共同戦線2
今日の花月亭は大宴会場となった。
ノクロスさんが今日でお別れだからだ。
どの席も満席で、足りずに近所の人たちは家から机やら椅子やらを持ち込んでくる始末。冬にも拘らず、おかげで暖炉を付けなくても、人の熱気で屋内は十分に暖かい。村の結婚式以上の賑わいを見せていた。
「ノクロスさんのこれからを願って、乾杯!」
「乾杯っ!」
「かんぱーーいっ!」
村長の音頭を皮切りに威勢の良い声があちこちから上がる。
ノクロスさんはカルディナ伯爵と共に、先に集会席の村の代表者達の席に取られてしまった。
それでも我先にと、ノクロスさんに声をかけたい人達が集会席まで押し寄せてくると、ノクロスさんは「順に回りますから」と優しく諭し、それを聞いた村人達は仕方なしに自分達の席へと戻っていった。
五つしかない円卓席は我々帝国が二卓確保させてもらい、自警団は厨房近くの丸テーブルとカウンターを陣取っている。もちろん残りの席だけでは足りないから、自宅から運んできたテーブル席を並べながら、村の人達はすし詰め状態でそれぞれの場所で宴会を始めていた。
俺のテーブルにはお馴染みのエルディとフィオンとアデル、ヒカリ専属の近衛分隊長のハムイ、それとヒカリとセウスさんが座る。もう一卓は近衛達に交互に夕食と休憩を取らせるために使わせてもらっていた。
「キツキちゃん飲めるようになったのかい?」
お酒の入ったデカンタを持ったおじさん達が、ご機嫌な顔でやってきた。
飲めるけれど飲みたくはない。
だけど、やっぱり村のおじさん達が俺に酒を飲まそうと嬉しそうな顔で注いでくると、なかなか断れなかった。
「あー、おじさん達! キツキはお酒弱いから無理に飲ませないでくださいね!」
横からヒカリがプンプンした顔で口を出してくる。
「おお、そうかい。じゃあ、このぐらいにしておくか。キツキちゃんも明日はノクロスさんと一緒にオズワードさん達の国に戻ってしまうのかい?」
「はい、でも俺は時々こっちには顔を出しますから」
「そうか、それはよかった。腕っ節の強い人が村からいなくなるのは不安だからね。ヒカリちゃんはどうするんだい?」
「ヒカリはしばらく村にいますよ」
ヒカリの横にいたセウスさんは笑顔で答える。
「そうかい! ヒカリちゃんがいれば安心だ」
「えへへ、そうですか?」
「ああ、セウスが拗ねなくていい」
「ちょっと、タナトスさんどういう意味ですか?」
「あっははは。そのままだよ。本当良かった、ヒカリちゃんが帰って来てくれて」
おじさん達はごきげんな顔でセウスさんに話しかけている。帰って来た時とは全然違う表情と態度だ。
「ヒカリは村に残って大丈夫なのか? その、女の子達との……」
ヒカリは女の子達の嫉妬が嫌で帝国に行こうとしていたんだ。それなのに一人で村に残って大丈夫なのだろうか。かといって俺もまだ西地でやる事があるからずっとここにいるわけにはいかない。だからまたカロスにお願いするか、一緒に船で連れ帰りたかったんだが。
「大丈夫だよ、キツキ。僕が責任持つから」
そう言って横に座るセウスさんは余裕の表情をしている。相変わらずヒカリの手を離さずにずっと繋いでいる。急にそんなにラブラブになるものなのだろうかと俺はその一点をじっと見ていた。
「そうだ、キツキ。ヒカリを僕の家に泊めようかと思うんだ。許可をくれないか?」
整った笑顔でとんでもない事を言ってきたものだからブフッと口からお酒が飛ぶ。それは一泊とかじゃなくてヒカリがここにいる間ずっとって意味だよな?
展開が早すぎて、頭が追いつかない。
「いくらセウスさんでもダメですよ!」
「昨日はヒカリに僕を押し付けたくせに。それに……あれ?」
「?」
セウスさんは不思議そうな表情で俺を見る。
「もしかして、キツキは知らないのか?」
「何をですか?」
お互いに訝し気な顔を突き合わせていると、横からヒカリがセウスさんの袖を引っ張って首を横に振る。その様子を見てセウスさんは何か腑に落ちた顔をした。
「ああ、そうなのか。ならこの話は後でしようか」
俺に視線を移したセウスさんは笑顔を作った。
さっきから二人はべったりだ。
別にヒカリがセウスさんにしな垂れて寄りかかるわけじゃないけれど、ずっと手を繋いで離れようとしない。それが少しなんか妙な感じがする。セウスさんはわかるが、ヒカリがそこまでセウスさんの事が急に好きになるとは思えない。だけど、全然嫌そうな様子は見せない。
最初は脅されでもしたのかと心配だったけれど、それもなさそうなのだ。きちんとセウスさんの目を見て話をするし、セウスさんの言葉に時々頬を赤らめる。正直言ってその様子が普通の女の子らしくて可愛いのだ。
……やっぱりセウスさんに恋しちゃったとか?
急に?
いきなり?
でもヒカリの恋愛に関しては、シキさんの事で痛い目も見たので、これ以上はヒカリにあれこれと聞くことはしたくない。
本当、どうなっているんだろうかと悩んでいると、横から女の子に声をかけられる。
「あの、キツキ」
横を見ると見るとハナが立っていた。何かあったのだろうかと彼女の顔を覗き込むと、何だかもじもじと恥ずかしそうにしていて、いつものハナに見えない。セウスさんがいるからだろうか。
「その、ヒカリに謝りたくて……」
ハナは消えそうな声で俺に訴えかけてくる。
その言葉で謝罪の場を取り持って欲しいのかとピンときた。
「ヒカリ、あのな……」
「ああ、ハナ。何の用だい? 君はここに用なんてないだろう?」
辛辣な言葉に驚いて声の主を見ると、その主はセウスさんだった。セウスさんはハナからヒカリが見えないように体をテーブルに身を乗り出して、ヒカリを背中に隠している。
額に汗が流れる。
驚いた。
セウスさんが女の子に強い言い方をする事は今までなかった。
どちらかといえば、それは俺が今までやっていた役だ。ヒカリに嫉妬して文句を言ってきた女の子を、端から妹に近付けまいと排除してきた。
一体何があったのかと動揺をするが、それよりも横にいたハナの方がショックだろう。案の定、ハナの顔は青い。好きな人に近寄るなと言わんばかりの言葉を投げつけられたのだ。
「セウスさん! ハナ、一度俺の横に座りなよ」
セウスさんとは反対側の俺の横に座っていたエルディを退かして、ハナの手を引いて椅子に座らせる。セウスさんは俺がハナを庇ったのが気に入らないのか、じっとこちらを睨みつけていた。
どうしたんだよ、一体。
初めて見せるセウスさんの辛辣な態度に驚きつつも、なんとか取り持ちたくて、ハナを励ますように彼女の背中を撫でる。
「あ、あの。ヒカリに謝りたくて」
弱々しくも、ハナは声を振るい出す。
「ヒカリ、ハナと話をしてもらえないか?」
セウスさんは俺達の様子を見ると先程まで刺々しかった態度を弱める。
「キツキ、僕たちは少し外に行かないか?」
「え、外ですか?」
「ああ。二人で話をしようか」
セウスさんはヒカリの肩をぽんっと叩くと席を立ち上がった。
花月亭の夜の庭は、春を目の前にしても寒い。
ヒカリ達の事はエルディに任せ、護衛を二人だけ連れて彼らを中庭の扉の前に待機させると、俺とセウスさんは扉から少し離れた庭にあるテーブルに座った。
椅子が冷たくて体が勝手に震える。
「キツキは寒いのが苦手なのか。スライム革の外套をかけてるのに」
「ええ、寒い時はヒカリの出番なので。俺は出来れば冬眠していたいぐらいです」
セウスさんはプッと可笑しそうに吹き出す。
「くくっ、そうか。それは悪いことをしちゃったね」
ええ、それはもう。
それでもセウスさんが外に行こうと言ったのは、おそらくだけどハナにヒカリへの謝罪をさせるためで、自分がいたら邪魔だと察したんだろう。
可笑しそうに笑うセウスさんをじーっと見ていると、気が付いたのかごめんごめんと謝りながら俺に向き直った。
さっきまでの刺々しさはない。いつもどおりのセウスさんに戻っていた。
「さっきのヒカリを僕の家に泊めるって話だけど、冗談ではないんだ」
その言葉に息を呑む。
「あの、流石に結婚前ではその許可は出来ません。せめて婚約してからなら……」
「ねえ、キツキは何処にヒカリを泊めようとしていたの? 家はあんな状態だよ?」
「工房にお願いするつもりでした」
それを言うとセウスさんは「工房かぁ」と呟くように、少し上を向いて考えていたかと思えば、再び俺に向く。
「キツキはヒカリの状態を知らないみたいだね」
「状態、とは?」
「彼女、今普通に寝られないんでしょ? そっちの国でも一人で寝ていないって聞いたけど」
「は?」
それは知らない。
カロスに任せていたからヒカリの詳しい状況までは知らなかった。でも聞くたびにあまり良くない返事をしていた事を思い出す。
「今まで誰が添い寝していたかは僕は怖いから聞かないけど、一人で寝ると魔素が飛んでしまって周囲を燃やしてしまうらしいよ。だから、僕が一緒に添い寝をしようと思っているんだ。やり方は聞いた」
セウスさんの目は真剣だ。
「僕としては、どうしてヒカリがそんな状態になってしまっているのか聞きたいけどね。ヒカリはそうなった原因を詳しくは話してくれなかったよ。知ってるんでしょ、キツキ?」
セウスさんに睨まれて手をグッと握る。
俺達と一緒に行動していた時までは、ヒカリの睡眠に問題など無かった。むしろ一度寝たら朝まで熟睡していたはずだ。
だからそうなった理由は、どう考えてもあの事なのだろうとすぐにわかった。眉間にぐっと力が入る。
「……はい」
「教えてもらえない? 彼女にはこれ以上は無理に聞けなくてね」
俺もこれ以上はセウスさんの強い視線に耐えられずに目を瞑ると、今までの事とシキさんの婚約の話を条件を含めて彼に話した。
「………うーん。それが本当なら、ヒカリは少し勘違いしているかなぁ」
「はい、聞き入れてはもらえませんでした」
「まぁ、ショックを受けた時に冷静な言葉は届かないよ。必要があれば追々僕が彼女に話しておくよ」
「いいんですか?」
「だって公平じゃないだろ? 嘘をついて彼女を繋ぎ止めておく気は僕にはないよ」
その言葉に妙な違和感が浮かび上がったが、それでもセウスさんの言葉は嬉しかった。
「それにしてもシキさんは酷いね。思わせぶりな事をしておきながら、その仕打ちならヒカリだって心を病んじゃうよ」
「シキさんは俺にもヒカリにも、その件については一切何も伝えませんでした。おそらく、心配させないためかと」
「それで他の人の口から聞いちゃうとね。違う意味を持ってしまうから」
俺は何も言い返せない。
現にそれで他人から中途半端に聞いてしまって、酷く拗れてしまった。訂正するにも、俺の話を聞き入れる余裕なんかその時のヒカリにはなかった。
「じゃあ、試験の結果次第なんだね?」
「……はい」
「そう。これは少しヤキモキするね。どうなるだろうね。ああ、勿論シキさんが他の女性と結婚したら、僕は遠慮なくヒカリをお嫁に貰うよ?」
真剣な顔だったセウスさんは、嬉々とした顔になる。
……結婚したら?
さっきからセウスさんの言葉の端々に異和を感じた理由が、薄らと見えてきた。
「セウスさんは、ヒカリと結婚するつもりで付き合うんではないんですか?」
「……ああ、そのつもりだ。だけど、彼女の気持ちを無視する気は無いよ。彼女がシキさんを忘れるまで待つつもりだ」
そう言って優しい面持ちになる。
それがセウスさんの優しさなのかとも考えるけれど、今までのセウスさんとはどこか違う。恋敵を押し除けてでも、ヒカリとくっつこうとは考えていないのだろうか。今までのセウスさんだったらそうだったろうに。何だろうな、この引っかかる感じは。
「彼女を大事にするし、結婚までは手は出さないよ。だからヒカリとの同居を許してもらえないだろうか。頼む」
セウスさんは俺に頭を下げる。
時間をかけて考えたいけれど、俺は明日にはここを出なくてはいけない。
でも、魔素の暴走ともなれば、おばさん達にはどうにもできないし、工房に被害が出るかもしれない。
カロスも、ヒカリをしばらくここに置いておきたいと言っていた。
ならば、もうセウスさんにヒカリを任せるしか方法はないだろうか。
俺は眉間にぐぐっと力を入れながら考えるけれど、これ以上の良策はどう考えても今の俺には考えつかない。
「……わかりました。でも、手を繋いで寝るだけですよ? それ以上は絶対に駄目ですからね?」
「勿論だ。ヒカリから承諾のない事はしないって、彼女とも約束をしている」
「そうですか」
俺は顎に手を当ててしばらく考える。
一応、つけておいた方が良いだろうか。
「セウスさん、夜にヒカリの護衛をつけてもいいでしょうか?」
「え、それって僕を信じていないってこと?」
「……いえ、そういうわけでは」
そういうわけでもあるんだけどね。
「ヒカリはこちらの帝国側では重大な身分なんです。ヒカリに何かあれば、俺も帝国側に説明をしなくてはいけない。夜に何かあってはいけないので……」
「僕が夜に何かしそうってこと?」
「あ……ではなく、魔物などからの襲撃があってはいけないということです。今のヒカリに傷がつくことがあれば、一大事なんですよ」
「ふーん?」
嘘は言っていない。
本当に俺がカロスに殺られるし、専属の近衛達も処分されるだろう。
それでもセウスさんは目を細めて、信じていないような顔で俺を見る。俺の本心が透けてしまっていただろうか。
それにしても、護衛は相当嫌なようだ。
「護衛ねぇ。それなら家の外でもいい? 父もいるから、夜に他人を家に入れたくはないんだ」
「わかりました。外から部屋の近くを護衛するように伝えます」
「それならいいよ」
何かあれば部屋から炎が上がるだろうから、いないよりはいいだろう。
「僕は意外と、キツキには信用されていないんだな」
「……セウスさんも一応、男ですのでね?」
「はは、そう言われると厳しいな」
セウスさんは笑う。
「では、戻る前にまた俺と魔素を交換して下さい。今度は水魔素で」
「助かるよ、前の襲撃の時にキツキの氷魔素を全部使っちゃったから無くなっていたんだ」
「全部?」
「ああ、今度ヒカリが暴走したら、火魔素を消すためにキツキの水魔素を使わせてもらうよ」
セウスさんは右の手の平を俺に差し出す。
俺はその上に手を重ねた。
「氷魔素を何に使ったんですか?」
「キツキがスライムに巻き込まれた時にね、ヒカリが暴走してしまったんだよ。キツキの氷魔素のおかげでなんとか止められたけれど」
それは知らなかった。
俺の知らないところで、俺とヒカリはセウスさんにとても世話になっていたようだ。
「それはご迷惑をおかけしました」
「おかげで魔物は一掃されたから、悪いことだけじゃ無かったよ」
「そうですか」
交換が終わると、セウスさんは手首をクネクネと動かす。
「うん、バッチリだね。でももう少し入りそうなんだけどな」
「無理はいけません。それ以上俺は渡しませんからね」
「かったいなーキツキは。……コアを増やす方法って無いのかな?」
コアを増やす方法、ねぇ。
「無いわけじゃないんですが」
「あれ、あるの?」
「ただ、これも体に負担が出るかもしれませんから、やるとしてもちょっとだけですよ?」
セウスさんは興味深そうな表情で頷く。
「じゃ、手を出して下さい。具合悪くなったらすぐに止めるので言ってくださいね」
そう言って手のひらを差し出すと、セウスさんもその上に手を差し出してきた。
やったことはヒカリに一度だけ。セウスさん相手に無茶は出来ないだろう。魔素を操る時よりも集中するために、目を閉じて細く息を吐く。
手の平が段々と熱くなる。かと思ったらあっという間にその熱は手の平の先に吸い込まれていった。
「ぐっ!」
セウスさんが唸る。何かあっただろうか。
「セウスさん? 大丈夫ですか?」
立ち上がってセウスさんの肩に手を掛けようとすると、セウスさんは片手をひらひらと上げて大丈夫と合図をする。
「はあ。一瞬体が熱くなってちょっと驚いただけ。凄いね、これでコアが増えたの?」
「ええ、俺のコアを分けたんです」
「キツキの?」
セウスさんはコアを渡された手の平を眺めながら「へー」と感心したように呟く。
コアが増えたのだから、セウスさんは先程の水魔素の増加を強請ってくるだろう。俺は言われる前にセウスさんの手を取ると、彼に魔素を渡した。
セウスさんと花月亭の中に戻ると、俺達の顔は青くなった。
賑やかな雰囲気の店内とは相容れない空気が出来上がっている一角が。
そう、ヒカリとハナのいる席だ。
俺とセウスさんはその様子を見ると立ち止まる。扉の近くから動けない。そこには近付いてはいけない気がしたからだ。
無論、周囲も恐ろしくて近づく者達は誰一人としていなかった。彼女らのことを任せてきたエルディ達に、申し訳ない気がした。
二人は恐ろしくも、号泣しながら抱き合っているのだ。
「うわああ〜! ハナは悪くないもんーー! 謝るのは私のほうだよー!!」
「違うのヒカリ! 私がいけなかったの。だから謝らせて!!」
ハナの謝罪の場を作ったのだと思ったけれど、どちらかと言えばヒカリの方が押している。二人の目は赤く頬も赤い。髪はぐちゃぐちゃになりながらもお互いの体を離そうとはしない。
「……仲直り、したみたいですね」
「そうなのか、これ?」
セウスさんは俺以上に引いた様子で、二人の様子を遠くから眺める。
俺も近付きたくはなかったので、自分のいた席に戻ることはせずに、セウスさんと一緒に木工所のおじさん達の酒の席に混ぜてもらった。
<人物メモ>
【キツキ】
ヒカリの双子の兄。リトス侯爵。生まれた地であるナナクサ村に戻って来た。セウスと付き合うことになったヒカリを複雑な心境で見守っている。
【ヒカリ】
キツキの双子の妹。バシリッサ公爵。セウスと付き合うことになった。
【セウス】
ナナクサ村村長の息子。死人のようだったけれど、ヒカリと付き合うことになったからか、以前のような好青年に戻る。
【ハナ】
ナナクサ村の薬局の手伝いをしている笑う顔が可愛い女の子。キツキの想い人だった。意外とヒカリに似た鈍い性質を持っている。