漆黒と白銀5
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「わー! 本当に雪だらけだね」
遠くの山まで眺めるけれど、建物や木々がなければ本当に白一色だ。
私はオンドラーグ地方という帝都から北にある地方にカロスにくっついてやって来ていた。帝国の領土から考えると最北東端の地方なのだという。
周囲は平坦には見えるが、意外とここは山々の上で地方の中でも標高が高い場所でもあるらしい。
それもあってか帝都の軽い雪とは違い、歩く場所を間違えると埋もれる以前に足が沈んでいく。その度に近衛騎士達に引っ張り出してもらっていた。
雪にはしゃぐ私とは打って変わって、カロスは首に手を当てて疲れた顔をしている。
朝から私以外にも近衛騎士六人と秘書官一人、それにメイドさんと従者合わせて十人以上を同時にオンドラーグ地方へと一瞬で運んできたのだ。凄いな。
今日のカロスは珍しく、ローブ姿ではなく騎士達の制服のような肢体がはっきりとわかる動きやすい衣装と膝までのブーツ姿。その上に外套を羽織っているのだが、外套だけは黒ではなく珍しく深紅だった。
予定していた子爵邸へと私達は向かったけれど、そこにはまだ帝城から出発した視察団は到着していなかった。
子爵の話だと、視察団は近くの雪道で立ち往生してしまっていると昨夜のうちに連絡が届いたそうな。それを聞いたカロスの表情は重い。
重いだけならいいけど、周囲が凍りそうなぐらいに目を細めて「ほぉ」と一言だけ呟く。
カロスのその様子に思わず何事かとビクビクしている私の横で、こっそりと近衛分隊長のハムイが「クシフォス宰相補佐官は仕事の不手際で予定を遅らせるのが大嫌いで有名なんですよ」と教えてくれた。
そんなカロスが魔物のような顔をしたまま、様子を見てくるよと一人で出掛けようとするものだから慌てて止める。
「わ、私も一緒に行くよ。カロス」
「君はここで待っていてくれ。外は寒い」
「ううん、絶対についていく! 視察団を守らなきゃ!」
「………何からだい?」
カロスからよ。
無言を返すが、カロスには伝わったようだ。毒気を抜かれたのか呆れたような顔をすると、仕方ないと私の同行を許してくれた。
近衛に二人だけついてくるように指示をすると、残りは子爵邸で部屋の安全チェックと準備が整い次第、戻るまで休むように伝える。
そのまま玄関へと足を向けたカロスの背中を私は追った。
視察団が立ち往生していたのは、子爵邸から徒歩……いいや、カロスの浮遊魔法で三十分ほど進んだところだった。だから馬車では一時間以上かかる場所だと思う。
帝都からの距離を考えれば目と鼻の先ぐらいの場所だったけれど、領地邸や街から少し離れた場所のためか、道には雪が残されていた。
朝にも拘らず、視察団の馬車の周囲には領民らしき人達がワイワイと集まり、みんなで馬車を押している。
一体どこからこんなに人がやって来たのだろうか。
私とカロスは訝し気にその様子を眺めていたけれどその理由はすぐにわかる。
多分、カロスも会いたくなかったであろう顔がそこにはあった。
「雪の対策ぐらいしっかりしてから送り出してもらえませんかね? こんな大掛かりな一団に国道を占拠されてたら領民に迷惑なんですよ」
腕を組んで睨みながら正論をカロスに吐きつける男。
カロスの誕生日パーティに騒ぎを起こしかけていた男がいた。
「なんであんたがこんなところにいるのよ!」
「それはこっちの台詞だぜ、姫」
そう、迷惑男ことランドルフ・クラーディがそこにいた。
この前の盛装とは違い、騎士らしき制服と少しばかり分厚い外套を肩からかけている。帝国騎士の制服とは少し意匠が違う。
再び喧嘩になるのかと心配になったけれど、カロスはランドルフに「手間をかけた」と謝罪らしき事を言ってランドルフに礼を向けると、私の近くにいた近衛騎士にチラッと視線を送り、そんまま視察団に向かって歩いていく。
カロスの対応にあれ以上の文句が言えなくなったのかランドルフは苦虫をすり潰したかのような表情でカロスの背中を眺めてしばしの間押し黙ると、その場に突っ立っていた私に視線を移す。
「で、宰相補佐ならともかく、なんで姫まで一緒にここにいるんだよ? あ、もしかして俺に会いたくなったとか?」
「んなわけないでしょ!」
どう考えればそんな結論に至るのか。何とも不思議な思考だ。
私の反応を見ると、ランドルフは夜会の時と同じように可笑しそうにクククッと笑う。
どうもランドルフを相手にすると地が出てしまう。
「俺は親父の仕事の手伝いが終わって帝都から居城のローシャ城へ帰る途中だ。それにクラーディ公爵家の管轄する領地内に俺がいておかしなことはあるまい」
「え? ここが?」
ランドルフは腕を組みながら私に偉そうにそう説明する。
確かにそう言われれば、自分の領地内に管理者がいておかしな事はあるまい。私はここがランドルフの家の領地だって分かった上で視察に来たカロスに驚いていたのだけれど、その顔を見てランドルフは何を勘違いしたのか満足そうな顔を見せると、私達を置いて行ったカロスの背中に視線を移す。
「なあ、あいつとはどういう関係なんだよ?」
「どう、とは?」
「今日もだし、この前の夜会も一緒にいたじゃねーか」
「じゃあ、夜会に一緒にいる仲なんじゃないの?」
「嘘だろ? あっちはそのつもりかもしれないが、姫はそうは見えん」
「なら、そう思えば?」
私は面倒とばかりに他人事のような返事をランドルフに返す。
「……そう言われれば確かにな。なら、そう思っておくよ」
ランドルフはニヤリと笑う。
一体何が面白いのか、私には理解が出来ない。
顔を顰めていると、視線の端にカロスが視察団の馬車の車輪の具合を見ながら、チョイチョイと指を動かして雪を溶かしているのが映る。
おっと、手伝わなくてはとランドルフを無視してカロスの元へ向かう。カロスには迷惑をかけっぱなしなのだから少しは役に立ちたい。
カロスの魔法で一両目の馬車の車輪は動くようになったようだ。
「カロス、このあたりの雪を全部溶かせばいいかな?」
「いいよ、ヒカリ。君に手伝わせるつもりで連れてきたわけではないよ」
「遠慮しないで」
どうせ暇してても、ランドルフに絡まれるしかなさそうなら役立ちたい。
私は地面に手を向けて振ると視察団の馬車を足止めしていた硬い雪を溶かしていく。
「おお? 何だ。雪が溶けたぞ?!」
馬車を押していた領民のおじさん達が、急に溶けていく足元の雪を驚いた表情で見る。
よしよし。少しは役に立ってるかな。
全ての馬車の足元を綺麗にすると満足したとばかりに腰に手を当てて、一団の全貌を見渡した。
「なんだ。魔法円も陣もなしに雪を溶かしたのか?」
いつの間にか私の真後ろにいたランドルフは、興味深そうに腕を組みながら私の頭の上から雪が溶けた様子を眺めている。背中にくっつくな。
「魔素よ」
「魔素? それよりも、これは迷惑だな」
国道の雪が溶けた様子を見てランドルフはそう言う。
ムッとして、後ろにいる背の高いランドルフを見上げる。
「なんでよ」
「なんでよ、じゃねーよ。こんなに大量に水にしやがって。こんなんじゃ夕方からここは氷が張って雪よりも厄介になるだろうが」
馬や牛が転んで馬車が転倒するとランドルフは目を吊り上げる。
「え?」
「え? じゃねーよ。お前、水が冷えると氷になるって知らないのかよ」
知ってる。そのぐらい。
そう言われればそうだ。
私は自分が溶かした雪の水たまりを青い顔で眺める。
「やれやれ。クラーディ公爵家の三男は器が小さいですね」
カロスが大騒ぎする私達に近付いて来たかと思えば、水たまりに向かって指をスッと差し出す。道に沿うように浮かんだ数珠繋ぎの魔法陣がみるみると水を吸っていき、地面は急激に乾いた。
おお、流石だ。私は思わず拍手をする。
私に突っかかっていたランドルフはムッとした顔をカロスに向けた。
「で、なんでこんな雪の時期に帝城の視察団が来ているんだ? うちの領地で問題は起こっていないはずだろ?」
「これだから剣しか扱わない輩は。少しは自分の家が管轄する地方全体のことも知っておきなさい」
「なんだと!」
ランドルフはギロッとカロスを睨みつける。
「ねえ、カロス。時間がなくなるからコレは放っておいて早く視察に行こうよ」
「そうですね。一度全員を子爵邸に連れ帰りましょう」
「子爵邸?」
私達の会話を聞いていたランドルフは、後ろにいた部下に何やら指示をすると、ランドルフが引き連れていた部下数人のうち、二名だけが馬に跨って道の先を進んで行った。
何だろうとその様子を眺める。
「偶然だな。俺も今日は子爵邸に宿泊する予定なんだ」
「は? なんで?」
「なんでもあるか。うちの管轄だし、俺が利用して何かおかしなことでもあるかよ。今夜は同じ屋根の下だ。宜しくな、姫」
「はあ?」
ランドルフはニッと笑う。
呆れ顔の私の横ではカロスが冷ややかな視線をランドルフに向けていた。
子爵に案内されたのは邸宅から馬で一時間ほど移動した距離の農村の畑だった。
何故かランドルフもクラーディ公爵家の仕事だからと視察へ一緒に着いて行くと言い出し、視察団の後ろをついてきた。
ランドルフ達の存在以外には特におかしなところはない。
広大な畑を森林が囲うように繁り、その中心には農家の家がポツポツと見える。地面はなだらかな勾配があるものの、休耕中の畑にただ雪が積もっている場所だった。
カロスは何故ここを視察したかったのだろうか。
ふらふらと歩いてみる。
今は冬で、ここは雪が良く降る地方なのだから真っ白でそれ以外が見当たらないのは当然だ。だからとある場所に目が止まる。
「あれ。あの一帯だけ妙に雪が少ないなぁ」
私はその妙な一帯に釘付けになり、雪が薄くなっている場所へ足をすすめる。その中でも一際目を引いたのが、周囲がこれだけ雪深いのに穴が空いたように土の表面が現れている場所だった。
その土の上に黒い粉が広がっている。
「何だろこれ。黒いね」
「そうだな」
ふらふらと視察の列から離れた私を追いかけて来たカロスも、不思議な顔をして私の頭の上から覗き込んでいる。
私はしゃがみこみ、黒い粉をツンツンと触ると指先についた黒い粉を見る。
“粉”というよりは少し粒々しているな、なんて思いながら眺めていたけれど、しばらくすると指先の感覚に違和感を抱いて指から黒い粉を落とした。
私は周囲にあった雪を握ると、黒い粉の上で手を離す。
手から落ちた雪は黒い粉の上に乗るものの、しばらくすると雪は消えていってしまった。
それをカロスと私の後ろに控えていた近衛達も驚いた表情で見ている。
「うーん。やっぱりそうかぁ」
しゃがみながら考える私の上からカロスが驚いた顔を向けてくる。
「ヒカリ、なぜ雪を乗せようとしたのだ?」
傍で見ていたカロスが私の行動を疑問に思って問いかけてくる。
「この黒い粉ね、どうやら魔素を壊しているみたいなの。この粉の下にある土は多分もう灰色の砂になっていると思うわ。ダウタとか、西の砂漠の砂にも魔素がなかったけれど、それと同じようになってるはず。雪を乗せたのは『黒い粉が魔素を壊している』っていう仮定を確認したかったからよ」
「仮定?」
「さっき指に乗せた時にね、私の中の魔素が壊れるように消えていったの。砕かれる感じって言えば良いかな? それでもしかしたらって思って、雪を乗せてみたんだ。今、見てたでしょ? 雪が消えたの。雪や水の魔素が壊されたのよ」
「………まさか」
本当、まさかよ。
自然の源とも言える魔素を壊す粉だなんて、そんな話なんか聞いた事がない。
おじいちゃん達だって知らないと思う。
この国で魔素がわかる人間は私以外はキツキぐらいだから、そんな事に気がつく人なんて今まで帝国にいなくて当然だっただろう。
だから帝国内があんなになるまで防げなかったのだ。
「ねえ、カロス。断定は出来ないけれど、これが砂が広がっている原因じゃない?」
苦い顔をしたカロスは後ろにいた視察団に黒い粉を全て瓶に入れて持ち帰るように指示をする。
私は周囲を見渡して、雪の薄くなっている円の中心を炎でジュワッと溶かす。薄くなっていた雪の下は既に灰色の砂がうっすらと出来上がっていた。
その灰色の砂も指で触ってみる。
今まで気がつかなかったけれど、さっきの黒い粉ほどではないが灰色の砂も微量に魔素を壊しているようだ。つまりこの状態を放っておくと、灰色の砂もゆっくりゆっくりとこの周辺の魔素を壊していくってことで。
放っておくと西の砂漠のようになってしまうのではと、事の深刻さを認識する。
カロスがこの地方を視察したかった理由がわかった。
カロスがそう判断するぐらいに、すでに表面に現れてきていたのだろう。
灰色の砂のこともカロスに伝えると「そうか」と一言だけ力なく呟く。さっきの黒い粉の上で雪が消える様を見たカロスにも、皆まで言わずとも大体の察しはついたようだ。
「雪が壊されたら、地下水がなくなっちゃうね」
雪の溶けた水は雨とは少し違い、その場に留まってゆっくりゆっくりと溶け出しては地面に染み混んでいく。それが濾過されながら地下水へと変わっていくのだとおばあちゃまに聞いたことがある。だから雪が多い場所は地下水も多い。
ここは高地で雪がよく降る。
つまり、この地域で雪が少なるということは川の源となる湧水だって少なくなり、いずれはここより標高の低い土地へ流れる川の水だって消えていく。
そう考えると、ここは結構重要な土地のようだ。
私はうーんと考えると、いっちょやってみますかと腰に手を当てる。
「ねえカロス。黒い粉はもう採れた? この辺りをいじっていい?」
「さっきのところは終わったようだが。……いじるって?」
「だってこのままじゃない方がいいでしょ?」
「?」
カロスは私が何をしようとしているのか分からない様子で首を少し傾げた。
私は雪の少なくなっている一帯に向かって手を伸ばす。手が光ると同時に、目の前の砂が土に変わっていく。
「うーん、キツキほど広くは出来なかったけれど」
それでも目の前の灰色の砂が茶色い土に変わったのを満足して眺める。
「ヒカリ、無理をしていないか?」
「大丈夫よ、大したことしてないし。ご飯食べてゆっくり寝れば回復するし」
心配した面持ちのカロスにそう返事をすると周囲を見渡す。
灰色の砂のせいか雪が薄いところは所々あるようだけれど、数日もあればこの一帯なら私でも土に戻せそうな量だ。
「おい、今何したんだよ」
私の後ろからランドルフが口を出す。
静かにしていたものだから、すっかり存在を忘れていた。
「魔素を充てたのよ」
「魔素ってなんだよ?」
「見ての通りよ」
「……わからん」
どこかで聞いたようなことを言うので、キツキがやって見せたように片手の指に火やら氷やら植物やらを小さくしてそれぞれの指に出して見せると、これまた目の前の男は私の中の記憶と同じ反応をする。
「……手品か?」
魔素を知らないとやっぱりそう見えるらしい。
その反応を見ると、懐かしい記憶と少し嫌な感情が湧き上がる。
ああ、やだな。何だか似てる。
目の前にいるのは背格好の似ている銀色の髪をした二十歳ぐらいの男性。
違うとは分かっていても、ランドルフを見る目が少し冷ややかになる。近寄りたくない。
「……どうしたんだよ?」
「別に……。もう用はない?」
「なんだよ、急に冷たくなって。腹でも減ったのか?」
良くわかったわね。確かにそろそろお腹は減ってきた。
「手品じゃないけど、そう思いたければそう思えば?」
ランドルフに説明をする気がさらさらない私は適当な返事をする。
「それもそうだな。姫は見ていて面白いな」
そう言ってランドルフは笑う。面白いは余計だ。
私はみんなから離れると、ふらふらと雪が少ない場所を探し出すと雪を溶かしては砂があるかの確認をしていく。
「おい姫。雪を溶かすの大変だろ。うちのに手伝わせようか?」
放置してきたはずのランドルフが付き纏ってくる。
「いいよ。大したことじゃないし」
「無理するな。女なら少しぐらい頼った方が可愛いぞ?」
女だからって何?
楽はしたいけれど、それが当然のように言われると癪に触る。
「いいえ結構です! 全くもって余裕なので」
私は手を地面に向けて見せつけるように空高くまで火柱を上げる。
ランドルフも周囲もそれに呆気に取られながら目を空に向ける。
ふん! 驚いたか。
ふんぞり返る私に近付いてきた表情の重いカロスは、片手で私の左右のほっぺを鷲掴みにする。もちろん口はむにゅっと尖った。
「カ、カリョフ?」
「ヒカリ、無闇に力を見せるのはやめなさい。危険ですよ」
危険?
そう思ってむにゅっとした口のまま視線を動かすと、近衛騎士は平然としていたけれど周囲は驚いた視線を私に向けていた。
その中でもとりわけ目立った人物。
「わっはははは! 姫はやっぱり面白いわ!!」
豪快に笑うランドルフは今まで以上に嬉々とした表情を私に向けていた。
「ほら見なさい。面倒なのに興味を持たれてしまったでしょう」
私のほっぺから手を離そうとしないカロスの顔は険しかった。
【ヒカリ】
キツキの双子の妹。バシリッサ公爵。恋愛に対しての謎防御力の強い女の子。カロスと北の地方である
【シキ(ラシェキス・へーリオス)】
へーリオス侯爵家の次男。銀髪の帝国騎士。キツキとヒカリの兄妹喧嘩の原因でもある。
【カロス/黒公爵(カロス・クシフォス)】
帝国の宰相補佐官。黒く長い髪に黒い衣装を纏った男性。魔力が異次元すぎて一部から敬遠される。ヒカリに好意を寄せる将軍の愚息。
【ランドルフ(ランドルフ・クラーディ)】
クラーディ公爵の三男(21歳)。銀髪銀目でシキの従兄弟にあたる。性格は至って好戦的。