表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Slime! スライム! Slime!  作者: 笹餅よもぎ
第二章
164/219

深淵2

 今日も私は上の空だった。



 ここ数日、私はおかしい。

 あの夜のセウスの行動を、私は止めようともしなかった。


 小高くなっている北西の川辺に腰を下ろして村を一望する。

 今日も暖かい日差しに照らされて、村は平和だ。


 フィオンは近衛の二人と同様に、少し遠巻きに離れ、林の木陰に隠れるように立っている。



 本来なら、今日はスライム狩りの予定だったんだけど、私の心身の都合で延期してもらったうえ、工房ではこれっぽっちも役に立たず、あちこちの干し竿を転倒させる私は、とうとうミネに工房を追い出されてしまったのだ。

 数日前の夜のことを少しでも思い出すと、どうしても気が動転してしまう。


 どうしたんだ、私?


「ヒカリ様、大丈夫ですか?」


 工房を追い出された私の側を、エレノアは片時も離れない。

 可愛いエレノアにとても心配されてしまっている。


 ぼーっと村を眺める私は、エレノアに何も返事が出来ない。


 エレノアに説明したいけれど、そうなればセウスにされた事も、自分の行動も説明しないといけなくて、このややこしい状況を上手く伝える自信は皆無だった。


 セウスと私の『お付き合い』はお芝居だ。

 村で生活が問題なく出来るように、支え合うのが最初の目的だった。

 そして、相手が嫌がる事はしないという最低限のルールがあってこその関係だ。

 それがわかっていたのに。

 セウスのあの行動を私が拒否しなかったら、承諾したってことになる。


 私は承諾してしまったのだろうか。


「どうしよう……」


 膝に顔を伏せる。

 心の中に、もやもやするような怖気づいてしまうような、それでいて少しふわふわしたようなややこしい感情が(たむ)ろしている。


 今朝も緊張してセウスの顔を見られなかった。

 あの夜について、何をしてくれているのかと怒涛のごとく怒れば良かったのに、それがこれっぽっちも出来なかった。


 夜は変わらずに一緒に寝ている。

 だけど、あの日からセウスに腕を回されるだけで、私の心臓はばくばく激しく揺れ動き、なかなか寝付けなくなってしまっていた。


 変だ、私。


 そんなことは一度だってなかったのに。おかしい。

 本当、どこかおかしい。


 セウスの顔を見るだけで、声を聞くだけで、何だかとても落ち着くんだ。

 笑顔を見ると、少し照れ臭くもなる。


 どうしてなのだろうかと悩むけれど。

 もしかして、これって。


「これが、“好き”ってこと?」


 微かな声が、ぽそりと口から漏れたんだけど、自分で言っていて恥ずかしい。

 恥ずかしすぎて顔を上げられない。

 どうしよう。まさか、そんな。

 あのセウスを?



「サボってる子、みっけ」



 その声にギクリッとする。

 声をかけられたのに、顔を上げられない。


「あれ、無視?」


 さくさくと草を踏みながら近付いてくると、声の主は私の横に座った。

 隣に腰を下ろすと、伏せている私の顔を覗き込もうとする。


「どうしたの? 工房にいったら休んでるって聞いたけれど、体調悪いの?」

「……どうしてここだってわかったの?」

「愛の力?」


 伏せていた顔がボッと赤くなる。


「うそうそ。ヒカリの近くに近衛がいるから、遠くからでも見つけやすかったよ」


 近衛の制服は、ナナクサ村では作ることの出来ない綺麗な黒色だ。だから、制服を着ていると、どこに近衛がいるのかすぐにわかる。


「体調が優れないんだったら、明日のスライム狩りは翌日に延期する? あと一日ぐらいなら、なんとか船に間に合うから。あ、でもヒカリが足を引っ張るのなら、それはわからないかな?」

「…………」


 セウスの話に相槌も横槍も入れずに沈黙をしていたら、さすがに心配になったようだ。いつものふざけた調子がセウスから消えた。


「……具合悪いのなら家で休もう? 付き添うから。立てる?」


 セウスはそう言って私の腰に腕を回すと、体を持ち上げた。

 抵抗もせず、なされるがままだったけれど、顔だけは上げられなかった。


「エレノアさん、付き添いありがとう。ヒカリは家に連れて帰るから、エレノアさんも今日は休んで。フィオン、彼女を送ってやってくれないか?」


 セウスがそう言うと、少し寂しそうな顔をしたエレノアは礼をする。そしてフィオンを連れ立って工房へと帰っていった。

 エレノアを見送ると、セウスは私に向く。


「大丈夫?」


 そう聞かれるけれど、返事はできない。なんだか心臓がバクバクしてやっぱり顔を上げられなかった。


「本当にどうしたの? ヒカリらしく………」


 顔を覗き込んできたセウスの言葉が止まる。


「……今日は一日休んでいなよ。僕も休みを取って来るから」


 言葉を止めて、急に優しいことを言い出した。

 そのまま、セウスに抱えられるようにして村長の家へと戻った。







 近衛騎士と家の前で別れる。

 セウスはゆっくりと玄関扉を閉めると、居間で突っ立っている私の手を掴んだ。


「もしかして、この前のことを気にしているの?」


 高い背をかがめて、私の顔を覗き込む。

 セウスの茶色の瞳と視線が合うと、弾かれたように顔を逸らせた。


「ち、ちがう」

「あれから、ヒカリの態度がおかしいとは思っているんだけど。大丈夫?」

「そう思うなら、あんなことしないでよ」

「……ダメだった? 僕はそろそろ良いかと思っていたんだけど」

「ダメっていうか…………。うん、ダメ」


 視線を合わせずに答えると、セウスはスーッと息を吸いながら天に仰いだ。


「あー、ヒカリ。そういった顔は他の男に見せないように」

「?」


 セウスは数回、息をスーハーと深呼吸して何やらぶつぶつ呟くと、ようやく頭を元に戻した。


「でもあれは未遂で終わったよ。ヒカリがギリギリで手で防いだでしょ?」


 そう。セウスの唇が近づいてくる間、私は動けずにいたんだけど、触れそうになる一歩手前で我に帰ると、手でセウスの侵攻を防いだのだ。

 でも、本当にギリギリだった。

 なんだか、それが当たり前のように違和感も緊張感もなかったから、判断が遅くなってしまった。

 でも、それって……。


「ねえ、ヒカリ。ヒカリは僕の事をどう思ってる?」

「どう、って?」

「んんー、ほら。かっこいいなとか、素敵だなとか、好きだなぁとか」


 笑顔で誘導させたい言葉ばかりを並べてくる。

 流石にそこまでは単純じゃないわよと、セウスを軽く睨んでやった。


「それはないけど」

「あれ、残念だな」

「だけど、最近はセウスといると安心する」

「あんし……? ふふっ」


 セウスは嬉しそうに笑う。


「何よぉ」

「いや、意外だなって思って」

「じゃあ、取り消す」

「あ、取り消しはできません。もう僕の胸の中に刻まれてしまったからね」

「ちょっと!」


 膨れると、セウスは私の手に軽くキスをした。


「僕はヒカリが好きだよ。結婚したいぐらいに。可愛いと思っているし、ドジだとも思っている」

「……ねえ。最後のは取り消して」

「取り消すのは最後だけでいいの?」

「ぐ……」


 なんか(たばか)られた気がする。

 セウスはしたり顔で笑う。

 やっぱり本性は悪魔。


「じゃあ、ヒカリ」


 呼ばれて視線を上げる。


「シキさんのことはどう思ってる?」

「?! ………あ、……と。その」


 急に話を振られて(ども)ってしまう。


「……わからない」

「僕に対してと、似た気持ち?」

「………少し違う」

「安心しないの?」


 シキの顔を思い浮かべるだけで、心が乱れる。

 怖い。


「うーー。考えると、苦しくなる」

「おっと!」


 セウスは何かを見つけたのか、カーテンに向かって指を伸ばした。そこからジュワッという音が聞こえてきた。


「さ、続きをしょう」

「ねえ、それは答えないと駄目?」

「この関係を始める時の約束の一つだよ。ヒカリを苦しめているものが何かを知るという約束」

「なんで、シキの話なの?」

「……その答えは、まだヒカリの中に出ていないでしょ?」

「だって、嫌だ」

「何が?」

「シキの事を考えたくない!」


 ブワッと私の体から炎が飛び出すけれど、セウスは水魔素で消していく。


「……火が」

「気にしなくていいよ。キツキから水魔素をたらふく貰ったから」

「なんで、こんなことをするの?」

「早く忘れて欲しいからだよ」

「え?」

「ヒカリには早くシキさんを忘れて欲しいからだよ。いつまでもどこまでも、僕が何をしたとしても、あの人がヒカリの心を掴んでいるなんて許せない」


 セウスの言っている意味がわからない。

 だけど、目の前のセウスはいつもの飄々とした表情ではなくて、眉間に皺を寄せて私なんかよりも辛そうな顔をしている。

 なんでそんな顔をしているのよ。


「それと、魔素が体から飛び出てしまうぐらい、ヒカリが何にダメージを受けているのか知って欲しいからだよ」

「言っている意味が……」

「ヒカリは僕が、そうだな。……例えばアカネさんとか、他の女の子と話をしているのを見ると、苦しくなることはある?」

「それはないけど」

「それなら、シキさんは?」


 その問いに下を向いてしまう。


「他の女性と話しているのを見るだけも、嫌……」


 すごくおかしなことを言っているは、自分でも気がついている。


「シキさんが他の女性とキスをしてたら?」


 そんなことを考えたくはないけれど、自然とシキの婚約者の顔が浮かんでくる。

 あの人ともキスをしたのだろうか。

 そう思うと、体が熱いのか寒いのかさえわからずに、手が震えてくる。

 これ以上は無理だ。


「……考えたくない」


 セウスの瞳が細くなる。


「じゃあ、シキさんが婚約者の女性と結婚したら?」

「……やめて」

「シキさんがその女性を抱いたら?」

「やめてっ!!」


 自分の悲鳴と共に、炎が私達を囲むように広がるが、セウスは動揺せずにその場に立っている。


「ヒカリ。これが、ヒカリの心の中だよ。苦しくて苦しくて、ヒカリの心の中はずっとこの炎に焼かれてるんだよ」

「セウス………」

「こんなに苦しんでるのに、シキさんのことを何とも思っていないなんて答えないでよね。さあ、ヒカリ。何でここまで君はシキさんのことで苦しんでいるの? もう、答えを出そうか」


 涙がボロボロと溢れる。

 セウスは私の頬に手を当てて、炎が上がる部屋から逃げようとはしない。


「うー………もうやめて」

「逃げちゃ駄目だよ。僕も逃げない」

「こわい」

「僕もだよ」

「ひぐぅ、ううぅ……ぐす」


 涙が溢れてきて、言葉が上手く出ない。

 セウスを止めたいのに、止めることも出来ない。

 そんな中、玄関ドアが勢いよく開くと、ハムイと近衛騎士達が入ってきた。


「何事ですか、セウス様!」


 炎の中心にいる私たちを驚いた顔で見ていた。

 セウスは動揺することもなく、彼らに開いた手だけを向けて入ってくるなと制止する。


「ああ、もう少し待って。答えが出せそうなんだ」

「しかし」

「消火は自分でやるから」


 セウスは私から視線を逸らさずに、そのままさっきの話を続ける。


「ほっといたら、ヒカリは死ぬまでその気持ちから逃げるだろ? 僕はこの話をここでお終いにする気はないよ」

「何で?」

「言っただろう? それでは永遠に君はシキさんに囚われたままだ。気が付かない振りをし続けて、永遠にシキさんを意識をするんだ。僕としては許せない」

「セウス……」


 セウスは深く息を吸う。そしてぐっと目を閉じて開くと、炎の影と鋭利な光を瞳に宿した。


「何でシキさんが他の女性とキスをするのも、抱くのも嫌なの? ヒカリにとったらシキさんは無関係な人だろ?」

「……違う」

「シキさんが誰と結婚したって、ヒカリには関係ないだろ?」


 私は言葉が出ずに、顔をブンブンと横に振る。


「シキさんはヒカリのことを、これっぽっちも気にしてなんかいないよ」

「! 違うっ!」

「どうして?」

「………キスしてくれたもん」

「他の女性にもキスしているかもしれないじゃないか。いたんでしょ? ヒカリには知らせなかった婚約者が」


 私は返事が出来ずに、私はグッと手を握り締めるとコクリと頷いた。

 いたんだ。婚約者が。すごく可憐で可愛い婚約者だった。

 なのにシキは私にキスをした。

 私を大事そうに抱えて、優しいキスをした。


 それを思い出すと涙が出てくる。

 あの時は嬉しかったはずなのに、今は苦しい涙が出てくる。


 セウスの言う通り、私が知らないだけで、私以外の女性にキスをしているのかもしれない。

 私のことなんか、これっぽっちも気にしていないのかもしれない。

 じゃあ、知らなかったら良かったの?

 知らなかったら、シキがキスをしてくれた事は嬉しいことなの?


 違う、そうじゃない。

 “シキ”が、じゃなくて。


「違う。私が……。“私”が、嬉しかったの。キスしてもらえて」

「どうして? 僕のキスは止めちゃうくせに」


 どうして?

 どうしてそれが嬉しかったの?


 部屋に広がる炎が、私の心を急かしながら揺れ動く。形が変わるその刹那その刹那、ドクン、ドクン、と跳ねる心音と重なる。

 頭の中の紐が少しずつ解けて、何かが壊れるような感覚がした。


「………き…」

「うん?」

「シキを“好き”だから、嬉しかったの……」


 瞳から大粒の涙が溢れる。

 セウスはそんな私の頭をぎゅっと抱きしめると「答えが出たね」と小さな声で呟いた。


「そうだね。ヒカリはシキさんが好きだから嬉しかったんだよ」

「……うん」

「好きだから、他の女性と一緒にいるのを見ると苦しかったんだ」

「……うん」

「だからシキさんが、婚約者の女性を隠していたことが悲しかったし、許せないんだ」

「……ん!」


 涙で顔をぐちゃぐちゃにしたまま、セウスの胸の中で頭をコクコクと揺らす。

 セウスの声が落ち着くから、彼の言葉が胸の奥深くまで突き刺さる。


「だけどヒカリ。婚約者がいた事を知らなかったのはヒカリのせいじゃない。シキさんの問題だ。それだけは言っておくよ」


 セウスは抱きしめる腕にぎゅっと力を入れる。

 少しだけ息苦しいけれど、自分の涙を消してくれるみたいで、今はそれがありがたかった。


「おっといけない」


 セウスは思い出したかのように、私を抱えながら今に水魔素をばら撒いた。キツキから貰ってきたと言うだけあって、居間の炎をあっという間に消してしまった。

 あちこち焦げてしまったけれど。


「ごめん、セウス」

「うん?」

「ごめんね」

「その『ごめん』は何について謝っているのかな?」


 焦がしたことについてに決まっているじゃない。

 だけど、しゃくり上げてしまった私にはそれ以上は話が出来なかった。







 セウスに抱えられるように抱き寄せられて、少し放心している。

 沢山泣いた。


 シキと婚約者の二人でいる姿を見て、“悲しい”気持ちは自分でもわかってはいた。

 でもセウスに言われて、私は初めてシキに“怒り”を持っている事に気がついた。


「……なんで、セウスはわかったの?」

「うん?」

「私が怒っているんだってこと」


 自分でも気づかなかったのに。


「ははっ、何でだろうね。僕にもわからないけれど、でもヒカリを見てたらそんな気がしてただけ。“悲しみ”は時間と共に薄まって消えるけれど、“怒り”はずっと付き纏うからね。それにちょっとした事で再燃もするしね」


 ……なんでそんなことがわかっちゃうのかな。

 セウスの顔を少し不貞腐れたような顔で覗き込む。その顔をセウスはどこか可笑しそうに見ていた。


「だから言ったでしょ? 死ぬまでシキさんを想うだなんて許せないって。ヒカリが何について怒っているのか、その理由に気がつかないと、それを鎮める方法も出てこないんだよ」

「ぐぅ、……大人め」


 セウスはかんらかんらと笑うと、「ヒカリよりもね〜」と、嬉しそうに私の頭を再びギューッと抱きしめる。

 そんなセウスの袖を、私もぎゅっと握りしめた。


<独り言メモ>

気がつくと、ページが分裂して終わりがなかなかやってこない。


<人物メモ>

【キツキ/リトス侯爵(キツキ・リトス)】

 ヒカリの双子の兄。祖父の家の爵位を継いでリトス侯爵になる。今は祖父の故郷である帝国にいる。


【ヒカリ/バシリッサ公爵(ヒカリ・リトス)】

 キツキの双子の妹。バシリッサ公爵。セウスと付き合うことになった。のだが?


【セウス】

 キツキの故郷であるナナクサ村の村長の息子。

 人望が厚く、働き者のうえに剣の達人。帝国では伝説のノクロス・パルマコスの唯一の弟子。

 妹のヒカリのことが好きで、一度結婚の申し込みを断られたはずなのに、今はヒカリと付き合っていることになっている。


【シキ(ラシェキス・へーリオス)】

 銀髪の美丈夫で帝国の騎士。ナナクサ村へ漂流してきて、ヒカリと一緒に帝国へと戻った。

 婚約者と噂される女性がいる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ