嵐の前哨戦3
午後はカロスに北城の案内をしてもらい、主だった部屋や施設を案内された。
城壁に建っているとは思えないぐらいに広いお城を一通り見る頃にはもう日は暮れようとしていた。午後は手伝いというよりは、基本的な事を教えられて終わってしまった。
日が沈みだすと城の中は慌ただしくなる。
数十人もの使用人達が玄関先に並び、ピリピリとした空気がエントランスに漂う。私とカロスはエントランスホールの奥からその様子を眺めていた。
「何が始まるの?」
「見ていればわかるよ。そろそろかな」
横に立つカロスは特に興味もなさそうな顔で玄関扉の先を見ている。
扉が開くのと同時に並んでいた使用人達は一斉に頭を下げる。それに引きずられて私も同じように頭を下げようとするが、不意に出てきたカロスの手が私のおでこをピタッと止める。
「おかえりなさいませ、クシフォス公爵様」
「おかえりなさいませ」
扉の先からはユヴィルおじ様が朝の護衛達を引き連れて入ってきた。それと同時に大合唱にも似た出迎えの声が玄関先からこだまするように聞こえてきた。
「ヒカリは頭を下げては駄目だよ」
カロスはそう言うと左手を胸に当ててユヴィルおじ様に礼をする。
「おかえりなさいませ、父上」
「カロスか。出迎えご苦労」
ユヴィルおじ様はカロスにそう言うと横にいた私に視線を向ける。
「ヒカリ殿、お待たせして申し訳ない。ささ、ここは寒い。暖かい部屋へ行きましょう」
そう寒くは無いけれど、ユヴィルおじ様はこっちですよと気さくに案内をしてくれる。カロスは私とおじ様の後ろからついて歩く。
「父上、ヒカリは私が案内しますので先ずは着替えられてはいかがでしょうか」
「なに、カロスがそう言うと思ってな。帰りに着替えてきたから大丈夫だ」
そういえば朝と服装が違うかもしれない。
「帰って来る迄の間に埃をかぶってますよ。どうせ帰り際に、あちこちに顔を出されたのでしょう?」
カロスがそう言うと図星だったのかおじ様は口を結んでムムムッとした顔を、後ろを歩くカロスに向ける。
「私の部屋は遠いから時間が勿体無いのだ。ヒカリ殿と話をする時間が無くなるではないか」
「では服を持って来させましょう。食堂近くの部屋でお着替えになれば良い」
「……全く、頭でっかちは誰に似たのやら」
「父上で無いのは確かです」
「かわいくない」
「ええ、子供ではありませんので」
カロスとおじ様はお互いに眉間に皺を寄せて相手を睨む。
「あ! 仲裁必要??」
お昼にカロスと話をしていた事を思い出して、仕事をしなくちゃと二人の間に横槍を入れたが、それを聞いたカロスの目は少し冷たい。
「……いえ、喧嘩ではありませんよ、ヒカリ。日常会話です。私が不利になることはしなくて良いですから」
「え、日常?」
これって日常だったのか。
「はははっ! ヒカリ殿がいらっしゃれば、カロスとの喧嘩には負けることはなさそうですな」
おじ様は何が面白かったのか大笑いする。
「父上、笑い過ぎると咳き込みますよ。もうお年なのですから」
「まだ年寄り扱いされる年ではないわ!」
「全く、自覚のない年寄りが一番厄介ですね」
「なぬっ?!」
「はい、そこまででーす! 終わりでーす!」
やっぱりどう見ても喧嘩でしょう。
キツキとおじいちゃんの関係とは全く違うから、一言二言でここまで喧嘩腰になるのはある意味すごいと思っちゃう。
私はいがみ合う二人の間に割って入るとぐいぐいっと両腕で二人の間を開ける。
「はい、カロスはおじ様の服を持ってきてもらって。おじ様は私と一緒に食堂近くの部屋でカロスを待ちましょう。さ、始めっ!!」
私は二人を引き離していた手をパンっと叩くと、二人はしぶしぶと私の案に従った。
「ヒカリ殿がいると食事が華やかになりますなぁ」
片手にお酒のグラスを持ったユヴィルおじ様は顔を赤くさせてご機嫌だ。
美味しいご飯をご馳走になっている上、一緒に食事するだけでこんなにも誉められるのなら、時々来ても良いかもと私はこの待遇に満更でもない。キツキがもの凄く心配していたから少し不安だったけれど、ユヴィルおじ様の嬉しそうな顔を見ていると、いらない心配のようだった。
片や一方、カロスの機嫌はあまり思わしくない。むすっとした顔でさっきからおじ様の話に時々相槌を入れるだけだ。
「カロスよ。明後日の準備は出来ているのか?」
「ほとんど手配は終えていますので明日は最終確認だけです。招待客への連絡が滞っていなければ問題はありません」
今度はおじ様はムッとした顔をする。
「私がヘマをする訳がなかろう。こちらも問題はない」
「だと良いのですが。最近、軍務省もサウンドリアの動向の確認に忙しそうですので忘れているかと思っていましたよ」
「それとこれは別だ。ようやくお前が公爵家の嫡子らしく人と交流を持とうとしているのだから、出来る限りに招待状を送ってある」
「会場に入り切れるだけの人数にしてくださいよ」
「もう送ったから、今更注文は聞かんぞ」
カロスは軽いため息をつく。
何だか大変そうだなーと二人の会話を聞いていた。
「ねえ、サウンドリアの動向って?」
私の目の前に座っているカロスに質問をする。私には関係ない話だとはわかってはいるけれど、全く関わった事がない国の名前でもないのでちょっと気になってしまった。
私からの質問を聞いたカロスは目を上にすると、斜め横にいるおじ様に視線を送る。おじ様もその視線に気が付いたのか少し考えると頷いた。
それを見たカロスは将軍の側近以外は部屋から出るようにと周囲に指示を出すと、再び私に視線を戻す。
「まだ軍務省と帝城の一部の人間しか知らない話だがサウンドリアが最近活発なようなんだ」
「活発って?」
「サウンドリア王国の北にあるアトミス王国への侵攻準備を始めているという話が入ってきていてね。こちらも警戒を強めているんだ」
「アトミス王国?」
「ああ、サウンドリアもアトミスも我がプロトス帝国の西側にあるのだが、アトミスとはお互いに中立的な立場で、交易はしているが軍事同盟国でもない。だが、サウンドリア王国が狙っているのはどうやらアトミスの南東側のようなんだ」
「そうなんだ。……んーっとそうなると、よその国の話だけれどその場所を戦争にでもなってサウンドリアに抑えられると帝国としては大きな不都合があるんだね、きっと」
「よくわかったね」
おじいちゃんと手書きの絵と木の駒を使った陣地取りゲームをした事がある。奪われてはいけない施設や致命的な地形とかあって、そこを抑えられるとその後の展開に大きく影響していく。おじいちゃんにもキツキにもよく負けていたゲームだったけれど、それを頭に思い浮かべながらカロスの話の続きを聞く。
「どのくらい入り込んでくるかわからないが、アトミスの南東側は帝国の国境とも接していて、アトミスから輸入している鉱石の主だった鉱山も輸送用の道もその地域にあるのだ。今、帝国は鉱石類が不足していてね。そこを押さえられてしまうとこちらも痛手を負う」
「鉱石の輸送を止められちゃうってことね」
「そうだ。国内への影響は必至だな」
「帝国では鉱石が取れないの?」
「無い訳ではないがね。……元々、帝国の大きな鉱石産地は国の西側にあったんだ」
「西……」
「ああ、今キツキが道を作っている辺りだな」
あれ、そんな鉱石が採れそうな山とか岩があったかな。
「あ! もしかして砂に埋もれちゃったの?」
「鉱山が砂山に変わってしまったと言ったほうが近いだろうな。砂が深く崩れ落ちてしまうから奥深くまで確認は出来ていないが、鉱床は全滅しているかもしれない」
「ええ? まさか鉱石まで砂になったの?」
それは怖い。植物が枯れてしまうのはわかるけれど、鉱石や岩までもが砂になるだなんて。でも細かく砕いたら、あれらも粉や欠片になるからそうでもないのだろうかと目を上にしても答えは出ない。
「少しずつ崩れて消えるように砂に変わっていったそうだ。そんなおかしな話があるとは思えないが、実際そう証言している関係者が多い。だから嘘ではないのだろう」
「砂になっちゃう原因は?」
「わからない」
カロスは沈んだ顔をする。自信溢れるいつものカロスがこんな顔をするのを初めて見た。カロスにでもどうにも出来ない事があるんだなと、当然のことを知った。
「全国的に鉱山は点々とあるが、昔栄えていたような西側の鉱山一帯に比べたら小さなものだ。とにかく、鉱石の輸送が止まる上にこちらも火の粉を被るかもしれないから隣国の状況は目が離せないんだよ」
「なんでサウンドリアは戦争をしようとしているの?」
「その理由はわからない。アトミス王国側にもその理由はわかってはいないようだ。だから兵士を国境近くに派遣してただ国境の警備の強化をしていただけで終わるかもしれないけどね」
「ふーん」
何事もなければいいけど、そういえば私の出会った二人のサウンドリア王国の貴族達って略奪的だったよね。双方とも出会ってすぐに自分のものになれ的な事を言っていた。サウンドリア王国の貴族にあまり良い記憶はない。
「カロス、そろそろその辺にしなさい。食事が不味くなるだろう」
おじ様は心配そうな面持ちで私の顔を見る。どうやら私に気を使ってくれたのだろう。そもそも私が突っ込んで聞いちゃったのがいけなかったんだけれど、おじ様にもカロスにも気を使わせてしまった。
「食事が不味くなるのは料理が冷めたからでしょう。父上ぐらいのお年になれば冷めて硬くなった食事は食べづらいでしょうからね」
「なぬっ?!」
どうしてすぐにこんな会話になるのだろうかと呆れつつも、なんだかこの二人に慣れてきたなと冷ややかな視線で二人の攻防が終わるのを見守る。
そんな私の様子に気がついたのか、カロスはおじ様を揶揄うのを止めると、お酒の入ったグラスに口をつけながら視線を上に向けて静かになったかと思えば、再び視線を下ろして気恥ずかしさを隠すように平静を装いながら口を開く。
「……ヒカリ。明日は職人に頼んでおいたものを取りに行く。朝から街に行くからつきあってくれ。大事なものだからヒカリにもついてきて欲しい」
「うん、いいよ。朝からなの?」
「ああ、そうだ。早い方がいい。ほとんど出来上がってはいるが、何かあれば直しをしてもらわなくてはいけないからな」
「ふーん」
カロスは視線を時々外しながらそう言うと静かに食事を再開する。
そのあとはおじ様が何を言っても突っかからずに流していた。
翌朝、私とカロスは仕事に向かうユヴィルおじ様を見送った後、外出用の服に着替えさせられた。貴族は一日に何度着替えをするのが正解なのか、未だに私にはわからない。
服を選んだ後に、城のメイドさん達に囲まれて揉みくちゃにされながら着替えさせられたのだけれど、銀色の首飾りだけは外さないでとお願いした。
玄関先で待っていたカロスはいつも通り全身黒いのだが、首元にはもっさもっさした羽根なのか毛皮で出来ているのかわからないが、暖かそうなものが外套の首から肩辺りにかけてくるりと一周巻かれている。思わずカロスの首周りについているもっさもっさを触ってしまう。
「ヒカリ、くすぐったいよ」
少し困った顔のカロスに止められるけれど、すぐには手は止まらずにそれからもう少しだけ触り心地を堪能してから止めた。なんだか黒い動物を撫でている気分になる。
そんな私は足元が少し見えるぐらいの長さのドレスにこちらで用意されていた外套を羽織っている。いつものナナクサ仕様のマントのような外套とは違い、ドレスのような腰当たりを絞った型の外套だ。前ボタンで留めていて、少し首元が空いているデザインになっていた。
では行こうかと、私の手を取ろうとしたカロスが私を見てピタッと止まる。どうしたのだろうかと下げていた視線を上げると、カロスは訝し気な表情で私を見ていた。
「どうしたの?」
「ヒカリ、首飾りは用意しておいた物から選ばなかったのかい?」
首飾り。
私はシキにもらった首飾りを服に隠れるようにつけていたけれど、背の高いカロスからは服の隙間からどうやら見えていたようだ。
「あ、うん。これ、お気に入りだから」
「……そうか」
カロスは視線を横に流したが、すぐに私に戻すと手を差し出す。
「では、行こうか」
私はその手に手を添え、カロスと歩き出す。二人で表に用意されていた馬車に乗り込んだ。
カロスに連れて行かれた場所は外城内にあるお店。
要は貴族のためのお店で石造りの建物で、扉とその周辺は重厚でなおかつ華麗な彫刻で彩られていた。みてくれからしていかにも貴族のお店という感じだ。
店内には壁一面、生地が綺麗に整理された状態で展示されており、店の中央には数体の人型の模型達が目が眩むほどの眩い衣装を着て立って並んでいた。
店内に入った途端、カロスから君はあっちの部屋だよと店内の扉を指さしされたかと思えば、お店の女性達にこちらですよと誘導されて店の奥である別の部屋へと連れて行かれた。そこで目にした物。
先ほどお店の中央で見た模型達が来ていたような煌びやかなドレスが飾られていた。夜空のような深い青色に、星のような細かな宝石が散りばめられたドレス。今まで見たこともない斬新なドレスに言葉を無くしてうっとりと眺めていたのだけれど、さあさあ着てみてくださいと店員さんに遠慮なく服を脱がされ、そのドレスを私に着せようとする。
「え? えっ? これ、私が着るんですか?」
私の戸惑いなんかものともせずに女性店員さんは私にドレスを着せていくけれど、おどろくべきことにそのドレスは私の体にぴったりと合った。
「まあ、お似合いです。大きさも大丈夫そうですね」
数人の店員さんがスカートの長さを見たり、胸や腰あたりの生地をつまむけれど、大丈夫そうですねと口々に言っていた。一発で私にぴったりのドレスが出来るものなのだろうか。
「なんでこんなにぴったりなんですか?」
「昨日までに最終的なサイズの連絡をいただきましたので、お直しをさせていただきました。オレンジ色のドレスは少し大きくありませんでしたか?」
オレンジ色のドレス。
昨日にカロスが選んでくれてあまりの可愛さに反対できなかったあのドレスだろうか。そういえば着せてもらうときにメイドさん達が着せると同時に、測りを持ちながらどのぐらいここの生地が余るだの大きいだのと言いながら、服を調整しながら着せてくれていた気がする。そして一人だけそれらをメモを取っていた人がいたな。もしかしてあの時に知らぬ間に自分の体の大きさを調べられていたのだろうか。
全く隙がない。おそるべし、クシフォス公爵家。
「公子様がお待ちです。ご準備が出来ましたらいかれましょうか?」
そういって店員さんは慣れない靴を履いた私の手を取って入ってきた別の扉を開く。その先は最初に入ってきた店内とはまた別の少し大きめの部屋だった。その中央に私のドレスと同じ色の盛装に身を包んだ男性が立っていた。
髪の色で誰がすぐにわかったけれど。
「ああ、良く似合っているよヒカリ」
カロスは珍しくもローブ姿ではない。
カロスは部屋に入ってきた私に近付くと大丈夫そうだなと私の周りをぐるぐると回ってドレスをチェックしていた。
「ねえ、これって」
「ああ、明日の衣装だ。間に合って良かったよ」
「もしかしてこれ、作ってもらったの?」
「ああ、ヒカリが来ると決まった時に発注をした」
こんなに細かそうな作業のあるドレスが一週間もなく作れるものだろうか。もしかしてお店にだいぶ無茶をさせたのではないかとカロスの顔を渋い顔で見上げる。
それにしても。
「ねえ、もしかしてお揃い?」
「もしかしなくてもお揃いだ」
だよね。
「なんで?」
「君をパートナーとして連れ回すためだ」
「パートナー?」
私は訝し気な顔で聞くとカロスはふっと笑って応えようとはしなかった。ちょっと。
「ボスコム、急ぎの仕事だったが良く出来ている。手間をかけたな」
カロスは部屋の中央にいたおじいちゃんぐらいの男性に声をかけた。
きっと手間なんてもんじゃなかったでしょうよ。
だけど、カロスにそう声をかけられた男性は嬉しそうにカロスに礼をした。
「ヒカリ、大事な用事はこれで終わりだ。昼まで時間がまだあるから時間までこの周囲のお店を見てまわるかい?」
カロスはそう言って笑った。
元の服に着替えた後、包んでもらったドレスはお店から直接北城に運んでもらうことにして、私たちは衣装店を出た。
外の空気は朝よりは暖かくなったけれど、時折冷たい風が吹いては顔を叩きつける。
「カロスはこんな寒い日に産まれたのね」
「……そんな事を考えたこともなかったな」
目を上にして私の言葉について考え始めるカロスを見て、なんだかおかしくて吹き出していると、こっちに美味しいお菓子屋さんがあるよとカロスは案内し始める。
その途中で、私は少し変わったお店を見つける。
城下町で見た宝石店の品揃えと少し似ていたけれど、首飾りのペンダントや指輪の石に使われている石が珍しい。
「これ、魔石?」
「ああ、そこは魔石を宝飾として加工して身につけられるようにしているんだよ。君たちの首飾りや指輪の石も魔石で出来ているだろ?」
そう言われて私は耳飾りを触る。確かに魔石と同じ石だ。
それもそうか。おばあちゃまの回復魔法が入れられているのだから、魔石以外はありえないか。私は少し考えればわかるような事を今更納得する形でカロスに説明されたのだ。
「あ、ねえ。ここに入ってもいい?」
「おや、気に入ったの?」
「うん、お土産!」
「お土産?」
カロスは首を傾げた。
<人物メモ>
【キツキ】
ヒカリの双子の兄。祖父の実家を継いでリトス侯爵となる。
【ヒカリ】
キツキの双子の妹。祖母の爵位を継いでバシリッサ公爵となる。恋愛に対しての謎防御力の強い女の子。
【カロス/黒公爵(カロス・クシフォス)】
帝国の宰相補佐。黒く長い髪に黒い衣装を纏った二十歳の男性。魔力が異次元すぎて一部から敬遠される。ヒカリに好意を寄せる将軍の愚息。
【ユヴィルおじ様/将軍(ユヴィル・クシフォス)】
帝国の将軍職。金色の髪に白髪の混じった初老の男性。
双子の少し遠い血縁で現皇帝の実弟。クシフォス公爵でもある。