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Slime! スライム! Slime!  作者: 笹餅よもぎ
第三章
171/219

揺れ動くもの1

 ****




 - 不明 -


 音が遠くまで響く廊下の先

 灰色の空間の中で

 一人の軍人が今日も女性の肖像画を眺める


 肖像画を護かのように

 幾重にも張り巡らされた鎖の前で

 白髪が混じり始めた髪と

 年老い始めた背中が時間の虚しさを伝えていた


 冷たくなっていく城の中で

 私は幾度となくその姿を見ていた

 彼と

 彼が見つめるその先を


 多くの人の歯車を狂わせ

 どんな強者でも壊すことのできない混沌とした運命をつくり

 消えてしまった暁色の瞳の女性を

 私は一生涯忘れることは出来ないだろう


 心に願うのは

 あるべきだった正しい運命の姿だけ





 ****





 足音が甲高く響く広い廊下を進むと、次第に帝国騎士の数は増えて行く。

 等間隔に立ち、置物かと思うほどにピクリとも動かない彼らの顔に生気はなく、その代わりに険しい視線だけをあちこちに送っていた。

 階段側から音を立ててやってきた私の足跡が近付くと、彼らの視線が一斉に私に向く。体を刺されそうなほどの無数の目に睨まれるけれど、燭台の明かりに自分の姿が照らされると、彼らの視線は再び前を向いて、初めて人間らしく彼らは動く。右手を胸の前に、緩やかに頭を下げると、礼の姿勢のまま私が通り過ぎるのを待っていた。

 そんな廊下を突き進んだ私の目の前には白く装飾された重厚な扉。それを見た私は、数度息をゆっくりと吐いて呼吸を整える。

 扉の両端にいた騎士が、私を確認すると、静かに扉を開けた。


 中に一歩踏み込む。

 普通の部屋ではないのは一目でわかるほど、天井は高く、部屋の装飾も調度も見たことがないほど細やかで豪華なものだった。そして、この部屋が高階にある部屋だとわかるほど、窓から見えるのは、帝都の隅々まで遮るものがなく見える景色だった。

 そんな室内には十人程の人がいた。

 近衛騎士四人と、宮廷医師達、それに皇族の身の回りを世話をする女官と呼ばれる女性が二人。

 彼らの顔を確認すると、部屋の奥にある薄いカーテンで仕切られたアーチ状の下がり壁へと向かって歩く。仕切りのカーテンを軽く退けると、その先にはもう一つの空間ががあった。そう明るくない空間の中央には、大きな寝台が置かれている。その左右には細い窓が左右に並び、柔らかい光を通している。

 その寝台にゆっくりと近付く。

 そこで寝ている人を見て、気分は沈んだ。


 自分と同じ、金色の柔らかい巻き毛のような髪をそっとかき上げてみる。けれどそれに対して、寝ている人は反応を全く示さない。くすぐったいとも、睡眠の邪魔だと唸ることもせずに、音も立てずに横たわっているのだ。

 本当に、寝ているだけなのだろうか。

 通い出して三日目だというのに、初日と結果は一緒だった。


「……いつまで寝ているのよ」


 そう言って膝を折ると、彼の上に掛けられている布団に埋もれるように顔を沈める。

 耳につくのは私の鼓動だけで、やっぱり横たわる人からは寝息さえも聴こえない。

 それが余計に恐怖心を煽るのだ。

 怖くてぎゅっと布団を握る。


「失礼します」


 仕切りのカーテンからそっと一人の男性が入ってくる。

 私が中にいると知って、そんなことが出来る人間はこの国ではそう多くない。


「こちらへ向かったと聞きまして」


 入って来た男性は律儀に礼をする。私はそれを布団に埋もれた顔を動かし、目を横に流して見ていた。


「……ねえ、カロス。キツキは本当に生きているの?」

「はい。体は活動を続けています。弱々しくですが、心の臓も止まっていません」

「どうして、目を覚まさないのかな?」

「おそらくは、体にかかった負担が大きかったのだと。今は体が回復に専念しているのでしょう」

「頭とかに影響はあるの?」

「まだなんとも。目を覚ましていただかないことには、確認が出来ませんので」

「キツキと同じ毒を飲んで、生還した人っているの?」

「………いえ」


 カロスの声が弱まる。

 帝城へ着いてから、これまでの経緯は聞いた。それに解毒剤を飲ませたとも聞いている。それでもキツキはずっと目を覚まさないのだと説明された。

 キツキが口にした毒は、そもそも帝国では自生していない植物から作られている毒で、国内では原料の生産も流通も厳しく取り締られている強い毒なのだと言う。

 今まで生還した人がいないこの毒は、帝城にいる医師でも薬師でも対処方法がわからずに、手探りしているようなのだ。


「今、交流のある第二大陸の国へ書簡を送ったり、第二大陸の書物を漁らせていますが、まだこれといった情報は出て来ていません」

「そんなに珍しい毒なの?」

「帝国は元より、第一大陸の他の国々でも服毒された例は少ないかと」

「そうなんだ」


 つまりは、回復する方法がわからないそんな毒を、わざわざキツキのために準備してくれたってことか。

 顔を上げて動かないキツキの顔を眺めると、こけてきた彼の頬を軽く摩る。

 目を覚まさないのだから、お腹いっぱいにご飯なんて食べられない。 

 キツキの食事は、カロスが魔法で体内を動かしながら一日二回の流動食を少しずつ取らせているようだ。そうでなければ、既に半月は寝ているだけのキツキでは栄養が取れずに死んでしまう。


「何で、キツキがこんなことに巻き込まれたのかな」

「………ここでは話せません。不安がありましたら、別の場所でおうかがいします」

「わかった」

「それと本日の午後、大貴族院への出席をお願いします。今後のことで話し合うことが諸々ありますので」

「諸々、ね……」


 私の視線は青白いキツキの顔から離れなかった。







 カロスと階下に降りて来た私は、とある部屋へと向かう。

 部屋の前にいた騎士が、私の代わりに扉をノックする。


「はい、どうぞ」


 中からは男性の声が聞こえてきた。

 その返事を聞いた騎士は扉を開けるが、私が入るよりも先に、近衛騎士が先にすっと中に入って室内の様子を確認をする。問題がなければ頷いて見せて、私に合図をしてくるのだ。これを帝国に戻って来てからずっとやっている。出るにも入るにも、近衛騎士が扉の先を確認をしてから私を通していた。


 部屋の中で待っていたのは、エルディさんと、茶色い髪の青年。昔から見知っている顔で、豪華な部屋の中にその彼がいると、何だか不思議な感じがする。そして帝国の服が似合っている。本当、何でも似合うな。

 心配から、本当に帝国まで私について来た。

 その青年は私に近付くと、心配そうに肩に手をかける。


「大丈夫、ヒカリ?」

「ありがとう、セウス。なんとか」


 目の前の服を掴む。何かに縋っていないと、足に力の入らない体では崩れてしまいそうになる。


「キツキはどうだった?」

「昨日と一緒だった」

「……そうか。まだ目を覚まさないのか」

「うん」


 キツキのいる部屋は、今や特定の人しか入れない。

 セウスはもちろんのこと、エルディさんも入れないのだ。


「お二人とも、どうぞこちらへ」


 私の後ろから入って来たカロスが私達を長椅子に座るように促してくる。

 セウスは私の腰に手を回すと、支えるように私を椅子へと促す。カロスはそれを無言でジッと見ているだけだった。

 私達がカロスの向かいの席に座ると、カロスはおもむろに話始める。


「先程、殿下が不安に思われていたことですが、先にお話をしていたほうが良いかもしれません。キツキ殿下が倒れられたその日に、帝城に三通の手紙が届けられました」

「手紙?」

「はい。いずれも、キツキ殿下の立太子はふさわしくないとの内容のものでした」

「ふさわしく、ない」

「そうです。少なからず、次の春に向けて準備されているキツキ殿下の立太子の儀を邪魔しようとしている者達がいるのは確かです」

「そんな……」


 そんなのキツキが望んでいる訳でもないのに。


「手紙に書かれていた事は詭弁(きべん)です。こちらは建国以来の方法でキツキ殿下を皇位継承権一位と決めました」

「決めた、というのは誰が?」


 横からセウスが口を挟む。それをカロスは少しうっとうしそうにも見るが、そのまま話を続けた。


「立案は大貴族院にて。それを陛下が了承しました。その後、貴族院で発表し承認を得た形です」

「へえ。そうなると、反対した人もいたってことですよね?」

「そうです」

「じゃ、今回はその中の人の犯行って可能性もあるって訳だ」

「?? 何でよ」


 セウスが私を置いてどんどん話を進めてしまって、一人でおいてけぼりをくらう。

 横に座る私の顰めっ面を見たセウスは「ごめんごめん」と、カロスがせっかく私にわかり易く説明をしていた話を横からかっさらっていった事に気が付いたようだった。


「“承認を貰う”、ということは少なからず確認を取ったんだよ。これでいいですかって。それをしなくていいのなら“決定した”って発表をすればいいだけだけらね」

「………あ、そうか」

「だから、反対した人の中で納得が出来ずに、強硬手段に出た人間がいるんじゃないかって話をしていたんだ」

「なるほど」


 ようやく理解が追いついた。


「納得できないってだけで、キツキが毒を盛られるものなの?」

「そこまでするのなら、キツキが皇太子になったら大きな不利益を被る人間がいるってことだよ」

「大きな不利益………。帝国にきたばかりのキツキが何の不利益を出すっていうのよ?」

「来たばかり、だからっていう理由もあるかもね」


 セウスは眉間を歪めるけれど、セウスの答えの意味がわからなくて私の顏も一緒に歪んじゃう。

 来たばかりだから、とは。


「となると、その前の“立案”も揉めた可能性はありそうだね」


 セウスはチラッとカロスに視線を向ける。


「その通りです。帝国貴族には現皇帝を支持する皇帝派と、キツキ殿下のような初代皇帝の特徴を持った皇族を指示する回顧派が大きな勢力となっています。キツキ殿下達が現れてから、回顧派は大きく勢いづき、今や皇帝派を上回っています。今回の皇位継承順位の変更はその大きくなった回顧派が主軸となって押し進められました」

「その言い方ですと、今までは皇帝派が主要な派閥だったと?」

「……ええ、その通りです」

「なるほど。なんとなく力関係が見えてきましたよ」

「ちょっと、置いていかないでよ!」


 どんどん理解しちゃうセウスにイラっとする。どっちがカロスの話し相手かわからないじゃないの。


「あー、、、ヒカリにはあとで砕いて話をしてあげるよ。僕が聞いた方が早そうだったから」

「ひっどい!」

「継承権の決め方は先にも申し上げました通り、決め事があります。大貴族院で揉めるまでに至るのは、僅差がある場合です。キツキ殿下とヒカリ殿下は他の皇族とは大差がありますので、揉める事自体がおかしいぐらいなのです」

「へえ」


 悔しいけれど、私が聞くよりもセウスの理解は早いようだ。


「我々はその手紙を含め、事件を起こしたのは貴族だろうとみています。手紙に使われていた素材は、平民ではとても手が出るような素材のものではありませんでした。ですから、その手紙の送り主を探しています。今回の事件に関わっている可能性がとても大きい」

「三通とも、送り主は同じなんですか?」

「こちらの見解は別だと考えています」

「それは何故?」

「証拠品なのでお見せすることは出来ませんが、それぞれの封筒、封蝋、封書はバラバラの素材でした。それに何より、それぞれの文面が微妙に違うのです」

「……違う」

「ええ。ですが、いずれもキツキ殿下の皇位継承順位一位を不服に思われている内容でした」

「そんな理由で、キツキを殺そうとしたの?」

「おそらくは。国が決めた継承権第一位から外すにはその方法か、キツキ殿下以上に継承権の高い人間を連れてくるしか方法が無いのです」

「殺すか、高い人間……」

「ですから、ヒカリ殿下も命を狙われる可能性は今も十分にあります。犯行組織が捕まるまでは帝城から無断で出ないようにお願い申し上げます」

「……わかった」


 カロスの真剣な視線を受けて、静かに頷いた。


「ご質問が無ければ、私はこれで。先程も申し上げましたが、午後からの大貴族院はご出席ください。昼食はこちらの部屋に運ばせます。それと、近衛騎士の編成がありました。キツキ殿下とヒカリ殿下の専属も少しばかり入れ替えがありましたので、議会が終わる夕方に一度顔合わせをさせてください。ああ、その時はセウス様もご同席でかまいません」

「そうですか、ありがとうございます」

「それと私ですが、しばらく事件調査の指揮で忙しくなります。私以外の人間をヒカリ殿下に付けますので、何か困りごとや相談事はその人間にお申し付けください。明日からこちらに伺わせますので。では」


 カロスは事務的に話し終えると、静かに立ち上がり礼をして部屋から出て行った。

 自由になったとばかりにセウスはうーんと軽く背伸びをする。


「じゃあ、食事までゆっくりしますか」


 セウスはそう言って、嬉しそうに私の頭を引き寄せた。







 高い天井の部屋は、湾曲した机が円卓を囲うように並べられ、そこに設けられた席には一名の欠席だけで全員が席に着いている。

 中心となる円卓の半分には陛下と宰相代理のカロス。それと配達のお手伝いで顔見知りになった大臣達も座っていた。残りの半分は“公爵”と呼ばれる位の人達が座る。

 室内の空気は重く、以前来た時とは比べ物にならない。

 美味しかった昼食の記憶をかき消されるぐらいの不穏な空気に、始まる前から気分が滅入る。大貴族院はキツキが倒れてから今日で二回目らしい。

 始まるや否や、あちこちから声が上がる。


「まだ犯人は捕まらないのか!」

「毒の入手場所すらもわからないのですか?!」


 以前、キツキのために声を張り上げてくれたおじさん達が、今日は陛下やカロスに向かって大声を上げる。


「陛下に向かって無礼ですぞ! 回顧派の方々!!」


 陛下をかばうようにまた周囲から声が上がる。

 そんな雰囲気の中、レクスタ皇帝はこれっぽっちも動揺せずにカロスに耳打ち一つすると、腕を組んで目を閉じた。

 頷いたカロスはスッと立ち上がる。


「では、私からこれまでの報告を」


 カロスが切り出すと、周囲は鎮まる。


「キツキ殿下は今も意識はありません。殿下に飲み物を渡したとされる給仕は拘束、その仲間だと思われる者たちも拘束しています。ですが、ルーア城からは、その毒が入っていたと思われる入れ物が見つかっていません。拘束している給仕からも、毒を入れたとされる入れ物が見つからないと見越してか、犯行を否定しています」

「見つからない、だと?」

「入れ物なら、瓶なのではないのか?」

「ええ。ですがそれと思われるものが城からだいぶ離れた場所まで捜索をしていますが、まだ見つかっていません」

「瓶を割ればどうだ?」

「割れば破片が残りますし、割ったところで、瓶には付着しているはずですのでこちらが用意している反応紙にも反応があります。また埋めた可能性を考えて、土が掘り返されたと思われる場所は全て掘らせています」


 毒を入れた瓶か。

 それなら小さな瓶なのだろう。大きかったらバレちゃうだろうし。


「そんなのは、他の人間が持ち帰れば良いだけの話だ」

「当日、ルーア城はすぐに閉鎖。城に残っていた者達すべての持ち物検査は実施しています。女性達の場合は、女性騎士が到着してからすぐに。解放をする際には、持ち帰る荷物も馬車の中も検査済です」


 そんなに調べているのに毒を運んだ入れ物が出てこないのか。お城に残っていた、お酒の入っていた瓶や樽からは毒が検出されなかったって言っていたな。

 だから、その瓶を持っていた人が犯人ってわけね。

 ふんふんと私は納得をする。


「手が足りないのでしたら、うちの軍を貸しましょうか? 早く不穏分子を取り押さえていただかなければ、今後バシリッサ公爵にも影響が出るやもしれない。私はそれを大きく懸念していますが」


 そう言いだしたのは公爵席に座る銀色の髪のおじさん。カロスの誕生日パーティで撹乱してきたおじさんだ。あの時とは違って、彼の態度はとても殊勝で、それどころか、本当に心配しているかのような視線を私に流してくる。


「お気持ちは大変ありがたいのですが、今は様々な関係からの援助はお断りしたい。犯人は貴族の中にいると思っています。支援を様々に受けてしまえば、犯人が調査に参加する可能性もあります。隙を与えて犯人が証拠品を破壊されることだけは避けたい。ですので、捜査が遅いと焦れる気持ちもあるとは思いますが、どうぞ今しばらく結果をお待ちください」


 周囲はざわつく。

 自分達も漏れなく疑われているのだと理解したようだ。


「発言、宜しいでしょうか?」

「どうぞ」


 一人の中年の男性が立ち上がると、私をチラッと見る。


「万が一ですが、キツキ殿下がまだ目を覚まさないままなのでしたら、帝国は次の継承者を新しい皇太子として迎える準備をしておく必要があります。皆様ご存じの通り、第二位はヒカリ殿下でいらっしゃる。ですが、そんな尊いご身分の殿下が、故郷から“恋人”を連れ帰ったという噂を聞いて耳を疑いました。その噂は本当でしょうか?」


 その質問に一斉に視線が私に向く。

 恋人とはおそらくセウスの事なのだろう。だけど表向きは恋人でも、実のところそうではない。でも、こんな大勢の前で嘘を言いたくはないし、何よりそんな個人的なことをここで答えなくちゃいけないのかと、困ったなと思っていると。


「そのご質問の意図はどういったものでしょうか? セヴァスト侯爵」


 私の横にいたカロスが聞き返す。


「もちろん、女帝となられる殿下の御皇配を懸念しているのですよ。帝国の貴族でもない男性が将来の皇帝の夫となるなんて前代未聞だ。国の威信にも関わる」


 セヴァスト侯爵がそう話すと周囲はざわつく。何人かは顔に笑みまで作っている。


「確かにそうですぞ。どこの馬の骨かわからぬ輩が未来の皇帝の夫では示しがつかない。今からでもお相手を考えなおすべきだ」


 何でそんなことをこんなところで議論されなくてはいけないのか。

 ムッと言い返そうとした時だった。


「ご発言、お許しいただきたい」


 割った入ってきた声が室内に響き、視線は一斉に後方末席へと集まる。立ち上がった人の顔を見て私は驚いた。


「……うそ」

「皆様方は、どうやらヒカリ殿下の恋人が力不足だとおっしゃっているようですね。ですが、ご安心ください。彼は私の魔力と剣技を引継いでいて、帝国の近衛騎士にもそう負けません。それにもうすぐわたしの跡を継ぎます故、殿下とのお立場もそう大きく開かないはずです」

「何を……!」


 さっきまで笑っていた人は顔を真っ赤にして反論しようとするが。


「今はヒカリの結婚相手を相談する場ではない。双方共に控えなさい」


 レクスタ皇帝のその一言で、ピリピリしていた空気は鎮まった。







 陛下達に続いて議場から出た私は、護衛を置いて一目散に走り出す。

 さっき私を助けた人を追ったのだ。

 彼は後ろの末席にいたので、後ろの扉から出たはずだと、廊下で議員達を待っているお付きの人達を掻き分けながらその見知った顔を探す。


 とある後ろ姿を見つけた。

 背が高くて、小さい頃はよくキツキと交代交代で肩車もしてくれた人の背中だった。


「おじさ……っ! ノクロスおじさん!!」


 私の大声で周囲は振り向き、そして私の顔を見ると廊下にバラバラといた人達は一斉に道をあけた。

 道を開けなかったのは、名を呼ばれたその本人だけ。


「ヒカリ殿下?」


 振り向いたその姿に思いっきり飛びつく。


「うおっ!」


 急に突進してきた不審な私を避けることをせずに、おじさんは受け止めると、胸に顔を埋めて動かなくなった私の頭を優しく撫で始めた。


「ヒカリ殿下。少しお寂しくなられてしまったようですね」


 私の心境を(おもんぱか)ったその優しいその声は、ピリピリしていた心を和らげてくれる。

 潤んだ視線を上げると、おじさんは柔らかく笑う、が。


「あ、敬称敬語」


 私の不意の注意におじさんの顔は引き攣る。


「流石にここではダメです。そんなことをしては不敬罪で牢屋に放り込まれてしまいますよ」

「え、駄目なの?」

「公の場所では勘弁してください」

「ねえねえ、ノクロスおじさん。何で議会にいたの?」


 おじさんに抱きつきながら喰い入るように質問をしていると、後ろがバタバタと足音が近づいてくる。おじさんを追いかけるあまり、護衛達を置いてきてしまったことを思い出した。


「ヒカリ! 一人になっちゃ駄目だって注意………」


 廊下で待っていたセウスが後ろから近衛達と一緒に追いかけてきた。私があっと思って振り向くと、セウスの視線は私ではなくてノクロスおじさんに向いていた。


「ノクロスさん?!」

「セウス! やっぱり帝国に来ていたのか。久しぶりだな! 殿下が恋人を連れて帝国に戻ってきたって噂を聞いたから、セウスだと思ってたよ」


 やっぱりって今確信したのだろうか。

 さっきの議会で何やら啖呵を切っていた気がするけれど。


「殿下がお忙しそうでしたので、ご挨拶は落ち着いてからと思っていましたが、順番が逆になってしまいましたね。もしお時間がありましたら、この後少しお話をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

「うん! うん! もちろんだよ! あ、でも夕方からなんか新しい護衛の人達との顔合わせって聞いてるから、それまでなら」

「では、どこか安全な部屋で」

「あ、じゃあ。私が今帝城で使っている部屋があるから、そこに行こう!」

「承知しました」


 私達の話を後ろで聞いていた近衛騎士は、ではこちらへと私達の案内を始めてくれた。



 部屋に入るなり、私はノクロスさんにもう一度抱きつく。

 ノクロスおじさんの存在がとっても頼もしく感じたからだ。


「はは、殿下。人の目が無いとはいえ、少し甘えすぎですよ」

「だってぇ」


 おじいちゃんの次に信用していた人だから、こんな時にでもとっても安心する。もう少しだけひっついていたい。


「わあ、ヒカリ。そろそろ浮気だと思っちゃうよ?」

「思えば?」


 セウスにそう言われてもぜーんぜん平気!

 ぜーんぜん気にならないもんね!

 それどころか、セウスに羨ましいだろうと得意気な顔を向けると。


「ノクロスさん。そろそろその子、引っぺがしてくださいよ」


 私に言っても効果が無いと判断したセウスは、交渉相手をノクロスさんに変えた。

 ノクロスさんはセウスのその言葉を聞くと、そろそろ離れましょうかと「イヤー」と拒否をする私を笑顔であっさりと体から引き剥がした。

 おじさんが弟子(セウス)馬鹿だったのを思い出したわ。

 なんだか悔しい。


「おじさんはやっぱりセウスの見方なのね!」

「はは、殿下を差し置いてそんなことはありませんよ」


 ノクロスおじさんは笑顔で答えるけれど、胡散臭い笑顔を私はチロッと睨んだ。


「あ、おじさん座って。お茶をいただけるかな?」


 部屋にいた近衛騎士に依頼すると、その彼は礼をしてすっと部屋を出ていく。お茶の依頼をしにいったのだと思う。


「その前に殿下、ご報告が」


 ノクロスおじさんは椅子には座らずに、その場に膝をついて胸に手を当てて畏まると、私を見上げる。


「私は帝国に戻り、皇帝よりイロニアス侯爵位を賜りました。それと同時に新しい家名も賜り、ノクロス・パルマコス改めノクロス・イロニアスと名乗ることを許されました」

「えっ。じゃあ、大貴族院にいたのは……」

「はい、私も大貴族院の議員となりました。命尽きるまで、帝国に尽くす所存です。僭越ながら、殿下達の行く末を、ライラ殿下とオズワードさんに代わって見守りとうございます」


 ノクロスおじさんにそう言われて何故だかうるっとした。心強い味方が出来たみたいで。


「うー、嬉しいよぉ。ノクロスおじさんはずっと傍にいてくれるって事でしょ?」

「ええ。お呼びいただければどこからでも駆けつけますよ」


 その言葉に更に嬉しくなってしまって涙が止まらない。


「もう、ヒカリは泣き虫だな」

「うぅ、不束者ですが、末永くよろしくお願いします」

「ええっ?! ヒカリ、それは違うよ! なんか台詞(セリフ)がおかしいよ! それ、結婚するときに言う言葉でしょ?」

「もう、ノクロスおじさんとなら結婚してもいい」

「それは駄目! 絶対に駄目だから!!」


 セウスは必死に私を止めるけど、ノクロスおじさんが傍についていてくれるなら、もう結婚したって良いかもしれない。


「セウス、お前にも話があるんだ」


 ノクロスおじさんの冷静な声に、セウスはビクッと振り向く。


「何ですか、ノクロスさん」

「あ、おじさん。椅子に座って」


 セウスと悪ふざけをしている間、おじさんをずっと床に(ひざまず)かせたままだった。


「では、失礼させていただきます」


 ノクロスおじさんは律儀に私に礼をすると、すっと椅子に座った。

 調度その時に、お茶が運び込まれてきた。もう一人の近衛が毒見をして問題ないと判断されると、お茶とお茶菓子がテーブルに並べられる。

 ノクロスおじさんを追いかけたら喉が渇いていたのよねと、私は良い香りのするお茶をいただく。そして、誰よりも先にお茶菓子を口に入れた。美味しい。


「さっきも言った通り私は侯爵位をいただいた。そして今までの報酬として莫大な金額もいただいたんだが、私には表立って子供がいない」

「……そうですね」

「だから、なあ、セウス。俺の子供にならないか?」

「は?」


 お茶を飲もうとしていたセウスの手は止まる。


「村長との親子関係はそのままでかまわない。帝国の中でだけ良い。私と養子縁組をして、義理の親子になって欲しいんだ。お前に私の全てを譲りたい」


 ノクロスおじさんの言葉を聞くと、セウスは口もつけずにお茶を置いた。


「ですが」

「すぐにとは言わない。だけど、この国では60歳を超えると一年で次の後継者に爵位とそれに関わる資産を譲り渡さないといけないんだ。だから半年以内に返事をくれないか。それに、侯爵になれば、周囲からヒカリ殿下の傍にいても何も言われなくなるはずだ」

「………」


 セウスは黙り込む。

 そう簡単に答えられる話ではないのは私にだってわかる。


「村長からは私が連絡を入れておく。出来るなら私の資産はナナクサ村のために使ってくれ。本当、大きすぎて私には到底使い切れないんだ」

「ノクロスさんの義理の息子になったら、ナナクサ村には帰れなくなりますか?」

「いや、それはない。どうなるかは私はまだ知らないのだが、キツキ殿下がナナクサ村のある島を領地化すると聞いている。あそこが帝国の領地になれば、国外ではなく国内と判断されるから、入り浸ってもそうお咎めもないだろう」

「……領地化?」

「キツキ殿下から何も聞いていなかったか?」

「…はい」

「そうか。だが、帝国から道が出来た以上、あの島は放ってはおかれないだろうな」

「そうですか……」


 セウスは下を向くとぎゅっと手を握る。

 どうしたのかと、セウスの顔を覗き見ようとするのだが。


「ご歓談中失礼します。ヒカリ殿下の専属が揃いましたのでご挨拶をさせていただければと思うのですが」


 うっすらと開いた扉の前に立っているアトラスが声をかけてくる。

 もうそんな時間かと、時計を見た。


「あの、ノクロスおじさんもここにいて良いですか?」

「はい。私共は構いません」

「では、私は後ろで控えさせていただきます」


 ノクロスおじさんはそう言って立ち上がると、私の椅子の背後に立つ。

 私の専属が九人中、六人がこの部屋の中にいる。ということは、あと三人が変更になったのだろうか。

 アトラスは少し空いた扉の先に声を掛けると、扉を大きく開く。その先から数人の足音が聞こえてきた。

 セウスと二人で並びながらどんな人が来るのかと興味津々で見ていたんだけど。


「「んん??」」


 口には出してはいないと思う。だけど、セウスと気持ちが同調(シンクロ)したと思う。セウスはぎゅっと私の手を握り、私もその手にぐっと力を入れた。

 最後に入ってきた人を見て、私達の呼吸は一瞬停止したのだ。


「……本当に?」


 二人で信じられないものを見たかのように、目を大きく開いた。







 隣にいるセウスがとても不機嫌だ。

 機嫌が悪いのをそのまま顔に出すのはとても珍しいけれど、それを止めようとはしない。


「思っていたよりも、諦めが悪いな、あの人」


 セウスがポソッと呟く。


「え?」

「何でもないよ」


 珍しく険のある言い方をセウスがしたけれど、それよりも私は正面が気になってしまう。

 私は視線を前にする。

 九人も並んでいるのに、さっきから目が一人しか追わない。銀色の髪のその彼は、私と視線を合わせようとはしない。けれども、挨拶の順番が回ってくると、黄金色の瞳とかち合う。


 会いたかった。

 でも、会いたくなかった人だった。

 会えばどうなるかなんて、考える余裕なんてなかった。


「この度ヒカリ殿下専属になりましたラシェキス・ヘーリオスでございます。どうぞ、よろしくお願いいたします」


 目の前にはシキ。最後に目にしたのはいつだっただろうか。

 目は姿を映すのに、シキの話している言葉が遠くに聞こえる。


「……カリ、ヒカリ!」


 セウスに呼ばれてハッとする。

 みんなが私を見ていた。


「紹介が終わったから、ヒカリから一言もらいたいらしいよ」


 セウスは顔を近付けて、そう教えてくれる。


「あ、えっと……、ヒカリ・リトスです。宜しくお願いします」


 急に視線を上げられずに、うつむき加減にそう挨拶をする。


「小隊長は私、イケル・エステベスと、そして副隊長ですが、新人ラシェキス・ヘーリオスが任じられました」

「え、新人が?」


 セウスは驚いた声を上げる。


「はい。彼は新人ですが今回の試験を好成績でパスしました。その腕を買われて今回早いですが副隊長にと上が決めました」

「……そうですか」


 セウスはグッと言葉を詰まらせた。


「で、本日から………」

「あの、すみません」

「何でしょうか、セウス様」

「少しの間だけ、ヒカリと二人で話をさせていただけないでしょうか?」

「お二人で、ですか?」

「はい」

「ああ。それは難しいでしょうから私も部屋に残ります。それでどうでしょうか?」


 イケルの表情を読み取ったのか、後ろからノクロスおじさんがそう言ってセウスを援護する。


「わかりました。ですが長い時間は許可できません。10分でいいでしょうか?」

「ええ、十分です。ありがとうございます」


 セウスがそういうと、近衛騎士全員が部屋の外へと出ていく。

 それを見ると、セウスはノクロスさんに少しだけ離れていてくださいと伝えて、私の顔を覗き込む。


「ヒカリ、大丈夫?」

「……うん」

「さっき誰がいたかわかった?」

「……うん」

「大丈夫?」


 そう聞かれている理由を確認したくて、セウスの肩にしがみつく。


「ねえ、さっきシキがいなかった?」

「そうだね。思いっきりいたね」

「なんで?」

「試験に合格したからでしょ?」


 ………あ、そっか。

 セウスに言われて、当たり前のことに気が付く。


「でね、ヒカリ。僕、大事なことを言い忘れ……」

「どうしよう。シキだ」

「あ、うん。シキさんだったね。でね……」

「逃げなきゃ!」

「なんで?!」


 怖い。

 シキの口から「結婚したよ」なんて、幸せそうな顔で言われたら、平常心を保てるかなんてわからない。


「今度こそ、お城を丸焼きにしちゃうかも!」


 帝都へ来る途中で、半壊したハメルーン城をセウスと無言で見上げたけれど、あそこまで壊したのかと、自分でも信じられなかった。

 どうしようと私は顔を右往左往させながら、きょろきょろと周囲を見回す。


「ヒカリ、落ち着いて話を聞い……」

「窓から逃げなきゃ!」

「ちょ、ヒカ…」

「窓の外にまで見張りはいないよね?!」

「………」


 セウスが静かになったのを不審がって顔を覗こうとすると、ガシッと肩を掴まれた。



 ズゴンッ!!



「イッッッタぁ!!!」


 セウスは私のおでこに思いっきり頭突きをかました。セウスのおでこは真っ赤だ。


「何すんのよ!!」


 私が怒声を上げると、扉が開く。


「殿下、いかがされましたか?!」


 私の声に驚いて、イケルが扉の中を確認するが、私達の姿に驚いた様子だ。


「何でもありません。あともう少しだけ時間をください」


 セウスは中に入ろうとするイケルの足を止める。イケルが再び渋々と廊下に出たことを確認すると、私に向いた。


「後でいくらでも責めていいよ。だけどヒカリに伝えなくちゃいけないことがあるんだ」

「……何よ?!」

「シキさん、結婚はしていないよ」

「え?」


 何で私が気にしていることがわかるのか。


「たぶん、破棄になっているはずだ」

「……何で?」

「シキさんの結婚の条件は、近衛試験を落ちた場合なんだ」

「え? 落ち……?」


 なんで落ちたらなのか。普通は逆でしょうに。

 セウスはそのまま、キツキに聞いたというシキの婚約の話を教えてくれたけれど、私は初めて聞く話だった。


「え、だって。聞いていないよ」

「キツキが教えようとしたら、丸焼きにされそうになったって聞いたけれど?」

「えっと……」


 否定をしたいところだけれど、セウスにはハメルーン城を見られているから隠せない。


「だから、シキさんは婚約もしていないだろうし、彼女もいないはずだよ」


 その言葉に私の体は脱力する。


「じゃぁ、今までのは?」

「ヒカリの勘違い。いや、半分は本当だったのかな。結婚する可能性は高かったんだ。それをシキさんは覆したんだよ」

「……そうなの?」

「そう」


 セウスは頷いて見せる。


「はあ、本当に試験を一発で合格するなんてね。あの人、やっぱり気に入らないな」


 セウスは、近衛試験を一発で合格したノクロスおじさんにも聞こえるような声で不満を漏らすと、大きなため息をついた。




<連絡メモ>

 過去の修正が終わり切らなかったデス|ω・) イヤー スゴスギテ

 加筆もありますが一部、名称変更もする予定です

 帝皇省→皇務省 など


 今後週一でアップ予定です。余裕があればどこかで追加していきます。

 よろしくお願い。



<人物メモ>

【キツキ/リトス侯爵(キツキ・リトス)】

 ヒカリの双子の兄。祖父の家の爵位を継いでリトス侯爵になる。

 シキが近衛試験に合格したとの一報がキツキの元に入った矢先、人々を招いていた宴で血を吐いて倒れた。いまだに意識が戻らずに帝城で保護されている。


【ヒカリ/バシリッサ公爵(ヒカリ・リトス)】

 キツキの双子の妹。バシリッサ公爵。故郷のナナクサ村にいたが、キツキの一大事で帝都へ戻ってきた。

 体を壊す原因となったシキが、自分の専属近衛騎士となってしまった。



【セウス】

 キツキの故郷であるナナクサ村の村長の息子。キツキとヒカリが心配でヒカリについて帝国までやってきた。表向きはヒカリの恋人。



【カロス/クシフォス宰相補佐官(カロス・クシフォス)】

 魔力が異次元な筆頭宰相補佐官。将軍の愚息で皇帝の甥っ子。忙しいせいか、ヒカリが戻ってきても淡々と仕事をこなしている。



【シキ(ラシェキス・へーリオス)】

 銀髪金眼。帝国の近衛騎士試験を一発で合格する。今回の編成でヒカリ専属の近衛騎士小隊の副隊長となる。ナナクサ村へ漂流してきて、ヒカリを帝国へと連れ帰ってきた人物でもある。


【アトラス(アトラス・ルーギリア)】

 シキとは帝都の家がお隣同士。連続でヒカリの専属となる。忠誠心の高い人間で時々融通が利かない。


【イケル(イケル・エステベス)】

 ヒカリ専属の近衛騎士。連続でヒカリの専属となる。今回の編成で小隊長になった。


※添え名は省略

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