帰郷の裏側で ーカロス視点
「では、今日はこれで」
花月亭と呼ばれる酒場から移転魔法で移動した先は、花月亭の目の前の道だった。
村の女性達から聞いた話では、ノクロス・パルマコスの家は花月亭前の道から南に下った公園の隣らしい。
数分も経たないうちに、そこへはすぐに辿り着いた。
平屋建ての小さな家で、帝国の伝説として名を馳せた近衛騎士の家には、到底似つかわしくない家だった。
どこの家もそうだが、この村は質素な造りの家ばかりだ。皇女が暮らしていたはずのキツキ達の家もそうだった。
そんなキツキ達の家の中を、キツキが出払っている間にとある目的のために見て回っていた。屋根裏まで見て回ったが、探していたものは見つからなかった。
地下は無さそうだったから、家が半壊した時に喪失したのだろうか。
初めてこの村にやって来た自分が考えたところで答えが出るはずもない。だからあとは彼に聞こうとこの小さな平家の家までやってきた。帝国にとって大事な物なのだから、ずっと側仕えをしていた彼ならばその行方を知っているはずだ。
扉をノックすると、一呼吸置いたぐらいで中から背の高いノクロス・パルマコスが出てきた。当時二十歳だった男性の顔には皺が浮かび、ここでの長い年月を物語っていた。
先方は少し驚いた顔で私を見ている。
それはそうだろう。漆黒のような黒髪の人間など、彼が帝国にいた時には存在しなかったのだから。
彼に向かって胸に手を当てて礼をする。
「初めましてノクロス・パルマコス殿。私は帝国で宰相補佐官を務めているカロス・クシフォス・ワールジャスティと申します。本日は宰相代理として参りました。急な訪問をお許し下さい」
「……宰相代理? ワールジャスティ?」
ノクロス・パルマコスの顔は青くなる。
「あなたの今後の事についてと、少しお伺いしたいことがありまして参りました。時間をお取りいただきたい」
「えっと、ここは狭いですので花月亭で……」
「キツキ殿下にも近衛達にも聞かせたくない大事な話があります。私は差し支えありませんので、入れていただけませんか?」
ノクロス・パルマコスは少し戸惑っていたが、どうぞと私を家の中に招き入れてくれた。居間にいたカルディナ伯爵と目が合うと、彼は立ち上がり、礼をして部屋を出て行こうとする。
村に入る前から彼の行動を始終見ていた。
確かにその姿も顔つきもノクロス・パルマコスによく似ている。
彼は先代のカルディナ伯爵の子供だと世間には思われているが、意外な秘密を知ってしまったな。だが、先代とノクロス・パルマコスの関係を考えれば、あながち無い話ではないのかもしれない。
彼は国に戻らなかったのだから、それしか方法がなかったのだろう。
「カルディナ伯爵、ノクロス殿の許可があればご同席いただいて構いません。彼のこれからの事ですので、あなたもお聞きしていおいた方が良いでしょう」
迷っていたカルディナ伯爵だったが、ノクロス・パルマコスと目を合わせると、ゆっくりと長椅子に腰を降ろした。私も案内された椅子に腰を降ろすと、ノクロス・パルマコスはカルディナ伯爵の隣に座った。
「お時間をいただきありがとうございます。早速ですがノクロス・パルマコス卿には、すぐにでも帝国に帰還していただきたい。あなた方に起こった四十二年前の事実を、大貴族院にて証言していただきたいのです。それと、今までライラ殿下及びキツキ殿下達を護衛いただいた近衛としての報酬をお支払いし、帝都の八宝殿のいずれかが恩賞の一つとして貸与されます。あなたの身に何かが発生し、事実が消えてしまう前に、早急に帝都にお戻り下さい」
「それは……私はまだ帝国の人間と認められているという事でしょうか?」
「もちろんです。あなたはまだ帝国の近衛騎士ですし、職を返上されていない」
近衛騎士は四十歳までの年齢制限のある職で、近衛の職を離れる際には、国に近衛職を返上する手続きと式を執り行う。
例外としてキツキ達の祖父であるオズワード・リトスと、目の前のノクロス・パルマコスは済ませていない。
書類上は行方不明のままだ。
本来ならそのまま近衛騎士のリストから削除されるのだろうが、異例な事で歴代の担当が対応しなかったのか、書面上はそのままになっていた。どうせならそれを上手く利用させてもらうつもりだ。
膝の上で手を握ったノクロス・パルマコスは息を呑むと返事をした。
「わかりました。帝国に戻ります」
「話が早くて助かります。船がこの村の東の海に着いています。キツキ殿下が明日か明後日の間には船で帝国に戻られるはずですので、その時ご一緒に帰国をお願いしたい」
ノクロス・パルマコスは頷く。
本当に話が早くて助かる。どこかの殿下とは大違いだ。
「では、ここから先は二人だけで話をさせていただきたい。カルディナ伯爵、申し訳ありませんが、少しお時間をいただけませんか?」
ノクロス卿はカルディナ伯に花月亭の場所を教えて、そこで待っているようにと促すと、伯爵はスッと立ち上がって家から出て行った。
伯爵が家から出て行ったことを確認すると、ノクロス・パルマコスに視線を向ける。
「ここから先は一切他言無用です。もちろん、ご家族や殿下達にもです」
目の前のノクロス・パルマコスは静かに頷いた。
翌日の朝は機嫌が良かった。
キツキが捕まえた三匹のミニスライムが入ったわっさわっさと動く網を手に抱えながら、ノクロス殿が帝国に帰国される時に、ついでに連れ帰ってもらうかと考えていた。
西地から帝都まで、ノクロス殿が乗る予定の馬車と護衛の騎士も手配してきた。ミニスライムの三匹ぐらい馬車に乗せても大きさ的に問題ないだろうし、彼ならスライムの扱い方も知っているだろう。帝城の秘書官にでも渡しておくように伝えておこう。
そう思っていた時に、あの二人の姿を人の集まる広場で見たのだ。
“付き合う”との言葉に、最初は何事かと焦ったのだが、右手の指輪からすぐにヒカリの状況がわかった。
………なるほど。そういうことか。
ヒカリの隣に男がいるのは気にいらない。
だけど、無理に引き離すことはどうやら出来ないようだ。
「ヒカリの隣にいた男? 多分セウスじゃないかな? 私、よく見てなかったですけど」
「セウスと言うのか。彼は一体何者なのですか?」
ミネ殿はスライムにリボン型の飾りを付けながら、可笑しそうに笑う。
「何者って程じゃないですよ。村長の息子ってだけですよ」
だけ、ね………。
「はい、付けられました! 良かった、気に入ってくれたみたいですね」
飾りを落とさずにぴょんぴょん跳ねるスライムを満足そうにミネ殿は見ている。
「ありがとう、ミネ殿。御礼にまた帝国から生地をお持ちしますよ」
「あ。その場合はこっそりお願いしますね? キツキにバレるとやかましいですから」
「承知した」
三匹のミニスライムをもう一度網に入れて抱えると、ではと礼をして工房の扉を開けたのだが、なんだか近くが騒がしい。
「あれ、訓練所の方からですね」
見送りをしてくれていたミネ殿も気がついたようで、ヒョイッと工房から顔を出す。
「なんだろう。今日は何もないはずなのにな」
そう言ってミネ殿も一緒に外に出て来る。
「訓練所があるのですか?」
「はい、工房の隣にあるんですけど………」
隣と言っても、しばらく歩いてからその建物は見えてきた。その周辺には人が集まっている。
「やだ、なんだろう。あの人集り」
ミネ殿は小走りに人の壁に近寄ると、そこにいた村の人に話しかける。話を聞いたミネ殿は驚いた顔をしていた。
「どうなされましたか?」
「わぁ………。ノクロスさんが試合をするそうなんです。珍しい」
「試合?」
「ノクロスさんって剣が強すぎて、誰とも試合はしてこなかったんですけど、相手がセウスらしいんですよ」
「セウス………」
ヒカリの隣にいた青年か。
「そうか、師弟対決なんだ」
「師弟?」
「あ。セウスはノクロスさんのただ一人の弟子なんですよ。自警団員もノクロスさんに指導はされているみたいなんですが、セウスほどガッツリではなくて……」
ミネ殿はヒョイっと爪先立ちになって人の壁からその先を覗き見ようとしている。
なるほど。
道理で揃いも揃って帝国の人間が、興味津々な顔をして前席に並んでいる訳だ。
向かい側にキツキとヒカリを囲うように群がっている近衛達を一瞥すると、ミネ殿の足元に浮遊魔法陣を敷いて一緒に体を浮かせた。
「あれ? 急に見えるようになった!」
パッとミネ殿の顔は明るくなる。
普通なら気づきそうなものだが、細かいことは気にしない性格のようだ。顔はあまり似ていないが、そういったところはヒカリとよく似ている。
「弟子は彼だけなのですか?」
「セウス以外はとらなかったみたいですね。あ、始まりますよ!」
ミネ殿は中央に向かって指をさした。
その先には木剣を持ったノクロス・パルマコスと、ヒカリの横にいたセウスという男が向かい合って立っていた。
さて。
ヒカリとお付き合いをすると宣言した“彼”は、伝説のノクロス・パルマコスと渡り合えるのだろうか。
パルマコスは18歳から行方不明になるまでの間、帝国軍の中で負けなしの記録を持っている。つまりは、当時の近衛騎士だって彼には剣戟では勝てなかった。
だからそう待たずに勝敗は決まるだろう。そう思っていた。
だが試合開始早々、考えを改めざるを得なかった。
キツキが彼とヒカリとの付き合いも結婚も承諾するという言葉を、裏付けるかのような攻防だった。
……こんな村に、帝国騎士よりも上の人間がいるとはな。
これなら帝国の上級騎士にだって負けないだろうし、近衛騎士だって怪しいところだな。
ノクロス・パルマコスは途中で変調させて試合に勝ったけれど、あのまま戦っていたら体力的にセウスに追い詰められていただろう。
「面白いものを見られました」
「ですよねー。私もノクロスさんが本気で戦っているところを初めて見ました」
足元を地につけると浮遊魔法を消したが、そんなことは気づかないのか、ミネ殿は嬉しそうにさっき見た試合について語りだした。
「やっぱりノクロスさんは強いな〜」
「セウスというあの彼も、試合はあまりしないのですか?」
「子供の頃は学校でやっていましたけど、いつもキツキしか相手にならなくて。最初はキツキとどっこいどっこいだったけど、大きくなったらセウスの方が勝ちが多くなったのかな?」
「それはそれは」
「試合といえば、セウスはシキさんとも試合をやったってヒカリが言ってましたよ。あ、シキさんを知ってますか?」
「ええ。親戚ですので」
嫌というほど知っている。
ミネ殿は、容姿が全く違う私達に疑問を持たないのか、そうなんですねと素直に聞き入れる。本当、この素直さというか単純さはヒカリとどっこいどっこいだな。
「良い勝負だったらしいのですが、途中でキツキが邪魔をして中断させたみたいですよ」
良い勝負……。
「それは私も見てみたかったですね」
「あは、私もです」
試合が終わったせいか、訓練場を囲っていた人が流れ始める。
「あれ、みんな花月亭へ行くのかな? カロスさんも行きますか?」
「ミネ殿は?」
「私はまだ工房の片付けが終わっていませんから、一度戻ります」
ミネ殿は元気に手を振ると、工房へと戻って行った。その後ろ姿を見送ると、村人が散り散りになり始めた訓練所の中心へと視線を移した。
それと同時に、先まで繰り広げられていた激戦をもう一度頭の中に呼び起こす。小さい頃から聞いていたノクロス・パルマコスの名にふさわしい剣術だった。そしてその弟子も。
皇女のいた村の村長の息子で、ノクロス・パルマコスの唯一の弟子。
それと昼間に見た光景。
それはあっという間に、彼の周囲に人が集まっていく光景だった。
キツキが彼を一目置いている訳だ。
彼がこの村一番の「有力者」だ。
「失敗は出来ないな………」
下手に手出しなどしたら、後々響いて来るだろう。
ヒカリと手を繋いで小さくなっていく彼の背中を、ただじっと見送った。
「どうだ、カロス。そこの村で見つかりそうか?」
「はい。証言は得てきましたが、それをどうやって実行するかを考えているところです」
「なんだ、お前にも出来ないことがあるのか?」
「根回しは必要そうです」
「やけに慎重だな」
「そうしなくてはいけない理由がありますので」
薄暗い部屋の中で目の前の男は重心を変えて、肘をつく腕を変えた。こちらの様子を窺っているのだろう。
皇女の住んでいた家を探してはみたけれど、目的のものが見つからずに、ノクロス・パルマコスからその行方を聞いた。ただ、その場所が意外とまでは言わないが、易々と手に入る場所では無かった。
「時間とお金がかかるかもしれません」
「金はいくらかけてもいい」
「ありがとうございます」
「だが、時間はあまりかけるな」
「……承知しました」
「浮かない顔だな?」
「………代償が大きいものですので」
場所が場所なだけに、私のやろうとしている事がバレた時の二人の顔が容易に想像できてしまう。
事情を知ったとしても、許してくれるとは思えない。
……私は許されたいと思っているのだろうか。
これが、私の仕事だというのに。
「成功以外の報告は必要ないぞ」
「承知しております」
「大事な時に、絆されるなよ?」
「はっ」
「わかったのなら、もう下がれ」
礼をすると、薄暗い部屋から出る。
扉が閉まる音が聞こえると、油断からか口から重い息が漏れた。
これが重大な事なのはわかっている。
けれど、成功の代償として私が失うものは計り知れない。
それはキツキだろうか。それともヒカリだろうか。
いや、二人かもしれない。
ぐっと手に力を入れると、重い足を前に進める。
天井の高い回廊ではカツーン、カツーンと消えそうな頼りない足音が鳴り響いた。
<人物メモ>
【カロス/宰相代理/黒公爵(カロス・クシフォス)】
帝国の宰相補佐官。黒く長い髪に黒い衣装を纏った男性。ヒカリが好き。スライムに興味があるとキツキの故郷の村に一緒について来た。だけど、目的はそれだけではなさそうだ。
【キツキ】
ヒカリの双子の兄。リトス侯爵。訳ありで生まれた地であるナナクサ村に戻って来た。
【ヒカリ】
キツキの双子の妹。バシリッサ公爵。セウスと付き合うことになった。のだが?
【セウス】
ナナクサ村村長の息子。ヒカリと付き合うことになった。帝国では伝説のノクロス・パルマコスの唯一の弟子。
【ノクロスさん(ノクロス・パルマコス)】
元々は帝国の近衛騎士で剣の達人。カロスの指示で帝国に戻ることに。
【カルディナ伯爵(ハレス・カルディナ)】
キツキの砂漠の道へ多額の寄付をしていて、一緒にナナクサ村までノクロスを探しに来た。ノクロスの息子らしい。
【シキ(ラシェキス・へーリオス)】
カロスの再従兄弟にあたる。ヒカリをめぐる恋敵。近衛騎士試験の準備に入りかけている。
【ミネ】
キツキ達の従姉妹。器用者。
<更新メモ>
2022/11/17 加筆(主に修正)
2022/09/05 加筆