新たな流れ者4
さっきから花月亭の扉は頻繁に開閉する。夕方から夜の時間になってきたので、客の出入りが増えたのだ。
セウスが集会席に消えてからしばらく、店の扉はまた開いた。
入ってきたのは体格の良い倉庫番のお兄さん達で、私を見つけると何故か雪崩れ込むようにやって来た。
「あ、ヒカリちゃん! 足を怪我して、王子様に抱っこされながら帰ってきたって本当?」
ん? 王子様? 何だそれは。
怪我までは合っているけれどと、お兄さん達の顔を訝し気に見上げる。
一体どんな噂が村の中をかけ巡っているのだろうかと、私は村の情報の早さに不安になる。
お兄さん達は私を囲うように顔を並べると、まじまじと見ながらさっきの質問の返事を待つ。お兄さん達がどうしてここまで噂の真相を聞きたいのかは謎だが、大人なら“王子様”と聞いた段階で、笑って一蹴してくれれば良かったものを。
「いえ、普通の男の人だと思います」
素っ気なく答えるけれど、お兄さん達は「ホントに〜?」と疑った目で見てくる。どうして私にそんな目を向けてくるのか、甚だ疑問だ。
それほどまでに王子様と出会って欲しかったのだろうか。
お兄さん達は意外と乙女だな。
「そうだ、セウス来た?」
「あそこにいますよ」
私が指差すと、お兄さん達は指の方向へくるりと顔を向けた。何が目に映ったのかは知らないが、集会席に視線を集めたお兄さん達は「うげっ!」と口を揃えて叫ぶと、顔を青くさせたり、目をキョロキョロと見合わせたりする。本当に忙しい人達だ。
その様子を見ていた私は、この人達は一体何しに来たのだろうかと冷ややかに観察するが、キツキに至っては、頬杖を突いてどうでもよさそうな顔だ。それでもおじいちゃん達が戻ってこない私達は暇を持て余していたから、暇つぶしにくるくると表情の変わるお兄さん達を眺めていた。
それにしても、さっきからおじいちゃん達は立ち上がろうとはせずに、まだ三人で話をしている。ご飯も食べ終わっちゃったし、そろそろ欠伸が出てきそうだ。
「おじいちゃん達は話が長そうだから、先に帰る?」
隣にいるキツキに相談していると、背中からセウスの声がした。
「送っていくよ」
用事が終わったのか、セウスは集会席から戻って来ていた。
セウスを探しに来ていたはずのお兄さん達は、どうしてかセウスには近付かずに遠巻きにそわそわしている。セウスに用事があったのか、無かったのか。
お兄さん達は一体何がしたいのだろうか。
彼らの存在が気になるものの、話に入ってくる様子もないので私はセウスに返答した。
「いいよ、キツキがいるし」
キツキがいるのに、わざわざ送ってもらう必要なんてない。だけどそう思っていたのは私だけだったようだ。
「いや、俺は今から村長達に今日の報告があるから、このまま花月亭に残るよ」
私は得意顔でセウスの申し出を断ったのに、肝心のキツキは私の予定をへし折る。
「え?」
「今日の報告がまだだし。もう少ししたらみんな集まってくるはず」
「そうなの?」
「そう」
「そっか………」
それは邪魔してはいけないと思い、じゃあ一人で帰ろうと杖に手を伸ばして片足で立ち上がろうとすれば、体はフワッと持ち上がった。気付いたら目線は天井。その横にはセウスの顔が見える。
「ん?」
これはまさかお昼同様、抱えられているのか?
なんて要らない世話。
セウスの行動に周囲はどよめくが、倉庫のお兄さん達だけは動じることなく気をつけて帰れよと、親切にも迷惑にも店の扉を開けてくれた。
結論としては、ただの迷惑だ。
「あ、杖」
「後でキツキが持って帰ってくれるよ」
セウスは振り向くことなく、そのまま家に向かって歩き出した。
誰もいない静かな家に入ると、セウスは居間の長椅子に私を座らせようとしたが何やら思案する。
「そうか。杖を忘れてきたから階段を上がれないか」
そう言って長椅子の奥にあった階段を上がり始める。
まさか部屋まで行く気なのだろうか。いつも邪魔しかしないのに、今日に限って何でそんなにお節介なのか。
「いや、いいっ! そこで」
暴れようとしたけれど、揺れると足が痛むのでそれすら叶わず。セウスはそんな私の話なんか無視して中二階まで上がると、こっちだよねと私達の部屋へと突き進む。
何故、部屋の場所まで知っている?
「待って! 部屋は今日起きたままなの!」
そう。今朝は慣れない仕事で慌てていて、布団はぐちゃぐちゃにしたままだし、寝巻きも畳まずに放置してきたような気がする。
そんなだらしない生活を隠したい私の懸命な訴えは届かない。
扉を開けて左右にあるベッドのうち、右側に置かれている私のベッドへと迷わず進むと、セウスは膝をついて私をゆっくりとベッドに座らせる。
やはり布団は朝起きたままだった。
なんでこっちが私のベッドとわかったのかと思ったが、ベッドカバーが薄ピンク色だったからかもしれない。キツキは淡い灰色系だ。
色で見分けたのだろうと思いたいが、私と違ってキツキの布団は綺麗に整えられていた。キツキは着替える時に脱いだ服と一緒に掛け布団を二つに折り畳む癖がついている。だから性格で見分けられた可能性は低くはない。
私は自分のだらしなさを見られて恥ずかしさのあまり悶絶するが、セウスはそんなことは気にしていない様子だ。なんだ、馬鹿にされると思ったのに。
ほっとした私は、後ろに手を置いて体を支える。
一応家まで送ってくれたお礼を言おうとするが、いつも意地悪しかしない悪魔にお礼を言うのが妙に恥ずかしくて、顔を見られない様に横を向く。
「ありがとう」
でも彼からはいつもの似非笑顔も返答も返って来ない。どうしたのかと横目で見ると、セウスは下を向いて考え込んでいた。
やっぱり今日のセウスはどこか様子がおかしい。
「どうしたの?」
私はセウスの顔を首を傾げながら覗き込む。
それに気付いたのか、顔を上げたセウスの茶色の瞳は私だけを捉える。
窓から入る細長い月明かりしかない薄暗い部屋の中、私の瞳に映ったセウスの目付きは少し鋭利だった。
その刹那、セウスの体は動く。
足は私との距離を縮め、腕は私の背中に回る。そして頭は………。
「ごめん、しばらくこのまま」
セウスの声が、耳の後ろから聞こえてくる。
セウスの片膝がゆっくりとベッドに乗ると同時に、私の足は少しズキッとした。だけど、それどころではなかった。
一体何が起こったのか分からずに思考は停止し、私の瞳は痛いぐらいに開く。
薄暗い部屋に東側の窓から差した柔らかい月の光だけが存在する静寂の中で、二人の呼吸だけが耳と首筋を伝って感じた。
あたたかい。
…………いやいや、違うでしょ私。
「な、何してるの?!」
何でセウスに体を締め付けられているのかサッパリわからないけれど、腕どころか足も動かせないという超絶不利なピンチな状況だという事だけはわかる。
どうしよう、燃やしちゃう? でも家も燃えちゃう。
正解が分からずに、ピッキピキに固まったままの私は何にも出来ずにいた。
けれど、本当に何も言わずにそのまま動かぬセウスを見て、何があったんだろうかと次第に心配になってくる。
「本当にどうしたの?」
もう一度聞くがセウスは何も答えない。
だけど無言だったセウスは腕の力を弱めると、右手を私の顎に添える。そのまま少し力を入れると、私の視線は上へと持ち上がった。セウスが良く見える………というよりは、近すぎる距離で顔全体が見えない。
顔を近付けてくるからどうしたのかと見遣れば、セウスの目はどこか虚ろで視点が定まっていないように思える。
まさか乱心している?
集会席で酒でも飲まされたのか??
異常に気付いた私は、咄嗟に自由になった左手でセウスと自分の顔の間に手を挟み込んでセウスの口を塞ぐ。
「………!」
それに気付いたセウスは、慌てて私から両手を離した。
その瞬間、左腕を動かしてしまった私の体は支えが無くなり、そのうえ逃げようと体を反らせていたものだから、私の体はバランスを崩して一気に後転する。上体が転がったのだから、繋がっている半身だって無情にも一緒に動いてしまった。
つまりは…………なんて思考よりも早く、痛みは脳に到達する。
「いっっったぁぁ――――!!」
激痛である。
左足を抱えようと、私の体はベッドの上で丸まる。
正気に戻ったセウスは慌てて私の体を支えようと手を差し出してきたけれど、全く間に合わず。
その間にも私は身悶える。
セウスは顔を真っ赤にして、嘆く私から目を背けた。
「ごめん、早まった」
早まったとは? 自殺行為をしたという意味か? ホントに早まり過ぎだ。
あまりの痛さに、手をぎゅっと握る。この拳でセウスを殴りつけてやりたい。
「だ、大丈夫?」
「無理―――……」
休む間もなく足はジンジンと痛む。
倒れた私の様子を見ようと慌てたセウスはベッドに手を突いて、心配そうな顔で横たわる私を覗き込んだのだが。
コンコンッ
私とセウスはノック音に反応する。
「そこまでにしてくれませんか?」
見遣れば開いている扉にもたれかかりながら、こちらを睨んでいるキツキがいた。
珍しく感情的だ。どうしたのか。
「…………」
あれ。もしかしてこの状況に怒っているのだろうか?
よくよく見れば、私の上にセウスが乗っている。
「いや、これは……」
キツキの言葉にセウスは狼狽えるが、それでもキツキは表情を緩めずに近付いてくる。この様子では、どうしようもなく勘違していそうだ。
「いくらセウスさんでも、嫁入り前の妹ですので見過ごせません。お帰りください」
セウスに対して冷たい態度を取るキツキは珍しい。
困惑したセウスは一言だけ私にゴメンと謝ると、部屋を出ていった。
それを確認したキツキは、今度は私を睨みつける。
「ね、ねえキツキ。なんか勘違いしてない? さっきのは私が倒れ……」
「勘違い? なんでセウスさんが部屋まで入り込んで、ベッドの上でヒカリに覆い被さっているんだよ。しかもその顔はなんだ!」
私の顔は真っ赤になり、涙まで流れている。
そりゃ、痛みに身悶えていますからね。
確かに当事者以外がさっきの状況だけを見たらおかしいのかもしれない。
でも真実は違う。
「何だよって、足が痛かったんです! 私だって痛ければそりゃ泣くわよ!」
「それで?」
「それでって………」
「ヒカリの足が痛くて、どうしてセウスさんがヒカリのベッドにいるんだよ?」
「だから………」
「だから?」
いつもの淡泊なキツキとは違って感情的なキツキはしつこい。そんなキツキを前に、もうどこから説明していいのかわからなくて面倒になってきた私は、諦めて何も言わずに静かに目と耳を閉じた。
ベッドに寝かされた私は、そのまましばらく目と耳を閉じながらキツキの説教を聞いていた。そんな折、天の助けか階下から玄関が開く音がした。
「ただいま」
おじいちゃんの声だった。ようやくおじいちゃんが帰ってきたようだ。
それを聞くと、キツキは説教をピタリと止めて部屋から声を上げる。
「おかえりなさい、おじいさま!」
さっきまでとは違って表情を和らげると、キツキは部屋を出て玄関まで走っていく。キツキの足音が遠ざかると、私はようやく解放されたと胸を撫でおろした。
キツキはやっぱりおじいちゃん子だ。おじいちゃんもキツキを溺愛している。
そんな二人の会話が遠くから聞こえてくる。
「キツキ。少し話がしたいんだが、時間はあるか?」
「今からですか? はい、大丈夫です」
二人の足音は階段を上って私のいる中二階の部屋の近くまでくると、更に折り返して二階への階段を上る。二階のおじいちゃんの部屋の扉が閉まると、二人の声は聞こえなくなった。
いつもならテーブルで話をしているのに珍しいなと、私はゆっくりとベッドに仰向けになる。
痛みはキツキが回復をかけてくれたせいか落ち着いた。それでも完治は出来ないけれど。
「ふぅ」
今日は色々な事がありすぎた。
そして、みんな様子が変だった。
わたしだけ別世界にでも飛んでしまったのだろうかと思うほど、なんだかいつもと違っていた。
色々と今日の事を思い出すけれど、考えれば考えるほど眠くなってくる。
危機感が全くないとキツキが叱るように、私はそれ以上難しく考えることもせず、うとうとと堕落するように深い眠りについた。
<更新メモ>
2024/01/13 加筆
2021/06/13 文章の修正、文章の追加