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Slime! スライム! Slime!  作者: 笹餅よもぎ
第三章
174/219

揺れ動くもの4

 ****





 - 帝城廊下 カロス -


 キルギスの引き渡しが無事に済み、一度皇務省に戻るリシェルと肩を並べながら長い廊下を歩く。

 リトス卿にキルギスの承諾を貰えたまでは良かったのだが、まさかクラーディ公爵までもが同じことをやってくるとは思っていなかった。


「キルギスさんを、ヒカリ殿下の護衛にするとはな」


 周囲に人がいなくなったのを見計らったかのように、静かだったリシェルは口を開いた。


「彼を殿下の護衛にした理由は?」

「………」

「現役を退いたキルギスさんを、わざわざ彼の仕事を止めさせてまで継承権第二位であるヒカリ殿下の護衛にしようだなんて、普通じゃないよな?」


 リシェルは顔を覗き込もうとするが、私は足を止めずに進む。

 少しだけ足を止めてしまったリシェルが後ろから追いかけてくる。


「俺にまだ話していないことがあるんじゃないのか?」


 その声を無視して、スタスタと歩き続ける。


「おい、カロス!」

「………リシェル。私の執務室に寄ってくれませんか?」


 リシェルはムッとしつつも、承諾したようで静かに歩き出す。


 帝国の宰相補佐官は四名。その補佐官同士の仕事場である執務室はそれぞれに離れている。それはそれぞれの補佐官に任された仕事に機密性を保たせるためでもあり、補佐官同士でもお互いに言えない仕事をしていることは多い。


「ようやく話す気になったか」


 リシェルは慣れた様子で執務室横の応接室に入って椅子に腰をかけると、腕を組みながら私を睨むように見上げる。その視線を煩わしく感じながらも向かいの椅子に座った。


「廊下で話すことではないと思いましたので」

「それで、キルギスさんを護衛に据えた理由は?」

「その前に、今朝話した派閥を含めて、リシェルはどの派閥の人間ならキツキとヒカリを害さないと思いますか?」

「お二人を?」

「ええ」


 私からの質問に、そうだなとリシェルは素直に考え出す。


「皇帝派……いや、陛下派と呼ぶか。彼らは陛下とそのご家族中心だからお二人は邪魔だろうな」

「ええ」

「アリアンナ妃派は、トルス皇子かご子息のレオス様を皇位につかせたいだろうから……」

「今のところ最も危険視している派閥ですね」

「言わずもがなだな。‥‥‥では、回顧派と貴族派は?」


 私からの質問を、リシェルは私に返してくる。


「回顧派は基本的にはキツキとヒカリの味方でしょうが、今回の事件のせいでキツキとヒカリのどちらに重点を置くかで最近は意見が割れているようです。しばらくすればここも二つに割れることでしょう。実害が出る可能性は低いですが、お互いの派閥が相手を攻撃し出すかもしれません。貴族派は自分達の利益が害されなければ静かですが、それが害されるとわかればすぐに手の平を返すでしょうね。無派は特におかしな動きはないかと思います」

「で、結局一番信用できるのは?」


 前に屈むとリシェルはさらに質問を続けた。その質問にため息一つついてから答えた。


「……将軍派、なんですよねぇ」

「おいおい、嫌そうな声を出すなよ」


 最後の最後まで将軍派の名を出さなかったあたり、リシェルも私の言いたいことは勘付いていたのだろう。

 将軍派は、父が長年失われた皇女を探していた事を知っている。その念願が叶った今、あの二人を護ろうと動くだろう。間違っても、皇位につく気の無い父や私を担ぎ出す人達ではない。


「それで? 派閥については俺も大体把握をしているつもりだが」

「今や帝城の中身は、陛下派とアリアンナ妃派の人間だけでも半分になります」

「アリアンナ妃派だけでは?」

「少なくとも、帝城の五分の一になるのではと見ています」

「いつの間にか巨大勢力だな」

「ええ。百人いたら二十人ですからね。千人いれば二百人。妃になって五年でまあ、頑張りましたよね」

「つまり、帝城の半分が殿下お二人の対抗勢力だとすると、軍務省の半分だってそうなのだろうとカロスは言いたい訳だな?」


 リシェルは腕組みをしながら首を傾げる。その答えに私は無言を返す。


「で、その軍務省の人間が信用できないものだから、カロスはキルギスさんをヒカリ殿下直属の護衛に据えたと」

「はっきりおっしゃいますね」

「もうそれしかないだろ? 決まっていた近衛の配置を変えたのもそのためか?」

「ええ、そういった理由もあります」


「そういった理由も、ねえ」とリシェルは言葉尻に不満を表す。


「キツキとヒカリの二人の専属近衛騎士を、極力、中立の人間か将軍派の人間で構成し、不信がられないように、二つの派閥の人間は極力白だとわかる人間を入れました」

「全く外せなかったと」

「ええ。継承順位の一位と二位の護衛に自分達の派閥の人間が入っていなければ、いずれは問題や不満として槍玉に挙げて来るでしょう。そうなった時に、二人に近付けたくない人間を推されるぐらいなら……」

「文句を言う口を先に塞いだ訳か」

「そうです」

「確かに自分の派閥の人間が入っていれば満足だろう。皇帝派全体としてどうやって主権をこのまま維持しようかと考えているだろうしな」


 リシェルはようやく納得をしたようで、私から視線を外すとため息一つついた。


「なあ、もう一つ聞いていいか?」

「なんでしょうか?」

「なんで、ヒカリ殿下の傍にいるあのセウスって男を遠ざけないんだ?」

「………」

「お前がそういった芽を放置してるのも珍しくてな」

「なんですか、まるで私を雑草除去剤のように」

「前もって手を打つのはお得意だろ? 今回の護衛の件もそうだ」

「彼は、とりあえずはあのままで良いのですよ」

「お、珍しい返答だな」

「これ以上は答えませんよ」

「つまり、ただ放置している訳ではない、と」


 分かっていてけしかけるリシェルを睨むと、リシェルは「おおっと、言いすぎたか」とわざとらしく口を塞いだ。


「わかったわかった。俺が突っつき過ぎたな。では、カロス。ついでに俺から一つだけ報告がある」

「……なんでしょうか?」


 イラッとした顔でリシェルの話に耳を傾ける。


「セルゲレン侯爵を調べるために現地へと向かわせた人間の内、半分近くと連絡が取れなくなった」


 その言葉に頭の中がバチンッと弾かれる。連絡が取れなくなったというのは、その人間が生死不明だということだが、こういった場合は生きている可能性は低い。


「……なんですって?」

「お前の方はどうだ?」


 そういえば、“影”の最後の報告から三日が経っている。セルゲレン地方に到着した影は周辺の地域を調査した後に、セルゲレン侯爵の商会が関わっている工芸品工房へ向かうとの連絡を最後に途切れている。


「調べていることを勘付かれましたか」

「勘付かれたどころではない。近衛騎士上がりの人間が何人も連絡が取れない事態ってかなり最悪だ。俺のところはチームで行かせて、セルゲレン侯爵の取引先であるルイアス商会に潜入させたが、数日で数人の姿が見えなくなったとの報告が入った。残った人間には一度引いて来いと伝えた」

「どうやら、只事ではなさそうですね」

「だいぶな」

「どう思いますか?」

「どう思うって、相手は近衛騎士上がりを難なく(ぎょ)せるってことだ。商会という名の武闘派集団かもな」

「武闘派……」


 リシェルの顔は真剣だ。彼にとってもそんな事態は想定外だったのだろう。

 今まで感じたことのない、嫌な予感が湧き上がる。

 皇帝省の人間が姿をくらませたのだから、軍を率いてセルゲレン地方に行きたいところだが、かといって何の証拠も無しに国軍を動かすことは出来ない。ずぼらな統計資料だけでは言い逃れされるだけだ。

 少なくても、証拠や証言の一つ二つは必要となる。


「軍、か……」


 国軍を率いたとして、セルゲレン侯爵が反発したとしても侯爵の持つ軍はそう大きくはないから、こちらの足を止めることは出来ないだろう。彼は軍部にはそう力を入れていない。セルゲレン地方内で言えば、辺境のドーマ軍を筆頭にセリーニス伯爵やフォーロ子爵率いる私設騎士団の方が一位二位を争うほどの規模のはずだ。


 ………私設軍。


「まさかな」

「ん? どうした?」

「ああ、いや何でもない」


 偶然にしては出来すぎている。


「セルゲレン地方はこちらの予想を超えたな」

「思っている以上に根が深そうですね」


 こちらが潜入をさせる場合は、相当に最悪なことも想定したうえで対応し得る人間を送り込む。つまりは想定以上のことがセルゲイン地方で起こっているのだ。セルゲレン地方の真の姿を暴くのは易い事ではないようだ。

 だからといってそれを放置することは出来ない。現に、セルゲレン侯爵は尚も出所のはっきりしない謎の資金を使って、困窮する貴族達に資金を渡しては、自分の派閥に取り込もうと活発に動いている。彼は今や皇帝派の中でも、最大派閥となりつつある。宰相であるラリス侯爵や皇后のご実家であるクリュスタロス侯爵の勢力を削ぐ勢いだ。その力をもって、帝城にも派閥の人間を途切れさせることなく送り込んでいるが、彼の不正の証拠もない今の状況ではそれを止めることも(はばか)られる。

 このままいけば、帝国国内では気分屋の彼の機嫌一つで国の中を左右されることになる。


 一番の問題は、侯爵の資金の出所が不明だということ。

 表面上としてわかっているのは、高額取引をしてセルゲレン侯爵にお金を流しているのがアトミス王国を本拠地とした“ルイアス商会”なのだが、問い合わせたアトミス王国側によれば、その商会自体が存在していないという返答だった。交流のある周辺国も試しに確認させてみたが、どこにもそんな商会は存在していなかった。

 他国の商会が帝国で一定以上の金額を取り扱う商売をする場合は、事前に登録が必要なのだが、帝国にはルイアス商会の登録記録がある。だから、アトミス王国側の証明書がないルイアス商会の登録をどうやったのか、当時登録を担当した帝国側の職員に話を聞こうとしたのだが、その担当者とその上の責任者はすでに亡くなっていた。片方は病死、片方は暴漢に襲われたためだった。


 他国の商会に課しているのは、帝国内で売買した記録の提出と、国内で出た収益に対しての税金の支払いだ。だから、帝国だけの資料を見ると、セルゲレン侯爵のホーシャ商会と金額がぴったりと合っていて全くの不正はないように見える。だけど、実態としては帝国以外では売買記録がない商会が、莫大な金額を払ってセルゲレン侯爵の商会から謎の商品を購入していた。

 では、ホーシャ商会から商品を購入しているその資金は一体どこからやってきているのか。


 我々が出した答えは「外患」だった。


 どこかの国の勢力が、大金とセルゲレン侯爵を使って帝国の権力構造に入り込んでいると踏んでいる。でなければ、この事態の説明がつかない。

 今回リシェルは影を使ってその実態のわからないルイアス商会の捜査を実行したのだが、証拠品の入手どころか、行方不明者が続出するという結果になったのだ。


「今回のことを踏まえて、今後は現地に送る人間を厳選するつもりだ」

「今まで送った人間以上で、手の空いている人間ですか………」


 先日の手紙の件もあって、皇帝省に所属する官の動員も難しくなっている。

 裏切らずに、今まで以上の人間となるともう数は限られてくる。

 どこかにいないか。権力に無頓着で、皇子妃の父であるセルゲレン侯爵に臆せず、易々と返り討ちに遭わなさそうな人間が。


「……一人だけ当てがありますね」


 リシェルは私の言葉に強い関心を寄せてきた。


「誰?」

「一筋縄ではいかない人間ですよ」


 そう。なかなかに取り扱いの難しい人間だが、腕は悪くはない。

 彼をこちら側に引き込むには、これまた先に手を打たなければいけないだろう。

 帝国が正体の見えない闇に呑み込まれる前に動かなくてはならない。ぐずぐずはしていられないなと、私は視線を落とした。





 ****





 - 帝城 シキ -


 ガヤガヤと騎士達がひしめき合う騎士舎近くの大きな訓練所を越えると、賑やかな訓練所とは相反したひっそりとした場所に出る。周辺には緑や屋根付きの休憩所などがあり、自分達以外には一組しかいない好立地なのに、他の騎士達が入ってこないのは、ここが近衛騎士経験者やそれ以上の立場の人間しか使えない訓練所だからだ。


 昼の交代を前に、早めに帝城に上がったら顔見知りに遭遇した。彼が帝都にいることは家族から聞いていたから知ってはいたけれど、まさか「近衛の訓練所を見せろ」だの、「練習用の模造剣を見せろ」だのと帝城の観光に来たのではないかと思うような事を(まく)し立てられ、落ち着かせるよりも先に引きずられるようにしてここまで連れてこられるとは。

 強引な性格だということは昔から知っていたが、仕事前は勘弁してもらいたかった。それ以前に、部外者以外知り得ないこの場所を何故知っているのか。


「なんで帝城にいるんだ?」


 自分とそう年も背格好も変わらない目の前の男に質問すると、その男は軍務省備品である練習用の模造刀に「軽いな」とケチをつけながら、こちらに笑みを向ける。前に会った時よりもどこか穏やかで、今まで尖っていたのにどんな心境の変化だろうかと(いぶか)しがってしまう。


「そんなことは気にするな。仕事でいるだけだ。それよりもラシェキス。近衛試験の最年少での合格おめでとう。流石だな」

「ああ、ありがとう。ランドルフ」


 目の前のランドルフは俺の目の前まで歩いてくると、剣を構え始める。


「剣を交えるのは二年ぶりか? 父主催の交流会では負けたけれど、今なら負ける気はしないな」

「おいおい、肩慣らしだろ?」


 剣を握る手に力を入れていた目の前の男は、剣を構えながら視線を少し逸らせると、「ここで体を潰すわけにはいかないか」なんて、ぶつぶつと呟く。


「時間がないから、いいか?」

「ん? ああ。午後から仕事なんだったよな?」

「そうだ、よ!」


 そう言って、ランドルフに向かって走り込む。軽く剣を振った程度なので、それを相手も簡単に受け止める。


「はっ! 腕は落ちてはいなさそうだ」

「最近まで、試合ばっかりだったからね」

「それは、おつかれさん!」


 ランドルフは剣で俺を押し返すと、すぐに払った剣を返してくる。

 押されて体制が整わなかったので、一度下がって避けると、もう一度切り込む。


「兄上の仕事も少し手伝うとか。今日はそれで?」

「ああ。だけどそれは臨時だ。リシェル(にぃ)に、手が足りない時に手伝えって言われただけ。今日は違う」


 ランドルフと世間話をしつつも、何度か剣を打ち鳴らす。ランドルフも剣にかける重さはなく、軽く体を動かすだけにとどめたようだ。

 兄上の仕事関係でなければ、クラーディ公爵家の仕事の手伝いで来ていたのだろうか。


伯父(おじ)上のお供か? 午後から大貴族院があったな」

「それも半分ある」


 それも?

 兄上と伯父上の仕事関係でなければ、主目的は何なのか。

 ランドルフの剣を受けながら考え事を始める。


「軍務省の中って、思っていたよりも物々しいな」

「ここが観光地に見えたか?」

「はは! そんなわけないだろ」


 そんなわけが無いのに、何故ここに来たがったのか。

 目の前の男はさすがクラーディ騎士団の副団長で、なかなか息は上がらないし動きも鈍らない。もちろん、隙なんて隙はそうそうに見せてはくれないが、それでも易々と打ち込んでいけるのは、これが肩慣らしの練習というよりも、もはや(じゃ)れ合う遊びのようなものになっているからだ。

 話がしたかっただけなら普通に会話をすればいいのに、回りくどい奴だ。


「なあ、ラシェキス。セウスって男を知っているか?」


 セウス……。

 その名前で足が止まる。


「なんでその名を……」

「……知り合いだったか」


 止まってしまった自分の足に合わせて、ランドルフも攻勢を止める。

 軽く息を吐き出すと、ランドルフは剣を地面につけた。


「なあ、あいつ何者? 姫の傍を離れないし、何より隙がない。親父の圧にも屈しないし、本当に孤島の村の出身?」


 姫? と一瞬考えるが、セウスの名が出たのだから聞かずとも誰のことがすぐに理解した。


「……ああ。キツキ殿下達のいた村の青年で、ノクロス・パルマコス殿のお弟子だよ」

「ノクロス・パルマコスってあの?」

「そう」


 頷くと、ランドルフはどことなく興奮する。


「それなら、あいつ強いのか?」

「だろうね」

「だろうねって、ラシェキスは知らないのか?」


 知ってる。切り込む隙も可能性もこれぽっちも見せてくれない相手だった。それを思い出すと、重い息を吐き出す。


「……剣だけでは勝てそうにない相手だよ」

「ラシェキスがそう言うなんて珍しいな。それは俺も手合わせさせてもらいたいところだ」

「なんで、彼の名を知っているんだ?」


 ヒカリの恋人の話は出回ってはいるが、名前までは広がってはいないはずなのに。


「あー、それはなぁ……」


 急に照れ臭そうに頭をガシガシと掻くと顔を逸らす。そしてその顔はどことなくにやけているように見える。珍しいな。


「隠すわけじゃないが……」

「隠してるだろ」

「揚げ足を取るな! とにかく、すぐにわかるよ」


 ランドルフは突いた剣に体重を乗せると、さっきよりもはっきりとわかるほどににやけている。

 そんな時に正午の鐘が鳴り響く。

 もうそんな時間だったか。ランドルフに振り回され過ぎたな。


「もういかなくては」

「ああ、俺も。じゃあ、行くか」


 ランドルフはそう言いながら汗の(したた)る首元のボタンを外すと少し緩める。それを見て俺も首元を緩めると、ランドルフの持つ模造剣を回収しつつ、並びながら歩き始めた。


「今日、ラシェキスは大貴族院の中まで入るのか?」

「大貴族院の中まで護衛出来るのは二名までだが、………どうしてそんなことを聞くんだ?」

「入っておけば、今日俺が帝城にいる理由がわかるからだよ」

「理由? それならここで教えてくれればいいだけだろ?」


 そうなんだけどなぁとランドルフは呟くのだけれど、やっぱり教えようとはしない。

 回りくどい。

 それどころか、ランドルフは奇妙なまでにはにかむ。


「いや、発表の前にそれは言えないからな」

「発表?」


 何の話なのか。


「大貴族院で傍聴していればわかる。だから知りたかったら、今日の大貴族院の護衛はお前が入れよ」

「なんで……」


 大貴族院での発表となると、国の中でも大きな話になると思うが。

 クラーディ公爵(おじ)は何をしようとしているのか。


「はやく行こうぜ。俺も遅刻できないからな」


 仕事前に散々俺を振り回してくれた男は、混乱する俺を置いて先を歩いて行った。





 ****





 大貴族院議会の中はすでに多くの議員が集まり、前回よりもザワザワとしている。

 今日はセウスも同席となり、私の横に椅子が設けられていた。

 そして私の護衛になると言っていたランドルフは、何故か父クラーディ公爵の側に控えている。早々に勝手な事をしているように見えるけど、離れていたいのなら離れていてくれと願う。その方が私の心臓が助かる。

 祈る私の後ろには、専属近衛騎士のアトラスとシキが護衛として入室し、後ろの壁で待機している。


 専属以外にも、議会自体の警備はもちろんいるし、陛下やユヴィルおじ様にだってもちろんのこと、各議員にも側近や護衛を一人入れて良いことになっているから、議会の壁は護衛だらけと言っても過言ではないほどだ。


 そんな雰囲気の中、会場では年配の議員達は慣れているのか緊張することもなく、知り合いや横隣り同士で談笑をしている。その中でも今日のクラーディ公爵は誰よりも機嫌が良い。そんな彼に惹かれるように、今日は多くの人がクラーディ公爵に声をかけていく。そして賑やかなのはそこだけではない。今日は皇帝派と呼ばれるおじさん達もあちこちで固まって談笑していて賑やかだ。


 ただ、気が付けば会場中の視線はこちらに集中していた。

 何だろうと訝し気に視線を動かすと、彼らの視線の先は私ではなく、隣に座るセウスへと向かっている。まるで見せ物かのように、もの珍しそうなそして蔑んだような目で周囲は見ているが、当のセウスは視線を落とさずに、ただ静かに座っていた。

 ナナクサ村に戻ってきた時に、セウスとお互いを守り合う“共同戦線”という名目で始めた彼氏彼女という関係だったけれど、セウスをこんな場所にまで引っ張り出すことになってしまった結果に、僅かながらに後悔の念が浮かぶ。そして周囲のそんな視線に対して悔しさが込み上げてくる。


「ごめんね。なんか巻き込んでしまっているみたいで」


 ナナクサ村からついてきてくれると言ってくれた時に、こんなことになるとは思わなかった。

 キツキの急な報せだったとはいえ、自分の考えの甘さにしょげてしまう。カロスにもあれほど口酸っぱく言われていたのに、自分の置かれている立場がわかっていなかったのは確かで、村を出る時に、近衛の数人にセウスの同行を考え直したほうが良いと説得されたけれど、それをつっぱねてしまったのだ。

 彼らはこうなることを予測していたのだろう。


「何を言っているの、ヒカリ。ついて行くと言ったのは僕だよ。このぐらい何ともない」


 セウスは笑う。

 その顔に笑顔でなんて返せない。セウスを直視出来ずに視線を落としてしまった。


「そろそろ始まります。殿下、本日は少し我慢をしてください」


 リシェルさんが後ろからこそっと話かけてくる。


「我慢?」

「はい。本日の議題は苦しくなる事があるかもしれませんが、とにかく、心を強くお持ちください」


 言うだけ言うと、リシェルさんは後方の壁へと下がっていく。

 何のことだろうかと思っていると、リーンリーンとベルが鳴る。議会開始の合図だった。

 団子になっていた人達は各々の席へと戻り、座っていた議員達は立ち上がる。十回目のベルが鳴り終えると、全員の視線は陛下へと向き、一斉に陛下に向けて礼をすると、議員達はそれぞれに座った。もちろん私たちも例外なく同じことをする。セウスには前もってリシェルさんが流れや作法を教えてくれていたから、問題なくこなせたようだ。

 陛下を挟んで、カロスの反対側に座る恰幅の良い議長が声を上げる。


「今年六回目となる本日のプロトス帝国大貴族院を開始いたします。まず、こちらに届けられているものから………」


 議長は用紙を持ち上げる。


「ブルンゾス侯爵」


 議長に名前を呼ばれて、一人のおじさんが立ち上がると、こちらをチラッと見て得意気に話し始めた。


「お時間いただきありがとうございます。これは私、及び有志一同からの提案になりますが、一度は決まった皇位継承順位についてですが、まだ表だった公表をされていません。そこでリトス侯爵が目覚められない今、私共はバシリッサ公爵を一位にしたほうが良いのではないかと考え、それを本日の議会で提案したいと思います」


 その言葉に周囲はざわつく。回顧派の人達も驚いた顔をするけれど、見合わせたまま皆動かずに反対を唱えない。

 議会中がざわつく中、表情を重くしたのは陛下とカロス、及び私。横並びの三人の周辺だけがギラギラと近寄り難い空気になる。


 冗談ではない。

 それでなくても意欲も無い、何も出来ない私が皇帝になんてなってたまるだろうか。そんな抜け殻のような皇帝を彼らは据えたいのだろうか。

 その中で手が上がる。回顧派の長で、何度かお話をしたことのある白髪混じりのおじさんだった。


「メディアン公爵、発言を許します」


 議長に許可を貰って立ち上がると、金と白が混じり合ったふさふさ髪をしたメディアン公爵は発案者のブルンゾス侯爵に向いた。


「ブルンゾス侯爵、その理由をお伺いしてもいいでしょうか? キツキ殿下はまだ生きていらっしゃる。私としてはその案はとても容認し難い話だ」


 その質問にこれまたブルンゾス侯爵は得意気な顔になる。


「リトス侯爵が一位になられたのはアフトクラートで健康体だったからです。もし毒から回復をされても、以前のような健康体に戻るとは限らない。それで後々に問題が上がるのであれば、ここはもう双子の妹であられるバシリッサ公爵の順位を上げた方が良いのではないかと考えたからです」

「後々の問題、とは?」

「それは様々にありましょう。目を覚まされても立ち上がることも出来ないかもしれない。もし立ち上がられても、日々の公務をこなすほどの身体能力が残るのかさえ心配ですが、一番の心配事は後継以外にありませんでしょう?」


 ブルンゾス侯爵はニヤッと笑う。会場の内では彼に続くように気味の悪い笑みを浮かべるおじさん達があちこちに見えた。

 質問していた回顧派のメディアン公爵はぐっと手を握り黙ってしまう。反論しないところを見ると、メディアン公爵も同意する部分があるのだろう。


「でしたら、キツキ殿下にお子が生まれなかった時にでも………」

「その時では遅いと思いましてね」

「と、申されますと?」

「今、バシリッサ公爵の隣には“恋人”と呼ばれる男性が、無知にも平然と座られている。このままご結婚でもされてしまえば、彼の子供が未来の皇帝となってしまうでしょう。残念ながら、帝国には貴族女性が平民男性と結婚出来ないという法はない」


 ブルンゾス侯爵はこちらをチラッと見る。


「そうなる前に、我々はバシリッサ公爵がいかに尊いご身分かを内外に示していきたいという主旨もございます。皇太子となるならば、それなりのお相手を決めなくてはならないはずです。そしてお隣の“恋人”にもそれをご理解していただきたい」


 そんな事を言いたいがためにセウスをここに呼んだのかと、私はムッとする。リシェルさんには我慢をと言われていたから手をぐっと握りしめて堪えるけれど、もう一押しがあれば大声をあげてしまうかもしれない。

 隣に座るセウスの顔は青………いや、違う。ドス黒い。カロス張りの黒さで、今まで見た事がない顔つきだった。

 そんなセウスに、ブルンゾス侯爵はハッと嘲笑うかのような表情を向けてくる。


「イロニアス侯爵は、彼を養子に迎えられるとおっしゃっているが、格段な実績のために授けられた位ですのに、何の実力も実績もない彼を無条件で嫡子にされるのには異論がありますな。イロニアス侯爵の後継なのでしたらそれなりではなくては」

「本件とずれていますよ。余計な話は慎んでください」

「おおっと、議長。申し訳ございません。ですので、私共からの提案はバシリッサ公爵を一位にし、さらにバシリッサ公爵のお相手を大貴族院で選別したほうが良いのではないかということです。でしたら、帝国の未来は明るい。どうでしょうか皆様?」


 周囲から拍手が起こり始める。

 会場の半分程の人はブルンゾス侯爵に賛成なのだと言っている。私の結婚相手の話をしているのに、私の意見は何も聞いてくれないのだろうか。

 おばあちゃまもこうだったのだろうか。勝手に相手を決められたのだろうか。



「ヒカリの結婚相手について言及があったので、先に私から良いだろうか」


 今まで無言だった陛下が声を上げる。


「もちろんです、陛下」


 ブルンゾス侯爵は席に座り、議長も頷いた。

 陛下はチラッと私を一瞥すると少しだけ眉を下げられ、座ったまま静かに話し始める。落ち着いた話し方だけど、声は広い室内によく響いた。


「実は、我々皇族は三十年と少し前にとある密約をした。それは四十二……いや、今年で四十三年目になるか。当時行方不明となってしまったライラ皇女の婚約者と先々帝が交わした約束だ」


 静かだった室内が少しだけざわつく。

 先々帝ということは、おばあちゃまのお父さんのことだ。


「本来なら彼は皇配となる身で、生まれた時から様々にそれを優先して生きてこられた。だから、先々帝もそれを気の毒に思ったのだろう。先々帝が交わした内容は、次にアフトクラートが生まれ出てきた時に、彼の一族との結婚を優遇するという内容だった」


 ざわつき程度だったものが、急激にあちこちからはっきりとした声が上がる。


「まさか! 今それを?」

「我々に相談もなしにそれを実行なさると? 陛下、それは少し横暴では?!」

「我々……、いや、有能な若者のチャンスが無くなるではないか!」


 皇帝派と呼ばれるおじさん達が騒ぎ出す。いつもは陛下の見方をしているのに、回顧派の人でさえ騒いでいない話に陛下につっかかっているのだ。

 鈍い私でも、なんとなく気がついてしまう。


 彼らは陛下の味方ではないのだろうか?


「静粛に!」


 部屋中に利己心の塊のような言葉が吹き荒れる。

 議長の制止に、少しずつではあったが議会の中は静かになった。

 それを見計らったように陛下は再び口を開く。


「皆知っているとは思うが、当時ライラ皇女の婚約者だったクラーディ公爵にそれを決める権限がある。つまりは、大貴族院でヒカリの婚約者を決める権限はないということだ」


 議場が再び騒然とする。それと反するように私は沈黙した。目だけがパッチリと開いたまま停止していた。


「……クラーディ公爵がおばあちゃまの婚約者?」


 突然の話に呆気にとられていた。

 だって、おじいちゃんとおばあちゃまは最初から結ばれていたものだと、どこかで信じていたからだ。


 - おかしいな。親父がそう望んでいるんだから、姫の世話をするのはクラーディ公爵家の仕事だと思うけどな?


 北のオンドラーグ地方への視察でランドルフが言っていた言葉が、頭の中でずっとフワフワと浮いていたけれど、今は空いた型枠にぴったりと収まった気分だ。

 陛下の言葉に、さっきまでさっきまでは笑っていたブルンゾス公爵やその仲間達の顔は真っ青になる。それに引き換え、クラーディ公爵とその周辺は満足気な表情をしていた。


「それについては、私から」


 手を上げてクラーディ公爵は立ち上がる。


「陛下からご説明があった通り、私はバシリッサ公爵の婚約者に、三男のランドルフを薦めようと思っております」


 その言葉に、今度は回顧派から歓声が湧く。


「ご存じの通り、息子は我がクラーディ軍の要職についておりましたが、過日の事件を受けてしばらくはバシリッサ公爵の元で護衛をさせようと思っております。まだまだ若輩者ですが、バシリッサ公爵の良き伴侶となりましょう」


 得意気にクラーディ公爵が演説をすると、公爵の付近にいたランドルフは会場に向けて礼をする。あちこちから「クラーディ公のご子息なら」と、この流れを歓迎とも思える言葉が聞こえ始めるとともに、次第に拍手も湧き上がる始末だ。



 ………で、会場が盛り上がる中、置いてけぼりの私。

 しばらく理解が追いつかずに放心していたが、ハッと我に返るとバンッと勢いよく机を叩いて立ち上がった。


「ちょっと待ってよ!!」


 このままではまずい!

 ランドルフが婚約者って何よ?? 話が飛びすぎでしょう?!


 立ち上がってからこの事態をなんとかせねばと考え始めるが、こんな時に普段から役に立たない頭は、さらに役に立たなくなる。脈はバクバクと体中を駆け巡り、パニックとも言える状態だ。


「バシリッサ公爵。隣の彼の立場をそろそろ決められた方が良い。故郷へ帰すのか、あなたの護衛として側に侍らすのか。ですが、曖昧な関係はもう終わりになさった方が良いでしょう。それに、彼にイロニアス侯爵位を継がして逃げ道にしようとされていますが、ブルンゾス侯爵もおっしゃる通り血縁関係がないのなら、実力がなければ承認は難しいでしょうな」


 クラーディ公爵はそっけなく私に言葉を向ける。

 その言葉にワナワナと私の体は震え始める。


「で、ですが殿下のお気持ちだって大事でしょうに。急にそんなことを言われてもバシリッサ公爵だって混乱されるはずですよ!」

「そ、そうだ。流石に性急と言わざるを得ないでしょう!」


 さっきまではセウスをなじっていた人達から、急に私の援護のようにヤジが飛ぶ。でも、よーく聞いていると、「うちの息子のほうが」とか「甥が」とか言っているので、援護している彼らもクラーディ公爵とやろうとしていることは変わらないことだけはわかった。


 目の前で当の本人を他所に、大騒ぎしている彼らを睨みつける。

 このままでは流されるように決められてしまう。

 キツキのいない今、自分を守れるのは自分だけだ。

「これが四面楚歌という状態なのだろうか、おじいちゃん」と、すがるように心の中でその名を呼ぶと、「四面楚歌は全面が敵に囲まれた状態だ。この場合はまだなんとかやりようがあるから、背水の陣ぐらいが適切だろう」と、おじいちゃんとの陣地取りゲームをしていた時の言葉を思い出す。

 くっ、なんとも役に立たない記憶だ。


 ……だったけれど。

 “なんとかやりようがある”という言葉にハッとして、チラッとセウスを見る。

 この状況打開のために、とある方法が頭に浮かんできたけれど、それをここで大声で宣言してしまうのには躊躇(ためら)いがあった。

 それは完全にセウスを私の都合で巻き込む身勝手な方法で、今でさえ嫌な思いをさせているのに、これ以上はと戸惑うけれど、この状況でイヤイヤしか言わなければ、本当にランドルフやよくわからない男の人と婚約をさせられそうだ。もうこれしか逃げ道が見つからない。

 でもだけどとしばらくの間決断がつかずにグッと手を握りしめていると、その上にセウスは手を重ねる。


「ヒカリの好きにしなよ。僕は大丈夫だ」


 隣からセウスは私に強い眼差しを送ってくる。

 そんなセウスに背中を押され、私は緩んだ手を再び握り直すと、視線を議場中央へと向けて大きく息を吸った。


「み、みなさんのおっしゃるご子息が、ここにいるセウスよりも弱いのでしたら、私は結婚をしません!」


 ごめん、セウス。

 これしか逃げ道が思いつかなかった。これ以外の“やりよう”が見つからなかった。


 私からの宣言を聞いた途端に、会場中からわぁっと歓声が上がる。さっきのクラーディ公爵の話なんて比ではない。


「そんなことでいいのか?」

「はは、うちの息子なら数秒もあれば倒せそうだ」

「だが、あのイロニアス侯爵が養子にしたいほどの男だろ? 弱いとは……」


 嬉々として会場中からそんな声が聞こえる。

 主に喜んでいるのは、陛下の話を聞いて絶望的な顔をしていた皇帝派と呼ばれる人達だ。クラーディ公爵は面倒とばかりに顔を顰めている。

 目の前の光景に、もう後戻りは出来ないと冷や汗が流れる。隣のセウスは前を向いたまま、とても静かだ。


「ヒカリの意志を尊重するという意見が多いようだな」


 そう口を出されたのは陛下だった。


「私としても、ヒカリの意見は尊重したい。彼女は急にこの帝国に連れてこられたのだから、強引な結婚を避けさせたい。かといってクラーディ公爵との約束を反故にするつもりでもない。だがヒカリが言うには、まずはセウスよりも強いというのが最低条件のようだ。なので、その機会を設けよう」


 陛下のその言葉に会場はざわつく。


「ヒカリとの婚約を望む議員は、子息が帝城に来ているのであれば、闘技場で彼に試合を申し込むが良い。いないのなら、後日セウスをまた召喚しよう。勝てばヒカリの有力な相手として皇務省側のリストに正式に記録すると約束をしようではないか」


 その言葉に議場は沸き立つが、奥の席にいたノクロスおじさんだけは頬杖をつきながら、「あーあ」とでも言っていそうな顔をする。


「ヒカリの順位変更については後日、多数決を取ろう。今日の結果で考えを改めたい議員もでてくるやもしれないからな。それでよろしいか?」


 そう議会中に問うと、浮かれている議員たちから賛成という声が飛び交う。

 その返事に議長は頷く。


「では、本件は次回まで保留とします」

「皇務省に記録をする大事な試合をする前に、彼の実力を見ておいた方が良いだろう。どれ、最初に私の近衛騎士と試合をさせてみるか」

「陛下も人がお悪い。彼に近衛騎士と手合わせをさせるとは」


 周囲からそんな声が聞こえてくるが、陛下はそれらを無視するとセウスに向いた。


「セウスと申したな? 魔法は含めて良いのか?」


 セウスは静かに頷く。


「ええ。僕はかまいません」

「そうか。では、関係者は一時間後に闘技場へ」


 そう言って陛下は席を立ち上がり、議会は一時中止した。







 軍務省の管轄である闘技場には、議員達と若い子息たちが何人も集まり、中央での事の成り行きを見守っている。いや、もう終わったんだけど、目を見開いたまま、さっきまでセウスを小馬鹿にしていた議員達が誰も口を開かない。


 私達の目の前では、陛下付きの近衛騎士が十秒もしないうちにセウスの剣を首元に突きつけられていたのだ。

 実はこれで二人目である。

 一度目の試合でもその速さに周囲の目が追いつかずに、まぐれなのではとの不平が上がったので、陛下はもう一度別の近衛騎士と試合をさせた。結果は一緒だったけれど。


 私としてはナナクサ村でよく見たような光景なのだが、セウスの剣の速さにここにいる全員が停止していた。いや、村まで来てセウスと試合をした事のある近衛達だけは、どこか憐れみの目で試合をしていた近衛騎士を見ている。

 魔法円や魔法陣を展開させる間もなく、胸元まで切り込んでくる輩なんて帝国の中では尋常ではないんだろう。

 遠くに見えるノクロスおじさんだけは顎をさすりながら満足気だ。

 それともう一人。


「はは! 彼の評判は聞こえてはいたが、これほどまでとはな。これはいい」


 私の隣に座る陛下も満足気に手を叩く。


「陛下の護衛があっという間に負けたのですよ? 軍務省の面子(めんつ)が丸潰れです」


 陛下にそう注意するカロスは呆れ顔だ。


「これほどまでの実力を見れば、五月蝿(うるさ)い奴らを黙らせられるうえに、イロニアス侯爵位を継いでも、異論は湧かないだろ?」


 そう私に視線を流してこられる。もしかして、そこまで見越してこの場を設けてくださったのだろうか。


「あ、ありがとうごいます」

「ノクロス・パルマコスの弟子とは本当のようだな。私も子供の頃に彼の剣を見たきりだったが、剣筋がよく似ている。それにしてもヒカリの恋人はなかなかに面白い。私の護衛にしたいぐらいだ」

「陛下、ご冗談を」


 カロスはムッとする。


「彼はヒカリ殿下の護衛しかしませんよ」

「そうか、それは残念だ」


 陛下はチラッと観戦席にいた議員達に視線を流す。


「セウスの実力はわかっただろう? 練習試合はここまでにして、本番に移ろうか。彼に挑みたい子息は?」


 その言葉に先程の議会まではお祭り騒ぎだった彼らは、葬式のように静かになってしまった。

 思っていたよりも鎮火は早かったようだ。

 これで私の相手だの何だのと騒がれずに済んだと思うと、セウスには感謝しかない。

 そんな中で一人の手が挙がる。

 視線の先にはランドルフがいた。


「おお。本命が出てきたぞ、ヒカリ」

「……いえ、本命ではないです」


 かすりもしない。


「では、彼に模造剣を渡してやりなさい」


 陛下が周囲にそう言うと、近くにいた騎士がランドルフに剣を渡す。ランドルフは受け取ると、下へと降りていった。

 セウスは降りてきた相手を見て、目を細める。


「ちょうどよかった。ヒカリの護衛について指導しておこうと思っていたところだったんだ」

「……はっ! 最初に会った時から気に入らなかったけれど、どうやら勘は当たったようだな」


 ん? なんか二人で話をしている?

 少し離れた貴賓席からでは、二人の会話はゴニョゴニョとしか聞こえない。


「面白くなりそうだな。彼は現クラーディ騎士団の副団長だ。さて、どうなると思うか、ヒカリ」

「……セウスが勝つと思います」


 私は預かっていてと言われたセウスの魔石の首飾りを、グッと握りしめる。


「はは、そうか! 信頼し合っているのだな」


 陛下は面白そうに笑う。

 そういうわけではないと反論しようとしたけれど、やめた。だって村から出てきた時も今も、私はずっとセウスを信じて頼っている。それに偽りはない。


「では、始めよ!」


 陛下のその合図と共に、二人の足は動きだす。

 キンキンッと、近衛騎士達が止めきれなかったセウスの初手をランドルフは受け止める。

 観客席はそれを見て歓声をあげる。


「おお、先制を止めたようだな。なかなかやるな」


 陛下は前屈みになる。


 セウスの早い攻撃をかわすものの、ランドルフはなかなか攻勢をかけられずにいた。そんなランドルフが一瞬だけ静止し、すぐに動き出してセウスと剣を交える。セウスに攻められる一方なのに、ランドルフはニヤッと笑った。

 何だろうと思った瞬間、セウスの足元に魔法陣が浮かび上がる。

 ハッとした。セウスは魔法陣を知らない。


「セウス! 足元!!」


 貴賓席の手すりから身を乗り出した私は大声を上げる。

 その瞬間、セウスの足元に現れた魔法陣からバリバリッと冷気をあげながら氷が地面を覆い、細長い氷柱も地面から飛び出てくる。

 息を呑んだのだのだけれど。


「な、なんだあれは?!」


 観戦していた議員達から声が湧き上がる。

 セウスの足元からランドルフまでの間に炎の道が現れ、氷を割っていく。


「……魔素」


 セウスも一通りの魔素を操れるけれど、あれほどまでの火魔素を出したところを見たことがなかった。

 一瞬だけ燃え上がった炎のおかげで、セウスは魔法陣からの氷をもろともせずに、そのまま油断していたランドルフの首元に剣を突きつけた。


「そこまで!」


 私の後ろから大きな声が響く。

 陛下が立ち上がり、試合終了を宣言したのだ。


「魔法陣が見えないが、あれも魔素なのか?」


 陛下は私のように手摺りから体を乗り出して、目を凝らしている。

 セウスの足元にはまだ残り火が燃えていた。


「あ、はい。魔法陣は必要ないので」

「……ほう、彼も操れるのか」


 陛下はまだ地面から不安定に湧き上がっている火をマジマジと見つめながら顎を指でさする。


「やっぱり彼を私の護衛に……」

「ダメですよ、陛下。彼はまだ帝国の人間ではありませんので」


 陛下はチラッと物欲しそうな顔でカロスを見たけれど、そのカロスは淡々と陛下の要求を退ける。


「……よその国に盗られる前に、さっさとイロニアス侯爵の後継にさせるか」

「それが良いでしょうね」

「あれが敵になるかと思うと、なんとなく面白いけれどな」

「……近衛を壊滅させる気ですか?」

「そうしたら、ユヴィルを叱ってやろう」

「それで済めば良いですがね」


 カロスと息の合った話をしていた陛下は、セウスの姿を面白そうに見ると、私に視線を流す。


「本命に勝ってしまったようだな」

「ですから、本命では……」

「はは、わかっておる。ヒカリはカロスと同じで、律儀に真面目な返答をするから面白い」


 どうやら遊ばれていたようだ。後ろに控えていたカロスはわざとらしい咳払いをする。

 陛下はそんなカロスの小技なんか気にも止めずに観客席を見回す。


「他に挑戦者はおらぬか?」


 そう問いかけるが、手を上げる人間は現れなかった。


「いないようなので、本日はここまでとしよう。ヒカリにふさわしい者はセウス以外にいなかったと、皇務省に記録させよう。では、今日はこれで解散だ」


 陛下がこの場を締め括ると、自分の息子がセウスに勝つと息巻いていた議員たちはトボトボと帰り始めていた。

 その後も陛下はしばらくカロスに小声で指示をすると、カロスから離れる。


「嫌な思いをさせてしまったな、ヒカリ。今日の面倒事はもう終わったから、セウスの元へ行っておいで」

「あ、ありがとうございます!」


 私はその言葉にとてもホッとして、何故か半泣きでセウスのいる闘技場まで駆け足で下りていった。階段を下り切り、アーチ状の通路の先に見えたセウスに駆け寄る。遠くからでは見えなかったけれど、セウスの腕にはさっきのランドルフの氷がぶつかったのか、微かに袖が破れて傷が見えた。


「腕! 大丈夫?」


 慌てて持っていた魔石の首飾りをセウスの首にかけると、セウスは胸元に戻った魔石を手に持って軽くキスをする。魔石からぽわっと柔らかい光を纏った回復魔法を発動させると、セウスはそのまま私の頭を片腕で抱き寄せて、さっきの魔石にしたように私のおでこにもキスをした。


「……ごめんね、セウス。巻き込んじゃってごめんね?」

「ヒカリのためになら、勝ち続けるぐらい苦じゃないよ」

「ごめ………」


 言葉が詰まる。

 その答えを知っているのに、私は村から続いている頭の中の堂々巡りの疑問を止めようとはしない。

 どうしてここまでやってくれるの?

 どうしてここまで私を助けてくれるの?


「こんなの今更だよ。僕はずっと勝ち続けてきたでしょ?」

「うん、………うん」

「………ヒカリのために、強くなったんだ」


 頭だけを抱えられていたのに、いつの間にか私はセウスの両腕で抱きしめられていた。

 暖かくて優しくて、どうしようもなく安心して、セウスの服にぎゅっとしがみついてしまう。

 答えを出そうとしないこの堂々巡りの疑問が晴れてしまったら、私はこの腕に捕まってしまうんじゃないかって、ずっとどこかで感じていた。

<連絡メモ>

 遅くなりました。

 来週についてですが、投稿をお休みしたいと思います。来週頭までどうにも時間がとれなくて、です。

 

<独り言メモ>

 カロスとリシェルの絡みは、ヒカリとセウスの絡みの四倍時間がかかる説……。


<人物メモ>

【キツキ/リトス侯爵(キツキ・リトス)】

 ヒカリの双子の兄。祖父の家の爵位を継いでリトス侯爵となる。

 シキが近衛試験に合格したとの一報がキツキの元に入った矢先、人々を招いていた宴で毒を飲み、血を吐いて倒れた。いまだに意識が戻らずに帝城で保護されている。


【ヒカリ/バシリッサ公爵(ヒカリ・リトス)】

 キツキの双子の妹。バシリッサ公爵。故郷のナナクサ村にいたが、キツキの一大事で帝都へ戻ってきた。

 近衛騎士以外にも上級騎士などの護衛をつけられているのに、さらに護衛がつく模様。


【セウス】

 キツキの故郷であるナナクサ村の村長の息子。キツキとヒカリが心配でヒカリについて帝国までやってきた。表向きはヒカリの恋人。帝国では伝説になりかけていた剣豪ノクロスの弟子。


【カロス/クシフォス宰相補佐官(カロス・クシフォス)】

 魔力が異次元な筆頭宰相補佐官。将軍の愚息で皇帝の甥っ子。エルディを牢に閉じ込めている張本人。

 キツキの事件で、難しいかじ取りを迫られている模様。

 誰が敵かわからない中、旧知のキルギスにヒカリの護衛を頼んだ。


【リシェル(リシェル・へーリオス)】

 銀髪銀眼のシキの兄。へーリオス侯爵嫡子。冬以外は帝城で宰相補佐官を務めているが、今回は一時的にヒカリの秘書官となる。


【シキ(ラシェキス・へーリオス)】

 銀髪金眼。帝国の近衛騎士試験を一発で合格する。今回の編成でヒカリ専属の近衛騎士分隊の副隊長となる。ナナクサ村へ漂流してきて、ヒカリを帝国へと連れ帰ってきた人物でもある。


【ノクロスおじさん/イロニアス侯爵(ノクロス・イロニアス 旧:ノクロス・パルマコス)】

 帝国の剣豪で元は近衛騎士だった。ナナクサ村のある孤島に漂流したが、帝国へともどり、イロニアス侯爵を賜る。セウスに養子にならないかと勧誘中。


【ランドルフ(ランドルフ・クラーディ)】

 クラーディ公爵の三男。銀髪銀眼でリシェルとシキの従兄弟。とある理由で帝都へ戻ってきていたけれど、父の勧め(思惑?)でヒカリの護衛になることとなった。昔に交わされた密約のおかげで、ヒカリの婚約者の地位に立とうとしていたが、セウスに試合で負ける。


【クラーディ公爵(イオニア・クラーディ)】

 ランドルフの父親。帝国最古の公爵位称号を持ち、帝国に強い影響力を持つ人間。リシェル達の叔父。神隠しの皇女ライラの婚約者だったがそれが叶わず、三十年前に先々帝と次のアフトクラートと一族との結婚という密約を交わしていた。


【ブルンゾス侯爵】

 皇帝派の中でもアリアンナ妃派のおじさん。

 今回、ヒカリの継承順位を上げようと提案をしてきた。


【メディアン公爵】

 回顧派の中心人物。金と白髪の混じった髪をしたおじいちゃんに近い年齢の人。アフトクラートであるキツキとヒカリを第一に考えている。



※以下略(レクスタ皇帝、アトラス)

※添え名は省略」



<修正メモ>

2022/08/24 修正

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