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Slime! スライム! Slime!  作者: 笹餅よもぎ
第三章
176/219

揺れ動くもの6

 ****





 ー 帝城 カロス ー



 朝早く。

 帝城正面より少し奥にある広場。そこは送迎する馬車が、主人を待つ為の場所でもあった。

 帝城の上階から見ていたところ、点在する煌びやかな馬車に紛れて目についたのは、二台の(ほろ)のついた荷馬車。そのすぐ近くには見覚えのある面々。とある人の従者になった彼らは数頭の馬を引いているが、馬と人間の頭数が合わない。どうやら彼らは馬に乗るであろう人物をそこで待っているようだ。

 それを横目に廊下を歩いていると、廊下の角から彼らの主と思われる男性二人が現れた。それは何十年もの間、帝国に伝説と称されていた男と、養子なのにその男性と背格好がよく似た青年。

 父親はもとより、青年もまだ着慣れないであろう帝国の貴族服を見事に着こなしている。二人とも背が高く整った体をしているものだから、その姿は余計に目を引いた。とてもつい最近まで孤島で暮らしていた二人とは思えないほどの仕上がりだ。


 離れた場所から見ていた私に気がついたのだろう。急に子息の表情は曇る。

 見つかってしまったのだから、少しばかりは挨拶をしていくかと彼らに近付いた。彼らの今回の移動はこちらの事情によるものだから、なおさら素知らぬふりは出来ない。


「今から出発ですか。道中お気をつけください」


 私の言葉に青年は仏頂面だ。


「これはクシフォス宰相補佐官。先程殿下に挨拶をして来ましたので、これから出発をするところです」

「そうでしたか。イロニアス侯爵とご子息が留守の間、殿下は寂しがるかもしれませんが、帝城には話し相手が沢山おりますゆえ、大丈夫でしょう」


 イロニアス侯爵位の継承式は済ませたが、まだ公表を行なっていない。だから表向きは父親がイロニアス侯爵のまま、養子だけを迎えたという事になっている。公表が終わればイロニアス侯爵は子息である仏頂面の青年だと認識されるだろう。

 その子息は先程から視線を逸らせて私と会話をしようとはしない。それに気がついた父親は慌てて彼の袖を引くけれど、それでも彼は答える気はなさそうだ。

 相当に嫌われたようだ。確かに強引なやり方だったのは認める。


 辛辣な青年とは違い、父親の人柄は柔らかい。負け知らずの剣豪だった彼は意外と気さくだ。ヒカリが飛びつくだけの理由はある。

 そんな彼の手には頭よりも一回り小さい謎の袋。獣皮で作られていそうなものだったが、なめした革とは少し違う。でも、表面はコーティングされたかのようにテカテカと光が映る。


「侯爵、手に持たれている袋は何ですか?」

「ああ、これですか? 帝国には無い物ですから初めてご覧になりますよね。これはスライムの皮を加工させて作った袋ですよ」


 意外な答えに興味が湧く。思わず体を屈めてまじまじとそれを覗き込んだ。


「スライムの皮、ですか」

「ええ。単体ではなく、革と合体させたものですけどね。不思議なのですが、スライムの皮を加工して作った袋の中は温度の上下が一定になり、食料品や水を運ぶのにとても適しているのです」

「……水?」

「ええ。口を紐でぐるぐる巻きにすれば、不思議な事に溢れてきません。長距離の旅ではとても重宝します。ヒカリ殿下が村から持ってきた袋を、私に持たせてくださったのですよ」


 食料品は理解できるが、こんなペラペラしていそうな一枚程度の皮の袋に液体が漏れずに入るのだろうか。真剣に見ていたら試しに見てみますかと、イロニアス侯爵は笑いながら後ろに控えていた付き人に水をコップ一杯もらってきてくれと指示をする。

 その様子を見ていた隣の青年は、さらに機嫌を悪くしたのか眉を顰めた。


「ノクロスさんの世話好きは、時々厄介ですね」

「まあそう言うなよ、セウス。スライムの便利さを帝国に伝える良い機会だ。いずれナナクサ村の利になるだろ?」

「どうでしょう。僕としては余計な危険が生まれるだけの気がしますけどね」


 子息の辛辣な返事に侯爵は苦笑いするしかないようだ。

 侯爵は付き人が持ってきた水を受け取り、興味津々に見ている私の目の前で革の袋に水を入れると、そのまま袋の口を紐でぐるぐる巻きにした。


「これでもう漏れません」


 そう言って袋を逆さに持って水が溢れ出てこないことを私の目の前でやって見せる。

 漏れるどころか、どこからも水が滲み出てこない。


「どういった仕組みなのか……」


 私はじっと目の前の不思議な袋を眺める。スライムは生きていても不思議だが、材料としても不思議なままだ。


「詳細は分かりかねますが、スライムの革で作った袋は入れた状態のまま出てくると思って間違いありません」

「状態のまま……」

「そうです。凍った氷なら氷のまま。お湯ならお湯のままといったところでしょうか」

「混ぜたら?」

「氷とお湯はやったことはありませんねぇ」


 イロニアス侯爵の視線は上を向く。


「村の薬局では、熱が出た村人のために、煮出した薬草茶を運ぶのに使っていましたね。温かいまま運べますので重宝していましたよ」

「そんな使い方を?」

「ええ」

「これは燃やせますか?」

「それは難しそうですね。スライムの皮なので燃えないのですよ。焦げ目が着くのがやっとといったところでしょうか。廃棄する場合は刃物で切り刻んで地面に埋めておくと、数年後には土から消えていますので廃棄はその方法でやっています」

「燃えない袋……」


 やはりスライムと同じなのかと頷く。


「ノクロスさん、もう良いんじゃないですか?」


 機嫌の悪い子息が私達の会話を止めようと横槍を入れてくるが、私はお構いなしに侯爵から離れようとしない。顎を手で支えながらその場で考え込む。

 不思議なものを見せてもらったからか、心の中で燻っていたとある懐疑が揺れ動く。

 それはどこか引っかかるものの、解決口の見つからない事件で、帝国以外の知識をお持ちのイロニアス侯の意見を聞きたくなった。


「……一つ、侯爵にお聞きしたい。どうぞこの話はご内密に」


 そう質問すると、侯爵は人の良さそうな顔でどうぞと促してくるが、傍で見ていた顰めっ面の子息は、私達のやりとりを見てとうとう諦めたかそっぽを向く。

 その横顔はさっさと終われと言っているのがよくわかる程だ。


 周囲に誰もいないことを確認し、こっそりと防音の魔法膜を張った私が侯爵に質問をしたのは、アルノルド・キエラの事件。

 だけどそれに答えたのは侯爵ではなく、不貞腐れながら腕を組む尊大な態度の子息だった。

 顔は横を向いていたが、耳はこちらを向いていたようだ。


「そんなことですか? 出発前に足を止めるので、もっと重大な質問だと思ったのですが、思っていたよりも宰相補佐官というお仕事はお暇なんですね」

「重大は重大です」


 キアラと彼の一族の命運がかかっている。

 だが、目の前の二人の表情から察するに、どうやら帝国の対応とは別の見解をお持ちのようだ。


「お二人のご意見をうかがっても?」


 そう聞くと、口を開いたのは子息の方だった。


「僕はあなた方が落ちてきた小瓶に振り回されているようにしか思えない」


 父親の方は口を閉じると腕を組む。この場を子息に任せたようだ。


「と言いますと?」

「三日間でしたっけ? 走って揺れ続ける馬の鞍のどこかに置かれたり挟まれたりして、丸裸の小瓶が都合よく落ちなかったはずがない。特別改造された鞍ではなかったのでしょう?」

「ええ。帝国の騎士団や兵団に支給されている普通の鞍でした。特におかしなところはなかったと」

「小瓶を落とさない為に鞍が改造されていたわけでも、小瓶が袋に入れられて何処かに繋げられていたわけでもない。それに僕なら命に関わる物品ならそんな落ちそうな場所には置かないな。例えばヒカリから貰った首飾りのように、首にかけておいたりしますかね」


 子息はわざとらしく首元から魔石の首飾りを取り出して、それを揺らして見せる。


「でも、アルノルドさんはそうはしなかった」

「ええ」

「僕はその時点で、考えを変えますけどね」


 子息はいそいそと大事そうに首飾りを服の中に戻す。


「そもそも、小瓶は鞍には隠されていなかった」

「………?」

「って考えるのが自然な流れではないですか?」


 彼の言葉に反射的に手に力が入る。

 子息は私に不躾な視線を向けて来たが、もう少しだけ彼の話を聞きたくなった。


「どうぞ、そのまま続けてください」


 その言葉に、子息は軽いため息をつくとぽりぽりと頭を指で掻く。私からの思わない返事に驚いたのだろう。


「はぁ。……じゃあ、とりあえず僕の理解していることをおさらいしましょうか」

「はい。お願いします」

「今回の件は、アルノルドさんの乗って帰って来た馬の鞍から兵士の証言と供に小瓶が現れ、その中には数滴の液体が残されていた。訝し気に感じたその兵士は上司に相談をし、その上司の判断で検査室に調査を依頼した。検査の結果、それはキツキの飲んだ毒と同じもので、それを知った兵団長のもと、軍のトップからの許可が降りるや否や、アルノルドさんはすぐに捕縛された、と」

「その通りです」


 一気に説明した子息は、もう一度軽く息を吸う。


「言い換えれば、数日間馬を走らせていても落ちなかった小瓶が、鞍を取り外しただけで簡単に落ち、ちょうどそこに居合わせた係は、落ちたものをアルノルドさんに返却もせずに、何故か自分の上司に怪しいですと報告をした」

「………」

「で、その上司は小瓶の中の液体を毒じゃないかと思って、検査に出したんですよね?」

「そう報告が上がっています」

「その上司、見ただけで瓶の中身が毒だと気づいたのでしょうか」

「………!」


 銀留花の毒は透明だ。そして花の蜜のような甘い匂いを放つ。

 そしてそれは濃度が濃いと、近くで匂いを嗅いだだけでも目眩や引きつけを引き起こすが、その場で倒れた兵士がいたとの報告も騒ぎもなかった。つまりは厩舎で小瓶の蓋は開けられていない。

 帝国では小瓶に入った液体といえば入れるものは限られてくる。香水や液状の香辛料など匂いのある物だ。だから不審に思って確認をしようとするならば、まずは蓋を開けそうなものだが、それを兵士達はしていない。つまりは蓋を開けて匂いも嗅がずに、その上司は毒物と判断をして軍の薬毒検査室へ依頼をかけた、という事だ。


 目を見開いて閉口したままの私に、子息は冷ややかな視線を向けてくる。

 なんでそんなことがわからなかったのだと思う一方で、もう一つの疑念が浮かび上がる。

 もし兵士達の自作自演なら、小瓶に入っていたその毒はどこからやって来たというのだろうか。


「だが、帝都にその毒を持ち込む事は大変に難しい。帝都外壁にある全ての門は関所になっていて、銀留花の検査は必ずやっています」

「……ああ、それでこだわっているのか」


 子息はボソっと呟いた。

 帝都と地方を結ぶ国道上にある全ての関所には、銀留花の匂いを嗅ぎ分けられる鼻の利く検査獣と一級検査官がいる。大きな荷物に紛れ込ませたとしても、通ろうとすれば検査獣が反応するはずだ。


「アルノルドさんは? 彼が帝都に入る時には何もなかったって思わなかったのですか?」

「伝令特権を使ったのかと」

「なにそれ」

「重要な連絡を運ぶ伝令係が、関所や検問で足を止められないための措置です。その代わり、自分の名と所属名を告げる必要があります」

「名を告げてたら馬の足が止まるじゃないですか」


 子息は細かいところが気になったようだ。


「関所にいる見張りが足を止めない伝令と判断した場合は、すぐに関所から兵士数人が馬を出します。そのまま並走するように伝令に名を確認し、おかしいと判断されればその場で取り押さえられます。私が命令を下しましたので、通過する際には私の名も出したのでしょう」

「あー、それは効きそうですね」


 苦笑いしたあと、子息は真面目な表情でしばらく黙考するが、何かに気がついたのか、チラッと私に視線を流してきた。


「……関所での検査はいつからあるものですか?」

「九年ほど前からです」


 母が銀留花の毒で亡くなり、その後すぐに法や規則が整備された。

 子息は視線を落として黙考するが、すぐに視線を上げてチラッと私を見る。


「では、それ以前に帝都に毒が入り込んでいる可能性は?」

「………」


 子息の思いも寄らない考えに言葉を失う。だけどその言葉で今まで積み上げていた凝り固まっていた憶測が少しずつ揺れ動きはじめる。


「さっきからカロスさんの言葉の端々には、頑ななまでにその毒が国内や帝都には入り込んでいないと信じたい気持ちが滲み出ている。その気持ちが、あなたの判断を見誤らせているんじゃないですか?」

「………」


 その通りだ。母の命を奪った毒が国内に入り込まないために、帝城に仕え始めてからはとにかくそれだけは目を光らせ、他国からの流入を阻止してきた。だから心のどこかで国内に銀留花の毒は入り込んでいないと暗示をかけていたかもしれない。

 だけど彼の言う通り、十年前に母を殺した毒がずっと帝都のどこかに保管されていて、今回小瓶の偽造に使われたのだとしたら。


「くそ……」


 国内どころか、帝都………いや、帝城の敷地内にさえ銀留花の毒が保管されている可能性が既にあったのだ。

 歯を食いしばる。

 目の前の生意気な青年に言われて、初めてそのことに気がついた。


「僕の予想は当たりそうですか?」

「……大変参考になるご意見でした」

「素直じゃ無いな」


 私からの一度の話だけで、彼はアルノルド・キアラ事件の全容を組み立てていた。剣術だけではなく、謀略や機知にも富んでいる彼はやはり孤島にはもったいない。


「それにしても、呑気に係の証言に踊らされているのですから、宰相補佐官というお仕事はやはりお暇なのでしょうね」

「そう思われないように、今後も精進します」

「ははっ、そうですか。ああ、それと!」


 子息の声のトーンが急に上がる。


「このぐらいも分からないのなら、オズワードさんが生きていればきっとヒカリの婿候補からあなたは外されていたでしょうね!」


 子息はそう言いながら満面の笑顔を私に向ける。その後ろでは、さっきまで静かに聞いていた父親が慌て出した。


「セ、セウス! まさかそれを言いたいがためにわざわざ口を出してきたのか?!」

「当然でしょ、ノクロスさん。他に何の旨味があってわざわざカロスさんにヒントを教えなきゃいけないんですか? オズワードさんだってこんな注意散漫な人をヒカリの婿に認めるとも思えませんよ。あの人、この手の質問には結構厳しかったじゃないですか。僕なんか何度眠れないような意地悪な質問をされたか。その度に注意力がまだまだだなとか言って、難癖つけてきたし」


 それはあの人の趣味だよと、息子の口を塞ぎながらあわあわとこちらをチラチラと見る。


「申し訳ない、クシフォス補佐官殿。息子には後で…」

「いいえ。お二人の足を止めたのは私です。どうぞお気にせずに。セウス殿、この借りはいずれ」

「借り? 僕は約束を守っていただければそれだけで結構ですよ」

「下までお見送りをしたいところですが、急用が出来ましたので、私はここで失礼をさせていただきます」

「はいはい。キツキとヒカリの為に頑張ってくださいね」


 腰に手を当ててのけぞりながら小生意気な事を言う彼に、感謝をしつつ礼を向けると、私は翻ってすぐさま執務室へと向かった。







 急ぎ足で自分の執務室へと戻る。

 先の二人の話から、状況の不味さに冷や汗が流れる。

 確かにあの毒は、十年前に母を殺した犯人が捕まらなかったのだから、回収が出来ていない。


 執務室の扉を雑に開けると、室内にいた数人の秘書が驚いた顔でこちらを見ている。私は素知らぬ顔で執務机に向かうと、席に座った。こちらをチラッと見て私と目の合った秘書の一人に指示を出す。


「キルギスを呼んでくれ。殿下の護衛中のはずだが、こちらを優先させるように………。いや、先にリシェルに断ってくれ。殿下の護衛を上手く調整してくれるだろう」


 秘書はそれを聞くなり、すぐに部屋を出て行った。

 キルギスが来る前に、さっきの懸念に付随する別件を部屋に残った秘書に頼む。


「今から言う者達の家系と親戚を末端まで調べてくれ。急ぎだ」


 そう指示をすると、第一秘書を残して他の秘書達が散り散りに部屋から退散していく。

 残った第一秘書は不思議そうな顔で私に近付いてくる。 


「キルギスを呼ぶのですか?」

「ああ、そうだ」

「……何かありましたね?」


 そこで何かありましたか、なんて聞き方をしないのがこの第一秘書だ。何かあったからキルギスを呼んだのだと聞かずとも理解はしている。


「今から父に喧嘩を売るから、その防壁を先に準備しようと思ってな」

「なるほど! 確かに良い肉壁になるかもしれませんね」


 私の言葉に驚くどころか、第一秘書の男は笑う。キルギスよりも年若く、金髪のいかにも貴族という顔立ちの男だ。


「相変わらず、キルギスには冷たいな」

「アレはうちの氏族に泥を塗りましたからね」

「………」


 その言葉に少し考えてしまうが、まあいい。


「手加減をしてやれよ」

「ええ。往年の恨みを分割で払って貰いますから」


 笑いながら言う第一秘書の顔を、呆れた顔で見上げる。二人の間の経緯は知ってはいるが、当時知らぬ間とはいえ、起爆してしまったキルギスに少し同情してしまう。


「……ほどほどになアンディーノ。これから始める事は機密だ。当然だが家族にも言うなよ」

「勿論です。私はあなたの秘書ですよ」


 そう言って、アンディーノは軽く私に頭を下げた。


「ルーア城から何か連絡は来たか?」

「イリヤから中間報告が。ドーマ領のように、領主に身に覚えのない派遣をした領地は今の所、見つかっていないと」

「そうか」


 的を当てられたのは、ドーマだけだろうか……。


 先発の調査隊によればドーマ領主はキツキの元に派遣はしていないと供述し、彼らの住まいや領地から計画的なものや証拠品などは何一つ出て来てこない。我々の見解も武人として気高いドーマ伯爵がそんな姑息なことをするとも思ってはいない。


 だが、このままどこからも疑惑を解消する証拠が出てこなければ、今までの貢献など関係なくドーマ伯爵を拘束するしかない。そうなれば、その間はドーマ軍の指揮権は自動的にセルゲレン地方統括責任者であるセルゲレン侯爵へ移る。

 そうなる前に、この件はなんとしても解決をしたい。


「ドーマ領から送った使用人同士の顔確認は?」

「まだのようです」

「そうか」


 馬単体ならまだしも、道のない砂漠を使用人達を乗せて馬車で移動しているのだから、どうしても時間はかかってしまうのだが。


「追加で送る派遣隊がドーマ領に間に合うだろうか………」


 息が口から漏れる。


 先のイロニアス侯爵子息の話を参考に考るならば、あの時城にいた近衛の誰が伝令で走っても、結果は同じだっただろう。その目的は真犯人から目を逸らすためと、もう一つは……。

 その効果は絶大だった。傷口を広げると厄介な事になるのは確かで、私もそれに振り回されていた。


「……意外と手が込んでいるな」


 となれば、犯人の目論見はこんなところで終わるはずはない。今は帝城の基盤を揺れ動かした程度だ。

 予兆はなかったが、ルーア城での出来事は間違いなく本震で、アルノルド・キアラの件はそれに関連する余震なのだから、まだ揺れは来るはずだ。次の揺れは帝城周辺で間違いはない。


 近くにいた第一秘書のアンディーノは、私の独り言を聞いても、聞くだけで反応はしない。良い心がけだ。おかげでゆっくりと考えられる。

 そんな彼を横目に、急いで机の上に並ぶペンを指を動かして持ち上げると、少しズルをしながら白い用紙に文字を書き連ねる。それを見ていたアンディーノは、今度はほうほうと感心するような顔で机の上を覗き込んでくる。


「よくそれで同じ筆跡が同時に書けますよね。何度見ても不思議だ」

「練習の賜物だ。急ぎの連絡事項だけだから、まあいいだろう」


 数枚の用紙に文字を書き終えると、指をフイッと振る。用紙の上で踊っていたペン四本は元の位置へと戻って行った。

 最後に手でペンを持つと、それぞれに署名をしてそれを大小の封筒に入れた。


「キルギスが来るまで少し時間がある。この書類をリシェルの秘書に渡してきてくれ。それとこっちはイリヤに」

「かしこまりました」


 キルギスの話の時とは違い、落ち着いた様子で私から書類と手紙を受け取ると、アンディーノは頭を軽く下げて部屋を出ていく。

 誰もいない部屋の中で、生意気な子息の言葉と態度を思い出して息を小さく吐き出すと、机の下にある鍵のついた扉を開く。そこの棚にあった三通の内の一通を取り出した。

 封蝋の色が黄色の手紙。それを見つめてもう一度息を吐き出す。


 その黄色の封蝋には、細かい立髪を見事に模った伝説の動物である獅子(レオ)の顔が刻印され、それを苦々しい気持ちで見つめる。

 帝国の貴族や商会で、この紋や似た絵柄の紋を使うところは無い。だから余計に、これを見てから心に浮かんできた疑惑が拭えずにいた。


 トルスの一人息子の名前は“レオス“。

 その手紙を睨みつけて既に開封されている手紙を開くと、その書面に顔を歪ませる。



 ー キツキ・リトスは皇太子に据えることは国を転覆させると同義だ。賊子に死を



 まだ三歳の子供がこんな文面を書くわけが無い。だけど、彼の周りにいる人間達を考えれば、この手紙の犯人像としては粗方遠くはなかった。

 常に自分の権力と地位だけを考えているだけの人間達。国民の利益さえ一度だって口にしたことのない彼らから、大義や矜持なんてものは透けてすらこない。キツキ達が現れてからは、自分達の権威の失墜に恐れた第一皇子妃であるアリアンナ妃と父セルゲレン侯爵の妄言が、日に日に酷くなっていると伝え聞く。

 考えたくはないが、今回のキツキの件に彼らが関わっているのだとしたら、私でもトルスを守りきれないかもしれない。


「思い違いであって欲しい」


 手紙を握る手に、グッと力が入った。






 ****





 ー 帝城 セウス ー


 僕達の目の前で軽やかに翻り、急ぎ足で去っていく黒い髪の男性をノクロスさんと見送る。


「何だったんですかね、あれ」

「はは。お忙しい人だからね」

「忙しいだけなら誰でも出来ますよ」


 僕の刺々しい言葉にノクロスさんは苦笑いしかしない。


 そんなノクロスさんは僕に小言でも言うのかと思ったけれど、意外とあっさりと「あまり得意になっていると、帝城では足をとられるぞ」と注意するだけで終わってしまった。

 そのぐらいで足なんか取られないよ、なんて思いながら、僕はさっきのやり取りがあの人と似てたな、なんて昔の記憶が頭を横切った。


「ねえ、ノクロスさん」

「ん?」

「オズワードさんは、どうして僕にあんな質問をしていたのでしょうか?」

「あんな?」

「さっきの話みたいに、この場所に数人の先発兵が現れたら本隊はどこにいるかとか、兵糧の置き場所がとか、調査にはどのような人物を使うのか、とか。わざわざ図を描いてまで質問してきてたでしょ?」

「はは。それはオズワードさんの趣味のようなものでね。そんな質問をしたぐらいなんだから、セウスのことは気に入っていたんだよ」


 キツキにも同じようなことをよく質問していたよと、ノクロスさんは懐かしむように笑う。


「気に入っていたのに、ヒカリとの結婚は許してくれなかったんですか?」

「あー……。まぁ、いろいろと思うところがあったんだろうね」

「……僕は、どうすれば許されていたのかな」


 その質問にノクロスさんの眉は下がる。


「ヒカリ殿下には幸せに笑っていて欲しいと常々言っていたよ。それでなくてもライラ殿下によく似ておいでだったから、その気持ちは尚更強かったのかもしれないな」

「笑って………」


 確かに僕といるヒカリは、呆れ顔だったり、怒ったり、キョトンとした顔をする。それはそれでくるくる表情の変わる小動物みたいで見ていて可愛いかったけれど、確かに僕といて笑うのは、幸せで笑うと言うよりかは、何か可笑しな話で笑う事しかないな、なんて視線を上げる。


「ヒカリが幸せそうに笑う、か……」


 そう考えると、ふっと柔らかい表情で笑うヒカリの横顔を思い出す。それは村で見た顔で、彼女の視線の先にはいつも銀色の髪の男性がいた。


「……くそ」


 僕の口からは、そんな言葉が小さく漏れた。







 大階段を下がる途中、またしても顔を合わせたくない人に出会う。本当、今日はついていない。

 だけど、あちらは柔らかい表情をすると、足を止めた僕達に近付いてくる。


「ノクロス殿、本日はもうお帰りですか?」

「これはシキ殿。我々はしばらく帝都を離れますので、ヒカリ殿下にご挨拶に行ってきた帰りですよ」

「離れる?」

「ええ、しばらくナナクサ村へ。セウスが私の養子になることを了承してくれたので、その件で一度村長に報告をしに戻ります。戻るのは一ヶ月先になるかと思います」

「養子………?」


 一瞬、目の前の男性は驚いた顔をしたが、すぐにそれを潜めた。


「一ヶ月以上もですか?」

「行き帰りだけでも半月以上は使ってしまいますからね。中々戻る事も出来ないですし、どうせならゆっくりしてこようと思いまして」

「ゆっくり? ですが、ヒカリ……殿下は?」

「こちらの事情を理解していただき、笑顔で送りだしていただきました」

「そうでしたか……。ですが、そんなに空けて殿下は寂しがりませんか?」


 そんな事を真剣な顔で聞いてくる。

 本当なら僕がいない方が彼だって都合が良いはずなのに、自分よりもヒカリを第一に考えているその言葉が、なんだか自分の焦燥感が押し出されたような、押さえがたい気分になる。


 この人さえいなければ。

 この人さえ村に来なければ。


「大丈夫でしょう。ここ帝国にはヒカリを大事にしてくれているオズワードさんの弟さんもいるし、ライラさんの親族だっている。それに、ヒカリには浮気はしないように伝えてきましたから」


 知らぬ顔が出来ずに、ノクロスさんとシキの二人の間に口を挟んだ。

 僕の言葉に驚いた様子でシキは眉を顰める。


「殿下は、あなたの帰りを待ちわびていると思いますよ」


 その言葉に視線を下げると、口から失笑に近い息が漏れる。よくも心にも無いことを、この人は口に出せるものだ。


「冗談ですよ、シキさん。だけど、またヒカリを傷つけたら許しませんから」

「……傷?」


  シキはその言葉に身に覚えが無いのか、不可解な表情のまま一歩踏み出すが、その瞬間、安穏とした顔の下にくっついている首筋に向けて剣を引く。


「っ!」

「セウスっ!」


 僕の剣はシキの首筋の手前で止まる。相手も瞬間に剣を抜いたが、間に合わずに鞘からわずかな剣の歯を見せただけだ。

 僕の腕をグッと掴んだノクロスさんは、僕に鋭い視線をむけてくるが、僕の視線はシキから離れない。


 三人の足は動かない。だけど、ノクロスさんの手からグッと力が入っていくのだけはわかる。


「キツキみたいなことがヒカリの身に起これば、僕はためらわずに貴方のこの首を切り落とします。貴方の勝手でこんな危険な国にヒカリを連れてきたんだ。何かが彼女の身に起こってからでは遅いって事を忘れないでください」

「………」

「セウス! 剣を仕舞いなさい!!」


 ノクロスさんの大声に、静かだった周辺に人が集まり出す。


「緊急時以外、帝城での抜刀は禁止されている! 直ぐに仕舞いなさい!!」


 ノクロスさんの再三の怒声で、ゆっくりと首の近くから剣を遠ざける。その様子を見てノクロスさんは安堵したような表情をするが、目の前の人間だけは僕を凝視したままだった。


「……セウス殿、あなたのおっしゃる事はごもっともだ。私もそのつもりで殿下を護衛するつもりでいます。だが、“傷”とは何の話でしょうか。私は殿下に傷をつけた事は一度だってない」


 真剣なシキの表情に、僕の口からは乾いた笑いが(こぼ)れる。


「ははっ……、本気で言っていますか? まあ、いいや。あなたがわからずとも、ヒカリが未だにあなたに近付かないのが何よりの証拠だ。それか、ヒカリに信用されていないのか」

「……」

「いずれヒカリにつけた傷が、あなたを苦しめるのでしょうね」


 チラッと彼の顔を見る。僕の言葉に絶句しているシキにいい気味だとボソッと呟いた。

 表情から彼自身も、ヒカリが遠巻きに見て近付いて来ない事に気が付いているんだ。その原因を本人は知らない。

 ヒカリの体が壊れるまで苦しめた彼に、その答えを教えて楽になんてさせる気はない。ヒカリ以上に苦しめば良い。


「僕達はこれで。留守の間は任せました」

「………ええ、お気をつけて」


 丁寧に礼をするシキを横目に、そのまま彼の横をすり抜ける。ノクロスさんは軽く挨拶をすると、早足の僕を追いかけていた。


「……気は澄んだか?」

「全く。微塵も」

「さっきの事で人が集まって来たからな。帰って来たら帝城から沙汰が出てるかもしれないぞ」

「黒髪の人に罪を被せましょう」

「出来るわけないだろ。抜刀はクスフォス宰相補佐官は関係ないだろ?」

「ここから追い出されなきゃ、僕だってあんなことやっていませんよ」

「セウス、それは屁理屈って言うんだ」


 イラッとした僕は足を止めて振り返ると、ノクロスさんを睨みつけた。


「この国の方がよっぽど屁理屈ですよ! ライラさんの孫って事だけで、何も知らずにやってきたヒカリに、どれほどの重責を負わせようとしているんですか!! 皇帝だの結婚相手だの、更には自由にここから出る事さえ許されない!!」


 僕の顔を見たノクロスさんは視線を下に逸らすと、腰に手を当てて重いため息をついた。


「………外は、危険だからな」

「ヒカリをライラさんの孫としか考えていない人しかいないこの城が、安全とはとても思えませんけどね」


 僕の言葉にノクロスさんは閉口する。グッと目を閉じると小さな息を一つだけ吐いた。


「じゃ、さっさと用事を片付けて帰ってくるか」

「……ええ」


 ノクロスさんの意見に同意すると前を向いた。


「帰ってきたら、あの黒髪の人を一発殴ってやりたいですよ」

「やめろ。一瞬で俺の家がお取り潰しだ」

「一代限りの儚い命でしたね」

「……やめてくれ」

「僕はヒカリと村が守れるのなら、地位とかどうでもいいです」

「セウス。今回の事は……」


 ノクロスさんは言い辛そうに口籠(くちごも)る。


「謝らないでくださいね。ノクロスさんのお人好しなところは、僕は嫌いでは無いですよ」

「セウス………」


 しばらく歩くと、後ろを歩いていたノクロスさんは僕の横を歩き出した。


「頼りにしているよ、息子」

「ええ、父さん」


 その言葉に、ノクロスさんは少しだけ恥ずかしそうに笑った。


<連絡メモ>

数日の内に、次のカロスの回想話を修正したものをUPする予定です。


<独り言メモ>

次の話に移ろうとしたら、とある話のフラグが回収されないことに気づき、慌ててプロット(予定表)見たらやっぱりこの先も今回の話が入るタイミングもないことに気がついて、大慌てで追加作成しました(汗)。裏話的なものも、この際と一緒に書いてみました。二週間の遅刻ですが、次の話に移る前に気づいて良かったです。

 追加した話の関係で、この後のカロスの回想話を若干手直しと加筆して、次のセクションも手直しが必要な部分が出て来たので、やっぱりこのままズルズルと遅れていくかもしれません。orz


<人物メモ>

【キツキ/リトス侯爵(キツキ・リトス)】

 ヒカリの双子の兄でリトス侯爵。帝国の皇位継承権一位。とある宴で毒を飲んで血を吐いて倒れた。帝城で寝たきりのまま保護されている。


【ヒカリ/バシリッサ公爵(ヒカリ・リトス)】

 キツキの双子の妹。バシリッサ公爵。帝国の皇位継承権一位。キツキが倒れてからは、帝城の部屋で大量の護衛達に囲まれる日々を過ごす。


【カロス/クシフォス宰相補佐官(カロス・クシフォス)】

 魔力が異次元な筆頭宰相補佐官。将軍の愚息で皇帝の甥っ子。キツキの事件で、難しいかじ取りを迫られている模様。


【セウス】

 キツキの故郷であるナナクサ村の村長の息子。キツキとヒカリが心配でヒカリについて帝国までやってきた。表向きはヒカリの恋人。帝国では伝説になりかけていた剣豪ノクロスの弟子で、様々な事情から養子となる。


【ノクロスさん/イロニアス侯爵(ノクロス・イロニアス 旧:ノクロス・パルマコス)】

 帝国の剣豪で元は近衛騎士だった。ナナクサ村のある孤島に漂流したが、帝国へともどり、イロニアス侯爵を賜る。弟子として可愛がっていたセウスを養子にした。


【シキ(ラシェキス・へーリオス)】

 銀髪金眼。ヘーリオス侯爵家の次男。帝国の近衛騎士試験を一発で合格する。今回の編成でヒカリ専属の近衛騎士分隊の副隊長となる。ナナクサ村へ漂流してきて、ヒカリを帝国へと連れ帰ってきた人物。

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