帰郷3
花月亭の中はゆったりとした時間が流れる。
大貴族院での宣言から全てが慌ただしくて息つく暇さえなく、今もその最中のはずなのに、嘘のように心を落ち着かせていた。
やっぱり故郷はいい。
エルサさんの作ってくれた暖かいスープを口に運びながらそう考える。
外は次第に薄暗くなってきた。
俺の近衛達が夕方まで村周辺の見回りをしてくれていたから、自警団の仕事を少しは軽減できただろうか。セウスさんのあの様子では、彼らも長い間、気を張って過ごしていたに違いない。俺達がいなくなった間に、村はだいぶギスギスしていたようで、久しぶりに会った村の人達の顔色は、皆とにかく悪かった。
それを見ると、目的は違えど、急いで戻ってきて良かったとさえ思う。
「ただ、肝心のセウスさんがな………」
花月亭の窓から見えるセウスさん宅には、一階の一部屋だけ明かりがついていた。村長は花月亭にいるので、あの明かりは二人が使っている部屋で間違いはないだろう。
二人は今何を話しているだろうか。
ヒカリが上手く対応してくれれば良いが、万が一セウスさんが強引にヒカリをと、心配になるような事も考えるが、まあ、そうなったら部屋から炎が上がるだろうな。
強引に、か。
視線が上を向く。
………もし。
もし仮にだけど、今回の話し合いで、あの二人がやり直すなんてことはあるのだろうか。
セウスさんは未だにヒカリが好きだし、ヒカリもシキさんのことで傷心中だ。
低い可能性だろうけれど、なったとしても、おじいさまと違って俺はセウスさんでも良いと思っていたから、間に入って止める気は今は無い。むしろ、シキさんの事で俺はヒカリを傷つけてしまったから、俺はヒカリの相手についてどうのこうのと口出しするのは極力控えたいし、ヒカリを大事にしてくれる人ならばこの際、大手を振ってヒカリを渡しても良いとさえ思っている。
はぁ、と心許ないため息が口から漏れる。
随分、弱気になったものだな………。
シキさんを信じていないわけではない。
だけどヒカリがシキさんと結ばれる確約もないのに、俺がシキさんを気に入っているからといって、俺がそれ以外の男性を排除するのも変な話だなと、あの城を焼くほどの大喧嘩の後から思うようになっていた。
あれだけシキさんに拘っていたのに、いつの間にか一択でなくても良いんじゃないかと、目の前のスープのように気持ちが少しずつ冷め始めていた。
妹を大事にしてくれるのなら、カロスでも、セウスさんでも………。
スープを飲み終えると俺はスプーンを置いた。
隣の席は大層賑やかだ。
帝国では聞くことなんて絶対に出来ないであろうカロスの甘言に、気をよくしているコエダおばさんとミネ、それにどこからともなく集まってきた村のおばさん達で盛り上がっている。さすがは帝国の宰相補佐官であるカロスは、地位も権力も関係のないこの村でも、彼の実力を大いに発揮していた。
いつの間にか先の劣勢を逆転させていたのだ。
さすがだ。俺には真似できん。
コエダおばさんもミネも満更ではない顔でカロスに丸めこまれている様子を、呆れて口が塞がらない俺は、頬杖をつきながら眺めていた。
村のおばさん達を丸め込むことが出来るのなら、黒公爵の名は伊達では無さそうだと、ここでも奴の力を再認識した。
「ねえ、シキさんは?」
昼食とも夕食とも言える食事を終えた俺の横に来たアカネさんは、顔を覗き込んでくる。
「ヒカリがいるなら、シキさんにも会えたんでしょ?」
「ええ、ご心配をおかけしました。会えましたけど、シキさんは今は忙しくてこっちに来れなかったんですよ」
「まあ、そうなの? お姿を拝見出来ないなんてざーんねーん」
そう言いながらも、アカネさんの視線はすでに違う方向へと向いている。
「で、今はあの人がヒカリの恋人なの?」
アカネさんはカロスをチラッと見る。
「やめてください。纏わり付いているだけですよ」
今はってどういう意味だよ。
カロスを見ていたアカネさんは、俺の返事にふーんと答える。
「それにしてもいい男ね。シキさんと良い勝負」
「外見はね」
「内面は違うの?」
アカネさんにそう聞かれると、俺の頭の中にはカロスに出会ってからの数ヶ月間の、ありとあらゆるカロスとの記憶が蘇る。
お互いほとんど破壊行為しかしていない碌な記憶が無いなと思いながらも、リトス邸に無償で人を貸してくれたり、成功するかどうかわからないような砂漠の道に、自分の体裁関係なしに手助けしてくれていた事を思い出すと、一言で「嫌な奴」で片付けることは出来なかった。かといって「良い奴」でもない。
「ひねくれた奴ですよ」
「じゃあキツキと一緒ね」
はぁ? という顔を返すとアカネさんはクスクスと笑う。
「冗談よ。それにしても本当だったのね」
「何がですか?」
「キツキが王子様だって話。ミネが小さい頃から良く言っていたけど、本当だったなんてね。さっきからキツキの指示ひとつで新顔さん達が動いているし、その着ている服だって、ねぇ?」
アカネさんは俺を頭の上から爪先までジロジロと見ると「ほうほう」と納得したような声を出す。
「そっか、王子様かぁ」
「おばあさまがそうだったんですよ。俺はただの孫ってだけです」
「ライラさんね。確かにお姫様って感じで、いくつになっても綺麗だったものね。だから帰ってきたヒカリにもイケメンがはびこっていたのね」
アカネさんは数え切れないぐらいイケメンがいるわと、帝国から連れて来られた近衛騎士を嬉々とした顔でひーふーと数え始める。
そういえば、ヒカリと近衛達はどうやって来たのだろうかと考えるけれど、カロスが傍に居たのだから、大体の超常現象の根源は奴なんだろうと納得をした。
「イケメンじゃなくて、護衛ですよ」
「イケメンの護衛なんだ。いいわね。みんな強いの?」
「全員シキさんレベルです」
「あら、イケメンの上に強いだなんて最高ね。ずっと村にいてくれるの?」
「ずっとはいられません。用事が済んだら、俺達は帰らなくてはいけないので」
「帰るって、ここがキツキとヒカリの帰る場所でしょ?」
アカネさんの当然といわんばかりの言葉に、思わず息を呑んだ。
「……いいえ、俺は違う場所が家になりました」
「え? そうなの?」
おじいさまの実家を継いだのは俺の意思だったけれど、ナナクサ村の人にそう聞かれると少し気が引けた。俺の重い表情を見たアカネさんは顎に手を当てて、俺の顔をじーっと見ると、「うん!」と明るい声を出す。
「キツキがどう思ったって、ここがキツキの故郷だし、みんないつでも歓迎するから嫌になったら安心して帰ってきなさいね」
アカネさんは笑顔で胸をポンッと叩くと、可愛い看板娘もいるからねと屈託のない笑顔を見せた。
詳しい話はしなかったけれど、それでもそのまま受け入れてくれたアカネさんに俺の心は軽くなる。彼女に慰められる日が来るとは思わなかったな。
「はは。では、遠慮なく帰って来ますよ」
「あ、帰ってくる時にはイケメンを連れてこないと村に入れないからね?」
「……アカネさんは余計な事を言わなければ良い女なんですけどね」
「私はいつでも良い女でしょっ?!」
「はいはい」
ムキーッと怒るアカネさんの主張を流していると、夕食の時間になり始めたのか、花月亭の扉はさっきから頻繁に開く。そのまま席に座る人もいれば、まだ顔を合わせていなかった人はわざわざ俺の席まで来て軽く挨拶をすると、空いてる席に座って今日のメニューを眺める。
花月亭の中は、日常の姿を見せ始めていた。
「アカネさん、そろそろお仕事ですよ?」
「そうね、今日ほど仕事があるのが残念だと思った日はないわね。キツキはまた明日の朝もイケメン達を連れて来るでしょ? 朝から花月亭を開けておくから」
またねとアカネさんは俺に手を振ると、お客さんの注文を取りに向かった。
そういやあの人、ダーリンがいるって言ってたけど、あんなに浮かれてそのダーリンに怒られないのかな? そもそも誰がアカネさんのダーリンか俺は知らないし、誰も知らないんじゃないかとさえ思う。
気配を消していた、同じテーブルに座っていたエルディとフィオンとアデルの三人は、アカネさんの後ろ姿を見送ると、ようやく存在を現した。
「キツキ様は人気者ですね」
「お前達、なぜ気配を消した」
「再会のお邪魔かと思いましたので」
「そんな気は使わなくていい」
チリン、チリン、とまばらに鳴っていた花月亭の扉のベルが短い間隔で鳴り始める。時間的に倉庫番のお兄さん達が上がったのかと思って扉を見るが、そこにいた人物に目が止まる。彼女は誰かを探しているようだったが、俺の顔を見ると笑って俺達の席に向かってきた。
「キツキ、ありがとう! セウスを見つけて来てくれたって、さっきジェノに聞いたの」
「あ、ああ」
ハナは俺の手を取ると嬉しそうに笑うが、俺はその顔を直視できずに目が泳ぎだす。
隣にいたエルディは笑顔でハナに話し掛ける。
「こちらの席をどうぞ。私達はあちらで食べてきますので」
気を使うなと言ったばかりなのに、エルディとフィオンとアデルの三人は、各々のプレート皿とコップをスッと持ち上げると、すぐ後ろの集会席で食事をしている近衛達の席に逃げ込んで行く。
ちょっと待てと止めるが、聞こえないのか、聞こえないフリなのか、逃げ足を止めない。
エルディとフィオンならまだわかるが、近衛分隊長のアデルまでもがそばを離れていく姿を見ながら、お前もかとアカネさんの時とは全く違う対応をする三人の後ろ姿を睨む。
三人とも集会席に姿を消したかと思えば、エルディが集会席との境にある腰壁の横から顔を覗かして、拳を軽く上に振りながら「頑張ってください」と口をパクパクさせると、どこか楽しそうな顔を引っ込めた。
後でおぼえていろよ、エルディ。
がらんとした丸テーブルの席に、ハナは折角だからとエルディの座っていた隣の席に腰を降ろす。いつもは花月亭で食事をしないハナが、軽食を注文する姿を見て、ハナはどうやら何か話があって席に座ったのだろうかと、食事はもう済ませてしまったけど、立ちあがって逃げる訳にはいかなくなり、ハナの注文と一緒に俺もお酒の注文を入れる。
「あら、こっちも珍しい」
アカネさんは初めてお酒の注文を入れる俺を、もの珍しそうに言う。飲みたかったわけではないけれど、お腹はもう膨れているし、かと言って水だけではハナとの至近距離に耐えられるかわからなかった。
「……何かあった?」
「何って?」
「いや、ハナが花月亭で食事するのは珍しいから」
「あ、うん、そうだね。久しぶりにキツキが戻ってきて村の人の明るい顔を見たら、少しここにいたくなっただけ。それに安心するじゃない? キツキが傍にいると」
怖いもの無しだよねと、ハナは無邪気に笑う。その顔がとても可愛くて、俺は早く酒が来ないかと厨房を何度も見る。
やばいな。顔に出てしまいそうだ。
油断していると口元が緩んでしまいそうで、平常心の時の顔ってどんな顔だったかなと、悩みながら顔のあちこちに力を入れるが、もはやただの百面相だ。これは完全にダメだなと自分でもわかり、頬杖をつきながら口を手で覆って隠す。緩んだ顔を隠せているだろうかと不安で、眉間にも力が入る。
「……あ、そうか。キツキは怒ってる……よね?」
俺の横顔を見ていたハナが急に困ったような顔になる。何の話だと驚いてハナを見ると、ハナは目を伏せた。
「ごめんね、私がここに座るなんて図々しかったね」
そう言ってハナは立ち上がろうとするけれど、一体何が起こったのか分からずに席を立とうとするハナの手を思わず掴んだ。
「いや、別にここに座っていても構わない。それに何も怒っていないけど?」
俺、怒っていたか?
あまりの緊張に、顔が強張ってしまっていたのだろうか。俺の顔を見たハナが本当に? と心配そうな顔で見てきた。
「だって、私ヒカリに………」
その言葉ではっと思い出す。
ハナが言いたいのは、スライム合体の時の話の事だろう。確かにヒカリのあの姿を見た時には無茶苦茶腹が立った。ハナだけはそういう事をしないって思っていたから尚更で、一人で裏切られたような気分になっていたのを思い出した。
けれど帝国に行ってからは、ヒカリの奪還や爵位の継承、それにシキさんの婚約話の衝撃で、村を出発する前にあったその出来事を忘れかけていた。かといってその事実が無くなった訳でもない。
俺はため息をつく。
「……とにかく座って、ハナ。悪目立ちしてる」
周囲はハナとハナの腕を掴む俺に注目をしていた。ハナもそれに気が付いたのか、言われた通りにおずおずと元の席に座り直してくれた。二人で沈黙するも、その後すぐに、アカネさんが持って来てくれた甘苦いお酒に逃げるかのように口をつける。
俺の無言にいたたまれないのか、ハナの視線は下を向いていた。
俺だって好きで無言というわけではない。
あの時の事かと思い出しながら、少しの間だけでも考えを整理したかった。
何があったのかシキさんから簡単に説明はされていた。ヒカリにセウスさんに近づくなと怒鳴っていたと。コップの半分もいかない辺りまでお酒を飲んだ俺は微妙に意気込むと、テーブルに片肘をついてハナを睨む。
「ああ、そうだね。確かにあの時は怒ったよ」
「……だよね」
「ハナはそんな事はしないって思っていたからね」
「ごめんなさい」
ハナは下を向いたまま、小さくなって項垂れる。
その姿を見ると、あの時のような腹立たしい気持ちとは違い、小さな子供を目の前にしたような、まあ仕方ないなという甘い感情が浮かび上がって来た。
ハナに対しては、今までの女の子に対してのような厳しい考えまでには、どうしても辿り着かなかった。
「うん。そういったことは相手のセウスさんに言ってくれ。ヒカリの鈍感なところもいけないんだろうけど」
「うん………あ、相手がセウスって、……バレてるの?」
「いや、その状況ならそれしかないよね?」
「そうだよね、自分で大声で言ったもんね。恥ずかしい」
ハナは赤い顔を両手で隠す。
俺も釣られて一緒に顔が赤くなる。
だめだ、可愛い。
もう怒るどころではなくなっていた。
そもそも俺がハナを叱るだなんて土台無理な話だったんだろう。あの時のすぐ直後なら、怒りの感情は薄れていなかったのだろうけど、さっきから叱るどころか、ハナの一喜一憂を見る度に顔が緩んでいく。これはもう駄目だと早くも諦め始める。
「気にしているなら、ヒカリも村に来ているから後で謝っておきなよ。あいつの事だから根には持たないだろうから」
「うん、ありがとう。キツキ」
俺の言葉に素直に受け入れ、ハナは眉を下げてほっとした顔をする。
その姿に俺もほっとする。
そもそもハナは素直な性格だと思っていた。でもあの時ハナの行動を知った俺は、俺の思っていたハナと現実のハナがとても遠いものだったのではないのかとショックを受けたんだ。
一人で勝手にハナの人格を空想で膨らませていたのかと凹んだけれど、良かった。俺の思っていたハナだったと一安心した。
かと言って、昔のようにただひたすらに彼女を好きだとは言えない。
もちろんショックもあったけれど、あの後色々あって、俺の立場も状況も変わってしまった。今まで通りなんていかないことは自分がよくわかっている。
俺は頬杖をついたまま、軽く溜め息をついた。
「私ね、ヒカリがいっつも羨ましかった。何もしていないのにいつもセウスに見てもらえて。ヒカリは私でも可愛いと思うし、目を引くし、良い子だし。本当、ただの嫉妬だったよね」
ハナは苦笑いする。
「いや、あいつは別に可愛くはないし、ただの阿呆だ」
「ええ、そんなことは無いでしょ? ヒカリが可愛くなかったらキツキはどんな子が可愛いって思うのよ?」
俺を見ながらハナが笑う。いつも通りの無防備で忖度のない笑顔だった。
「俺はハナが可愛いと思っているよ」
ハナは驚いた顔で笑いを止めると、何か言いたげだったけれど、どもってしまい言葉にならない。恥ずかしいのか混乱しているのか、横髪を掴んで顔を隠そうとさえしている。
「……それにその前から知っていたしね」
「え?」
「ハナの好きな相手」
「あ、やだ私、そんなに顔に出てた?」
「………ああ、全然違っていたよ」
いつも悔しかった。
セウスさんに見せる頬を赤めた笑顔も、緊張で髪を指に絡めてしまう癖も愛おしかった。自分に向けられたくてセウスさんを超えたくて、常にセウスさんと一人で張り合っていたんだ。
超えたくても超えられない人。
俺は魔素に生まれつき恵まれていて、それだけで優越感に浸っていた時期もあったけれど、あの人は剣の腕も村からの信頼も、自分の力で作り上げて手に入れていったんだ。
いつも勝てない、俺の前を歩く人。そんな人が恋敵だった。
でも、それで良かったと今は思っている。
上には上がいるって、あの人が教えてくれていた。
常に自分の目標で戒めだったから、奢ることもサボる事もしなかった。
だから、セウスさんにはあのままでいて欲しくはない。
洞窟で見たセウスさんの姿を思い出すと、その姿を消すかのように固く目を瞑った。
「……キツキ?」
ハナに呼ばれ目を開ける。
「ああ、ごめん。考え事をしていたんだ」
「どんな?」
「うーん、反省と少し甘酸っぱい記憶?」
「何それ」
ハナは可笑しそうにコロコロと笑う。
その笑顔を見ながら、頬杖をついた顔を傾けると真正面にいるハナの顔が少し斜めに目に映る。
「俺、ハナの事が好きだったよ」
笑っていた栗色の大きな目が、更に大きく開いて俺を見る。
ずっと映して欲しかった瞳には、俺の姿だけが見える。
半開きになった唇は吃るというよりも、もはや停止し、あれだけ見たかったハナの紅潮した顔を正面から見ることが出来た。
その様子がとても愛おしい。
これで最初で最後になるかもしれない。
それでも、もっと早く言っていれば良かったと思う。
切望さえしていたこの時間に、ずっと浸っていたい。
俺は止まったままのハナの顔を見つめていた。
「え…っと……」
ハナは視線を斜め下に向けるとあわあわと次の言葉を探す。
「好き、だった……あ、過去形?」
「そう」
「あはははは。なんだぁ、焦っちゃった」
「もう少しだけハナの焦っている姿を見ていたかったけど、ヒカリみたいには鈍くはなかったか」
もう、やめてよとハナは軽く俺の腕を叩く。
「あ、えっと。返事って言った方がいい?」
「いや、いい。もう終わってるから」
既に過去の話だと自分に言い聞かせる。
ハナはそうだよねと笑う。そのあっけらかんとした様子を見ただけでも、大方の答えなんて分かったようなものだろう。
「ごめんね、やっぱりセウスが好きなんだ」
「……ハナ、答えはいらないって言ったの聞いてた?」
ハナははっとして慌てて手で口を隠してごめんと謝るけれど、時すでに遅し。俺はえぐられた胸に手を当て、額を手で抑える。
過去形になったはずの恋の返答に、心臓が死にそうだ。顔色はきっと青いのだろう、顔が熱を失っていくのがわかる。
俺のその姿に、最初は戸惑っていたハナは、いつの間にか笑っていた。
何でだよとムッとした顔をハナに向ける。
「ハナ、酷いよ」
「ごめんね、なんでも器用にこなしていたキツキの珍しい姿を見ちゃったから、ちょっとおかしくて」
ハナはくすくすと笑う。
「なんだそっか。………私も誰かに大事に想われていたんだね。いつもヒカリだけが見られてるって思っていた」
「とても大事に想っていたよ。でも俺、ヒカリを悪く言う奴は嫌いなんだ。あれでも大事な妹でね。……あの時以来、一気に気持ちが覚めてしまったんだ」
笑っていたハナは今度は頬を赤くすると、少し間を置いてそうだねと答えた。
「当然だよ。私が悪かったもん。それにキツキがヒカリを大事にしてるなんて、私もよく知ってるよ。ヒカリに何かある度に薬局に薬を取りに来てたから、仲がいいなって羨ましかった。私一人っ子だし」
それはヒカリが大事というよりも、ヒカリを理由に薬局に行く用事を作っていたからだ。だけどそんな本音は恥ずかしくて口には出せなかった。
「きっと俺以外にも、ハナを大事に想ってくれる男が現れるよ」
「だといいけど」
ハナは冗談だと思ったのか、砕けた表情で俺の話を聞く。
「ありがとうキツキ。少し自信がついた」
「少しじゃなくて沢山つけてくれ。俺が好きになったんだぞ」
「ふふふっ」
自分で言って自分のセリフは恥ずかしいが、ハナには卑屈にはなって欲しくはなかった。嫉妬で暴言を吐くような女性になって欲しくはないし、ハナのそんな姿を二度と見聞きしたくない。
どんなことでも些細な事で良いから、自分を認めて欲しいし、そのままで十分魅力的だと知って欲しかった。
お邪魔だったかしら〜、とハナの注文した軽食を持ってきたアカネさんはニヤニヤした顔でプレート皿を置くと、俺に睨まれながらさっさと退散していく。ハナがアカネさんが置いていった料理を目の前に食べ始めるのを、俺はお酒の続きを飲みながら彼女の横顔を覗き見る。
「キツキ、お酒だけ飲むと具合悪くならない?」
「大丈夫だよ。さっき食べた」
「でももう少し食べ物もお腹に入れた方が良くない? 食べてから時間経ってるし、それに前は二日酔いしたんでしょう? お酒に弱い体質かもしれないから、少しでもいいから食べて?」
ハナは軽食プレートにあった、付け合わせの肉団子をピックで刺すと、俺の目の前にずいっと突き出す。
その顔はどう見ても、食べなさいと言っている。
まじかよ。
目の前には一口サイズより少し大きい肉団子。それとハナの手。ハナはじーっと俺を見る。
横目でそれを見ると、意を決してハナの手を軽く掴んで肉にかぶりつく。
美味い。色んな意味で。
「うん、食べた方がいいよ」
恥ずかして目を合わせられずに口も手で隠すけれど、ハナは満足気だ。ヒカリ並みの鈍さを意外とハナも持っていた。
「ハナ、他の男にこんな事はするなよ」
赤い顔を隠しながら、彼氏でもないのに注意する。
別に独占欲で言った訳ではない。
ただこんなことしたら変に気をもたせてしまうだろうから厄介な事になる前にハナに警告したつもりだ。ヒカリもそういうところがあるけど、この村で育つと、そんなことは考えなくなるのかもしれない。
ただ、今は俺がナナクサ村までの道を作ってしまったから、今後帝国や他の国から変な奴が来ないとは限らない。
ハナに遊びで手を出そうとするものなら、俺がその前に潰すけどな。
「何言ってるの。こんなこと友達にしかやらないし、言わないよ?」
ハナは俺の言っている意味がわかっているのかいないのか、大丈夫よと胸を張りながら答える。その姿が微妙にヒカリと重なる。
そうだな、俺たちは『友達』だ。
ああ、わかっている。知っている。問題はない。
以外な方向からもう一度、俺の胸はえぐられたのだ。
「気持ちが冷めたなんて嘘ばっーかり」
ハナが去った後、エルディとフィオンは俺のいるテーブルに戻って来た。
「お前達、聞いてたな?」
ギロッと睨んだけれど、二人はそのぐらいで動揺なんてしない。
「お前らのせいで大変だったんだぞ」
「私の目には楽しそうに青春を謳歌しているキツキ様しか映りませんでしたが?」
横にいるフィオンも首肯する。
どこをどう見たらそう見えたのだろうか。必死だった俺が楽しんでいたように見えるだなんて、何ておかしな奴らだ。
でも、ここにはあまり帰ってこれなくなるから、ハナとのことに決着をつけられたのは良かった。胸につっかえていた気持ちが無くなっていく。
ハナを失ったわけではない。
友人としてまた新しい関係を築いていける、そう思うとフラれたはずなのに、ほっこりとした気持ちが心の中に残った。
「あれがキツキの好みですか」
隣の席でおばさん達を侍らせていたカロスが近づいてくる。なんでお前まで見てるんだよと睨みつけるが、こっちも俺の睨みなんか効かない。
「帝国の女性に全く興味を示さないので心配していましたが、これで安心しましたよ」
「何だそれ」
「あなたの場合は後継の問題が出て来ますからね。あなたが女性に興味を示すのは重要な事なのですよ」
ブッと酒を吐く。
「……そういうのをここで言うのはやめてくれ」
「その心配も私の仕事の内なのです」
カロスも面倒くさそうな顔で俺を見下ろす。
「何だ、俺が女の子を好きで安心したのかよ」
「当然です。これでヒカリの事以外は安心して今日は帝都に戻れますよ」
「……ヒカリを置いていくのか?」
「そもそも、手出しさせてくれなかったではないですか。それにヒカリは村に帰りたいようでしたので、気持ちが落ち着くまで、しばらくはここで過ごさせようと思っています」
「その後は?」
「わかりません」
カロスは視線を下げた。
シキさんの事で帝国では辛い思いをさせてしまったから、ここに帰りたいと言っていたとしても仕方のないことだろう。ヒカリが戻りたくないと言えば、俺だって無理に帝国に戻れなんて言う気はない。
ヒカリの好きなようにさせたい。
「ヒカリの近衛は置いて行きます。何かあれば、あなたに彼らの指揮を任せますよ」
「わかった」
「では、今日はこれで」
そう言うと、カロスはいつもの魔法陣を出すと目の前で消えていった。
それを見ていた花月亭の村人達は、消えたカロスに驚いて悲鳴を上げ周辺は騒然となる。まあ、気持ちはわかる。
「お化けじゃないから大丈夫ですよ。そういう移動魔法を使う奴なんで」
いや、やっぱり色んな意味で化けものかもしれない。
隣の席にいたおばさん達は、青ざめた顔をしながらも俺の説明に納得したのか、そうか魔法なのかと、よく理解していないようだったけれど安心していた。カロスがいなくなった隣の席では、おばさん達が散り散りに帰り始める。
私達も帰ろうかねと、立ち上がった女性二人を見て声をかけた。
「あ、ねえ。コエダおばさん。しばらく工房にヒカリを泊めてもらってもいい?」
「ああ、もちろんさね。こんな寒い冬にあんな穴の空いた家には泊められないよ」
「ありがとう。俺は彼らと宿泊所に泊まるから」
「そうかい。宿泊所のベッドカバーと寝巻きはそれぞれの部屋に置いといたからあとは自分達でやるように伝えておくれ。流石に二十個のベッドは辛いからね」
「十分だよ、ありがとう」
俺とヒカリの近衛が合わせて二十一人で、内四人を船に置いてきた。それと俺とエルディとフィオンで丁度二十人ギリギリだな。カルディナ伯爵はおそらくノクロスさんの家に泊まるだろう。あれから二人を外で見かけていない。
宿泊所は一部屋にベッドが二つあって、そう大きくはないが十部屋ある。それに共同だがトイレと大きめの風呂もある。場所も花月亭の道向かいにあるから食事にも困らない。
その昔、頻繁に現れる漂流者を泊める場所が足りなくて、おじいさま達が一念発起して作った宿泊所がこんな形で役に立つとは思わなかったな。
「で、ヒカリは今日はどうするんだい?」
俺はチラリとセウスさん宅の明かりのついた窓を見る。
何か変わった気配はない。
「今日は夜通し話をするかもね。出て来たら工房に行くように伝えるよ」
「まあ、セウスのことだから変なことはしないでしょう。じゃあ、夜中になっても良いから、来るように伝えてちょうだい」
「わかった」
おばちゃん達も花月亭を出ていく。
みんなが去っていくのを見ると、ようやく気が緩んできた。
「はあ。それにしても、お酒のおかげでなんとかハナと冷静に話が出来て良かったよ」
「冷静になろうとしているのに、お酒を選ばれている時点で、もう冷静ではありませんね」
「ぐっ……そうだな」
俺はガクンと項垂れる。
エルディに言われて、この時に最初から我を失っていた事を知った。
<人物メモ>
【キツキ】
ヒカリの双子の兄。リトス侯爵。生まれた地であるナナクサ村に戻って来た。
【ヒカリ】
キツキの双子の妹。バシリッサ公爵。
ナナクサ村に姿を現したけれど、あっという間にキツキに閉じ込められた。
【セウス】
ナナクサ村村長の息子。満身創痍の状態でキツキに発見される。師匠であるノクロスと仲違いしている。
【カロス/黒公爵(カロス・クシフォス)】
帝国の宰相補佐。黒く長い髪の男性。魔力が異次元すぎて一部から敬遠される。ヒカリに好意を寄せる。
【エルディ(エルディ・ダウタ)】
キツキの側近。辺境伯であるダウタ伯爵の次男。何事も器用にこなす働き者。
【フィオン(フィオン・サラウェス)】
ダウタの元兵士。キツキからの依頼でエルディに呼ばれ、ヒカリの護衛役となる。
【ハナ】
ナナクサ村の薬局の手伝いをしている笑う顔が可愛い女の子。キツキの想い人だった。意外とヒカリに似た鈍い性質を持っている。
【コエダおばさん】
キツキとヒカリの母親の姉。伯母。小さい頃から母親のように面倒を見てくれている。
【ミネ】
コエダおばさんの娘で、キツキ達の従姉妹。