで吐き出すということを証明し、それによってノイス王国との関係悪化が解消された。
目の前の人も、おばあちゃまが誰かの手によって誘拐されたわけではなかったということは理解しているものの、おばあちゃまの失踪による傷は癒えてはいないのだろう。さっきまで流暢に説明していた公爵の口から言葉が止まったまま、眉間の皺が深くなっていく。
“その日”から、彼の心が止まってしまった事を示すかのように、次第に表情が重くなっていくクラーディ公爵を放っておけなくて、そっと声をかけると気がついた公爵は我に帰ったようにまた柔らかい表情を私に向けた。
「申し訳ない、どこまで話しを………ああ。そう、それでライラが戻らなくなり私はそれから十年彼女を待ちました」
「……待った?」
「はい。何をするわけでもなく、彼女が私の元に帰ってくるまで婚約はそのままに、彼女に触れることも出来ずに、とにかくその年月を耐えました」
顔は笑っているけれど、クラーディ公爵の手に力が入っているのがわかった。それを見て見ぬふりをしながら、私はもう口を出すことも出来なくなり、気がつけば彼の話に相槌を打つかのように首肯するだけになっていた。
「ライラを待ち続けて十年が経とうとした日の事でした。貴族としての仕事もせず年々腑抜けていく私に、先々帝からそれ以上ライラを待つ事を止められました。反発する私に突きつけられたのが、大貴族院で公表されたあの約束です」
「アフトクラートと一族の人間を優先的に結婚させるっていう密約の事ですか?」
「そうです。ランドルフから、どうやらあなたはそもそも私の発言の意図を勘違いなさっていると聞きました。それはライラと私の関係を説明しなかったからでしょう。安易に密約での権利を、あなたに説明もなしに大勢の前で行使しようとしたのですから、私達が冷たい関係だったのだと思われるのは仕方ない。それに結果として、私は皇帝の命令でライラとは別の女性と結婚しましたから」
「命令?」
「はい。政略結婚で息子達の母親とです」
私の視線は自然とランドルフに向くけど、ランドルフとは視線が合わない。
クラーディ公爵の話を聞いていると、なんだかうちのおじいちゃんが横恋慕したようにしか思えない。だけど、実際私が見てきたおばあちゃまとおじいちゃんは、毎日お互いに幸せそうに笑う二人だった。
だから、……嫌って欲しくはないな。
「あ、あのおじいちゃんの事は………」
おじいちゃんのことをどう思っているか知りたくて聞こうとしたんだけど。その名を出した瞬間に、穏やかさを保とうとしていたクラーディ公爵の雰囲気が急変し、体がピリピリするほどの威圧感に襲われる。
「……ああ、前リトス伯爵の兄の事ですか」
威圧だけではなく、声も重い。
人が変わったかのような公爵に対して社交上手なエレノアでさえ、口を固く閉ざしたまま固まっている。
この人の前でおじいちゃんの話題が危険なのはよーくわかった。
肌がチクチクと痛くなるほど重い空気の中で動けずにいると、後ろにいたランドルフがコホンと咳払いをする。
「父上、密約の裏事情のご説明ありがとうございました。それと、バシリッサ公爵は兄上様の情報を知りたがっておりますが何かご存じありませんか?」
ランドルフの言葉に気がついたのか、クラーディ公爵はピリピリした空気を収める。さすが父親の扱い方を心得てるな。
落ち着いたクラーディ公爵は、そのまましばらく黙考すると軽く顎をさすった。
「私が知っている限りでは、数日前にリトス侯爵の部屋の出入りが激しくなったという事です」
「出入り?」
「ええ。近衛騎士や女官達のようでしたね」
人の出入りが激しかったってそれはつまり。
「……やっぱりキツキの容体が悪化したのかな」
「クシフォス宰相補佐官から説明は何も?」
「はい。容体の変化があったとだけ」
「そうですか……」
クラーディ公爵はしばらく考え込むけど、すぐに私に顔を向けた。
「ですが、宮廷医師が定期的に交代で部屋に常駐していますから、今は安定したのではないでしょうか」
「やっぱりクラーディ公爵でもキツキの体調はご存じないのですか?」
「こればかりは陛下が外に絶対に漏らすなと、クシフォス宰相補佐官をはじめ周囲に強く要求しているようでしてね。蚊帳の外にいる私では実際の状況は知らないのです」
「そうなんですか………」
「わかることは生きていらっしゃるという事だけです」
「生きてる?」
「ええ。万が一亡くなった場合は、隠そうとしてもお身体もあることですので、いずれは埋葬のために裏で準備が始まるはずです。そうなると、いずれはどこかで情報が漏れるはずですので、隠し切る事は難しいでしょう。今はそういった話は当家の情報網にはかかっていませんから、キツキ殿下が亡くなった、又は重篤という事態ではないはずです」
私はその言葉に安堵する。
「そっか。よかった………」
私は手をぎゅっと握り締めながら、震える口に力を入れるけれど、目から溢れ落ちた涙だけは止める事は出来なかった。
安心したら、急に涙腺が緩んでしまったようだ。
「………殿下、少しお疲れのようですので今日はここで退席をしましょう。父上、本日はありがとうございました」
ランドルフは私を立たせると、そのまま退席するように促す。私がクラーディ公爵に背中を向けようとした時に、彼は話かけてきた。
「最後にバシリッサ公爵。私が密約の話を持ち出したのは、他の者達のように権力を欲したわけでも、もちろん嫌がらせのためでもありません。これについては私のただの我儘だとお思い下さい」
「我儘?」
「……殿下、今は気にせずに」
ランドルフは言葉のかかってきた背中を守るように、私の後ろを歩き出した。
帝城の長い廊下を歩きながら、私は先に聞いた話を頭の中で反芻する。
まだ部屋には到着しないけれど、さっきの話を上手く心の中だけに留めることが出来ない私は、どうしても心の声が口から漏れてきてしまう。
「やっぱりおじいちゃんは嫌われているのかなぁ」
「………その答えは私は申し上げられません」
「ランドルフは密約の話を知っていたの?」
「はい」
「クラーディ公爵とおばあちゃまの関係も?」
「嫌でも耳に入りましたから」
「そっか」
私は幾分重くなった足を前に進める。
「ランドルフも………」
やっぱり私達が現れた時は苦々しく思ったのだろうか。
そう聞きたかったけれど、私の質問の前に、ランドルフは言葉を被せてきた。
「殿下は気にされずに。ライラ殿下はノイス王国の手の者によって誘拐されたわけでもなく、そして自ら失踪したわけでもなかったのです。ですから見た目よりも、父の心は随分軽くなっていますから」
「……そっか」
そうなっていればいいんだけど。
「それに父はノクロス・パルマコス殿………今はイロニアス侯爵でしたね。侯爵が帝都に戻ってきた時に、父は彼を軟禁してまで細かいことを聴取していましたから、殿下が思われているよりも心の整理は出来ていますよ」
「え?! ノクロスおじさんを??」
驚いて後ろを振り向くと、私の大声に驚いたランドルフとその後ろを歩く全員の足が止まった。
「殿下、もう少し小さなお声で」
「だって!!」
どうしてノクロスおじさんに飛び火しているのか。
「おじさんに何を聞いたの?」
「まずは進みましょう。立ち話をする事ではありませんので」
「それって、長いってこと??」
私の勘の良さにランドルフは視線を天井に向けるけど、すぐに私を見た。
「ですから、部屋で納得がいくまでゆっくりとご説明します」
「じゃ、急いで帰ろう!」
「んんっ!!」
走ろうとする私の後ろから喉を詰まらせたかのようなエレノアの咳払いが聞こえる。この帝城の中は埃だらけではないかと思うぐらいに、みんな大袈裟な咳をする。
「あ、わかってるわ。エレノア。立派な淑女は廊下を走ってはダメなのよね?」
「ご理解いただけているのでしたら何も申し上げることはございませんわ。ほほ」
「あははは」
早く続きを聞きたいけれど、部屋は遠い。エレノアが見張っている間は淑女らしく歩くしかなさそうなので、仕方なしにこっそりと歩く速度を早める。
部屋に戻ると、お気に入りの長椅子に腰をかけてクッションを膝にのせる。それを見るとランドルフはさっきの話について聞いた。
「ノクロスおじさんに何を聞いたのよ?」
「やはり、ライラ殿下の夫になられた方の話が一番気になっていたようでしたね」
「やっぱりおじいちゃんのこと怒ってた?」
「ですから、私の口からは」
ランドルフはそこだけは答えたくないようだ。
「あ、ノクロスおじさんに怪我はさせていないわよね?」
「あのノクロス・パルマコスに怪我をさせられる者がおりましたら、有名になりますね」
「え、クラーディ公爵よりもおじさん強いの?」
クラーディ公爵は国の北側にある大きな軍の総元締めで、それなりに本人も武勇に優れていると聞いたけれど。
「爵位と剣の腕は相関しませんからね」
「ノクロスおじさん、そこまで強かったのか」
伝説の人だとは聞いていたけれど、これだけ多くの騎士がいる帝国国内で今でもそう思われているなら、これは本当におじさんは生ける伝説の人なのかもしれない。
「おや。彼の剣戟を見た事ありませんか?」
まともに遠慮のない試合で観戦したのは一度だけだ。それも相手だったセウスとは互角に見えたから、突出して強いとも感じなくて。
「ランドルフは見た事あるの?」
「私は一度も。ですので彼のお弟子との試合では、随分油断した判断をしてしまったなと反省していますよ」
「………そういえば負けていたわね」
「それ以上、申し上げなくて結構です」
余計な事を言ってしまったなと、慌てて手で口を塞いで目を泳がせた。
「イロニアス侯爵の件ですが、まあ議会のあった日の夕食から翌日の朝食ぐらいまでクラーディ家の邸宅にご招待した形で………」
「軟禁、したのね??」
「はい」
とんだとばっちりをノクロスおじさんは受けていたようだ。
「早朝に皇帝からのお遣いが何故か急にやってきまして、イロニアス侯爵を連れ帰った次第です」
何故か急に?
私の眉間に皺が寄る。
………この親子は。
「それって、そのお遣いが来なきゃ、おじさんはずっと軟禁されていたって事?」
「どこで当家の情報が漏れたのでしょうね?」
ランドルフはそのことについて訝し気に考え出すが、問題はそこではないだろうと私は睨みつける。
「何でおじさんにそこまでしたのよ?」
「父は話の通りライラ殿下の婚約者でしたから、当時ノイス王国の即位式への出席するライラ殿下の行幸の日まで、とにかく警備に不備はないか目を光らせていたようですね。当時ノクロス・パルマコスを殿下のすぐ近くに配備するように軍に要望したのも父のようでしたから、自分が選任した人間がライラ殿下を無事に帝都まで守り切れなかったことに対する憤りも責任も感じていたのでしょう。大貴族院での証言をイロニアス侯爵は終えていましたが、まだ聞き足りなかったのか、彼を父が家まで連行………招待した次第です」
「ちょっと、言い直さなくても良いわよ。実際には連行したんでしょ?」
「………」
その質問にランドルフの口は固く閉ざされる。都合の悪い事は返事無しか。
知らない間にノクロスおじさんに迷惑をかけちゃったな。
でも、おじさんはそんな事はいつも顔に出さないし、私たちには教えない。村の近くに大きめの魔物が出てしまって村人に被害が出た時も、おじいちゃんは知っていたかもだけど、みんなには内緒で一人で魔物退治してきていて、いつもほんわかした笑顔をしているのに知らぬ間に問題を解決しちゃっている人だった。
ふんっと長椅子の背もたれに体を遠慮なしに預けると、自然と体から力が抜けていく。目は直立するランドルフから美しい模様が並ぶ天井を見上げていた。
「結局、今日のお茶会の目的って何だったの?」
「嫌がらせで密約を持ち出した訳ではないことを、あなたにお伝えするためです」
そういえば、私がそんなことを言い出したんだっけ。
勘違いだったとはいえ、こんな事になるとは。おかげであまり知りたくもなかった事も知ってしまった。
ん、でも待てよ?
背もたれに寝そべっていた私は大して無い腹筋を使ってぐいっと体を起こすと、さっきから少しも動かない直立したままのランドルフをもう一度見上げた。
「ねえ、じゃあランドルフは納得して密約の話を受けようとしたの?」
「はい。父から提案された話でしたが、決めたのは私の意志です」
「自分の?」
凛とした顔で立っていたランドルフは急に片膝をつくと、私の手を取って軽くキスをした。それにビクッと体が反応する。
ランドルフはそんな私を真っ直ぐに見上げた。
「バシリッサ公爵ヒカリ殿下。私ランドルフ・クラーディは生涯あなたの側で………」
「おおっと!」
静まり返っていた部屋の中に突如ガチャリと扉が開く音がした。廊下側に見張りもいるはずの扉が急に開き、油断していた近衛達は一斉にその扉に視線を向けると同時に剣を抜こうとしたのだが、入ってきた人を見るとすぐに剣を鞘に収め、各々敬礼をする。
「お取り込み中だったかい?」
扉を勢いよく開けたのは、ユリウス皇子だった。
ユリウス皇子は長椅子に私を座らせたまま、厚みのある二つ折りの花の飾りの付いたカードを手渡してくる。それに書かれていたものは。
「え、皇后陛下のお茶会?」
「はい」
ユリウス皇子から渡されたのは、皇后陛下からのお茶会の招待状だった。
招待状を持って来たユリウス皇子は畏まって直立したまま、私が何故どうしてと目を白黒させながら招待状を凝視している様子を、静かに眺めていた。
「表立ったものではありませんので、お気軽にいらしてくださいとのことです」
「あの、どうして?」
皇后陛下のお顔は知っているけれど、何かしら話をした訳でもないし、食事会でも軽い挨拶をした程度だった。
「義姉上の件で、ご迷惑をおかけしてしまったお詫びと、兄君がお倒れになられて気分の塞がっておられるヒカリ殿下をお慰めしたいとのことです」
「はあ」
私は気の抜ける返事をする。皇子妃の乱入はびっくりしたけれど、それは皇后のせいではない。
でもだからといって、皇后陛下が私を気にかけてご招待してくださったお誘いをお断りするのも、それは違う気がする。
それにキツキの事で少し気持ちが落ち込んでいるのは確かだ。
「明日ですか?」
「はい。これについてはへーリオス補佐官と既に調整済みです。予定は空いているとのことでしたので」
確かに明日の予定は何もない。キツキのお見舞いが出来なくなったから、私は本当に一日中だらけてご飯を食べる事しかやることがない。目の前の招待状のカードと睨めっこをする。
「わかりました。お誘いありがとうございますとお返事してください」
「ありがとうございます。明日は迎えの者が参りますので」
「はい」
私からの返事を聞くと、ユリウス皇子はとても上機嫌で部屋を出て行った。
「なんであんなにご機嫌なんだろう?」
「………皇后のお遣いが無事に完了して安堵されたからではないでしょうか」
後ろからムスッとしているランドルフの返事が聞こえる。私の独り言なんだから流してくれて良いのに。
「なるほど。安堵ね」
納得をした私の視線は、独り言を返してきたランドルフへと向く。
「皇后陛下のお茶会って、緊張するわ」
「あなたよりも高位の人間はそうそうおりませんので、いつも通りで良いのではないでしょうか」
「そんなもの?」
「あまり気負わずにどうぞと申し上げたつもりです。殿下がスプーンを落としても、私が拾いますので」
「……あらそう」
嫌味だったのかもしれないけれど、特別なことは気にせずにと言われると、すくむ気持ちは和らいでいく。
「エレノア。そういうことらしいので、明日の準備をお願いしても良い?」
「もちろんです。皇后陛下付きの女官からご衣装の確認をしておきます」
「衣装の確認?」
「はい。高位貴族や皇族主催の宴やお茶会などになりますと、主催者と御衣装が重なることは避けた方が良いですので、その事前確認ですのよ」
「え、そんな事をするの?」
「ええ。それは私達の仕事ですので、気になさらないでくださいませ。明日ですので今から確認をして、今夜までには衣装をご準備いたしますわ」
「機転も仕事も早い侍女様だ」
「まあ、お褒めいただきありがとうございます。おほほほ」
ランドルフの言葉を聞くと、エレノアは上品に笑う。
私なんか、変に深読みしてランドルフとケンカしそうなのに、エレノアはどんな言葉を受けても肯定的に受け止めて可愛らしく笑う。彼女の素質でもあるのだろうが、これが帝国の淑女の正しい姿なのだろう。私はまだまだ彼女の足元にも及ばない。
「じゃあ、お願いするね。エレノア」
「はい、お任せ下さい」
そう言ってエレノアは部屋から退出していった。明日の準備を今から始めるのだろう。クラーディ公爵とのお茶会から帰ってきたばかりなのに、もう動き出したエレノアは、ぐうだらな私とは違ってやっぱり働き者だ。
「良い侍女を付けられましたね」
ランドルフが、珍しく人を褒める。
「うん。キツキがエレノアにお願いしてくれたみたい」
「兄上様は人を見る目がおありになるようだ」
そうキツキを褒められると、私もなんだか照れてしまう。
「早く兄上様の御容体が良くなると良いですね」
真顔でそう言うランドルフを見ると、心からそう思っているんだなって思う。
「……うん。ありがとう」
一緒にキツキを心配してくれる人がいると、味方がいるんだって思えて、心が少しだけ強くなった気がした。
<人物メモ>
【クラーディ公爵(イオニア・クラーディ)】
北の領地を任されている名門貴族の当主。ヒカリの祖母であるライラの元婚約者だった。
ランドルフの父親。
【ユリウス第二皇子】
皇帝の第二皇子。カロスとロレッタ嬢の従兄弟にあたる。双方が可愛いらしく、面倒を見ようと近づくが、カロスには常に逃げられている。
※他省略
※添え名省略