新たな流れ者3
今日も今日とて賑やかな花月亭。
まだ夕方に差し掛かったばかりなのに、農家組は今日の収穫が終わったのか、既にお酒を酌み交わしている。
五つある丸いテーブルは三つ埋まっていて、カウンター席も数席を残すばかり。
集会席を予約するために先にお店に来ていたキツキと合流すると、おじいちゃんは周囲を見回して空いている円卓を指差した。
「キツキとヒカリはそっちだ」
どうやら私達は別席のようだ。
集会席に楽しい思い出ない私は素直に頷くが、私と違って残念そうなキツキは、おじいちゃんからの指示だから仕方ないといった様子で小さく頷く。
ノクロスおじさんは私を円卓の椅子に座らせると、おじいちゃんとシキさんを追いかけるように集会席へ行ってしまった。
しぶしぶ隣に座ったキツキは難しい顔になると、体を寄せて私に話しかけてくる。
「なあ、あの人ってさぁ……」
「うん?」
「もしかして……」
こそこそと話すキツキに顔を近付けた瞬間、背後にあった店の扉が勢いよく開く。
乱暴な開け方に驚いた私達の視線は扉へと向いた。
「こっちにいたのか」
入ってきたのは慌てた様子のセウス。
うちの花月亭使用率は高い。だからセウスが「こっち」と言ったのは、おそらく自宅まで行ったけれど、誰もいなかったから私達の居そうな花月亭まで引き返して来たのだろう。
それにしても、何のために?
「どうしたの。まだ倉庫は閉まっていないでしょ?」
「早めに終わらせてもらった。足を痛めたんだろ? ちゃんと治療した?」
セウスとキツキは足の患部をじーっと凝視してくる。
「いや、全く。動かさないとあまり痛くないから」
セウスは呆れたようにため息をつくと、顰めっ面を私に向けた。
「やっぱり! オズワードさんもキツキもそういった事は適当なんだから。ちょっと見せて」
セウスに指摘されて気まずいのか、キツキの目は珍しくもあらぬ方向へと向いている。この様子だと、指摘されるまで忘れていたな?
でも、確かに変だ。
キツキならともかく、おじいちゃんもノクロスおじさんも、私に対して薄情ではない。むしろ過保護すぎるぐらいだ。
そんな二人が私の怪我を忘れてしまうぐらい、何かに動揺していた。
セウスは考え込む私の左側でしゃがみ込むと、「こっち?」と聞きながら私の左足のブーツに手をかける。
………まさか。
「ちょっと待っ……!」
止めようとしたけれど間に合わず。案の定、セウスは遠慮なく思いっきり私のブーツを引き抜いてくれた。
その瞬間、激痛が走る。
「ぎゃぁぁ―――――――!」
私の悲鳴に驚いたセウスは、事の重大さに気付いたのか慌てふためく。悪気はなかったと言うが、本当にそうなのだろうかと涙目でセウスを睨みつけた。
わざとだ。絶対にわざとだ!
絶対に許さないと真っ赤になった顔を向けるが、当のセウスは謝罪もそこそこに、再び私の足首をまじまじと見る。
そんな態度に苛つくが、悪魔に真摯な謝罪を望む私も悪い。
「あー、足首が少し腫れているなぁ。捻っただけのようだね。冷やした方が良さそうかな」
「凍らせましょうか?」
キツキはスッと指を出す。
止めろ。
「いや、それはやりすぎかな。薬屋へ行って湿布薬を貰ってくるよ」
セウスはスッと立ち上がるけれど、それを見たキツキも何故か一緒に立ち上がる。
「いえ、俺が薬屋に行ってきますから、セウスさんはここにいてください」
キツキはセウスの両肩をぐいぐいと押さえつけて、私の隣の席にセウスを無理矢理座らせると、どこかそわそわした様子で花月亭を出ていく。
そんなキツキの背中を訝し気に見送っていると、私の目は隣にいたセウスとかち合った。
先程の恨みを根深く覚えている私はセウスを睨みつけるけれど、そのセウスは私を歯牙にもかけていないのか、何事もなかったかのように普通に話しかけてきた。
「今日は一体どうしたの?」
どうしたとは一体。
私の失敗話でも聞きたいのだろうか。
邪な考えを巡らせていたが、珍しくもセウスが揶揄いもせずに真剣な顔でじーっと私を見てくるものだから、簡潔に今日の出来事を話すことにした。
「………なるほど。木の根っ子に引っ掛かって魔物にねぇ。へえ、確かに王子様みたいな御登場だ」
生まれてこの方、村の人達は“王子様”なるものを見たことはないが、子供の頃に聞かされた昔話にいつも登場していた。その物語は今なお学校の本棚にあるとは思うが。
「ねえ、ああいうのが好みなの?」
「好み?」
セウスの口から出てきた変な質問に戸惑うが、そのセウスはどうしてか相当に機嫌が悪いようだ。いつもの様に目が笑っていない。
あるまじきことに、蛇に睨まれているカエル……の喩えは嫌なので猫に狙われた蝶とでも言っておこうか。そんな状況だ。
心境は逃げ場のない崖っぷちにいる気分。怪我さえしていなければ、逃げ切れる自信はあったのに。
「………」
質問の意味がわからずに閉口した私を、尚も冷たい目で見て来るセウス。
さっきから何なのか。
どちらかと言えば激痛を与えられた私が怒って良いような気がするのに、何故私が叱られている気分にさせられているのか。訳もわからずにイラッとする。
「助けてくれた人に、好みも何もないでしょ!!」
人差し指をセウスに向けながら、私はぐぐっとセウスに詰め寄る。そりゃ、綺麗だとは思ったけどさ。
私の返答を聞いたセウスは、一瞬豆鉄砲を喰ったかのような顔になったけれど、すぐにいつもの似非笑顔に切り替わった。
「そうだね」
満足気に笑うセウスを見ると、こやつは一体何をしたかったのだろうかと、私はただただ気落ちする。
いつも通りになったセウスを見て一息ついていると、今度は店の扉が再び開く。視線を向ければ、キツキに続くように手に袋を下げた同年代の女の子が入ってきた。それは薬屋で働いている一つ年下のハナだった。
ハナは私に近付いてくると、首を傾げながら私の足首を見る。
「うーん、捻挫かな。とりあえず薬塗って固定するね」
ハナは手慣れた様子で湿布薬を塗って、その上から包帯を巻きつける。
「本当は冷やすと良いんだけど。あとは安静だから、しばらくは無理に歩かないこと。杖を貸すから使って」
キツキは持っていた杖をテーブルに立てかける。
ハナの言う杖とは体を支えるため杖の事で、上部二箇所に布で巻かれた金属棒がついていて、脇と手を固定させてバランスを取る。
ナナクサ村には医者という者がいない。
数年前に亡くなってから継げる人がいなくなったので、今では薬屋の親娘が医者代わりをしている。仕方がないと言えば仕方がない。
「やっぱ凍らせる?」
キツキが頭上から聞いてくる。しつこい。
「直接患部を凍らせなくても、氷を入れた袋を患部に当てておけば大丈夫よ」
ハナは冗談だと思ったのか、キツキを見て笑う。絶対冗談ではないはずだと、チラッとキツキに視線を遣れば、キツキは珍しくも顔を綻ばせていた。
………珍しいものを見てしまったな。
私が呆けていると、私の処置が終わったハナは立ち上がる。
「じゃ、私はこれで。お大事に」
「うん、ありがとうハナ」
「ありがとう、ハナ。助かったよ」
セウスがお礼を言うと、ハナはもう一度笑って花月亭を出て行った。
「はーい、お待ちどうさま〜」
元気な看板娘のアカネさんが出来たての料理を運んでくる。
アカネさんは今日もかわいい。かわいいお姉さんは大好きです。
アカネさんは私に近付いてくると、左足を見ながら痛そうだね〜と言いながら笑う。さっきから花月亭に入ってきたほとんどの人に同じ反応をされ、私の不幸は面白いのかとふてくされていると、隣で見ていたキツキは「いつも通り元気で良かったねって言っているんだよ」と、乱暴な解釈を入れてくれた。
「回復できないの? キツキ」
アカネさんは不思議そうな顔をしながら、キツキに問いかける。ただそれだけなのに、キツキの眉間の皺は深くなっていく。
「もう何度も言っていますけど、俺は傷以外は治せないんです。人なんで」
「あら、残念。万能かと思ったわ。あ、人で残念って言っているわけじゃないのよ?」
キツキは一瞬だけコメカミをピクつかせると、次の瞬間、即席で作りましたと言わんばかりの笑顔をアカネさんに向けた。
「アカネさんが包丁で手を切ってしまったら、回復して差し上げますよ」
「あら。私、包丁は持つなってエレサママに言われてるの。だから要らない心配よ」
「それはそれは。アカネさんの不器用も治せなくて申し訳ない気持ちで一杯です」
不遜な笑みを浮かべるキツキと、満面の笑顔を浮かべるアカネさんの間には、パチパチッと小さな火花が散る。
今日も始まった二人の不毛な戦いだけど、今日の軍配はキツキに上がったのか、アカネさんはこの戦いを引き延ばすことなく満足気に厨房に戻って行った。
「ったく、毎度毎度面倒な」
「嫌ならキツキが絡まなきゃ良いじゃない」
「あっちから絡んでくるの」
「そうなの?」
「そう」
そうなのかな〜と考えてみるけれど、私にはどっちもどっちにしか見えないからわからない。まあ、仲が良いならいいや。
運ばれてきたご飯を前にして、私達は三人でいただきますと食べ始める。
私は料理を口に放り込んで美味しいと恍惚な顔で食べるけれど、一つだけ納得出来ないことがあった。
おわかりか。一人多い事を。
私はキツキとセウスに挟まれる形で座っているのだ。何故セウスまで。
花月亭では滅多に食べないくせにと、一人で悶々とする。
「まだ話をしているのかな。長いね」
セウスは気になったのか、後ろを振り向いて集会席を見遣る。座っているここからだと、三人の頭すら見えない。
「食べたらお酒でも運ぼうかな。長そうだし」
私の隣でそんな事を言ってる。本当に気の利くことで。
年下の面倒見も良くて、さらに年上にも気が利けば、そりゃ誰からでも可愛がられるわけだよね。
「ねえねえ。今日、キツキはどうだったの?」
セウスとは反対側に座るキツキに、今日一人で北の森に行って問題はあったのかと聞きたかったんだけど。
私の問いかけにキツキは「どうとは?」と悩みながら、しばらく左上に視線を向けていたのだが。
「スライム三匹捕まえて、工房に置いてきた」
と答える。
何でじゃ。
「北の湖に点検に行ったんじゃなかったの?」
「行ったけど、いたからついでに捕まえてきただけ。用水路も上から下まで見てきた。今日の分の仕事はきちんとしたよ」
「ほんと、キツキは頼り甲斐があるよね」
私達の話を聞いていたセウスは笑って褒める。キツキは少し照れ臭そうに視線を逸らせた。
「私は?」
期待して聞いてみたけれど、二人して無言の視線を送ってくるので、それ以上聞くのをやめた。責めなくてもいいじゃない。
「じゃ、ちょっと挨拶してこようかな」
セウスは立ち上がって食べ終わった食器をカウンターまで運ぶと、厨房にいたアカネさんにお酒と簡単なつまみを出してもらう。
山盛りになったトレーを持ってセウスは厨房を離れると、通り道である私達の席に近付いてくる。
「ねえ、もしかしたら聞いちゃいけない大人の話をしているかもしれないから、持って行くのは止めておいたら?」
わざわざ私とキツキを別の席にしたぐらいだから、私達には聞かれたくない話なのかもしれないと思ってセウスに声をかける。
セウスは「まともな事を珍しく言うね」と私に言うと、良い笑顔で続けてこう言った。
「次期村長の僕が聞いちゃいけない話なんて、この村にあると思う? 村に関わる事なら尚更聞いておかなきゃ」
ぐうの音も出なかった。
コイツは本当にいい性格をしている。
私は諦めてハイハイと手を振ると、悪どいセウスを見送った。
セウスは集会席下にある階段まで行くと少し立ち止まり、しばらくすると階段を登って席にお酒と追加の料理を運んで行った。
<更新メモ>
2024/01/13 加筆