新たな流れ者2
心地よい揺れに身を任せながら、私を抱える銀髪の青年の顔を下から覗き込んでいた。
私の視線に気付かないのか、黄金色の瞳はただ前だけを向き、銀の髪はさらさらと揺れ動く。
……何度見ても綺麗。
怪我をしたあの場所から、ずっと私を抱えて歩いている。重くないのかなと心配になるけれど、青年の歩みは遅くなることはなく、しっかりとした足取りだ。
何度か周囲が私を運びますよと申し出るも、青年はそれを断っていた。その度に皆はどこか気まずそうな顔をする。
私だけ楽な思いをしているようで、なんだか申し訳なく思い、気づかれないようにそっと風魔素を体の下から吹きかけた。これで少しばかりは軽くなるだろうか。
重たいなんて思われたくはない。
だって女の子ですもの。
さっきから歩くのは森の木陰ばかり。気温の下がる季節柄か、抱えられて動かせない体は冷え始めてきたけれど、銀髪の青年の体に寄り掛かる半身だけは暖かいままだった。
私を持ち上げる青年を囲うように、皆は心配顔で歩く。通常よりは時間がかかっているけれど今日は私がお荷物になっているから致し方ない。
途中途中に休憩を入れ、一刻以上歩くとようやく村の東門が見えてきた。
「あそこです」
私は東門を指す。
今日も問題なく、村の門も塀も立派にそそり立っていた。
「………こんな森の奥に、こんな建物が?」
青年は森の中に現れた建物に驚いた顔をする。
戻って来た私達を見つけたのか、門の上に設置されている横長の櫓の中で、見張りの自警団員達が騒ぎ立っているのが見えた。
私達が門に近付くと、当然のように扉は開く。
大工のおじさんが先に東門の中に入ると、それに続くように青年も門に足を踏み入れた。
扉の中に入っても、自警団員達はざわついている。どうしたのだろうと思うものの、自分の姿をよくよく考えれば、知らない人に抱えられて帰ってきたのだから当たり前なのかもしれない。
私だって魔素で殴りつけても倒れないキツキが誰かに抱っこされながら森から帰ってきたら血相を変える。奇妙過ぎて、明日にはスライムが大量に空から降ってきちゃうって。
そう考えれば、私もキツキ並みに頑丈だと周囲に認識されているって事だ。
「ヒカリ、一体どうしたんだ?!」
東門の手伝いだったのか、ノクロスおじさんが櫓の上から梯子で降りてくる。珍しくノクロスおじさんは動揺していた。
「あは、しくじりました」
抱えられながら苦笑いする。
「こ、この人は?」
気遣いのノクロスおじさんらしくなく、私を抱えている銀髪の青年を不躾にも、上から下まで舐め回すようにジロジロと見る。
こんな落ち着きのないノクロスおじさんは珍しい。
「魔物に襲われたところを助けてもらったの。えっと、……あ、お名前をまだ聞いていませんでした」
私は抱えてくれている青年に視線を遣ると、彼もまた自己紹介をしていない事に気付いたのか、ハッとした表情をする。
「失礼を。………シキと申します」
「シキさんですか。ヒカリを助けていただき、ありがとうございました」
「いいえ、大したことはしていません。彼女を家まで運びたいのですが、どちらになりますか?」
ノクロスおじさんは苦い顔で少し考えたが、こちらですと案内を始めた。
シキさんもノクロスおじさんの案内に従って歩き出すけど、私たちの会話を聞いていた周囲はヒソヒソと顔を顰めながら内緒話をする。「嘘だろ」とか「……は大丈夫か?」という言葉が聞こえてくるけれど、私の失態話は私がいなくなってからにして欲しいものだ。
東門を潜ってしばらくすると、左手に南側の村の丘陵地が広がる。収穫も終わっている畑もあれば、まだ黄金色の作物が実ったままの畑もある。それに視線をやると、シキさんの足は止まった。
「素晴らしいね………」
溜息まじりの声に気がついて顔を上げると、シキさんは眩しそうに村の景色を眺める。
誰かにそんなことを言われたのは初めてで、その言葉に私の心はこそばゆくなってしまう。
シキさんはしばらく眺めて満足したのか、ノクロスおじさんの後ろを追った。
東門からの大きな道なりを行けば、村の中心地に行ける。うちは中心から少し北に行ったところだ。
ずっと抱えて重いだろうに、申し訳なくなってくる。
東門から村の中心へ向かう道の途中に、十字路がある。
左に進めば、工房や倉庫への近道なので村の人も良く使う道なのだが。
その袂に、若い青年二人が立っていた。よく見ればそれは、自警団員と驚いた顔のセウスだった。
シキさんが十字路に近付につれて、驚いた顔を隠すように笑顔を顔に張り付けたセウスが私達に近付いてくる。日頃の行いが悪いせいか、どうしてもその顔が何かを企んでいるようにしか見えない。
そんなセウスに気付いたのか、シキさんは足を止めるとセウスと向かい合う。
おお、シキさんってばセウスよりも少しだけ背が高い。セウスにはいつも小さいと揶揄われていたので、胸がすく思いだ。
「うちの村の者がお世話になったようで、ありがとうございます。彼女、重かったでしょう? あとはこちらで引き受けますよ」
重いは余計だ。
セウスは両腕を差し出してぷんぷんしている私を受け取ろうとするが、シキさんはセウスと目を合わせたまま動こうとしない。
「……いいえ。痛みがあるようですので、私がこのまま家までお連れしますよ」
シキさんはセウスには応じず、すり抜けるようにセウスを躱す。
そんな二人のやり取りを見ていたのか、私達の先を歩いていたノクロスおじさんは足を止めていた。ノクロスおじさんが青ざめているようにも見えたけど、すぐに何事もなかったかのように足を進めたので、きっと私の見間違いかもしれない。
村の中心部では、ご婦人方がこちらを見てざわつく。
美青年に抱えられて帰ってきた私の話は、明日を待たずに瞬く間に村全員の耳に入る事になりそうだ。
婦人だけではなく、そこに居合わせたお年寄りも子供達も私達を見ていた。
小さな女の子が嬉々として近付いてきて、「王子様なの?」と聞いてくると、それに対してさっきまでは無表情だったシキさんは表情を崩して柔らかい顔になると、「違うよ」と答える。
キツキみたいに表情が崩れない人だと思っていたから、意外だ。
私はそんな柔らかい彼の笑顔を下から瞬きもせずに見ていた。
「あの塔が私の家です」
私の指を追うように、シキさんは空を見上げる。
周辺の建物よりも飛びぬけて高い塔を眺めると、驚いた顔をして足を止める。
どうしたのかとシキさんに声をかけようとしたのだが、すぐに視線を戻してノクロスおじさんを追って門から庭へと入って行った。
ノクロスおじさんは玄関扉を押さえてシキさんを家に招き入れる。
「ここまでありがとうございます。今、家の者を呼んで来ますので、彼女は長椅子に座らせてください」
シキさんは頷くと、言われた通りに居間にある長椅子の前で膝をついて私をそっと座らせる。それと同時に私は安堵した息をついたのだ。風魔素が尽きなくて良かった。
おじさんは一目散に塔に繋がる扉を開けて部屋から出て行く。おそらく塔で見張りをしているおじいちゃんを呼びに行ったのだろう。
シキさんは珍しそうに家の中を見回すと、膝をついたまま聞いてきた。
「ここには昔から暮らしているのですか?」
「はい。おじいちゃんとおばあちゃまの代からですけど」
「ご両親は?」
「母は出産後に亡くなったそうです。父は、その……十年以上前に村を出て行ってからずっと帰ってきていないとか……」
父の行方など、村の人にも聞かれない事だったので、咄嗟の質問に心構えもなく服をギュッと握ってしまった。
「……辛い話をさせてしまったようですね。申し訳ありません」
シキさんは気まずそうに口を閉じると、今度はじっと私を見つめる。どうしてか、綺麗な黄金色の視線から逃れられない。
「どちら様ですか?」
突然の声に玄関を見ると、いつの間に帰って来たのかキツキが立っていた。顔は超不機嫌で、私達を睨むように見ている。
眉間に皺を寄せたままのキツキは顔を傾げて、じろじろと不躾な目でシキさんを品定めしながら近付いて来た。そんなキツキを見たシキさんは、とても驚いた顔でキツキと私を見比べる。
「えっ?」
「あ、兄です。双子の」
「双子?!」
シキさんは信じられないと言わんばかりの表情で、尚も私とキツキを交互に見る。そんなに双子は珍しいのだろうか。
シキさんは状況を把握したのか、膝をついていた体を持ち上げる。
左腕を後ろに回し、右手を胸の前に置くと、キツキに向かって軽く頭を下げた。
初めて見る作法だった。
「申し遅れました、シキと申します。家に入り込んだご無礼をお許しください。お嬢さんが足を挫かれたようでしたので、こちらまで運ばせていただきました」
お嬢さん……。
その言葉にほっぺが赤くなる。
「お嬢さん………?」
その言葉を聞いたキツキは、私に視線を向けながら顔を青くさせる。何か言いたそうな目で口をあんぐりとさせていたけれど、顔を整えると再びシキさんに視線を向けた。
「そうですか。妹がお世話になりました」
不満気にキツキはお礼を言うと、椅子に座っている私に視線を向けた。
「おじいさまに報告は?」
「今、ノクロスおじさんが呼びに行ってくれている」
キツキは妙に不機嫌だ。どうしたのだろうか。
キツキが不穏な空気を醸し出していると、丁度奥の扉が開く。
塔から降りて来たのか、そこにはノクロスおじさんとおじいちゃんが立っていたけれど、何故か二人はすぐには部屋に入ってこなかった。
おじいちゃんもキツキ同様、ノクロスおじさんの背中越しからジッと強張った表情でシキさんを見つめる。
みんな本当にどうしたのか。
そんなに銀色の髪の人は珍しいのだろうか。
シキさんを見上げると彼もまた、二人からの視線に凛とした表情を崩さずにいた。
その場の空気は張り詰め、今まで感じたことがない耐えがたい雰囲気だった。そう、私は耐えられなかったのだ。
「あっ! あのね、おじいちゃん。シキさんに森で助けてもらったの! 魔物退治に失敗して、足を怪我しちゃって。家まで運んでもらっちゃった!」
わざとらしく元気な声を出すと、おじいちゃんの視線はようやく私に向いた。
「なんだ、やっぱり失敗したのか?」
「うるさいなぁ!」
頼んでもないのに呆れ顔のキツキが横から口を挟んできた。
だから言いたく無かったのにと私はそんなキツキを睨みつける。
私とキツキがケンカを始めると、シキさんを観察していた二人は漸く部屋の中に入って来た。
「シキと申します」
「孫娘を助けていただいたようで、ありがとうございます」
シキさんはさっきキツキに見せたように、手を胸の前に置いておじいちゃんに低頭する。それを見たおじいちゃんとノクロスおじさんも、手を左胸の上に置いて、頭を下げた。
「どうでしょう。宿がなければ、今晩はこの村に泊まりませんか? 貴方のお話を是非お聞きしたい」
「そう言っていただけますと助かります。実はここが何処かもわかっていないのもので」
何処かわからないってことは、やっぱりシキさんも漂流して来た人なのかなと、彼を目で追う。
「では、後でゆっくりとご説明しましょう。キツキ。花月亭へ行って、集会席を予約して来てくれ」
さっきまでシキさんを怪し気に観察していたキツキだったけれど、おじいちゃんにそう依頼されればわかりましたと素直に返事をして、すぐに翻って颯爽と家を出ていった。
本当、キツキはおじいちゃん子だな。
この話の流れでは、きっと今日の夕食は花月亭になるのだろうと予測したのだけれどけれど、いかんせん私は足を動かせない。
患部を見ながらどうしようと考え込んでいると、ノクロスおじさんがやってきて、軽々と私を持ち上げた。
「わわわっ!」
「花月亭まで我慢してくれ」
「ねえ、おじさん。重くない?」
「そりゃ子供の頃よりは重くなったけれど、ヒカリを持てなくなるほど老いてはないよ」
「無理しないでね」
若くは見えるけど、ノクロスおじさんだって60歳の満齢は超えている。それに私だって小さい頃よりは数段重くなっている
腰がやられなきゃ良いけど。
「まずは食事にいきましょう。こちらです」
おじいちゃんの声に促されて、私達は花月亭へと向かった。
<人物メモ>
【セウス】
ヒカリにちょっかいを出す村長の息子。村人からの人望は厚い。剣の達人。
【シキ】
東の森で魔物に襲われたヒカリを助け、村まで運んできた。銀髪金眼の青年。
【おじいちゃん】
キツキとヒカリのおじいちゃん。
【ノクロスおじさん】
おじいちゃんの長年の友人
<更新メモ>
2024/01/13 加筆、人物メモの更新
2021/06/13 文章の修正