帰郷2
飲み込まれそうな真っ暗闇の大きな穴を覗き込む。
俺とエルディとフィオン、それに近衛の二人は、案内された穴の端でその奥を見つめるが、ただただ薄暗く、どこまで続いているのかわからない奈落が見えるだけだった。
崩落したような足場や崖が所々見えるぐらいだ。
「で、セウスさんが一昨日の夜からここに入ったきり、戻ってこないと」
案内役としてついてきた自警団のジェノさんに状況を確認をする。
半狂乱のハナを宥めて、セウスさんが一昨日から村に戻って来ていないことを聞き出した。自警団が昨日から探しに入ったけれど、穴が深く、危険すぎて奥まで捜索にいけないのだという。
「ああ。いつもなら朝までには戻ってくるんだが、その日だけは戻ってこなかったんだ」
「そうですか」
手を広げてセウスさんの魔素をとり出すと、確かに魔素は穴の中に落ちていく。それもずっと奥にだ。
落下してしまっていないか心配だ。
「それにしても何で一人でこんな穴の中に?」
「お前を飲み込んだスライムがいた穴だと考えている。それで、残っている魔物退治にセウスは出掛けていたんだ」
「一人で?」
そう聞くとジェノさんは口を閉ざした。
村に帰ってきてからセウスさんの事を聞くたびに、村人みんなの顔が暗くなる。俺が留守にしている間に、どうやら村の中で何かあったようだ。これ以上は本人に聞いた方が良さそうだと、セウスさんに関する質問は止めた。
「わかりました。様子を見てきます。エルディはジェノさんと一緒に村に戻っていてくれ。カロスが俺の家に入ろうとしたら体を張って止めておけ」
「え、それは私めに死ねと?」
「死ぬ気で止めるんだ」
エルディは顔を真っ青にする。
「冗談だ。カロスは放っておいていい。花月亭で近衛達に昼食を取らせたら、村の周囲の魔物の討伐や村の手伝いをさせておいてくれ。もし夜までに帰らなかったら、村長に頼んで宿泊所を開けてもらって全員そこで待機。明日の朝までに戻らなければ、アデルに四人組の捜索隊を出してもらってくれ」
「明日の朝ですか……」
「何があるかわからんから、一応指示だけ出しておく。頼んだぞ」
「承知しました」
エルディは神妙な顔で頷いた。
「あ、ジェノさん。村長に宿泊所を使いたいと伝言を頼めますか?
「わかった。宿泊所の事は村長に伝えておくよ」
「ありがとうございます。では行ってきます」
ジェノさんに目配せすると、俺は魔法陣で螺旋階段状の足場を作り、フィオンと護衛の二人を連れ立って暗闇の中に下りていった。
「よっと」
地面から少し離れていた最後の魔法陣の足場から軽く飛び降りる。
そこから大きな空間を見渡した。
どこかで見た雰囲気だと思ったら、ヒカリとセウスさんが魔物達に追われていた場所に似ている。似ているというよりもここがその場所なのかもしれない。
足をついている場所は平坦で綺麗な円状になっている。この形からして、ヒカリが言っていた巨大スライムが鎮座していた場所だろう。ここから跳ね上がってスライムが外に出たのかと顔を上にあげて考えた。
見上げると、さっき入ってきた入り口が、少し遠くに見える。
それにしても村の近くに大きな穴が空いてしまったものだ。
あそこから落ちたら大怪我では済まないから、戻ったら出入り口だけを残して魔素で塞ぐか。
首を元に戻して周囲を見回すと、四方八方の壁に洞穴があり、その先も深い道が続いているようだ。
ジェノさんの話では、この辺りまでは自警団が調べに来たようだが、この先が暗い上に複雑な構造になっていて、セウスさんを見つけることが出来なかったと言っていた。
先程から気になっていたのだが、セウスさんがいつもは残す目印の明かりがどこにも見当たらない。印もないままに、この広さの上に細かい洞穴を闇雲に探すのは、確かに警備外の自警団の人員だけでは探し切れなかっただろう。
俺はもう一度セウスさんの魔素を取り出すと、こっちかと西側の空洞に向かって歩き出した。
空洞に入った早々、前方から魔物が出てくるが、俺が手を出す間もなく、魔物は魔法円から飛び出てくる炎に焼かれていく。後ろからついてくる近衛の二人が、先程から近付いてくる魔物を潰していっているのだ。
俺の後ろにいるフィオンはつまらなさそうな顔をしている。
足元にマーキング用の氷魔素を落としながら進むけれど、本当に明かりが全くない。松明の燃えた跡も見えないのだ。セウスさんは帰り道の印も付けずに、奥に入っていったということだろうか。
慎重なセウスさんの事だから、何の準備も無しに魔物の巣に入ったとは思えないけれど、真っ暗な暗闇の中をセウスさんの魔素は飛んでいく。
魔物狩りに行っているはずなのに、いくらなんでもおかしい。
明かりもマークもつけずに、こんな入り組んだ洞穴の中からどうやって帰ってくるつもりだったのか。
そう考えると、自分の頭の中には信じたくもない嫌な答えがはじき出された。
不安で胸が押しつぶされそうになりながら魔素を追って前に進んでいたけれど、考え事をしながら進めた片足が、急に地を踏めずにガクッと落ちる。
「うわっ!」
後ろにいたフィオンが咄嗟に俺の腹に腕を回すと、ぐいっと後ろに引っ張る。
どうやら道の途中で穴が空いていたようだ。フィオンが気づかなければ落下していただろう。俺はゆっくりとその穴に近付くと、火魔素を穴の奥に向けた。深さはそんなには無さそうだが、もしかしたらセウスさんはここに落ちてしまったのだろうかと、確認のためにセウスさんの魔素を取り出すと、予想通り雷魔素は下に落ちていった。
「ここから下のようだ。降りるぞ」
風使いであるゲオルグが足元に浮遊の魔法陣を敷き、俺達の体をゆっくりと穴の中に下げていく。穴の下に降り立つと、その先は緩やかに下へと道は伸びていく。
その先にうっすらと人影が見えると、俺は足を急がせた。
切り立った崖に、ふわりと亡霊のように立つ後ろ姿に息を止めた。
体は動かないが、剣を持つ腕だけが襲い来る魔物を切りつけていた。
時々、ゆらっと体の重心が揺れる。
まさかとの思いで火魔素を前に掲げると、明かりに気がついた目の前の人影は、おもむろにこっちを向いた。
その顔は見間違うことなくセウスさんだった。
……だったけれど。
顔には無数に傷がつき、首元にも大小の傷が見える。服は、鋭いもので切り裂かれたような跡がいくつも見え、胸の辺りは血がまだらに滲んでいた。
セウスさんは精気のない顔でぼーっとしている。明かりもつけず、逃げることもせず。
炎に照らされたセウスさんの姿を見て愕然とした。
これは一体誰だ。
俺の知っているセウスさんではない。
信じたくないその姿を見た俺の顔から血の気が引いていく。
「何やってるんだよっ!」
思わず声を荒げた。
「……ヒカリ、か?」
精気のなかったセウスさんの目に光が入る。
「………違う、キツキか?」
「そうです。帰ってきました、セウスさん」
声が震える。
セウスさんの立っているその奥からは、薄らと光がどこからか溢れ、光は何かツルッとした表面を照らしていた。火魔素をセウスさんよりも奥に移動させると、目下にはいつぞやのような薄黒いスライムがいた。あの時のようにそう大きくはないけれど、俺達の言う“大型スライム”よりは大きい。そしてその足元には魔物が十数体。ヒカリ達が遭遇したという状況に似ていた。
「まだ、討伐が終わっていないんだ、キツキ」
「何を言っているんだ、傷だらけだろ! 下がってください、セウスさん! これ以上は死にますよ!」
生気の無いセウスさんに向かって叫ぶが、こっちを向いたセウスさんはくすりと笑う。
「そうなればよかった」
その顔を見た俺の中で何かが切れた。
「そんなにいらないのでしたら、セウスさんのその命、俺にください」
「……欲しいんだったら、いくらでもあげるよ」
笑いながら返ってきたその返事に、眉間にぐっと力が入る。
「わかりました。遠慮なくいただきます」
右手をセウスさんに向けると、セウスさんの先にいるスライムの下から魔法陣を発動させる。無数の氷の刃を魔法陣から発動させ、スライム周辺にいた魔物を一気に串刺しにして消滅させる。それでもヒカリに聞いていたとおり、無傷のスライムから魔物が少しずつ出てきていた。
「バートとゲオルグは残りの魔物の討伐を。フィオンはスライムを倒せ。中央の赤黄色いコアを狙え!」
「了解です!」
フィオンは剣を抜くと、嬉しそうにスライムに向かって走り出す。
俺は魔素で作った蔓をセウスさんの手に巻き付けて動きを止めると、彼から剣を取り上げて横に寝かせる。自分達の周囲を覆うほどの回復の魔法円を一同に出すと、セウスさんの出血を止めるために破れかかったシャツをそのまま勢いよく破るが、絶句するほどの体を埋め尽さんばかりの新旧の傷に顔が歪む。
「なんだ、これ………」
グッと握った拳に力が入る。
「はは、ヘマしてばっかりだ」
「あなたに傷なんか残させませんよ」
「いいよ、キツキ。僕の失態だ」
「いいえ! いいえっ!! 傷を残すなんて許しません!」
「キツキ……」
「俺が貰った命だ! 勝手に死ぬことだって許さない!!」
「………」
俺は溢れそうになる涙をぐいっと手で拭うと、一番深そうな傷から治療を始めた。
「見てくださいよー、キツキ様。倒したスライムからこーんな大きな魔石が出てきましたよ!」
フィオンは満足そうに、岩とも思える大きな魔石に寄りかかってペチペチと叩くと、初めてスライムを倒しましたよと満足気に戻ってきた。
スライムを倒してから周囲は静かになり、魔物も出てこなくなった。
俺は魔石の近くに落ちていたスライムの透明な皮を見つけると、もったいないなと持ち帰ることにした。
スライムの落とし物はもうないかと見回した後、みんなの所へ戻る。
「三人ともお疲れ様。ゲオルグ、終わったところ悪いんだが、この人と、あそこにあるスライムの落とした透明な皮と魔石を浮遊魔法で運んでくれるか?」
ゲオルグは首肯すると、魔法陣を出していとも簡単にセウスさんとスライムの落とし物を持ち上げる。
それを横目で感心しながら見ていた俺は、指をちょいちょいと動かしてマーキングに使った氷魔素を浮かび上がらせる。俺達は印に沿って地上へと戻った。
洞穴から出てきた俺達の頭上は太陽が傾き始めていた。まだ夕刻にはならず、なんとか暗くなる前にセウスさんを見つけてこれたなと胸を撫で下ろした。
村に着くと真っ先にジェノさんが浮遊魔法で運ばれてきたセウスさんに駆け寄ってきたものの、何も言葉は出さずにただセウスさんを見守っていた。周囲を見渡してもほとんどの人がセウスさんに近付いてこない。
あのセウスさんにだ。
これはだいぶ拗れているなと、頭を悩ませながら先頭を歩いて村の中央へ向かっていると、体が止まった。花月亭の前にいた集団に目を奪われたのだ。
カロスの横に近衛騎士の制服を着た集団と、その中にヒカリがいた。
久しぶりに見るヒカリの姿に驚いて、思わず口を衝く。
「ヒカリ?」
はっとして口を手で塞ぐが、それを後ろにいたセウスさんには聞こえてしまったようだ。ヒカリ? と呟くと、さっきまで体中から出血していた人間が、浮遊魔法の陣から飛び降りてヒカリに駆け寄っていく。
「ヒカリ!!」
「あ、待って。セウスさん!」
そんな言葉でセウスさんは止まらない。でも、それはとても危険な行為だ。
ヒカリの周りにいるのはヒカリの専属近衛騎士で、それに向かってセウスさんは走っていく。
と、いう事はどうなるかというと。
彼らはヒカリに向かって走ってくるセウスさんを見つけると、剣に手をかける。その様子にやっぱりかと思うのと同時に、俺は慌てて手を前に出した。
近衛が「止まれ!」と警告を発するが、セウスさんの耳には届かない。
セウスさんがヒカリに近付いた瞬間、前方にいた近衛達の剣は鞘から完全に抜き取られた。
サシュツ!
一人の騎士の剣先がセウスさんの服を若干掠めたが、俺の出した十の物質化した魔法円が、それぞれの近衛を抑制する。
剣を抜き取った近衛には剣の前に、抜き取ろうと剣に手をかけた近衛には肘の前に、魔法を出そうとした近衛には手の前に。
急に現れた魔法円に動きを止められて、近衛達は驚いた顔をする。
あっぶねー。
俺の背中には嫌な汗が伝う。
あの状態のセウスさんなら、たとえ剣で切られたとしても構わずに突っ込んだだろう。
間に合って良かった。
俺は足早に花月亭まで近付くと、ヒカリ専属の近衛達を睨みつける。
「今度村人相手に剣を抜いたら、二度とここには入れさせないからな! 剣と魔法をしまえ! それとカロス、お前も見てないで止めろよ!」
カロスは目の前に出された俺の魔法円を無言で睨みつけたままだ。
「……何で私だけは目の前なんですか?」
「お前はどこを押さえつけても魔法を出すからだ」
手をぐっと閉じて、カロスの目の前の魔法円を消す。
俺に不満顔を向けたあとに、ゆっくりとヒカリに抱きつくセウスさんを睨みつけるカロス。
「誰ですか、これ?」
「この村の村長の息子で、次の村長だ」
「………彼が?」
「で、ヒカリの婚約者」
「は?」
「冗談だ。おじいさまが断ったから、婚約はしていない」
カロスは何かひっかかったのか、セウスさんをもう一度見ると「そうですか、彼がですか」と、呟く。
「セ、セウス。みんなが見ているから、もう少し離れて」
セウスさんに抱きつかれたヒカリは、セウスさんの行動に驚いたのか、慌てて押し返そうとしているが、そのセウスさんはびくともしない。その様子を見て、セウスさんがこうなった原因は、またヒカリなんだろうかと頭を悩ます。
困ったな。
頼み事をしに来たのに、一番重要なセウスさんがまさかこんな状態だなんて思いもしなかった。
そういえば、ヒカリがセウスさんには何も言わずに村を出て来たと言っていたな。
もしかして、それが原因だろうか?
確かにヒカリが急に消えたのなら、セウスさんだって心配なんてもんじゃなかっただろう。婚約はしなかったにせよ、あれだけヒカリを想っていてくれた人だ。出発するまで、邪魔をされないように秘密にはしていたけれど、それが裏目に出てしまったようだ。
村を出る前にセウスさんと話をするつもりでいた俺が、あっさりと巨大スライムに飲み込まれてしまったものだから、その時間が取れなかった。その代わりにシキさんが代表達に話をしてきたみたいだけど、シキさんの口からヒカリを連れて村を出るなんて聞けば、セウスさんが快諾なんてしなかったなんてことは想像に容易い。
ふーっと息を吐きながら、なんとなく村の状況が見えて来た。
ヒカリが戻って来た事を聞いたのか、ちょうど花月亭前に姿を現したコエダおばさんとミネを見つけると、俺は二人を手招きする。
俺よりも一回り身長の低いおばさんに向かって体をかがめると、コソコソと話かけた。
「ねえ、コエダおばさん。セウスさんは俺達がいなくなってから拗らせてた?」
「ええ、ヒカリがいなくなってからずっとよ。誰も止められなくてねぇ」
「ノクロスさんは?」
「ノクロスさんとは喧嘩をしたみたいよ。ノクロスさんから譲り受けた剣も返してしまったって、自警団の人から聞いたわ」
横にいたミネが心配そうな顔で教えてくれた。
はっとしてセウスさんから取り上げた剣を見ると、確かにナナクサ村で作られた剣だった。
俺達はヒソヒソ話を続ける。
「どうしてノクロスさんと?」
「ノクロスさんはオズワードさんに依頼されて手伝っていたでしょう? キツキ達が村を出る準備を手伝っていた事がセウスにバレた時に、どうやらシキ君のためにやっていたと思われたみたいでねぇ。セウスがすごく怒ったって話よ?」
「なるほど」
確かに。おじいさまは細かい手配はいつもノクロスさんに依頼していたからな。
俺は悩ましげに視線を上げた。
「それから村の人ともギスギスし始めて、笑う顔が怖いとまで言われるようになっちゃったの。本音は隠す子でしょう? 余計にねぇ。ここ最近なんか、昼間に姿を見なくなってしまうほど、村の人と関わろうとさえしなくなっちゃって」
コエダおばさんの話を聞き終わると、うーんと顔を手で隠す。おばちゃん達にありがとうと言うと、どう考えてもこれしか方法はなさそうだと心を決める。
花月亭前で、人目をはばからずヒカリに抱きつくセウスさんと、混乱しているヒカリの手を掴むと、ぐいっと二人を引っ張る。
足は花月亭隣にあるセウスさん宅に向かい、後ろをついて来たフィオンに玄関扉を開けさせると、そのまま二人を家の中に押し込めた。
「ヒカリ、お前はとにかく責任を持ってセウスさんの傷を治せ。全部消すまで家を出るな。セウスさんはヒカリに言いたい事があるんでしたら、今のうちに言っておいてくださいね。以上!」
俺は言うだけ言うと、二人の驚いた顔に向かって玄関扉をバンッと強く叩きつけた。
「これで良し」
何が良しなのか分からないが、言いたい事が言えなくて拗らせてしまったのなら、邪魔者がいない環境で二人だけで話し合える時間をあげた方がいいのだろうと思った。
花月亭前でこちらの様子を見ていたエルディが、後ろから慌てて追いかけて来て聞いてくる。
「良かったのですか? キツキ様」
「ああ。セウスさんがおかしくなると、村の雰囲気もおかしくなるからな。原因はおそらくヒカリだと思うから、しばらくこれで様子を見る。あの人が立ち直ってくれないと、これから要請したいことも上手く事が運ばない。彼は、村の重要人物なんだ」
俺は扉の先を見つめながら、エルディに言い聞かせるように自分に言い聞かせた。
「キツキ、何をしているのですか? ヒカリを男性と二人っきりにするなんて」
それまで様子を見ていたカロスが、セウスさん宅の扉を開けようとするけれど、俺に手を掴まれて立ち止まる。ギロッとカロスが俺を睨むが、手を離す気はない。
怒りのためか、カロスの周囲にパチパチッと雷のような閃光が空中で散乱する。
これが人を丸焦げにすると言っていた魔力の発散か。
「ふざけているのですか?」
「大真面目だ」
ここを引く気はない。
セウスさんを元に戻したいんだ。
本当はヒカリが世話になっているカロスに説明するのが筋なのだろうが、目の前のカロスは拗れてしまっているこちらの事情を聞いてくれる雰囲気はない。
それに言ったところで承諾なんてしないだろう。
カロスと睨み合うが、俺が引かないとわかるとカロスの手は光る。
数個の魔法円が出たかと思えば、そこから鎌風のように鋭い刃のような風が吹っ飛んできた。俺は掴んでいた手を離して回避すると、鎌風は後ろにあった学校の木の塀を少し掠めて真横に切り倒した。
俺は横目でそれを確認して舌打ちすると、視線を戻してカロスが開けようとしている玄関扉を凍らせ、更にその前に魔素で作った分厚い氷の壁を作りだした。
「小癪な!!」
氷の壁を見たカロスが、俺をギロッと睨んだその時だった。
「おや、まあ! ヒカリはこんな乱暴な人と付き合ってるのかい? それとも何かの間違いかい? 私は乱暴者は嫌いだよ!」
カロスは動きをピタッと止めると、声の主を見る。
俺達の諍いを見ていたコエダおばさんがふんぞり返っていた。
「ヒカリには働き者しかあてがわないよ! セウスよりも働かない上に物を壊す男なんてお払い箱さねえ!」
カロスはスッと魔法円を消してコエダおばさんに近付くと、手を胸の前に当てて体を低く屈める。
「お目苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございません、伯母上様。少々頭に血が登りましたが、普段は決してこのような事はいたしません」
うそつけ。
「そうかい? 今度やったら村から追い出すからね?」
「はっ」
カロスはコエダおばさんに頭を下げる。
コイツ、本当に周りから攻めるタイプだな。
コエダおばさんは最近のヒカリはどんな様子だったか教えておくれよと、カロスを連れ立って花月亭入って行った。近衛達も呆気に取られ身動きが取れないまま、コエダおばさんがカロスを引き連れて行くその様子を黙って見ていた。
エルディは二人の様子を見ながら、こっそり俺に近付いてくる。
「さすがキツキ様の伯母上様ですね。あのクシフォス宰相補佐を抑え込みましたよ」
「ああ、………俺より強いよな」
おばさんが俺よりも強いことは知っていたけれど、俺の言うことなんか聞かないカロスをたった一言で止めて、二言目で従わせたのだ。強すぎだろ?
……何だよ、俺の血縁はカロスを止める力でも持っているのかよと、言いようのない気分が押し寄せてくる。
静まり返った村長宅前で、俺は重いため息をついた。
<人物メモ>
【キツキ】
ヒカリの双子の兄。リトス侯爵。生まれた地であるナナクサ村に戻って来たけど、ハナからの要請でセウスを探しに行った。
【ヒカリ】
キツキの双子の妹。バシリッサ公爵。
カロスに預けられて北城にいるはずだったが、戻って来たら花月亭の前に姿を現していた。
【セウス】
ナナクサ村村長の息子。満身創痍の状態でキツキに発見される。師匠であるノクロスと仲違いしている。
【カロス/黒公爵(カロス・クシフォス)】
帝国の宰相補佐。黒く長い髪に黒い衣装を纏った男性。キツキの故郷の村に一緒について来た。
【エルディ(エルディ・ダウタ)】
カロスに引き抜かれてキツキの側近となる。辺境伯であるダウタ伯爵の次男。何事も器用にこなす働き者。キツキの一つ年上。
【フィオン(フィオン・サラウェス)】
ダウタの元兵士。キツキからの依頼でエルディに呼ばれ、ヒカリの護衛役となる。
今はヒカリがいないので、キツキ付きの護衛をしている。意外にも料理が得意。
【ノクロスさん(ノクロス・パルマコス)】
ナナクサ村で自警団の指導役をしている。元々は帝国の近衛騎士で剣の達人。キツキの祖父のオズワードとは酒友達になっていたが、オズワードの死後、シキにヒカリを頼んで、国への帰還を手伝った。
【コエダおばさん】
キツキとヒカリの母親の姉。伯母。小さい頃から母親のように面倒を見てくれている。
【ミネ】
コエダおばさんの娘で、キツキ達の従姉妹。服飾が得意な働き者。
【バート・ルアーブル】
リトス侯爵付きへ変更になった近衛騎士25歳。火・風使い。
【ゲオルグ・アレグリーニ】
リトス侯爵付き近衛騎士28歳。風・水使い。
※添え名は省略




