揺れ動くもの2
あの爆弾のような近衛騎士たちとの顔合わせから一日。
私の横に座るセウスの表情は重い。
目の前には銀色の髪の男性。
背が高くて凛々しいその姿に、私は見惚れている。
やっぱりかっこいい……。
「ヒ、カ、リ。彼氏はこっちだよ?」
横に座るセウスは、うっとりとしている私を呆れた顔で見ているけど関係ない。私は視線を上から下まで動かして舐めるように見入っている。アカネさんから受け継いだ秘儀『鑑賞』を実行中だ。
どうしよう、心が躍っちゃう。
「リシェル・ヘーリオスと申します。クシフォス補佐官に代わり事件解決までの間、ヒカリ殿下の秘書官となりましたのでどうぞお見知りおきを」
お兄さんはやっぱりかっこいい。
出会った時のような盛装ではないにしろ、かっちりとした服装もよくお似合い。凛々しいお顔で私を真っ直ぐに見てくるものだから、さっきから胸のときめきは止まらない。
アカネさん。鑑賞対象が秘書官になったそうです。
それって見放題ってことですよね?
ああ~、なんでここにアカネさんがいないんだろう。
この幸せを一緒に語りたかった。
んん~、幸せ。
両手を合わせながら見惚れているだけの私の代わりに、呆れ顔のセウスが質問をする。
「秘書官って、どんなことをするんですか?」
「殿下が不自由なく過ごされるための全てのことをします」
「へえ」
セウスの声は低くなる。
「リシェルさんは弟さんとよく似ていらっしゃいますね」
「ええ。ですが、仕事に関しては青二才の弟と同じだとは思っておりません」
「自信家でいらっしゃる」
「帝城に勤めるほとんどの人間はそうですよ」
「僕も気を引き締めなければいけませんね」
セウスはニッコリと笑う。
「大丈夫ですよ。セウス様は畑違いですから」
「っ!」
ん? おや? 今空気がバチッと鳴った?
でもキョロキョロと見回しても何も見えないし、お兄さんとセウスはさっきの音に気づかないのか、お互いに笑顔を向けている。うん、異常はない。
「殿下。出来るだけお側にはおりますが、皇務省へ一時的に戻らねばならないことがあります。ですので、ご所望がございましたらお早めにお伝えいただけますと幸いです」
「何でもいいんですか?」
「はい。殿下に危険が及ばない事でしたら何なりと」
「あ、じゃあ一つだけあるんですが、お言葉に甘えていいですか?」
「何でしょうか?」
「シャリーズとお茶会をしたいの」
シャリーズと初めて会った時に、招待をしてくれると言っていたが、リトス邸からは何かが届いたという連絡は入ってはいない。そもそも私はシャリーズと初めて会ったカロスの誕生日パーティからリトス邸に戻っていないものだから、シャリーズも招待するタイミングがわからなかったのかもしれない。
それに今は帝城からは出られないのなら、これはもう私からお誘いするしか無いでしょう。
約束していた春は少し過ぎてしまったけれど。
「シャリーズ様……」
一瞬、リシェルは誰だろうと考え込むと誰のことかわかったのか「ああ」と頷いて眉間に力を入れると、今度は微笑むように私に向いた。眩しい。
「へロイス伯爵令嬢のシャリーズ様ですね。承知しました。今は帝都にある邸宅にいらっしゃるはずですから、ご連絡を入れてみましょう。ご予定が合えば、来週にでも席を設けますがいかがでしょうか?」
「ありがとうございます。シャリーズの負担にならないようにお願いします!」
「承知しました」
すごーい。
シャリーズがどこにいるのかも知っているんだ。秘書官って凄いんだな。
お兄さんにお願いすれば、なんでもやってくれそうだなと私はパチパチと手を叩く。
「ご要望が以上でしたら、こちらから数個ご連絡がございます」
「ハイ」
私はピシッと背中を伸ばす。
「明日の午前ですが、リトス卿がキツキ殿下のお見舞いにいらっしゃいます。その後、殿下との面会を希望されていますが、いかがなさいますか?」
「大叔父様が?」
「はい」
帝都に戻ってからリトス邸へは一度も戻れていない。
ほんの少しだけでも良いから帰りたかったが、お迎えにきてくれたユリウス皇子からは許可が得られなかった。
リトス邸にも帝城からの護衛部隊が派遣されたとカロスから聞いてはいたから、あちらの安全は大丈夫なのだろうけれど、大叔父様とお会いすることは未だ叶っていなかった。
「もちろん、お会いします! あの、やっぱりリトス邸では会えないんですよね?」
「申し訳ございません。リトス邸と言えど、今は安全のために内城以外の移動は制限させていただいています」
悔しいけれど仕方ない。
キツキがああなった以上は、私は暗殺とは関係がないとか、気にしすぎだなんて言えない。それに私が帝城で大人しくいれば、リトス邸が襲われることもないはずだ。
「わかりました。帝城でお会いします」
「ありがとうございます。それともう一つ」
「はい」
「その午後に、もう一度殿下のことで大貴族院がございますので出席をお願いします」
「え、また?」
「はい。先日、審議し終えなかったことと、追加で審議したいことがあると数人から議長に申し出があったようですね。それと、その時にセウス様にもご出席いただきたいとのことです」
「僕がですか?」
「はい。あなたにも了承をいただきたい話があるとのことです」
「……わかりました」
「では、今日の連絡は以上で………」
「あ、はーい。一つ聞いてもいいですか?」
私は元気よく手を挙げる。
「何なりと、殿下」
「エルディさんはどこに行ったんですか?」
エルディさんが昨日の夜から見当たらない。
キツキの寝ている部屋にも入れなくなり、キツキの目が覚めるまで私の側付きになると言っていたけれど、朝になっても彼の姿は見つからなかった。
「連絡を受けていませんでしたか。エルディ・ダウタ殿でしたら、今は皇務省で勉強をなさっています」
お兄さんはにっこりと笑う。
「勉強?」
「ええ。クシフォス補佐官が直接面倒をみられています。今回のことを受けて、もう少し彼を教育したいとのことでした」
「教育………」
「クシフォス補佐官自ら人を教育したいとは珍しいことですが、相当気に入られているからでしょう。ですので彼のことはご心配無用です」
カロスがエルディさんの面倒を見ていてくれているのか。そうか。
それなら安心だ。
「そうなんですね。わかりました」
「では、私は一度皇務省に戻ります。午後までには戻りますので」
「はい」
お兄さんは礼をすると、部屋を出ていく。
私は軽く背伸びをするけれど、隣に座るセウスがさっきから静かだ。
「どうしたの、セウス?」
顔を近付けて話しかけるけれど、それでもセウスはしばらく黙り込んでいた。
「………思っていた以上に一筋縄ではいかない人だって思ってただけだよ」
「一筋縄?」
一体誰の話をしているのだろうか。
考え込む私の頭に、セウスはポンっと手を置いた。
「で、今日も今からキツキの見舞いに行くの?」
「あ、そうだね。もう行ってもいいかな?」
キツキは朝にご飯と薬を飲んだら、その後体を拭いてもらったり着替えをしてもらっているから、あまり早く行くのはお世話をしている人達のお邪魔になってしまう。朝とお昼の間ぐらいに行くのが良いみたいだ。
「セウスは………行けないよね?」
「ああ。どうせ階段の手前で止められてしまうから、ここで待っているよ」
「わかった。じゃあ行ってくる」
「気をつけて」
心配気な顔のセウスは、私の頭からそっと手を離した。
****
- 帝城内 シキ -
交代を前に、少し早めに登城した。
昼食時間を過ぎた辺りの交代なのだが、その前に今日のヒカリの様子を先に確認しておきたかった。
金属製の籠手の位置を整えながら彼女がいるはずの高階へと足を進める。階段手前にはいつもよりも警備は多いが、一切の制止は受けなかった。
今までは制服の金具は銀色だったけれど、近衛の制服にはほとんどに金があしらわれている。それを見てどの階級かを警備は判断しているようだ。
それ以前に二人の近衛の情報は先に連絡が行っているだろうけれど。
高階に上がると、廊下の先から軍務省の人間なれど自分の制服とは意匠が全く違う服を着た人間が歩いてくる。豪華でいてどこか威厳に満ちた衣装に身を包んだ人を確認すると、廊下の脇に逸れて礼の姿勢で通り過ぎるのを待った。
目の前を少しだけ過ぎると、その人は足を止める。しばらく沈黙すると、振り返って声を掛けてきた。
「ラシェキス、面を上げろ」
命令通りに下げていた頭を上げると、その人と向き合う。そこにいたのは、陛下に似た威厳のあるユリウス皇子だった。どうしてか、皇子の機嫌は悪そうだ。
「ロレッタとの婚約話を断ったそうじゃないか。どうしてだ?」
そう質問をされる。その言葉で何が発生したのか理解が出来た。直ぐに答えない俺を見て、ユリウス皇子は顔を顰める。ご自分の従妹であるロレッタ嬢との破談を、どうやら不快に思われているらしい。
「……そういうお約束でしたので」
「約束? なんだ。特段の理由も無しにロレッタとの話を断ったのか? 彼女は可愛くはなかったのか?」
「いいえ。花のように可愛らしい方です」
コツンと足音が一歩近付く。
「ロレッタの性格が歪んでいたか?」
「いいえ。非の打ちどころが見つからないほどの女性です」
更に一歩近付く。
目の前にユリウス皇子が迫る。
「では、何故だ?」
言葉に詰まる。エティーレ公爵令嬢であるロレッタ嬢との婚約話を断ったことについて皇子に咎められてるのだとしても、どうしても譲れない理由はある。けれど、それは決して表に出してはいけない理由だった。
かといって適当な返答も出来ない。普段は淡々とされている皇子がこれほどまでに表情に怒気を浮かべている今、下手な返事をしてしまえば、全て調べ上げて退路を潰してくるだろう。そうなれば、本当に逃げられなくなってしまう。
「何故ロレッタを泣かせた?!」
答えない俺に皇子は苛立ち始める。
グッと口に力を入れるが、相手が相手なだけに、いい考えが思いつかない。
「……私に、結婚する気がないからです」
「お前! 貴族の男がふざけているのか?!」
ユリウス皇子には答えをはぐらかしたことがわかったのだろう。怒りのままに固めた拳を振り上げる。
「ご結婚されずに役目を放棄しているのは、お互い様ですよね?」
廊下の先から声がしたかと思えば、澄ました顔の兄上が歩いてきた。
「かくいう私も独身ですけれどね」
ふっとどこか嘲笑気味に笑いながらこちらに近付いてくる。
「リシェル……」
「こんなところで大声で何をなさっていますか、ユリウス皇子。人影がないようで、皆聞いていますよ」
兄が窘めると、ユリウス皇子は罰が悪そうに視線を下げた。
「ロレッタ嬢とのお話に関しましては、丁重にお断りのご連絡を当家より入れさせていただきました。それに奇妙な婚約の条件を持ち出してきたのは先方です。弟はそれに従ったまでですよ」
「だが、あれは」
「約束は約束です。でなければ、先方は弟をただ侮辱したに過ぎない。まさか、近衛試験合格の条件が冗談だったなんておっしゃいませんよね?」
「………」
ユリウス皇子はグッと口を噛む。
「弟の決断を快く思わないことはわかりますが、近衛騎士まで脇目もふらずにここまできた弟です。結婚に関しましては、しばらく時間をやりたいと思っています」
兄の言葉で冷静になってきたのか、ユリウス皇子は小さい声でポソリと話し始めた。
「ロレッタがな、ラシェキスとの破談で泣き暮らしているそうだ。伯母上もご自分で取り返しのつかない提案をしてしまったと、酷く後悔されている。もし、ラシェキスに結婚したいと思うような相手が見つからないようなら、もう一度ロレッタとの婚約を考えてもらえないだろうか」
「後悔、ねぇ」
「リシェルの言いたいことはわかる。だが、ロレッタからすればラシェキスは……、ラシェキスは何年も前から望んでいた相手だ。……俺だって、二人が結婚するのを楽しみにしていたんだ」
「ですが、あれだけ纏わりつかれますとね」
エティーレ公爵夫人は尚も両親に何度も申し入れをしてきている。また折れそうになっている両親を見かねてか、今までは黙っていた兄が家の人間を使って断ってくれている。
「どちらにせよ、先方には少し落ち着いていただきたい。こちらは今のところ、話を戻す気はありませんので」
「わかった。伯母上には私から言い含めておく。だがラシェキス。今は忙しいだろうが、落ち着いてきたら先の提案をどうか考えてくれ」
「……わかりました」
皇子に懇願されてしまえば、もう断ることも出来ない。
俺の返事を聞くと、こわばっていたユリウス皇子の顔はどことなく安堵されたようだ。すまなかったなと一言言うと、踵を返して行く。
大きな問題にもならずに解放されてほっと胸をなでおろす。公爵家相手に慎重に事を進めて断ったのに、第二皇子にそのことについてぶり返されるとは想定外だった。
「ありがとうございました、兄上」
「ユリウス皇子も家族親戚に甘いところがあるからな。カロスを大層可愛がっておられるが、ロレッタ嬢は更に可愛いらしいな。エティーレ公爵夫人とユリウス皇子の様子から、お前のことは諦めてはなさそうだな。少しばかりの猶予が出来たと考えたほうが良いだろう。ロレッタ嬢が不服なら、お前はさっさと相手を決めて結婚することだ」
「ですが」
「説教するつもりはない。だが、自分に掛かってきた火の粉も払えないようなら、後は焼け焦げるしか道は残されてはいないよ?」
「……はい」
「では、忙しいからもう行くよ」
兄はそう言って一歩踏み出したが、何かを思い出したかのように振り向いた。
「あ、そうだラシェキス」
「なんでしょう、兄上?」
「殿下はあのセウスって男にどれだけ真剣なのだ?」
その名にピクッと反応する。
彼にどれだけ真剣かなんて、自分が知りたい。
ヒカリに再開してから、分からない事だらけだ。
もう会うこともないと思っていた彼に、まさか帝国の中心である帝城の中で再開するだなんて思いも寄らなかった。それも、ヒカリの“恋人”として彼女の横に当然の顔をして座っている。
キツキが俺の証言の為に、ナナクサ村まで戻ったとは聞いていた。だからその時にヒカリも村に一緒に戻ったのだとは思うけれど、それがどうして結婚を断ったはずの男と“恋人”になって帰ってきているのか。
そして、彼女の首元には知らない首飾りが掛けられ、自分の渡した首飾りは無くなっていた。それが何を意味しているかなんて、聞かなくてもわかる。
彼に肩を抱かれても、手を握られてもヒカリは嫌がらない。それどころか、寄り添いながらお互いの耳元で仲良く内緒話をしては笑っている姿に、自分の目の行き場はない。
「私も詳しくは……」
「そうか。少し気になってな」
「どのように?」
真剣に考えだしてた兄は、俺からの質問にハッとした表情を向けた。
「おおっと、なんでもない。ま、お前はお前の仕事をしなさい。ここで道草を食っている暇はないはずだよ?」
そう諭すと、兄は翻って皇務省へと戻っていった。
なぜそんなことを聞いてきたのか気になったが、朝食の席でしばらくはヒカリの秘書官になったからよろしくなと言っていたことを思い出す。
「何か問題でも発生したのだろうか」
兄の言葉に少しの不安を覚えたものの、自分も翻るとヒカリのいる部屋へと向かった。
****
ー 東港町キュアノエイデス カロス ー
海には何隻もの船が浮かび、差し込む日差しにも負けじと威勢の良い声が港から響いてくる。
今いる場所も体格の良い男達の大声が飛び交うが、それよりも金槌で金属を叩く音にかき消されていた。
「坊っちゃま、お待たせしました」
建物の奥から、キルギスが小走りにやってくる。
「急に来て悪いな」
「ちゃんと玄関から入られましたか?」
その言葉の意味は聞かなくてもわかる。
「そんな非常識に見えるか?」
「何度か転移魔法で直接入られた事がありましたでしょ? 所員から聞きましたよ」
「そうだったかな?」
「他のところでは叱られますからね。気をつけてくださいよ」
「ああ。お前の心配は必要ない」
「まったくもう。そういうところが心配なのですよ」
キルギスはぶちぶちと説教をしながら、私を作業場から少し離れた船の設計書などが積まれたテーブルまで案内すると、席をすすめる。木材に釘を打ち付けただけの簡易な椅子を引くとそれに座った。
応接室ぐらいはあるだろうに、キルギスは敢えてそこを選ばずに、近くにあった書類が重なるテーブルの席を案内したのだ。
「で、今日のご用件は?」
書類を隅に片しながら座ったキルギスは、お茶を出すこともせずに話を切り出してきた。
「せっかちだな」
「私とお茶を飲みながら世間話をするほど、坊っちゃまはお暇ではないでしょう?」
私の状況を考慮してか、キルギスは私にさっさと用件を吐かせようとする。
私としても世間話をしている暇はないのは確かだ。
「では用件から。キルギス、明日からバシリッサ公爵の護衛をしろ」
その言葉に、キルギスの顔は歪む。
「“お伺いを立てる”という言葉をご存知ですか、坊っちゃま?」
「お前がさっさと用件を言えと言ったんだろう」
「それはそうですがね」
キルギスは手を額に当たるとため息をつく。
「で、どうしてそのような決断に至ったのかお伺いしてもいいですか?」
「決断ではなくて、決定だ」
「なお悪い」
キルギスの顔は再び歪む。
「まだ腕は落ちてはないだろ?」
「どうでしょう。もう現役から退いて十年も経っていますし」
「耄碌してたら、その十年で造船所を三軒も経営なんて出来ていないだろ? いや、四軒目か?」
「買い被りですよ、坊っちゃま。私は幸いにも多くの人に手助けを頂けただけです。本当に幸いでした」
「キルギスがそう言うのなら、そういうことにしておいてやろう」
「ありがとうございます、宰相補佐官様」
目の前の男は畏まっているはずなのに、どこか私を揶揄っているようにしか見えない。
「で?」
目の前の揶揄っていた男の目元はスッと冷ややかになると、肘をテーブルについて前屈みになる。
「帝国の高官であるあなたが、市井の造船所経営者に皇位継承権をお持ちの貴人の護衛をやれだなんて穏やかではない。何かのっぴきならない事情が出てきたんじゃないんですか?」
「なんだ、やはり耄碌していないではないか」
「坊っちゃま?」
はぐらかそうとするのがわかったのか、逃すまいとキルギスは鋭い視線を向けてくる。
「わかった。今から話すことは機密だ。漏らせば罰があると思え」
「私に話して大丈夫なことでしたら」
「私は話す先を決められる権限を持っているからな」
「濫用はダメですよ」
「国家が転覆するかどうかの瀬戸際だ、と言えば話を受けてくれるか?」
その言葉でキルギスの視線はさらに厳しくなる。私の言葉を疑いつつも、かといって全てが嘘だとは思っていないような目だ。
話の真偽を見定めようとしている。
「どうでしょうか」
「リトス侯爵の件は知っているか?」
「病気で倒れられたとしか噂に聞いていませんが」
「毒殺を謀られた」
「なっ?!」
「十年前の毒と同じだ」
その言葉でキルギスの顔は青くなる。
「………十年前と言いますと」
「一人しかいないだろ?」
キルギスの組んでいた両手はぎゅっと固くなる。
「ええ……」
「リトス侯爵は毒の入ったお酒を飲んで倒れられた。公の表向きは、毒を運んだとする証拠の入れ物は見つかっていないとなっているのだがな」
「実はもう見つかっている……」
「そうだ。それが今問題でな」
「ということは、それが出てきた場所が問題、なのですね?」
まったく、勘が良い。
「そうだ。それがお前をバシリッサ公爵の護衛にしたい理由の一つだ」
「毒を運んだ入れ物はどこから?」
「リトス侯爵の傍にいた人間から出てきた」
「傍?」
「こちらが彼の助けになると考えて側仕えに任命した人間だ」
「……なるほど」
キルギスは驚くことなく、冷静にその事実を受け入れる。
「信用に足るはずの人間が裏切ったと」
「まだ、確定ではないがな」
あの時、ルーア城から外へ出られたのはごくわずか。
証拠品がルーア城の内外から出てこないので、外へ出た人間に疑いの矛先が向き始めた時にそれが出てきたのだ。
ただ、いつのタイミングで証拠である毒の付着した小瓶を持ち出せたのかは未だ解明出来ていない。
それに、容疑のかかる人間は「知らない」の一点張りだ。
「必要が出れば教えるが、今はこれだけしか言えない。何を目的とした組織なのかは明確にはなっていないから、憶測を話すことは避けたい」
「組織ですか……。ですが、リトス侯爵を狙ったとなれば」
「ああ。少なからず皇位に絡みつく問題だろうな」
「それで、私を護衛に?」
「他にも懸念事はたくさんあるが、とにかく今は誰彼と妹であるバシリッサ公爵に近付けたくはない」
「つまりは、近衛騎士よりも近くにいろと」
「わかってるではないか」
キルギスの模範解答に思わず口角が上がる。
「簡単に言いますね。もう、四十近くのおじさんですよ」
「まだ若い奴には負けないだろ? それにお前は断れないはずだ」
キルギスの顔を真正面から見据える。
キルギスは私の言いたいことがわかったのか、眉を顰めた。
「……どちらにせよ坊っちゃまの頼みでしたら、断れませんが」
「ああ。断るな」
相変わらず強引ですねと軽く睨んできたが、何を思ったのかポンっと手を打つと、四十近いキルギスはどことなく目を輝かせ、小声でヒソヒソと話かけてくる。
「……もしかして、バシリッサ公爵は坊っちゃまの特別な御方ですか?」
可愛いらしいお嬢さんでしたものねと、おじさんらしい興味を持ち出す。いや、年齢の為というよりかは、市井に下った影響からなのかもしれないが。
「そうだと言ったら?」
「やっぱり! やっと坊っちゃまにも春ですかぁ!」
ずっと婚約された噂を聞かなかったので心配していたのですよと、さっきの小声は一体何の振りだったのかと聞きたくなるほど、キルギスの声は作業場まで届きそうなほど大きくなる。
「でしたらこのキルギス、坊っちゃまのために一肌脱ぎましょうかね」
「お前は何を考えて護衛を引き受けようとしているのだ?」
「もちろん、坊っちゃまの未来の奥様の為にですよ」
「話を聞いていたか?」
何故だか少し不安になってきた。
「勿論ですとも」
キルギスが急にやる気になったのが釈然としない。重要なことはそこではないのだが、やる気になったキルギスを止めるのも躊躇われる。
「あ、その前にうちの副代表にしばらく経営を任せると……」
「それなら、お前と商会の間を行き来できる人間を寄越す。引き継ぎや伝言は彼らにしてくれ。伝言では問題があれば、書面でやり取りを」
「帝城の人間ですか?」
「いや、クシフォス家の人間だ。機密を漏らすような者達ではないから心配するな」
「では、それに甘えましょう」
「任せたぞ、キルギス。失敗はするなよ?」
「勿論です。これ以上、坊っちゃまの大事な人をみすみす死なせるわけにはいかない」
さっきまで頭が緩くなっていたキルギスが、どことなく重い雰囲気を纏って意思の強い視線を向けてくる。
「坊っちゃま。一つだけ聞いても良いですか?」
「何だ?」
「十年前に毒を盛ったのは……」
盛ったのは……。
何度も繰り返されてきた心の内の疑問が、音を得て耳に届く。真っ直ぐなキルギスからの視線に一瞬目を背けるが、彼の口からついた質問に、少しずつ重々しい記憶が蘇っていく。
床に撒き散らされた血の匂いを思い出し、体がグラッと揺れる。それに気が付いたキルギスは咄嗟に腰を上げて手を伸ばして来るが、その手を制止する。キルギスに睨みつけるような視線を向けると、キルギスには伝わったのか再び椅子に腰を下した。
少しの間、沈黙が続く。
「………今回の犯人と同一人物か近しい人間だと考えている。調べさせてはいるが、今回もその毒がどこから入手されたのか、手がかりすら掴めていない」
「今回のことで将軍閣下は何か?」
「それらしいことは何も仰らないが、そのことには勘付いているだろう。リトス侯爵が倒れた日から、人が変わったようだよ」
「そうですか」
キルギスは手をグッと握りしめる。
キツキが毒で倒れたその日から、穏やかだった父の表情は常に鬼のような形相になった。
「あの時、私が離れてしまったばかりに」
キルギスは顔を歪めると頭を私に下げた。
その姿を見ると、あの時の気持ちが蘇ってしまう。
子供心に何度、目の前の人間が側にいてくれたらと思った事か。
再び目の前に現れて忘れかけていた黒い感情が、塞いでも塞いでも体の中から湧き出てきてしまう。それをこぼさぬよう、静かに息を深く吸った。
「………そうだな。あの将軍を凹ますぐらいにボロクソに言い放って、元気に武官を辞めていったな、キルギスは」
「なっ! いえ、ボロクソではないですよ? 諫言です、諫言!」
「俺はボロクソと聞いたがな。ともあれ、信用していたお前からボロクソに言われて、挙句の果てにあっさりと騎士を辞めたものだから、当時の将軍は相当に凹んだらしいぞ?」
「ぐっ、誰ですか。坊っちゃまに適当なことを教えたのは!」
イリヤかタキナ辺りかと、キルギスはブツブツと犯人探しを始める。
「どちらにせよ、キルギスが気に病むことではない。お前ではなく、父が護るべき人だったんだ」
「ですが」
「確かに、お前が軍務省を辞めてから一週間もしないうちに、毒を盛られるとは思っていなかっただろうな。父は」
平和だったのだ。とても。
目の前の人間がいつも側にいて、穏やかな日々だった。そして父も帰らない城の中で、誰よりも頼りにしていた。私もそれが普通なのだと思っていたほどだ。
そんな人間が消えてすぐに、事態は急変した。
「自分の妻を殺した毒が再び目の前に現れたのだ。父も心中穏やかではないだろう」
滅多に家に帰ってこなかった父が、あの日の夜だけは顔を青くさせて城に戻ってきた。そんな父が泣きながら抱いたのは、口元の血が拭い切れていない母の亡骸だった。
白い服を着た母の口からは、まだ残っていた数滴の赤い血がこぼれ、父に抱かれた体からはゆらゆらと黒い髪が流れていた。
噎せ返る記憶から逃げるように、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がる。
「坊っちゃま?」
「今からリトス卿に許可をいただきに行ってくる。お前は明日の朝一に帝城の……」
「あ、明日の朝一? 待ってください。明日の朝一までに準備して帝城まで行けませんよ、坊っちゃまではあるまいし」
「元近衛騎士ならそのぐらい難なくできるだろ? 伝令で走るのなら、ここから帝都よりも長い距離を一日で走らなければならないはずだ」
「うぐっ」
近衛騎士の厳しさを思い出したのか、キルギスの顏は引き攣る。
「明日の朝一には登城しろ。正面の大階段前に秘書の人間を待たせておく。名乗ればすぐに案内させる。もし入り口で止められたら、将軍の元側近だと言い切って入ってこい」
「何ですか、それ。完全な不審者ではないですか、まったく……」
頭でも痛いのか、キルギスは手で額を支えながら、最後あたりはブツブツと呟く。
「嘘ではないのだから、何とかなるだろう」
「皇位継承権一位の貴人がお倒れになっている今、帝城でそれが通るとは思いませんがね。はあ、わかりましたよ。朝一で帝城に向かいますが、入れなかったら少し騒ぎを起こすかもしれませんよ?」
「ああ、そうしろ。身元引受人ぐらいにはなってやる」
「それはお優しい」
キルギスは苦笑する。
「では、私はもう行く」
「本当にお忙しいのですね」
「ああ、リトス邸の訪問が終わったら、次の予約があるのでな。お前も他人事ではなくなるからな?」
「お手柔らかにお願いしますよ」
「ふっ、ではな」
キルギスに向かって笑むと、転移魔法を出してリトス邸へと向かった。
リトス卿から二つ返事でキルギスの護衛を受け入れていただいた後、すぐに帝城へと戻ってきた。
もう、次の予約の時間だからだ。
内城のとある場所にある地下への入り口で秘書達と落ち合うと、衛兵を横目に薄暗い階段を下りていく。
前には明かりを持った帝国騎士が歩き、後ろには秘書官が付き従う。窓のない場所ではあるけれど、我々が進んだ先は最深ではなく、地下の中でも浅い場所だった。
そのため、廊下はそう粗末ではなく、ある程度の装飾と明かりがあり、廊下の左右には不自然な檻のような柵型の扉が離れながらも廊下が続く限りに並ぶ。柵の扉のその奥には、同じ柵の扉と木材で出来た扉が重なるように建てつけられていて、部屋の中が覗き込めないようになっているので、中に誰が入っているのかは廊下を歩くだけではわからない。
足を進める度に扉の上に書かれている数字は増えていく。
ここは凶悪というよりは重要度が高い事件を起こした人間が入るような牢屋がある階で、ある程度地位の高い貴族にも使われる階でもあった。
階段からそう遠くない部屋の前で止まる。部屋の番号は「312」。
扉幅程の檻の両側には、兵士ではなく帝国騎士が警備している。その数は六人。彼らの様子から異常はなさそうだ。
魔力持ちを監禁するには、魔力を持たない兵士では抑えきれないため、必ず最低限の防御魔法が使える帝国騎士が警備することになっている。そしてただの木に見える扉にも部屋の内側には魔石が嵌められ、魔力を感知すると吸収する仕組みになっている。
つまりそれは古代能力である吸魔能力なのだが、魔石にそれを込めた人間が誰かはわかっていない。一説には初代皇帝の力が込められたという説もあるぐらい歴史ある魔石だ。
「開けろ」
私の声で、警備が手前の柵の扉を開け始める。
警備二人と私達がその先の小さな空間に入りこむと、入ってきた扉は一度締められる。次に鍵を持っている先行していた警備の一人がその先の扉を開けた。逃走しづらいようにここは二重檻になっている。開けられた扉の先に薄っすらと明るい部屋が見えると、足を進めた。
「終わりましたら、これを鳴らしてください」
私達一行が部屋に入り込むと、警備騎士は秘書に小さなベルを渡す。
部屋の中には一人の警備騎士。そして簡易なベッドとそう大きくはないテーブルセットと足と頭が見える目隠しのついたトイレ。
目的の人間は数個ある椅子の一つに座っていた。
私に気付いた青年は、俯いていた顔を上げて近付く私を睨みつける。いい顏だ。
「一体、これはどういうことですか?! クシフォス宰相補佐官!!」
いつもは子犬のようだが、危険が迫ればどんな相手にも吠えることが出来るようだ。悪くない。
「どういうことか? 自分の身に覚えはありませんか、エルディ・ダウタ?」
青年は眉間に力を入れて更に睨みつけてくる。
牢の中にいたのは、キツキの側近であるエルディ・ダウタだった。
****
<人物メモ>
【キツキ/リトス侯爵(キツキ・リトス)】
ヒカリの双子の兄。祖父の家の爵位を継いでリトス侯爵になる。
シキが近衛試験に合格したとの一報がキツキの元に入った矢先、人々を招いていた宴で血を吐いて倒れた。いまだに意識が戻らずに帝城で保護されている。
【ヒカリ/バシリッサ公爵(ヒカリ・リトス)】
キツキの双子の妹。バシリッサ公爵。故郷のナナクサ村にいたが、キツキの一大事で帝都へ戻ってきた。
体を壊す原因となったシキが、自分の専属近衛騎士となってしまった。
【セウス】
キツキの故郷であるナナクサ村の村長の息子。キツキとヒカリが心配でヒカリについて帝国までやってきた。表向きはヒカリの恋人。
【カロス/クシフォス宰相補佐官(カロス・クシフォス)】
魔力が異次元な筆頭宰相補佐官。将軍の愚息で皇帝の甥っ子。どうやらエルディを牢に閉じ込めているようだ。
【シキ(ラシェキス・へーリオス)】
銀髪金眼。帝国の近衛騎士試験を一発で合格する。今回の編成でヒカリ専属の近衛騎士小隊の副隊長となる。ナナクサ村へ漂流してきて、ヒカリを帝国へと連れ帰ってきた人物でもある。
【リシェル(リシェル・へーリオス)】
銀髪銀眼のシキの兄。へーリオス侯爵嫡子。冬以外は帝城で宰相補佐官を務めているようだが、今回は一時的にヒカリの秘書官となる。ユリウスと対等に話をする。
【ユリウス皇子】
現皇帝の第二皇子。普段は快活でカロスにちょっかいを出しているような皇子なのだが、参謀という意外と真面目な仕事もしている。家族想いなところがある。従弟のカロスも可愛いが、ロレッタ嬢も可愛いらしい
【エルディ(エルディ・ダウタ)】
リトス侯爵であるキツキの側近。
キツキが倒れた後にはヒカリに付いていたが、どうしてか牢屋に入れられている。
可愛い顔をしているが、意外とストイックな面がある。
※添え名は省略
<更新メモ>
2022/08/11 加筆(ストーリー影響あり)
2022/08/08 修正