砂漠の地で ーエルディ視点
西側へ進む馬車の一行の見送りが終わる頃には、夕方というよりかはもう夜へと移り変わっていた。凍てつくような風が時々吹きつけてくる砂漠の中で、夜空を見上げた後に北側を見る。
砂だらけの地に大小の岩山が地面から突き出ているのが見える。
人影らしきものはない。
特におかしな様子もなく、北の砂漠は静かだった。
道づくりの始まりの地は、地面を砂が所々隠すような荒野とも砂地とも呼べるような場所だったけれども、西へとだいぶ移動してきた今となっては、足の甲を埋めてしまう程の砂が延々と広がる砂漠の環境まで我々は進んで来ていた。
無事に馬車が進めば良いが。
まだ道が開通していない場所での馬車の移動はだいぶ苦労をされるだろうな。
馬車の見送りが終わった護衛達は、見張りの一人を残して順次城の中へと戻っていく。
城に残った護衛には遠くまで音が聞こえる笛が渡されている。危険が発見された時にはその音が城周辺に響き渡るという寸法だ。
ハメルーン城に残された護衛の数はそう多くないから、城の端から端までの警備なんてこの数では到底出来ない。そして見回りは複数人という鉄則を破るしかなかった。
一人ずつしかいない巡回で、手っ取り早く周囲に危険を知らせる方法として笛を持たせたが、逆に言えば笛を鳴らした人間には助けが来るまでは一人で対応しなくてはいけないというかなり過酷な状況でもある。
キツキ様の周囲だけを守る護衛しか連れて来ていない今では、突如として発生した脅威に対応出来る方法としてはこれが限界だろう。
だから運営に携わる人間の城の中での移動できる範囲も少ない見張りの目が届くように狭くした。被害の少ない城の北側の一階と二階だけだ。
万が一が発生した場合に、全員避難までの時間を短くさせるためだ。だからその範囲以外の出歩きはどんな事情でも許可を出していない。
もう一度周辺を見回して人影がないことを確認すると、ふぅっと白い息を空に向けて吐いた。
昨日届いていた手紙。
フィレーネ侯爵から、キツキ様の提案を承諾する旨の返事が書かれていた。そしてすぐにエレノア嬢を出発させることも。
ここハメルーン城から北、細かく言えば北北東に位置するフィレーネ城まではそう遠くない。
返事の手紙を出すのと同時に令嬢をすぐに出発させたのなら、彼女を連れた一行はそろそろハメルーン城に着くはずなのだ。手紙を運んできた早馬とは誤差一日ぐらいはあるだろうとは考えていたけれど、今日はまだ到着していない。
こちらからフィレーネに送った手紙には我々の拠点の予定を書いておいた。
本来ならまだハメルーン城だったのだが、昨夜の兄妹喧嘩が原因で破壊されてしまったハメルーン城では拠点としての運営がままならず、大方の人間は急遽次の拠点に移ることになってしまった。
だからエレノア嬢の一行はキツキ様達の先頭集団とは入れ違うように、ここハメルーン城を目指してくるだろう。
今日の朝までは彼女らの一行が来るのを大人しく待っていれば良かった。だけど昼過ぎの事件がそれを良しとしなくなったのだ。
ー 形は人のようでしたが、体は黒く、目は赤かったのです。
ー 襲ってきましたので三体程切ってまいりました。ただその後、遺体ではなく砂のようになって崩れていってしまったのです。
そんな奇妙な話が飛び込んできた。
人とも思えない容姿の人間が調査中だったフィオン達を有無を言わさずに襲ってきたのだという。
ー 村を襲った奴らによく似ていました。
襲われたフィオン達の村、その時の話を父から兄と共に聞かされていた。
フィオン達の漁村にはサウンドリア王国の国章の入った剣が数本と村人の遺体が数体だけが残っていたと。血痕の跡が海まで続き、どうやら船で攫われた人間もいるのではないかとも憶測されている。何故なら十人以上の遺体が見つからなかったからだ。
それが起こったのはフィオンのいた村だけではない。
あの近辺にあった海沿いの三十人にも満たない小さな漁村が同時刻に数カ所も襲撃を受けていた。砦から遠く、警備の薄い村を下調べをされていたのだろう。その中でフィオン達の村は咄嗟に機転が利く大人がいたのか、四人の子供達が助かったのだ。
父は今でも多くの領民が犠牲になってしまった事を悔やんでいる。
もしもフィオンが言うように彼の村を襲った敵と同じならば、おそらくは女性であろうと子供であろうと容赦はしない集団だろう。そう考えると、どうしてもエレノア嬢の無事な姿を見るまではここを離れる気にはなれなかった。
一度は城に戻ったものの、やっぱり落ち着きなく城から北側が見渡せる壊れたバルコニーに何度も見に行ってしまう。夜の北の砂漠にはやっぱり人影が見えない。やっぱりというよりかは、城から離れ場場所は暗すぎて遠くまでなんて見えるはずがない。
「何もないか……」
そう思って北の砂漠を目を細めて睨む。
そんな砂漠の中にフワッとした明かりが見えたかと思えばすぐに消えてしまった。それは小さく、あっという間だった。
バッと翻り階段を駆け降りる。
見間違いかもしれない。それでも。
廊下で会った護衛に「周囲を見回ってくる」と言葉を投げ捨てるように伝えると脚を止めることもせず、一気に馬小屋まで走り抜ける。手綱だけ付いた愛馬を引くと、鞍もつけずに飛び乗った。
光の見えた北へと馬を走らせる。
こっちのはずだ……
砂を巻き上げながら馬を走らせるが周囲は砂漠と小さな岩山が見えるだけ何も景色は変わらない。魔法円を使って雷を周囲にバチバチと光らせるが、やはり砂漠と岩山しかないようだ。
勘違いか?
そう思ってそろそろ引き返すかと諦めた頃。目の前にゆらっとランタンの明かりが見えた。それも局所的に。その原因はどうやら身長よりも大きな岩山に遮られていたからのようだ。
その岩山の裏を確認したくて馬を走らせる。近づくにつれて人の声が聞こえてきた。
「………なん…は!」
「はや……いと」
光に向かって岩山の裏が見える位置まで走ってくる。
そこで見たもの。
それは黒く薄気味悪い馬の頭程の小さな生き物達が、質の良い馬車を取り囲んで群がっている姿だった。追いかけてきた光は馬車のランタンの光だった。馬車を守ろうと二人の男性が剣を抜いているけれど、どうやら二人とも負傷をしてしまっているようだ。そして馬車の車輪は砂に埋まってしまっている。
早く助けねばと思って焦るけれど、その一方で自分の目の端に移ったものに驚いて顔を横にする。少し離れた場所につややかな丸い何かがいるのが見えた。
………え? スライム?
キツキ様のスライムよりかは断然に大きく、色は……おそらく黒だろう。ランタンの光がなければ闇夜の中に溶け込みそうな色だった。
気にはなったが今はそれどころではない。
手を前にする。
三つの魔法円から馬車を取り囲んでいた黒い生き物目掛けて雷光を流れるように飛ばすと、黒い生き物はさらさらっと砂のようになって崩れ落ちていった。
それを横目で見ながら剣を抜き、男性達に襲い掛かろうとしていた不気味な生き物を斬っていく。
「無事か?」
男性達の横に付いて、ランタンの明かりから漏れる光でその横顔を見るとホッとした。見たことのある顔だったからだ。
馬車の主を確信していると、男がチラッとこちらを見る。
「エ、エルディ様?!」
「ああそうだ。エレノア嬢は無事か?」
「……はい。なんとか」
「そうか。よく頑張った」
二人はフィレーネ城の兵士でエレノアの小さい頃からの護衛だった。
視線を前方に戻す。
まだ地面に蠢めいている黒い生物をじっと見ると確信する。
……これは魔物だ。
祖父や父に聞いたことのある程度の知識だったが、そう確信した。
なんでこんな砂漠なんかにこれだけの数がいたのか。
目の前の気味の悪い黒い物体に剣を突き刺して止めを刺し、周囲が静かになったことを確認すると馬車に近付く。
扉をコンコンッと叩くと、窓からは目がクリッとした少し顔色の悪いエレノアが顔を出してくれた。私だということに気がついたのだろう、緊張した顔が少しだけ緩んだのがわかった。
「ご無事で何よりです」
「まあ、エルディ。お会い出来て良かったわ。迷ってしまったかと思ったのよ」
「………道のないこんな砂漠で暗い夜道を突き進んだら、それは迷子になりますよ」
めっ! とエレノア嬢を眉間に皺を寄せて叱る。どうやら、もう少しだからと野宿をせずに突き進んだ結果、砂の深くなったこの辺りで車輪が砂に取られて動きづらくなった上に魔物の群れに遭遇をしてしまったようだ。
急いて突き進んだことは誉められないが、魔物との遭遇は想像もしていなかった避けようのないアクシデントだろう。野宿をしたとしても同じだったかもしれない。
魔物なんて帝国では滅多に現れるものではなく、自分も今まで目にしたことはなかった。それがこの砂漠の中に群れと言っても過言ではないほどの数の魔物がいたのだから、エレノアを目の前にして眉を顰めてしまう。
あ、そうだ。下を向いていた顔をふいっと上げる。
「エルディ?」
「少しここでお待ちください。すぐに戻ります」
翻ってさっき見えたスライムの場所まで走る。でも周辺には丸い姿は見えなかった。
逃げたのだろうか。
そういえばキツキ様も全速力で追いかけていたものな。
足元が見えないほどの暗闇の中に雷の魔法円をひょいひょいと動かして周囲を見るがやっぱり丸いものは見えない。逃げてしまったのかもしれない。仕方ないなと諦めて腰に手を置いた時だった。こんもりとした地面に一矢が刺さっているのが見えたのだ。
「なんだ、これ」
近づいて見るが、矢の状態はまだ新しい。周囲を見渡すが人も弓もなく、どこからその矢が飛んで来たのかはわからない。なんか不気味だな。
少し考えたけれど、矢に毒が塗られている可能性もあるためまた明日にしようと矢をそのままに、エレノア達の元へと戻った。
「まあ、これはこれは」
エレノアは大きな目をさらに大きくさせて城を見上げていた。
「恐竜でも現れましたの?」
「そんな神話の生き物がいるのでしたらお目にかかりたいですね」
「まあ、違いますの?」
驚いているのかわからないぐらいにおっとりとエレノアは話しかけてくる。
恐竜ねぇ。
視線をエレノアと同じく上にするけれど、よくよく考えてみれば確かに恐竜のような神話の世界のような話だな。
「確かに、神話の話かもしれませんね」
「どちらですの?」
小さなエレノアは僕を見上げる。
いつの間にかこんなにも身長差が出来ていたのか。子供の頃は同じぐらいだったのに。
「その答えは楽しみにとっておきましょう、エレノア嬢。寒いですので早く中へ」
促されてエントランスに入ったエレノアはとあることに気がついたようだ。
「そういえばエルディ。キツキ様について行かなくて良かったの? キツキ様の補佐官になられたと聞いていましたが」
「あ………ええ。ここが整うまで任せられましたので」
「そうでしたの」
帰ってくる前にキツキ様達が既に次の拠点に移ったことを説明した。
エレノアの到着が行き違いになったので、キツキ様から許可をもらってまでここに留まっていたけれど、そんなことを知ったらエレノアに根掘り葉掘りその理由を聞かれるのは目に見えている。意外とエレノアは知りたがりでしつこいところがあるからだ。
部屋にエレノアと彼女のお付きのメイドを案内する。
「ゆっくりお休みください、エレノア嬢。私の部屋は奥の突き当たりにありますので、何かありましたらお申し付け下さい」
「ありがとう、エルディ。お言葉に甘えて今日は休ませてもらいますわね」
エレノアは大きい目を細めて笑う。
意味のある笑顔でも人を貶める笑いでもなく、彼女の素直な性格がよく出ている柔らかい笑顔だ。
小さい頃から胸を温かくする彼女の笑顔が大好きだった。
「おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」
彼女が無事に部屋に入ったのを見届けて安堵した息を漏らすと、自分の部屋へ向かって歩き出した。
<人物メモ>
【エルディ(エルディ・ダウタ)】
カロスに引き抜かれてキツキの側近となった辺境伯であるダウタ伯爵の次男。何事も器用にこなす働き者。小さい頃からエレノアを知っている。
【エレノア・フィレーネ】
フィレーネ侯爵の次女で小動物みたいで可愛いが、しっかり者。ヒカリのお友達 兼 侍女としてフィレーネからやってきた。エルディの幼馴染でもある。