海を渡るもの4
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慣れない服に身を包む。
使用人達が俺の周囲を取り囲み、それぞれに小難しい服の装飾品を取り付けていく。
時計を見ると十時少し前だった。そろそろだろうか。
一番働きたい時間帯だが仕方がないと鏡に映る着飾った自分の姿を眺める。
部屋で着替えていた俺を、エルディが呼びに来た。
「キツキ様、いらっしゃいました」
「わかった」
廊下に出るとエルディが後ろからついてくる。
「二階の応接室か?」
「はい」
目的の部屋の前まで辿り着くと、扉の前で待機していた使用人が俺の顔を確認するなり扉を開ける。
中に入ると暖系の色合いで整えられた部屋の中に、冷めた色の衣装を身にまとった男性が長椅子の前で手を左胸の前に置いて立っていた。
三十後半か四十代だろうか。焦茶色の髪と瞳。人の良さそうな整った顔立ちに、肩幅はかっちりしているがスラッとした背が印象的だった。
どこかセウスさんを思わせるような容姿だ。
「はじめまして、リスト侯爵。私はハレス・カルディナと申します。本日はお時間をいただきありがとうございます」
「どうぞおかけください、カルディナ伯爵」
男性は頭を軽く下げると長椅子に浅く腰をかける。体を前屈みにして端正な顔から強い眼差しを俺に向けた。
「で、どのような御用件でしょうか」
時間は惜しいが、目の前のこの男性を軽く扱う事はできなかった。
この砂漠の道に最高額の寄付を出してくれている人だ。
それも帝都の一等地にあるリトスの邸宅を軽く買えそうなぐらいの飛び抜けた金額を、自分の利益になるのかわからないような砂漠の道にだ。
何かしら下心があり、いずれ代償を求めてくるとは思っていたが早速動き出したようだ。
「お願いに参りました」
「お願いとは?」
「はい、今リトス侯爵が携わっている道が完成し、目的地に着いた暁には、私も一緒に“そこ”に連れて行って欲しいのです」
彼の口から出てきたものは、俺が予想していた答えとは違った。
「え、“そこ”というのは?」
「私にもわかりません。ですがラシェキス・へーリオス卿のスライムの証言を証明なさるために道を作られておられるとか。行き着く場所はスライムがいる土地なのでしょう。おそらく帝国とは違う場所なのかと存じます」
大貴族院での話どころかスライムの話まで知っているのか。一体何者なのだろうか。
「特に面白みの無いところですよ。御家業に合うような物も発掘されませんし、何もありません」
彼のことをエルディに調べさせた。
先代が領地カルディナの鉱山を開発してそこで採れる鉱石や宝石類で財を成し、さらに水源の豊富な土地で薬草類も栽培していると報告を受けた。だいぶ豊かな領地のようだ。
それなのになぜ目的地なんかに興味を示しているのだろうか。
何が狙いなのだろうか。
「家業のためではありません。もしかしたらそこで見つける事が出来るのかもしれないのです」
「見つける? 何を見つけるのですか?」
そう質問するが返事は返ってこなかった。
カルディナ伯爵は視線を下にずらしたまま沈黙してしまった。
何を考えているか読めない。ただ、何かを隠しているのはわかる。
どうするか。
目を瞑って考える。
「……わかりました。ですが行き着いた先を荒らす事だけは許しません。よろしいでしょうか?」
「はい、ありがとうございます」
「では、その時にはまたご連絡を差し上げます」
そう言うとカルディナ伯爵は立ち上がり、丁寧に礼をして帰っていった。
「不思議な人でしたね」
「そうだな。無茶な話ではなくて安心したけどな」
この前来たどこぞの伯爵なんかは早い話、娘を娶れとか言ってきたしな。
寄付金額満額を揃えて叩きつけて追い返したが。
彼の話は少し気にはなるが、大きな害にはならなさそうだ。
この話はまたその時に考えるか。
「エルディ、今日の進……」
「キツキー! たっだいまー!」
ん?
声のする方を見るとヒカリが満面の笑顔で走ってくる。
「走るな!」
怒られて気がついたのかヒカリはピタッと止まり早歩きに変えた。
慌ただしい奴だ。
ヒカリの後ろからはフィオンが歩いてくるのが見えた。船の買い付け組が思っていたよりも早く戻ってきたな。
これは午前は現場には出られそうにない。俺は諦めて二人を執務室へ招き入れた。
「で、どうだった?」
「楽しかったよ。東側の拠点は玄関先に屋台が出来ていて賑やかだったし、大叔父様もお元気だったよ」
ヒカリは出された茶菓子を頬張りながら答える。
それはそれで嬉しい話だけれど、今俺が聞きたいのはそこではない。
「俺が聞きたいのは船の話だ」
「うん、一ヶ月で用意してくれるって」
ヒカリのお菓子しか見えていない頼りない顔とは裏腹に、思っていた以上に最良の言葉が返ってくる。
ヒカリが言うには、今ある船ならば1ヶ月で優先して改修してくれるとの話だった。
「よく優先してくれたな」
「うん、海賊退治を手伝ったら優先してくれるって言われて」
「は? 手伝ったのか?」
「うん、スライム狩りよりも簡単だったよ」
横目でジロッとフィオンを睨むが微動だにしない。エルディ以上に図太い。
「……無事で何よりだ」
頭が項垂れる。
近衛騎士を断っておいて、ヒカリに怪我でもされたら、流石にカロスも黙ってはいないだろう。
本当、無事で良かった。
「技術者はどうだった?」
「あ、それなんだけど」
「キツキ様、ここからは私がご説明します」
後ろで控えていたフィオンが口を挟む。
「わかった、フィオン」
「東の港町で造船所を経営されている男性に会いまして、数名を先に西に送ってくださるそうです」
「そうか! それは助かる」
「それともう一つ。西の海まで辿り着けたなら、そこに造船所を造りたいとの申し出を受けてきました。許可をくださるのなら優先的にリトス侯爵の船の造船と修理を受け持ってくれるそうです」
「何?」
船の商売をするならば西の海では利益は出ないかもしれない。帝国の海で商売をしているのならそれはわかると思うのだが。
「どうしてそんなに好意的なんだ?」
「……わかりません」
「そうか」
でもこんな悪条件の場所に造船所を設けたいなんて申し込みは、後にも先にもこの一件だけかもしれない。断る理由はない。
「わかった。それは了承しよう。船を取りに行く時にそう伝えてくれ」
「承知しました」
さて、あとの問題は。
「海からは船を運べないのか」
「うん、だから風の魔法陣で浮かせてこようかと思っているんだけど」
お茶菓子を頬張りながら、あっけらかんと話すヒカリの無謀な作戦に絶句する。
「は? どれだけ遠くに運ぶと思っているんだよ。500kmは優に超えるぞ」
そう言うがヒカリにはその距離は実感として湧かないようでキョトンとした顔をする。
頼り甲斐が有るのか無いのか。
ただ、せっかく掴んだ幸運をふいにしてしまうのはもったいない。
船を運ぶ……か。
そこまで考えてはいなかったな。
顎に手を置き、しばらく考える。
「なあ、ヒカリ。お前はそれをどうやって運ぼうと思ったんだ?」
「うん? だから風の浮遊魔法だよ。船は持ち上げられたから、あとは移動するだけだったし。私一人ではずっとは無理だろうから、キツキの魔素と魔力を配魔してもらいながら、カロスにも手伝ってもらおうかと思ってたんだけどね。忙しいかな?」
……カロス!
そういえばそんな便利な奴がいたな。
すっかり忘れていた。
ただ。
先日、規定の近衛騎士を拒絶して怒らせたばかりだった。
あいつを敵にすると色々困ることが起こる。
この先についても支障がが出てくるのは分かりきっている。
悩む、が。
「カロスに会うしかないか」
俺は苦々しい顔で上を見上げた。
その言葉を聞いてエルディの顔は青ざめていった。
「もう一度言っていただけますか?」
目の前には不機嫌極まりない黒公爵の顔。
ヒカリに見せるような表情など微塵も感じさせないほどの冷徹な表情だ。
同一人物だとは到底思えない。
これがコイツの本来の顔か。
黒公爵、確かにそう呼びたくもなる。
ヒカリに連絡用と言われた指輪からカロスを呼び出してもらった。
最初はヒカリを見てご機嫌だったが、俺の用事の為に呼び出されたとわかると、段々と顔色が人から魔物になっていった。
エルディにいたっては、お茶を出す手すら震えていた。
「一ヶ月後、船が出来た暁に運ぶのを手伝ってもらいたい」
凄まれようがめげずにもう一度言う。
カロスの表情は変わらない。
「断ります。では、これで」
黒公爵はすっと立ち上がり、三角形の魔法陣を出しかける。
「待て! ヒカリが……お前が手伝ってくれないと砂漠の中をヒカリ一人で運ぶことになる」
ヒカリの名前を出すのは卑怯だとは思う。
だが、ここはもう他に方法がない。
ヒカリの札が効いたのか、カロスは出しかけていた魔法陣を消した。
「卑怯ですよ」
そう言って俺を睨む。
卑怯者だろうが何だろうが、お前を足止めができるのなら妹を盾にするし、いくらでも睨まれてやる。
「お前の協力を仰げないか?」
カロスは汚いものを見るかのように俺を見ると再び椅子に座った。
カロスから返事はない。腕を組むと不機嫌面で考え始める。
ここでこいつから良い返事をもらえないと、全ての計画が頓挫する。
今まで作った道も付随するもの全てが無駄になるのだ。
なんとしても良い返事をもらいたい。
「では、こちらから条件を二つ」
カロスは冷たい視線で俺を見る。
俺は息を呑んだ。
「なんだ」
「一つ目は、先日の近衛騎士をつける事。もちろんヒカリにもです。人数を減らす事もダメです」
やはりきたか。
これ以上は逃げられそうにもない。
俺は目を固く閉じる。
「わかった。その条件は呑もう」
船のためだ。
「ただし、こちらで雇った護衛も外さない」
「……いいでしょう」
黒公爵は少しだけ首を動かす。
「そして、もう一つ」
俺はじっとカロスを見据える。
体に緊張が走る。
どんな無理難題を出してくるのかと、カロスを凝視し唾を飲み込む。
しかし予想とは違い、カロスの口元が緩んだ。
これは……。
嫌な予感がする。
「ヒカリを三日、私に預けてください」
「三日も?!」
「ええ、いま私の住んでいる四宝殿の北城に三日だけいらしていただきたい」
カロスの顔から笑みが溢れる。
どっちが卑怯だよ。
「お前の住まいにか?」
「父もおりますので二人っきりではありません。護衛も侍従もメイドもおりますゆえ」
駄々っ広い城に家族が一人いたところで、いないのと変わらないだろうが。
それに使用人がいたところでお前の命令一つでどうにでも出来る。
頭が項垂れ、組んだ手にも眉間にも力が入る。
シキさんの顔が浮かぶ。
「……それ以外にしてもらえないだろうか」
「これでもだいぶ譲歩しているのですがね」
カロスはわざとらしくため息をついている。
腹黒い。こっちが断れない事を見越して言っているのはわかっている。
呼びつけた時点でカロスだってそれはわかっていてこの条件を出して来たのだとは思うが。
悩む! 悩むが………!
「……わかった。でもヒカリに傷だけは絶対につけてくれるなよ」
カロスは勝ち誇った顔をする。
船のためだ。
許せ、ヒカリ。
それにカロスならヒカリが嫌がる事は絶対にしないだろう。
この男は変なところで妙な信用がある。
「では、近衛はすぐにでもこちらに向かわせます。一週間もあれば着くでしょう」
満足そうな顔をしながらカロスは言う。
護衛をつけられることもそうだろうが、ヒカリを数日でも確保出来たことを喜んでいるのであろう。
今回もカロスのペースで終わった。
ではと顔の緩んだカロスは立ち上がると、再び三角形の魔法陣を呼び出して上機嫌で帰って行った。
「はぁーーー」
カロスの姿が消えると思わず息を吐いて、長椅子の背もたれに寄りかかる。
「よろしかったのでしょうか。キツキ様」
「仕方ない、あれで協力を仰げるんだ。ヒカリには三日だけ黒公爵の捧げ物になってもらうよ」
天井を眺める。
ヒカリがなんて言うかな。
「え? 北城に行くの? 私だけ?」
「そうだ」
「え、いつ?」
「まだ決まっていない」
ヒカリを応接間に呼んで、先ほど提示された話をする。
ヒカリの反応からはそこまで拒否をする様子はない。
「カロスとユヴィルおじさまのお城にお泊まりするって事だよね? 私、粗相とかしないかな」
お前の心配するところはそこか。
「将軍なら大丈夫だろう。孫のように可愛がっていたからヒカリがいたら喜ぶんじゃないか?」
それは嘘ではない。
本当に孫のような可愛いがわりっぷりだったからだ。
「北城で何すればいいの?」
「さあ、俺も知らない。カロス達とご飯食べてお茶するだけじゃないのか?」
本当、それだけで済んで欲しい。
「何かあれば、遠慮なしに破壊してきて構わないからな」
「いや、それは問題ありでしょ」
「………出来そうか?」
「うん? 大丈夫なんじゃない?」
「そ、そうか」
思っていた反応とは違っていて少し戸惑うが、本人がそう言っているのなら大丈夫なのだろう。多分。
果物をパクつく妹を見て、もしかしたら意味を理解していない可能性が無きにしも非ずなのではと、不安がよぎった。
<人物メモ>
【キツキ】
ヒカリの双子の兄。祖父の実家を継いでリトス侯爵となる。
【ヒカリ】
キツキの双子の妹。祖母の爵位を継いでバシリッサ公爵となる。恋愛に対しての謎防御力の強い女の子。
【カロス/黒公爵(カロス・クシフォス)】
帝国の宰相補佐。黒く長い髪に黒い衣装を纏った二十歳の男性。魔力が異次元すぎて一部から敬遠される。ヒカリに好意を寄せる将軍の愚息。
【エルディ(エルディ・ダウタ)】
カロスに引き抜かれてキツキの側近となる。辺境伯であるダウタ伯爵の次男。何事も器用にこなす働き者。キツキの一つ年上。
【フィオン(フィオン・サラウェス)】
ダウタ兵団の兵士でエルディの子供の頃からの遊び相手。あまり表情はださないので冷たい印象を持たれがち。キツキからの依頼でヒカリの護衛役となる。
【カルディナ伯爵(ハレス・カルディナ)】
キツキの砂漠の道に多額の寄付をしてくれている伯爵。資源豊かな領地を持っている。砂漠の道の最終目的へ連れて行って欲しいと依頼をしてきた。何か隠し事をしている様子が垣間見える。
<更新メモ>
2022/01/14 人物メモを修正
2021/10/30 加筆、人物メモにカルディナ伯爵を追記