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Slime! スライム! Slime!  作者: 笹餅よもぎ
第三章
175/219

揺れ動くもの5

 ****


 - 帝城闘技場 シキ -


 貴賓席から下へと走っていったヒカリを追いかけたが、辿り着いた先の目に映る光景に、得も言えぬ感情がこみ上げる。それはオズワード殿の墓の前で感じた感情そのままで、苦くすっぱみのある味がこみ上げてくるのをグッと我慢するように手を握り締める。

 いつから二人はこんな仲になっていたのだろうか。

 二人の抱擁する姿をこれ以上は見ていられなくて、近くで呆然と放心しているランドルフに手を差し伸べた。


「ランドルフ、大丈夫か?」


 その言葉にランドルフは返事をしない。彼は手を握りしめて、何かを我慢するかのようにブルブルと肩を震わせていた。それは自信家のランドルフが見せたことのない姿だった。

 彼もまた、二人の姿を口惜しそうに睨みつけている。それが剣で負けたというよりかは、別の意味の方が強い気がして、ランドルフのその様子に困ったなって視線を下げた。


 ー 陛下からご説明があった通り、私はバシリッサ公爵の婚約者に、三男のランドルフを薦めようと思っております。


 叔父の大貴族院での発言。

 あれはもう取り消す事は出来ないだろう。

 今回の試合で一時的にはセウスには軍配が上がったが、それは長続きしないだろうな。いずれは権力の強いクラーディ公爵家に、ヒカリは巻き取られてしまうだろう。


 先々帝との密約。

 そんな約束事が交わされていただなんて聞いたことが無かった。

 先の議会で語られた陛下の話を反芻するように頭に繰り返すと、もう自分が手出しが出来る状況ではないのだと、何度も自分に言い聞かせる。


 叔父が昔ライラ殿下の婚約者だったという話は、母から聞いていたから知っていた。ライラ殿下が行方不明になられてからは、随分と人が変わられたという話も。皇女との婚約を破棄せずに帰りを待ち続けていた叔父が、その十年後にはクラーディ公爵を継いで別の人と結婚した理由がその密約だったのだろう。


 ふーっと長い息を吐き出すと、ランドルフの腕を引く。


「俺はここに残る」

「ランドルフ」

「何があっても、姫から離れない」

「だけど」


 ランドルフを説得しようとした時だった。後ろからグイッと肩を引っ張られた。


「ラシェキス、止めておけ」


 俺の肩を引いたのはアトラスだった。


「アトラス?」

「ちょっと、こっちに来い」

「なんだよ?」


 引っ張られるまま、ランドルフから少し離れる。


「お前、聞いていなかったのか? 公子が護衛になった事」

「護衛? 誰の?」

「ヒカリ殿下だ」

「? ランドルフは帝国軍じゃないだろ?」

「ちがう。直接リトス家に雇われた」


 そういえば、大貴族院で叔父上が護衛につけたと言っていたな。それにしても、直接とは。


「リトス家直属ってことか?」

「ああ。帝国でもクラーディ家でもない。リトス家私設の護衛としてだ」

「誰がそんな許可を? キツキ……殿下はまだ目を覚まされてはいない」

「リトス卿が許可を出されて、ヒカリ殿下も承諾された。午前に卿が来られたときに、そう説明されたそうだ」


 そういえば、今日はランドルフに振り回されて、申し送りの時間の途中で入り込んだのだ。

 着任早々、ぎりぎりの交代だなんて最悪だ。

 自分の失態に、手を顔に当てて俯く。


「ラシェキス。今日はギリギリの時間だったようだけど、誰の護衛かお前はわかっているか?」


 アトラスに強い視線で責められる。


「ああ。わかっている。面倒をかけてしまってすまない」

「こんなミスはもうするなよ?」

「ああ、勿論だ」

「ならいい。だから公子への指示はこちらは出来ない。足を引っ張られる時には引き離すが、クラーディ軍の副団長が足手纏いになるとも思えない」

「そうだな」


 ランドルフは先程まで握りしめていた手をいつの間にか緩めると、その場でヒカリ達が動き出すまで直立していた。

 凛とした顔で、さっきまでの悔しそうな顔を潜めると、彼は護衛の顔をする。


「強いな……」


 どうすればその境地になれるのか。

 そうせざるを得なかったとはいえ、それでも彼女の傍を離れたことを後悔し始めているのに。


「……負けていられないな」

「俺にか? 入隊年齢は負けたけれど、仕事でお前には負ける気はないからな?」


 アトラスは俺の言葉を勘違いしたようで、俺に宣戦布告を突きつけてくる。子供の頃からの負けず嫌いで、大人になっても変わらないアトラスを見るとフッと笑ってしまう。


「ん?」

「はは、わかったよ。俺も負けないように頑張るよ」

「ああ、仕事に励め」


 そう言ってアトラスは、生意気な奴めと前方から見えないように俺の後頭部の髪をワシワシと握ると、整えてきた髪をぐちゃぐちゃにしてくれた。





 ****





 - 帝城闘技場 カロス -


 手摺りに腰を掛けながら、ヒカリを抱きしめる青年をじっと見つめると、陛下は黙考される。

 ほとんどの議員が去った観戦席は閑散として、周囲には我々と護衛の姿しかない。

 しばらく無言だった陛下は口を開くと、ため息交じりの息を吐いた。


「参ったね。うちの騎士が惨敗か」

「そのようですね」

「あれが、ヒカリの恋人と言う名の狂信者か」

「ええ」

「彼の使い道は?」

「様々に」

「カロスがそう言うとは、珍しい」

「彼ほどキツキ殿下とヒカリ殿下を裏切らない人間はいませんので」

「お前は?」


 陛下はチラッと横目で私を見る。


「……既に裏切っております」

「………例の件、上手くいきそうか?」

「はい」

「そういえば、それに彼が関わっているんだったな?」

「ええ。重要人物です」

「そうか。雑には扱えないか」

「事が済むまでは」

「そっちはどうなっている?」

「少しずつ動いています。今は必要なものを秘密裏に移動させています」

「気づかれていないか?」

「今のところ。実行班はこちら側の人間だけで構成しています」

「いつまでに探し当てられる?」

「一ヶ月以内には」

「そうか。出来るだけ急げ。奴らに勘づかれる前に、こちらの正統性を証明出来るようにしておけ」

「はっ」


 陛下に礼を向ける。私を一瞥すると、陛下は再び二人に視線を流した。


「それにしても、彼は少し邪魔だね。このままではクラーディ公爵家や周辺の貴族と余計な揉め事が出てきそうだ。私としても、先々帝との約束は無視したい訳ではないのだが、それでもヒカリに先々帝との約束を当てたくはなかったな」

「ええ。ですが、ヒカリ殿下の容姿に強く惹かれてしまったのでしょうね。それでなくてもクラーディ公爵一族には未婚の令嬢がいませんから、おのずとヒカリ殿下に的が当たる」

「見事に男ばかりだ」


 困ったねと陛下は呟く。


「セウスの実力は想定以上だったな」

「近衛騎士よりも強いというイメージはもう覆せないでしょうね」

「そのようだ。今日のクラーディ公の顔を見たか? 皆の前で息子が負けたものだから、あの青年を殺しかねないような気迫だったな」

「ヒカリ殿下の側から離れないのなら、可能性はありますね」

「彼がもう少し離れてくれれば、クラーディ公の溜飲が下がるのだがな。……出来るか?」

「どうでしょう」


 とぼけるようにあらぬ方向に視線を動かすと、陛下にはそれわかったのかチラッと睨んでくる。

 陛下はどちらも捨てたくは無いのだろう。


「では、しばらくの間父親と一緒に散歩に出掛けてもらいましょうか。親孝行も出来ますし、きっと良い思い出になりましょう」

「期間は?」

「一ヶ月と少しは」

「もう少し長くて良いが、まあ良い。そちらは任せる」

「御意」


 頭を下げるが、陛下はこちらを見ずに、また黙考をされる。どうやらまだ用事があるようだ。


「キツキはどうだ?」

「明日から、面会を止めます」

「そうか。準備は整ったのか?」

「はい」

「それについては、今後も細かく報告をしろ」

「はっ」

「それと……」

「はい?」

「トルスはどうだ?」


 ………トルス。


「皇子は未だ宮殿に引きこもっています」


 私の返事を聞くと、陛下は顔を顰めると「そうか」と一言だけ呟いた。


「今回の件、トルスが関わっている可能性はどのくらいだ?」

「……ゼロではありません」


 どちらかと言えば、少し高めでもある。

 私の答えに重い息を吐かれると、ずっと下を見ていた陛下は立ち上がって私に視線を送る。


「必要があれば、クリュスタロス侯爵も探れ」

「……よろしいのですか?」


 クリュスタロス侯爵家は、皇后陛下のご実家だ。

 今まで暗黙的に不可侵の家門だったが、陛下はそこまで調査範囲を拡大させるつもりでいる。つまりは今回の件で、不可侵はないのだと内外に示すつもりなのだろう。


「では、セルゲレン侯爵も……」

「何度も聞くな」

「失礼を」

「カロス」

「はい」

「今度の件が全て無事に終われば、キツキの皇太子の儀と共に、お前が宰相に上がれ」


 下げていた視線を上げる。自分と同じ黄金色の瞳と交わる。冗談を言っている瞳ではなかった。


「……よろしいのですか?」


 宰相であるラリス侯爵は病床でも、中々退任する姿勢は見せなかったが。


「例の物が見つかれば、もう誰からも縛られることはない。それに、お前以上に()を支えられる人間はいないだろう」


 陛下はフッと笑う。


「ありがとうございます」

「目的達成まで、油断をするなよ?」

「はっ」

「では、下がれ」


 頭を下げると、その場を翻って闘技場を後にした。





 ****





 シキが私の専属護衛になってから、四日目。

 私はシキとはまだ一言も言葉を交わしていない。


 日に日に勢力を増す太陽の下で、天幕を広げたバルコニーのテーブルで冷えたお茶を飲みながら、私は仕事中のシキの背中を目で追っていた。だけど、シキがこっちを向く度に、私は視線をあらぬ方向へと向けてしまう。

 そう、言葉どころか、視線すら交わせずにいた。



「無視はダメなんじゃないですか?」


 向かいに座るセウスがそんな台詞(セリフ)を棒読みをする。

 なんで棒読みなのよ。


「無視しているわけじゃないもん」

「へぇ。一緒に帝国まで戻ってきた仲なのに、交わす言葉も無いなんて寂しい関係だね」

「放っておいて!」

「はいはいー」


 セウスは私からの言葉を流すと、手をひらひらとさせる。むっか。

 だけどセウスが言うように、現状はそうなってしまっている。私から声をかけないのだから、仕事中のシキが無駄口を叩くはずもなく、シキは淡々と仕事をこなすだけで近付いてはこない。

 それなのに、小心者の私の目は何度もシキの背中を追ってしまう。勝手に熱くなる頬を隠すようにお茶の入ったカップを持ち上げた。シキは事務官の持ってきたメモに目を落としながら近くにいた騎士に指示を出す。そんな仕事をするシキの姿を横目で見るんだけど、シキの周囲だけは女性騎士が異様に多い。


 軍務省の方から、私の警備を厚くするとの目的で、近衛騎士や上級騎士に少ない女性をカバーするように、正騎士の女性班を派遣してきた。シキは副隊長だから、そういった近衛以外の隊との連携に調整役として活躍しているようなのだが、シキからの指示の一つ一つに、私より年上の女性達はこれまた可愛らしい声で返事をする。彼女らも騎士服を着ているのだが、凛々しさよりも愛らしさが全面に出ているのは、私の思い違いではないはずだ。


「見て見てヒカリ。モテてるよ、シキさん」


 放っておけと言ったのに、目の前の悪魔(セウス)は懲りない。それどころか、女性達に囲まれるシキを見ながら、「面白いねー」なんて言ってシキの観察に私を巻き込もうとしている。チラッと横目で見ていても、さっきからシキがどこへ動こうとも、必ずその横を女性達が付き添うように歩く。

 セウスはテーブルに出されたお菓子をひとつまみして半分口に入れると、もぐもぐしながら頬杖をつく。


「あれは狙われてるね-」


 セウスの言葉にイラッとする。


「良いの〜? あれを許しといて」

「……仕事しているだけでしょ?」


 セウスは手に残っていたお菓子を飲み込むと、「ふーん」って納得していない顔を私に向ける。


「シキさんの婚約が破談になったんだから当然か。あれだけ容姿が良くて、近衛騎士で、高位貴族なら周囲が放っておかないんだろうね。ほら、あの子なんか何気なくシキさんに触ってるし」


 思わずセウスの指さす方へと視線が向いてしまう。シキは腕に女性の手が触れていても振り払おうとはしない。その様子を盗み見ながらムッとする。


「シキさんも満更じゃないのかな?」


 煙ったそうな顔をしたセウスがまたお菓子を口に運ぶ。

 満更じゃない。確かにそうなのかな。さっきから嫌そうな顔一つしないし、女性達の距離が少しずつ縮まっているようにも見える。これじゃあ、結婚の話が無くなったっていずれは………。


「誰かと付き合っちゃうかもしれないしね?」

「心を読むのをやめて!」


 私が強く反応すると、セウスはおかしそうに笑う。こんにゃろう。


「こんなにわかりきった態度なのに、シキさんも鈍感なのかな?」


 放っておいてと言ったのに、全然効果のないセウスをギロッと睨みつける。

 私に睨まれたセウスは悪かったよと謝ると、またお菓子に手を伸ばした。


「ちょっと食べ過ぎじゃない?」


 私のお菓子をもぐもぐと。


「……ストレスの解消だよ」

「ストレス?」


 悪魔にストレスなんてあるのだろうか。


「いや、それ私のお菓子だから。取らないでよ」


 そう言うけれど、セウスはチラッと私の顔を見ただけで食べるのをやめない。


「で、さ。ヒカリは結局………」

「うん?」

「いや、何でもない。でも、本当にいいの? 話かけなくて。彼女ら結構遠慮が無い様に見えるけど」

「……どうやって?」

「本当、君は困った子だね」

「ぐぅ」


 ぐうの音だけは出したけれど、確かにセウスに言われた通りだ。なんとも困ったイジイジ虫だ。

 呆れ顔のセウスはそうは言うものの、手助けしてくれる素振りはない。


「まっ、そっちの方が僕には都合がいいけれど」


 セウスは手に残っていた菓子を口に放り込むと、だらけていた体をセウスは起こす。私と真っ直ぐに向いたセウスの顔はどこか重い表情だった。


「ヒカリ、明日から僕はここには来れなくなる」

「なんでよ?」

「それと、夜はもう一緒には寝られない」

「だから、なんでよ?」

「僕はノクロスさんのイロニアス侯爵を継ぐことにした」


 イロニアス侯爵。イロニアス侯爵を賜ったノクロスおじさんが、セウスに継がせたいという希望は知っていたけれど、いつの間にそんな話が纏まったのか。


「いつ?」

「継承は明日」


 明日?


「そんなに急に決まったの?」

「そう。知らない間にトントンとね」


 知らぬ間? と首を傾げるが、絡め取られたよと目の前のセウスはどこか怒っているようにも見える。


「じゃあ、私も継承式に見学に………」

「あ、それは駄目」

「何で?」


 貴族なら誰でも参加できるはずなのに。


「僕の継承は内密でやるんだ。公表は、キツキの意識が戻ってからするって」

「そうなんだ。それって私に言っても大丈夫だったの?」

「許可はもらったよ。ヒカリに内緒にしたくなかったから」

「そう」

「それと、継承式が済んだら僕はノクロスさんのいる西宝殿に住むことになった」

「じゃあ、今度からそこから帝城に通うの?」

「そのことなんだけど………」


 セウスは強い視線を下へと逸らす。

 セウスが深刻な顔をするのは珍しいな。


「……継承式が終われば、僕はノクロスさんと一緒に、一度ナナクサ村へ戻って父に報告しにいくつもりだ」

「報告……」


 そりゃそうだな。親子関係を崩さなくて良いとノクロスおじさんが言っていたけれど、実父である村長に報告は必要だろうな。


「ふーん。わかった」


 真剣なセウスの前で、私は頷いて見せる。


「で、ヒカリ」

「ん?」

「僕のいない間に浮気はしないようにね」


 浮気?

 何を言っているのか、このセウスさんは。


「誰とよ?」

「……シキさんとか?」


 その返答に私はお茶の入ったカップを傾けてしまう。あわや服が大惨事になる前に、落ちゆくカップを片方の手で受け止めてそれを喰い止める。そう熱くはなかったけれど、私は慌ててカップをソーサーに戻した。


「な、ななな何言ってるのよ?!」

「その様子なら心配はなさそうだね。まあ、だけど他にも面倒なのがいるから、ね?」


 そう言ってセウスは何故かランドルフに視線を流す。


「夜は絶対に男だけの護衛にはしないこと。いいね?」


 そんなの私が決められるわけないじゃん。


「あ、え、そうなったら私一人で寝るの?」


 魔素が勝手に漏れちゃうから今まで誰かから魔力を手に入れてもらっていたり、セウスが添い寝していたんだけど、それが明日からいなくなってしまうと思うと不安が膨れていく。


「そのことだけど、もう大丈夫そうだよ?」

「え?」

「ヒカリの魔素漏れ。昨夜ヒカリが寝てからそーっと離れて一時間程見ていたけれど、口からヨダレは垂れていたけれど、体から魔素は漏れていなかったよ」


 それは一時間も間抜けな寝顔を見られてたって事か。


「治ったってこと?」

「おそらく。魔素が漏れてしまった原因が消えたからじゃない?」

「原因……」


 そういえば、原因ってなんだったっけと考え込む私を見て、セウスは顔を顰める。


「あー、やだやだ。自覚の薄い人は。あっさりと治っちゃうしね」

「治って何が悪いのよ? セウスだって解放されるじゃない」

「そうだけど、それはそれで嫌なの」


 なんだ、その面倒臭い考え方は。

 まあ、ともあれ。


「大丈夫じゃない? 護衛が滅茶苦茶増えたし」

「増えたから役立つとは思えないけどね」


 セウスは周囲をグルッと周囲にいる護衛の顔を見回す。


「もう、そんなことを言って」

「そういえばさ。村に来ていた護衛で数人見なくなったけど、ヒカリの専属ではなくなったの? 今は別の人の護衛?」

「……さあ、知らないな」


 そんな時、ちょうど視線の交わったアトラスに手招きをする。周囲を警戒していたアトラスはなんだろうといった顏で近付いて来た。


「御用でしょうか、ヒカリ殿下?」

「あ、うん。大したことじゃないけど、以前私の護衛をしていた他の人って、誰かの護衛に回ったの?」

「ええ。以前分隊長をされていたハムイさんは、キツキ殿下の専属の隊長になられました」

「へぇ」


 一つの疑問が消えると、もう一つの疑問が沸いてきた。


「じゃあ、以前キツキ側の隊長をやられていた、えっと………アデルさんはどうしたの?」


 その質問にアトラスは表情を変えると一瞬視線を逸らした。

 あ、これは聞いちゃダメだったかな?


「あ、ええっと」

「ヒカリが聞いたことだから、諸事情を気にしないで答えていいよ」


 頬杖をついたセウスが口を挟む。それを聞いたアトラスは視線をもう一度逸らすと、グッと口に力を入れてから話し始めた。


「アデルさんは、今回の事件を受けて左遷になりました。キツキ殿下の護衛だった他数名も」

「え?!」

「……そうか。そうだよね」


 驚く私とは打って変わって、目の前のセウスは冷静な顏で受け止めていた。


「ど、どうして?」

「ヒカリ。護衛対象のキツキが毒で倒れたんだ。帝国側からみたら、彼らは大きな失敗をしたんだ」

「で、でも」

「失敗した人間をずっと同じ地位につけては置けなかったんだろ」

「そんな! 毒を盛ったのは彼らではないのに?」

「そうだけど、それからキツキを護るのが彼らの仕事だったんだよ」


 セウスの冷たい視線にグッと言葉を詰まらせる。


「アデルさん達は近衛騎士を解職された訳ではありませんので、どうか殿下はあまり気落ちなさいませんように」


 アトラスは優しい表情で狼狽している私に諭す。周囲は大声を出した私に何事かと視線を集中させている。まずい。これ以上私が取り乱せばアトラスに迷惑を掛けるかもしれないと思って、私はなんとか自分の気持ちを落ち着けさせると、深呼吸をして落ち着いた口調でアトラスに質問を続けた。


「どこいったの? アデルさん」

「あ、と。そこまでは………」


 解職まではって言っていたけれど、それに近い処分が下ったって事でしょ?

 これ以上は言えないなといった顏でアトラスは視線を逸らすけど。


「教えて」


 私は喰らいつく。


「辺境へ送られたらしいと噂で聞きました」

「辺境………」

「国の境ら辺ってことだよ」

「危険なところ?」

「正確な場所までは知らないのです」


 申し訳なさそうな表情のアトラスに、これ以上は聞けそうになかった。


「そうか」

「近衛騎士を辞めさせられていないなら、いずれは戻ってくるんじゃない?」

「だといいけど………。あ、アトラスありがとう。戻って良いよ」


 アトラスは私達に礼を向けて元の位置に戻っていった。


「と、いうことだ」

「何が、ということよ?」

「ヒカリが問題を起こしたり、事件に巻き込まれでもしたら彼らに影響があるってことだよ。だから、僕が戻ってくるまでには静かにしていてよね?」

「私はいつだって静かよ?」


 その返答にセウスは訝し気な顏で視線を上にする。


「あー、そうだったね。いつでも問題はあっちからやってくるんだったよね、ヒカリは」

「まるで私がトラブルを引き寄せているかのような言い方をやめてよ」

「魔物の巣に落ちたのも偶然だし、ライラさんを探していたシキさんにあんな広い森で出会ったのも偶然だよね」

「そうよ、全ては偶然よ」

「だよねぇ」


 そう言って、セウスはわざとらしく笑う。


「その言い方だと、シキに森で会ったのが悪かったみたいな言い方ね」

「僕からしたらね。おかげでヒカリを村から連れ去られて、彼の国ではヒカリはお姫様扱いで、僕達は昔のように簡単にヒカリに話かけることも出来なくなった」


 確かに、村に帰っても護衛がついていて、村の人遠巻きに私を見ていた。


「ご、ごめん」

「だから、せめて村にいる時は護衛を侍らせないでよ。村の人達が寂しがるからね」

「わかった。協力してもらうように護衛にお願いするよ」

「うん」


 どことなく安心したような顏でセウスは頷く。


「でだ。ヒカリ」


 下げていた視線をセウスは上げると、立ち上がって私に近付く。私の手を取ると私を椅子から立たせた。


「何?」

「しばらく僕は君の隣を留守にする」

「うん? うん、そうね」


 ナナクサ村に戻るんだしね。


「絶対に僕意外の男に横を歩かせないようにね。特に銀髪の人間には」


 セウスの視線は私の頭を越えて、ランドルフに向いているようだ。


「ランドルフは無いから大丈夫よ」


 絶対にないない。

 そう言うけれど、セウスはどことなく疑った目をしている。


「じゃあその証明としてさ」


 セウスは顔を私の耳元に近付ける。


「僕にキスをしてよ」


 何だと?


「何で?!」


 こんな場所で?


「僕からヒカリにキスはしないって約束したからね。ヒカリからじゃないと」


 今まで散々、勝手にキスしようとしたくせに。


「唇が一番だけど、恥ずかしいならほっぺでもいいよ?」


 嬉しそうにそんなことを言い出す。


「恥ずかしいとかじゃなくてっ!」


 何でしなきゃいけないのだ。


「………闘技場で頑張ったんだけどなー。このぐらいのご褒美なら良いと思うんだけどなー」

「うぐっ」


 昨日の話を持ち出されると弱くなる。あれは本当に迷惑を掛けたから。

 グッと手を握るけど、恥ずかしくて出来ない。


「ここじゃないとダメなの?」

「ここだから効果があるんだよ。恥ずかしいなら、僕をオズワードさんとかキツキでも思ってくれれば良いよ。おやすみのキスのつもりでさ」

「うぐぐ」


 とは言ってもセウスはおじいちゃんじゃないし、キツキでもない。

 だけど、私達が立ち上がってからずっと動かず仕舞いで、周囲の視線は何事かと集中しだす。でも、セウスはさっきの言葉を撤回しそうにないし、はやくはやくといった顏で私を見ている。これはグダグダしていると危険な気がするから、さっさと済ませた方が良さそうだ。シキは女性騎士と話中でこちらを見ていない。今ならば。

 グイッとセウスの腕を引くと、つま先に力を入れる。

 近付いたセウスの頬にキスをすると、プイッとそっぽを向いた。

 しばらくセウスは動かない。私も動かない。周囲も動かない。ただ、ザワザワとした小さな雑音が聞こえるだけ。


「こ、これでいい?」

「あ、ああ」


 言い出したはずのセウスが動揺している。


「唇は、やっぱダメ?」

「駄目」


 ダメというよりかは出来ない。


「ま、いいか。これで頑張れそうだ」


 頑張る?


「あ、ナナクサまでの道のりは通りから気を付けてね」

「わかった」


 そう言ってセウスは嬉しそうに笑った。

 

<人物メモ>

【キツキ/リトス侯爵(キツキ・リトス)】

 ヒカリの双子の兄。祖父の家の爵位を継いでリトス侯爵となる。

 シキが近衛試験に合格したとの一報がキツキの元に入った矢先、人々を招いていた宴で毒を飲み、血を吐いて倒れた。いまだに意識が戻らずに帝城で保護されている。


【ヒカリ/バシリッサ公爵(ヒカリ・リトス)】

 キツキの双子の妹。バシリッサ公爵。故郷のナナクサ村にいたが、キツキの一大事で帝都へ戻ってきた。

 近衛騎士以外にも上級騎士などの護衛をつけられているのに、さらに護衛がつく模様。


【セウス】

 キツキの故郷であるナナクサ村の村長の息子。キツキとヒカリが心配でヒカリについて帝国までやってきた。表向きはヒカリの恋人。帝国では伝説になりかけていた剣豪ノクロスの弟子。


【シキ(ラシェキス・へーリオス)】

 銀髪金眼。ヘーリオス侯爵家の次男。帝国の近衛騎士試験を一発で合格する。今回の編成でヒカリ専属の近衛騎士分隊の副隊長となる。ナナクサ村へ漂流してきて、ヒカリを帝国へと連れ帰ってきた人物でもある。


【ノクロスおじさん/イロニアス侯爵(ノクロス・イロニアス 旧:ノクロス・パルマコス)】

 帝国の剣豪で元は近衛騎士だった。ナナクサ村のある孤島に漂流したが、帝国へともどり、イロニアス侯爵を賜る。


【ランドルフ(ランドルフ・クラーディ)】

 クラーディ公爵の三男。銀髪銀眼でリシェルとシキの従兄弟。とある理由で帝都へ戻ってきていたけれど、父の勧め(思惑?)でヒカリの護衛になることとなった。昔に交わされた密約のおかげで、ヒカリの婚約者の地位に立とうとしていたが、セウスに試合で負ける。


【アデル(アデル・ポートラー)】

 キツキの専属近衛分隊長だった騎士。今回の事件で担当を外された上に左遷されたと噂されている。


【ハムイ(ハムイ・ロンバース)】

 ヒカリ専属近衛分隊長だった騎士。今はキツキ側の専属へと移動した。落ち着いた性格の褐色肌の男性。



※以下略(アトラス)

※添え名は省略

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