漆黒と白銀3
****
ー 皇帝執務室 カロス ー
「ご用件はなんでしょうか?」
「そう目くじらを立てるでない、カロス」
陛下は少し可笑しそうに私をなだめる。
せっかくのヒカリとの二人っきりの昼食を陛下といえど邪魔をされたのは悔しい。
それをわかっていらっしゃるのだろう、先程から私を見る目が浮ついている。
「なに、少し確認しておきたくてな」
「確認、ですか?」
「ああ、ヒカリはどうしてお前のところにいるのだ? 詳細を話せ」
やはりあの説明では納得されなかったようだ。当然の反応だろう。
簡単に話そうとしたが、省略は許さないと先手を打たれてしまった。
この方に抜け目はない。
父のようにヘラヘラしているように見えるが、内面は全く別の人間だ。情け容赦はあるが、手を緩めることはない。
いずれ耳に入るだろう。
もう少し引き伸ばしておきたかったがそれは許してくれなさそうだ。
陛下の目を見ると、ゆっくりと先日の説明を始めた。
「……ハーメルンの城を一晩もせずに一人で破壊してきただと?」
陛下は思いもよらない話に呆気に取られている。
ヒカリが北城にいる理由は単純な話ではないとは予想されていたものの、意外な内容に驚かれたようだ。
「南側の半面だけです。あと二日もすれば連絡が届くでしょう」
「わざと連絡を遅らせたのか? お前は知っていたのだろう?」
「……はい」
「そうか。ヒカリに関してはお前は嘘や隠し事をするということを覚えておこう」
口元は笑っておられるが、内心は怒っていらっしゃるようだ。
「で、その原因がラシェキスか」
「……はい」
「あのキツキが妹を手放しているから何事かと思ったが、そういう事か」
陛下は私の顔をじっと見上げるとしばし沈黙のあと口を開かれた。
「ヒカリとは纏まりそうか?」
「……わかりません」
「もし一族間で争いになるのなら、ヒカリの婚姻相手は私が決める。そう思っていてくれ」
「…………承知しました」
陛下は覇気の無い返事をする私の顔を見ると、軽く息を吐く。
「お前達二人には上手くやって欲しいのだがね。いずれキツキを支える両柱だ。お互いを折り合ってもらっては困るよ」
「はい」
「それにしても一人で城を破壊する力を持ったアフトクラートか。彼女が臣下達にほっとかれるとは思えないな。いずれ高位の貴族達の耳に入れば場合によっては番狂わせが起こるかもな。しかしそうなったとしても、ヒカリの相手がお前達のどちらかなら私は心配していないよ」
「……… 」
視線が下がってしまう。
彼女の能力は想定の範疇ではあったが、こんなに早く彼女の力を周囲が知る事態になるとは想定していなかった。
「義妹にも困ったものだ。少し好き勝手させすぎたようだな」
「リトス侯爵は、ラシェキスの近衛騎士試験の合格を信じているようでしたが」
「そうか。でもそうなったとしても、ラシェキスは手を出せなくなるだろ?」
「はい。バシリッサ公爵もそれはご存知のようです」
「それは女性からしたら辛いだろうな」
「……陛下はどちらのお味方で?」
「帝国の利益がある方だ」
満面の笑顔で答える。
知っている。楽しそうに話を聞くが、この方の基本は必ずここだ。
私とラシェキスが騒動を起こせば、間違いなくヒカリを関係のない高位貴族の元に嫁がせようとするだろう。それもキツキの後ろ盾に良さそうな家に。
笑っていることが多いが優しいわけでもお人好しなわけでもない。実を取られる方だ。
父とは真反対の人間。
その陛下が自分が決めるとおっしゃっているのだ。必ず実行することは目に見えている。
「そう言うお前はどうなんだ?」
「どう、とは?」
「ヒカリに何も言わずにいるのか?」
「……」
心の中がザワッとする。
「……まあよい。そうなったらそうなったでラシェキスの脇が甘いって事だろう。そんな事まで私が口を挟むべきではないな」
陛下は私をチラッと見るが、その視線に返事が出来ずに目を逸らせてしまう。
ヒカリの幸せを願っている。
かと言ってすぐに彼女を手放すことが出来るかと言われたらそう簡単でもなさそうだ。少しでも長く彼女の温もりと柔らかさを感じていたい。こんな気持ちになったのはもちろん初めてで、女性というのは金と宝石しか食べない生き物かと思っていた自分からしたら、彼女はだいぶ根本の違う女性なのだ。
……ラシェキスが動き出す前に彼女との約束が欲しいのは確かだ。
「カロス、あまり惚れ込むなよ」
考え込んでいた私に、目の前の陛下は歯止めをかける。
それが何を言いたいのか大体の察しはつく。
「御意」
礼をすると、そのまま陛下の執務室から下がった。
*****
午後もカロスの秘書官から封筒を預かり、アレスの補助を受けながら同じように配達に回っている。
カロスの執務室を出発する迄にはカロスは部屋に戻っては来なかった。
昼食の後にユヴィルおじ様に付き添われて執務室まで帰ってきたのだけど、おじ様はカロスがアレスに休憩を与えなかった事を知ると、終わり次第休むようにとアレスに指示を出してぷんぷんした顔で軍務省へ戻って行った。
「ユヴィルおじ様もああ言ってたことだし、この配達が終わったらご飯を食べに行こうよ」
アレスの手の中にある封筒を見ると午前に比べてだいぶ量が少ない。これなら早く終わりそうだ。
「ですが」
遠慮しているなとアレスの顔を上目でチラッと見る。
ユヴィルおじ様が休めと言っても、カロスが変な命令を出していたしね。
「私が食べたいの。陛下と一緒で食べた気がしないし、帝城の食堂ってところも見てみたい」
これは本当。
皇帝陛下を目の前にしてご飯を美味しく食べられる家族以外の人がいたら見てみたい。
「だからアレスは私に食堂を案内したらそのまま私と一緒にご飯を食べてね。私一人での食事は美味しくないからね?」
アレスは少し迷ってはいたけれど、ではお供しますと柔らかい表情で答えてくれた。
午後もアレスの補佐のおかげで迷子にもならずにサクサクと仕事が進む。
私とアレスの手から全ての封筒がなくなる頃、ちょうどお茶の時間に差し掛かっていた。この国では食事と食事の間にお茶をする習慣がある貴族が多い。大叔父様もカロスもそうだ。だからこの時間になると自然と私もお茶と少し甘いお茶菓子が食べたくなる。少しずつだけどこの国の習慣が体に染み付いて来ていた。
「はぁ。終わったわね、アレス。じゃあ約束通り食堂に行こうよ。あ、ねえ。食堂にお茶菓子とかある?」
「では、軽食のある食堂へいきましょうか」
「え、食堂って二つもあるの?」
「帝城の中には五つあるそうですよ。私は軍務省に近い食堂しか行った事はありませんが。各省の中にも最低でも一つはありますよ」
「へえ〜」
その話を聞いた私はご機嫌だったが、「はっ!」と、あることに気がつく。
それはとても重要で二度と失敗したくないトラウマにも近い記憶。
「私、お金持ってなかった!」
なぜ今更そんなことに気がついたのだろうか。
今まで私はお金を持った事が無いという不都合な事実も、こんな時に思い出す。
お金は働いた人達に払う対価だと聞いている。
お金を持たずに私は食堂で働く人達に労働の対価も払わずにご飯を食べようとしているのだ。要は働く人々を足蹴にするような行為でもある。
だがそんな私の驚愕な性格を知ってか知らずなのか、アレスは平然と「必要ありませんよ」とさも当然そうな顔をする。
「え、何でよ?」
「殿下からお金をいただくことは無いですよ。それに帝城の食堂は帝城や省で働いている人間は無料です」
「え、そうなの? あ、でも私は働いているわけじゃなくてただの手伝いだよ?」
「………顔パスだと思いますよ?」
何よそれ。
「気になるのでしたら私の方でお支払いします。ですから気にせず参りましょう」
アレスは笑顔で食堂に誘う。
私はアレスの笑顔に負けたのかお茶菓子の誘惑に負けたのかはわからないが、少しの罪悪感と茶菓子への大きな期待を胸にコッチですよと案内をしてくれるアレスに従って歩き出す。
最後の届け先である部屋からしばらく歩くと、目の前には帝城のメインエントランスホールの吹き抜けと中央の大階段が見えた。
「おおー」
私は二階通路の手擦りに手を置いて、初めて帝城に来た時に登った大階段との再会に感動する。朝は北にある業務用の階段からカロスの執務室へと上がってきたのでこの雄大な姿を見るのは二ヶ月ぶりだろうか。
大階段は帝城の正面の出入り口から謁見室のある四階まで真っ直ぐに続いている幅広い階段だ。
エントランスの上は大階段を囲うように三階まで吹き抜けていて、大階段の各階の踊り場からぐるっと一周できる通路になっていている。その通路には手摺がついて、そこから顔を出すとエントランスが一望出来るのだ。
手摺りから顔を出して一階を覗き見る。
エントランスホールでは貴族や官職と思われる多くの人たちが右や左に曲がり、それぞれの目的地に向かう様子が手にとるようにわかった。正面の大階段に進むのは時々いる高官や関係者だけなので、幅の広い階段が少し寂しくも見える。
私の顔を見て驚いて立ち止まる人もいるけれど、それはだいぶ慣れてきた。
この国では私とキツキは珍獣なのだろうと心のどこかで諦めるようになってきていたからだ。
エントランスは天井が高いためか足音も話し声もよく響く。特に近くで立ち止まって話をしていると二階にいる私にまで内容がわかるほどに鮮明に聞こえる。
ここで内緒話は厳禁だなと苦笑した。
「目的の食堂は一階なの?」
後ろに控えていたアレスに爛々とした顔を向ける。
「ええ、そうです。大階段を降りて脇の廊下から行けばすぐですよ。テラス席もあるのですが今日は少し寒いかもしれませんね。でも、そこの茶菓子は種類も豊富で美味しいと好評ですので気に入っていただけると思いますよ」
それを聞くと更に期待が膨らみ、涎も垂れそうになる。
いかんいかん。
期待が高まりじゃあ早く行こうかと手摺りから離れようとした時だった。
「ラシェキス様っ!」
不意に階下から可愛らしい女性の声が聞こえる。
………ラシェ…キス?
後ろにいたアレスに向いていた顔を再びエントランスに向け直して手摺りに身を乗り出す。アレスが危ないですよと後ろから止めてきたけれど、私はそのままの格好で何かを探していた。
足元から斜めに少し。私の目は止まった。
黒い騎士団の制服に身を包んだシキが手に封筒を持って呼ばれたためか振り向いて立っている。滅多にいない銀色の髪なのですぐにわかった。
シキの視線の先からフリルのついた可愛らしいドレスを着た華奢な女性がシキの元に小走りに駆け寄ると、シキの腕に手を置いた。
私はそれに釘付けになる。
「ヒカリ?」
「ねえアレス、あの人誰? シキの隣にいる人」
アレスはシキ? と不思議そうな顔を手摺りの上から覗かす。私の視線の先を見ると、「あの方は確か……」と少し考えてから答える。
「……エティーレ公爵家の御令嬢ロレッタ嬢とお見受けします」
ロレッタ嬢。
シキの婚約者の名だ。
小顔で目がぱっちりとした、いかにも貴族で大事に育てられたと言わんばかりの品の良さそうな女性だった。森の中でスライムを追いかけたり、魔物退治をしていた私とは全く異なる雰囲気の女性。
嬉しそうにシキの腕に手を置いた女性から私は目を離すことが出来なかった。
「ロレッタ嬢、どうしてこちらに?」
「今日は皇后陛下の昼食会でしたのよ。偶然お会いできて嬉しゅうございます。帝城にいらっしゃるなんて珍しいですわね。最近は騎士団の東の詰所にいらっしゃる事が多かったですのに」
「あ、ええ。今は書類仕事が溜まっていましてね」
「まあ、お勤めご苦労様です」
ロレッタ嬢は柔らかい笑顔を作る。
そのあとすぐに何かを思い出したかのように「そうだわ」と言うと、今度はシキから視線を少し逸らせて何やら恥ずかしそうな顔で頬に手を置いた。
「あの、ラシェキス様? 実は私、耳に入れてしまったのですが、その、プレゼントをご準備くださっているとか……」
「プレゼント、ですか?」
「ええ、首飾りをと聞きましたの!」
ロレッタ嬢は口の前で両手指をトンッと軽く叩くと満開の花のような可愛らしい笑みをシキに向ける。
……首飾り?
私は自分の胸元に手を当てる。
いつもあるはずのシキからもらった首飾りがそこには無かった。何度も探すが、見つからない。
何で?
どこにいったの?
いつも胸元にあったはずの首飾りを掴めない手が震えだす。
「首飾り、ですか?」
「友人の家に出入りしている宝石商がそう話していたと聞きましてよ。確かに指輪はまだ早いですものね。当家に出入りしている宝石商が結婚指輪は特別なものを準備していると言っておりましたわ。ですからその時は当家にいらっしゃってくださいませ。すぐに用意させますから。一緒に素敵な物を選びましょう」
「その機会が来ましたら」
「ふふ、楽しみですわ」
二人の会話を聞きながら、私は口を開けたまま閉じることが出来ない。
首飾りのプレゼントは私にだけではなかったのだろうか。
何だ、そうだったのか。
シキの中では特別な意味はなかったのか。
それを大事に大事に思って、特別なものを貰ったのだと勘違いしていた自分が恥ずかしい。
私には不相応な豪奢な城やドレスではなく、森の中を走り回っているのがお似合いだ。
そう思うのに、私は二人から目を離せない。
目の前にシキがいるのに手を伸ばせない。名前も呼べない。
喉の奥深くに詰まっている言葉を放ちたいけれど、それよりも先に目頭が熱くなってくる。
二人を凝視して立ち止まっていた私をアレスが肩を掴んで引っ張る。私の顔を見たアレスの顔は険しい。
「殿下、すぐに宰相補佐の執務室へ戻りましょう」
「……あ…。大丈夫よ、アレス。休憩しに行こう?」
「いいえ、すぐに戻りま……」
「ヒカリ、迎えにきたよ」
唐突に聞き慣れた声が私たちの会話を遮る。アレスの背後にカロスの姿が見えた。
何でここにいるのか。執務室からここはだいぶ遠い。
アレスはカロスの姿を確認すると私から手を離し、スッと後ろに下がってカロスに礼をする。
私に近付いてきたカロスはむぎゅっと自分の胸板に私の顔を押し付けると、そのまま手摺りの下の様子を覗き見て軽く息を吐く。カロスは片側の肩にかけていた縦にも横にも大きな深い色のストールのような布を取り外し、私の頭から被せると私を足元から持ち上げ横にして抱える。
私の視界はカロスの布で真っ暗闇だ。
カロスの大きな布は私の頭どころか、体まで覆い隠していた。
「アレス・エレーミアよ、今日はここまでだ。下がるが良い」
私を抱えたカロスがそのまま歩き出すと、周囲から何かが落ちる音があちらこちらから聞こえた。
カロスに頭を撫でられている。
時々、背中もだ。
「子供扱いしないで」
私はカロスの膝に顔を擦り付けながら、カロスの服をぎゅっと握りしめている。
子供扱いするなと言いながら、わたしの姿は母の膝で泣きじゃくる子供と大して変わりはない。
先程の光景が頭から離れない。
綺麗なシキの隣に可憐な美しい女性。お似合いの二人だった。
シキの腕に触れられる距離にいる女性。
シキから当然のようにプレゼントを貰える女性。
さっきからとても嫌で苦しい感情が体全体を覆って私を離してくれないのだ。
それは今までナナクサ村にいた頃に他の女の子から私に向けられてきた感情ときっと同じだろう。
昔からその感情を向けられるのがとても嫌いだったけれど、こんなにも自分自身も苦しめる感情だなんて初めて知った。
時々空中に発生する火やら風やらをカロスがちょいちょいと指を動かして魔法で潰していく。
カロスの執務室に戻って来ると、部屋から繋がるバルコニーのテーブルに美味しそうなお茶菓子とお茶が用意されていた。
そこには座り心地の良さそうな長椅子も用意されていて、本来ならそこに座って美味しいお菓子を食べるのだろうが、今の私は座るどころか椅子に膝をつきながらカロスの膝の上に覆い被さるようにして泣きじゃくっているのだ。本当、子供扱いするなとどの口が言うのだろうか。
「私とのお茶の時間に戻ってこなかった罰だよ」
「よくあそこだってわかったね」
私は鼻水をずるずるとさせながら顔を少し上げる。
「指輪からね。秘書にはお茶の時間までには終わる仕事量を振るように伝えておいたのだが、一向に戻って来なかったからね。気になったんだ」
「アレスと食堂でお茶をするつもりだったもん」
そう言うと、カロスは「おや?」と言う。
「食事とお茶の時間は必ず私と一緒だよ。それ以外は許可はしない」
「なんでカロスが決めるのよ」
「今日は私の手伝いなのだろう? だから私が決めるよ」
はっとした。
そうだ、今日は手伝いに来たはずだ。
アレスに手伝ってもらいながら仕事をしただけで、後はカロスに迷惑しかかけていない。
「だから、私の膝の上でお茶をすることを命令するよ」
「なんで膝の上なのよ!」
「私が満足するからだ」
そう言って笑う。流石に冗談だったようだ。……だよね?
私は涙を拭うと座り直す。
椅子にだ。
決して膝ではない。
まだ涙は止まらない。それでも執務室に戻って来た時よりかはだいぶ良い。
頭から被せられた布を取った時には私の顔は大洪水で、後から後から涙が溢れ出てきてしまい止まることを知らなかった。それを忙しいカロスが落ち着くまでずっと背中をさすってくれていたのだ。
「カロス、ごめんね。私、ここにずっといるのは無理かもしれない」
カロスが帝国にいる理由を作ってくれた時、私は嬉しかったけれど、今は帝国にいるのがとても辛い。帝国にいることであの光景を何度も目にするかと思うと、足がすくんでしまい立っていることもままならない気がする。
項垂れながら謝ると、カロスは私の頭に手をポンッっと置いた。
「それならしばらく二人で帝都を離れないか? 数日後に北へ視察へ行く予定があるんだ。一緒に行こう」
「北?」
「そうだ。もう視察団は向かわせている。私は君だけを連れて行けばいい」
「それが終わったら?」
「終わったらか………。そうだな。そうしたら君が行きたいところへ君を送り届けよう」
「どこでも?」
「ああ、私の知っている場所だけにはなるだろうがな」
「知らない場所へは行けないの?」
「距離と方角さえわかれば大体は行けるよ。ただおかしな場所に出る事があるから知っている場所のほうが安全だ」
「おかしな場所?」
「個人宅の中とかだな。食事中のご家庭の中に知らない男が急に現れるのだ。それは出来るだけ避けたいだろ?」
それを聞くとそうだねとくすっと笑ってしまう。
「わかった。視察に行くよ。ここにいるよりかは……いいだろうから」
「そうか。それは良かった」
どこかほっとしたカロスは私の顔を覗き込む。でもカロスの黄金色の瞳はどこか憂いを帯びていた。
カロスはポットからお茶を私のカップに注ぎだす。
良く見るとカップにもポットの下にも小さな魔法円が見える。
カロスが注ぐと湯気のたつ暖かいお茶が出て来たので、きっとポットを暖めている魔法円なのだろう。
「落ち着くよ」
そう言ってカロスは私に良い香りのするお茶の入ったカップを渡した。
カロスはテーブルにあったベルを鳴らして秘書官を呼び、書類を持ってくるように指示を出す。秘書官は部屋に一度戻ると、お菓子の乗っているテーブルの半分ぐらいの小さなサイドテーブルをカロスの横に置き、その上に書類の束と数個の文鎮を置くと、礼をして部屋に下がっていった。
暖かいお茶をすする私の横からは、カロスが書類をめくる音だけが聞こえて来る。
どうやらここで仕事を始めるようだ。今日も寒さを通さない魔力の膜に覆われているからバルコニーにいても寒くはない。
カロスは読み終わった書類を小さなテーブルの端に置くと、秘書官の持ってきた積み上がってた書類を上から取る。それが読み終わればまた同じ様に繰り返す。時々、読み終わった書類を違う場所に置くが、気にせずまた新しい書類を読み出す。
暫くすると、秘書官が新しい書類の束を持ってさささっとバルコニーに現れた。
「そこの束はやり直しをさせろ。こっちのものはあとで署名をするから机の上に置いといてくれ。ノイア地方の領主達の収入額が各収入の合計と見合わない領地が多々ある。貴部省と関係する各省にその理由を調べさせろ」
秘書官はそれを聞くと、新しい書類を山になっている順番待ちの書類の下に入れ込み、カロスが読み終わった書類を持って再び部屋に下がっていった。
本当に忙しそうだ。邪魔しかしていない。
私はカップを置いて下を向いていると、カロスの左腕は私を引き寄せる。
何事かと身構えていると、カロスは背中をまた優しく摩りだす。
「ヒカリのために以前一緒に行ったお店のお茶菓子を用意させたよ。好きだっただろ?」
カロスの言うように目の前の一口大のお菓子はどこかで見たことがある。
良く見ると、カロスの誕生日パーティの準備で街へ行った時に立ち寄ったお茶菓子屋さんのお菓子だった。
私が気に入っていたフルーツのソースの掛かった焼き菓子も、茶色いくせに謎なぐらい甘くて美味しいソースであるチョココのかかった菓子も、それ以外にも私が美味しい美味しいと食べていたお菓子達も綺麗なお皿の上に並べられていた。
一つ摘んで口に運ぶ。
美味しい。
あっという間に一つ目のお菓子は口の中に消えた。
二口、三口と次々に入っていく。
甘い。
食べる度にその甘さが心の中にある醜いものを少しずつ溶かしていく。
「そのまま忘れてしまいなさい」
薄暗くなってきたバルコニーで、カロスは涙がなかなか止まらない私の横で摩る手を止めることなく書類を捌き続ける。
バルコニーからは城の外壁や中庭に次々と灯りが灯るのが見えた。
カロスも秘書を呼び寄せると、外壁にある外照明に灯りをつけさせ、燭台も持ってこさせた。
ふんわりとした明かりが私達を囲む。
冬の暗い空からは、いつの間にか舞い落ちてきた白く小さな粉雪が、バルコニーの床に落ちては色も付けずに溶けていく。
ふっと見上げると私の頭の上から落ちてくる粉雪は私の頬に当たることなく、丸みを帯びた薄い魔力の膜に当たって弧を描くように滑り落ちていく。
手をそっと差し伸べるが、手に届く前に透明な膜に当たってやはり届かない。
帝城からの遠い空では闇と白が混合し、お互いの色を塗り替えようと争う。
消えそうな粉雪では分が悪そうだ。
真上の空から落ちて来ては私に当たりもせずに消えていく小さな雪の粉を仰ぎながら眺める。
いつの間にか私の涙も、粉雪のように滲みながら消えていた。
<連絡メモ>
次の投稿は遅くなります。1週間後か、、、2週間後か、、。
<人物メモ>
【キツキ】
ヒカリの双子の兄。リトス侯爵。
【ヒカリ】
キツキの双子の妹。バシリッサ公爵。恋愛に対しての謎防御力の強い女の子。キツキと大喧嘩してカロスに北城へ連れてこられた。
【シキ(ラシェキス・へーリオス)】
へーリオス侯爵家の次男。銀髪の帝国騎士。キツキとヒカリの兄妹喧嘩の原因でもある。
【カロス/黒公爵(カロス・クシフォス)】
帝国の宰相補佐官。黒く長い髪に黒い衣装を纏った二十一歳の男性。魔力が異次元すぎて一部から敬遠される。ヒカリに好意を寄せる将軍の愚息。
【ユヴィルおじ様/将軍(ユヴィル・クシフォス)】
現皇帝の弟でカロスの父。将軍職。お節介の専門家と息子に揶揄される。親戚の子供達に甘い。
【皇帝陛下(レクスタ・ワールジャスティ)】
プロトス帝国の現皇帝。
【ロレッタ嬢(ロレッタ・エティーレ)】
エティーレ公爵の娘。シキの婚約者として帝都では知られている。
皇后陛下の姪にあたる金髪青眼の可愛らしい女性。
【アレス(アレス・エレーミア)】
金の髪と瞳を持つエレーミア侯爵家の次男。こちらも双子の再従兄弟にあたる。
将軍のすすめで騎士団に入る。
※添え名は省略
<更新メモ>
2021/12/09 修正
2021/12/06 加筆(気になる部分を修正)