スライムの住処4
崖を落ちていく小石の軽やかな音が響き渡ると、一斉に数多の赤い目は崖の上にいた私達に向いた。
うつろだった赤い目は、獲物を狙う獣のように輝き始める。
その不気味な光景に私の心音はドクンと跳ね上がった。私達が獲物だと認識されたのだ。
「ヒカリ、出口に向かえ! 走れ!」
セウスが叫ぶ。
彼の声に反応して踵を返すが、そんな時に気付いた重大な事が一つ。
……来た道が暗い。
私は段丘を下りた後、すぐに鉱石に気を取られてしまい、ここへ来るまでの間に魔素でマーキングをしてくるのを忘れていたのだ。
さらに指を振っても、それ以前のマーキングも地面から浮かび上がらない。遠くで微かにボワッと光っている魔素が見えるが、そこまでの道がとっても暗いので緊急事態にも拘らず足元が判りづらい。
どうして出てこないのかと、私の頭の中は混乱を極める。
マーキングには火の魔素を使っていた。そして地面の上に一定間隔に落としてきたはずだ。
……はずだったけれど。
そういえば、途中に地面が湿っていたり、水が溜まっていたりしたような……。
もしや、自然の力で相殺されてしまったのか?
「自然には敵わなかったか……」
逃げながらボソリと呟く。
「ヒカリ、やらかしたな?」
後ろから勘の良いセウスが強い口調で原因が判った私の心を刺してくる。こんな時に。
でも鉄鉱層の壁を左手で触ってきたから、逆方向へ進む今はその壁を右手に見ながら進めば大丈夫なはず。
私は縞模様の壁を頼りに走る。
魔物達はすぐには向かって来なかった。いや、来られないのだ。
彼らの目の前には崖とも言える大きな段差が立ちはだかっている。だけど後ろからは壁に強くぶつかる振動やどたどたした音、魔物の悲鳴とも怒声ともとれる鳴き声が私達を追おうとしている事を窺わせていた。状況から察するに、数は数十なんてものじゃなさそうだ。
魔物は単調だ。動く獲物を見つけると、状況なんて関係なく飛びかかってくる。
予測だけど、崖を登れない魔物の群れは、動けなくなってしまった第一陣の背中や肩を使って、後ろから来た第二陣の魔物達が登る。それでも壁を越えられなかったら、更に後ろからやってきた次の第三陣が……という流れで魔物がお互いの体を利用して出来た階段を使い、いずれはあの崖を登って追ってくるはず。
だから歩行型の魔物はすぐに私達を追っては来られない。
すぐに追いかけてくるのは羽を持っている魔物か、崖を掛け上がれるほど跳躍力の高い魔物。
走っていた私は振り返る。
当りだ。
私達の後方頭上から羽を持った飛翔型の魔物が襲いかかってきていた。
流石はおじいちゃん。当たってるよ。
小さい頃からご飯時の話題は、主におじいちゃんの経験した戦闘の話だった。ノクロスおじさんが加わるとさらに酷い。対人間や対魔物との戦いの思い出話を嬉々として話すおじいちゃん達の顔を見ながら、子供に何てつまらない話をしているんだろうと思ったこともあったけれど、今日ほどおじいちゃん達の無駄話をありがたいと思ったことはない。
「風よ」
魔物に向かって伸ばした指先から鋭い風が飛び出る。刃物のような鋭利な風は近くにいた羽を持った魔物の羽や体を切り裂き、数体を消滅させた。
だけど消滅した魔物のすぐ後ろから、交代するように跳躍力の高い魔物が姿を現したかと思えば、私達との距離を詰めてくる。さっきの風魔素で傷をつけたようだけど、数が多かったためか一度に巻き込めなかったようだ。
四つ足の魔物達はあっという間に私達との距離を縮めて襲いかかってくる。
「……速い」
次の魔素を出すまでに間に合うだろうか。
そう不安が過った瞬間、目の前に光るものが弧を描く。
セウスの剣が四つ足の敵を薙いでいたのだ。
私の風ではトドメまで刺しきれなかったが、セウスの剣は一振りで魔物を倒していく。
一瞬だ。
切られた魔物達は溶けたかのように沈むと、パラパラと黒い粉になって消えていった。
私は呆気にとられる。
初めて実戦でセウスが真剣を振るうのを見たのだ。学校の頃に見ていた彼の剣とは技量もスピードも気迫も全く違っていた。軽やかに動き、次々に剣を振って敵を消滅させていく姿に目を奪われる。ノクロスおじさんがセウスに全面的な信頼を置いている理由がわかった気がした。
いつの間にこんなに成長していたのだろうか。
セウスから視線を外せないのに、それを認めたくなくて手をぎゅっと握る。
何だか自分が負けている気がしてならなかった。
追いかけてきた魔物が次々とセウスの手によって消えていく様子に安堵していたのも束の間、安穏としていられない状況がとうとうやって来た。
奥から崖をよじ登ってきた歩行型の魔物の影が薄っすらと見えたのだ。
どうやら予想通り、魔物の階段が出来上がりつつあるようだ。
不味いな。このままでは大群が一気に押し寄せて来るかもしれない。
集中して指先を真横に引くと、魔物達が登ってきた崖の手前に横一直線の炎の壁を作り上げる。
「よしっ!」
私は魔物達の行く手を阻む炎の壁を見ると、満足気にぐっと手を握った。
今度は地面から少し浮かせて作りましたよ、はい。
これでしばらく時間は稼げるだろうか。
炎の壁を一瞥したセウスはその意味がわかったのか、近くにいた敵を薙ぎ倒し終えると剣を鞘に収める。
「ヒカリ、退避するよ!」
言われなくても逃げます。
セウスの掛け声に、私は薄っすらと光る道を目指して走り出し、さっき下りてきた段丘まで到達する。
「先に行け!」
セウスはその場で翻って鞘から剣を引き抜く。
私は言われた通りに急いで段差を登った。
「セウス、交代!」
今度は私がセウスの後ろからやって来る魔物を炎の弾で攻撃し始める。
私が上まで登り切ったのを確認すると、セウスも段差を登り始める。そんなセウスの背後には、十体近くの歩行型の魔物が炎の壁から飛び出て来ているのが見えた。
抑止力は小さかったのだろうか?
いや、あれだけの数の魔物を十体までに抑えられたのなら、そう悪くはない出来だったかもしれない。
右下から登って来るセウスを援護していると、不意に左側から殺気を感じた。
それに気付いて視線を向けると、目の前に飛翔系の魔物の爪が飛び込んでくる。
躱すほどの距離も無く、とっさに顔の前で腕を交差して守りの体制に入る。それと同時に風を起こしたが、魔物の爪は私の左腕と肩に突き刺さった。
「くっ!」
痛みと衝撃でバランスを崩した私は、後方に倒れてしまった。
だけどこんなところで寝転がっていれば、すぐに殺られてしまう。
おじいちゃんの夕食付き戦闘講習会の成果がここでも発揮される。
急いで襲ってきた魔物に視線を戻すと、私を再び襲おうと旋回して引き返してきたけれど、その魔物は私に辿り着く前に真っ二つに切り裂かれてしまった。
魔物の後ろから、段差を登り終えたセウスが剣で斬りつけていたのだ。
彼の眼光は鋭く、今まで見たことのない表情で別人のようだった。
セウスは私の目先で翻ると、しゃがみ込んで剣を持たない左腕で私の体を覆う。これは庇われているのだろうか。
目の前には数体の魔物。さらに死角となっている段丘の下からは、数体の魔物の鳴き声やうめき声が聞こえてくる。
「立てるか?」
セウスに聞かれて立ち上がろうと手を地面につけるが、肩と腕の傷の痛みですぐに立ち上がる事が出来ない。
私のその様子を肩越しに見たセウスは舌打ちをすると、襲いかかってきた魔物達に向かって雷を放い牽制する。
「少し我慢して」
セウスは怯んでいる敵に剣を向けながら、左腕を私の脇に通すと一気に体を持ち上げた。
「いぃっ!!」
鋭い痛みが肩に走ったけれど、なんとか足を地につける。
状況は良くない。完全に私がセウスの足手纏いになっているからだ。
そう思うけれど、痛みで敵に集中出来ないし、額から流れる冷や汗を止められない。
「走れるか?」
こんな悪い状況でもセウスは慌てるどころか冷静に私の様子を窺う。それだけでもノクロスおじさんがセウスを信用する理由がわかってしまう。
だけどそんなセウスの横に、動くものが見えた。
「セウス、危ない!!」
セウスの雷に巻き込まれなかった敵が襲いかかってきていたのだ。動けない私を庇うセウスの隙を、魔物が見逃すはずが無かった。
咄嗟に私は動く右腕を伸ばしてセウスの体を抱え込むように庇う。
もう駄目だと思ったその瞬間。
ガダガダダダダダダッ………
激しい揺れと音が体に響く。
魔物からの攻撃で体に傷を負うものと思っていたけれど、私の体に新しい痛みはない。
そろっと目を開くとセウスの肩越しに、地面から飛び出した氷の槍に魔物が串刺しになっているのが見えた。
それが誰の仕業か、すぐにわかった。
「ねえ、二人で何やってたの?」
マーキングの明かりがほのかに見える洞窟の奥から、呆れ顔のキツキが現れた。
<更新メモ>
2024/01/13 加筆
2023/02/01 加筆、人物メモの削除(既存人物の省略)