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Slime! スライム! Slime!  作者: 笹餅よもぎ
第三章
177/219

数日前の変革 ーカロス回想

 キツキの体を、帝城の高階にある皇族用客室の寝台に寝かせ終えた頃、この騒ぎを聞きつけた陛下に呼び出された。

 謁見室の高台には陛下、そして陛下に報告したと思われる将軍は私よりも陛下に近い位置に立っていた。朝まではラシェキスの吉報で喜んでいたはずの二人は、憤懣やるかたない顔付きでこちらを見ている。


「何があった、カロス」

「ルーア城の宴にて、リトス侯爵のお飲み物に何者かが毒を盛ったようです」


 陛下の眉はピクリと動くが、動揺する様子は見られない。


「して、リトス侯爵の容体は?」

「先程、解毒剤を処方しました。その後、弱々しくですが自ら呼吸をされているのを確認。ですが、毒によって壊された体の全ては回復出来ていないかと」

「回復出来るのか?」

「今後も細胞の修復を試みてみます。全て元通りの体になるかは分かりません。今、宮廷医と優秀な水使いを集めて回復に専念させています」

「………助かるのか?」

「今は半々としか」


 その答えに陛下は眉間に力を入れると、こちらを睨みつける。


「今回の件をお前はどう見る?」

「大勢の貴族がいる中で、リトス侯爵だけが狙われましたので、やはり皇位に関わる犯行かと。リトス侯爵のお立場と(あい)反する人間の仕業と考えています」

「……こちらの考えが甘かったということだな。リトス侯爵に手を出そうとする馬鹿者が、帝国国内にいたとはな」

「帝国内の人間だけでは無いのかもしれません」


 その言葉に陛下の視線は鋭くなる。


「と、申すと?」

「今回使われたのは“銀留(ぎんりゅう)花”の毒でした」


 その名前に陛下は驚かれ、将軍は食いしばると手を強く握りしめる。


「ご存じのとおり、銀留花はここ第一大陸には生息していません。第二大陸の奥地に生息する花です。そして帝国はその花と毒を国内に持ち込むことを固く禁じていて、これに関する最大の処罰は関係者全員の極刑です。ですが、隣国は違う。罰則はあるとはいえ、帝国ほど重きを置いていない。例えば、アトミス王国、サウンドリア王国、フロイス国………」

「今回の件に他国が関与していると?」

「はい。帝国では第二大陸から直接国内へ運び入れることは難しい。他国船の入れる港には毒を認識する検査獣や薬液類が配備されています。可能性があるのなら陸からかと。そして帝国国内でこの毒の存在を知っている人間は一握りです。陛下、将軍、宰相と補佐官達、法整備に関わった高官と高位貴族、ある程度の地位にいる宮廷医と宮廷薬師、主要な関所や港にいる第一級検査官、それと……」

「それと?」



「十年前に母をこの毒で殺した犯人と、その関係者です」



 その言葉で陛下と将軍の表情はさらに固くなる。


「同じ手でまたもや皇族を狙った者がいると?」

「当時、母を殺した犯人の足がつかなかったのですから、味を占めたのでしょう。母が周囲から軽んじられていた事も、調査が進まなかった理由かもしれませ……」

「カロス、関係の無い話はやめなさい」


 将軍が抑揚のない声で私を止める。思い出したくないのか忘れたいのか、昔の話を語ろうとする私を睨んでくるが、こちらも冷ややかな視線を将軍に返した。


「……今回は継承権のあるリトス侯爵です。犯人がわからないなんてことは許されません」

「ああ、そうだ。だが、今回の件は全てを公にはするな。特にキツキの容体の変化については。皇務省と軍務省の一部の官だけで内々に調査をしろ。宮廷省には協力をさせるが、大臣以外の人間には話を漏らすな」

「はっ」

「それと、ヒカリはどうした?」

「今は故郷の村にいるはずです。リトス侯爵の側近であるエルディ・ダウタに迎えに行かせていますので、二週間ほどで戻ってくるかと」

「お前が迎えに行かないのか?」


 陛下のその言葉に、すぐに返事が出来ずにいた。

 ヒカリには、キツキのあの状態を見せたくは無い。

 解毒剤を飲ませるまで十分も時間はかからなかったとは思うが、それでも首や胸元に紫の花のような痣が残り、あちこちに赤黒い線が浮いている。そして顔は薄っすらとだが紫色だ。

 私の表情を見て、陛下は察したのだろう。


「ヒカリに、今の兄の状態を見せるのは酷か……」

「……今からまた魔法を施しますが、完全に治すには時間がかかるかと。彼女がここに戻る前までには、せめて表面だけでも跡を消すことが出来れば………」

「お前の魔法でも、簡単に治せない毒か」

「はい。母をも絶命させた毒です。母の足元にも及ばない私の力では、何とも」


 その言葉を聞いて、陛下はしばし黙考される。


「わかった。キツキのことはお前に任せるが、犯人探しも手を抜くな」

「この件、へーリオス補佐官にも協力をいただいても?」

「ああ。リシェルなら問題ないだろう。それと、手が足りぬのであればポース公爵家とヘーリオス侯爵家になら私の許可なく協力を要請してもかまわん」

「ありがとうございます」

「人選はカロスに任せるが、関係者への箝口(かんこう)令は出しておけ。以上だ」

「御意」


 私が頭を下げると、陛下は将軍を引き連れて謁見室から出て行かれた。







 故郷から戻ってくるであろうヒカリの迎えの軍を、リヴァイア城へと向かわせてから少し。陛下の指示で上層部だけにキツキの件を通達した軍部の中で、アルノルド・キエラの事件が起こる。 

 ルーア城から帝城まで早馬で帰ってきた彼は、厩舎(きゅうしゃ)での事態を知った兵団長の告発により、上級騎士の小隊を率いてルーア城に戻ろうとしていた翌日に拘束された。

 その時からずっと彼は「濡れ衣だ」との証言を変えてはいない。だが、軍の薬毒検査室長と宮廷薬師長の検査から、彼の鞍から落ちた小瓶には銀留花の成分であることが確認され、知らぬ存ぜぬが通用しない事態となっていた。


 それだけでも軍では衝撃的な出来事だったのに、さらにその五日後に私宛てに届いたとある連絡に、いよいよ国内は油断ならない状態なのだと知る。



 私は執務室の席にのけぞるように座る。手に持った紙切れのような細長いメモから視線を外す事が出来ずにいた。


「これが届けられたのは?」

「昨日の夕方頃です。帝都の自宅に届き、家の者が私の所に届けに参りました」


 私の執務席の前にいるのは、バレリオ・ロンバース。弟と似ているのは褐色肌だけで、弟と違っていかつい顔をしたロンバースは、宮廷省の官だ。真面目で情に厚いところがあるが、それはさておき。

 私の手には、彼の弟であるハムイ・ロンバースからの手紙。手紙というよりかは、ロンバース家の伝令鳥によって運ばれて来た小さなメモだ。筆跡からして本人からなのは間違いない。

 ヒカリ専属護衛のハムイ・ロンバース達は、無事にキツキの(おこ)した西の港町に着いたようだが、手紙に書かれていた内容に眉を顰める。


『森に狐あり』


 穏やかな内容ではなかった。


「これを私に届けるようにと?」

「はい。一枚目にはそのように」


 そう言って机に置かれたもう一枚には、複数の言語を組み合わせた文面で、確かに私まで直接届けるようにと書かれていた。

 さすが歴々高位文官を輩出してきた家の出身だけある。そんな暗号のような真似をしたのは、落としても簡単に読まれない為だろう。用心を重ねたのか、他国語以外にも読める者の少ない古代語まで組み込んでいた。


「わかった、ご苦労。あとはこちらで対処をする」

「よろしくお願いします。では」


 そう言ってロンバースは部屋から下がっていく。彼の姿が見えなくなるともう一度、ハムイ・ロンバースからの手紙に目を向けた。

 近衛騎士である彼が、自分の所属する軍ではなく、私に手紙を寄越した理由。


(チーム)に狐が混じっていたか」


 そう呟くと、この状況を苦々しく思いながら、重い腰を上げた。







 陛下と渋る将軍を説き伏せて、送り出した迎えの軍を追うように、参謀でもある第二皇子のユリウスを、直接ヒカリの迎えに向かわせた。

 そのユリウスが、昨日の夜遅くにヒカリと一緒に帝城に入城した。



「おはよう、カロス」


 帝城を歩いていた私の後ろから、得意顔のユリウスが声をかけてくる。


「おはようございます、ユリウス皇子」


 頭を軽く下げて、そのまま歩き出そうとしたのだが。


「待て待て待てーっ!」


 背中からユリウスの大声が聞こえる。


「何でしょうか、ユリウス皇子」

「何でしょうか、じゃない。俺に何か言う事があるだろ?」

「……今日もお(ぐし)が素敵ですね?」

「とぼけるな! お前のために、ルーア近辺まで馬を飛ばしてやった事を忘れたのか?」

「思っていたよりも時間がかかりましたね。もう少し手前で合流出来ると思っていましたのに」

「おまえーっ!!」


  ユリウスは「皇子の俺を捕まえて」と、私の首を締めそうなぐらい恨めしそうに睨みつけてくる。


「ヒカリ殿下が無事に帝都に戻られて、安堵しました」

「ああ、そうだな! それで、俺に向ける言葉はないのか?」

「……………」

「さっきまでの饒舌(じょうぜつ)な口はどこへ行った??」


 私は視線をあらぬ方向へと向ける。


「こちらは忙しいのですよ?」

「俺もな?! そこを、珍しくもお前に頼られたと思って、一週間も割いた俺に言うことは??」

「……お勤め、ご苦労様でした」

「………もういいよ。それで許してやる」


 一体何を許そうとしているのか。


「それでだ、カロス。お前の心配していた件だが、とりあえずは問題はなかったように思う。ロンバースに対象を確認したが、怪しい動きも無しだ。それと、送り込んだ隊の中にも、それらしい動きをする者はいなかった」


 皇子が来たのなら、下手には動かないだろう。いざとなれば、私以上に強行手段だって取れる。

 そのためにユリウスを選んで行ってもらったのだ。


「そうですか。まずは何事もなく安心しました」

「それと、もう一つ報告があってな」


 そう言って、ユリウス皇子の口から出て来たのは、サウンドリア王国とアトミス王国の戦況についての話だった。







 ヒカリとキツキの面会は、とても静かなものだった。

 ユリウスと帝城に入ったその翌日の朝にそれは行われたが、目の下が充血したままのヒカリが見たものは、目を閉じたまま動かない顔の青いキツキの横たわる姿で、信じられないと言葉を漏らした彼女は、そのまま泣きながらキツキの服にしがみつき、その場で半日を過ごした。


 キツキの顔にかかっていた紫斑のようなアザを、それまでに目立たなくすることは出来たが、首元から下は薄らとその影が残っていて、それを隠すように襟のある寝間着をキツキに着せてからの面会となった。

 午後になっても、動かない兄から離れようとはしないヒカリの体調が心配になり、理由をつけて半ば強引にキツキから引き離した。

 放っておいたら一日中キツキの側から離れようとしない彼女には、面会時間を設けることにした。どちらにせよ、薬も食事も体を動かせないキツキのために、全て私の魔力で対応をしていたから、彼女がキツキの面倒を見ると言い出しても、それを承諾することは出来なかった。



 ……だったけれど。



 その夜に起こった『珍事』のお陰で、翌朝からあれこれと考えを巡らせている。

 それが起こったところでヒカリに対しての方針は変える気はないが、それ以外の事でこのままではいけないと、朝から各方面との調整で動き回っていた。


「クシフォス宰相補佐官、こちらにいらっしゃいましたか」


 執務室近くの廊下から、秘書の一人が小走りに近寄ってくる。


「将軍閣下から一時間以内に準備が整うとの連絡が入りましたが」

「遣いが来たのは?」

「十分程前です」


 軍務省からの移動と待ち時間で、既に二十分以上は経過したか。


「わかりました。私はこのまま将軍の執務室へ向かいます。その間にヒカリ殿下に気づかれずに、“彼“を呼び出しておいてください」

「承知しました」

「それと忙しいところ悪いのですが、秘書二人をキツキ殿下の部屋へ向かわせて、何かあれば伝言ではなく、私に直接報告をするようにと」

「はい」


 ヒカリの帰還と昨夜の珍事で、私の秘書達はてんてこ舞いだ。

 私の指示を聞いてすぐに翻って戻っていく秘書の背中を見ながら、魔法陣を出そうと集中する。帝城内では転移魔法を極力やめなさいと陛下には言われているが、急ぐ事態では仕方ない。足元に三角形の魔法陣を浮かべると、頭に将軍の執務室を思い描いた。







 将軍の執務室に呼び出されたアデル・ポートラーの表情は暗い。

 目の前の将軍の表情は重く、これから話される内容がとても深刻なものだということを、アデル・ポートラーは勘付いているのだろう。

 彼は将軍の横にいたのが、軍幹部の面々ではなく、宰相代理の私であることに怪訝な視線を向けてくる。私がここにいると、どうやら良からぬことが起こると思っているようだが、その予想は大方間違ってはいない。


「アデル、ご苦労。楽にしてくれ。だいぶ迷ったのだがな。継承権保持者に対する今後の護衛体制を、やはり変えることにしたのだ」

「……はい」


 その言葉で、ポートラーの面持ちは将軍以上に重くなる。


「実はな………」


 ポツリ、ポツリと語られる将軍の言葉に、ポートラーの表情は次第に青くなる。


「……ということになった」

「お、お待ちください。将軍閣下、まさか私が……?」

「そうだ。陛下とも話し合って、この人事に関しての承諾は既にいただいた。決まった事だと思って受け入れてくれ」

「ですがっ!」

「みっともないですよ、ポートラー。どんな指令が出たとしても、あなたは帝国の近衛騎士でしょう?」


 思いのほか動揺するポートラーに釘を刺すと、彼は悔しそうに口をつぐんだ。


「本日をもって、アデル・ポートラーを第三近衛分隊長の任から解く。良いな、アデル?」

「……はっ」


 将軍からの通告に、ポートラーはぐっと体に力を入れると、どこか諦めたような面持ちで下を向いた。


「では、早々に新しい任に就きなさい。この人事の口外は無用だ。廊下で事務官が待機している。彼が全ての準備と後始末をするから席には戻らないように。支度が整ったら、早急に新任地へ向けて出立しなさい」

「……御意」


 ポートラーは力なく将軍の執務室から出ていった。

 彼の納得し切れていないその横顔に、将軍は少しばかりの不安が出てきたようだ。


「大丈夫だろうか」

「仕方ありません。どちらにせよ、今のままで良いはずはありませんので」

「……そうだな」

「さて、私目は次の仕事がありますので、ここで失礼します」

「もう行くのか?」

「ええ。悟られる前に終わらせなくてはいけませんので」

「前準備はもう整えただろう。……もしやあの件か?」


 将軍は心配そうな表情を私に向ける。


「将軍は何も知らずのまま、関わらない方が良いですよ」

「私には何も言わずか」

「ええ。これは私の仕事ですので」

「……そうか。頼んだぞ」


 少し視線を落とした将軍に礼をすると、三角形の転移魔法陣を出してその場を後にした。






 帝城のとある一室で、円卓を挟むように、青年と向かい合って座っている。

 日中だが部屋中の分厚いカーテンは閉まり、テーブルの上には一台の燭台。そしてその燭台に取り付けられた三本の蝋燭の先から小さな火がゆれ動く。室内には他にも燭台はあるものの、目印程度にだけしか火が灯されていない。


「先程の話を、受けていただけませんか?」


 目の前に座る青年は、こんな薄暗い部屋で私と二人きりでも落ち着いて座っている。それどころか、先程の提案を聞いて目を細め、私を信用出来ないというような顔までする余裕があるようだ。


「感心できた話ではないですね」

「承知しています。ですが、どうしても必要なことなのです」


 そう言うと青年は黙考するが、細めた目は私を捉えて離さないし、余計な言葉も出してこない。あんな孤島にある村で生活していた人間なのに、交渉は心得ているようだ。


「こちらから、必要な人間も資材もお送りします。村の人に危害を加えることももちろんしません。ご協力いただいた見返りも、させていただきます」

「壊した後は、どうするのですか?」

「もちろん、こちらで丁重に再築させていただきます。もしくは移転を。少し重厚になってしまうかもしれませんが」

「で、時々帝国(こちら)からも人が入ってくると」

「はい、その後の警備目的で。本当は帝都周辺につくりたいところですが、勝手は許されないでしょう」

「あの二人が暴れ出したら、誰も止められませんよ」

「ええ。ですので、この話は全てが終わるまではお二人のお耳に入れたくはありません」

「酷な話ですからね」


 青年は長い息を吐いた。


「僕がしばらく黙っていたとして、終わった後はどう考えてもバレてしまうと思いますよ。二人に嫌われるかもしれないのですが、良いのですか?」

「重々承知の上です」

「へえ」


 感心したような顔をすると、視線を上に向ける。再び黙考すると、チラッと私の顔を見た。


「そうだ。あなた“カロスさん”ですよね?」

「そうですが」


 急に私に興味を示した青年は、聞き手である右手の平を私に見せたまま、左手を腰のポケットに入れた。おそらくは、剣を持つためではないと私に知らせたかったのだろう。結局は手が届かずに右手を使っていたのだが、そんなことにまで気の回る青年がポケットから取り出したのは、小さな赤い石のついた指輪。そう、ヒカリに渡しておいた竜血石の指輪だった。

 テーブルに置かれた指輪が、所在なさげに揺れ動く。彼女へ贈ったものが彼の手から取り出され、漂う空気が良い流れではないことは薄っすらと感じる。


「これ、お返しします。代わりに彼女への"お守り"は僕のものを渡しておきましたので」

「どういう意味でしょうか?」


 訝し気な視線を送ると、彼は首元から紐が通された水色の石を見せてきた。青や黒の斑点や模様が見えるから、魔石だろう。


「彼女とお互いに贈り合ったものです。彼女もお揃いで魔石の首飾りをしていますよ」

「………」


 何が言いたいのかは大体察したのだが、それに踊らされるわけにもいかずに黙認を貫く。私の姿勢を観察していた青年は「へえ」と以外そうな声を漏らすと、見せびらかしていた魔石を服の中に戻した。


「どうやら、あなたは一筋縄ではいかないようだ」


 青年は少し面倒くさそうな表情を浮かべると、視線を胸元から私へ戻す。


「先程のお話を受けても構いません。ですが、こちらから条件を一つだけ出させていただきたい」

「……どのような条件でしょう」

「今後、あなたからヒカリへの個人的な手出しを一切やめていただきたい」

「………」

「こちらの国の考え方や規則をとやかく言うつもりはありません。キツキやヒカリの立場についても。ただ、あなたの私情でヒカリに手を出すのをやめていただければ良いのです。それを約束していただけるのでしたら、僕はご協力しますよ」


 背中がゾワッとする。

 目の前の青年は、まだ帝国の事を大して知りもしないのに、この話がどれほどに重要なものなのかを短時間で判断し、私が最も譲りたくないヒカリを、この話の代償として提示してきたのだ。

 喉の奥を握りつぶされるような感覚をグッと堪えると、静かに息を吐き出す。


「……承知しました。その条件を呑みましょう」

「それは良かった」


 目の前の青年は無邪気な笑顔を見せる。

 無邪気? いや、違う。

 こちらが本当に譲歩したかどうかを見定めている眼だ。


「大変なんですよ、ヒカリの周囲に集まる男性を蹴散らすのって。剣だけで片がつくのでしたら簡単なんですが、あなたのような方はそうはいかないでしょう?」


 笑顔で語りかけるが目は鋭利なままで、私の様子を観察している。

 余裕があるのかないのか、そんな彼の姿に心の隙を見つけると、冷ややかな笑みを向けた。


「それは大変でしょう。彼女の心はあなたには向いていらっしゃらないのですから、尚更ですね」


 私のその言葉に、さっきまで笑っていた青年の顔から笑顔が消える。


「……ええ。あなたが条件を呑んでくださって助かりました。これで、一人は蹴落とせたのですから」

「蹴落としただけで、大丈夫ですか?」


 私の言葉が意外だったのか、冷んやりとした視線を向けてくる。


「それはどういう………」

「勘違いなさらないでいただきたい。私はお約束はきちんと守りますよ。ですので、セウスさん。あなたにもお約束を守っていただきたい」

「ええ、二言はありません」

「それは助かります。本日はご足労をありがとうございました」


 蝋燭の小さな灯りに照らされた私達は、仮面をつけたような感情の見えない表情のまま、身動きすることなく、暫くの間お互いの顔を見つめていた。







 密会の後、キツキの部屋へと戻っていた。

 目的の物を確保する手段が整いつつある中、キツキの姿を見て、やはりこのままではいけないなと考えながら部屋を出る。

 警備の厚い廊下を抜けて、視線を下げながら歩いていると、前方から小さなざわめきのような音が耳について視線を上げた。目の前から近衛騎士の制服を着た男が歩いてくる。


 襟足が少し伸びてしまった銀色の髪を(なび)かせ、リシェルとはまた違った雰囲気を纏った男。最近は物(うれい)気な表情が多く、ノクロス・パルマコスのように伝説になろうとしているその男は、帝城で働く女性達の目を大いに引いている事を知らないのだろう。

 私も女性なら、一目で惹かれそうな姿だ。

 エティーレ公爵夫人も、大きな獲物を逃したものだ。


 ラシェキスは立ち尽くして自分を見ている私に気付いたのか、数歩前で足を止めた。


「ラシェキス、キツキの見舞いか?」

「……ああ。入室の許可を感謝する」

「許可を出されたのは陛下だ。私はただ(うかが)いを立てただけだ」

「それでもだ。大臣でも入れないのだろ?」

「二人の仲だからな。お前がキツキを害するとは思っていない」

「それでも、ありがとう」


 ラシェキスに御礼を言われるとむず痒い。どちらかと言えば悪寒に近い。


「どうだ。お前が騎士舎でのさばっている間に、世界は大きく変わっていただろ?」

「のさばってはいないが………これは変わりすぎだ」


 腰に手を当てて、完璧に見えていたラシェキスは重いため息をつく。

 自分のために遥々自分の故郷まで道を繋げたキツキが、自分の試験が終わった時には毒で倒れて死人のような姿で帰ってきたのだから、ラシェキスとしても悔しい話だろう。帝城の中の雰囲気も数ヶ月前とは大分違う。

 そんな悩めるラシェキスの姿を見ていると、密会での事が頭をかすめる。()()にちょうど良い対抗馬が目の前にいたな、なんてラシェキスの全身を舐めるように視線を動かす。

 私の珍しい行動に、ラシェキスは何だよと(いぶか)しがるが、品定めに満足した私は気にせずに会話を続ける。


「ラシェキスは、来月から()()()の専属になったのだったな?」

「いや。ヒカリ殿下が帝城に来られた関係で、次の月を待たずに、明日からお二人の新しい専属が担当することになった」

「明日、か……」


 それは尚のこと都合が良い。

 新しい近衛騎士が数人入ったこともあるが、今回のキツキの事件を受けて皇位継承者の専属近衛の編成が急遽発生した。

 ポートラーの件もそのうちの一つだ。


「そうか。だが、世の中は何が起こるかわからない。臨機応変に対応できるように常に心掛けておけよ。じゃあな」

「ん? ああ」


 ラシェキスは私の言葉に引っかかったようだが、不思議そうな顔をするだけで、そのままキツキの部屋へと向かう。

 そんなラシェキスを背に、私は進路を軍務省へと変えた。

 今回の『珍事』ついでに、あの青年との問題にも布石を打っておこうと思ったからだ。それはキツキ付きに決まっていたラシェキスの担当を、ヒカリへ変更するようにと将軍に提言をするためで、更に今日中にそれを対処してもらうためだ。


 ラシェキスの奴が、ヒカリが彼氏を連れて帝国に戻って来た事を知っているかどうかは定かではないが、明日あの二人が顔を合わせた時の顔が見ものだなと、私の心はどこか踊っていた。


<独り言メモ>

悪魔と書いて“セウス”と読み、

腹黒と書いて“カロス”と読みます(; ・`д・´)b



<人物メモ>

【カロス/黒公爵(カロス・クシフォス)】

 魔力が異次元な筆頭宰相補佐官。将軍の愚息で皇帝の甥っ子。時々、腹黒公爵とも揶揄される。


【キツキ/リトス侯爵(キツキ・リトス)】

 ヒカリの双子の兄。祖父の家の爵位を継いでリトス侯爵となる。

 シキが近衛試験に合格したとの一報がキツキの元に入った矢先、人々を招いていた宴で毒を飲み、血を吐いて倒れた。帝城の客室で保護されている。


【ヒカリ/バシリッサ公爵(ヒカリ・リトス)】

 キツキの双子の妹。バシリッサ公爵。故郷のナナクサ村にいたが、キツキの一大事で帝都へ戻ってきた。


【セウス】

 キツキの故郷であるナナクサ村の村長の息子。キツキとヒカリが心配でヒカリについて帝国までやってきた。表向きはヒカリの恋人。剣豪ノクロスの弟子。ヒカリの知らないところで悪魔っぷりを発揮していた模様。


【シキ(ラシェキス・へーリオス)】

 銀髪金眼。ヘーリオス侯爵家の次男。帝国の近衛騎士試験を一発で合格して、直前までキツキ専属と決まっていたようだが……? 


【アデル(アデル・ポートラー)】

 キツキの専属近衛分隊長だった騎士。今回のキツキの事件で担当を外された上に左遷されたと噂があったが、どうやら本当のようで?


【アルノルド(アルノルド・キアラ)】

 セリーニス伯爵の次男。キツキの専属近衛騎士だった。

 事件の当日、ルーア城から帝城まで伝令として走ったが、到着するや否や、毒の入った小瓶が馬の鞍から落ちて、捕縛される。


【ハムイ・ロンバース】

ヒカリ専属近衛分隊の隊長(当時)。褐色肌、亜麻色の髪で、強面の兄とは違って女性受けの良い甘い顔をしている。代々文官を輩出している家から珍しくも近衛騎士となっていた。カロスにとある疑惑について極秘で手紙を送った。


【ユリウス第二皇子】

 従弟のカロスの頼みで、二つ返事で先に出発したヒカリの迎えの軍を追う。


※以下略(皇帝、将軍、エルディ、リシェル、ロンバース兄)

※添え名は省略



<更新メモ>

2022/10/24 修正

2022/10/19 加筆、連絡メモの削除、独り言メモ、人物メモの修正

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