揺れ動くもの3
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- 某所牢屋 エルディ -
薄暗い部屋に入ってきた人物を見上げて、私は睨みつける。
昨夜ヒカリ様達と別れた後に、呼ばれたクシフォス宰相補佐官の執務室で待っていた四人の文官達に囲まれ、問いただす間もなくあっという間に捕縛されてここに運ばれてきた。
情けない話だが、全ての省の統括でもある皇務省には近衛騎士あがりの官が数多くいる。そんな彼らの表向きは当たりの柔らかい文官だが、中身はやはり獰猛な武官で、つまりは皇務省に目を付けられると、どんなに武に自信があっても、抵抗する間も与えられずにこんなところに放り込まれるということである。
私をここまで連れてきた彼らの行動は、見事なまでに無駄が無く、人の目につかずにここまで運ばれて来たと推察する。
少し見回しただけで、ここが何の部屋かなんて聞かなくてもわかった。
扉には魔石が嵌められ、巨大な魔力持ちの人間でもたやすく逃げられない貴族専用の独房。地方の砦や城にはそうないけれど、帝城や帝都周辺の砦には数多くの部屋があると聞いたことはあった。まさかそんなところに、自分が投獄される日が来るなんて思いもよらなかった。
「私が一体何をしたと言うのですか?!」
近付くクシフォス宰相補佐官は、眉一つ動かさずに床に取り付けられた椅子の一つに周り込んで座る。部屋の中の家具は、どれもこれも床にくっついて離れないようになっていた。
「そうですねぇ。強いて言えば、皇位継承権第一の人間に毒をまんまと飲ませたといったところでしょうか」
そのまま無言になった宰相補佐官の表情は冷たい。
目の前の人は、自分が牢に入れられた理由を一切語ろうともしない。何故こんなことになっているのか。
「私はキツキ様に毒など盛ってはいない!」
「さて、その証明が出来ていません」
「証明?」
「ええ。あなたが毒を盛っていないという証明。犯人に対してやっていないと言う言葉だけを信じることは出来ないでしょう?」
冷や汗が流れる。
「ですが!」
「……あなたは、殿下が倒れた瞬間に真っ先に体を支えられた。その時に証拠品を回収したのではないですか?」
「なんですって?」
「そのまま、混乱している会場から出ていくときに、毒の入った瓶を窓から投げ捨てたのでは?」
「証拠品が出たのですか?」
「……あなたが投げ捨てたものでしょう?」
「いいえ! 私は知りません。私はヒカリ殿下を保護するため、脇目も振らずに厩舎まで走り、そのまま自分の馬に飛び乗りました」
「馬の支度はご自分で?」
「はい。時間が惜しかったので手綱だけ。後は何もつけずに飛び乗りました」
あの時厩舎にいた自分の馬はダウタから連れてきている愛馬だった。鞍を着けずに走ることにはお互い慣れていた。
「……厩舎の係は?」
「いませんでした」
クシフォス宰相補佐官の後ろに控えていた文官は、急にさらさらと紙にメモを取り始める。
何かおかしなことでも言ったのだろうか。
「鞍はついてなくて、係もいなかった……」
「はい」
「そうですか、結構です。今日はこれで」
そう言うと、クシフォス宰相補佐官はスッと立ち上がる。
「ここからはいつ出られますか?」
「出られると思いますか? 出られるときは、疑惑が解明されてからですよ」
クシフォス宰相補佐官は一瞥だけすると、秘書にベルを鳴らさせて独房から出て行ってしまった。
「……なんで、こんなことに」
予想外の展開に、自分の頭を抱えて俯くしかなかった。
****
- 帝城 カロス -
早朝の窓辺に腰を下すと、二枚の書類を片手で持ちながら、それを比べるように眺める。
昨日のダウタからの証言で、一つの齟齬が生じた。そう変わらない時間帯に、同じ場所に辿り着いた二人の証言が大きく違う。これは、一体どういうことだろうか。
「早いな、カロス」
気が付けば、部屋の扉を開けたままのリシェルが私の執務室を覗き込んでいた。
「リシェル、ノックを……」
「したが、返事がなかった」
「なら、入らないでください」
「冷たいなぁ」
リシェルは私からの冷遇なんて気にもせずに部屋に入り込むと、窓辺に腰を掛けている私の元まで真っ直ぐに歩いてくる。書類に気を取られていて、どうやら周囲に気がいかなかったようだ。
「睡眠と食事の時間をちゃんと取っているか? 根を詰めるなよ?」
「大したことはしていませんよ」
「お前のそれは、大した成果が出ていないっていう意味だろ。そうじゃないよ。お前の体の話だ」
近付いてくるリシェル一瞥すると、再び書類に視線を戻した。それ以降口を開かない私を見てリシェルはため息をつく。
「……そういえば、今朝早く帝城の入口で不審者が乱入したそうだな?」
「………収束しましたから、問題ありません」
知っているのか、私が口を開かざるを得ない話題を選んだリシェルは、私が彼の思惑通りに口を開いたのを見て笑みを浮かべる。
「そうか。聞いた話では、昔将軍の側付きだったキルギスさんに似た人間が、門番と揉めて無理矢理入り込もうとした、とか?」
やはり知っていたか。
昨日キルギスに伝えた通り、本当にそのままやるとは思わなかった。正面で見ていた秘書官がすぐに対応したから話が大きくなる前に収束したが、結局は私が迎えに行く事態になった。無理に入れば、投獄か身元引受人が必要になる事態になるとはわかっていただろうに、今日の早朝までに来いと言った私への仕返しだろうか。
「……そうですか」
「なんだ、反応が薄いな。カロスの好物だったキルギスさんの名前が出たのに」
「好物ではありませんよ」
「小さい頃は彼の後ろしか歩かなかっただろ。でも、その落ち着きようを見ると、どうやらその騒ぎはカロスの預かるところだったか?」
「どうでしょう」
「で、何でキルギスさんが帝城に来ているんだ? どこに隠したんだ。隣の部屋か?」
執務机の横にある応接室への扉に視線を流す彼の勘の良さに、イラッとさえする。無言で冷たい視線をリシェルに向けると、リシェルは何が可笑しいのかクハッと笑った。
「ははっ。これ以上は答えてくれそうにはないな。まあその話は置いておこう。で、朝から何を熱心に見ているんだ。何か進展でもあったのか?」
どれどれとリシェルも同じように窓側に背を向けて私と並ぶと、私の持っている書類を覗き込む。それはダウタの発言と、もう一人の調書だった。
「ダウタからの話で、少しおかしなことが出てきたぐらいです」
「へえ、覆りそうか?」
「どうでしょう。ただ証言との齟齬を考える足がかりぐらいにはなりそうですね」
リシェルは私の視線の先を確認する。
「………最初に出た方の馬には全てが整えられていて、最後に出た方には馬に何も付いていなかったのか」
「ええ。前者は厩舎係が準備を整えていたと言い、後者は厩舎には誰もいなかったと言っています」
「二人の時間差は?」
「五分もなかったかと」
「そうか……」
リシェルは私の引っかかっている事に気付いたのか、声のトーンが下がる。
私の手に持っている書類には、エルディ・ダウタともう一人、“アルノルド・キアラ・セリーニス”の名が書かれている。彼は皇帝派のセリーニス伯爵家の次男で、キツキ専属の近衛騎士の一人だった。
セリーニス伯爵家は過激とまではいかないが、現皇帝陛下を強く支持している家門だ
あの時、ルーア城から出られたのは二人。
ヒカリを迎えに行ったエルディ・ダウタと、帝城への伝令のためにルーア城を出発したアルノルド・キアラ。
キツキに飲ませた毒を運んだであろう証拠の入れ物が、一向にルーア城の内外から出てこないので、時間が経つにつれて外へ出た人間に疑いの目が向いていた。そんな中、キアラは三日後に帝城に到着し、その際に馬の鞍から銀留花の毒の成分がついた小瓶を落として、すぐさま身柄を拘束された。
貴人の身を護るはずの近衛騎士の疑惑に、帝城上層部では衝撃が走った。
すぐさま関係者に箝口令が敷かれた。これを知るのは、陛下と皇務省と軍務省の一部の人間。それと厩舎で小瓶を発見した係と、その場に居合わせた数人。
ここまでが今までの話なのだが、様々な事情からエルディ・ダウタを捕まえたら、思いのほか違った角度からの証言が入った。
「小瓶が出てきたのは、帝城の厩舎だったよな?」
「キアラが帝城に到着して馬から降りた後、馬の世話を任された軍務省の厩舎係が鞍を外すと小瓶が落ちてきたという証言でした」
「それも不思議な話だよな。大事な証拠品を鞍に置いたまま離れるなんて。継承権をもっている人間に毒を飲ませれば、どれだけの重罪になるなんて彼の立場なら重々承知だろう。近衛騎士である人間が迂闊なんて言葉では表せないほどのミスだ」
私もそれが最初に引っかかった。
直前まで鞍に隠しておいたとして、降りる前には自分のポケットなりに移し替えるぐらいの事はするだろう。犯人ならそれを隠す目的で伝令として城を出たのだから、それを最後まで遂行しそうなものなのに、彼はしなかった。
それになぜ帝城まで運んだのかも気になる。
途中で大きな街は数か所あっただろうに、途中で捨てもせずに帝城まで持ち帰ってきた。場所によっては捨てた人間が特定されやすくなるというリスクもあるだろうが、それでも鍛冶屋のように高熱の炉にでも投げ入れてしまえば証拠は残らなかっただろう。だから鞍に証拠の小瓶を残し、係が鞍を外したときに小瓶が落ちたと聞いて、その違和感を抑えることは出来なかった。
「本人は知らないと?」
「昨日もその証言を覆してはいません」
本人も小瓶のことは知らないとの一点張りだ。
それもあり、どのタイミングで証拠の小瓶を持ち出せたのかは、未だ解明出来ていない。
「セリーニス家の次男か。ご当主も長兄も慎重な性格なのだがな」
「キアラ本人もですよ。私も信じられない思いですが、それは私よりも軍務省の人間の方が思っているでしょう」
将軍もアルノルド・キアラの容疑に驚きを隠せなかった。妻を殺した毒を自分の部下が持っていただなんて信じたくはないだろう。
「お前が首を突っ込まなきゃ、この件は証拠品も出ているのだから、犯人は確定されていただろうな」
「……おかしなところがまだありましたので」
軍会議にかけられそうだったこの件を、奪うようにして皇務省預かりにしてきた。
後で軍務省から抗議が来るのは必至だが、絶対に間違えてはいけない犯人探しだ。怪しげな証拠品と軍の規範だけで裁かせるわけにはいかない。
主犯でなくとも犯行組織の一味と認められれば、死罪は免れないだろう。そして、その累は一族まで及ぶ。
「犯人が正解なら良いのです。ですが、訴えの通り間違えていたのなら、我々は本当の犯人を逃したことになります。冤罪の彼を叩いたところで真実は出てこないのですから、今回のことは永遠に解けない迷宮となるか、もしくは真犯人が作り出した道筋通りに歩かされることになる。そこにはきっと、それらしい結末も用意されているのでしょうね」
「させられないな、そんなことは」
「ええ」
キツキに毒を盛るぐらいなのだから、犯人の望むその結末だって碌な物ではないだろう。
「ルーア城で毒を運んだ給仕は?」
「すでに捕縛していますが、こちらは黙秘を貫いていますね。そのために犯行仲間の特定が難しく、彼の同郷であるドーマ領から派遣されてきた人間九名全てをルーア城で拘束中です」
「ドーマ領……って、ノイス王国との辺境じゃないか」
「厄介なことに。そしてセリーニス伯爵領はその隣。共にセルゲレン地方です」
「おいおい。どちらも陛下の忠臣だろ? ドーマ伯爵なんて頭が堅いぐらいに国に忠誠を誓っている人だ。そんな人が毒なんて卑怯な手段を使って、皇位継承者を狙うとも思えない」
「ええ、ですから周囲にはわからないように調査隊を密かに派遣させています。伝書鳥の報告では、双方ともにそれらしき証拠も計画の後も発見されず、当主たちは濡れ衣を主張しているようです」
「そうか」
リシェルは安堵したように息を吐くと、前髪をくしゃりと掴む。この様子からリシェル自身が相当にドーマ伯爵を信用していたのだろう。我々の仕事に私情を挟むことはご法度だということはリシェルだってわかっている。だから、今の現状を受け止めようと必死なようだ。
「それと、ドーマ領ではキツキ達のところへ使用人達の派遣をしていないそうです」
「派遣……。それは、西側の拠点を動かすためにイリヤが周辺から使用人を借りたってあれか? ドーマが派遣していないと言うのは、まさか?」
「どこかの組織が、ドーマ領の名を語って使用人を送り込んだのかと」
「証明は?」
「今から。ドーマ領に長く仕える使用人を数人ルーア城に移動させて……」
「お互いの顔の確認をするのか」
「ええ。その結果待ちです」
リシェルは難しい顏で顎をさする。
「……もし、それがドーマ領の人間ではないと証明されたら、他からの派遣も疑わないといけないよな?」
「勿論。イリヤにはその調査も急がせています。危険ですので支援で来た人間を調査に使わせないため、信用できる人間を数人送り込みました」
「帝城で動かせる人間はどのくらい残っている?」
「……裏が無いと確証のある人間は、そう多くありません」
皇務省の人間は他の省に比べて人数は少ないが、かといって調査も出来ないほど人員に困っているほど少ない訳ではない。少し遠くまで派遣ができる人間はまだまだ残っているのだが。
「あの手紙のせいか?」
「ええ」
すぐそこにあった執務机の鍵付きの扉から、三通の手紙を取り出す。どれも、高級品の素材ではあるが、帝国の大都市でならどこでも手に入る代物だった。ありきたりな封筒と用紙を使って特徴を出さないのは、特定が早まるのを避けるためであろう。それだけでも、これを送ってきた犯人の人間性が見える。
一つ目の手紙を封筒から広げる。
封筒には黄色の封蝋が押され、そこには獅子の刻印が浮き出ていた。
広げると、中には『キツキ・リトスは皇太子に据えることは国を転覆させると同義だ。賊子に死を』と、乱雑な文字で走り書きのように書かれた文字は太く、ペンではなく先がバラバラの筆のようなもので書かれている。
二つ目は青い封蝋が押され、剣を掴んだ四枚の大きな羽をもった鳥の刻印が浮き出ている。
中には『キツキ・リトスよりも皇太子にふさわしい人間がいる。再審議を』と、これも乱雑な走り書きで書かれている。
三つ目は封蝋が緑色。こちらの刻印は竜を模したものだった。
中は『キツキ・リトスよりも順位の高い人間がいる。彼を無視する継承権順位は無効だ』と、同じく乱雑な文字で書かれていた。
三つの封蝋には、どれも現世には存在しない神獣を模した意匠の刻印がされ、そしてどれも乱雑な文字で書かれてはいるが、どれも筆跡は違う。鑑定をしたが、利き手とは反対の手で書かれた文字のようで、それぞれ別の人間が書いたものだと帝城の鑑定士は話していた。
もう一つ共通することは、どれもキツキの皇位継承権第一位を心良く思っていない事。急に現れて一位なのだから、わからなくもないが、こちらはそれを翻す気はさらさらない。
この手紙が発見された場所は様々で、いずれも別の省へ書類を運ぶ封筒群の中にいつの間にか混ぜられていたのだという。宛先はどれも『キツキ・リトス』だった。
内城の省の建物に入れて、筆跡を辿られるわけにはいかない人間となると、帝城に簡単に出入り出来る人間か、宮仕えをしている人間の可能性は高い。
つまりは、過激な手段を取る敵が帝城内に潜んでいる。それがどれほど大きい組織なのかはまだわからない。
文面的にもキツキを槍玉に挙げているところから、皇帝派側の人間が疑われる。
今や帝城に宮仕えしている半分以上は皇帝派の子息達で、彼らに今回の機密を扱わせることは難しいだろう。
広げた手紙の一枚をリシェルは持ち上げる。
「やはり皇帝派の子息を調査に加えるのは難しいか」
「組織の形大きさが見えてくれば、疑惑の範囲は狭まるのですが」
「それも、敵の思惑か」
未遂とは言え、今回の事件は皇位継承権一位を保持するキツキの殺害だ。証拠を潰されたり、捜査情報を敵組織に漏らすわけにはいかない。慎重を期さなければならないのに、この手紙のおかげで調査に必要な人手が思うように望めなくなった。
それは三枚の手紙の送り主が同一の組織のように見えるが、文面だけを見ると思想が全く違う別々の組織に思えるからだ。見方によっては、皇帝派だけではなく、回顧派や貴族派の一部の人間にも宛てはまる内容にも読める。
一通目はキツキを賊子という強い非難までしているが、二通目三通目はキツキの順位に不満を抱えている。
かといって二通目三通目も微妙に違う。納得のいかない順位に対して、二通目は“再審議を”と訴えているが、三通目は“無効だ”と結論づけている。
おかげで裏の裏まで知っているような人間でなければ、調査に加えることが出来なくなった。
この手紙が本気でも嘘で固められた手紙だとしても、黒の可能性が少しでもあるのであれば、事件が重要であるほど人選は慎重にならざるを得ない。
事件を撹乱し、捜査の手を弱めるには十分過ぎるほどの代物だった。
「……相手は相当に頭が切れますね」
「そのようだな」
「この手紙を回顧派の主軸が知れば、皇帝派の人間を今回の調査やキツキに近付けるなと言い出すのは目に見えています。ですが、皇帝派の人間だけを重要な仕事から外せば、皇帝派の反発も必至。皇帝派で回っている帝城が機能しなくなる」
「だな」
二人で重たいため息をつく。
元々皇帝派は先代から多かったが、アリアンナ妃が妃におさまってからは、皇帝派の中でもセルゲレン侯爵寄りの人間が大量に帝城の職に就いていた。ただ贅沢をするだけではなく、意外にもアリアンナ妃はきちんと仕事をしていたようだ。
「なあ、そろそろ“皇帝派”って言い方止めないか? 彼らの多くは陛下のご意思なんて、てんで無視じゃないか」
「それは良い案ですね」
リシェルの提案にふっと笑う。
「それは彼らの親世代から言い出した言葉ですしね」
「あの時と今では状況が違うのにな」
「では、陛下のご意思に反した門下は“アリアンナ妃派”と呼べは良いでしょうか?」
私の言葉に、リシェルはハッとおかしそうに笑う。
「なんだ、そこは“セルゲレン派”じゃないのか?」
「娘の方が働き者のようですのでね」
リシェルは更に笑う。
「それなら“将軍派”も必要じゃないか?」
「なんだか、父が陛下をないがしろにしている枠に入っているみたいですね」
「違う違う。将軍が陛下を敬愛しているのは周知の事実だ。それとは別に将軍を別枠として敬愛している人間が多いのでね」
「………それは必要ですかね?」
「家族には疎いな、カロス。将軍の求心力を舐めていると痛い目を見るぞ?」
「お節介がそこまで大きくなっているなんて、思いもしませんでしたよ」
淡々と答える私に、リシェルはどこか呆れた顏だ。
「何言っている。お前を手伝っている人間の半分近くが、将軍への忠誠心からだよ」
そう指摘されると面白くはない。ムッとした顔をリシェルに向ける。
「ちなみに俺は“カロス派”だ」
いたずらっ子のような目でリシェルは私の顔を覗き込むと、握り拳を持ち上げてみせる。それを見て、私も手を拳にすると、リシェルの拳に小突くかのように軽くぶつけた。
「ヒカリは任せましたよ?」
「ああ、こちらは任せておけ」
「キツキの立太子の儀は………」
「絶対に成功させるんだろ? わかってる」
ニヤッと笑うリシェルに目を細める。
「食事の時間が終われば、あなたが会いたがっていたキルギスに会わせますよ」
「……そういえば、今日はリトス卿が来る日だったな?」
どこまでも勘の良い野生児が時々嫌になる。私の歪んだ顔を見てリシェルはまた笑った。
「あれ、当たったか?」
「結果は後ほど」
「ブハッ。では、楽しみに待っていよう」
「……そろそろ、お行きなさい。秘書官殿」
私の負け惜しみを聞くと、満足そうにリシェルは執務室から出て行った。
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少しずつ暑くなっていく空気は感じるものの、その日の空は澄み、私の心はそんな空のように晴れ渡っていた。
今日は久しぶりに大叔父様にお会い出来る。
それもあってか、朝からエレノアが髪を結ってくれた。自分では一纏めにしか結えないので、髪を芸術品のごとく結い上げていくエレノアの指先の器用さを、鏡越しに驚嘆していた。そんなエレノアが最後の仕上げとして髪に付けてくれたのは、小さな光る石がついた花型の髪飾りだった。
「はい、これでおしまいです」
「おお、光ってる」
手鏡を持ちながら、いつもとは違う自分にドキドキしつつも、その仕上がりの高さに驚愕する。
「ヒカリ様は、もっとおしゃれをなさっても良いかと思いますわ」
エレノアは満足気に私の仕上がりを鏡越しに見ている。
今までスライム狩りに邪魔なものは付けたことがなかったから、綺麗にしてもらえるとこそばゆくて、着飾った自分をなかなか直視出来ずにもいた。
「ささ、食事室へ行きましょう。セウス様達がお待ちですわ」
「おしゃれなら少し位は男を待たせても良いんだって、おばあちゃまが言っていたわ」
「まあ、おほほ」
小さい頃、髪を結ってくれていたおばあちゃまに、おじいちゃん達に置いて行かれるからはやくはやくと急かした時に、そんなことを言われた懐かしい記憶が蘇る。
廊下にはエレノアの言う通り、セウスとユーシスが既に待っていた。
帝城に来てからは、ユーシスがセウスの身の回りのことを手伝ってくれていた。セウスはまだ帝国の服には着慣れていないので、ユーシスが面倒を見てくれるだけでもありがたい。それはエルディさんも同じだったけれど、今や彼は勉強会へ行ってしまっているから、ユーシス一人でそれをやってくれている。
今朝はそんなユーシスの一言から、私の今日の運勢は変わる。
「………おかしいですよね」
それは合流してすぐに、「今日はいつもよりも可愛いね」と、セウスがエレノアの技術の高さを褒める言葉に被せるように発せられた言葉。
真顔なユーシスが、朝から不穏な言葉を漏らす。
彼は普段は不満どころか、滅多に口を開かないものだからその一言がとても気になってしまう。
「どうなさったの、ユーシス?」
私の後ろを歩くエレノアが、自分の隣を歩くユーシスに質問をする。
「おかしいと思いませんか、エレノア様?」
「まあ、どこか曲がっていたかしら?」
エレノアは心配そうに私の後頭部をまじまじと見る。
「違います、エレノア様。エレノア様の腕は見事なまでに卓越しています」
そうそう。不器用な私からみたら、エレノアは超越している。
ユーシスの言葉にエレノアはホッとする。
「では、何のお話かしら。ユーシス?」
「私にはともかく、エルディがヒカリ様に何も言わずに、お側を離れるなんてあるのだろうかと」
あらとエレノアは目をパチクリさせる。
「そう言われますと、そうよねぇ」
エルディは律儀ですものねとエレノアはおっとりと頷く。
「ですよね。席を少しでも離れるだけでも行先を告げていく奴なのに!」
ユーシスは同調するエレノアの助けを借りるように、彼の語気は強くなる。
「でも、カロスが勉強のために連れて行ったと言っていたから、ダイジョブなんじゃない?」
「ですが、ヒカリ様。あの黒公爵のなさることは……」
ユーシスの口から懐かしいカロスの二つ名を聞いたな。そういえば、騎士達もその名でカロスを語る人が多い。どうしてなんだろうと視線を上にするけれど、私だって村に帰れば「オズワードさん宅のドジっ子」ていうあだ名があるんだから、大した理由なんてないのだろう。
「気になるなら、カロスに会った時にでもエルディさんの事は聞いておくよ」
「ヒカリが聞かなくても、気になるのならユーシスが自分で聞いてくれば?」
横を歩くセウスが面白くなさそうな顏で口を挟んでくる。
「いえ、私一人では宰相補佐官達のいらっしゃる皇務省のフロアには上がれませんので」
「関係者以外立ち入り禁止ってやつ?」
「それ以前に、ヒカリ様の側付きという立場でなければ、官職ではない私では普段は帝城の二階以上や奥には入れないのです。皇務省に入るには階級が“二”以上必要なのです」
ユーシスは胸元に刺さった三つの丸が描かれているピンを撫でる。帝城に入る際に、私の側付きだと説明したユーシスとエレノア、それにセウスとエルディさんに配られたピンだった。帝城ではそれをつけていないと、制服のない彼らは帝城の高階を歩けないと説明された。
セウスがずっと私の側にいられないのは、それが理由でもある。
ユーシスの話に、ふーんとセウスは視線を上に上げる。
「じゃあ、近衛騎士の人は?」
「本来は“二”だったのですが、現在は“一”のはずです」
「“一”ってことは、どこでも入れるってこと?」
私が口を挟む。
「そうなりますね。階級が“一”となると、皇帝陛下のご寝所まで入ることが許されます」
「へぇ」
「本来って?」
納得する私と交代するように、セウスもユーシスに質問する。
「ひと昔前までは近衛よりも上の階級があったのですが、今はその階級を使っていませんので近衛が実質の“一”なのです」
「なんだか、難しそうだね。じゃあ、僕もヒカリの彼氏でなければ二階以上は入れなかったと」
「あ……ええと、セウス様は帝国の爵位のある御家門ではないので、内城に入る事も出来ないかと」
「内城って、敷地から? え、そんなに厳しいの?」
「はい、官職もなければ。残念ですが」
ユーシスは気まずそうに視線を横に逸らす。セウスに対して地位が低いと言ったも同然なのだから、言いづらいのだろう。
「聞いたセウスが悪いから、ユーシスは気にしないで」
私のフォローに、セウスは顔を顰める。何よ。
「はー。ノクロスさんが言っていた通りか」
「おじさん、何か言っていたの?」
「色々と」
「へえ」
「少し、本気で考えてみるか」
「ほう」
セウスが弱気にぶつぶつと話すのは珍しい。それにしても色々考えるって何を考えるのか。
「そういえば、ヒカリは今日はオズワードさんの弟さんと会う日なんだよね?」
「うん! キツキのお見舞いに来るから、その後に会う約束なんだ」
「そうか。僕も挨拶しておきたいな。オズワードさんにはお世話になりっぱなしだったしね」
「うん、じゃあ一緒に会おうよ」
「では、お言葉に甘えて。やっぱりオズワードさんに似ているの?」
「目元がよく似ているわよ」
「目元かぁ……」
答えを聞いたセウスの表情は、笑いながらも重くなる。
「何よ、その顏」
「いや、僕を叱るときのオズワードさんの目が、今でも怖くてね」
「何を子供みたいなことを」
「いや、ヒカリだってオズワードさんに叱られる時は下を向いてしょぼくれてたでしょ? 目なんか見てなかったよね?」
そう言われれば確かに。おじいちゃんが怒っているときの目はいつもの優しい目とは違って威圧感がすごくて怖くて合せられなかった。それは私どころか、キツキだって同じだ。
キツキとの兄妹喧嘩で、学校の屋根を燃やしたり、芽が出始めた畑の土を風魔素や氷魔素でぐちゃぐちゃになるぐらいにひっくり返したのだから、今考えてもおじいちゃんが怒って当然のことをしでかしていたんだけど。
食事室が近くなると、近衛騎士の二人が早足で先行する。警備の騎士が開けた食事室の扉の中に入り、部屋の中の確認を始めた。
一方の私たちは、まだ議論の最中で、ゆっくりと食事室へと近付く。
「うん、そういうことにしておこう」
「あ、逃げたな」
「大叔父様は優しいから大丈夫だよ」
「だと良いけどね」
「意外と小心者なのね」
「うるさい」
私達がやいのやいのと会話しているうちに、食事室の扉は全開で、近衛騎士の二人は室内のチェックを追えて直立して私達が入るのを待っていた。
「では、ヒカリ様。私達は別室で待機しておりますので」
「うん。わかった」
セウスとの同席の許可は得たものの、帝城では側仕えであるエレノアとユーシスは同席が出来ない。彼らは別室で食事を取っている。一緒に食事をしたいけれど、帝国の中心である帝城の中では、私との身分の差をはっきりとする必要があるのだとエレノアに諭された。
「食事が終わりましたら、お迎えに上がります」
エレノアとユーシスは私に礼をした。
食事の後、時間調整のために別室でお茶を飲みながらゆっくりした後、リシェルさんがやってきて大叔父様と面会する部屋まで案内をしてくれた。
案内をするリシェルさんはどこか気まずそうである。
部屋に入るなり、そこで待っていた懐かしいお顔を見て思わず飛びついたのだけれど、大叔父様の席の後ろで控えていた人達の顏を見て、私の体は固まった。
「え、なんで?」
驚く私を見ながら、先ずは座りましょうかと笑顔の大叔父様に席を勧められて私達は長椅子に座る。
杖をついた大叔父様が安全に長椅子に座られたことを確認すると、さっきの疑問を投げかけた。
「えっと。これは一体どういうことでしょうか?」
何が起こっているのかわからない。
向かいに座る大叔父様の後ろに並ぶ面子の組み合わせが余りにも奇妙で、挨拶さえすっ飛ばしてしまった。
隣に座るセウスの表情はどことなく硬く、そして私達の横に立つリシェルさんはなんだか遠くを見ている。
「何故大叔父様が、カロスとキルギスさんと、それにランドルフとクラーディ公爵とご一緒なのですか?」
そしてさっきから目の前の人達は、正面に座っている私達ではなくて、左右にいるお互いに対して冷ややかな視線を浴びせ合っていた。バチバチとした火花というよりかは、バリバリッと氷でも足元から生えそうなほど双方冷ややかな視線だ。
私からの質問に、背中の状況が見えない大叔父様はフォッフォッと嬉しそうに笑う。
「いやいや、実はですね。キツキの事件を受けて、ヒカリを直接護衛したいとのお申し出をいただきました」
「ご、えい?」
「お話から、皆様ヒカリと顔見知りだと聞きまして。お聞きしていた通り、ヒカリが皆様のお名前をご存知のようで安心しました」
「あ、えっと………」
え、この四人が護衛なの?
なんだかあくの強そうな印象しかない。
「護衛はキルギス様とランドルフ様のお二方ですよ」
大叔父様の説明を聞いて、安堵する。どう見ても目の前の三人は同室にいてはいけない面子だ。前はなんとか引き離せたけれど、今度こそ大騒動になりそう。今でさえ、私の目の前で不仲を取り繕う気もない。
「ヒカリの知らない人を近くに置くのは心配でしたので、そういった方々からの申し出は断らせて頂きました。ヒカリを護ってくださる人が増えるのは、あなたのお役に立てない老骨の身としては大変ありがたいものです。あなたに大事があればなんて考えてしまうと、夜も眠れませんのでね」
「大叔父様」
私のことを考えてくださっているその気持ちにジーンと胸が熱くなる。おじいちゃんは自分で護れるようにと色々と教えてくれていたけれど、それとはまた違った私への心配りで、大切にされていることがわかると嬉しくなる。
そんな私達の感動ものの家族愛を他所に、大叔父様の背中では無言の冷戦が開始され、睨み合いが加速している。ちょっとしたことでは動じないセウスでさえ「すっごいね」と感想を漏らしちゃうほどだ。
大叔父様が親切心からだと思って承諾した申し出が穢れたものになる前に、睨み合いを止めろと「ごほんっ!」と私の怒りのこもったわざとらしい咳に気付いたのか、横に向いていた彼らの視線は正面を向いた。
よし、大叔父様にはバレていないな。
「ヒカリ。改めて、護衛を申し出てくれたキルギス様と、ランドルフ様だ。どちらも武勇に秀でた方々で、この上ないお申し出ですよ」
「はあ」
ランドルフはわかるけど、キルギスさんは意外だ。キルギスさんに向けた私の視線に気が付いたのか、大叔父様は更に説明を続けた。
「キルギス様は今は造船所を経営なさっていますが、元々は近衛騎士でしてね。昔は将軍閣下の側近で、よく兄達の捜索状況の報告に、うちにもいらしていたのですよ。ですから私も人となりは存じ上げているつもりです」
「え、キルギスさん近衛騎士だったんですか?」
私の質問に大叔父様は嬉しそうに頷く。
近衛騎士だったのか。それなら護衛を申し出てくれた理由がわかる。でも、キルギスさんとは数回しか会っていないのに、わざわざ申し出てくれたのだろうかと考え込んでいると。
「キルギス様の推薦人がクシフォス宰相補佐官様で、ランドルフ様の推薦人がクラーディ公爵閣下です。本日はご一緒にヒカリに挨拶をしたいと、足を運んでくださいました」
なるほど。
カロスがユヴィルおじ様繋がりのキルギスさんを捕まえてきたってことか。
だけど私には近衛騎士がいるのに、過去に近衛騎士をしていたキルギスさんをわざわざ推薦してまでも連れて来ただなんて、一体どういう風の吹き回しなのか。
「わかりました。大叔父様、ありがとうございます」
大叔父様からしたら、私のためにと護衛を承諾してくださったんだから、私としてもその気持ちは素直に受け取りたい。
けれど。
私はチラッと大叔父様の後ろにいる男性に視線を送ると、相手もそれに気づいたようだ。他人事のように私に軽く会釈すると、それだけで素知らぬ顔をした。
むむむ。最近カロスが素っ気ない。
「カロス、キルギスさんに無茶言ったらダメじゃない」
大叔父様を飛び越えてカロスに注意すると、カロスはおやっと驚いた顔をする。キルギスさんは造船所のお仕事があるはずなのに、お仕事とは関係のないこの帝城にいるってことは、ユヴィルおじ様の部下だったキルギスさんにきっと無茶なことを言ったに違いない。
「確かにキルギスに無茶は言いましたが、それを決めたのはキルギス本人です。彼は将軍も信頼していた武官でしたので、きっとバシリッサ公爵も気に入りますよ」
にっこりと説得するのだけれど、無茶した理由も言わないし、さらにその笑顔がとっても胡散臭い。何か隠しているなと思うけれど、今までカロスの側にいて、彼の行動が僅かながらにわかってきていた私は、カロスが意味の無いことをする訳がないよなと、とりあえずはカロスの思惑通りに動くことにした。
「わかった。それなら、キルギスさんを返してと言っても返さないからね?」
その言葉に隣にいたキルギスさんはブフッと吹き出す。カロスがそれを横目で睨むけれど、キルギスさんはお構いなしに笑いを堪える。
「ええ。思う存分お使いください。やわではないので、よく働くはずですから。何でしたら一日中側に置いてください」
遠まわしに休みが無いと言われたキルギスさんは、ウッと顔を引き攣らせるが、カロスはツーンと無視をしている。その姿を見るだけでも、何となく二人の関係が見えたような気がした。
「バシリッサ公爵、お久し振りでございます」
私達の間に割って入るかのように、クラーディ公爵が声を掛けてきた。
「この度リトス卿の許可をいただきまして、息子のランドルフが貴殿の護衛を仕ることとなりました。こちらは現役の騎士ですので、安心してお側に置いてください」
少し嫌味ったらしい挨拶をされる。
嫌味を向けたのは私ではなく、近衛騎士を退いたキルギスさんへ向けてなのだろうが。
その言葉に、さっきまではツーンとしていたカロスの視線がまた隣のクラーディ公爵へと向く。
「クラーディ公爵のご子息においては、対人戦では優秀でありましょうが、貴人の護衛をするという経験は皆無でしょう。キルギスは十年近く護衛を生業としてきましたので、ご子息よりはお役に立ちましょう」
カロスの言葉に、今度はクラーディ公爵の視線がカロスに向くと二人の冷戦は再開された。
その様子にセウスは横で「面白いね」なんて他人事のように見ている。
大叔父様に二人の冷戦がバレる前に、誰かその二人を止めてくれと祈っていると、クラーディ公爵の横にいたランドルフが一歩前に出た。私をじっと見てくるから、何かまた傲慢な発言をするのではと、手を胸の前に出して戦う準備をする。大叔父様の前で下手なことを言った瞬間に、窓から退場してもらうつもりだ。
ランドルフとの最後の記憶が記憶なだけに、今度もどんな喧嘩を売ってくるのかと身構えていると、ランドルフは静かに右手を左胸に当てて、流れるような綺麗な礼をする。
「ランドルフ・クラーディです。あなたの護衛の許可をリトス卿よりいただきました。本日より、あなたの身は私が責任を持ってお護りいたします」
……んあ?
予想外の行動に気が抜ける。
今までのは幻だったのだろうかと思うほど、なんだか態度も所作も違う。
隣にいる父のクラーディ公爵は息子の挨拶を見ると誇らし気な顔をする。
「流石はクラーディ公爵閣下の御子息ですね。武術だけではなく、仕草に品があって見事ですね。素晴らしい」
大叔父様の言葉に気を良くしたクラーディ公爵は、バシリッサ公爵のお相手にいかがですかなと息子を売り始めていた。そんなクラーディ公爵はこちらに視線を流してくる。こちらというよりかは、私の横にいるセウスへと向けているのがわかった。
「そういえば、バシリッサ公爵殿。お隣の青年がかの有名な“恋人”ですかな?」
クラーディ公爵が蛇のような目で隣にいるセウスを見ると、みんなの視線は一気にセウスに集まる。
セウスはその視線に気づいたのだろうか。さっきまでは目の前に繰り広げられていた冷戦を、肘をつきながら緩んだ体勢で鑑賞していたけれど、体を真っ直ぐに正すと威厳あるクラーディ公爵に視線を返す。普通の人ならクラーディ公爵に睨まれるだけで縮こまりそうな程に圧が強いけれど、セウスにはそれが効かないのか一切動じる様子を見せない。
「ヒカリ、僕の紹介を」
セウスにコソッと耳打ちをされてクラーディ公爵の威圧に自分が固まっていたことに気がついた。
「あ、ええっと。はい。“恋人”のセウスです」
「本当に恋人がいらっしゃったとは」
クラーディ公爵は顔を顰める。
「それにしても恋人とは便利な言葉だ。最近までお相手はカロス殿かと思っていたのですが、まさか相手にもされていなかったとは」
公爵に嘲笑うような視線を向られても、カロスは冷ややかな視線のままピクリとも動かない。
だけど、私は公爵の発言がとても腹立たしい。カロスはずっと私を助けてくれていただけなのに、嘲笑われる謂れはない。
公爵に一言文句言ってやると憤っていると。
「ちょっ……!」
「父上、でしゃばりすぎです。バシリッサ公爵に失礼ですよ」
後ろからランドルフが父である公爵を止めに入るとピタッと公爵は口を止める。
ランドルフのその言葉に私だけではなく、カロスも驚いたようだ。
止めに入った息子を咎める訳でもなく、公爵は言葉を飲み込み、視線を私に向けて申し訳なさそうな顔をする。
私じゃなくて、カロスに悪いと思いなさいよね。
「申し訳ありません、バシリッサ公爵。父に代わり謝罪いたします」
ランドルフは丁寧に頭を下げるとそれに倣うように、公爵も頭を下げた。
その姿にポカーンとしてしまう。
あれは本当に今まで接してきたランドルフなのだろうか。
下げていた頭を上げたランドルフと視線が合うと、ランドルフはふっと柔らかく笑う。その顔に一撃を喰らった。
シキの困った時にごまかそうとする笑い方に似ていたのだ。
思わず視線を下げてしまう。
何故だ。ランドルフなのに胸がドキドキする。
「あのランドルフって人、なんだかシキさんに似てるね?」
セウスが小声で話しかけてくる。銀髪だし、なんだか体格も筋肉のつき方も似てるなと、ブツブツと呟く。流石セウスだ。見る目があるな。
「シキの従兄弟だって」
体をセウスに寄せて、私もセウスに聞こえる程度の小声で話す。
「…………従兄弟?」
「うん」
「へえ」
さっきまで何事にも動じなかったセウスの眉が、ピクリと反応するとランドルフを睨む。
何を思ったのか、セウスはすっと立ち上がると大叔父様を始め、正面にいる人達に満面の笑みを向ける。
それは村ではよく見ていた似非笑顔。つまりは悪魔顔。
セウスはゆっくりと目の前の人達を見渡すとおもむろに口を開いた。
「初めまして。恋人兼、筆頭護衛のセウスです。どうぞ、僕の彼女の身の安全を第一に、宜しくお願いしますね。あ、夜は僕が彼女に一晩中付き添いますから、護衛の必要はありませんよ?」
部屋の中は、さっきまでの冷戦とは違った雰囲気にのまれる。
セウスは険悪な雰囲気の中、笑顔で火に油を注いだ。
<人物メモ>
【アルノルド・キアラ(アルノルド・キアラ・セリーニス)】
セリーニス伯爵の次男。キツキの専属近衛騎士だった。
事件の当日、ルーア城から帝城まで伝令として走ったが、到着するや否や、毒の入った小瓶が馬の鞍から落ちて、捕縛される。現在投獄中の身だが、潔白を訴えている。
【ランドルフ(ランドルフ・クラーディ)】
クラーディ公爵の三男。銀髪銀眼でリシェルとシキの従兄弟。とある理由で帝都へ戻ってきていたけれど、父の勧め(思惑?)でヒカリの護衛になることとなった。怒鳴り合うような喧嘩から数か月しか経っていないのに、ランドルフの激変にヒカリは戸惑う。
【クラーディ公爵(イオニア・クラーディ)】
ランドルフの父親。帝国最古の公爵位称号を持ち、帝国に強い影響力を持つ人間。リシェル達の叔父。神隠しの皇女ライラのことになると、異常なまでの執着を見せる。ライラそっくりのヒカリにも、その矛先が向いている。
※他省略
※一部添え名あり
<更新メモ>
2022/11/21 加筆(主に修正)、独り言メモの削除、人物メモの更新